虚妄の迷宮 五


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幽閉、若しくは彷徨 十八



――これも夢想に過ぎぬかもしれぬが、《反体》が此の世に仮初にも出現したならば、《実体》は震へ慄く筈だと思うが……如何かね? 


――ああ、《実体》にとって《反体》の出現は恐慌以外の何ものでもない。


――にも拘らず、存在する《もの》全てはその内部に特異点を隠し持ち、其処で《実体》と《反体》を共存させてゐるといふ不思議を、《魂》を持ち出すことで取り繕ってはみたが、しかし、そもそも何故《反体》なんぞでっち上げなければこの存在が語れなくなってしまったのだ? 


――へっ、簡単なことだよ。《主体》そのものが行き詰まって、どん詰まりの処に追ひ込まれてしまったからさ。


――つまり、《主体》自らが《主体》の首を絞めてゐるといふことか? 


――さうさ。


――では何故《主体》は自ら《主体》の首を絞めざるを得なくなってしまったのだ? 


――へっ、《主体》に《自由》は持ち切れないからさ。


――《自由》が持ち切れない? その《自由》とは《無限》と同義語かね? 


――ああ、もっと端的に言へば、時間もまた《無限》の《自由度》を持つといふことさ。


――時間の《無限》の《自由度》とは、つまり、《渾沌》のことかね? 


――さうさ。つまり、時間はそもそも《渾沌》としたものに違ひないのだ。


――しかし、時間に《秩序》を与へた科学的なる思考法、或ひは世界認識の仕方は大成功だったのじゃないかね? 


――ふっ、さう思へるのかい、本当のところは?


――むむ……。 


――詰まる所、お前は既に現状の世界認識の仕方では《世界自体》が逃げ果せてしまふ思考の《裂け目》を見てしまったのじゃないのかね? 


――それは特異点のことかね? 


――へっ、何と呼んでも構はないが、お前は《パスカルの深淵》を覗き込んでゐる内に、その《深淵》にもんどりうって飛び込んでしまった――違ふかね? 


――つまり、それが《反体》の素顔だと? 


――ふっ、《パスカルの深淵》を《自由落下》する《意識》において、《実体》と《反体》は対消滅を繰り返しては「吾は此処なり!」といふ断末魔の閃光を煌めかてゐる……さう思はないかね? 


――《主体》たる《客体》に圧し潰され……追ひ詰められた《主体》は最早《パスカルの深淵》に飛び込まざるを得なかった……さうには違ひないが……《主体》はそもそも《実体》と《反体》の対消滅に堪へ得ると思ふかい? 


――へっ、堪へるしかないのさ、生き残るには。


――本当に《主体》は其処まで追ひ詰められてしまったのであらうか? 


――ああ、時既に遅しさ。ハイデガーは優しく《投企》若しくは《企投》と言ったが、《主体》は《世界》に《投身自殺》しなければ最早生き残ることが不可能なまでにその存在根拠を剥ぎ取られてしまったのさ。


――何に存在根拠を剥ぎ取られたといふのか? 


――《主体》自らに決まっておらうが! 


――それで《反体》の登場かね? ふっ、可笑しくて仕様がない! 


――可笑しいかね? ならば嗤ふがいいさ。ふっ、顔色が真っ青だぜ。


と、不意に彼の闇の視界にぼんやりと輝く人玉の如きものが飛び込んで、くるくると反時計回りに旋回をし始めたのであった。


 彼にはそれが死んだもの達の魂の残滓に思へ、死者達もまたこの彼の頭蓋内の闇で繰り広げられてゐる自問自答の行く末に聞き耳を立ててゐると感じずにはゐられなかったのであった……。


(十八の篇終はり)


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http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp


嗤(わら)ふ吾 一



 何がそんなに可笑しかったのかてんで合点のいかぬことであったが、私は眠りながら《吾》を嗤ってゐた自身を覚醒する意識と共に確信した刹那、ぎょっとしたのであった。


――嗤ってゐる! 


