虚妄の迷宮 六


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幽閉、若しくは彷徨 廿一


――其処に滅び行く《もの》の悲哀はあるかね? 


――へっ、ありっこないさ。仮にその《悲哀》があったとしてもだ、《主体》はとことん《主体》であり続けたいが為にその《悲哀》に冷笑を浴びせ掛けるに違ひない。それ程まで《主体》は醜い生き物なのさ。つまり、《新体》は夢のまた夢だ――。


――……、ところが仮に《世界》が先に相転移をしたならば、《主体》は尚も《主体》であることは不可能なのだから《主体》も変容せざるを得ないのじゃないかね? 


――もしさうだとしてもだ、《存在》は《自意識》から遁れられはしない! 《世界》もまた己の《自意識》から遁れられやしないのさ。《自意識》に例外はあり得ぬのだ。


――つまり、《主体》の解脱、つまり《新体》は泡沫の夢だと? 


――違ふかね? 先づは《主体》をとことん生き抜いてみるんだな。それで己の醜さをその目に焼き付けるんだ。さうしなければ何にも始まりはしない! 


――後世出現する《主体》の為に? 


――ああ、さうだ。死んだもの達と未だ出現ならざる未来の《主体》の為に、己を生きる《主体》はその醜悪極まりない生き方を味はひ尽さねばならない。それはこの《世界》も《宇宙》も例外ではない。全ての森羅万象は愚劣極まりない《自意識》の傍若無人ぶりを味はひ尽くさねばならぬ定めなのだ。


――それが現在存在する《もの》の存在せざる《もの》達への礼儀だとして、例へば《自意識》を徹底的に虐待するとすれば、その時《主体》は尚も《主体》であり続けるのかい? 


――ふっ、既に《自意識》は虐待の極みを受けてゐるじゃないか? 


――それは《存在》すること自体がそもそも《自意識》への虐待だといふことかね? 


――違ふとでもいふのかい? 


――へっへっへっ、また堂々巡りだね。


 彼の闇の視界は既に闇である事に堪へ切れず、多分、脳といふ五蘊場が勝手に網膜に刺激を与へてゐるに違ひないのだが、薄ぼんやりと淡く更に淡い極小の光の粒子群の帳を彼の視界に浮かび上がらせてゐたのであった。彼は再び瞼をゆっくりと閉ぢて彼の闇の視界に自発した淡い淡い淡いその光の帳をぼんやりと眺めるのであった。


――へっ、どうも《世界》の方が《主体》よりも先に相転移しさうだね。


――その時、《世界》は物理的変化を劇的に遂げるが、そんな環境に順応すべく《主体》も変はらざるを得ないのじゃないかね? 


――……、多分、《主体》は《存在》が《存在》する限り《世界》が相転移しようがしまひが存続するに違ひない。但し、《実体》は最早相転移以前の《実体》と同じではあり得ない《何か》に《世界》と同じく相転移を遂げる。そして《反体》も然りだ。


――すると《魂》も相転移する? 


――《魂》は、つまり、相転移し見事《変容》を成し遂げた《実体》と《反体》による対消滅から派生するSolitonの如き未知の孤立波は、未知の《何か》に変化はするかもしれぬが、多分、その実質は何の変化もないに違ひない筈だ。


――何故変化はないと? 


――相転移したとはいへ、《世界》は相変はらず《世界》として、そして《宇宙》は相変はらず《宇宙》としてしか《存在》しないからさ。それに《魂》は未来永劫消えぬ未知の孤立波だと言った筈だがね。


――それは相転移によって滅亡した《前世界》についても、滅亡した《前宇宙》についても同じだと? 


――ああ、同じだ。相転移によって滅亡した《前世界》の、そして《前宇宙》の《魂》は不滅の孤立波として此の世を彷徨ふ……。


――Solitonの如き孤立波は如何あっても未来永劫此の世を彷徨すると? 


――特異点とて同じ事だ。


――つまり……《存在》は無と無限の間を尚も揺れ続けると? 


――さうでなくて《存在》が《存在》を味はひ尽くせるかい? 


