ノストラダムスの遺言書 全訳と訳注

 ノストラダムスの遺言書の日本語訳を示す。訳は当「大事典」でオリジナルにつけたものである。基本的に直訳を心がけたが、当時の表現に頻出する、同じような意味の言葉を重ねている箇所は、日本語として冗長になりすぎる場合にはいちいち逐語訳していない。
 〔 〕は原文にない言葉を当「大事典」で補った箇所で、〔= 〕とあるのは最後に回すまでもない簡略な注記を指す。
 原文はノストラダムスの遺言書 原文と語注を参照のこと。節の区切りは、ダニエル・ルソによるものを踏襲した原文の区切りに対応している。
 なお、従来の唯一の日本語訳は『ノストラダムスの遺言書』 (二見書房)およびその改題版に含まれたものだった(外部サイト「ノストラダムスサロン」の「ノストラダムス遺言書」では、信頼性に注意を喚起した上で全文を引用している)。それは省略が多い上に、不適切な訳も多いから、ここでも具体的に検討したいところではあるが、ページサイズの都合などもあり、逐一その誤訳を指摘することはしなかった。



(1)
 現下の全てと、居合わせる者たちが目にするであろう未来をご存知の、我らが主の御降誕より数える1566年の6月17日。
 死は何よりも確実に訪れるものであるが、それがいつ訪れるのかは何にもまして不確かである。そのために、以下に署名する私こと当アルル司教区サロン市の王国公証人にして法廷公正証書役たるジョゼフ・ロシュと、以下に選任された証人たちは、前記サロン市の医学博士にして愛星家、国王の常任侍医にして顧問たるミシェル・ノストラダムス師の前に立ち会った。この者はある種の肉体的病魔とその高齢のせいで全ての面で衰えているとはいえ、思慮深く、よく話し、見て、聞ける健やかな判断力を備えている。しかし、その〔病魔と高齢の〕せいで、造物主たる神がこの死すべき世界において彼に貸し与えた財産について、自分が逝去した後に疑問が生じないように、生きているうちに相違なき手続きを準備しておきたいと望みつつも、目下のところ身動きが取れなくなっている。
(2)
 そのために前記ミシェル・ノストラダムス師は、純然たる自発性、自由意志、みずからの動向・熟慮・意向によって 〔遺言書の内容を口頭で〕 命じ、作成させた。そして本書状によって、造物主たる神がこの死すべき世界において彼に貸し与えた全財産のおのおのについて、その処分と規定を定めた口述の遺言と最終的な意思が、以下に示すやり方の通りに命じられ、確定される。
(3)
 まずはじめに、善良で敬虔なキリスト教徒たる遺言人、前記ミシェル・ノストラダムス師は、造物主たる神に自らの魂を委ね、臨終に際し、主の御意向がその魂を召されるときには、主の御慈悲・憐憫・許しをお与えいただき、天国にある永遠の王国へと安置していただけることを祈るものである。
 そして、この時代にあっては肉体は魂の次に大事なものであるから、本遺言人ミシェル・ノストラダムス師はその魂が肉体から召し上げられた暁には、その亡骸が前記サロン市の聖フランチェスコの修道院 〔=フランシスコ会修道院〕 の墓所に丁重に葬られることを望み、また命じる。そして、その 〔修道院の〕 大扉と聖マルタの祭壇の間の壁に寄り添う墓碑または記念碑が作られることを望む。そして、前記の亡骸には1リーヴル貨幣で4本の大蝋燭を添えることを望み、また命じる。同じく前記の遺言人は、その葬儀のすべてが以下に選任される遺言執行者たちの裁量で執り行われることを望み、また命じる。
(4)
