詩百篇第10巻42番


原文

Le regne1 humain d'Anglique2 geniture,
Fera son regne3 paix vnion tenir4,
Captiue5 guerre demy de sa closture,
Long temps6 la paix leur fera maintenir7.

異文

(1) Le regne : Le Regne 1672Ga
(2) d'Anglique 1568A 1568B 1568C 1591BR 1611 1981EB 1772Ri : danglique 1568X, d'anglicque 1590Ro, d'Angelique T.A.Eds.
(3) son regne : son Regne 1672Ga
(4) tenir : tenir?[sic.] 1653AB 1665Ba
(5) Captiue : Gaptiue 1611A 1611B
(6) Long temps : Lon temps 1627Di 1627Ma, Long-temps 1644Hu 1649Xa 1667Wi 1716PR(a c) 1772Ri, Longtemps 1665Ba, Long-tems 1720To
(7) maintenir : mantenir 1568X

校訂

 有意義な異文は d'Anglique か d'Angelique かだけで、それこそが校訂においても最大の論点になる。調査の範囲では 1597Br が d'Angelique の初出だが、その異文に正当性を認められるかは疑わしい。

 実際、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースは一致して d'Anglique を採用している。

日本語訳

アングル人の子孫の人間的な統治が、
その王国に平和と統一を保たせるだろう。
その囲いの中に戦争はほとんど捉われて、
長い間、平和が彼らを維持させるだろう。

訳について

 1行目「アングル人の子孫」か「天使の子孫」かで大きく意味が異なるが、当「大事典」では d'Anglique を採って前者で訳した。Anglique は Anglais と同じと理解されることがしばしばなので「イギリス人」と訳してもよいだろうが、単語の違いを表すためにあえて語源に遡って訳した。
 他方、ジャン=ポール・クレベールは英国国教徒を意味する Anglican が1554年には使われていたことから、そちらの意味で読む可能性も示していた。
 なお、Anglique を採る場合でも、マリニー・ローズのように「天使の」と訳しうると指摘する者はいる*1

 3行目captiveは形容詞captifの女性形と、動詞captiverの活用形の2つの可能性があるが、2、4行目が未来形であることを考えれば、動詞の可能性は低い。captif de ~で「~に捉われた」の意味。demiは古語では、「なかば、ほとんど」(à moitié)を意味する副詞としても使えた*2

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳1行目「天使的子孫の人類の統治」*3は、採用した異文の訳としては許容範囲内と思われる。ただし、2行目以降は全く支持できない。一つ一つのずれはそう大きなものでないが、全体としてかなり原文から乖離してしまっている。

 山根訳は3行目「戦争の囲いのなかになかば囚えられ」*4以外はおおむね許容範囲であろう。その3行目は「戦争の囲い」と理解するには guerre と closture の位置関係がかなり不自然である。
 なお、ジャン=ポール・クレベールが指摘するように、clostureは「終わらせること」の意味もあるので、「戦争が終結の道半ばに置かれる」といった意訳も可能かもしれない。 アナトール・ル・ペルチエは、「その治世後半(=治世が終わる方の半分)に戦争が抑圧される」と理解しており*5、これはこれで一定の説得力がある。

信奉者側の見解

 1行目の読み方によって、全く異なる二通りの系譜が存在する。
 まずはアングル人(イギリスに移住した古代のゲルマン民族)の子孫と捉え、イギリス史に関連させる解釈である。
 D.D.(1715年)がこうした解釈に先鞭をつけた。彼は、ハノーヴァー朝の祖であるジョージ1世(在位1714年 - 1727年)の即位を受けて、その繁栄を予言したものと捉えていた*6チャールズ・ウォード(1891年)やジェイムズ・レイヴァー(1952年)はこれを支持した*7

 エリカ・チータム(1973年)はもうひとつの可能性として、19世紀のイギリスが平和と繁栄を享受したいわゆるパックス・ブリタニカの時代の予言とする解釈を併記している*8。類似の解釈を採る者にはセルジュ・ユタン(1978年)がいる*9

 この系譜の変形としては、Anglique を Angleterre(イギリス)と Amérique(アメリカ)の合成語として、アメリカ南北戦争の予言としたヴライク・イオネスク(1987年)の解釈がある*10竹本忠雄(2011年)はこれを支持した*11

