Mr.childoren


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Mr.Childoren(みすたー・ちるどれん)


Mr.Childoren(みすたー・ちるどれん)は、日本のロックバンド。略称は「ミスチル」。音楽プロデューサーは小林武史。所属事務所は烏龍舎、所属レコード会社はトイズファクトリー。公式ファンクラブは「Father & Mother」である。

1 概要
2 その他
3 ダウンロード

概要


 同じ高校に通う桜井・田原・中川が中心となり、バンド「THE WALLS」を結成。しばらく活動していたところに他のバンドで活動していた鈴木が加入し、1989年1月1日に「Mr.Children」と改名した。ライブハウス「渋谷La.mama」を中心に約3年5ヶ月間アマチュアとして活動。プロデューサーに小林武史を迎えて1992年5月10日にミニアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビューをする。1993年発売の4thシングル『CROSS ROAD』はオリコンチャート最高6位にも関わらずロングヒットを続け、初のミリオンセールスを達成。1994年発売の5thシングル『innocent world』は初登場1位を獲得、同年の年間シングルチャート1位に輝き、日本レコード大賞を受賞。1994年から1995年に発売したCDは全てミリオンセールスとなり、メディアに「ミスチル現象」と評された[1]。しかし、ほとんど休みのない過密スケジュールと、一部メディアやファンによってプライベートまで丸裸にされる環境に疲れ果てたメンバーは、1997年4月から無期限の活動休止期間に入った。1年6ヶ月の休止期間を経て、1998年10月に15thシングル『終わりなき旅』で本格的に活動を再開、2001年には区切りをつけるべくベストアルバムを発売し、2002年に10周年を迎えた。同年、桜井が小脳梗塞を患い一時はその後のアーティスト生命を危ぶまれたものの、半年の療養を経て24thシングル『HERO』で音楽活動を再開。現在までコンスタントにCDをリリースし、活動を続けている。

その他

音楽性

ポップサウンドが特徴でバンドという形態をとりながらも歌を大切にしており、アマチュア時代から一貫して桜井がほとんどの曲を作詞・作曲し、小林武史とMr.Childrenが編曲を担当している。ただ、作詞はほぼ桜井1人によるものだが、作曲は必ずしもそうではない。メロディー重視のバラードなど「歌もの」は桜井がほとんど1人で作曲するが、サウンド重視の楽曲は桜井がある程度曲の骨格をつくり、そこから4人(もしくは小林武史を含めた5人)でバンドセッションを繰り返して完成させる。場合によっては桜井の作ってきたデモテープから大幅に変わる曲もあり、クレジット上では作曲桜井和寿になっていても、厳密には作曲Mr.Childrenという色が強い曲もある。曲作りの主な流れは以下の通り。

  • 桜井が日常の中でふと浮かんだメロディーをICレコーダーなどの携帯記録媒体に録音。
  • それを元にギターやピアノを弾きながら作曲。1997年からは自宅地下の作曲ルームでPro Toolsを使用した機械的な作曲も行われている[2]。
  • 出来上がった曲に歌詞をつける。曲のメロディーにつられるように同時に歌詞が浮かぶこともある。
  • そのデモテープをスタジオに持ち込み、メンバー及び小林武史合同で編曲。メンバーは自分の担当楽器のパートを音色付けしたり改良する。小林は主にキーボード・アレンジとストリングス・アレンジを担当し、場合によっては桜井に対し一部歌詞の変更を求める[3]。

ライブ

アルバムを発売した後は、必ずコンサートツアーを行っている。また、それとは別に1995年から6年毎に、その時期の集大成となるスタジアムツアーを行っている(開催が約束されているわけではない)。1回のライブにおける平均的なデータとしては、曲数は20曲強、公演時間は2時間30分、MCは桜井が単独で話す場合が多い。MCに割く時間は1994年から徐々に減り始め、1996年からは1回のライブで数回行われるMC時間を合計しても15分程度になり、あくまで曲を聴いて欲しいという姿勢が顕著になっている。ライブ中は田原と中川はあまり定位置から動かず演奏し、積極的にステージ上を動いて観客を盛り上げるのは桜井の役目になっている。


