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Chapter 2 「ジョン・ライダー」

どのくらい時間が過ぎたのだろう。
雨が窓ガラスを叩く音で、わたくしは目を覚ました。
窓から見えるカリフォルニアの地は、暗く、建物が何もない、無の世界だった。
車はカリフォルニアの街からすでに砂漠のハイウェイへと走っていたのだ。
ジムがいなければ、本当につまらない旅になっていただろう。

「あ、お嬢様。ご気分はいかがですか?」

「そこそこ……といったところですわ」

「もうすぐカソリンスタンドがありますので、そこで給油します。……ついでに何か食べていきますか?」

「結構ですわ。ガソリンスタンドで買い食いなんて、はしたないですわ」

わたくしは正直なところ、その時は本当にお腹が空いていた。
でも、レディとしての振る舞いと、ジムに対するメンツから、その好意を拒否してしまった。
本当はありがたいのに……。
すると、わたくしの本音を告げるかのように、……恥かしい事に、お腹のお虫さんが鳴いてしまった。
わたくしは顔から湯気が出る程恥かしかった。
それでも、ジムはいつものはにかみ顔で、こう言ってくれた。

「気にすることありませんよ。ご無理でもなさって体調を崩されることが心配です。……ここは僕とお嬢様の秘密ということで」

「……そこまで言われてしまっては、返って断るのが無作法になってしまいますわね。よろしいですわ。ここはジムの言う通りに致しますわ」

「そういう事にしておいて下さい」

ジムの笑顔。
従者としての顔を持ちながらも、敬いつつ対等に接してくれる人。
この人柄が、わたくしは気に入っていた。
車の中の空気はジムが作り出した楽しい雰囲気に包まれていた。
……けれでも、その雰囲気は一瞬にして吹き飛んでしまった。
車の前……ハイウェイの上に人がいる……!

「危ない!!!」

わたくしは思わず叫んでしまった。
ジムもフロントガラス越しから見えるその人影を見て驚いた。
次の瞬間、わたくしは後部座席を揺らされて、横に倒された。
ジムの運転する車がブレーキをかけ、おそらく人影を避けようとしたのだろう、ハンドルを切ったために車が横滑りをしたのだ。
まるで遊園地の絶叫マシンのような重心移動に、肝がつぶれる思いだった。
タイヤが擦れる高い音が鳴り、景色は横に流れていく。
そして、車は横滑りした後、止まった。
わずかな間だったが、本当に肝が潰れるような思いを味わった。

「だ、大丈夫ですか?お嬢様……」

「へ、平気ですわ……」

車は人影を避けるように半円を描き、人影の反対側へと廻っていた。
人影はジムが覗き込んだバックミラーに映っていた。
すると人影は、さっきのスピンをまるで何もなかったかのような仕草で、こっちに近づいてきた。
暗い闇に包まれた黒い人影。
最初に見たときはライトの反射で見えなかった。
まったくの謎の人物だった。
その人影が近づいてきた。
不気味な影を背負っているように、わたくしには見えた。

「お、降りて怪我がなかったか聞いてきます……」

ジムはそういうとシートベルトを外し、ドアを開けようとした。
けれども、わたくしは急に一人になる事が不安になってジムが降りようとする手を止めた。

「お、お待ちになって……!ジムがそんな事をする必要はございませんわ……」

「しかし……」

「ハイウェイの上に突っ立っていらしたのよ!?しかも、わたくし達の車を避けようともしませんでしたわ!」

「……お嬢様」

わたくしは怖かった。
きっと変な人なんだわ。
バックミラーに映る暗い人影が寄り一層そう思えて仕方がなかった。
そしてその影はどんどん近づいてくる……。

「ジム、早く車を……!」

「は、はい…!」

ブレーキで止まったエンジンを、ジムはキーを捻って動かそうとする。
だが、エンジンはかかるかと思ったら、……かからない。
ジムは何度もキーを捻ってエンジンをかけようとする。
恐ろしい人影は、その間にもどんどん近づいてくる……。
わたくしは、ただ祈るばかりだった……。

(はやくかかって……。お願いですから……早く……!)

