夢魔 一
――この野郎!
と、さう頭蓋内で叫んでゐた私は、不意に全身に電気が走ったかの如くに肉体に力が漲り、その肉体を意識下に従へることに成功したその刹那、あっと思ふ間もなく反射的に私は私をせせら笑ってゐたその夢魔に対して殴り掛かってゐたのであった。が、果たせる哉、私の拳は虚しく空を切り蒲団が敷かれた畳を思ひ切り殴るへまをやらかしたのみであったのである。当然の事、私を嘲弄してゐた夢魔はびくりともせずに相変はらず私の眼前に、つまり、私の閉ぢられし瞼裡にゐたのであった。
一方で私はといへば、私が夢魔ではなく畳を殴ってゐた事を明瞭に認識してはゐたが、しかし、そのまま覚醒することはなく、眼前の夢魔に目を据ゑては夢魔の嘲笑に怒り心頭なのであった。
この夢魔は時折私の夢に現はれる――もしかするとそれとは反対に私が夢魔の世界へ夢を通して訪れてゐるのかもしれぬが――のであった。また、この夢魔は何時も能面の翁の面(おもて)をしてゐて、朱色の大きな大きな大きな落陽を背に引き連れて、それでゐて夢魔の面は逆光では決してなく、煌々とした輝きを放って、その面にいやらしい微笑を浮かべては決まって私を罵るのであった。
――そら、お前の素性を述べてみよ。
――くっ――。俺は俺だ!
――へっ、俺は俺? それはお前だけが思ってゐるに過ぎぬのじゃないかね? ほら、お前の素姓を述べ給へ。
――くそっ。俺が俺であることを俺のみが思ってゐたとしても、それの何処がいけないのか!
――馬鹿が――。お前は《他》がお前を承認しない限りは、お前はお前未然の下らない《存在》に過ぎぬのぢゃ。そら、お前の素姓を述べてみよ。
――くっ――。
――口惜しいか? ならば早くお前の素姓を述べてみよ。
――くそっ。
――ふほっほっほっほっ、所詮、お前にお前自身の素姓を語れる言の葉は無いのさ。それ、お前の素姓を「俺」の類の言葉無しにお前について述べてみろ。
――《他》以外の《もの》が己ぢゃないのか?
――ふほっほっほっほっ。馬鹿が! 《他》もまた《吾》なり。お前の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に《他》たる世界は表象されないのかね?
――《他》は《他》として自存した《もの》ではないのか!
――否! 《他》は《吾》あっての《他》だ。
――否! 《他》たる世界は《吾》無くしても《存在》する!
――ほほう。しかし、《吾》は《他》たる世界をその内部に、つまり、五蘊場に取り込まなければ、即ち世界認識しなければ《存在》すら出来ない。これを如何とする?
――ぬぬ。
――所詮、《吾》など世界に身の丈を弁へてきちんと《存在》する塵芥にも劣る《存在》に過ぎぬのぢゃないかね? ふほっほっほっほっ。
――ちぇっ、結局は《他》たる世界は《吾》無くしても《存在》するか――。
――それはお前がさう言ったに過ぎないのぢゃないかね?
――さうさ。《他》たる世界において《吾》は芥子粒にも劣る厄介者でしかない!
――ふほっほっほっ。その自己卑下して自己陶酔する《吾》の悪癖は如何にかならないかね?
――悪癖?
――さうだ。《吾》の悪癖だ。自己卑下して万事巧く行くなどと考へること自体傲慢だよ。
――しかし、《吾》は《吾》の《存在》なんぞにお構ひなしに自存してしまふ世界=内に《存在》せざるを得ぬ以上、《吾》は自己卑下するやうに仕組まれ、若しくは「先験的」にさう創られてゐるのぢゃないかね?
――ふほっほっほっほっ。では、《吾》は何故《存在》するのかね?
――解からない……。
――解からない? それは余りに《存在》に対して無責任だらう?
――ちぇっ、この野郎!
と、私は再び夢魔に殴り掛かったのであったが、果たせる哉、これまた私の拳は空を切り畳を殴っただけに過ぎなかったのである。
――ふほっほっほっほっ。お前に虚空は殴れないよ。
――虚空だと?
――さう、虚空だ。お前の内部にも《存在》する《他》たる虚空に私はゐるのぢゃ。そしてその虚空は全てお前が創り上げた《他》たる内界と言ふ若しくは外界といふ世界の一位相に過ぎぬのぢゃ。
――お前はその虚空の主か?
