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1856年、フランスの、当時アンテルヌのミヤール(Auguste Louis Jules Millard, 1830-1915)の橋出血の剖検1例と文献1例報告(Bull Soc Anat)、およびその師ギュブレール(Adolphe Marie Gubler, 1821-1897)の6例(Gaz Hebd Med Chir)により、顔面と上下肢の交代性片麻痺に2人の名前がつきました。
 「交代性片麻痺」という言葉もギュブレールによります。

 1858年、パリのフォビユ(Achille Louis Francois Foville, 1831-1887)が、43歳男性の橋の障害による(交代性片麻痺も合併した)側方注視障害を報告(Bull Soc Anat)。
 このフォビユの報告と数年後のヴュルピアンの報告により、橋の病巣と大脳の病巣とでは注視麻痺ないし共同偏視は反対側に起こることが判明したわけです。

 橋のややこしい症候群として、側方注視時の内転は不能だが、輻輳時の内転は可能な、核間性眼筋麻痺(MLF症候群)がありますね。
 内側縦束は1895年にヒスが命名したものでした。
 MLF症候群は1902年、ライプチヒ大の神経眼科医ビールショウスキー(Alfred Bielschowsky, 1871-1940)が外傷患者に発見しました(Berl Dtsch Ophthalmol Ges)。
 彼は1934年からアメリカに渡り、1935年に重力の方向に対して頭位を傾けたときの滑車神経麻痺の観察法について英語で書いています(Arch Ophthalmol)。

 核間性眼筋麻痺は、1921年にレルミットが、橋の外転神経核と動眼神経核との連絡路の障害すなわち「核間麻痺」である、と考えます(Arch Ophth)。
 1923年Lutzは「側方注視中枢」の存在を仮定(Klin Monatsbl Augenheilk)。
 1944年ロシア生まれ、ニューヨークのマウント・シナイ病院のベンダー(Morris B Bender, 1905-1983)はサルの内側縦束病変でこの症状をおこす事に成功(Arch Neurol Psychiat)、1950年に内側縦束症候群と呼びました(Res Publ Assoc Nerv Ment Dis)。

 ところで核間性眼筋麻痺を発見したビールショウスキーと、同じ1902年に鍍銀染色法を発表した(Neurol Centralbl)ベルリン大のビールショウスキー(Max Bielschowsky, 1869-1940)は別人です。
 彼はエディンガーやニッスルに学び、1939年、彼もドイツでのユダヤ人迫害のため70歳でロンドンに亡命、そこで死にました。