何度も祈った。
すると、何度目の祈りかはわからないが、その祈りが届いたのか、エンジンが大きな音を立てて始動した。
安堵すると、わたくしはジムを急かした。

「ジム、早く…!」

「はい…!」

人影は、車が遠ざかるのと同時に歩みを止めた。
バックミラーに映る闇の人影は、どんどん小さくなり、やがてハイウェイの向こうへと消えていった。
はっとため息をついて胸に手を当てると、心臓の鼓動が早くなっていた。
気がつくと、額から汗が流れていた。
わたくしはそれをハンカチで拭いた。
するとジムがこう言ってきた。

「大丈夫ですよ、お嬢様。……別荘に着いたときには笑い話になってますよ」

ジムの細かな気遣いが嬉しかった。

「そうですわね……。あんな思いしたのは初めて」

「僕もですよ。……初めてスピンしましたよ」

そう言って、ジムはスピンした事を笑いながら話す。
さっきまでの事を笑い話にして終わらせようとする彼の気遣いだ。
わたくしも、それにのることにした。

それから程なくして、ガソリンスタンドが見えた。
スピンした位置から遠いか遠くないか、微妙な場所だった。
砂漠の真ん中に位置するガソリンスタンドは、ハイウェイを運転する人にとっては欠かす事の出来ない場所なのだろう。
ジムは車を給油機の横に止めると、こう言った。

「中で何か食べる物を買ってきます。……といっても、お嬢様の口に合うかどうか……」

「心配無用ですわ。まともな物なら、文句など言いませんわ。……それに、気分転換でもしたいですから、一緒に参りますわ。」

そう言って、自らドアを開け、雨など気にせず、スタンドの中へと向かった。
ジムは慌ててわたくしの後をおいかけてきた。
その様子がおかしくて、わたくしは思わず笑みがこぼれた。
入ると、スタンドはそれなりの広さを持った店で、日本でいうコンビニのような感じだった。
レジではバーベキューが焼かれており、少し柄の悪そうな男性が、顎を引いて上目遣いで入ってきた私たちを見た。