――ふほっほっほっほっ。さうだとしたならお前は如何する?
(一の篇終はり)
幽閉、若しくは彷徨 四十一
――すると《吾》の過誤は《他》そのものを侮ったことになるが、如何かね?
――ふっ、その通り。《吾》は《他》を甘く見過ぎてゐたのさ。《吾》無くして全て無しなんぞはその最たる《もの》だ。《吾》無くしても《他》は相変はらず何事もなかったかの如く《存在》する。
――例へば、それは《世界》かね?
――さうさ。それに《他者》も《客体》も何もかも《吾》がゐようがゐまいがお構ひなしに《存在》する。何時頃から《吾》が《世界》に御邪魔してゐるといふ感覚が無くなってしまったのだらうか……。
――ふっ、無くなったのじゃなく、詰まる所、それは《吾》の《死》に直結するが故に《吾》は《吾》の《死》が怖くてさういふ感覚は全て麻痺させてゐるに過ぎぬのさ。
――さて、どうやって《吾》はその感覚を麻痺させてゐるのやら――。
――へっ、簡単明瞭さ。《吾》が《吾》と対峙しなければ、つまり、《他》の何かに興じてゐれば、この浮世は何となく過ぎてくれるのさ。
――それじゃあ、《吾》は《吾》を知らずして、否、何も知らずして、つまり、まるで夢の中にゐるかのやうにして、時を過ごしちまってゐるのか?
――《主体》は《吾》と対峙せずに済む《もの》を発明するのに躍起になってゐるじゃないか。
――つまり、娯楽に象徴される《楽》か――。
―― ふっ、皮肉なことに《吾》の内部に秘かに潜んでゐればよかった《他》を闇から引き摺り出して、《吾》の内部の《他》が外在化して《吾》を呑み込むといふ、つまり、《吾》が《吾》であることの理性を一瞬でも失はせる《他》といふ欲望を肥大化させた上に更に肥大化させて、時が移ろふ、ちぇっ、それは《吾》の《個時空》に違ひないのだが、そんな事などお構ひなしに欲望といふ《吾》の内部に潜む《他》を無理矢理にでも引き摺り出された《吾》は、《他》の《個時空》たる巨大な巨大な巨大なカルマン渦と一緒くたになった欲望の巨大な渦に呑み込まれ、そしてその《他》の巨大な《個時空》のカルマン渦に流されるまま一生を終へるのさ。ちぇっ、これは極楽じゃないかね?
――欲望は《他》かね?
――《世界》を《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くした現状においては最早欲望は《他》以外の何《もの》でもない!
――つまり、《吾》は、ちぇっ、外在化した《吾》の頭蓋内に棲んでゐるといふことか――。
――つまり、夢の中さ。
――それじゃ、夢は《他》かね?
――夢が《世界》である限りにおいてのみ《他》さ。
――自他無境……。現状を一言で言ってしまへばさうじゃないかね?
――否、《自》滅さ。
――へっ、《自》滅か。ざまあ見ろだ。
――何に対してのざまあ見ろかね?
――《自》滅した《吾》に対してに決まってをらうが!
――さて、すると、現在《吾》は何処に棲息してゐるのだらうか?
――世界=外だらう?
――世界=外?
――さう、世界=外だ。《世界》が外在化した《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くされた以上、《吾》は、へっ、皮肉なことに世界=外に追ひ出されちまったのさ。
――その世界=外を具体的に言ふと?
――欲望といふ《他》が抜け落ちた抜け殻と化した《吾》は、その《吾》を《吾》の内部の無意識下の更にその奥底に封じ込めた一方で、《世界》の涯へと《吾》は自ら進んで《吾》の在処を投企したのさ。
――へっ、それは一体全体何のことかね?
――ふっふっふっふっ。《吾》の内部の奥底の奥底の奥底は、へっ、《世界》の涯に通じてゐたといふことさ。
――つまり、自他逆転が今現在《吾》のゐる《世界》といふことかね?
――さうさ。《吾》の内部が《世界》に表出しちまった自他逆転した奇天烈な《世界》、ちぇっ、つまり、異常な《世界》に《主体》は外界を作り変へてしまったのさ。
――しかし、その異常な《世界》とは張りぼての《世界》に過ぎないのじゃないかね?
――さうさ。しかし、《主体》としての《吾》はその張りぼての異常な《世界》を正常な《世界》と看做す狂気の沙汰を一見平然と成し遂げてしまってゐるのさ。
(四十一の篇終はり)
黙劇「杳体なるもの」 六
――つまり……《杳体》を《物自体》と名指せと?