 その時私は夢を見てをらず、唯、《吾》といふ言葉を嗤ってゐたのであった。


――《吾》だと、わっはっはっはっ。


 頭蓋内の闇を、唯、《吾》といふ言葉が文字と音節とに離合集散を繰り返しながら旋回してゐたのであった。


――《吾》といふ言葉に嗤ってゐやがる。


 眠りながら嗤ふ吾を見出したのはその時が多分初めてではないかと思ふのであったが、しかし、《吾》といふ言葉が闇しか形象してゐないこの状態をどう受け止めて良いのか皆目解からず、私は暫く呆然としてゐる外なかったのであった。それでも暫く経ってから


――俺は夢を見てゐなかったのじゃなくて、《吾》が表象する《闇の夢》を見て嗤ってゐたのだ! 


との思ひに至ると、何故か私は、私が眠りながら嗤ってゐたその状況を不思議と納得する私自身を其処に発見し、そして、これまた不思議ではあるが自分に何の疑問も呈さず納得するばかりのその私自身を自然に受け入れてゐたのであった。


――《闇》の《吾》……否、《吾》が《闇》なのだ! 


 私はたまにではあるが《闇の夢》を見ることがある。それを夢と呼んで良いのかは解からぬが、《闇の夢》を見てゐる私は夢を見てゐることをぼんやりと自覚してをり、その《闇の夢》を見てゐる私は只管(ひたすら)闇が何かに化けるのを、若しくは何かが闇から出現するのをじっと待つ、そんな奇妙な夢なのであった。


 多分、その日の嗤ってゐた《吾》を見出した《闇の夢》は、《闇》から一向に《吾》が出現しない様が可笑しくて仕様がなかったのであらうとは推測できることではあった。


 それは何とも無様な《吾》の姿に違ひなかったのである。夢とはいへ、闇の中から出現した《吾》が《闇》でしかないといふことは嗤ひ話でしかなかったのである。しかし、《闇》から出現する《吾》がまた《闇》でしかないといふことは言ひ得て妙で、而も、私にとってはある種の恐慌状態でもあったのだ――。


――《闇》=《吾》! 


 私にとって《吾》は未だ私ならざる《闇》のまま、未出現の形象すら出来ない曖昧模糊とした、否、私は《闇》そのものでしかなかったのである。


 しかし、これは一方で容易ならざる緊急事態に外ならず、《吾》が《闇》でしかないこの無様な《吾》を私は嗤へない、否、嗤ふどころか、わなわなと震へるばかりであった筈である。それにも拘らず《吾》は《闇の吾》を見て嗤ってゐたのである。そもそも《闇の吾》を嗤へる私とは何ものであらうか? 不図そんな疑念が湧くこともなくはなかったが、それ以上に予測はしてゐたとは言ひ条、《吾》が《闇》であることに唯々驚く外なかったのであった。


――《闇》から何も出現しない! 何故だ! 


 夢見中の私はさう《闇の夢》に向かって叫ぶべきであった筈である。しかし、実際はさうはせずに只管《闇の夢》を見てゐる《吾》を嗤ってゐたのであった。


――何故嗤へたのであらうか? 


 もしかすると私は《闇の吾》に《無限》を見出したのかもしれなかったのだ。否、多分、私は《闇の吾》を嗤ひながら、《無限》なる《もの》と戯れ遊んでゐたのであらう。いやそれも否、私は唯《闇》なる《吾》に翻弄される《吾》を嗤ってゐたのであらう。それは《闇》といふ《無限》を前にあたふたと何も出来ずに唯呆然とする外術のないこの矮小な《吾》の無様さを嗤はずにはゐられなかった筈である……。


――ぶはっはっはっ、《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。


 《闇》以外何も表象しない《吾》を見て、その《闇の吾》を《吾》と名指ししてしまふことの可笑しさが其処にはあった筈である。そもそも《吾》を《吾》と名指し出来てしまふ私なる存在こその可笑しさが其処には潜んでゐたが、しかし、《吾》を《吾》としか名指し出来ないこともまた一つの厳然たる事実であって、その厳然とした事実を私は未だに受け入れることが出来ずにゐる証左として、私は《闇の吾》の夢を何度となく見てゐるのかもしれなかったのである。


 それにしても《闇》しか表象しない《吾》を夢で見ながら嗤ってゐることは、私にとってはむしろある種の痛快至極なことでもあったのである。


――《闇》=《吾》! 