――それは詰まる所、《存在》がその内部に特異点を隠し持ってゐる故に必然の事といふことだね? 


――ああ、《存在》にとって無と無限は何としても捩じ伏せておかねばならぬ鬼門に外ならない――。


(廿一の篇終はり)



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水際 三



――自他無境の位相に戯れ夢中遊行する《個時空》たる《主体》は、此の世の縺れを解く《解》として別の《個時空》たる《他》を見出しつつも、《パスカルの深淵》に《自由落下》せざるを得ぬ宿命を負ってゐるとすると、さて、《個時空》たる《主体》は《異形の吾》共と共振を起こすとはいへ、その時底無しの孤独を味はひ尽くしてゐるに違ひない筈だが……。


――当然だらう。この宇宙の涯たる《他者》を見出してしまったのだからな。それも彼方此方に宇宙の涯が存在する。さて、この時《主体》は尚更己の孤独を噛み締めなければならないのだが、大概の《主体》はその孤独から絶えず遁走し続け、自らを自らの手で《個時空》の涯、つまり《水際》へと己を追ひ込み、それでゐて己から逃げ果せたとしたり顔で嗤ってゐるが、その実、《個時空》たる《主体》は《「個」時空》が《「孤」時空》へと相転移してゐることに気付きやしない。だからキルケゴール曰く「死に至る病」といふものに罹り絶望するのさ、己自身に対してな。


――其処で己が《自由落下》してゐることに思ひ至る? 


――否、大概は《自由落下》してゐることすら気付かない。


――それじゃ、《主体》は何にも知らずに犬死してゐるといふことか? 


――ああ、さうさ。何をもって犬死と言ふかにもそれはよるがね。しかし、《主体》は己が《パスカルの深淵》に《自由落下》して地獄を彷徨ひ歩き、さうして詰まる所、己に関しては何にも知らずに犬死してその一生を終へる。だが、さうするとだ、犬死する事は幸せな事だぜ。


――幸せ? 


――さうさ。《自由落下》してゐる事を知らずにゐられるのだから、これ以上の幸せが何処にある? 


――それじゃあ、自他無境の境地は絵に描いた餅に過ぎないじゃないか! 


――へっ、それで構はないじゃないか。《主体》は《「孤」時空》の中で自存するのだもの、これ以上の幸せはない! 


――へっ、この皮肉屋めが――。


――矛盾を孕んでゐない論理は嘘っぱちだといったらう。つまり、自他無境と《「孤」時空》は紙一重の違ひに過ぎないのさ。


――どちらにせよ、底無しの《パスカルの深淵》に《自由落下》してゐることに変はりはしない。それじゃあ、《自由落下》を己の《落下》と認識出来てしまった《もの》は如何なる? 


――生き地獄に堕ちるだけさ。


――へっへっ、生き地獄ね――。


――認識してしまった《もの》は、《個時空》たる《主体》では背負ひ切れぬ懊悩を背負はなければならない。


――《主体》がそれに堪へ得ると? 


――いや、別に堪へる必要はこれっぽっちもない。


――それじゃあ、地獄に堕ちるのみと? 


――へっへっへっ、地獄も住めば都さ。地獄で足掻くから苦しいのさ。地獄に身を任せてしまへばこんな楽しい処はないぜ、へっ。


――楽しいと? 


――ああ、地獄程楽しい処はないぜ。


――何故楽しいと? 


――断念できるからさ。何事に対しても地獄では断念する外ない! 


――断念? それは《主体》であることを断念することかね? 


――さうさ。吾は《個時空》たる《主体》であることを自ら断念する。さうしなければ地獄でなんぞ一時も生き残れる訳がない! 何故って、地獄では絶えず己は己であることを強要されるのだからな。


――それじゃ蟻地獄ならぬ《吾地獄》から一歩も抜け出せない、つまり、吾に自閉した存在に過ぎないじゃないか! 


――否、《パスカルの深淵》に《自由落下》すると、さて、《個時空》たる《主体》は加速度的にその落下速度を増すが、それが何を意味するか解かるね? 


