原文
Par vie & mort changé
regne d'Ongrie
1:
La loy sera plus aspre que seruice
2,
Leur
3 grand cité
4 d'vrlements
5 plaincts
6 & crie
7:
Castor & Pollux
8 ennemis dans la lyce
9.
異文
(1) d'Ongrie : d'Hongrie 1611B 1649Ca 1650Le 1653 1660 1665 1668 1772Ri, d'Hungrie 1672
(2) seruice : se ruise 1588Rf
(3) Leur : En 1557B
(4) cité : Cité 1672
(5) d'vrlements : vrlemens 1557B 1589PV, d'vrlement 1588-89 1627, d'hurlemens 1597 1600 1610 1653 1665 1716 1772Ri, d'hurlement 1644 1650Ri, d'Urlemens 1672
(6) plaincts : plaine 1672
(7) crie : criee 1589Me
(8) Castor & Pollux : Castor & pollux 1568A 1590Ro 1611A 1628, Castor & polux 1605 1649Xa, Castor Pollux conj.(PB)
(9) la lyce : lalice 1605 1628, la Lice 1672
日本語訳
生と死によってハンガリーの王国は変えられ、
法は奉仕よりも過酷なものとなるだろう。
彼らの大都市は悲鳴、嘆き、叫びに包まれる。
カストールとポリュデウケースは闘技場で敵対するだろう。
訳について
3、4行目は動詞などの省略があるので、補い方によって若干の揺れがありうる。
山根訳は許容範囲内。
大乗訳1行目「ハンガリー王国は生と死が変わり」は、par を無視した誤訳。
3行目「ウルレメーンの大都市は ほえ声と叫びで満たされ」も不適切。この場合の urlements(hurlements)は固有名詞でなく、「悲鳴」を意味する一般名詞である。そもそも urlements の実際の発音は「ユルルマン」に近く、「ウルレメーン」では何のことか分からない。
「満たされ」は、もともと
テオフィル・ド・ガランシエールの異文で plaints(嘆き)が plaine(満たされた)と校訂されたことが元になっている。だとしても、「ウルレメーン」「ほえ声」「叫び」「満たされ」は、d'vrlements plaincts & crie の何かひとつを重複して訳しているとしか思えない。
信奉者側の見解
アンドレ・ラモン(1943年)は、4行目の
カストールとポリュデウケースをオーストリア=ハンガリー二重帝国と解釈し、その崩壊後に独立を回復したハンガリーが、ナチスの勢力下に置かれたことで、かえって以前よりも過酷な境遇に置かれていることの予言とした。
同時代的な視点
1724年の匿名の論文「
ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡」では、1526年のモハーチの戦いとの関連性が指摘されている。この戦いでは、オスマン帝国軍がハンガリー軍を大破し、国王ラヨシュ2世も殺された。その後、ブダペスト(殊にペシュト地区)はオスマン帝国によって大略奪に遭った。
この後、ハンガリー王を継いだ神聖ローマ帝国の皇弟フェルディナントと、自分こそが国王だと主張したトランシルヴァニア侯サポヤイ・ヤーノシュとの間で、ハンガリーの支配権を巡って内戦が起こった。
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最終更新:2010年02月26日 23:35