――さう言ひ切れるかい……お前に?
――多分……《杳体》の位相の一つに《物自体》は含まれてゐる筈さ。
――するってえと、《杳体》は《物自体》も呑み込んでゐると?
――さう……多分ね。
――其処だよ。まどろっこしいのは。お前はかう言ひてえんだらう! 「《杳体》をもってして此の宇宙を震へ上がらせてえ」と。
――ああ、さうさ。その通りだ。此の悪意に満ちた宇宙をこのちっぽけなちっぽけなちっぽけな《吾》をして震へ上がらせたいのさ。
――あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。
――飛び込んだぜ。
――うむ。飛び込んだか……。
(これ以降《杳体》の底無しの深淵に飛び込みし一人の「異形の吾」と、それを待ってゐたかの如くその「異形の吾」と同時に飛び込んだもう一人の「異形の吾」との対話に移る)
――ぬぬ。俺の外に《杳体》の底無しの深淵に飛び込んだ《もの》がゐるとは――。
――へっ、飛び込むのが遅いんだよ。如何だい、《杳体》へ飛び込んでみた感想は?
――未だよく解からぬ。しかし、如何足掻いても《飛翔》してゐるとしか感じられぬな、この《自由落下》といふ代物は。
――《自由落下》? 《自由飛翔》かもしれないぜ。
――まあ、どちらでも構はぬが、しかし、頭蓋内の闇、即ち五蘊場に《杳体》が潜んでゐたとは驚きだな。
――《主体》に《杳体》が潜んでゐないとしたなら一体全体何処に《杳体》があるといふんだね?
――へっ、それもさうか。確かに《主体》に《杳体》がなければ、《主体》がこれ程《存在》に執心する筈もないか。
――さて、ところで、その《主体》だが、君はこの《主体》を何と考へる?
――何と考へるとは?
――つまり、君にとって《主体》は何なのかね?
――《私》ではないのかね?
――《主体》が端から《私》であったならば、君もそれ程までに思ひ詰めなかったのじゃないかね?
――ふっ、さうさ。その通りだ。
――《主体》はその誕生の時から既に《私》とは「ずれ」てゐる。
――その「ずれ」は時が移ろふからではないのかね?
――それもあるが、仮令、時が止まってゐたとしても《主体》と《私》は永劫に「ずれ」たままさ。
――それは《主体》が《存在》するが故にといふことかね?
――さう、《存在》だ。現在では《存在》そのものが主要な問題となってしまったのだ。
――そして、《存在》は竜巻の如く《主体》を破壊し始めた?
――ああ……。《存在》が何時の頃からか《存在》のみで空転し大旋風を巻き始めて《主体》も《客体》も破壊し始めた……。
―― それ故《主体》も《客体》も《世界》も全て自己防衛の為に自閉を始めざるを得ず、その結果、それらはてんでんばらばらに《存在》し始め、しかし、それらを繋ぐ為には《杳体》なる化け物が必要で、《存在》が《存在》たる為には《杳体》なる化け物を生み出さざるを得なかった。なあ、さう思ふだらう?
――しかし、元来《存在》とはさういふ《もの》じゃないのかね?
――元来?
――さう、元来だ。
――それは《存在》とはそもそも有限なる《もの》に閉ぢてゐる故にか?
――ふっふっ、《存在》はそもそも有限なる《もの》か?
――無限であると?
――無限であってもおかしくない。また無であってもおかしくない。
――それは君の願望に過ぎないのじゃないかね?
(六 終はり)
幽閉、若しくは彷徨 四十
――ふっふっふっ。《吾》に無や無限が飼ひ馴らせられると思ふかい?
――う~ん、それは……至難の業には違ひない。
――それでも《吾》が《吾》を存続させる為には無と無限、換言すれば《死》を一時でもその手で握り潰して、そして、それを捏ね繰り回しては何かを創造する外ないとすると、へっ、高々無と無限にすらてこずる《吾》に、さて、特異点と対峙する暇はあるのかい?
――それは当然《他》と対峙するといふ意味も兼ねてゐるね?
――ああ、勿論。特異点たる《他》と対峙する《吾》……くっくっくっくっ、その《吾》は内部にも特異点たる《他》を抱へる《吾》であるといふ皮肉!
――ふはっはっはっはっ。ざまあ見ろかね?
――馬鹿な! 俺もやはり特異点たる《他》といふ矛盾に振り回され、嘲弄される側の《存在》だぜ。
――《存在》とは元来嘲弄される《もの》ではないのかね?