――光速か……。


――へっ、つまり、《個時空》たる《主体》は或る臨界を超えると相転移を成し遂げるのさ。


――その時、《無私》の境地が拓かれる? 


――さてね。


(三の篇終はり)


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幽閉、若しくは彷徨 廿




――Soliton(ソリトン)? 


――Solitonの如き孤立波さ。


――それが永劫に消えぬと? 


――ああ。


――それを《魂》と呼んでも構はぬか? 


――呼びたいやうに呼んだらいいさ。


――Solitonね……ふはっはっはっはっ。


――ちぇっ。


――まあよい。よれよりもだ、するとSolitonの如き孤立波となりし《魂》は、永劫に、ある種の波動体として存在することを、それは意味してゐるのか? 


――さうさ。永劫、それを《無限》と言ひ換へても構はぬが、Solitonの如き孤立波として存在する《魂》は「吾、然り」と《吾》たる存在を全肯定するのさ。


――それは全否定ではないのかね? 


――ふっふっふっふっ。詰まる所、同じ事さ。


――えっ、全肯定も全否定も同じだと――。


――ああ。《主体》を解脱せし《吾》は相転移を見事成し遂げて新=存在体、略して《新体》へと変化する。


――へっへっ、今度は《新体》の登場か。それは詰まる所娑婆で生きる衆生には《新体》は永劫に訪れないといふ事と全く同じ事ではないではないのか?  


――否、あの《存在》の深き深き深き《深淵》を《自由落下》する《意識》においては必ず《実体》と《反体》の対消滅の果てに相転移を成し遂げ、《新体》へと解脱するその臨界点が存在する筈さ。


――それは……彼の世の事ではないのかね? 


――ああ、《主体》にへばり付いてゐる《生者》にとっては彼の世の事に違ひない。しかし、《主体》であることを《断念》した《生者》にとっては娑婆が即ち《新体》が存在する世界に成り得る可能性がある。


――可能性があるだと? 蓋然性で済む問題か?  


――……一つ尋ねるが、お前は狂人として生きる覚悟はあるかい? 


――何を藪から棒に。それと《新体》と何の関係があるのかね? 


――つまり、《新体》は衆生にとっては狂人としか思へぬ存在形態だからさ。


――やはり狂気の沙汰か……。


――《主体》が《主体》であることを《断念》するのだから、それは衆生にとっては狂気の沙汰にしか見えぬが、しかし、衆生たる《主体》はその深き深き深き《深淵》の底の底の底にある《彼岸》へともんどりうって飛び込む外に、へっ、哀しい哉、《主体》が《生者》たる存在体として生き残る術は最早残されてゐないのさ。


――端的に言ふが、それは《主体》の自慰行為に過ぎないのじゃないかね? 


――ふっふっふっふっ、その通り《新体》への変化は《主体》の自慰行為に過ぎぬ。そして、《主体》はその自慰行為に耽溺するのさ。


――そして自滅すると? 


――ふっ、さう、《新体》に解脱せぬ限り何処までもその深き深き深き《深淵》を《自由落下》して、最後は自滅だ……。


――《主体》は如何あっても《新体》に解脱するか《主体》が《主体》たるといふその自慰行為に耽るかのどちらかしかないと? 


――ああ、《主体》が《世界》の王たる《主体天国》は疾うに終はりを告げたのさ。


――ところが、哀しい哉、それでも《主体》は生き恥を曝して生き続ける筈だ。


――やはり何処までも醜いかね、《主体》といふ生き物は? 


――ああ、愚劣極まりないのさ、《主体》といふ生き物は。


――すると《新体》の到来はあり得ぬと? 


――《新体》に成りたい奴が成ればいいのさ。


――へっ、これからが《主体》のその愚劣極まりない醜態を否が応でも目にする外ない地獄変の世界が訪れるのだ! 


(廿の篇終はり)


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睨まれし 三



――ふっふっふっ、神は神であることに懊悩してゐると思ふかい? 


――勿論、神だって神であることに懊悩してゐる。神すらも《存在》からは遁れやしない! 