 また同じく、前記の遺言人は自らが逝去したらすぐに、13人の貧者たちが6スーずつの施しをただ一度だけ与えられるようにと望み、命じ、〔その分を〕 遺す。その貧者たちは以下に選任される遺言執行者たちの裁量で選ばれることになるだろう。同じく前記の遺言人ミシェル・ノストラダムス師は、自らが逝去したらすぐに一度だけ、サン=ピエール=デ=カノン修道院 〔=サロン近郊にあった古い修道院で、当時はフランシスコ会士が管理していた*1〕 の修道士たちに1エキュが寄付されるように遺す。同じく前記の遺言人は、自らが逝去したらすぐに一度だけ、前記サロン市の白き贖罪者たちのノートルダム礼拝堂に1エキュが寄付されるように遺す。
(5)
 そして同じように、前記サロン市の聖フランチェスコの修道院の小さき兄弟たち 〔=小さき兄弟会とも呼ばれたフランシスコ会の修道士たち〕 には、自らが逝去したらすぐに一度だけ、2エキュが寄付されるように遺す。
(6)
 そして同じように前記の遺言人は、彼の近親者ルイ・ブゾディーヌの娘である淑女マドレーヌ・ブゾディーヌ1には総額10エキュ分のピストル金貨を遺し、彼女が結婚する時のみに寄贈されることを望む。そうであるから、もしも前記のマドレーヌが結婚する前に死去したならば、前記の遺言人はこの遺贈が無効となることを望む。
(7)
 そして同じように前記の遺言人ミシェル・ノストラダムス師は、その正妻アンヌ・ポンサルド殿との間に生まれた嫡出子たるマドレーヌ・ノストラダムス嬢に、結婚するときにただ一度だけ贈られる総額600エキュのソル金貨2を遺す。そして同じように前記の遺言人ミシェル・ノストラダムス師は、前記の正妻アンヌ・ポンサルド殿との間に生まれた嫡出子たるノストラダムス家のアンヌ嬢ならびにディアーヌ嬢に、おのおのが結婚するときにただ一度だけ贈られる総額500エキュずつのピストル金貨3を遺す。そして、前記のマドレーヌ嬢、アンヌ嬢、ディアーヌ嬢の姉妹たち 〔の全員〕 あるいはそのうちの一人が、被後見子のまま死ぬか、嫡出の継嗣のないまま死んだ場合は、前記マドレーヌ、アンヌ、ディアーヌのそれぞれ 〔該当する者〕 を、以下で名前を挙げる相続人たちに置きかえることとする。
(8)
 そして前記の遺言人ミシェル・ノストラダムス師は、深く愛する妻アンヌ・ポンサルド殿に総額400エキュのピストル金貨を遺す。前記遺言人は自らの死後すぐにそれらが前記の妻ポンサルドに遺贈され、前記ポンサルドが前記遺言人の名のまま寡婦として過ごす限りにおいて、その400エキュを享受することを望む。そして前記ポンサルドが再婚した場合には、前記遺言人は前記400エキュが以下に名前を挙げる相続人たちに返還されることを望む。そして、もしも前記ポンサルドが再婚しなかったならば、彼女は 〔死んだ時に〕 前記400エキュを前記遺言人の子どもたちのうち、彼女が良いと思える者に遺すことはできるが、前記遺言人の子どもたち以外の者には遺せないことを望む。
 そして同じように、前記遺言人は彼の妻である前記アンヌ・ポンサルド殿に、前記遺言人の家屋全体の3分の1の使用と居住 〔の権利〕 を遺す。その3分の1 〔を家屋のどの部分にするのか〕 は前記ポンサルドが選び取ってよいものとし、彼女が前記遺言人の名のまま寡婦として生きる限りにおいて 〔その権利を〕 享受できるものとする。そして同じく、前記ポンサルド殿に対し、前記遺言人の住居の居間にある「大箱」と呼ばれているクルミ材の箱を、寝台近くの別の小箱とともに遺す。同じく、前記の居間にある寝台を、その寝台に付随する敷布団、マットレスとその付随品、長枕、綴れ織の寝台カバー、カーテンとともに遺す。また同じく6枚のシーツ、4枚の回転式手拭き、12枚のタオル、半ダースの皿、半ダースの小皿、半ダースの小鉢、錫製の水入れ用と塩入れ用の大小2つのピッチャー、および彼女の資質に従って必要とされるその他の家具類、そして地下室の自分用のワインを保存する3つの樽と小さな 〔油などを保存するための〕 水槽1つを遺す。