――ふっ、何に?
――へっ、《他》だらう?
――《他》かね? 《吾》ではないのかね?
――どちらでも構はないんじゃないか。所詮、《吾》といふ《存在》は「先験的」に嘲弄されるやうに創造されてしまってゐる。
――そして、《吾》は《他》を愚弄する。違ふかね?
――其処で愚弄するといふのは《吾》ではなく《他》かね?
―― ああ。《吾》は《吾》として《存在》することで既に「先験的」に《吾》に嘲弄されてゐる上に、《他》にも嘲弄される故に、《吾》は仕方なく若しくは近親憎悪にも似て《他》を呪ひ、愚弄するのさ。さもなくば《吾》は《吾》自体を呪ひ、愚弄するといふ留まるところを知らぬ深淵に嵌り込むしかない。
――しかし、大概の《吾》は《吾》ばかりを呪ってゐるぜ。特異点たる《他》が《吾》の内部にも外部にも潜んでゐるにも拘はらず、《吾》は《他》の《存在》に目を閉ざして恰も《他》が此の世に無いかの如く《吾》にばかり執着してゐる。
――ちぇっ、その方が一見して《吾》には楽だからさ。
――楽?
――ああ。楽だからさ。《吾》が《吾》にばかり目を向けて《吾》を呪ひ、嘲弄してゐる内に、何時しかそれが昂じてMasochism(マゾヒズム)的な自己陶酔に耽溺することになり、へっ、《吾》は《吾》の虜になって《吾》以外の《もの》を忘却出来るかの如き錯誤の蟻地獄ならぬ「吾地獄」から永劫に抜け出せなくなる哀れな末路を取ることになる。それはそれは楽に決まってゐるぜ、何せ《吾》以外に何も《存在》しないんだからな。
――しかし、大概の《存在》は、《吾》は《吾》に自閉してゐると端から看做してゐるぜ。
――さういふ輩は《吾》に耽溺しながら自滅すればいいのさ。
――へっ、《吾》に溺れ死ぬか――。
――Masochism的な自己陶酔の中で溺死出来るんだから、それは極楽だらうな。
――否、それは地獄でしかない!
―― 《吾》が《他》に目もくれずに、自閉した《吾》に耽溺する不幸は、それが地獄の有様そっくりだからな。ふっ、何せ地獄では《吾》は未来永劫《吾》であり続け《吾》といふ自意識が滅ぶことは永劫に許されずに、その上で地獄の責苦を味はひ尽くす以外に《存在》し得ぬのだからな。
――しかし、《主体》は、耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、そして生殖器等、穴凹だらけなのは厳然とした事実だ。
――つまり、《吾》もまた穴凹だらけであり、《吾》は《他》をその内部に《吾》の穴凹として抱へ込まざるを得ない。
――付かぬことを聞くが、《吾》に開いた《他》といふ穴凹は《対自》のことかね?
――いいや、決して。《他》は《他》であって《即自》や《対自》や《脱自》等の如何なる《自》でもない。また、《他》が《自》であるかのやうに看做すやうでは、《主体》は精々穴凹が全て塞がれた幻影を《吾》と錯覚し、それは取りも直さずMasochism的な自己陶酔の中に溺れてゐるに過ぎない。
――だが、《吾》はその内部に《他》が潜んでゐる等とは夢にもこれまで考へた事はなかった。
――それは《吾》が《吾》で自己完結してゐると勘違ひしたかったからに過ぎない。
――つまり、《他》の《存在》には目を瞑って世界を独り《主体》のみが背負ふ世界=内=存在といふ自己陶酔の極致に《存在》は自らを追ひ詰めてしまったのだ。
――しかし、世界は《吾》などちっとも《存在》しなくても若しくは《吾》が死しても相変はらず存続する。
――つまり、世界もまた《他》といふことだらう?
――さうさ。
(四重の篇終はり)
水際 六
――へっ、そもそも《吾》とは《吾》に怯えるやうに創られてゐる《もの》じゃないかね?
――それは「先験的」にかね?
―― ああ。《吾》たる《もの》、《吾》が怖くて仕様がないくせに、否、《吾》が《吾》たることの暴走、へっ、それは《存在》を散々苦しめて来たのだが、例へば、それはユダヤの民におけるヒトラーの如き悪魔的《存在》へと不意に《吾》が暴走しないかと《吾》は絶えず《吾》に怯えてゐるくせに、それでゐて《吾》は《吾》に縋り付く外ない己を「へっへっへっ」と力無く薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべて《吾》の《他》への変容を夢見る矛盾を抱へながら、此の世に《存在》することを強ひられてゐる。
――何に強ひられてゐるのか?
