「逢い引きを見抜いた話」(仮称)は、ノストラダムスの予言者的なエピソードのひとつ。正式な名称はない。
概要
こんな話もある。ある日、この愛星家の医師〔ノストラダムス〕が家の陰で目を閉じて涼んでいたときのこと、隣家の娘が彼の前を通り過ぎた。
「あら、こんにちは、ノートルダムさん!」(Té! bonjour, monsieur de Nostredame!)と彼女は声をかけた。
「こんにちは、お嬢さん」(Bonjour, fillette.)
娘は恋人と会いに行こうとしていたところで、彼との時間の過ごし方をよく心得ていたようだった。彼女は戻ってくると慎ましやかな様子になり、医師〔ノストラダムス〕の前を通りがかる時、改めて礼儀正しく振舞った。
「あら、こんばんは、ノートルダムさん!」(Té! bonsoir, monsieur de Nostredame!)
「こんばんは、かわいいお嫁さん」(Bonsoir, petite femme)と、彼はまぶたを開くことなく答えた。
今回参照したブーランジェの著書は1933年に出されたものの改版だが、1933年版で既に見られるという。
これが、
ジェイムズ・レイヴァー(1952年)の紹介だと以下のようになっている。
ある日の夕方、彼は風に当たるため、あるいは少しまどろむために家の扉の前においていた椅子に腰掛けていた。隣人たちの一人の娘が薪を集めるためか、ほかの用事で、町のすぐ外にあった森に行こうとして、彼の前を通り過ぎた。彼女は非常に上品に挨拶した。
「こんにちは、ノートルダムさん」(Bonjour, monsieur de Nostredame)
「こんにちは、お嬢さん」(Bonjour, fillette.)と、彼は答えた。
一時間後その子が戻り、彼の前を通り過ぎたとき、もう一度彼に甘く声をかけた。
「こんにちは、ノートルダムさん」(Bonjour, monsieur de Nostredame)
「こんにちは、かわいいお嫁さん」(Bonjour, petite femme!)と、ノストラダムスはいたずらっぽく答えた。
二つを見比べた場合、二度目の挨拶が「こんにちは」か「こんばんは」かで異なっている。この点、レイヴァーの方が間隔が短い印象を与える。
レイヴァーは娘の行動をより詳しく述べている一方で、恋人と会ったことに直接触れていない。日本語訳版ではそのあたりの事情が補われているが、それらは原書にはない。
なお、フランス語の femme は一般的な「女性」のほか、「処女を失った女性」「妻」などを指す場合がある。
初出
当「大事典」として未確認で初出の可能性がある文献としては、著者不明『ノストラダムスの生涯と遺言』(1789年)、
アンリ・トルネ=シャヴィニーの一連の著書(19世紀後半)あたりを挙げられるが、無名の文献に書き散らされたエピソードが引き写されていっただけの可能性もある。
逆にブーランジェの著書の初版(1933年)が初出なのだとしたら、これはかなり新しい時期の創作といえ、信頼性は
ブロワ城の問答などと大差がないものといえるだろう。
出典
初出は謎だが、このエピソードが何を元に捏造されたのかは明らかになっている。
エドガール・ルロワは、このエピソードがディオゲネス・ラエルティオスの 『ギリシア哲学者列伝』 で紹介されていることを指摘した。そのエピソードの該当する部分を岩波文庫版から引用しておこう(文中「彼」とあるのはデモクリトスのこと)。
さて、アテノドロスは『散策』第八巻のなかで、次のような話を伝えている。ヒッポクラテスが彼のところへ訪ねてきたときに、彼はミルクを持ってくるように頼んでおいた。そして、持ってきたミルクを彼は眺めた上で、これは初子を産んだ黒色の雌山羊のものだろうと言った。それで、彼の観察の正確さに、ヒッポクラテスは驚嘆したのだった。いや、そればかりでなく、ヒッポクラテスには若い娘が同伴していたのだが、最初の日には、彼はその娘に、「今日は、娘さん」と挨拶したが、次の日には、「今日は、奥さん」と挨拶したのだった。実際、その娘は夜の間に処女を失ってしまっていたのである。
以上、エピソードの類似性は誰の目にも明らかであろう。『ギリシア哲学者列伝』は、3世紀前半までには書かれていたと推測されているので、どちらが古いかも議論の余地がない。
日本では
志水一夫が最初に紹介したが、ルロワとは独立に気付いたらしく、「海外の研究者も未だに誰一人として気付いていないらしく、筆者の新発見だと思われる」と自画自賛していた。それは不正確な認識であったわけだが、志水は、ノストラダムスのエピソードにおいて時間が大幅に短縮されることで、ディオゲネス・ラエルティオスの話よりも大げさになったとも指摘していた。
最終更新:2013年02月23日 11:26