(一の篇終はり)


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幽閉、若しくは彷徨 十七


――一つ尋ねるが、その此の世ならざる《光》となりし《吾》はひと度「吾此処にあり!」と念ずれば《吾》は《吾》となって此の世に出現するのかね? 


――ふっふっふっ、これは異なことを言ふ……。まあ良い、それはそれとして、多分《吾》といふ幻影を見て「吾此処にあり!」と感嘆するだらうよ。


――つまり、全ては泡沫の夢といふことかね? 


――違ふかね? 


――「違ふかね?」といふことは、お前は少なくともさう考えてゐるといふことだね? 


――いいや。俺は端から《夢》なるものに全く興味を感じない! 唯、象徴的に言へば時間が最早一次元のやうな振る舞ひをするものと看做すことは禁忌だ。するとだ、時間が無限の相を持った此の世とは、仕方がないが今のところ夢見と同類の何かとしか記述若しくは表象出来ないのさ。


――つまり、一次元の枠から解放された時間の相に存在する《存在》は夢の如く現はれるといふことだね? 


――しかし、その《夢の如く》の《夢》が問題なんだ。


――つまり、それは夢現の境がなくなるといふことだね? 


――いいや、《吾》といふ意識が存在する以上、《夢》を見ることは最早叶はぬ《夢》となり果て、その上《吾》といふ、此の世ならざる《光》となりし《主体》は、絶えず覚醒し続け現のみを凝視するしか生き残る道はないのだが、しかし、《主体》たる《吾》にはそれが《現》であるといふ証左がこれっぽっちも無い。唯、摩訶不思議な《もの》を《見る》外ないのさ。つまり、其処には絶えず《存在の不安》が横たはってゐる……。


――はて、その摩訶不思議な《もの》とは何かね? 


――つまり……《物自体》の位相のことさ。


――《物自体》の位相だと? 


――《実体》と《反体》の対消滅によって生じし此の世ならざる《光》となりし《吾》は、その時、《物自体》の前へ抛り出される。


――それは世界が《物自体》といふことかね。


――ああ、《物自体》の筈さ。全てが《物自体》の位相の下に置かれるのさ。勿論、此の世ならざる《光》となりし《吾》もまた《物自体》の位相に相転移する。


――へっへっ、それはお前の単なる夢想に過ぎないのじゃないかね? 


――ああ、勿論、俺の夢想に過ぎない。


――あっさりと認めるんだね、夢想に過ぎないと。


――夢想としか表象出来ないからさ。


――すると《実体》と《反体》の対消滅がそもそも夢想に過ぎないといふことかね? 


――ふっ、夢想で結構じゃないか。


――つまり、夢想においてのみ世界が《新世界》へと相転移し、《存在》がこれまで体験したことのない未知の様相を呈すとお前は考へてゐるといふことだね? 


――へっ、さうさ。存在するもの全てが《夢》見ずして何処に《変容》する余地が残ってゐるといふのか? 


――つまり、《物自体》が一つの夢想に過ぎないと? 


――ちぇっ。……一つ尋ねるが、お前が現に今見てゐる世界が夢でないといふ証左は何処にあるのかね? 


――だが、夢であるといふ証左もない。


――ふっ、また堂々巡りの始まりだな。


――はっはっはっ。


と、その刹那、彼の視界の闇に流れ星の如き閃光が一瞬煌めいて消えたのであった。彼は不意に眼球をゆっくりと上向きに据ゑ、その闇に潜むであらう存在の秘密を凝視するかの如く、或ひは闇といふものの《影》を見据ゑるが如く、眼前の闇を睨み付けたのであった。


(十七の篇終はり)


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蟻地獄 二


 家に帰っても未だ興奮冷めやらぬ筈であったであらう私は、家に帰り着くや否や直ぐに昆虫図鑑を取り出して今さっき出遭ったばかりの未知なる生き物が何であるのかを調べ始め、さうして、遂にあの未知なる生き物が何と蟻地獄と名付けられてゐるのを昆虫図鑑の中に見つけた刹那、「あっ」と胸奥の何処かで叫び声を上げたに違ひないのである。