――さあ、何かな……。
――何かな?
―― それが何かは解からぬが、《主体》はそれを或る時は《客体》と呼び、或る時は《対自》と呼び、また或る時は此の世の《摂理》と呼び、また或る時は《神》と呼んでゐるがね。なあ、ひと度此の世に《存在》した《もの》が、それ自身滅亡するまで《存在》することを強ひられる矛盾を、何としたものかね?
――へっ、《存在》がそもそも矛盾だと思ふかい?
――当然だらう。《存在》とは元来矛盾してゐなければ《存在》といふ、へっ、曲芸なぞ出来っこないぜ。
――《存在》は曲芸かね?
――ああ。Circus(サーカス)の曲芸みたいに、時に空中ブランコの乗り手として、時に綱渡りの渡り手として、時に玉乗りの乗り手としてしか《存在》の有様なぞありっこないぜ。
――へっ、ひと度此の世に《存在》した《もの》は腹を括れと?
――何をもってして腹を括れと?
――《吾》をもってしてではないのかね?
――へっ、「《吾》然り!」ってか?
――ああ、「《吾》然り!」だ。
――しかし、その《吾》が元来矛盾してゐるんだぜ。
――だからこそ尚更「《吾》然り!」と呪文を唱へるのさ。
――呪文?
――さう、呪文だ。
――「《吾》然り!」と呪文を唱へて何を呪ふのか?
――当然、この宇宙自体さ。
――それは《神》ではないのかね?
――別に《神》と呼んでも構はない。
――「《吾》然り!」は「《他》然り!」と同義語じゃないかね?
――勿論。《吾》があれば必然的に《他》のあるのが道理だ。
――ちぇっ、《吾》は《吾》を是認する以外に《他》を是認出来ない馬鹿者か?
――へっ、当然だらう。《吾》程馬鹿げた《存在》はありゃしないぜ。
――その大うつけの《吾》が「《吾》然り!」と呪文を唱へて《他》の《存在》を是認するとしてもだ、《吾》はそれでも《吾》たる《存在》をちっとも信用してゐないんじゃないかね?
――当然だらう。《吾》が《吾》を公然と肯定してゐる有様程醜悪極まりなく反吐を吐きさうになる《存在》はありゃしないさ。
――それでも《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へろと?
――ふっふっふっ。何の為に《吾》は「《吾》然り!」と呪文を唱へるか解かるかい?
――いや。
――創造の為には幾ら《存在》を滅ぼさうが何ともないこの悪意に満ち満ちた宇宙をびくつかせる為に決まってをらうが――。
――へっ、やっと本音を吐いたね。今こそこの宇宙に《吾》は反旗を翻せといふお前の本音を。
――この宇宙に反旗を翻すこと以外に《吾》の《存在》の意味があるのかい? ひと度此の世に《存在》してしまった《もの》は、次世代の創造の為にもこの宇宙に反旗を翻して痩せ我慢する以外に何かを創造することなんぞ不可能じゃないかね?
――へっ、その創造の為に《吾》は人身御供になれと?
――ああ。残念ながら《吾》たる《存在》は絶えずさうやって連綿と《存在》して来てしまったのじゃないかね?
(六の篇終はり)
幽閉、若しくは彷徨 三十九
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とある読者から
「難解なので私の想像です。
数式の単語を使用して「生と死」の問題を論議しているのですか?
このような文学のジャンルを「哲学」?
本も出版されいる様子ですが、素人に簡単に解説して頂ければ幸甚です。 」
という問いがありましたので、この場を借りてお答えいたします。
私が常に自問自答している事は「存在」についてです。時に数式なども持ち出すのはそれが哲学であれ、科学であれ、数学であれ、宗教であれ、「存在」を語れるのであれば私は何でも利用します。
そして、私がずっとこだわり続けている事は「1=1」が成立するのに1と記号化された「存在」は果たしてそれをどのようにそれを受容するのか。つまり、「1=1」における「存在」の情動について、唯、問うているに過ぎません。
それ故に私がこのブログで書き綴っているのは「哲学」や「小説」ではなく「思索」それも「夢幻空花な思索」としか言えないものです。因みに夢幻空花とは病んだ目にのみ見えてしまう夢や幻の類の事です。
簡単ですが以上をもって私の答えとさせていただきます。
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――いや、それは解からない。唯、懊悩する《吾》が此の世に《存在》する以上、神もまた「《吾》とは何か?」と懊悩してゐると考へた方が自然だ。
――考へた方が自然だと? 何故かう言ひ切れぬのだ! 「神もまた《吾》たる己自身に懊悩し、己自身を呪ってゐる」と――。
――さう看做したい奴がさう看做せばいいのさ。へっ、神は神出鬼没 且、変幻自在だぜ。
――つまり、唯識がさうであるやうに《吾》次第で如何様にもなり得ると?
