詩百篇第1巻47番


原文

Du1 lac2 Leman les sermons3 facheront :
Des4 iours seront reduicts par les5 sepmaines6,
Puis mois, puis an, puis tous deffailliront7,
Les magistrats8 damneront9 leur10 loys11 vaines12.

異文

(1) Du : De 1612Me
(2) lac : Lac 1649Ca 1650Le 1668A 1672Ga, Lact 1668P
Leman : lêman 1612Me, Lement 1716PRb
(3) sermons : Sermons 1672Ga
(4) Des : Les 1588Rf 1612Me 1627Di 1627Ma 1665Ba
(5) les : des 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1627Ma 1628dR 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1981EB 1665Ba 1672Ga 1716PR
(6) sepmaines : Sepmaines 1672Ga
(7) deffailliront : failliront 1607PR 1610Po
(8) magistrats : Magistrats 1590SJ 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1627Ma 1628dR 1644Hu 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1716PR 1981EB
(9) damneront : donneront 1589Me 1612Me, danneront 1607PR
(10) leur 1555 1611B 1716PR : leurs T.A.Eds. (sauf : les 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668)
(11) loys : Loix 1672Ga
(12)vaines : vainest 1667Wi

校訂

 ピエール・ブランダムールは3行目の an を ans と校訂した。確かに、jours や semaines が複数なことと整合させる方が、適切であろうと思われる。ブリューノ・プテ=ジラールは支持している。ピーター・ラメジャラーはそれに直接触れていないが、英訳は years にしている。

日本語訳

レマン湖からの説教が不快にさせるだろう。
日々は週によって置き直され、
そして月々、さらに年々となって、全てが絶えるだろう。
行政官たちは彼らの空虚な諸法を痛罵するだろう。

訳について

 大乗訳1行目「ルーマン・レイクの説教は めんどうなことになるだろう」*1は、ラック・レマン(lac Léman)を英語交じりに読んでいることも問題だが、fascher を「面倒になる」と訳すことの妥当性が疑問。
 同2、3行目「ある日の説教が数週間に/数ヵ月に それから 数年間にわたってひろまるだろう」は言葉を補いすぎていて不適切。
 同4行目「彼らはつまづき 裁判官は 彼らの愚(おろか)しい法を非難するだろう」の冒頭は、本来3行目の末尾にあるべき言葉。

 山根訳はおおむね許容範囲内だろうが、4行目「その筋は彼らの役立たずの権力を お笑いなされる」*2に顕著なように、解釈をまじえて訳しすぎている感がある。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、ジュネーヴで活動したカルヴァンとその後継者の詩としたが、残りは読者の判断にゆだねるとした*3

 その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、バルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 ところが、ジュネーヴに本部を置く国際連盟が1920年に発足したものの、武力制裁の禁止や、全会一致制による意思決定上の問題から、第二次世界大戦勃発を回避できなくなってからは、そのことと関連付ける解釈が次々と現われるようになった。
 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)エミール・リュイール(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルヘンリー・C・ロバーツジェイムズ・レイヴァーエリカ・チータムらは、国際連盟と関連付けた*4
 セルジュ・ユタンはカルヴァン派の拡張と解釈していたのだが、ボードワン・ボンセルジャンの改訂では、国際連盟とする解釈が併記されている*5

同時代的な視点

 ノストラダムスがこの詩を書いた頃のジュネーヴは、カルヴァン派の一大拠点だった。これは明らかに、反カルヴァン派の視点で書かれている。
 日、週、月などの表現は少々奇妙なものだが、実はこれを裏返しにしたような表現が『ミラビリス・リベル』には登場している。

「そして、ダン族から一人の邪悪な君主が現われ、反キリストと呼ばれるだろう。滅びの子、高慢の頭にして誤謬の主人である悪意に満ちた彼は、地上を混乱させ、偽りのわざによって、様々な不思議や大いなるしるしを見せるだろう。その悪魔のわざによって多くの人々を惑わせるので、天からの火に命じているようにさえ思われるだろう。年々は月々に置き直され(切り詰められ)、月々は週に、週は日々に、日々は時刻へと」(ティブルのシビュラ*6

 この予言は『新約聖書』の『テサロニケ人への第二の手紙』にある「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである*7をアレンジしたものだという。
 ともあれ、ノストラダムスはこの詩で、カルヴァン派を反キリスト的なモチーフと結び付けようとしたらしい。この点はピエール・ブランダムールが最初に指摘し、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールも同じ箇所を引用している*8

 クレベールの場合、それに加えて、「賢者が年を月に、月を週に、・・・切り詰める」という表現は、当時の錬金術師たちの言説の中にも見られることを指摘した。

 ロジェ・プレヴォは、カルヴァンが改革の一環として、日曜日を除く祝日を撤廃させたことと関連付けた*9


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詩百篇第1巻
最終更新:2018年07月22日 16:05

*1 大乗 [1975] p.57

*2 山根 [1988] p.52

*3 Garencieres [1672]

*4 Fontbrune [1939] p.156, Ruir [1939] p.78, Boswell [1943] pp.182-183, Lamont [1943] p.151, Roberts [1949], Laver [1952] p.222

*5 Hutin [1978], Hutin [2002]

*6 原文はラテン語。ここではブランダムールのフランス語訳から転訳させていただいた。cf. Brind’Amour [1996] pp.117-118

*7 日本聖書協会発行の口語訳『聖書』によった。

*8 Brind’Amour [1996], Lemesurier [2003b/2010], Clébert [2003]

*9 Prévost [1999]