――蟻地獄――。


 私の大好きな昆虫の一つであった蟻の而も地獄! 何といふ名前であらうか。多分、幼少の私は何度も何度も蟻地獄といふ名を胸奥で反芻してゐた筈である。


――蟻地獄――。


 その名は様々な想念を掻き立てるに十分な名のであった。蟻地獄といふ名は今考えても何やら此の世ならぬ妖怪の名のやうな奇怪な名なのであった。名は体を表わすと言へばそれまでなのであるが、それにしても蟻の地獄とは何としたことであらうか。幼児の私はその名すらも知らなかった《虚無》若しくは《虚空》といふ言葉が持つ《魔力》と同じやうなものを、それとは名状し難いとはいへ、直感的に、または感覚的に蟻地獄と名付けられたその生き物に感じ取ってしまった筈である。幼少とはいへ、私は茫洋とだが直感的には掴み得る蟻地獄といふ名に秘められた此の世にぽっかりと空いたあの《深淵》の形象をそれとは微塵も知らずに蟻地獄という言葉に見出してしまった筈であった……。


――蟻地獄――。


 それは此の世と彼の世を繋ぐ呪文の如く突如として私の眼前に現われたのであった。


――蟻地獄――。


 幼児の私は既に地獄とは何か知ってゐた筈である。さうでなければこれ程までに蟻地獄に執着する筈はなかったに違ひないのである。それは例へば親が深夜の寝室で性交してゐる情景を目にしたかの如く、何やら見てはいけないものを見てしまった含羞をも併せ持った言葉として幼児の私に刻印されたのであった。


――蟻地獄――。


 それは此の世では秘められたままでなければならぬ宿命を持った存在として幼児の私には感じ取られたのかもしれなかった。それ程までに《蟻地獄》といふ言葉は何とも不思議な《魔力》を持った言葉なのである。その後何年も経なければ知りやうもなかった《深淵》といふ言葉が、蟻地獄のそれと気付いたのはパスカルの「パンセ」を読んだ時であったが、幼児の私は、《深淵》といふ言葉を知る遥か以前に《深淵》に対するある種くっきりとした《形象》を、蟻地獄を知ったことで既知のものとして言葉以前に直感的なる《概念》――それを《概念》と呼んでよいのかどうかは解からぬが――、しかし、《概念》若しくは《表象》若しくは《形象》等としか表現できないものとして私の脳裡の奥底にその居場所を与へられることになったのであった。


――蟻地獄――。


 蟻やダンゴ虫等、地を這ふ生き物を餌としてゐた蟻地獄の生態を知るにつけ、成程、蟻地獄を捕まへるべく蟻地獄の巣ごと手で掴み取った時に、蟻やダンゴ虫の死骸も一緒に掌の上にあったのも合点のいくことであった。それにしても蟻地獄の生態は奇妙なものであった。何故蜘蛛の如く罠を仕掛けてじっと餌があの小さな小さな小さな擂鉢状の罠に落ちるのを待ち続ける生き方を選んだのか、幼児の私は知る由もなかったが、しかし、その生き方にある種の《断念》の姿を、もっと態よく言へば《他力本願》の姿を見たのかもしれなかった。


 《自力》で餌を追ふことを《断念》し、只管(ひたすら)あんなちっぽけな擂鉢状の穴凹に蟻等が落ちて来るのを待つ《他力》に自らの生死を全的に任せてしまったその蟻地獄の生き方に、餓死することも覚悟した上での《他力本願》の一つの成就した姿を、幼児の私は親鸞を知る遥か以前に知ってしまったのかもしれず、その蟻地獄の、一方である種潔い生き方は、尚更、蟻地獄を興味深き《正覚》した生き物として、しかし、当の私本人はそれとは露知らずに脳裡に焼き付けることになったのかもしれなかった。


――蟻地獄――。


 蟻地獄にとって餓死は普通にある当たり前のことであることが解かると、私にとって蟻地獄はそれだけで既に餓鬼道を生きる愛おしい生き物に成り果せたのであった。


――蟻地獄――。


 この愛しき生き物の生き方は幼少の私にとって特別な衝撃を与へ、その衝撃の影響の大きさはずっと私の脳裡に留まり続けたまま、後年はっきりと言葉で知ることになった《他力本願》を此の世で実践して見せる《正覚者》として、また、蟻地獄は他の生き物と比べて別格の生き物として、私に記憶されることになったのであった……。


(二の篇終はり)


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幽閉、若しくは彷徨 十六


――実際基督教の《神》は滅んだかい? 