―― 勿論。さうでなけりゃ、神といふ名若しくはそんな言葉は捨てるんだな。詰まる所、神自身が己に対して懊悩し、呪ってゐると神自ら自己告白して懺悔したとしても、それは神を神たらしめるだけの単なる神の更なる権威付けに過ぎぬのさ。何故って、さう神が告白すれば、ちぇっ、神が全《存在》の懊悩を背負ってゐると看做す事に逢着するだけに過ぎぬのさ。
――え? 神が全《存在》の懊悩を背負はずして、一体全体何が全《存在》の懊悩を背負ふのだ?
――《吾》さ。
――《吾》?
――さう、神は神自身の事だけ背負へばいいのさ。当然、《吾》は《吾》の事だけ背負へばいいのさ。
――神自身の事や《吾》の事とは一体何の事かね?
――約(つづ)めて言へば、《存在》する事の悲哀さ。
――そんな事は疾うに解かり切った事じゃなかったっけ?
――さうさ。疾うに解かり切った事だ。しかし、その疾うに解かり切った事を未だ嘗て如何なる《存在》も背負ひ切り、また、語り課(おほ)せた《もの》は全宇宙史を通して《存在》した例(ため)しがない!
――へっ、それは何故かね?
――神自体が《吾》を《吾》と語り得ぬからさ。
――やはり、自同律の問題に帰すか……。神もまた、この宇宙を創ったはいいが、「私は私である!」と未だ嘗て言い切った例しがないといふ事か――。
――だとすると、《吾》のその底無し具合が《吾》にとって致命的だといふ事が解かるだらう?
――つまり、《吾》は如何あっても特異点をその内部にも外部にも隠し持ってゐる事に帰すのだらう?
――さう、《吾》を敷衍化して《存在》と換言すれば、《存在》はそれが何であれ全ての《存在》が底無しの穴凹若しくは深淵たる特異点を隠し持ってゐるのさ。
――ちぇっ、詰まる所、《存在》は無と無限を無理矢理にでも飼い馴らさなければ、結局、自滅するだけといふ事か――。
――へっへっへっ。大いに結構じゃないか、《吾》が自滅することは。
――それは皮肉かね?
――いいや、本心さ。心の底から《吾》たる《存在》が自滅する事を冀(こひねが)ってゐるのさ。じゃなきゃ、《吾》が《存在》する道理が無いじゃないか?
――《吾》が《存在》する道理? そんな《もの》が元々《存在》するのかね?
――ふっ、いいや、無い。しかし、《吾》はそれが何であれ己の《存在》に意味付けしたくて仕様がないのも厳然とした事実だ。
――それは何故だと思ふ?
――何かの創造の為にさ、ちぇっ。
――何の創造だと思ふ?
――《吾》でない何かさ。
――ふっふっふっ。《吾》は《吾》でない何かを創造するべく此の世に誕生したか……。
――その為に《吾》は十字架の如く底無しの深淵たる特異点といふ大いなる矛盾を背負ひ切らねばならぬのさ。
――やはり、特異点は大いなる矛盾かね?
――現状を是とするならば、特異点は此の世にその大口をばっくりと開けた矛盾に違ひない筈だが、しかし、それを《他》と言ひ換へると面白い事になるぜ。
――特異点が《他》?
――さう。《吾》とは違ふ《もの》故に、つまり、《吾》が矛盾として懊悩せざるを得ぬその淵源に、そして、それを何としても弥縫しなければならぬ《もの》として特異点が在るとするならば、それは《吾》とは違ふ《存在形式》をした《他》だらう?
―― つまり、その大いなる矛盾した形式を取らざるを得ぬ特異点といふ《もの》は、それを例へば、《反体》と呼ばうが、《反=吾》と呼ばうが、《新体》と呼ばうが、《未出現》と呼ばうが、とにかく、《吾》は猛獣遣ひの如く《吾》の内部にも外部にも《存在》するその《他》たる特異点を、飼い馴らすか、自滅するか、のどちらかしかないといふことか――。
(三十九の篇終はり)
睨まれし 六
――といふと?
