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一人の時間を大切にできるって幸せなことです。
何をしているかって特に決まったことは何もないのだけれども。

ただむやみやたらに一人の時間があっても困りもの。
だらだら過ごしたり、要らないものにお金を使ってしまったり、
好きなものを好きなだけ食べてお腹壊したり、太ってみたり

自分ひとりの時間が大切であることと同じくらい、
自分が誰かと過ごしている時間というのもとっても大切です。
だからこそ、両方の時間の大切さを感じることができます。

*

一人でご飯をたべたら…
一人分の材料でいいから、二人分の材料を買うときよりも贅沢なものが
買えます。
その時頭に浮かぶ気持ちはこんな感じ

  • 得した気分
  • 少しの罪悪感
出来上がった料理は、確かにいつもより豪華で。自分の食べたいものばかり。
その時頭に浮かぶ気持ちはこんな感じ

  • やった~好きなもの独り占め!
  • 少しの罪悪感
  • なんか味気ない
  • アレ、こんなもんだっけか?
  • 食べた後の満足感がない

結局、美味しいものを食べた喜びを共感できる人がいるからこそ
美味しいと感じられるのです。

共感。ともにかんじる
よろこび、かなしみ、いかり…

それを知っていながらも、普段の生活で後悔してばかりな私です。
一人の時間が大好きで、自分のペースを乱されるとイライラしてしまいます。

同居人には毎日毎日、申し訳ないなという気持ちです。
そんな自分のことを受け入れてくれるのは、あの人だけだってわかってるのに。


自分の心がニュートラルであるかどうかってことは、
ひとつの物差しで計ることができないものです。

例えば、自分が外部と接触するときに、何か嫌な思いをしたとする。
その時、自分のもつ外部接触面のうち、ある一面にマイナスが生じると考える。
たとえそれがとてもショックなできごとだったとしても、それだけで自分の全てがマイナスになってしまうのなんてほんとに一時的。
他の外部接触面にあるプラス要素または、自己の内部面が補修してくれるから。
だから人間は、辛い、痛い、嫌な刺激を受けたとしてもたいていニュートラルでいられるのです。

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最終更新:2009年04月25日 19:43