――すると、神もまた底無しの《存在》の《深淵》を覗き込んでゐると? 


――へっ、神は神なる故にその《深淵》の底の底の底に棲んでゐるのさ。


――はっはっはっはっ。


 それにしても《そいつ》の笑顔は悍(おぞ)ましい限りである。つまり、私といふ《存在》がそもそも悍ましいものであったのだ。


 《そいつ》は更にその鋭き眼光を光らせ私の瞼裡で私をぎろりと睨み付けるのであった。


――ならば、神は神なるが故に《永劫の懊悩》を背負ってゐるといふのか? 


――勿論さ。神たるもの《永劫の懊悩》を背負へなくて如何する? 


――つまり、神ならば《永劫の懊悩》を背負へ切れると? 


――へっ、背負ひ切れなくて如何する? 《永劫の懊悩》で滅ぶやうな神ならば《存在》しない方がまだましさ。


――つまり、神はその《存在自体》がそもそも《存在》に呪はれてゐると? 


――ああ、神は《存在》しちまったその時点で既に呪はれてゐるのさ、その《存在自体》にな。くっくっくっくっ。


 いやらしい嘲笑であった。《そいつ》は何といやらしい嗤ひ方をするのであらうか。


――つまりだ。神は自ら《存在》することで生じる《矛盾》を全て引き受けた上でも泰然として、そして《存在》の《象徴》として《自然》に君臨するのさ。


――自然に君臨するだと? 逆じゃないのか? 《自然》が神共に君臨するんじゃないのかね? 


――《自然》もまた神だとすると? 


――へっ、八百万の神か――。


――哀しい哉、人間は生(なま)の《自然》を憎悪してゐる。更に言へば、人間は《自然》を一時も目にしたくないのさ、本音のところでは。しかし、《現実》に絶えずその身を曝さざるを得ぬ。くっくっくっくっ。ざまあ見ろだ、ちぇっ。


 《そいつ》が舌打ちした時の顔といったら、それ以上に悍ましいものはないのである。虫唾が走ると言ったらよいのか、私は思はずぶるっと身震ひをせずにはゐられなかったのである。


――すると、《存在》とは常に《現実逃避》を望む《もの》だと、つまり、《存在》とは常に《現実》にその《存在》を脅かされ、へっ、そしてそれが《存在》を《変容》させる根本原因だといふのか? 


――さうさ。だから《存在》は全て《夢》を見る。


――神もまた《夢》を見ると? 


――ああ、勿論。


――《夢》を見ることが生理的な現象なのは勿論だが、それ以上に物理的な現象の一様相なのか? 


――当然だらう。


――つまり、《夢》を見ることでその前後の《夢見るもの》の、例へば質量は変化すると? 


――ああ、多分な。しかし、その変化はほんのほんのほんの僅かしか変化しない為に測定は不可能さ。人間が《光》を《物質》に還元する術を手にした時、初めて人間は《夢》の質量を測定出来る筈だ。


――《夢見る神》の《夢》の質量もかね? 


――その時点で《無限》を手懐けてゐれば、当然測定可能だ。


――やはり神の問題には《無限》は付いて回ざるを得ないのか――。


――ふん、《無限》に恋焦がれてゐるのに、これまた如何した? 


――本当のところ、《無限》を渇仰してゐるのに、いざ《無限》を前にすると、へっ、哀しい哉、《無限》に対して何やら不気味な何かを、多分、それは《不安》と名指されるべきものに違ひないが、その《不安》を感じて足が竦み慄いてしまふのさ。


――それは当然至極のことさ。《無限》を恐れ慄くのは《存在》にとっては《自然》なことだ。


――《自然》なこと? 


――ああ、《存在》は《自然》に《無限》の面影を見出してしまふ習性があるからな。


――つまり、《存在》は《自然》に絶えず追ひ詰められてゐると? 


――ああ、《存在》は《変容》することを《現実》といふ《自然》に強要されてゐる。


――《存在》の逃げ道は? 


――無い。


――へっ、これっぽっちも無いのかね? 


(三の篇終はり)



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幽閉、若しくは彷徨 十九



――そもそも《反体》は生に対する死と同類のものではないのか? 