――つまり、《死》は全《存在》に平等に賦与されてゐるからね。だから、xの零乗が全て《一》に帰すことに、平等なる《死》といふ《もの》の匂ひが如何してもしてしまふのさ。
――さうか……。これは愚問だが、《死》の様態は《死》以外にあり得るのだらうか?
――《死》の様態?
――さう。《生》が完全に《死》へ移行した時、その《死》の様態は《死》以外にあり得るのだらうか?
――それは俗に言ふ「死に様」ではないよな。Xの零乗が全て平等に《一》に帰す如き故の《死》の様態だよな。
――ああ。単なる「死に様」ではない。「死に様」には未だ《生》が潜り込んでゐるが、完全に《死》した《もの》の様態は、不図、平等なのかなと思っただけのことさ。
――くっくっくっ。それは《生者》が、若しくは此の世に《存在》した《もの》全てが死の床に就いた時に自づと解かることだらう。それまで《死》するのを楽しく待ってゐるんだな。
――それでは極楽浄土と地獄があるのは如何してだらう?
――くっくっくっ。それはミルトンの四元数(しげんすう)とか八元数とか一見晦渋に見える《もの》を無視すると、数に実数と虚数が《存在》するからじゃないのかね?
――実数と虚数? それじゃ、複素数は何かね?
その刹那、《そいつ》は更に眼光鋭く私を睨み付けたのであった。
――複素数こそ《生》と《死》が入り混じった此の世の様態そのものさ、ちぇっ。
――複素数が此の世の正体だとすると、それは実数部が《生》で虚数部が《死》を意味してゐるに過ぎぬのじゃないかね。さうすると極楽浄土と地獄は複素数の何処にあるのかね?
――ちぇっ、下らない。複素数の実数部が《生》で《死》は零若しくは∞さ。虚数部は死後の《存在》の有様に過ぎぬ。
――さうすると、《死》の様態は±∞個、即ち∞の二乗個あることになるが、それを何と説明する?
――此処で特異点を持ち出してくると如何なるかね?
――特異点? つまり1/0=±∞と定義しちまへといふ乱暴な論理を展開せよと?
――先にも言った筈だが、矛盾を孕んでゐない論理は論理たり得ぬと言ったらう。
――しかし、それは独り善(よ)がりの独断でしかないのじゃないかね?
――独断で構はぬではないか。
――さうすると、∞の零乗も《一》かね?
―― さう看做したければさう看做せばいいのさ。所詮、此の世に幸か不幸か《存在》しちまった《もの》は、その内部に特異点といふ矛盾を抱へ込んでのた打ち回るしかないのさ。さうして《生》を真っ当に生き切った《もの》のみが零若しくは∞といふ《死》へと移行し、さうしてその時、ぱっと口を開けるだらう《零の穴》若しくは《∞の穴》を《死者》は覗き込むのさ。其処で目にする虚数の世界が《死霊(しれい)》の世界に違ひないのさ。
――埴谷雄高かね?
――さう。するとお前も霊の《存在》は認める訳だね。
――ああ、勿論だとも。
その時の《そいつ》のにたり顔ったら、いやらしくて仕様がないのであった。すると《そいつ》は
――しかし、虚数i若しくはj若しくはkは自身を二乗すると-1へと変化する。これをお前は何とする?
と、私に謎かけをしたのであった。
――ふむ。-1、つまり、負の数ね。それは、影の世界のことではないのかね。
――ご名答! 闇の中にじっと息を潜めて蹲ってゐる影の如き《もの》こそ負の数の指し示す《存在》の様態だ。
――それは透明な《存在》と言ひ直してもいいのかい?
――へっ、別にどっちだって構ひやしない。土台、全ては闇の中に蹲って《存在》する負の数といふ《陰体》なのだからな。
――《陰体》?
――つまり、光が当たらなければ見出さぬままに未来永劫に亙って闇の中に蹲って息を潜めて《存在》し続ける《もの》を《陰体》と名指しただけのことさ。
――さうすると、極楽浄土と地獄とは一体何なのかね?
――くっくっくっ。《死》した《もの》が《零の穴》若しくは《∞の穴》を覗き込んだ時に目にする絶対的に《主観》の世界像のことに決まってをらうが。
――《死》んだ《もの》が《零の穴》若しくは《∞の穴》を覗き込んだ時に目にする絶対的に《主観》の世界像?