――いや……、厳然として今も存在してゐる。


――ふっ、それじゃあ、宗教から派生した筈の科学は《霊魂》や《神》の存在を全否定出来たかい? 


――いや……。


――そりゃ当然さ。元々科学は宗教から派生したものだからな。つまり《神》が創り給ふたこの世界を証明することが科学の究極の目標なんだから、科学に《霊魂》や《神》を否定出来る筈がない! 


――それでも《主体》の《気分》で物事を決定するのは余りにも危険過ぎやしないかね? 


――当然危険極まりない! しかし、先程も言ったやうに残念ながら《主体》は一度《世界》に《溺死》しなければならぬ宿命を最早背負ってしまってゐる……。さうしなければ《主体》は《主体》ならざる《存在者》として《開眼》出来やしない! その為にも《主体》は己の《気分》に忠実に従はなければ《世界》に《溺死》するにも《主体》は浮かばれやしない。それに《気分》に重きを置いた先人にハイデガーがゐるじゃないか! 


――成程……。ハイデガーも《死》に対する《不安》といふ《気分》に重きを置いた何処かしら東洋的な匂ひの漂ふ先人には違ひない。しかし、《世界》に《溺死》するとまではハイデガーは言ってやしないぜ! 


――事此処に至っては《主体》は《世界》に《溺死》する外ない処まで既に追ひ込まれてしまってゐる……。それ故に《世界》に《溺死》する様を次世代にまざまざと見せつけて《主体》の存在の在り方の一つとして後世にその成否の判断を仰ぐしかない。吾々の世代は先づ《世界》に《溺死》して見せることがその存在理由になっちまったのさ、ちぇっ。さうして生き恥を曝すのさ。


――進退此処に谷(きは)まれり――か。


――ふっ、武田泰淳か……。


――何時の時代も《死》が付いて回る。ブレイクじゃないけれども《不死》は必然的に滅びる運命にある。《生》が泡沫の夢ならば《不死》も泡沫の夢さ。ならば《主体》は見事に《世界》に《溺死》しなければならぬ宿命を元来負ってゐる……。何故と言って《主体》の死滅後も《世界》は相変はらず依然として存在するからな。


――《主体》第一主義、即ち実存主義等はもう幕引きの時か――。


――その為にも《主体》は《世界》に《入水(じゅすい)》して、見事に《溺死》しなければならぬ存在体としてしか、皮肉なことだが、もう此の世で生き残る術はないのさ。


――生き残る? 


――ああ、さうさ。生き残るだ。


――《溺死》するのじゃないのかい? 


――勿論《世界》に《入水》して《溺死》するのさ、《主体》は。しかし、《主体》は《溺死》するが《主体》以外の《もの》として《主体》は新生するのさ。


――新生と言へば聞こえはいいが、しかしそれは結局のところ、《主体》の《存在》といふ《厄》を払ふ禊(みそぎ)に過ぎないのじゃないかい? 


――ふっ、その通り、《主体》の単なる禊に過ぎぬが、しかし、この《存在》に呪はれた《主体》は《世界》に《入水》して禊を行はなければ、最早一時も《存在》出来やしないのさ、哀しいことにな。


――その《入水》時、へっ、《実体》と《反体》は《溺死》する中で遂に対消滅が起こる。つまり、此の世ならぬ《光》を見る、否、なるといふことだね? 


――ふっふっふっ。対消滅しても《吾》といふ意識は残るぜ。此の世ならぬ《光》となってもね。


――へっへっ、その時、時間は一次元の殻を破ってゆっくりと渦を巻く無限の相の時空間となって《吾》を包み込み《吾》の現前に拡がる……ちぇっ、下らない夢想だ! 


