円谷プロダクション

 『帰ってきたウルトラマン』をはじめとするウルトラシリーズを制作した会社。
 ウルトラシリーズ以外にも、『快獣ブースカ』『マイティジャック』『ミラーマン』『スターウルフ』など、主にSF系の特撮ドラマを中心に制作している。

 円谷英二が自宅に設立した「円谷特技研究所」が前身となって、1963年に「円谷特技プロダクション」として創業された。
 翌年、世田谷区砧にあった東宝の衣装倉庫を改装して社屋とし、ここから『ウルトラQ』をはじめとするウルトラシリーズが生み出された。
 第1次怪獣ブームの終焉後、一時大がかりな番組制作が途絶えていたが、1971年に『帰ってきたウルトラマン』で再浮上した。
 その後も特撮作品を次々に制作し、砧の社屋と怪獣倉庫は特撮ファンの聖地とも言える存在となっていた。(2005年には世田谷区八幡山に移転)
 しかし、その歴史の中で、会社組織や営業の不安定さは多くのファンや関係者から指摘されていた。その理由は以下のように整理できる。

  1. 人気や営業成績の面で、ウルトラシリーズを越える企画が生み出せなかった。
  2. ハイクオリティな特撮作品が売りのため、作品を作れば作るほど赤字がかさんでいく構造が打開できなかった。
  3. 経営陣の交代やスタッフの移籍が多く、人事体制が安定しなかった。

 上記の理由から経営の悪化が伝えられ、2007年に株式会社ティー・ワイ・オーの傘下に入り、同族経営体制を終了した。その後、株の譲渡によりバンダイグループも経営に参画するようになる。
 その後、2010年4月にはティー・ワイ・オーの持ち株が、パチンコ機器製作メーカーのフィールズに売却され、現在はフィールズの子会社となっている。

 変遷を重ねてきた同社であるが、多くの特撮作品を制作し、日本の映像文化やテレビ文化の発展に寄与してきた実績は揺るぎないものがある。










最終更新:2010年05月18日 19:07