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Chapter 6 「モーテル」

どのくらい歩き続けたのか……。
夕日はすでに、荒野の中へと沈み、暗闇が辺りを支配していた。
わたくし達は無言のまま荒野を歩いていた。
会話など必要なかった。
不思議な事に、たった一日でわたくし達の絆は深い物になっていた。
言葉など要らない、要るのは互いの存在だけ。

岩肌の露出した丘を登ると、明るいネオンのモーテルが見えた。
明らかに安宿だが、文句を言える余裕などない。
以前のわたくしならば、あんな安宿など死んでも泊まりたくないと、駄々をこねていただろう。
けれども、今のわたくしには、やっと訪れた安らぎの場に思え、有難かった。
モーテルには、何台もの大型のトレーラーが駐車しており、ハイウェイを通るトレーラーの運転手が良く利用するのだろう。
わたくし達は各々が持っている銃を見られないように隠しながら、モーテルまで近づいていった。
管理人らしき人物は場を離れているようだ。

「今がチャンスです。無人の部屋に忍び込みましょう」

文句があろう筈もなかった。
ジムは、窓から部屋の中を見て、無人かどうかを確かめていた。
いくつか見て回ると、どうやら無人の部屋を見つけたようで、部屋の窓に近寄ると、窓を開けた。
窓は簡単に開いた。
……ここの経営者は、このモーテルの警備システムを把握しているのだろうか?
簡単に入り込めたら、いくらでも不審者が侵入してしまう。
だが、そんな心配はいくらしても無駄だという事はわかっている。
わたくしは銃を持つ手を硬く握りしめた。
自分の身は自分で守れ———ここに来て、イヤという程教わった教訓だった。
ジムは窓から部屋に侵入すると、ドアの施錠を外し、ドアを開けてわたくしを中に招き入れた。

「お嬢様。部屋の電話で、別荘のホテルに電話を……」

言われなくても、わたくしは既にベッドの横に備え付けてある古い電話機に向かっていた。
受話器を取ろうとした瞬間、わたくしは意気消沈してしまった。
怪訝に思ったのだろう、ジムが声を掛けてきた。

「……お嬢様?」

わたくしはジムの疑問に答えた。

「この電話……フロント専用ですわ」

「……そんな!?」

ジムの落胆する声が部屋に響いた。
わたくしだって同じ気持ちだ。
けれども、物は試し、と受話器を取った。
電話機のたった一つしかないボタンを押すと、受話器からコール音が鳴った。
けれども、いつまでたってもフロントは電話を取らない。
やはりフロントには誰もいないのだ。
再び落胆すると、受話器を置いた。
わたくしは無言で首を振った。

「……クソっ!」

ジムは荒い息を立て、怒りを部屋の壁にぶつけた。
何度も何度も、拳を壁に打ち続けていた。
ジムは荒い息をようやく落ち着かせると、わたくしにこう言った。

「お嬢様はここで休んでいてください。僕は近くに電話がないか探してきます」

「ジム……」

わたくしは急に不安になり、ジムの胸に飛び込んだ。

「ごめんなさい……。わたくしのせいで……こんな事に……」

ジムは暖かい笑みでわたくしを向かえると、優しく頬を撫でてくれた。

「お嬢様のせいではありませんよ……。責任を感じる必要はありません……。今は……前だけを向きましょう」

ジムの添える手を、わたくしは握りしめた。
自然と涙を嗚咽が漏れた。

「ジム……!ジム……!」

わたくしの心は崩壊寸前だった。
アメリカに来てから、恐怖の連続だった。
およそ中学生が味わう事のない恐怖を、突然不条理に味あわされた。
それでも……それでもジムがいてくれたから……わたくしは生き延びる事が出来た……。
ジムがいなかったら、わたくしは既に心身ともに死んでいたはずだ。
……既にわたくしにとって、今やジムが唯一の心の支えだった。
そんなジムがわたくしの傍から離れようとしている。
そう思っただけで恐ろしくなった。