――下らないかね? 俺には面白さうに思へて仕方ないぜ。此の世ならぬ《光》となりし《吾》を想像し給へ。へっへっへっ、これ以上面白さうな事があるかい? 


(十六の篇終はり)


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黙劇「杳体なるもの」 二



――無と無限の間だぜ。


――《杳体》が牙を剥いてゐると言った筈だぜ。つまり、《杳体》は奈落の底へと自由落下する中で《重ね合はせ》が起きてゐるのさ。


――《重ね合はせ》? それは《杳体》と《主体》が渾然一体となってゐるといふ意味かね? 


――一言で言へば《渾沌》さ。


――へっ、《渾沌》ね。それは逃げ口上ではないのかい? つまり、何でも《渾沌》に《収斂》させればいいってもんじゃないだらう。


――ぷふぃ。《渾沌》に《収斂》するだと? そんな言ひ種はないだらう! それを言ふんだったら《渾沌》に《発散》させてゐるだらう? 


――其処さ。《発散》する外ない《渾沌》に主体は堪へ得るのだらうか? 


――ふっ、だから《重ね合はせ》といってゐるのさ。


――ちぇっ、それじゃ無へと収斂し、無限へと引き伸ばされる《杳体》なる《もの》とは、それでも《存在》の類なのか? 


――それは《有限》なる《もの》の先入見でしかない! 《無》へ《収斂》するといふ、また《無限》へ《引き伸ばされる》といふ保証は何処にもありはしないぜ。


――ちぇっ、結局は特異点の問題か――。


――先づ、特異点が此の世の至る所に存在することを認めるんだな。つまり、《地獄》は此の世の何処にも存在する。


――へっ、特異点は《地獄》の別称なのかい? 特異点は《浄土》かもしれないぜ。


――その通りだ。特異点は《地獄》かもしれず、さもなくば《浄土》かもしれない。へっ、それは《杳体》に《重ね合ふ》《主体》次第といふことだな。


――ふっ、無と無限の間を揺れ動く……か……。


――其処には、物質に反物質があるやうに、存在体にも反存在体、略して《反体》と呼ぶが、その《反体》の位相も含まれてゐるのか? 


――勿論、含まれてゐなければならない。


――ならば対消滅はしないのか? 物質と反物質が出遭ふと《光》といふEnergie(エネルギー)へと変容して此の世から消滅するやうに、《杳体》と《重なり合ふ》《主体》は《反体》と出遭ふその刹那、対消滅はしないのかい? 


――ふっ、勿論、対消滅は起こるだらう。しかし、それでも尚《主体》は《杳体》と《重なり合った》まま無と無限の間を揺れ動くのだ。そもそも無と無限の間を揺れ動くのに《光》が怖くてどうする? 《光》もまた《杳体》の位相の一つに過ぎない。


――《光》ね。さて、《光》なる吾とは一体どんな感じなのだらうか? 


――《杳体》に《重なり合へ》ば、全ては明らかになるさ。


――無と無限の間を揺れ動くんだからそれは当然といへば当然だな。それにしても《光》となったら、それは、多分、壮観だらうな。


――何故さう思ふ? 


――唯何となくそんな気がするだけさ。だってさうだらう。質量のないEnergie体へ変化するんだぜ。


――でも重力からは解放されない! 


――それでも吾は《光》となって《発散》し、そして此の世から消えられるんだぜ。その上、吾は《私》であり続ける不思議。その時吾は宇宙全体に偏在してゐるのか、はたまた特異点の《地獄》の中を彷徨してゐるのか? 


――自己の消滅がそんなに待ち遠しいのか? ふっ、しかし、それでもお前は《私》であり続けるか、へっ。さうに違ひないが、さて、お前はその時何処に行くのだらうか?  


――多分、此岸と彼岸の間(あはひ)を彷徨してゐるのかもしれぬ。


――否! お前は一気に死の領域へ踏み込んでゐる筈さ。さうでなければ、お前が《私》として存在する意味がない! 


(二 終はり)


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