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アテトーシスというのは手足のゆっくりしたねじるような動きですね。
 これは「とめることができない」という意味のギリシア語からきています。

 これはメリーランド大解剖生理教授であり、南北戦争にも従軍し、リンカーン大統領から陸軍外科医総監に任命されたハモンド(William Alexander Hammond, 1828-1900)が、ニューヨークで診療していた1871年に、アメリカ最初の神経学教科書を出版、その中に2例を書いたのがはじまりです。
 彼は1875年の、第一回アメリカ神経学会(American Neurological Association)総会の主催者にもなりました。

 ただしこれと舞踏運動の異同が議論になり、ハモンドは
「アテトーシスでは動きは遅く、明らかに限定されており、秩序だち、一定である。 ほとんどの片側性舞踏運動では、不規則で、急速で、変化が多い 」と区別します。
 一方シャルコーなどは「舞踏運動の亜型以上の何物でもない」と主張しました。

 アテトーシスと線条体との関係は、ベルリンのセシル・フォクト(Cecile Mugnier Vogt, 1875-1931)が1911年に線条体の大理石様変性を指摘しました(J Psychol Neurol)。
 彼女はフランスに生まれ、ビセートル病院のピエール・マリーの下で学んでいて、当時デジュリーヌの下に臨床神経学を学びに来ていたドイツ出身のオスカー・フォクト(Oskar Vogt, 1870-1955)と知り合い、彼女らのボスが犬猿の仲にもかかわらず、1899年ベルリンで結婚したのです。
 (マリーはセシルに、その結婚は考えなおした方がいい、とおせっかいしたとか。)
 彼らは被核と尾状核をあわせて線条体と呼びました。また1907年ブロートマンの6、8野に頭部と眼球の共同運動の中枢がある事も発表してます。
 オスカーはセシルを
「すばらしい!私の妻は顕微鏡をのぞくといつも何か発見をする。」とのろけていました。
(ところでVogtという人はまぎらわしくて、Vogt-小柳-原田病のVogtはスイスの眼科医Alfred Vogt(1879-1943)、CLN3のBatten-Spielmeyer-Vogt病のVogtはゲッチンゲン大のHeinrich Vogt(1875-1936)で別人です。)

 発作性choreoathetosisの発見者は1940年、ニューヨークの神経研究所のLester A MountとSamuel Rebackです(Arch Neurol Psychiat)。
 しかし豊倉によれば、最初の報告は1881年のガワーズの教科書の記載か、1892年の呉秀三(1866-1932)の報告(東京医学会雑誌)だそうです。