「よう、ひどいな、ずぶ濡れだな」

「わかってらっしゃるのなら、タオルでも持ってきて下さいまし?」

「ここはホテルじゃないぜお嬢ちゃん。そういうのは、悪いがセルフサービスだ。ウチでタオルでも買って使いな」

「ジム。わたくしはタオルを探しますわ。あなたは何かいい食べ物がないか探してくださいまし」

「はい、お嬢様」

わたくしはそういうと、商品棚の奥へタオルを探しに向かった。

「『お嬢様』ぁ?あの子はどっかのお金持ちの娘なのか?」

「そうです。『雪広家』ですよ」

「……ふ〜ん、知らねぇなぁ」

「なら、お休みの日にでもベガスにでも行ってみて下さい。ホテルを所有してますから」

ジムと店員の男は、わたくしが場を離れた後も話を続けていた。
それでも、ジムは店内を見回して食べ物を探していた。

「悪いが、店には俺一人だけなんだよ。滅多な事がない限り、空けるわけにはいかねぇんだよ」

「……そうですか、残念です」

ジムの発音からして、さして残念そうでも無さそうだった。

「なぁ、アンタ達の車ってアレか?あの高級車」

「えぇ、それが何か?」

「へぇ〜、いいねぇ……。女とヤレる車だ。あの車なら、女の方から寄ってくる」

店員の下品な物言いを、ジムは受け流したようだ。
だが、店員は勝手に話を続けた。

「俺の車はカマロだ。まぁ、兄貴のお下がりだけどよ。今は車庫で改造中よぉ。女を釣れるようにビシッ!と決めるんだよ。ハイウェイもぶっ飛ばずぜ……!」

「あ……。そういえば、ここに来る前にハイウェイに人がいたんだけど……」

「近いのか?」

「えぇ、車で数分程……」

「なら、心配いらねぇよ。ここには歩いても来れる距離だ。それに、どっかのだれかがここまで乗せて来るかもしれねぇし」

タオルの入ったビニールの商品を手に取ると、わたくしはジムの元へと戻っていった。
途中、店員が親指を店の外に指した。

「ほら、あんな風によ」

外を見ると、大型のトレーラーがスタンドに入ってくると、助手席から黒に近い紺色のトレンチコートを着た男が出てきた。
トレーラーの運転席に礼の代わりに手を上げると、襟を立てて、駆け足で店内に入ってきた。
……その時、わたくしの心臓は鷲掴みされたように、胸が苦しくなった。
ふぅ、と息をつくと、襟を広げてその顔をはっきりと見せた。
30代頃の金髪の男性……彫りは深く、ワイルドな顔つきをしている。
ダンディーな中年男性好きのアスナさんなら喜ぶような、そんなタイプをしている。

「あの、もしかして……さっきハイウェイにいた人ですか?」

ジムがおそるおそる聞いてきた。
わたくしは、もしかしてではなく確信していた。

「……あぁ、あの車は君だったのか」

あのハイウェイの真ん中にいたあの男だ。

「すみません。動転して思わず……」

ジムは男を置き去りにした事を謝った。
そんな必要はないのに……。

「いや、いいさ。私だって、君と同じなら、……同じような事をするさ」

男は笑って、ジムにそう言った。
だが、わたくしにはその笑顔がとても浮ついた……表面上だけものにしか思えなかった。

「ここから、一番近いモーテルまでどのへんかね?」

男が店員にそう言った。

「モーテル?だいぶ東の向こうだぜ。歩いていったんじゃ日が暮れちまうぜ。……もう夜だけどよ。」

店員の寒いジョークを受け流して、男はジムにこう言った。

「君は、どっちに向かうんだい?」

「僕ですか、僕は……東に行きます。同じ方向ですね」

「……よかったら、乗せていってくれないか?モーテルまで」

その言葉を聴いて、わたくしはたまらず二人の間に入った。

「ジム、この方は?」

わたくしはわざと知らない振りをしてジムにたずねた。

「この方は、さっきハイウェイにいて、轢きそうになった人で……。モーテルまで乗せていってほしいそうです」

「同じ方向?」

「みたいです」

店員が間に口を挟んだ。

「こんな天気だし、他の車は滅多にこねぇよ。悪いけどアンタ、ここに泊まろうなんて考えるなよ?ベッドは俺の分しかねぇからよ」

常識的に考えれば、ここは親切で乗せていってあげるべきだ。
ジムの様子からして、この男に負い目があると思っているようだ。
本当は不気味な見ず知らずの人を乗せたくはないのですけれど……。

「どうでしょう、同じ方向ですし……」

ここで拒否したら後味悪い。
わたくしも、ジムと同じように、置き去りにしてしまったこの男に、少なからず負い目があった。
だから、こう答えてしまった。

「よろしいですわ。モーテルまで、お連れしますわ」

男はその言葉を聞くと、ニヤリと頬を歪ませた。
愛想を浮かべてるつもりだろうが、嫌らしくて不気味にしか思えない。
男は手を差し出して、こう名乗った。

「ジョン・ライダーだ」

わたくしは手をとり、同じように名乗った。

「雪広あやかでございます。お見知りおきを」

それを聞いた男——ジョン・ライダーは愛想笑いをすると、

「『お見知りおきを』、か。ハハハ……」

と言って笑った。

給油をし終わったジムがスタンド内に入り、ホットドックを口にしているわたくしと、スタンド内を物色しているジョン・ライダーに、出発の用意が出来たと言ってきた。
わたくしは最後の一口を食べると、雨が降りしきる中、急いで車に向かって駆けていった。
わたくしが後部座席に座ると、ジョン・ライダーは助手席に座った。
塗れたコートの雫がシートやカーペットに付く事などお構いなしといった様子だった。
ジムが運転席に座ると、ようやくして、ガソリンスタンドから出発した。
出発してから沈黙が車内を支配していた。
わたくしは沈黙に耐え切れず、ハンドバッグに入れていたペーパーバッグの洋書の小説を取り出して読み出した。
沈黙に耐え切れなかったのは、ジムも同じようだった。

