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これはアテトーシスとの異同が問題で、アテトーシスが不随意運動に注目した言葉であるのに対し、ジストニーはより近位筋の、姿勢異常と筋緊張亢進に注目した言葉だという話です。
 これは1911年にオッペンハイム(Hermann Oppenheim, 1858-1919)が"dystonia musculorum deformans" の5例を疾患単位として記載し、同一筋に筋緊張低下と亢進が共存する状態を、この論文の末尾で "Dystonie" と呼びました(Neurol Centralbl)。

「私は本病態に対して次の名称を選んだ。すなわちDysbasia lordotica progressivaおよびDystonia musculorum deformansである。 そして私は、後者の方を優先したいと思う。Dystonieという呼称は、本症では筋緊張の低下と亢進とが併存しているという理由で、適切であると思われる。」

 彼はベルリン大のウエストファルの弟子で、1890年、ウエストファルの後任教授に教授会で推薦されたけれど、政治的な理由で拒否され、シャリテ病院を離れて開業しました。
 彼のクリニックには彼の名声を頼って患者が集まってきたそうです。
 彼の報告したdystonia musculorum deformansは、1994年、Bressmanら、Kramerらが責任遺伝子DYT1を発見しました(Ann Neurol, Am J Hum Genet)。
 ジストニーは1944年コロンビア大のErnst Herzが淡蒼球内節、視床下核などが責任病巣と論じました(Arch Neurol Psychiat)。

 ジストニーの一種といえる斜頸はすでに1792年にウェッパーの記載があります。
 同じく書痙についてはベルの1830年の「人体神経学」の記載がはじめのようです。