名前の由来

「THE WALLS」から「Mr.Children」に改名した日付は、正確には1988年12月末。渋谷のファミリーレストランロイヤルホストに4人が集合し、紙ナプキンに書いて案を出し合った。まず意見が一致したのは在り来たりなTHEから始まる名前はもう止めるということ。当時4人は「チルドレン」という響きを気に入っていて、好きな物にも関連の言葉が多かった。イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発表したアルバム『CHILDREN』、同じくイギリスのバンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など[4]。しかし大人になった時にChildrenのままでは困るので、正反対のMr.を付けた。そして切りが良いという理由で公的な改名日を年明け1989年1月1日に設定した。名前をつけた当初は響きを重視して深い意味合いを持たせなかったが、メジャーデビュー後に所属事務所から「もっとプレゼンが上手くならないといけない」と言われ、後付けで「大人から子供まで幅広く聞いてもらいたい」という意味を付け足した[5]。小林は、子供っぽいという理由から再度「本当にこのバンド名でいいのか?」とメンバーに念を押したという。


名前の表記

本来Mr.の後には半角のスペースを入れることが常であるが、Mr.Childrenの場合は公的にスペースを入れていない。それが意図的なものか、単に誤用が定着したのか、今のところ語られていない。表記についてはMr.Childrenを中心としているが、次いでMR.CHILDREN、mr.childrenという表記の使用もしばしば見られる。アマチュア時代はカセットテープ、参加したオムニバス・アルバム、ライブ告知用のフライヤー、掲載雑誌、所属事務所発行の「御苑プレス」、直筆メッセージ、全てにおいてMR.CHILDRENとして統一表記されているため、アマチュア時代はこちらが正式な表記であったと言える。所属事務所やレコード会社が決まり出した頃からはロゴも使われ始めている。1991年7月発売のテープ『MR.CHILDREN』の歌詞カードにはMR.CHILDRENという文字を円状に模ってその中に花を描いたロゴが使われている。しかしこのロゴはすぐに姿を変え、1991年夏頃から1992年のしばらくの間、二重丸の中に小さなギターの絵とMR.CHILDRENと書かれたロゴが一部フライヤーで使われており、この事から当初は大文字表記での統一およびこのロゴでメジャーデビューする意志があったと考えられる。しかし実際にメジャーデビューが直前に迫った1992年春頃からロゴは一切使用されなくなっている。ロゴの作成者は公表されていないため、メンバーがどこまで製作に関わったかは不明。そして表記については、メジャーデビュー作品である『EVERYTHING』では初めてMr.ChildrenとMR.CHILDRENが混在するかたちになっている(表ジャケットは前者で中ジャケットは後者)。以降からこれまでずっと1作品の中でも箇所ごとに表記が異なるものが数多くあり、またMR.CHILDRENやmr.childrenを使用する際に法則性がないため、メンバーおよび関係各社には表記に関する意識はそれほどないことが伺える。


オリコン記録

アーティスト・トータルセールス(CD総売上枚数):5000万枚を突破(2007年3月時点での記録。B'zに次いで歴代2位)
シングル首位獲得数・同連続首位獲得数・同連続初登場首位獲得数:29作(5thシングル『innocent world』から33rdシングル『HANABI』まで。ともにB'zに次いで歴代2位)継続中
シングル初動売上枚数:120.8万枚(10thシングル『名もなき詩』で記録。歴代1位)
年間シングルチャート首位獲得数:2作(1994年の『innocent world』、1996年の『名もなき詩』。宮史郎とぴんからトリオ、ピンク・レディーと並び歴代1位タイ)
年間シングルチャートTOP10獲得数:13作(『奇跡の地球』を含む。歴代1位)
ミリオンセラー獲得数:シングル10作・アルバム11作(ともにB'zに次いで歴代2位)
シングルダブルミリオンセラー獲得数:2作(CHAGE and ASKAと並び歴代1位タイ)
シングル返り咲き首位獲得数:3作(5thシングル『innocent world』、6thシングル『Tomorrow never knows』、29thシングル『しるし』。松田聖子、中森明菜、サザンオールスターズと並び歴代1位タイ)。

ダウンロード


着うた



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