ウィキペディア日本語版にも同じハンドルネームで投稿をしている。内容の充実に貢献した記事「ノストラダムス」は秀逸な記事に、起稿・加筆したいくつかの記事のうち、「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」は第1回秋の加筆コンクールC部門2位に、「暦書 (ノストラダムス)」は2007年8月の月間強化記事賞に、「恐怖の大王」と「ノストラダムス (偽者)」は珍項目に、それぞれ選んでいただいた。
2006年12月より管理者権限を付与していただいているが、管理者としての活動に積極的に関与しているとは言いがたい。
フランス留学を経て都内の某国立大学博士課程で所定単位を取得したが、大学院時代の専攻は近現代フランス史だったので、ルネサンス期の文学や精神史研究については全くの素人に過ぎない。特にそれらの分野での至らない点が当「大事典」でも多く見られることになるだろうが、それについては訪問者の皆様に忌憚のないご意見をお願いしたい。
予言詩に対するスタンス
トップページにも記載しているように、「ノストラダムスは~~を的中させた」式の『解読』は一切支持していない。
特に、ありもしない資料を捏造して虚偽の主張を展開したり、独善的な妄想や根拠のない陰謀論を振りかざしたりする『解読』は、もはや急速に進展している研究状況に照らせば、蒙昧な時代の残滓にすぎないと考えている。
他方で、同時代的な視点からの読み方にしても、複数の論者で見解が一致する事例はそれほど多くなく、当「大事典」としても、盲目的に支持しているわけではない。しかしながら、そうした視点は、「オルタナティヴな読み方」を提供できる点で重要だと考えている。
信奉者側はしばしばノストラダムスの描写が16世紀の人間に書けるものではないと強調するが、同時代的な視点はそれに根本的な疑問を突きつけるからだ。
従来の礼賛一辺倒の『解読』では、そうした指摘はほとんど省みられなかった。信奉者的な読み方は今後も存続し続けるであろうが、彼らが誠実に『解読』を行おうとするならば、同時代的な読み方に対してどのように向き合い、乗り越えるのかという視点が欠かせなくなってくることは確かだろう。
(注記)この記事は「大事典」本編から逸脱するものなので、例外的に一部人名に敬称をつけさせていただいた。