(六の篇終はり)
幽閉、若しくは彷徨 三十八
――きちんと破滅しちまへばいいのさ。秩序と渾沌の間で唯々諾々と黙して己が破滅する様を噛み締めてゐればいいのさ。
――破滅をきちんと噛み締める?
――滅することは《存在》の宿命だぜ。如何(どう)足掻いたところで、己の破滅から《吾》は遁れやしないのさ。《存在》することの悲哀を感じずして《吾》に《存在》する資格は、さて、在るや否や、さ。
―― つまり、秩序に渾沌が、渾沌に秩序が内在する若しくは紙一重の違ひでしかないやうに、《吾》は《生》に「先験的」に内在する《死》を己の全的剿滅までしかと目に焼き付けるのが《存在》しちまった悲哀を「へっへっへっ」と力無く嗤ふしかない《もの》の、即ち《吾》の折り目正しき《存在》の姿勢ならばだ、何故《吾》なる《もの》は《存在》しなければならなかったのだ?
――へっ、また堂々巡りだぜ。まあよい。《吾》なる《もの》が《存在》しちまったその理由を単刀直入に言へば、創造の為に決まってをらうが!
―― へっへっへっ、創造と破壊は太古の昔から、否、此の世の開闢の時から既に表裏一体を為すと相場が決まってゐるとしてもだ、また、換言すれば、盛者必衰、且、諸行無常が此の世の常としてもだ、創造の、ちぇっ、何の創造かは知らぬが、その創造の途中の中途半端なところで《存在》するしかなかった殆どの《もの》達は、さうなると、この宇宙を悪意に満ちた邪鬼の如く呪ふしかないぜ。
――へっ、呪ふがいいのさ。
――簡単にお前は呪へばいいと言ふが、中途半端に《存在》する外ない《もの》達は、己の中途半端なことに嘆き、此の世を呪ふだけ呪ったところで、へっ、それは虚しいだけだぜ。
――だから如何した?
――ちぇっ、暖簾に腕押しか――。
―― 《存在》しちまって中途半端に《存在》するしかない《もの》達は、この宇宙といふ名の神を呪へばいいのさ。それが無駄なことだと知ってゐてもだ。呪ふだけ呪って、この悪意に満ちた宇宙をほんの一寸だけでも震撼出来さへすれば、中途半端に《存在》しちまった《もの》達は、満足だらう? さうして、また、《吾》は如何してもこの悪意に満ちたとしか名状出来ない宇宙を震撼させねばならぬ宿命を負ってゐるのさ。
――それは宿命かね?
――ああ、宿命だ。何かをこの宇宙に創造させる為には、《吾》なる此の世に《存在》しちまった《もの》達は、この悪意に満ち満ちた宇宙を震撼させねばならぬのだ。
――しかしだ、全宇宙史を通してこの悪意に満ちた宇宙を一寸でも震撼さぜた《もの》は《存在》したのかね?
――いや。
――いや? へっ、それじゃ、《存在》しちまった《吾》は、その屍を死屍累々と堆く積み上げてゐるだけで、ちぇっ、つまり、《吾》たる《もの》は、詰まる所、犬死する外ないといふことかね?
――さうさ。
――さうさ? これまた異なことを言ふ。お前は《存在》が犬死して行くのを是認してゐるのかね?
――いいや。
――いいや?
――先づ、俺が《存在》が唯犬死するのを是認する訳が、そして、己の《存在》に満足してゐる訳がなからうが! 俺とてこの悪意に満ちてゐるとしか認識しやうがないこの宇宙を何とかして震撼させるべく、ちぇっ、詰まる所、思案してゐるのさ。
――へっへっへっ、思案だと? 何を甘っちょろいことを言ってゐるのか! 思案したところで何にも変はりはしない筈だぜ。
――さうかな? 俺は、この《考へる水》たる《皮袋》として《存在》する《吾》は、思案することで、へっ、この悪意に満ちた宇宙は、もうびくびく《もの》だと思ふのだがね。
――《吾》が思案することで、この宇宙がびくびくしてゐる? 思案が《吾》の武器? それは、さて、何故かね?
――この宇宙も《吾》として存続することを切に冀(こひねが)ってゐるからさ。
――すると、この宇宙もまた、それは換言すれば神に違ひないが、「何故に《吾》は《吾》として《存在》しちまったのか」と、へっ、神自らが神を呪ってゐると?
(三十八の篇終はり)
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最終更新:2009年08月22日 10:14