「生まれはどこですか?」

どうでもいい世間話で空気を和ませようとしていた。
だが、ジョン・ライダーの答えも、つまらない答えだった。

「あっちこっちだ」

ジムは小さなため息をついた。
すると今度はジョン・ライダーの方から話しかけてきた。

「あんたたちはどこへ行くんだ?」

「え?あぁ、ラス・ベガスへ。別荘のホテルがあるんですよ」

「へぇ、いいじゃないか……」

暫く間を置くと、こう言った。

「かわいい娘じゃないか……。彼女か?」

ジムは苦笑いしながら返答した。

「いえ、そういうのでは……」

だが、その言葉をさえぎるようにジョン・ライダーは耳を疑うような事を言った。

「何発ヤった?」

ジムは驚いて、

「……えっ?」

と、聞き返す事しか出来なかった。
わたくしだって驚いた。
おかげで本を読むのに集中できなかった。
なんて下品な男……。
嫌な男を乗せてしまった……。
場の空気が一気に悪くなった。
それでも、ジョン・ライダーは構わず聞いてきた。

「簡単な質問だろ。……何発ヤった?」

ジムは答えられない。
当たり前だ。
わたくしを前にして、どう答えをするというのだ。
ジムはしばらくして、意地になったのか、こう切り替えした。

「奥さんとは何発?」

奥さん……という単語が出てきた。
この男は結婚しているのか?

「……いない。ひとりだ」

「それじゃあ、なんで左手の薬指に指輪を?」

ジムが切り返した言葉の根拠は、男の指にしていた指輪だったようだ。
ジョン・ライダーは嫌らしい笑みを浮かべながら、こう言った。

「コレか?……コレを付けていたら、誠実な男だと思われるからな」

その言葉がきっかけで、わたくしは本をバッグにしまい込むと、二人の様子を伺った。
男……ジョン・ライダーの意図がまったく読めない……。

「誠実……じゃあないんですか?」

ジムが怪訝そうにそう言った。
すると、男はカップスタンドに置いてあったジムの携帯を手に取った。

「おい、アンタ!?」

携帯を開くと、男は両手に持ち、こう言った。

「あぁ。……そうだ」

その言葉が終わると同時に、携帯は音を立ててへし折られてしまった……。

「何するんだ!!」

ジムは激昂した。
当たり前だ。
当たり前の反応だ。
こんな事をされれば……。

「頭にきた……。もう、ここで降りてくれ!」

ジムは速度を緩め、路肩に止めようと、ハンドルを右に切った。
だが……。

「……っ!?」

男がジムのハンドルを持つ手を押さえ、ハンドルを戻した。
そして、次の瞬間、わたくしは思わず口を押さえて息を呑んだ。
コートのポケットからナイフを取り出し、柄のボタンを押してナイフの刃が飛び出た。
そしてハンドルを押さえていた左手を、ジムの右ひざに置き、力強く抑えた。
アクセルを踏んでいるその足はどんどん力が入り、速度は増していった。

「そのまま運転を続けろ……」

目の前をモーテルが通りすぎる。
泊まりたいと言っていたモーテルだ。
だが、それが目的ではないのは、わかってしまった。

「な、何が望みなんだ……?金か……?」

ジムはおそるおそる、恐ろしい男に変貌したジョン・ライダーに尋ねた。
声には震えが入っていた。
わたくしには、ジムの恐ろしい気持ちがわかっていた。

「いいや……金はいらん」

男は冷徹に、淡々と答えた。
ナイフには赤黒い模様が付いていた。
それは明らかに……乾いた血が付着していたものだ。
男はそれを剥がすようにイジっていた。

「じゃあ、この車か……?」

ジムは震えながらも、男に尋ねた。

「いいや……。車もいらん」

わたくしは恐ろしい男に悟られないように、ハンドバッグに手を差し込んだ。
その先は携帯電話がある。
警察に助けを求めなくては。
わたくしは、恐る恐る、番号の「9」を押した。