 もう1つの読み方は天使の子孫と捉える読み方である。
 この読み方で解釈を展開したのはテオフィル・ド・ガランシエール(1672年)が最初であったと思われるが、彼の場合、臣民に平和と安穏をもたらす名君主(some Gallant Prince)の予言と解釈していたので、「天使」は性格などに対する比喩と捉えていたのだろう*12。類似の解釈を提示した者としては、将来平和を好む温和なフランス王が登場することの予言と解釈したアンドレ・ラモン(1943年)がいる*13
 「天使」と見る解釈のなかで、より直接的な解釈といえるのが、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)のそれである。
 彼は中世以来の予言的伝統を踏まえ、天来の「偉大なケルト人」が平和をもたらすことの予言もしくは「偉大なケルト人」が天使的な牧者(天使教皇(未作成))から王冠を授かり、平和をもたらすことの予言と解釈した*14

 イギリスとも天使とも違う読みを披露したのが晩年のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(2006年)で、彼はギリシア語の aggelos からとして「使者、伝令」の意味とし、ここで言われている人物はローマ教皇ピウス12世 (在位1939年 - 1958年) と解釈した。「平和」 は第二次世界大戦の終結を指すとともに、彼がパチェッリ家 (Pacelli ; イタリア語で平和を意味する pace との言葉遊びになる) の出身であることを示すとした*15

 日本では長らく『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』でしか原文を見ることができず、その原文が Angelique であったことから、そちらが大きな影響力を持った。
 もちろんその伝播に大きな役割を果たしたのが五島勉であったことは、ほとんど疑う余地のないところである。
 五島は『ノストラダムスの大予言IV』で初めてこの詩に触れ、『ノストラダムスの大予言V』でかなり詳しい解釈を展開した。そこでは、1999年の世界的な戦争と前後して、宇宙ステーションのエリートたちが宇宙からの超兵器によって地上の戦争を終わらせ、その後も彼らが地上の支配者として君臨することが描かれているとした*16
 五島はこの解釈に「強い確信を持つ*17とまで断言していたが、その後『ノストラダムスの大予言・中東編』で触れた際には「はっきりした確信はないままに、私は『大予言V』で書いたことがあった*18と後退させている。
 なお、五島は「ノストラダムス救いの三詩」のひとつという海外の論者に全く見られない特異な主張までしてこの詩を特別扱いしていたが、『中東編』以降では一切言及しなくなる。
 『ノストラダムスの大予言』電子書籍版(2014年)のあとがきでようやく触れたが、「なんらかの意味の「天使人類」が現実に現われ、これまでの人間を上まわる能力で危機を消してくれるのでは、と考える研究者もおり、私の考えもどっちかというとそれに近い」というざっくりした解釈が示されているに過ぎない。

同時代的な視点

 イギリス史に関する詩と理解する読み方としては、ピーター・ラメジャラーによるイギリス女王メアリ1世と関連付ける解釈がある。

 1558年版予言集が実在したのなら、この詩の執筆はそれ以前である。そこでラメジャラーは、カトリック復活を企図してイギリス国教会やプロテスタントを抑圧したメアリの治世が長く続くことを祈って、このような詩を書いたのではないかと推測している*19。実際にはメアリの治世は1558年に終わったが、ノストラダムスの見通しが外れたのではないかと推測される詩篇はほかにもあるので、ラメジャラーの指摘は確かにありうるだろう。

 なお、「天使の子孫」と捉える場合、ル・ペルチエが断片的に示したように、中世以来の予言的伝統に見られる「天使教皇」などから借用されたモチーフと見るのが自然ではないだろうか。


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コメントらん
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  • その城壁とは、アラモ砦で、アラモ砦の戦い(1836年)を意味し、 1~2行は英国の子孫が作ったアメリカでの内戦である南北戦争で奴隷解放宣言を出したリンカーンを意味する。 d'Anglique はd'Angelique でもいい。彼は天使のように神に近い公平な存在だから。 -- とある信奉者 (2014-10-12 23:38:11)

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詩百篇第10巻
最終更新:2019年10月19日 22:47

*1 Rose [2002c]

*2 DALF

*3 大乗 [1975] p.294

*4 山根 [1988] p.326

*5 Le Pelletier [1867a] p.348

*6 D.D. [1715] p.107

*7 Ward [1891] pp.224-226, Laver [1952] p.137 / レイヴァー [1999] p.215

*8 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*9 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*10 Ionescu [1987] pp.195-197, イオネスク [1991] p.197

*11 竹本 [2011] pp.551-552

*12 Garencieres [1672]

*13 Lamont [1943] p.306

*14 Le Pelletier [1867b] p.348

*15 Fontbrune [2006] pp.348-350

*16 五島『大予言V』pp.185-204

*17 前掲書p.193

*18 五島『大予言・中東編』p.150

*19 Lemesurier [2003b]