 それらの動産は前記ポンサルドの死後ないし彼女が再婚した場合には、以下に名前を挙げる相続人たちに向けられることを、前記遺言人は望む。そして同じく、前記遺言人は彼の妻である前記アンヌ・ポンサルド殿に、彼女が望む全てのドレス、衣類、指輪類、宝石類を遺す。
 そして同様に、遺言人である前記ミシェル・ド・ノストラダムス師は、彼の全蔵書のおのおのを、彼の息子たちのうち、最も研究に役立てることができ、ランプの煙を最も多く飲むことになる者 〔=ランプを使って夜遅くまで最も勉学に励む者〕 に先取分として遺贈する。それらの書物は前記遺言人の住居にある全ての書簡ともども、整理分類されることも目録を作成されることも前記遺言人は望まず、それらを受け取るべき者がそれらを手にするのに相応しい年齢になるまでは、梱包され、または大籠に荷造りされ、前記遺言人の部屋のひとつに置かれ、封印されることを望む。
(9)
 そして同じく、前記遺言人は正妻ポンサルド殿との間に生まれた嫡出子セザール・ド・ノストラダムスに、今は前記遺言人が住んでいる住居を先取分として遺贈する。同じく前記遺言人は彼に対して、前記遺言人が所有する金箔を二重に貼った銀杯、ならびに前記住居にある木製と鉄製の大きな椅子を先取分として遺贈する。しかしながら、妻である前記アンヌ・ポンサルドに行われた遺贈分 〔つまり彼女が必要とする家具を相続できる権利〕 は、彼女が前記遺言人の名で寡婦として生きる限りにおいて効力を有し続けるものとする。
 そしてその住居は前記の兄弟セザール、シャルルアンドレの間で、前記遺言人の 〔息子である〕 兄弟全員が25歳になるときまでは、使用に関しては不分割にして共有のままとし、その 〔全員が25歳になった〕 後には、前記住居の全体を前記セザールが意のままにできるものとする。しかしながら、彼の母である前記ポンサルドに行われた遺贈分 〔つまり家屋の3分の1の使用権〕 は、前記住居に関しても常に効力を有し続けるものとする。
 そして同様に、前記遺言人は正妻である前記アンヌ・ポンサルド殿との間に生まれた嫡出子シャルル・ド・ノストラダムスに、総額100エキュのピストル金貨を先取分として遺贈する。その100エキュは前記シャルルが25歳に達した時に、〔使用権を失った自宅から〕 立ち去る前に一度だけ全額を受け取れるものとする。そして同様に、前記遺言人は正妻である前記アンヌ・ポンサルド殿との間に生まれた嫡出子アンドレ・ド・ノストラダムスに、総額100エキュのピストル金貨を先取分として遺贈する。その100エキュは前記アンドレが前述したように25歳に達した時に、〔使用権を失った自宅から〕 立ち去る前に一度だけ全額を獲得できるものとする。
(10)
 一方、相続人の指定はそれぞれの遺言の要諦であり基礎をなすものであるから、それなしには全ての遺言は法的効力を持たず、何の結果も生まず、何も執行されない。そのため、ここに前記遺言人ミシェル・ド・ノストラダムス師は、純然たる自発性、自由意志、ある種の学識、みずからの動向・熟慮・意向によって、動産と不動産の彼のほかの財産、現在と未来 〔に得る利息など〕 の権利、名義、〔出資金の〕 取り分、株式、債権、および名前が挙げられ、位置付けられるものや、何らかの様態で名目と品質が備えられるものならば何でも、その全て、そしてその各々を本書状によって締約し、命じ、確定させ、あわせて自らの口で、その普遍的にして固有の相続人たちの姓名を挙げるものである。
