虚妄の迷宮 三

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**ざわめき 二 ――くくくぁぁぁきききぃぃぃんんん――。  それは彼の脳が勝手にでっち上げた代物かもしれぬが、その時、時空間の《ざわめき》は例へばそんな風に彼には音ならざる《ざわめき》として聞こえてしまふのであった。そんな時彼は ――ふっふっ……。 と何時も自嘲しながら自身に対して薄ら笑ひを浮かべてはその彼特有であらう時空間の音ならざる《ざわめき》をやり過ごすのであったが、しかし、さうは言っても彼には彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられないのもまた事実であった。それは彼にとっては時空間が《場》としてすら《己》を強ひられることへの《悲鳴》としてしか感じられなかったのである。それ故か彼にとっては《己》は全肯定するか全否定するかのどちらかでしかなく、しかし、彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられない彼にとっては当然、全肯定するには未だ達観する域には達する筈もなく、只管(ひたすら)《己》を全否定する事ばかりへと邁進せざるを得ないのであった。 ………… ………… ――へっ、己が嫌ひか?  ――ふっふっ、直截的にそれを俺に聞くか……。まあ良い。多分、俺は俺を好いてゐるが故にこの己が大嫌ひに相違ない……。 ――へっ、その言ひ種さ、お前の煮え切らないのは。 ――ふっふっ、どうぞご勝手に。しかし、さう言ふお前はお前が嫌ひか?  ――はっはっはっはっはっ、嫌ひに決まってらうが、この馬鹿者が!  ――……しかし……この《己》にすら嫌はれる《己》とは一体何なのだらうか?  ――《己》を《己》としてしか思念出来ぬ哀しい存在物さ。 ――それにはこの音ならざる《悲鳴》を上げてゐる時空間も当然含まれるね?  ――勿論だぜ。 ――きぃきぃきぃぃぃぃぃんんんんん――。 と、その時、突然時空間の音ならざる《悲鳴》がHowling(ハウリング)を起こしたかのやうに彼の鼓膜を劈(つんざ)き、彼の聴覚機能が一瞬麻痺した如くに時空間の《断末魔》にも似た音ならざる大轟音が彼の周囲を蔽ったのであった……。 ――今の聞いただらう?  ――ああ。 ――何処かで因果律が成立してゐた時空間が《特異点》の未知なる世界へと壊滅し変化(へんげ)した音ならざる時空間の《断末魔》に俺には思へたが、お前はどう聞こえた? ――へっ、《断末魔》だと? はっはっはっ。俺には《己》が《己》を呑み込んで平然としてゐるその《己》が《げっぷ》をしたやうに聞こえたがね――。 ――時空間の《げっぷ》?  ――否、《己》のだ!  ――へっ、だって時空間もまた時空間の事を《己》と《意識》してゐる筈だらう? つまりそれは《時空間》が《時空間》を呑み込んで平然として出た《時空間》の《げっぷ》の事じゃないのか?  ――さう受け取りたかったならばさう受け取ればいいさ。どうぞご勝手に、へっ。 ――……ところで《己》が《己》を呑み込むとはどう言ふ事だね?  ――その言葉そのままの通りだよ。此の世で《己》を《己》と自覚した《もの》は何としても《己》を呑み込まなければならぬ宿命にある――。 ――仮令《己》が《己》を呑み込むとしてもだ、その《己》を呑み込んだ《己》は、それでも《己》としての統一体を保てるのかね?  ――へっ、無理さ!  ――無理? それじゃあ《己》を呑み込んだ《己》はどうなるのだ?  ――……《己》は……《己》に呪はれ……絶えずその苦痛に呻吟する外ない《己》であり続ける責苦を味はひ尽くすのさ。 ――へっ、《己》とは地獄の綽名なのか?  ――さうだ――。 (二 終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **幽閉、若しくは彷徨 十一 ――すると、お前が言ふ《反体》とはそもそも何なのだ?  ――敢へて言へば《反=世界》若しくは《反=宇宙》に《存在》する《意識体》の総称かな。 ――何の事かさっぱり解からぬが、しかし、それは《物自体》ならぬ《反=物自体》の別称かね?  ――何でも《反》にすれば成立するやうな単純なものでもないぜ。へっへっへっ。きっと《反物質》の世界でも、つまり、《反物質》若しくは《反体》の世界においても此の世の世界若しくは宇宙と同様に《物自体》は《物自体》に違ひない……。問題は其処が《特異点の世界》に違ひないといふことさ。 ――何故《特異点》と?  ――へっへっへっ、こじ付けにこじ付けた上にもこじ付けただけの自棄のやんばちの論理にすらならない、ちぇっ、唯の逃げ口上さ。 ――うむ。まあそれは良いとして、お前の考へでは《特異点》たる其処では無と無限まで一瞥出来てしまふ、つまり、《特異点》たる其処では《存在》と《反=存在》の全事象が事象として現はれてゐるのかね?  ――多分、《実体》が《反体》に出会ふその刹那において《存在》の全事象が出現する筈さ。但し、それは《特異点》だったならばといふ仮定の話だがね。 ――《特異点》……。へっ、此の世に《特異点》が存在する限り、此の世は未完成といふ事だな。 ――何故未完成だと?  ――其処は因果律の成立しない渾沌の世界だからさ。 ――ふっ、渾沌は此の世の起動力だと?  ――いや、此の世に開いた唯の穴凹に過ぎない……。 ――ふっふっ、五次元世界に生きる生き物がそれを見たならば、大口を開けた無数の大蛇がとぐろを巻いて蝟集してゐる様に見えるんじゃないかな。 ――ふっ、どうも私には仮初にも《反体》が存在出来るといふ《特異点》の世界が此の世にあるとするならば、其処は神話的な世界に思へて仕方がないんだ。 ――ふっ、私には其処は曼荼羅の世界に思へるんだが。 ――曼荼羅程の秩序はないんじゃないかな、《反体》が存在する《特異点》の世界は。 ――否、何でもありさ。一瞬曼荼羅の位相が現はれては一瞬にしてそれが消える。《反体》が存在する《特異点》の世界は泡沫の夢が犇めいてゐる。 ――つまり、物自体も存在も未在も不在も未存在も無在も非在もそれぞれは、所謂存在が非在であり而も物自体であるといふその《場》に《反体》は数多の諸相を纏って出現し、而もその上《実体》と《反体》とは各々が存在して初めて創り上げることが可能なその《場》に一瞬出現する何かだ。 ――えっ? ……先づ……お前の言ふ《反体》とは何なのだ?  ――此の世に存在せざることを強ひられし《もの》達の総称……。 ――えっ?  ――《物自体》といふ黒蜜の周りに黒山を作るほどに群がる《存在》といふ名の黒蟻のその小さな小さな小さな脳裡に明滅し、此の世に現はれざることを強ひられた《もの》達の必死の形相とでも言ったらよいのか……。 ――ふっふっふっ、泡沫の夢じゃないのかね? つまり、《反体》を目の前にした《実体》は対消滅する前に、銀河と銀河が衝突すると爆発的に誕生するといふStar burst(スターバースト)におけるきら星の如き《もの》達の煌めきじゃないのかな。 ――さて、《反体》は《実体》の何なのかね?  ――影の鏡、つまり、影鏡存在といったらいいのかな。 ――影鏡存在? やはり、《反体》も存在なのか?  ――さうさ。しかし、《反体》は此の世には一瞬たりとも存在出来ない――。 ――それでは何をもって影鏡存在なのかね?  ――《実体》が《反体》に対峙すれば其処には存在と非在と無の全位相が現はれるに違ひない。それが所謂影鏡存在の正体さ。 (十一の篇終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **黙劇「杳体なるもの」 一  ……ゆっくりと瞼を閉ぢて……沈思黙考する段になると……異形の吾共が……彼の頭蓋内の闇で……呟き始めるのであった……。 ………… ………… ――はっ、《杳体(えうたい)》?  ――さう。杳として知れぬ存在体故に《杳体》さ。 ――確か、存在は特異点を隠し持ってゐると言った筈だが、特異点を内包するしか存在の仕方がなかったこの存在といふ得体の知れぬものを総じて《杳体》と呼んでゐるのかな?  ――大雑把に言へば此の世の森羅万象がそもそも《杳体》なのさ。 ――うむ。……つまり、此の世自体がそもそも《杳体》といふことか?  ――へっ、極端に言へば此の世に偏在する何とも得体の知れぬ何かさ。 ――すると、特異点も此の世に遍く存在するといふことかね?  ――さうだ……。底無しの此の世の深淵、それを地獄と名付ければ、地獄といふ名の特異点は此の世の何処にも存在可能なのだ。 ――へっ、そもそも特異点とは何なのだ、何を意味してゐるのだ!  ――ふむ。……つまり、此の世の涯をも呑み込み無限へ開かれた、否、無限へ通じる呪文のやうなものかもしれぬ……。 ――呪文?  ――さう。此の世に残された未踏の秘境のやうなものが特異点さ。 ――それじゃ、思考にとっての単なる玩具に過ぎないじゃないか。 ――ふっ。玩具といってゐる内は《杳体》は解かりっこないな。 ――ふむ。どうやら《杳体》には、無と無限と物自体に繋がる秘密が隠されてゐるやうだな、へっ。 ――ふっふっ。それに加へて死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟も《杳体》は内包してゐる。 ――それで《杳体》は存在としての態をなしてゐるのか?  ――へっ、《杳体》が態をなすかなさぬかは《杳体》に対峙する《もの》次第といふことさ。 ――へっへっへっ、すると《杳体》は蜃気楼と変はりがないじゃないか!  ――さうさ。或る意味では《杳体》は蜃気楼に違ひない。しかし、蜃気楼の出現の裏には厳として存在するもの、つまり《実体》があることを認めるね?  ――うむ。存在物といふ《実体》がなければ蜃気楼も見えぬといふことか……。うむ。つまりその存在を《杳体》と名付けた訳か――成程。しかし、相変はらず《杳体》は漠然としたままだ。ブレイク風に言へばopaqueのままだぜ。 ――へっ、《杳体》は曖昧模糊としてそれ自体では光を放たずに闇の中に蹲ったままぴくりとも動かない。だが、この《杳体》がひと度牙を剥くと、へっ、主体は底無しの沼の中さ。つまりは《死に至る病》に罹るしかない!  ――うむ……。出口無しか……。それはさもありなむだな。何故って、《主体》は《杳体》に牙を剥かれたその刹那、無と無限と、更には死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟の類をその小さな小さな小さな肩で一身に背負って物自体といふ何とも不気味な《もの》へともんどりうって飛び込まなければならぬのだからな。しかしだ、主体はもんどりうって其処に飛び込めるのだらうか?  ――へっへっへっ、飛び込む外無しだ。否が応でも主体はその不気味な処へ飛び込む外無しさ、哀しい哉。それが主体の性さ……。 ――それ故存在は特異点を隠し持ってゐると?  ――場の量子論でいふRenormalization、つまり、くり込み理論のやうな《誤魔化し》は、この場合ないんだぜ。主体は所謂剥き出しの《自然》に対峙しなければならない!  ――しかしだ、主体も存在する以上、何処かで折り合ひを付けなければ一時も生きてゐられないんじゃないか?  ――ぷふぃ。《死に至る病》と先程言った筈だぜ。そんな甘ちゃんはこの場合通用しないんだよ。主体もまた《杳体》に変化する……。 ――つまり、特異点の陥穽に落ちると?  ――意識が自由落下する……。しかし、意識は飛翔してゐるとしか、無限へ向かって飛翔してゐるとしか認識出来ぬのだ。哀しい哉。 ――それじゃ、その時の意識は未だ《私》を意識してゐるのだらうか?  ――へっ、《私》から遁れられる意識が何処に存在する?  ――それでも∞へと意識は《開かれる》のか?  ――ふむ。多分、《杳体》となった《主体》――この言い方は変だね――は、無と無限の間を振り子の如く揺れ動くのさ。 ――無と無限の間?  ――さう、無と無限の間だ。 ――ふっ、それに主体が堪へ得るとでも思ふのかい?  ――へっへっへっ、主体はそれに何としても堪へ忍ばねばならない宿命を背負ってゐる……。 (一 終はり) **幽閉、若しくは彷徨 十一 ――すると、お前が言ふ《反体》とはそもそも何なのだ?  ――敢へて言へば《反=世界》若しくは《反=宇宙》に《存在》する《意識体》の総称かな。 ――何の事かさっぱり解からぬが、しかし、それは《物自体》ならぬ《反=物自体》の別称かね?  ――何でも《反》にすれば成立するやうな単純なものでもないぜ。へっへっへっ。きっと《反物質》の世界でも、つまり、《反物質》若しくは《反体》の世界においても此の世の世界若しくは宇宙と同様に《物自体》は《物自体》に違ひない……。問題は其処が《特異点の世界》に違ひないといふことさ。 ――何故《特異点》と?  ――へっへっへっ、こじ付けにこじ付けた上にもこじ付けただけの自棄のやんばちの論理にすらならない、ちぇっ、唯の逃げ口上さ。 ――うむ。まあそれは良いとして、お前の考へでは《特異点》たる其処では無と無限まで一瞥出来てしまふ、つまり、《特異点》たる其処では《存在》と《反=存在》の全事象が事象として現はれてゐるのかね?  ――多分、《実体》が《反体》に出会ふその刹那において《存在》の全事象が出現する筈さ。但し、それは《特異点》だったならばといふ仮定の話だがね。 ――《特異点》……。へっ、此の世に《特異点》が存在する限り、此の世は未完成といふ事だな。 ――何故未完成だと?  ――其処は因果律の成立しない渾沌の世界だからさ。 ――ふっ、渾沌は此の世の起動力だと?  ――いや、此の世に開いた唯の穴凹に過ぎない……。 ――ふっふっ、五次元世界に生きる生き物がそれを見たならば、大口を開けた無数の大蛇がとぐろを巻いて蝟集してゐる様に見えるんじゃないかな。 ――ふっ、どうも私には仮初にも《反体》が存在出来るといふ《特異点》の世界が此の世にあるとするならば、其処は神話的な世界に思へて仕方がないんだ。 ――ふっ、私には其処は曼荼羅の世界に思へるんだが。 ――曼荼羅程の秩序はないんじゃないかな、《反体》が存在する《特異点》の世界は。 ――否、何でもありさ。一瞬曼荼羅の位相が現はれては一瞬にしてそれが消える。《反体》が存在する《特異点》の世界は泡沫の夢が犇めいてゐる。 ――つまり、物自体も存在も未在も不在も未存在も無在も非在もそれぞれは、所謂存在が非在であり而も物自体であるといふその《場》に《反体》は数多の諸相を纏って出現し、而もその上《実体》と《反体》とは各々が存在して初めて創り上げることが可能なその《場》に一瞬出現する何かだ。 ――えっ? ……先づ……お前の言ふ《反体》とは何なのだ?  ――此の世に存在せざることを強ひられし《もの》達の総称……。 ――えっ?  ――《物自体》といふ黒蜜の周りに黒山を作るほどに群がる《存在》といふ名の黒蟻のその小さな小さな小さな脳裡に明滅し、此の世に現はれざることを強ひられた《もの》達の必死の形相とでも言ったらよいのか……。 ――ふっふっふっ、泡沫の夢じゃないのかね? つまり、《反体》を目の前にした《実体》は対消滅する前に、銀河と銀河が衝突すると爆発的に誕生するといふStar burst(スターバースト)におけるきら星の如き《もの》達の煌めきじゃないのかな。 ――さて、《反体》は《実体》の何なのかね?  ――影の鏡、つまり、影鏡存在といったらいいのかな。 ――影鏡存在? やはり、《反体》も存在なのか?  ――さうさ。しかし、《反体》は此の世には一瞬たりとも存在出来ない――。 ――それでは何をもって影鏡存在なのかね?  ――《実体》が《反体》に対峙すれば其処には存在と非在と無の全位相が現はれるに違ひない。それが所謂影鏡存在の正体さ。 (十一の篇終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **黙劇「杳体なるもの」 一  ……ゆっくりと瞼を閉ぢて……沈思黙考する段になると……異形の吾共が……彼の頭蓋内の闇で……呟き始めるのであった……。 ………… ………… ――はっ、《杳体(えうたい)》?  ――さう。杳として知れぬ存在体故に《杳体》さ。 ――確か、存在は特異点を隠し持ってゐると言った筈だが、特異点を内包するしか存在の仕方がなかったこの存在といふ得体の知れぬものを総じて《杳体》と呼んでゐるのかな?  ――大雑把に言へば此の世の森羅万象がそもそも《杳体》なのさ。 ――うむ。……つまり、此の世自体がそもそも《杳体》といふことか?  ――へっ、極端に言へば此の世に偏在する何とも得体の知れぬ何かさ。 ――すると、特異点も此の世に遍く存在するといふことかね?  ――さうだ……。底無しの此の世の深淵、それを地獄と名付ければ、地獄といふ名の特異点は此の世の何処にも存在可能なのだ。 ――へっ、そもそも特異点とは何なのだ、何を意味してゐるのだ!  ――ふむ。……つまり、此の世の涯をも呑み込み無限へ開かれた、否、無限へ通じる呪文のやうなものかもしれぬ……。 ――呪文?  ――さう。此の世に残された未踏の秘境のやうなものが特異点さ。 ――それじゃ、思考にとっての単なる玩具に過ぎないじゃないか。 ――ふっ。玩具といってゐる内は《杳体》は解かりっこないな。 ――ふむ。どうやら《杳体》には、無と無限と物自体に繋がる秘密が隠されてゐるやうだな、へっ。 ――ふっふっ。それに加へて死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟も《杳体》は内包してゐる。 ――それで《杳体》は存在としての態をなしてゐるのか?  ――へっ、《杳体》が態をなすかなさぬかは《杳体》に対峙する《もの》次第といふことさ。 ――へっへっへっ、すると《杳体》は蜃気楼と変はりがないじゃないか!  ――さうさ。或る意味では《杳体》は蜃気楼に違ひない。しかし、蜃気楼の出現の裏には厳として存在するもの、つまり《実体》があることを認めるね?  ――うむ。存在物といふ《実体》がなければ蜃気楼も見えぬといふことか……。うむ。つまりその存在を《杳体》と名付けた訳か――成程。しかし、相変はらず《杳体》は漠然としたままだ。ブレイク風に言へばopaqueのままだぜ。 ――へっ、《杳体》は曖昧模糊としてそれ自体では光を放たずに闇の中に蹲ったままぴくりとも動かない。だが、この《杳体》がひと度牙を剥くと、へっ、主体は底無しの沼の中さ。つまりは《死に至る病》に罹るしかない!  ――うむ……。出口無しか……。それはさもありなむだな。何故って、《主体》は《杳体》に牙を剥かれたその刹那、無と無限と、更には死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟の類をその小さな小さな小さな肩で一身に背負って物自体といふ何とも不気味な《もの》へともんどりうって飛び込まなければならぬのだからな。しかしだ、主体はもんどりうって其処に飛び込めるのだらうか?  ――へっへっへっ、飛び込む外無しだ。否が応でも主体はその不気味な処へ飛び込む外無しさ、哀しい哉。それが主体の性さ……。 ――それ故存在は特異点を隠し持ってゐると?  ――場の量子論でいふRenormalization、つまり、くり込み理論のやうな《誤魔化し》は、この場合ないんだぜ。主体は所謂剥き出しの《自然》に対峙しなければならない!  ――しかしだ、主体も存在する以上、何処かで折り合ひを付けなければ一時も生きてゐられないんじゃないか?  ――ぷふぃ。《死に至る病》と先程言った筈だぜ。そんな甘ちゃんはこの場合通用しないんだよ。主体もまた《杳体》に変化する……。 ――つまり、特異点の陥穽に落ちると?  ――意識が自由落下する……。しかし、意識は飛翔してゐるとしか、無限へ向かって飛翔してゐるとしか認識出来ぬのだ。哀しい哉。 ――それじゃ、その時の意識は未だ《私》を意識してゐるのだらうか?  ――へっ、《私》から遁れられる意識が何処に存在する?  ――それでも∞へと意識は《開かれる》のか?  ――ふむ。多分、《杳体》となった《主体》――この言い方は変だね――は、無と無限の間を振り子の如く揺れ動くのさ。 ――無と無限の間?  ――さう、無と無限の間だ。 ――ふっ、それに主体が堪へ得るとでも思ふのかい?  ――へっへっへっ、主体はそれに何としても堪へ忍ばねばならない宿命を背負ってゐる……。 (一 終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp &counter(total) &counter(today) &counter(yesterday)
**幽閉、若しくは彷徨 十二 ――其処には死んだもの達と未出現のもの達の位相は現はれないのかね?  ――勿論、それらは無限の位相となって《実体》と《反体》の前に現はれる筈さ。 ――其処には勿論、全宇宙史の諸相も含まれてゐるね?  ――さうさ。自己弾劾する為にね。なにせ影鏡存在なんだから。 ――ふっふっふっ。私は曼荼羅の荘厳な景観と対峙したいものだ。 ――それも一瞬の出来事さ。 ――しかしその一瞬が永劫じゃないのかね、《実体》と《反体》が対峙する影鏡存在が存在する《特異点》の世界は。 ――しかし、∞=∞は成立するのかな? へっへっ。 ――ちぇっ、自同律の問題か――。多分、《特異点》の世界では自同律からも解放されるんじゃないか?  ――つまり、∞=∞は成立すると。 ――いや、成立するんじゃなくて解放される。 ――つまり、∞=∞であって∞≠∞といふことか――。 ――それ以前の問題として影鏡存在では主客混淆の或る意味滅茶苦茶な世界で「吾、無限なり」と思念すれば「吾なるものは」即「無限」になってゐるのさ。なにせ無秩序な、つまり、渾沌の世界だからね、影鏡存在は。 ――それでも《実体》と《反体》は存在しなければならないのか?  ――共に存在しなければならない。《実体》と《反体》による対消滅において全ては光となって消えるその対消滅の一瞬の時間が《極楽浄土》そのものだ。 ――意識もまた《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》とで対消滅するのだらうか?  ――ん? それはどういふ意味かね?  ――例へば《実体》と《反体》の各々が《意識》と《反=意識》の各々を持つそれぞれの存在体同士の目が合ったその時にそれぞれの頭蓋内に湧出する筈の《自意識》は対消滅するのだらうか?  ――うむ。《意識》と《反=意識》の対消滅が起こればそれは面白いだらうな……。 ――つまり、《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》の対消滅は起こらないと――。 ――何せ、《実体》と《反体》が生滅する世界は影鏡存在に過ぎないからね。 ――つまり、其処に意識や心は映らないと?  ――さて、《特異点》の世界で果たして内界と外界の区別は意味があるのかな……。 ――すると、其処では彼方此方で《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》が対消滅してゐると?  ――多分、彼方此方で対消滅の閃光が輝いてゐる筈さ。 ――それも内部と外部の両方でか――。 ――そもそも特異点の世界では内と外といふ考へ自体が成り立たない。内が外であり外が内である奇妙奇天烈な世界さ。へっ、狂人じゃなきゃそんな世界に一時たりともゐられやしない。しかし、影鏡存在を前にして《実体》も《反体》も正気を強ひられる。へっ、正気じゃなきゃ自己弾劾は出来ぬからね。 ――正気が狂気、狂気が正気の世界じゃないのかね、其処は?  ――さう思ひたければさう思ふがいい。影の鏡に映ればそれは既に影鏡存在となって存在してゐるのだから……。 ――へっへっ、影の鏡に映らないものが果たしてあるのかね?  ――ふむ。何も映らないか全てが映るかのどちらかだらうね。 (十二の篇終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **ざわめき 二 ――くくくぁぁぁきききぃぃぃんんん――。  それは彼の脳が勝手にでっち上げた代物かもしれぬが、その時、時空間の《ざわめき》は例へばそんな風に彼には音ならざる《ざわめき》として聞こえてしまふのであった。そんな時彼は ――ふっふっ……。 と何時も自嘲しながら自身に対して薄ら笑ひを浮かべてはその彼特有であらう時空間の音ならざる《ざわめき》をやり過ごすのであったが、しかし、さうは言っても彼には彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられないのもまた事実であった。それは彼にとっては時空間が《場》としてすら《己》を強ひられることへの《悲鳴》としてしか感じられなかったのである。それ故か彼にとっては《己》は全肯定するか全否定するかのどちらかでしかなく、しかし、彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられない彼にとっては当然、全肯定するには未だ達観する域には達する筈もなく、只管(ひたすら)《己》を全否定する事ばかりへと邁進せざるを得ないのであった。 ………… ………… ――へっ、己が嫌ひか?  ――ふっふっ、直截的にそれを俺に聞くか……。まあ良い。多分、俺は俺を好いてゐるが故にこの己が大嫌ひに相違ない……。 ――へっ、その言ひ種さ、お前の煮え切らないのは。 ――ふっふっ、どうぞご勝手に。しかし、さう言ふお前はお前が嫌ひか?  ――はっはっはっはっはっ、嫌ひに決まってらうが、この馬鹿者が!  ――……しかし……この《己》にすら嫌はれる《己》とは一体何なのだらうか?  ――《己》を《己》としてしか思念出来ぬ哀しい存在物さ。 ――それにはこの音ならざる《悲鳴》を上げてゐる時空間も当然含まれるね?  ――勿論だぜ。 ――きぃきぃきぃぃぃぃぃんんんんん――。 と、その時、突然時空間の音ならざる《悲鳴》がHowling(ハウリング)を起こしたかのやうに彼の鼓膜を劈(つんざ)き、彼の聴覚機能が一瞬麻痺した如くに時空間の《断末魔》にも似た音ならざる大轟音が彼の周囲を蔽ったのであった……。 ――今の聞いただらう?  ――ああ。 ――何処かで因果律が成立してゐた時空間が《特異点》の未知なる世界へと壊滅し変化(へんげ)した音ならざる時空間の《断末魔》に俺には思へたが、お前はどう聞こえた? ――へっ、《断末魔》だと? はっはっはっ。俺には《己》が《己》を呑み込んで平然としてゐるその《己》が《げっぷ》をしたやうに聞こえたがね――。 ――時空間の《げっぷ》?  ――否、《己》のだ!  ――へっ、だって時空間もまた時空間の事を《己》と《意識》してゐる筈だらう? つまりそれは《時空間》が《時空間》を呑み込んで平然として出た《時空間》の《げっぷ》の事じゃないのか?  ――さう受け取りたかったならばさう受け取ればいいさ。どうぞご勝手に、へっ。 ――……ところで《己》が《己》を呑み込むとはどう言ふ事だね?  ――その言葉そのままの通りだよ。此の世で《己》を《己》と自覚した《もの》は何としても《己》を呑み込まなければならぬ宿命にある――。 ――仮令《己》が《己》を呑み込むとしてもだ、その《己》を呑み込んだ《己》は、それでも《己》としての統一体を保てるのかね?  ――へっ、無理さ!  ――無理? それじゃあ《己》を呑み込んだ《己》はどうなるのだ?  ――……《己》は……《己》に呪はれ……絶えずその苦痛に呻吟する外ない《己》であり続ける責苦を味はひ尽くすのさ。 ――へっ、《己》とは地獄の綽名なのか?  ――さうだ――。 (二 終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **幽閉、若しくは彷徨 十一 ――すると、お前が言ふ《反体》とはそもそも何なのだ?  ――敢へて言へば《反=世界》若しくは《反=宇宙》に《存在》する《意識体》の総称かな。 ――何の事かさっぱり解からぬが、しかし、それは《物自体》ならぬ《反=物自体》の別称かね?  ――何でも《反》にすれば成立するやうな単純なものでもないぜ。へっへっへっ。きっと《反物質》の世界でも、つまり、《反物質》若しくは《反体》の世界においても此の世の世界若しくは宇宙と同様に《物自体》は《物自体》に違ひない……。問題は其処が《特異点の世界》に違ひないといふことさ。 ――何故《特異点》と?  ――へっへっへっ、こじ付けにこじ付けた上にもこじ付けただけの自棄のやんばちの論理にすらならない、ちぇっ、唯の逃げ口上さ。 ――うむ。まあそれは良いとして、お前の考へでは《特異点》たる其処では無と無限まで一瞥出来てしまふ、つまり、《特異点》たる其処では《存在》と《反=存在》の全事象が事象として現はれてゐるのかね?  ――多分、《実体》が《反体》に出会ふその刹那において《存在》の全事象が出現する筈さ。但し、それは《特異点》だったならばといふ仮定の話だがね。 ――《特異点》……。へっ、此の世に《特異点》が存在する限り、此の世は未完成といふ事だな。 ――何故未完成だと?  ――其処は因果律の成立しない渾沌の世界だからさ。 ――ふっ、渾沌は此の世の起動力だと?  ――いや、此の世に開いた唯の穴凹に過ぎない……。 ――ふっふっ、五次元世界に生きる生き物がそれを見たならば、大口を開けた無数の大蛇がとぐろを巻いて蝟集してゐる様に見えるんじゃないかな。 ――ふっ、どうも私には仮初にも《反体》が存在出来るといふ《特異点》の世界が此の世にあるとするならば、其処は神話的な世界に思へて仕方がないんだ。 ――ふっ、私には其処は曼荼羅の世界に思へるんだが。 ――曼荼羅程の秩序はないんじゃないかな、《反体》が存在する《特異点》の世界は。 ――否、何でもありさ。一瞬曼荼羅の位相が現はれては一瞬にしてそれが消える。《反体》が存在する《特異点》の世界は泡沫の夢が犇めいてゐる。 ――つまり、物自体も存在も未在も不在も未存在も無在も非在もそれぞれは、所謂存在が非在であり而も物自体であるといふその《場》に《反体》は数多の諸相を纏って出現し、而もその上《実体》と《反体》とは各々が存在して初めて創り上げることが可能なその《場》に一瞬出現する何かだ。 ――えっ? ……先づ……お前の言ふ《反体》とは何なのだ?  ――此の世に存在せざることを強ひられし《もの》達の総称……。 ――えっ?  ――《物自体》といふ黒蜜の周りに黒山を作るほどに群がる《存在》といふ名の黒蟻のその小さな小さな小さな脳裡に明滅し、此の世に現はれざることを強ひられた《もの》達の必死の形相とでも言ったらよいのか……。 ――ふっふっふっ、泡沫の夢じゃないのかね? つまり、《反体》を目の前にした《実体》は対消滅する前に、銀河と銀河が衝突すると爆発的に誕生するといふStar burst(スターバースト)におけるきら星の如き《もの》達の煌めきじゃないのかな。 ――さて、《反体》は《実体》の何なのかね?  ――影の鏡、つまり、影鏡存在といったらいいのかな。 ――影鏡存在? やはり、《反体》も存在なのか?  ――さうさ。しかし、《反体》は此の世には一瞬たりとも存在出来ない――。 ――それでは何をもって影鏡存在なのかね?  ――《実体》が《反体》に対峙すれば其処には存在と非在と無の全位相が現はれるに違ひない。それが所謂影鏡存在の正体さ。 (十一の篇終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **黙劇「杳体なるもの」 一  ……ゆっくりと瞼を閉ぢて……沈思黙考する段になると……異形の吾共が……彼の頭蓋内の闇で……呟き始めるのであった……。 ………… ………… ――はっ、《杳体(えうたい)》?  ――さう。杳として知れぬ存在体故に《杳体》さ。 ――確か、存在は特異点を隠し持ってゐると言った筈だが、特異点を内包するしか存在の仕方がなかったこの存在といふ得体の知れぬものを総じて《杳体》と呼んでゐるのかな?  ――大雑把に言へば此の世の森羅万象がそもそも《杳体》なのさ。 ――うむ。……つまり、此の世自体がそもそも《杳体》といふことか?  ――へっ、極端に言へば此の世に偏在する何とも得体の知れぬ何かさ。 ――すると、特異点も此の世に遍く存在するといふことかね?  ――さうだ……。底無しの此の世の深淵、それを地獄と名付ければ、地獄といふ名の特異点は此の世の何処にも存在可能なのだ。 ――へっ、そもそも特異点とは何なのだ、何を意味してゐるのだ!  ――ふむ。……つまり、此の世の涯をも呑み込み無限へ開かれた、否、無限へ通じる呪文のやうなものかもしれぬ……。 ――呪文?  ――さう。此の世に残された未踏の秘境のやうなものが特異点さ。 ――それじゃ、思考にとっての単なる玩具に過ぎないじゃないか。 ――ふっ。玩具といってゐる内は《杳体》は解かりっこないな。 ――ふむ。どうやら《杳体》には、無と無限と物自体に繋がる秘密が隠されてゐるやうだな、へっ。 ――ふっふっ。それに加へて死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟も《杳体》は内包してゐる。 ――それで《杳体》は存在としての態をなしてゐるのか?  ――へっ、《杳体》が態をなすかなさぬかは《杳体》に対峙する《もの》次第といふことさ。 ――へっへっへっ、すると《杳体》は蜃気楼と変はりがないじゃないか!  ――さうさ。或る意味では《杳体》は蜃気楼に違ひない。しかし、蜃気楼の出現の裏には厳として存在するもの、つまり《実体》があることを認めるね?  ――うむ。存在物といふ《実体》がなければ蜃気楼も見えぬといふことか……。うむ。つまりその存在を《杳体》と名付けた訳か――成程。しかし、相変はらず《杳体》は漠然としたままだ。ブレイク風に言へばopaqueのままだぜ。 ――へっ、《杳体》は曖昧模糊としてそれ自体では光を放たずに闇の中に蹲ったままぴくりとも動かない。だが、この《杳体》がひと度牙を剥くと、へっ、主体は底無しの沼の中さ。つまりは《死に至る病》に罹るしかない!  ――うむ……。出口無しか……。それはさもありなむだな。何故って、《主体》は《杳体》に牙を剥かれたその刹那、無と無限と、更には死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟の類をその小さな小さな小さな肩で一身に背負って物自体といふ何とも不気味な《もの》へともんどりうって飛び込まなければならぬのだからな。しかしだ、主体はもんどりうって其処に飛び込めるのだらうか?  ――へっへっへっ、飛び込む外無しだ。否が応でも主体はその不気味な処へ飛び込む外無しさ、哀しい哉。それが主体の性さ……。 ――それ故存在は特異点を隠し持ってゐると?  ――場の量子論でいふRenormalization、つまり、くり込み理論のやうな《誤魔化し》は、この場合ないんだぜ。主体は所謂剥き出しの《自然》に対峙しなければならない!  ――しかしだ、主体も存在する以上、何処かで折り合ひを付けなければ一時も生きてゐられないんじゃないか?  ――ぷふぃ。《死に至る病》と先程言った筈だぜ。そんな甘ちゃんはこの場合通用しないんだよ。主体もまた《杳体》に変化する……。 ――つまり、特異点の陥穽に落ちると?  ――意識が自由落下する……。しかし、意識は飛翔してゐるとしか、無限へ向かって飛翔してゐるとしか認識出来ぬのだ。哀しい哉。 ――それじゃ、その時の意識は未だ《私》を意識してゐるのだらうか?  ――へっ、《私》から遁れられる意識が何処に存在する?  ――それでも∞へと意識は《開かれる》のか?  ――ふむ。多分、《杳体》となった《主体》――この言い方は変だね――は、無と無限の間を振り子の如く揺れ動くのさ。 ――無と無限の間?  ――さう、無と無限の間だ。 ――ふっ、それに主体が堪へ得るとでも思ふのかい?  ――へっへっへっ、主体はそれに何としても堪へ忍ばねばならない宿命を背負ってゐる……。 (一 終はり) **幽閉、若しくは彷徨 十一 ――すると、お前が言ふ《反体》とはそもそも何なのだ?  ――敢へて言へば《反=世界》若しくは《反=宇宙》に《存在》する《意識体》の総称かな。 ――何の事かさっぱり解からぬが、しかし、それは《物自体》ならぬ《反=物自体》の別称かね?  ――何でも《反》にすれば成立するやうな単純なものでもないぜ。へっへっへっ。きっと《反物質》の世界でも、つまり、《反物質》若しくは《反体》の世界においても此の世の世界若しくは宇宙と同様に《物自体》は《物自体》に違ひない……。問題は其処が《特異点の世界》に違ひないといふことさ。 ――何故《特異点》と?  ――へっへっへっ、こじ付けにこじ付けた上にもこじ付けただけの自棄のやんばちの論理にすらならない、ちぇっ、唯の逃げ口上さ。 ――うむ。まあそれは良いとして、お前の考へでは《特異点》たる其処では無と無限まで一瞥出来てしまふ、つまり、《特異点》たる其処では《存在》と《反=存在》の全事象が事象として現はれてゐるのかね?  ――多分、《実体》が《反体》に出会ふその刹那において《存在》の全事象が出現する筈さ。但し、それは《特異点》だったならばといふ仮定の話だがね。 ――《特異点》……。へっ、此の世に《特異点》が存在する限り、此の世は未完成といふ事だな。 ――何故未完成だと?  ――其処は因果律の成立しない渾沌の世界だからさ。 ――ふっ、渾沌は此の世の起動力だと?  ――いや、此の世に開いた唯の穴凹に過ぎない……。 ――ふっふっ、五次元世界に生きる生き物がそれを見たならば、大口を開けた無数の大蛇がとぐろを巻いて蝟集してゐる様に見えるんじゃないかな。 ――ふっ、どうも私には仮初にも《反体》が存在出来るといふ《特異点》の世界が此の世にあるとするならば、其処は神話的な世界に思へて仕方がないんだ。 ――ふっ、私には其処は曼荼羅の世界に思へるんだが。 ――曼荼羅程の秩序はないんじゃないかな、《反体》が存在する《特異点》の世界は。 ――否、何でもありさ。一瞬曼荼羅の位相が現はれては一瞬にしてそれが消える。《反体》が存在する《特異点》の世界は泡沫の夢が犇めいてゐる。 ――つまり、物自体も存在も未在も不在も未存在も無在も非在もそれぞれは、所謂存在が非在であり而も物自体であるといふその《場》に《反体》は数多の諸相を纏って出現し、而もその上《実体》と《反体》とは各々が存在して初めて創り上げることが可能なその《場》に一瞬出現する何かだ。 ――えっ? ……先づ……お前の言ふ《反体》とは何なのだ?  ――此の世に存在せざることを強ひられし《もの》達の総称……。 ――えっ?  ――《物自体》といふ黒蜜の周りに黒山を作るほどに群がる《存在》といふ名の黒蟻のその小さな小さな小さな脳裡に明滅し、此の世に現はれざることを強ひられた《もの》達の必死の形相とでも言ったらよいのか……。 ――ふっふっふっ、泡沫の夢じゃないのかね? つまり、《反体》を目の前にした《実体》は対消滅する前に、銀河と銀河が衝突すると爆発的に誕生するといふStar burst(スターバースト)におけるきら星の如き《もの》達の煌めきじゃないのかな。 ――さて、《反体》は《実体》の何なのかね?  ――影の鏡、つまり、影鏡存在といったらいいのかな。 ――影鏡存在? やはり、《反体》も存在なのか?  ――さうさ。しかし、《反体》は此の世には一瞬たりとも存在出来ない――。 ――それでは何をもって影鏡存在なのかね?  ――《実体》が《反体》に対峙すれば其処には存在と非在と無の全位相が現はれるに違ひない。それが所謂影鏡存在の正体さ。 (十一の篇終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp **黙劇「杳体なるもの」 一  ……ゆっくりと瞼を閉ぢて……沈思黙考する段になると……異形の吾共が……彼の頭蓋内の闇で……呟き始めるのであった……。 ………… ………… ――はっ、《杳体(えうたい)》?  ――さう。杳として知れぬ存在体故に《杳体》さ。 ――確か、存在は特異点を隠し持ってゐると言った筈だが、特異点を内包するしか存在の仕方がなかったこの存在といふ得体の知れぬものを総じて《杳体》と呼んでゐるのかな?  ――大雑把に言へば此の世の森羅万象がそもそも《杳体》なのさ。 ――うむ。……つまり、此の世自体がそもそも《杳体》といふことか?  ――へっ、極端に言へば此の世に偏在する何とも得体の知れぬ何かさ。 ――すると、特異点も此の世に遍く存在するといふことかね?  ――さうだ……。底無しの此の世の深淵、それを地獄と名付ければ、地獄といふ名の特異点は此の世の何処にも存在可能なのだ。 ――へっ、そもそも特異点とは何なのだ、何を意味してゐるのだ!  ――ふむ。……つまり、此の世の涯をも呑み込み無限へ開かれた、否、無限へ通じる呪文のやうなものかもしれぬ……。 ――呪文?  ――さう。此の世に残された未踏の秘境のやうなものが特異点さ。 ――それじゃ、思考にとっての単なる玩具に過ぎないじゃないか。 ――ふっ。玩具といってゐる内は《杳体》は解かりっこないな。 ――ふむ。どうやら《杳体》には、無と無限と物自体に繋がる秘密が隠されてゐるやうだな、へっ。 ――ふっふっ。それに加へて死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟も《杳体》は内包してゐる。 ――それで《杳体》は存在としての態をなしてゐるのか?  ――へっ、《杳体》が態をなすかなさぬかは《杳体》に対峙する《もの》次第といふことさ。 ――へっへっへっ、すると《杳体》は蜃気楼と変はりがないじゃないか!  ――さうさ。或る意味では《杳体》は蜃気楼に違ひない。しかし、蜃気楼の出現の裏には厳として存在するもの、つまり《実体》があることを認めるね?  ――うむ。存在物といふ《実体》がなければ蜃気楼も見えぬといふことか……。うむ。つまりその存在を《杳体》と名付けた訳か――成程。しかし、相変はらず《杳体》は漠然としたままだ。ブレイク風に言へばopaqueのままだぜ。 ――へっ、《杳体》は曖昧模糊としてそれ自体では光を放たずに闇の中に蹲ったままぴくりとも動かない。だが、この《杳体》がひと度牙を剥くと、へっ、主体は底無しの沼の中さ。つまりは《死に至る病》に罹るしかない!  ――うむ……。出口無しか……。それはさもありなむだな。何故って、《主体》は《杳体》に牙を剥かれたその刹那、無と無限と、更には死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟の類をその小さな小さな小さな肩で一身に背負って物自体といふ何とも不気味な《もの》へともんどりうって飛び込まなければならぬのだからな。しかしだ、主体はもんどりうって其処に飛び込めるのだらうか?  ――へっへっへっ、飛び込む外無しだ。否が応でも主体はその不気味な処へ飛び込む外無しさ、哀しい哉。それが主体の性さ……。 ――それ故存在は特異点を隠し持ってゐると?  ――場の量子論でいふRenormalization、つまり、くり込み理論のやうな《誤魔化し》は、この場合ないんだぜ。主体は所謂剥き出しの《自然》に対峙しなければならない!  ――しかしだ、主体も存在する以上、何処かで折り合ひを付けなければ一時も生きてゐられないんじゃないか?  ――ぷふぃ。《死に至る病》と先程言った筈だぜ。そんな甘ちゃんはこの場合通用しないんだよ。主体もまた《杳体》に変化する……。 ――つまり、特異点の陥穽に落ちると?  ――意識が自由落下する……。しかし、意識は飛翔してゐるとしか、無限へ向かって飛翔してゐるとしか認識出来ぬのだ。哀しい哉。 ――それじゃ、その時の意識は未だ《私》を意識してゐるのだらうか?  ――へっ、《私》から遁れられる意識が何処に存在する?  ――それでも∞へと意識は《開かれる》のか?  ――ふむ。多分、《杳体》となった《主体》――この言い方は変だね――は、無と無限の間を振り子の如く揺れ動くのさ。 ――無と無限の間?  ――さう、無と無限の間だ。 ――ふっ、それに主体が堪へ得るとでも思ふのかい?  ――へっへっへっ、主体はそれに何としても堪へ忍ばねばならない宿命を背負ってゐる……。 (一 終はり) 自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。 http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp &counter(total) &counter(today) &counter(yesterday)

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