「じゃあ、何が望みなんだ!!」

ジムが叫んだ。
そのジムを、男はあの嫌らしい笑みで笑った。
わたくしは、続けて「1」の番号を押した。

「望みか…?望みは……」

そして最後の「1」を押した。
これでコールを押せば警察に繋がる——。
そう思った瞬間、急に髪を引っ張られ激痛が走った。

「あぁっ!」

悲鳴が口から飛び出した。
目を開けると、男がわたくしの髪を鷲掴み、左目の近くにナイフの刃先を近づけていた。
ほとんど密着状態で、目の下からそのまま刺そうと思えば刺せる位置だった。
わたくしは恐ろしさのあまり、震え、目から涙がこぼれた。
男はその涙をすくい、ナイフの刃に伝えさせた。

「お嬢様に手を出すな!」

ジムはわたくしの方へ体を向けて叫んだ。
わたくしは声にならない声を上げて、ジムに助けを求めた。

「俺の望みは何かって聞いたな?……こう言えばいいんだよ」

男の次の言葉に、わたくしは、そして恐らくジムも、戦慄したに違いない。

「たったの四文字だ。"I want to die. "(死・に・た・い)」

「……え?」

耳を疑った。
この男はジムに死ぬ事を求めている……!

「ほら、言えよ……。ガールフレンドの目玉がえぐれるぞ?……I(死)……?」

「あ……I(死)……。」

男の脅しと促しに、ジムは恐る恐る、続けて言った。

「ジム……駄目……」

わたくしは溢れる涙を流しながら、ジムを止めようとした。
だが、男に強く髪を引っ張られた。

「……want(に)……?」

「……want(に)……」

ジムは震えながら、男に続けて言う。
わたくしは、必死に祈った。

「……to(た)……?」

「……to(た)……」

ジム……駄目……。
言っては駄目……!

「……die(い)……!」

「…………」

ジムは震えつつも最後の一言を言わない。
最後の一言を言ってしまえば……殺されてしまう……。

「ほら、言えよ……?……die(い)……!」

ジムは限界を迎えたかのように、叫んだ……。

「……死にたくない!!!」

そう言うと、車は急ブレーキがかかり、重心が一気に前へと移った。
わたくしの眼球を刺そうとしていたナイフは離れ、男の頭部はフロントガラスに打ちつけられた。
フロントガラスはヒビが走り、そして車は止まった。
ジムは不意を突かれた男を足の裏で何度も蹴った。

「この野郎!このサイコ野郎!!」

ジムは叫びながら蹴り続けると、私にこう叫んだ。

「お嬢様!ドアを開けて!コイツを叩き出します!」

わたくしは答える間もなく、シートとドアの隙間に手を入れ、ドアノブを手探りで探した。
そしてドアノブの感触を確かめると、躊躇わず引いた。
ジムの蹴りが男に当たると、そのままドアは開き、男は車外へと放り出された。
それを確認すると、ジムは急いで車を発信させ、ドアを閉めた。
恐怖を運んできた男は、わたくしたちの車から消えうせたのだ。

「お嬢様、大丈夫ですか!?」

「……これが大丈夫に思えまして……?」

わたくしは涙交じりの鼻声でジムに答えた。
恐ろしくて恐ろしくて……涙が溢れ出て止まらなかった。
ハンカチで目を押さえると、気丈に振舞った。

「わたくしは……大丈夫ですわ。ジムのほうこそ、大丈夫ですの?」

「ぼ、僕は大丈夫です……」

ようやく落ち着いたわたくしは、ハンカチをバッグに戻すと、ある事に気がついた。
……携帯電話が……無い!

「どうかなさったんですか?」

「携帯が……無くなってしまいましたわ」

まさか……あの男と一緒に外へ……?
わたくしは意気消沈してしまった。
これでは警察や家族に連絡が出来ない……。
わたくしはバックミラーを見た。
あの男の影がないか、不安だったからだ。
幸いにも、あの男の影はなかった。
ようやく、安堵できた。

恐怖の出来事は、これで終わった。
その時は、本当にそう思っていたのだ。