【連載】開かずの間の冒険(全12回) 太陽(平凡社
号数 発行日 単行本
1989年7月号(No.335) 1989.07.12 (第1回)南方熊楠旧邸 P160-P165
熊楠博物学の発生現場に立ち会う
熊楠は真夜中に提灯をもってこの蔵に出入りした。母屋で眠る家族や客たちは、夜な夜なこの蔵でドス、ドス、バサ、バサという物音が響いてくるので、目を醒まさずにいられなかった。はたして熊楠がこの蔵で何をしたのか、また何を所蔵していたのか…
・南方熊楠とは誰か? ・裸電球が照し出す奇書の山 ・粘菌を入れたマッチ箱に仰天
1989年8月号 1989.08.12 (第2回)真成寺[金沢市] P110-P116
鏡花の夢幻体験を刻みこんだ奉納品の山
真成寺は、子育てや子授けにかかわる奉納品を江戸の昔から所蔵していることで知られている。もしかしたら鏡花が着た産着もお寺の倉で発見できるのではないか。摩耶夫人の押し絵や、赤んぼうを抱いた美女の宿世めいた写真なども、この目で見られるかもしれない……。
・鏡花と鬼子母神の金沢へ ・産着と下駄に宿る母の霊 ・奉納写真の山に呆然!
1989年9月号 1989.09.12 (第3回)亀屋佐京[滋賀県山東町] P108-P113
広重もビックリ! 中山道の巨大福助
古い町並に沿って艾屋の看板を探していくと、ふいに右手に、途方もなく古い江戸時代の店構えがあらわれた。そして−−店の奥にいたのである。巨人のごとく大きな、坐っていても天井に頭がつかえるほどの超大型福助人形が!
・これが日本三大福助の第一 ・“ぺったん”なんか恐くない ・江戸の闇を掻きわけて……
1989年10月号 1989.10.12 (第4回)島田真冨の倉[熊本市] P114-P119
武具骨董に刻まれたいにしえぶり
「では、これより登城する」そう言い置いて熊本城へと向かう羽織袴の肥後もっこすがいた。といって、江戸時代の話をしているのではない。昭和五十年頃まで熊本城に“登城”しつづけた人物がいたのだ。
・「生きている過去」の倉へ ・真冨の古物愛のポイント ・近寄りがたい倉のパワー
1989年11月号 1989.11.12 (第5回)江戸川乱歩の倉[東京・池袋] P156-P161
乱歩の土蔵は、一大情報基地であった
土蔵伝説は事実ではない。乱歩はその「怪奇」を「体験」や「環境」から引きだしたのではないからだ。彼は知と論理−−極論すれば情報から「怪奇」を産みだした。そして土蔵とは、その知を最大限に活動させるための常温実験室なのだった。
・貼雑年譜が明かした真相 ・乱歩の土蔵伝説を考現する
1989年12月号 1989.12.12 (第6回)伊豆長八の倉[静岡県松崎町] P100-P106
伊豆長八は、一種の呪師(のろんじ)だ
長八は、蔵の新築ごとにお多福や蓬莱亀、そして達磨や天鈿女の鏝絵を贈った。彼は招福や安寧、そして平穏に財蓄などの御利益を注文主にさずけるため、無意識に願掛けを行った一種の呪師だったと思えるのだ。
・なまこ壁の町の天才左官 ・鏝絵に秘めた長八の願い
1990年1月号(No.342) 1989.01.12 (第7回)土蔵破りを阻んだ蔵 柏倉九左エ門の蔵[山形県中山町] P104-P109
東北の盗賊のあこがれた蔵 五右衛門はなぜ失敗したか
分厚い壁を破ってしまう土蔵破りも偉いが、それを見越した上でダミーの千両箱を置いておく当主も、みごと。しかし、蔵の壁一枚をへだてた対決は、大泥棒を捕縛した手柄により、柏倉家の勝ちといえるだろう。
1990年2月号(No.343) 1989.02.12 (第8回)日用品を守り、宝にする蔵 日光例幣使街道の蔵[栃木県栃木市] P96-P101
文化財は、いつまで経とうが文化財でありつづける。しかし商家蔵に仕舞われた品物は、100年ほど蔵の中の安定した環境で保存され、火にも盗難にも遭わず、忘れられたものとして眠るうちに、「宝物」となるのだ。
・商家蔵のおもしろさは日用品に尽きる
1990年3月号(No.344) 1989.03.12 (第9回)遠州は掛川の“ダイナマイト小町” 井上鉄砲火薬店[静岡県掛川市] P112-P117
私が感動したのは、兄の手づくり銃を持つ姿がぴたり板に付いた、「掛川小町」の凛凛しさである。生まれてこの方、ほとんどの時間を鉄砲鍛冶の店に送った女性でなければ決して身につけられぬ、それは一見飄飄とした逞しさであった。
・頑丈な檻のような破格の蔵 ・雛人形とダイナマイト
1990年4月号(No.345) 1989.04.12 (第10回)昔語質屋庫 三川屋質店[東京都江東区] P104-P109
質屋である以上は、客から預かった質草を保管する仕事が何より重要といえる。下町で代々質屋業を営む三川屋質店の御主人が、まるで歌舞伎役者の台詞を聞くような、めりはりの利いた江戸前の声で、現代の質屋稼業を語ってくれた。
・質屋には江戸以来の約束事がある ・三大質草の目利きになるには ・三階建ての質庫に入ってみれば
1990年5月号(No.346) 1989.05.12 (第11回)「超人の倉」奥座敷に眠る松森胤保遺稿 松森写真館[山形県鶴岡市] P104-P109
南方熊楠はじめ平賀源内、小野蘭山など、エレキから動植物、金融、農政まで、どの分野も軽快にこなしてしまう超人を指して、後世の人々は博物学者と呼んだのだ。そのような超人の一人が松森胤保である。
1990年6月号(No.347) 1989.06.12 (第12回)「うだつ」の上がった倉 川又商店[小樽市色内2丁目] P112-P118
江戸時代の格式ある商家に見られる袖卯建のある店倉は、すべての倉の誉である。倉の極致である。開かずの間をめぐる冒険の締めくくりには、ぜひとも「うだつ」の上がった倉を取りあげねばなるまい。
・卯建は商家の格を示す ・川又商会と小樽の縁 ・開かずの間の秘密
最終更新:2012年02月05日 22:11