金城哲夫


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 脚本家
 1938年7月5日 - 1976年2月26日 沖縄県出身(出生地は東京)
 ゴジラシリーズの脚本で知られる関沢新一に師事し、1963年に円谷プロダクションへ入社。
 以後、円谷プロ文芸部の中心として『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』等の企画立案と脚本を手がける。また、脚本だけではなくメインライターとしてシリーズ構成的な役割も果たしていた。
 円谷プロ作品における作風は、王道的でエンターテイメント性にあふれた脚本が多かったが、「まぼろしの雪山」「ノンマルトの使者」などウルトラシリーズの勧善懲悪主義にマイノリティの立場から疑問を投げかけるアンチテーゼ的な作品も目立っていた。
 1969年に円谷プロを退社し、沖縄に帰郷する。
 その理由は判然とはしていないが、『マイティジャック』と『怪奇大作戦』の興行的失敗によって円谷プロの規模や自身の立場が縮小され、従来のように腕を振るえなくなったこと、沖縄の日本返還を控えて返還時には沖縄にいたかったこと、作家としての本人の迷いなどが多くの人の証言から推察されている。

 帰郷後は、沖縄のテレビやラジオ、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍したが、自身の郷土に対する意見が地元に受け入れられない苦悩があったと伝えられる。

 1976年2月23日に、自宅2階の仕事場へ直接入ろうとして転落し、3日後に脳挫傷のため死去した。享年37歳。

 『帰ってきたウルトラマン』は、円谷プロ退社後の作品であるため企画には参加しなかったが、所用で来京した際に依頼を受け第11話を執筆している。この作品がウルトラシリーズとしての遺作となった。