 〔その相続人たちとは〕 すなわち正妻たる前記アンヌ・ポンサルドとの間に生まれた嫡出子たち、ノストラダムス家の前記セザール、シャルル、アンドレであり4、彼ら 〔の内の誰か〕 が被後見子のまま死ぬか、嫡出の継嗣のないまま死んだ場合は、〔その死んだ〕 一方の者から 〔残っている〕 他方の者 〔たち〕 へと 〔死んだ者が相続するはずだった取り分を〕 均分に置き換えることとする。そして、もしも正妻である前記アンヌ・ポンサルド殿が1人ないし2人の息子を身ごもっていた場合は、その子たちも同じような置き換えをもって、他の息子たちと同等の相続人とする。そして、もしも彼女が1人ないし2人の娘を身ごもっていた場合、前記遺言人はその子ないしその子たちのそれぞれに、他の娘たちと同じ支払方法と置き換えでもって、総額500エキュのピストル金貨を遺すものとする。
(11)
 しかしながら、前記遺言人は前記の息子たちと娘たちが、彼らの母である前記アンヌ・ポンサルド、ならびに最も近い肉親たちの承諾と善意を得ることなしに結婚できないことを望む。そしてもしも 〔相続人に指定された3人の息子の〕 全員が嫡出の継嗣のないまま死んだ場合は、前記遺言人は相続人を、前記遺言人の娘であるノストラダムス家の姉妹、前記マドレーヌ嬢、アンヌ嬢、ディアーヌ嬢に置き換えることとする。
(12)
 そして前記遺言人は自身の遺産の大部分が現金と債権とで構成されていることを考慮し、〔遺言の執行時に支払いが〕 要求されることになる前記の現金と債権は、妥当な利潤 〔を得るための資産運用〕 のために、二人または三人の支払能力を持つ商人の手に預けられることを、前記遺言人は望む。
 そして同じく、彼の子供たちが幼く、被後見子の段階にあることを考慮し、彼らにその人格と財産についての後見役・遺産管理役の女性をつけることとした。すなわち、彼の妻である前記アンヌ・ポンサルド殿のことで、特に彼女に委ねられる。〔その選定には〕 彼女が正しく忠実な遺産目録を作成することが求められる 〔立場にある〕 ことも考慮された。しかしながら、彼女が前記遺産のいかなる動産も家財道具も売却せざるを得なくなることは、彼女が前記遺言人の名のまま寡婦として過ごす限り、〔前記遺言人は〕 望まない。また、いかなる物であれ、動産のあらゆる譲渡をも禁じる。それらは保管され、前記の子供たちと相続人たちが前述の通り25歳になった時に分け与えられるものとする。
 その女性後見人 〔つまりアンヌ・ポンサルド〕 は、彼女や前記の子供たちが栄養を摂るため、また 〔子供たちに衣類を〕 着せてやったり、彼らの性質に応じて必要となるものを揃えてやるために、前記の商人たちの手に預けることになる前記の現金からの利潤を受け取ることになるだろう。前述の通りに前記の子供たちのために使うときに限り、前記の利得に関して、彼女にはいかなる 〔収支の〕 報告も要請されない。
 前記遺言人は、前記相続人たちが現金で保管されている前記遺産の彼らの分け前を、彼らが25歳になる前に要求することがないように、はっきりと禁じておく。前記の娘たちになされた遺贈分に関しては、彼女たちが結婚した時に前記の遺贈分に従い、前記の商人たちの手に預けられた現金の基金から拠出されることになるだろう。加えて前記遺言人は、前記遺言人の兄弟の誰一人として前記の遺産のいかなる管理もできず、いかなる責務も負えないことを望み、その遺産および前記の子供たちの人格の管理・監督は、妻であるアンヌ・ポンサルド殿に委ねるものとする。
(13)
 そして、本遺言書が、特に情け深い絆と彼の魂について、より良く執行されうるために、前記遺言人ミシェル・ド・ノストラダムス師は、本遺言書の執行人を命じておくものである。すなわちそれはシャトーヌフの領主である平貴族パラメド・マルクと、前記サロン市のブルジョワであるジャック・シュフラン殿のことで、前記遺言人は彼ら一人一人に、本遺言書を執行するための全面的な権限、権力、権威を与え、その 〔遺言執行役の見返りの〕 ために財貨を取得させ、本来の遺言執行人たちが課されるべき、また行うことが慣例となっているような全ての事柄を行わせるものとする。
