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アシネトバクター - (2010/09/05 (日) 15:59:56) のソース

アシネトバクター( Acinetobacter )は、土壌や水の中によく見られる細菌です。医療従事者など、健康な人々の皮膚にも見られることがあります。アシネトバクター属(genus Acinetobacter )には、病原性のあるいろいろな"種(しゅ:species)"が属していますが、アシネトバクター-バウマニ( Acinetobacter baumannii )という"種"による感染例が、アシネトバクター感染症の報告例の約80%を占めます。 

アシネトバクター-バウマニによる肺炎が病院以外で発生することは少ないですが、アルコール依存症患者、喫煙者、慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者、糖尿病患者、肺がん患者、腎不全患者、肝硬変患者、高齢者などで見られることがあり、致死率は40-64%と高いです(参考文献2、3)。咳・発熱・呼吸苦で発病し、急激に呼吸不全・ショックへと進み、敗血症ショックや多臓器不全などで死に至ることがあります。

 アシネトバクター-バウマニは、暖かく湿っぽい環境を好むとされ、アシネトバクター-バウマニによる肺炎の発生は、熱帯・亜熱帯の国(オーストラリア・クウェート・トルコ・台湾・タイ・パプア-ニュー-ギニア)で多く、また、暖かい季節(北半球では4-10月)に多いです。
 また、アシネトバクターが健康な人々の皮膚等で保持されている率も季節により差があり、香港の看護学校新人生および医学生では、冬季の32.2%に対して、夏季では53.4%と高率でした(参考文献9)。下の表1を参照してください。
表1. 香港の看護学校新人生および医学生におけるアシネトバクターの検出の夏季・冬季比較
(参考文献9を参考に作成)
| | 	|夏季|(1997年10月) 	|冬季|(1998年2月)|
|||人数 	|% 	|人数 	|%|
|対象者 |	|133 	|100 	|59 	|100|
|アシネトバクターが検出された人| 	|71 	|53.4 	|19 	|32.2|
|下記の検査5部位中のアシネトバクター検出部位数 	|0部位 	|62 	|46.6 	|40 	|67.8|
||1部位 	|40 	|30.1 	|14 	|23.7|
||2部位 	|21 	|15.8 	|5 	|8.5|
||3部位以上 	|10 	|7.5 	|0 	|0.0|
|アシネトバクター検出部位 	|前頭部の髪の毛生え際 	|44 	|33.1 	|14 	|23.7|
||足の第4指と第5指との間 	|20 	|15.0 	|4 	|6.8|
||そけい部 	|16 	|12.0 	|6 	|10.2|
||鼻腔前部 	|17 	|12.8 	|0 	|0.0|
||咽頭部 	|15 	|11.3 	|0 	|0.0|

 近年、アメリカ合衆国におけるアシネトバクター-バウマニ感染症患者において、イラクやアフガニスタンで戦った帰還兵が増えています。アメリカ合衆国の軍隊におけるアシネトバクター-バウマニ感染症患者の増加は、イラクにおける戦闘開始直後の2003年3月から見られました。外傷を負ったアメリカ合衆国軍の兵士の多くは、ドイツのLandstuhl区域医療センターやアメリカ合衆国のWalter Reed陸軍医療センターへ搬送される前に野戦病院で応急的な処置を受けます。アシネトバクター-バウマニ感染症は、これらの医療センターで入院時あるいは入院後まもなくの検査で明らかになっています。外傷を負う前に皮膚にアシネトバクター-バウマニを保持していたか、外傷を負った際に土壌からアシネトバクター-バウマニを得た可能性があります。野戦病院内の環境中からも物品等の表面からアシネトバクター-バウマニが分離されていて、遺伝子的な分類でも、患者から分離されるアシネトバクター-バウマニと合致するものでした。野戦病院内でアシネトバクター-バウマニを得た可能性もあります。
 上記のアメリカ合衆国での状況と似た状況が、アフガニスタンで外傷を負ったカナダ軍の兵士たち、イラクで外傷を負ったイギリス軍の兵士たちでも見られています。

アシネトバクター感染症には、肺炎、敗血症、尿路感染症、髄膜炎、創傷・火傷の感染などがあります。アシネトバクターによる肺炎の症状としては、発熱、悪寒、咳などが見られます。一方で、傷口や気管切開の部分に、存在していても、何の症状も起こさない場合もあります。

 アシネトバクター感染症の治療には、抗生物質が使用されます。しかしながら、よく用いられる抗生物質の多くが無効な場合 (多剤耐性)がしばしばあり、注意が必要です。多剤耐性(multidrug resistant : MDR)のアシネトバクター感染症の治療は難しいです。病巣から分離されたアシネトバクターに有効な抗生物質を使っての治療が原則となります。

 平成21 年(2009 年) 1 月23 日、日本のある大学病院から、多剤耐性(複数の薬が効きにくい)アシネトバクター(Acinetobacter baumannii)による“院内感染”の発生の報告(参考文献4)がありました。
 3 ヵ月の間に大学病院の救命救急センターの集中治療室を中心に複数の患者が多剤耐性アシネトバクターに感染しており、2008 年10 月から2009 年1 月までに23 名の患者から多剤耐性アシネトバクターが分離されました。感染が確認されたアシネトバクターは日本で利用可能な一部の抗菌薬(ミノサイクリン、イセパマイシン)で治療が可能ですが、他のほとんど全ての抗菌薬に耐性を示しています。

