六行詩6番

六行詩集>6番*

原文

Quand de Robin la traistreuse1 entreprise,
Mettra Seigneurs & en peine2 vn grand Prince,
Sceu3 par la Fin, chef on luy4 tranchera5:
La plume6 au7 vent, amye dans Espagne8,
Poste attrappé estant dans la campagne9,
Et l'escriuain10 dans l'eauë se jettera.

異文

(1) la traistreuse : latraistreuse 1611B
(2) & en peine : en peine & 1600Mo
(3) Sceu : Sçeu 1627Ma
(4) on luy : luy 1611B
(5) tranchera : trenchera 1611 1627Ma 1627Di 1628dR
(6) plume : Plume 1672Ga
(7) au : an 1627Di
(8) amye dans Espagne : Admis dedans L’espagne 1600Au, Commis dedans l'Espagne 1600Mo
(9) dans la campagne : à la campagne 1600Au, dans la campague 1649Xa, dans la Campagne 1672Ga
(10) l'escriuain : l'Escriuain 1644Hu 1672Ga

校訂

 4行目 amye(女友達)は1600Au の Admis(受け入れられた)が本来の形だったのではないだろうか。文脈上はそちらの方が適している。

日本語訳

ロバンの卑劣な企てが
領主たちと偉大な君主に痛手を与えるであろう時、
ラ・ファンによって知られ、彼の頭は斬り落とされるだろう。
羽が風に舞い、スペインで受け入れられた者。
伝書使は田野にあるときに罠にかけられる。
そして代書人は水に投げ込まれるだろう。

訳について

 4行目 amye は admis として訳した。

信奉者側の見解

 1602年のビロン公の陰謀事件とされる。ロバン(Robin)はビロン(Biron)のアナグラムで、彼はスペインと裏で通じ、国王への反逆を企てた。しかし、ビロン公の秘書であったラ・ファンによって陰謀は露見し、ビロン公は斬首された。

 アナトール・ル・ペルチエは「羽が風に」は羽が風に舞うように羽ペンでスラスラと書き付けられた文書(ル・ペルチエの解釈ではアンリ4世とフェリペ2世が結んでいた講和条約)の喩えだとした。
また、最後の2行は、スペインからの伝書使がフランス側の待ち伏せに会った際に、文書を水に投げ捨てたために、ビロン公の斬首にはラ・ファンの証言が欠かせなかったことに対応しているという*1。この点、マリニー・ローズのように、羽帽子をかぶった伝書使自身が身投げしたとする説もある*2

 ル・ペルチエやローズ以外にも多くの信奉者がビロン公の事件として解釈している。

同時代的な視点

 この詩の登場が1605年であることを考えれば、事後予言である可能性は当然想定しなければならない。信奉者側にもジェイムズ・レイヴァーのように、偽作の可能性を指摘する者はいた。

 なお、4行目の「羽が風に」(la plume au vent)だが、中期フランス語には mettre la plume au vent(冒険しようと決意する)、vanner les plumes au vent(危険に満ちた人生を送る)などの慣用句があった*3。ほかにも、古い慣用句には jeter la plume au vent(運任せにする)などもあった*4。これらからすると、ル・ペルチエが言うような軽やかな喩えというよりも、ビロン公が危ない橋を渡ろうとした喩えと見るべきだろう。

その他

 1600Au では5番になっている。


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最終更新:2019年12月07日 00:29

*1 Le Pelletier [1867a] pp.110-111

*2 Rose [2002a] p.229

*3 DMF

*4 『仏和大辞典』