(14)
 本遺言書が、彼の全財産の各々に関するその最後の口述の遺言、措置、最終命令となることを、またそうなるべきことを、前記遺言人ミシェル・ノストラダムス師は望む。かつて前もって彼が示していた他の遺言書、遺言補足書、死後の贈与 〔の意思表示〕、その他の最終的な意思 〔として示してあったもの〕 を破棄・撤回の上で無効とし、本書状がその効力を有し、それが遺言書、遺言補足書、死後の贈与、その他の価値を持ちうるあらゆる手続きにも有効であることを希望する。
 同様に、〔前記遺言人は〕 当の私こと末尾に署名した公証人と、以下に選任される証人たちに、前記の現在の遺言とそれに含まれる事柄の立会人となることを要請した。彼はその証人たちのことをよく知っていて彼らの名前を挙げたのだし、その証人たちもまた前記遺言人のことをよく知っている。そして上述の公証人である私は、前述の相続人たちやその他の関係各位に供するように、当然のこととして、しかるべき時と場所において現下の彼の遺言を書面にまとめておくものである。
 そして直ちに、前記遺言人ミシェル・ノストラダムス師は以下に名前を挙げる証人たちの立会いのもと、総額3444エキュと10スーの現金を持っていることを表明し、前記の証人たちの立会いのもと、それらを以下に明示される通貨で実際に提示した。まずノーブル・ア・ラ・ローズ金貨536枚、そして1ドゥカート金貨6101枚、アンジェロ金貨779枚、2ドゥカート金貨126枚、古エキュ金貨4枚、古エキュ金貨に該当するリオンドール金貨82枚、ルイ王のエキュ金貨1枚、2エキュ相当の黄金のメダル91枚、ドイツのフロリン金貨108枚、帝政ローマ期の貨幣10枚、マリオネット金貨1117枚、半エキュ・ソル金貨8枚、エキュ・ソル金貨1419枚、エキュ・ピストル金貨1200枚、36エキュ相当のポルチュゲーズと呼ばれる金貨123枚、以上が前記の総額3444エキュと10スー13に換算される前記の現金の全体である。そして同様に前記遺言人は、帳簿、契約書、借用書、抵当 〔などの証拠を提示すること〕 によって、総額1000エキュ14の債権を持っていることを明らかにした。
 それらの 〔先ほど挙げた〕 現金の全額は、ノストラダムスの前記の住宅で3つの金庫に保管され、それらの鍵の1本はシャトーヌフの領主パラメド・マルクに、別の1本は執政官マルタン・ミアンソン15に、残る1本は前記サロン市のブルジョワ、ジャック・シュフラン殿に与えられることとなった。そして、彼ら自身によって前記の金庫に現金が収められた後に、実際に彼らは 〔鍵を〕 受け取った。
 当サロン市の前記遺言人ミシェル・ノストラダムス師の自宅の書斎にて、ブルジョワのジョゼフ・レノー殿、執政官マルタン・ミアンソン、財務官ジャン・アルグレ、シャトーヌフの領主で平貴族のパラメド・マルク、貴族ギヨーム・ジロー、アルノー・ダミザーヌ、平貴族ジョメ・ヴィギエ、前記サロンの聖フランチェスコの修道院の院長である聖職者ヴィダル・ド・ヴィダル、〔以上の〕 要請と召集を受けた証人たちの立会いのもとで作成され、承認され、公にされた。公証人である私は王令に従い、前記の遺言人と証人たちに自署を要請した。字の書き方を知らないと述べた証人である前記のレノーを除き、署名が行われた。
(15)
 そうしてその最初の原本には 〔以下の者たちの〕 署名がされた。ミシェル・ノストラダムス、執政官マルタン・ミアンソン、財務官ジャン・アルグレ、修道院長ヴィダル・ド・ヴィダル、証人バルテザール・ダミザーヌ、証人 P・マルク、J・ヴィギエ、ギヨーム・ジロー。
(公証人ロシュの署名)