――違ふ……そんな気がする……。


――違ふか……。


――…………。


――…………。


――多分……《反体》は《実体》の死を誘発する何かさ。


――死を誘発する何かだとすると《反体》は死とは別の何かだな……それが《主体》内部に潜んでゐるとなると……これは《主体》にとって大事じゃないかね? 


――さうさ。《主体》は既に狂乱状態じゃないか? それにも拘らず今まで誰も《反体》を《反体》と名指さずにやり過ごさうと躍起になってゐたが、最早それが限界に達した……。つまり、《実体》たる《主体》はちょっとした事が切っ掛けで爆発してしまふ臨界状態にある。


――それを鎮めるのが、つまり《反体》か? 


――いや、《反体》は寧ろ《主体》の臨界状態を破り《主体》を爆発させる誘発剤になってしまふ筈さ。


――へっ、つまり《主体》の相転移か? 


――さう――。《主体》は一度滅んで相転移をする外に最早《主体》が存続する余地はこれっぽっちも残されてゐない。


――《主体》が相転移するには《反体》が必須といふことか――。


――つまり、《主体》は《主体》を後生大事にしてきたそのつけが今の《主体》に回って来たのさ。


――所詮、《主体》は《主体》に過ぎぬといふ事か……。


――そして《主体》は《主体》でしかない為に自壊してしまった……。その時になってやっと《主体》は《反体》と共存してゐることに気付いたのだ。全く、時既に遅しだ。


――すると《主体》内部は《反体》の天下か? 


――さういふ事さ、へっ。


――ふっふっふっ、さうすると《主体》はその身を矛盾に捩じりに捩じられ息も絶え絶えにやっとその存在を維持してゐるに過ぎぬといふことか……。


――へっへっへっ、《主体》の滅び方程みっともないものはないぜ。


――そんなに醜態かね、《主体》の滅び方は? 


――ああ、見るに堪へないね。滅ぶならもっと潔く滅んだ方が《主体》剿滅後に出現する新たな《何か》の為だよ。


――さて、《主体》は剿滅すると思ふかい? 


――ああ、如何あっても滅んでもらはないといけない。


――ちぇっ、結局《主体》は《主体》であることを持ち切れずに邯鄲の夢を見てゐるに過ぎぬのか――。


――さうさ。そんな奴等はさっさと此の世から退場するのが筋だ。


――《主体》が此の世から退場したとして、その後存在は自身を何と名指すのだらうか? 


――へっ、《実体》と《反体》の対消滅によって新生する《何か》が存在自体に君臨する筈さ。


――新しき《何か》が対消滅によって新生すると思ふかい? 俺は如何もさうは思へぬのだが……。


――つまり、相変はらず《主体》は生き恥を曝し続けると? 


――ああ、《主体》はとことんその生き恥を曝し続けるに違ひない。


――それでも《実体》と《反体》の対消滅は起こり、《主体》は此の世ならぬ《光》となって此の世から消え去る……。


――それでもその対消滅の残滓は残るさ。


――残ると思ふかい? つまり、《実体》と《反体》は等価ではないと? 


――等価であっても《実体》と《反体》による対消滅の衝撃はSoliton(ソリトン)の如く、つまり永劫に消えぬ孤立波となって此の世に残るのさ。


(十九の篇終はり)



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ざわめき 三


――さうだだと? 《己》が地獄の綽名だといふのか?  


――じゃあ、お前は《己》を何だと思ってゐたのだ? へっ、つまり、お前は《己》を何と名指すのだ? 


――そもそもだ、《己》が《己》であってはいけないないのか? 


――いや、そんな事はないがね、しかし、《己》は《己》と名指される事を最も嫌悪する《存在》じゃないかね? 


――ちぇっ。


――だから、《存在》する《もの》全てはこの地獄でざわめき呻吟せざるを得ないのさ。


――えっ、地獄での呻吟だと? 先程このざわめきは《己》が《己》を呑み込んだ《げっぷ》と言った筈だが、それがこのざわめきの正体ではないのかい? 