アシネトバクターは環境中に普遍的に存在する菌である事から、2 回にわたる環境調査を大学病院は行いました。2 回目の環境調査の結果、人工呼吸器装着2 日目と4 日目の2 名の患者の装着器材(バイトブロック)より、多剤耐性アシネトバクターが検出されました。この他、消毒済みのバイトブロックからもアシネトバクターが検出されました。大学病院では、標準的な感染対策に基づき、同器材を消毒後に再生使用をしていましたが、環境調査の結果判明後、個別使用に切り替えました。

 少なくとも25%の健康な人が、アシネトバクター属(genus Acinetobacter )の細菌を皮膚に保持しています。特に湿りがちな場所である、わきの下、股間、足指の間などに保持しています。健康な人の口の中や気道から検出されることも、ときに、あります。しかし、入院患者以外で、皮膚以外の場所からアシネトバクター属の細菌が検出されることは通常は少ないです。
 入院患者が、アシネトバクター属(genus Acinetobacter )の細菌を保持している率は高いです。アシネトバクター感染症の集団発生が起きているようなときには、より高いです。

 アシネトバクター属の細菌は、遺伝子での分類では19の"種(しゅ:species)"に分類されます(参考文献5)。よく分離されるのは、分類No.2のアシネトバクター-バウマニ( Acinetobacter baumannii )です。他には、分類No.3(該当の種の命名なし)、分類No.7の Acinetobacter johnsonii 、分類No.8のAcinetobacter lwoffii 、分類No.5のAcinetobacter junii などが、比較的多く分離されます。

 アシネトバクター(Acinetobacter )の英字の綴りについては、a(非)cineto(運動性の)bacter(桿菌)という意味です。aについては、「欠く」、「ない」の意味です。cinetoについては、ギリシャ語のkineo(動く)に由来し、kineto-では「動きのある」の意味です。アシネトバクターは、鞭毛を欠き、動きがありません。形としては、増殖サイクルの増殖期には丸みをおびた短い棒状の桿菌ですが、定常期には球菌のような球状の形態となることもあります。球状の形態が連なって双球菌のように見えることもあります。

 病原体のアシネトバクター-バウマニ( Acinetobacter baumannii )の英字の綴りについては、baumannii の部分が誤って綴られていることがよくあります。baumanii 、baumanni 、baumani などと誤って綴られていることがあります。Coccidioides immitis (コクシジオイデス症の真菌の病原体: Coccidioides の部分が、Coccidiodes 、Coccidoides 、Cocidioides 、Coccidioidis と綴りが誤られることがあります。)、Coxiella burnetii (Q熱の病原体:burnetii の部分が、burneti 、burnetti 、burnettii と綴りが誤られることがあります。)、Tropheryma whipplei (Whipple病の病原体:whipplei の部分が、whippelii 、whippleii 、whippeli と綴りが誤られることがあります。)などと並んで誤られやすい綴りとされます(参考文献6)。

 多剤耐性のアシネトバクター-バウマニ(Multi-drug resistant Acinetobacter baumannii ) については、 MDRABと略称されることがあります。

 アシネトバクター-バウマニ( Acinetobacter baumannii )のバウマニ( baumannii )については、アシネトバクター( Acinetobacter )の研究で功績のあった、アメリカ合衆国の夫婦二人とも微生物学者のPaul and Linda Baumann夫妻の栄誉を称えての命名です。Baumann夫妻に因んでの微生物の命名は、他に、Oceanimonas baumannii とCandidatus Baumannia cicadellinicola があります。
 また、アシネトバクター( Acinetobacter )の研究で功績のあった、John L. JohnsonとElliot Juniの栄誉を称えて、Acinetobacter johnsonii とAcinetobacter junii が命名されています。

健康な人が、体力・免疫力の弱まった人へ病原体のアシネトバクターを運んでしまうことが心配されます。
 アシネトバクターは、乾燥にも強く皮膚や環境中で数日間は生存可能です。乾燥した平面上で黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus )と同等あるいはより長期に生存することがあります。乾燥したろ紙上での観察によれば、生存期間は、大腸菌や緑膿菌が24時間以下、アシネトバクターが6日まで、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus )が7日でした。(なお、ブドウ球菌はグラム陽性でアシネトバクターはグラム陰性であり、まったく違う細菌ですが、似ている点もあるため、アシネトバクターを「グラム陰性のブドウ球菌」とたとえる研究者もいます。)
 アシネトバクター感染症の集団発生中の小児科集中治療室での観察によれば、電話受話器・ドアの押し板・患者のチャート・卓上などでアシネトバクターが認められ、医療スタッフの手によってアシネトバクターが運ばれたと考えられました。
 アシネトバクターが手に付着して運ばれてしまうことが心配されます。手をよく洗うことは、予防のために役立ちます。

 アシネトバクターは、通常、70%エタノールや50%以上の濃度のイソプロピルアルコール等のアルコール系消毒薬により死滅します。

 空気がアシネトバクターで汚染してしまうことがありえます。あるアシネトバクター感染症の集団発生では、加湿器がアシネトバクターで汚染していました。加湿器から10メートル離れた場所の空気からもアシネトバクターが検出されました。医療の場で使われる機器の衛生管理は適切に行いましょう。

 アシネトバクター感染症に対する予防接種(ワクチン)は、存在しません。
http://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/acinetobacter1.html