ウルトラ5つの誓い

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放映No.51 脚本 [[上原正三]] 監督 [[本多猪四郎]] 特殊技術 [[真野田陽一]] 宇宙恐竜  [[ゼットン]] 触覚宇宙人 [[バット星人]] 登場 放映年月日 1972年3月31日 内容  本作の最終回。  [[次郎>坂田次郎]]と[[ルミ子>村野ルミ子]]を人質に取られ、[[MAT]]の戦力の大半を破壊されるという最大のピンチの中で、[[郷>郷秀樹]]は[[初代ウルトラマン>ウルトラマン]]を倒した最強怪獣ゼットンを迎え撃つことになる。  このエピソードは、ファンの評価は決して高いとは言えない。その理由としては、ルミ子の夢に始まる夢幻タッチの演出や一般市民をまったく登場させない都市破壊など、作品を覆う非現実的な雰囲気が挙げられる。現実感を売りにしていた本作の締めくくりとしては、本エピソードの演出がミスマッチであることは否めない。また、ゼットンのスーツ造型が初代のイメージとかけ離れているため、「ゼットンを倒すことで初代マンを越える」という意図が今ひとつ徹底しなかったこともダメージになっている。本来地球人である郷が、自身の去就を特に語ることなくウルトラマンとして地球を去ったことも、ある種の安易さを印象づけていることは否定できない。  しかしながら、とことん追い詰められた状況の中、精一杯の反撃で勝利するMATとウルトラマンの姿には、最終回にふさわしいカタルシスがある。特に、残された手持ちの銃器によるMATの必死の援護が、ウルトラマンを勝利に導く様は、それまで何度も描かれてきた「ウルトラマンとMATの共同戦線」を見事に締めくくっている。また、人間・郷秀樹のドラマも、命がけの特攻から生還し、「ウルトラ5つの誓い」で次郎に未来を託したことで一応の決着はつけられている。  30分という制約の中での変化球的な演出と説明不足が評価を下げた感のある最終回ではあるが、それまで積み重ねられてきたドラマの締めくくりに必要なものはしっかりとまとめられた感動的なエンディングであり、次作『[[ウルトラマンA]]』をはじめとする次世代ウルトラシリーズへの橋渡しも成されていると評価できる。  
放映No.51 脚本 [[上原正三]] 監督 [[本多猪四郎]] 特殊技術 [[真野田陽一]] 宇宙恐竜  [[ゼットン]] 触覚宇宙人 [[バット星人]] 登場 放映年月日 1972年3月31日 &u(){&bold(){内容}}  本作の最終回。  レギュラー出演者以外がほとんど登場しないという異色の演出の中で、ウルトラマン最後の戦いが描かれる。  [[次郎>坂田次郎]]と[[ルミ子>村野ルミ子]]を人質に取られ、[[MAT]]の戦力の大半を破壊されるという最大のピンチの中で、[[郷>郷秀樹]]は[[初代ウルトラマン>ウルトラマン]]を倒した最強怪獣ゼットンを迎え撃つことになる。  「戦死」という形でMATの前から姿を消した郷は、次郎とルミ子にだけ別れを告げ、「ウルトラ5つの誓い」を残してウルトラマンとして地球を去って行った。 &u(){&bold(){コメント}}  このエピソードは、ファンの評価は決して高いとは言えない。  全体的な完成度としては『[[ウルトラセブン]]』に匹敵し、部分的には『[[ウルトラマン]]』をも凌駕し、後のウルトラシリーズへの大きな流れを作り出した『[[帰ってきたウルトラマン]]』が、評価的には「地味な通好みの作品」にとどまっている理由はいくつか考えられるが、その中でも最終回のインパクトの弱さは大きなものがある。  最終回のマイナス要因としてまず第一に挙げられるのは、ゼットンのイメージが初代のそれとかけ離れていることである。ゼットン登場については、最強怪獣の登場による緊迫感の演出や、ウルトラマンがゼットンを倒すことで初代マンを越えて物語を締めくくるなどの意図があったと考えられる。しかし、初代とスタイルが大きくかけ離れ、光波バリアや波状光線を使わず、バット星人と組んでせわしなく動き回るゼットンには、初代のような圧倒的な風格は感じられない。