――その《げっぷ》が四方八方至る所で起こってゐるとしたならば、お前は何とする? 


――何とするも何もなからう。無駄な抵抗に過ぎぬ事は火を見るよりも明らかだがね……、唯、耳を塞ぐしかない。まあ、それはさておき、これは愚門に違ひないが、そもそも《己》は《己》を呑み込まなければ一時も《存在》出来ぬ《存在》なのかね? 


――さうさ。《己》は《己》になる為にも《己》を絶えず呑み込み続ける外ないのさ。


――それは詭弁ではないのか? 


――詭弁? 


――さうさ。《己》は《己》なんぞ呑み込まなくても《己》として既に《存在》してゐる……違ふかね? 


――つまり、お前は《存在》すれば即《己》といふ《意識》が《自然》に芽生えると考へてゐるといふことか……。


――さうだ。


――ふっ、よくそんな能天気な考へに縋れるね。ところで、お前はお前であることが《悦楽》なのかい? 


――《悦楽》? ははあ、成程、自同律のことだな。


――さう、自同律のことさ。詰まる所、お前は自同律を《悦楽》をもって自認出来るかね? 


――ふっ、自同律が不快とばかりは決められないんじゃないかね? 自同律が《悦楽》であってもいい筈だ。


――じゃあ、この耳障りこの上ないざわめきを何とする? 


――もしかすると地獄たる《己》といふ《存在》共が「吾、見つけたり。Eurika!」と快哉を上げてゐるのかもしれないぜ。


――ふはっはっはっ。冗談も大概にしろよ。


――冗談? 《己》が《己》であることがそんなにおかしなことなのかい? 


――《己》が《己》であることの哀しさをお前は知らないといふのか。《己》が《己》であることの底無しの哀しさを。


――馬鹿が――。知らない訳がなからうが。詰まる所お前は「俺」なのだからな、へっ。


――ならば尚更この耳障りこの上ないざわめきを何とする? 


――ふむ。ひと言で言へば、このざわめきから遁れることは未来永劫不可能だ。つまり、お前が此の世に存在する限り、そして、お前が彼の世へ行ってもこのざわめきから遁れられないのさ。


――へっ、だからこのざわめきを何とする? 


――ちぇっ、お手上げと言ってゐるだらう。率直に言って、この《存在》が《存在》してしまふ哀しさによるこの耳障り極まりないざわめきに対しては何にも出来やしないといふことさ。


――それじゃ、このざわめきを受け入れろと? 


――ふん、現にお前はお前であることを受け入れてゐるじゃないか! 仮令《存在》の《深淵》を覗き込んでゐようがな。


――くぃぃぃぃぃぃぃぃぃんんんんんん~~。


――ふっ、また何処ぞの《己》が《己》に対してHowlingを起こしてゐやがる。何処かで何ものかが《存在》の《げっぷ》をしたぜ、ちぇっ。


――ふむ。……いや……もしかするとこれは《げっぷ》じゃなくて《存在》の《溜息》じゃないのかね? 《存在》が《存在》してしまふことの哀しき《溜息》……。


――へっへっ、その両方さ。


――ちぇっ、随分、都合がいいんだな。それじゃ何でもありじゃないか? 


――《存在》を相手にしてゐるんだから何でもありは当たり前だろ。


――当たり前? 


――さう、当たり前だ。ところで一つ尋ねるが、これまで全宇宙史を通して《自存》した《存在》は出現したかい? 


――藪から棒に何だね、まあ良い。それは《自律》じゃなくて《自存》か? 


――さう、《自存》だ。つまり、この宇宙と全く無関係に《自存》した《存在》は全宇宙史を通して現はれたことがあるかね? 


――ふむ……無いに違ひないが……しかし……この宇宙は実のところそんな《存在》が出現することを秘かに渇望してゐるんじゃないのかな……。


――それがこの宇宙の剿滅を誘はうとも? 


――さうだ。この宇宙がそもそも剿滅を望んでゐる。


――何故さうむ思ふ? 


――何となくそんな気がするだけさ。


(三 終はり)


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