注記

  • 1. ノストラダムスのGermainとされているルイ・ブゾディーヌは未詳。germainは「兄弟」と「本いとこ」(cousin germain) の二通りの訳がありうるが、エドガー・レオニが his first cousin と後者に基づく訳をしているのに対し、イアン・ウィルソンはその娘マドレーヌ・ブゾディーヌをノストラダムスの姪と位置付けているので、前者の訳を採ったのだろう。伝記研究の泰斗エドガール・ルロワもこの人物は特定できなかったらしく、妻の側の germain ではないかと疑問符つきで示すにとどまった。当「大事典」が「近親者」という曖昧な訳にとどめたのは、以上の理由による。
  • 2. ソル (Sol) は古いフランスの通貨単位で、これに該当する貨幣は古くは金貨、ルイ11世の時代以降は銀貨になり、ノストラダムスの死後になるが、ルイ14世の時代には銅貨になった*2。なお、エキュ・ソル、エキュ・ピストルなどの貨幣単位についてはよく分からない部分も多いので、適切な文献にお心当たりの方は、ご教示いただければ幸いである。
  • 3. ピストルないしピストレは、「スペインの2エスクード金貨が16世紀から17世紀にかけ、フランスにおいてこの名を与えられた」*3ものだという。
  • 4. 相続人について、竹下節子は息子3人とアンヌ・ポンサルドとしている*4。これはエドガール・ルロワの要約によるものだろうが、ルロワの要約では原文に比べてポンサルドの直前の de が脱落している。原文そのものに忠実に訳す限りでは、相続人は息子3人だけと見るべきだろう。
  • 5. ノーブル・ア・ラ・ローズ (noble à la rose) は、かつてフランス、イギリスで流通した 「バラの紋章を持つ金貨」*5
  • 6. ドゥカート (Ducat) は13世紀にヴェネツィアで最初に鋳造された金貨で、ヨーロッパで広く流通した*6
  • 7. アンジェロ金貨 (angelot) は 「竜を踏みつけた大天使ミカエルの像を刻んだ15世紀のフランス金貨」*7
  • 8. リオンドール金貨 (lion d’or) は 「フィリップ6世治下のフランスの金貨」 または 「1454~66年に流通したフランドルの金貨」*8
  • 9. 黄金のメダル (une médailhe / médaille d’or) について、イアン・ウィルソンは顧客であった大実業家ハンス・ローゼンベルガーから贈られたものではないかとしていた*9。ノストラダムスは1561年の手紙の中で、ローゼンベルガーから謝礼の銀杯とともに贈られてきた黄金のメダルについて、その出来の見事さを誉めていた*10
  • 10. フロリン金貨 (florin) は1252年にフィレンツェで最初に鋳造された金貨で、のちにヨーロッパ各地で模倣した金貨が鋳造されるようになった*11。ノストラダムスが 「ドイツのフロリン金貨」 と地名を併記しているのは、以上のような経緯と関係があるのだろう。
  • 11. マリオネット金貨 (marionnette) は 「ドイツのドゥカート金貨の一種」*12
  • 12. ポルチュゲーズ (Portugaise) は、「34リーヴルに相当する金貨」*13あるいは「(17世紀初頭の英国で) 3ポンド10シリングに相当する金貨」*14。ポルトガル王マヌエル1世 (在位1495 - 1521年) の時代に鋳造された10クルサード金貨がそう呼ばれたらしい*15
  • 13. 「3444エキュ10スー」という金額がどのくらいの価値を持つかについては、いろいろな見解がある。渡辺一夫は具体的な換算は行わず、「当時としては、大変な金額であり、しかも、それを全部上質の古金貨で持っていたようでした」*16と評していた。ユージン・パーカーは1920年時点で50万フランと見積もっていた。エドガール・ルロワはコラン・ド・ラルモールの換算を引用し、当時の肉や卵の価格から換算すると、1925年時点での500万から600万フランという見積もりを紹介していた*17エドガー・レオニは、ノストラダムスがパリまでの旅で100エキュを費やしたと主張していたことを引き合いに出していた。ピーター・ラメジャラーは約45万ドル*18とか約30万ドル*19と換算している。
  • 14. 「1000エキュ」 はマルセイユ原本・抄本の数値で、アルル写本では「1600エキュ」 となっている。
  • 15. マルタン・ミアンソン (Martin Mianson) は、アルル写本ではマルタン・マンソン (Martin Manson) と表記されている。


【画像】 平木恵一 『新・世界貨幣大事典』

※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2013年02月27日 22:37

*1 Leroy [1993] p.102

*2 平木恵一 (2010) 『新・世界貨幣大事典』

*3 平木恵一、前掲書、p.536

*4 竹下 [1998] p.133

*5 『ロベール仏和大辞典』

*6 平木、前掲書、p.199

*7 『ロベール仏和大辞典』

*8 いずれも『ロベール仏和大辞典』

*9 Wilson (2002)[2003] p.306

*10 cf. 竹下 [1998] p.259

*11 平木、前掲書、p.244

*12 DFE

*13 LAF

*14 DFE

*15 平木、前掲書、p.544

*16 渡辺『フランスルネサンスの人々』pp.138-139

*17 Leroy [1993] p.105

*18 ラメジャラー [1998a] p.79

*19 Lemesurier [2003a] p.136