決して弱い怪獣ではなく、帰マン怪獣の中ではそれなりの強さと迫力を見せていたので、全身のカラーリングや格闘時の演出などにもう一工夫する余裕があればと惜しまれる。  また、本来地球人である郷が、自身の去就を特に語ることなくウルトラマンとして地球を去ったことも、ある種の安易さを印象づけていることは否定できない。『帰ってきたウルトラマン』の物語は、ウルトラマンの力を得た普通の青年・郷秀樹の成長が大きな縦糸になっていた。その郷が最終的にウルトラマンとして生きていくことを選んだからには、そこに至る郷の心情などをもう少し描く必要があった。その点を何も語らず、「ふるさと」[[M78星雲]]へと旅立つ郷の姿からは、郷が完全にウルトラマンに取り込まれてしまったような印象があり、「肩すかし」の感を否めない。  そして、ルミ子の夢に始まる夢幻タッチの演出や一般市民をまったく登場させない都市破壊など、作品を覆う非現実的な雰囲気も最終回らしくなかったと指摘しておきたい。本作においては、怪獣が現実の災害に準じて演出され、郷をはじめとする登場人物たちも怪獣事件に出会ってしまった普通の人間として描かれ、「怪獣が存在するもう一つの現実」とでも言うべきリアル感が大きな特色になっていた。その本作の締めくくりとしては、妙に現実感を抑えた本エピソードの演出がミスマッチであることは否めないのである。  しかしながら、今振り返ってみると、本作の締めくくりとしてはこの最終回以外考ることはできない。  まず、基地が半壊し航空戦力と武器弾薬の大半を失っているという最悪の状況の中で、たった一機の[[マットアロー1号]]と手持ちの銃器だけで精一杯の反撃を試みるMATの姿には、常に背水の陣で戦ってきた彼らの活躍の集大成が充分に感じられる。ペンシル爆弾ではなく通常の銃器類による援護が、ゼットンを怯ませウルトラマンに勝機を与えたという演出は、最終回にふさわしいカタルシスがあり、それだけでもゼットンを起用した意味があった。  また、不完全燃焼の感が残った人間・郷秀樹のドラマについても、感動できる点がないわけではない。  自ら命がけの作戦に志願し、仲間一人一人と握手しながら飛び立っていく郷の姿には、ウルトラマンの力に戸惑ったり慢心したりした青年の面影はなく、戦士・郷秀樹としての完成が感じられた。そして、最後に登場する背広姿の郷は、使命をすべて果たし終えてMATという学校から卒業してきた「大人」の姿を示している。  郷とルミ子との微妙な関係は、冒頭の結婚式の夢と、郷から渡される星型のペンダントで一応の結論は出されている。アキを失い、ウルトラマンとして生きていく郷は、ルミ子の想いに応えることは出来ない。しかし、郷もすでに朴念仁の青年ではなくなっていた。ルミ子の想いを知りつつ去らねばならない郷の、精一杯の回答がこのペンダントだったっと考えれば、ここにも郷の成長は示されているのである。  そして、次郎。「ウルトラ5つの誓い」の現実的すぎる内容に、当時戸惑った子どもは少なくないであろう。にも関わらず、この誓いは『[[ウルトラマンメビウス]]』で使用され、概ねオールドファンからは好意的に迎えられていた。  そう、この誓いは子どものものではなく、大人である本作のスタッフから子どもたちへ送られたものだったのだ。「健康と安全に気をつけて、一人でも戦えるよう健やかに育て」これは子どもに接する大人であれば、誰もが持つ自然な思いなのである。長い年月を経て、その気持ちを理解できる年齢になったからこそ、『メビウス』1話でリュウが語る「ウルトラ5つの誓い」に多くのファンが素直に反応できた、そう思える。  こうして、郷秀樹は旅立っていった。しかし、その旅は今も続いている。そして、これからも…  30分という制約の中での変化球的な演出と説明不足が評価を下げた感のある最終回ではあるが、それまで積み重ねられてきたドラマの締めくくりに必要なものはしっかりとまとめられ、作り手の真摯な思いがこめられた良質なエピローグであったことは間違いない。そして、次作『[[ウルトラマンA]]』をはじめとする次世代ウルトラシリーズへの橋渡しも成されていると評価できる。  

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