「大丈夫ですよ、お嬢様……」

そう言って、ジムはわたくしの溢れる涙を手で拭ってくれた。

「……15分で戻ります。……待ってて下さい」

ジムはそう言うと、わたくしを身体から離すと、ドアノブに手を掛けた。

「……ジム……」

ドアを開けると、ジムは振り返り、わたくしを見つめ返した。
気丈にも、爽やかで朗らかな笑顔で……。

「大丈夫ですよ……お嬢様」

……わたくしは、その時の、ジムを笑顔を忘れる事が出来ない。
ジムはわたくしを励ますように、笑顔のまま部屋を出た。
急に部屋にひとり取り残されたわたくしは、やり場のない不安を胸に抱えたまま、ベッドに倒れこんだ。
そして、ひとり部屋の中で、泣いた。
わたくしはひたすら心の中で自分を責めた。
ジムはわたくしに、責めることはないと言ってくれたけれども……。
わたくしには、自分を責める事しか出来なかった。
短気でアメリカに来なければ、ジムを巻き込まずに済んだ……。
あの男に付け狙われるような事もなかった。
そして、いつものように、あの賑やかな学校のクラスメイトと、愛らしい先生と、楽しい笑顔に満ちた生活を送れたはずだ。
……それを捨て去ったのは、わたくしなのだ……。

(ごめんなさい……ごめんなさい……)

ふと、目に砂埃が入った。
その時ようやく、わたくしの身体が誇りまみれになっていることに気付いた。
わたくしは身体を起こすが、まるで甲冑を背負ったかのように重く感じた。
それでも、わたくしは身体を起こし、シャワールームへと向かった。
ベッドの横に置いたリボルバーを手に取り、洗面台の前に立った。
……酷い顔をしている。
何度も泣きはらした顔をしており、涙の跡や、埃に塗れた汚い顔になっている。
……こんな顔でジムに抱きついたのかと思うと、恥ずかしくなった。
涙をぬぐい、鼻をすすると、洗面台にリボルバーを置き、シャワールームの扉を施錠した。
ワンピースを脱ぐと、それを手にとって見つめた。
汗と砂埃……そして血に塗れ、すっかり美しさを失っている。
靴とキャミソールとショーツも脱いで、身に纏う物を一切排除した。
バスタブに入ると、ノブをひねって、シャワーからお湯を頭から被った。
バスタブの排水溝に泥の濁った水が流れていく。
……わたくしはただ、バスタブの上に突っ立ったまま、頭からお湯を浴びるだけだった。
何を考えるでもない、ただ虚しい気持ちを胸に抱いたまま、亡霊のように立っていた。
……はやく帰ってきて欲しかった。
……ひとりになることが、これほど孤独で、恐ろしく感じたのは初めてだった。
もう二度と戻ってこないのではないか、そんな気すらしていた。
わたくしは、怖そうな心を必死に奮い立たせて、自分に言い聞かせた。

(あやか……ジムを信じるのです。ジムはいつだって……わたくしの味方でしたわ)

ジムを信じる他はない。
たったそれだけの事なのに、それを信じればいいだけなのに、今にも心が折れそうな程不安だった。
わたくしは思い立ったかのように、バスタブから出ると、濡れた身体のまま洗面台に向かって対峙した。
雫が滴るわたくしの裸体は、まるで痩せ細って今にも死んでしまいそうな程、貧相に写っていた。
ロングの髪が肌に張り付くのも構わず、わたくしは洗面台に置いたリボルバーの上に手を置いた。
そして祈った。
さながら、リボルバーは聖書か十字架のようでもあり、頭からお湯を被ったわたくしはバプテスマの洗礼を受けた巡礼者のようでもあった。

(信じるのです……ジムを……信じるのです……)

何度も……何度も……自分に言い聞かせた。
そしてリボルバーを手に取ると、鏡に写った自分の額に銃口を向けた。
鏡に写ったわたくしも、銃口をこちらに向けている。

「…………バン…………」

わずかに漏れるような声で、そう呟いた。
リボルバーを再び洗面台に置くと、汗で汚れたショーツとキャミソールとワンピースを着た。
そしてすっかりくたびれた靴を履いて、洗面所から出た。
洗面所から出ると、ベッドの横の時計を見た。
……それを見て、わたくしは急に不安に駆られた。
必死に自分に言い聞かせていた事が崩れそうになった。
あの時……ジムが部屋を出てから……すでに15分以上経っていた。
約束の15分が過ぎても……ジムは戻ってこなかった。

「…………ジム?」

たったひとりきりの部屋で、わたくしはジムを求めた。

「…………ジム?」

なぜ戻ってこないの……?
わたくしは、嫌な予感が脳裏に浮かぶのを必死で消そうとした。

(そんな事……ジムは必ず戻ってきますわ……そう申していたでしょう……!)

さっきまでそう言い聞かせていた事が、まるで現実味の無い絵空事のような気になっていた。
わたくしは待ち続けた。
けれども、どんなに待っても、ジムは戻ってこなかった……。
どんなに待っても……ジムは戻ってこない……。

「……ジム……。……ジム……!」

とうとう、不安が心を支配した。
不安と恐怖に駆られ、わたくしはリボルバーを持って部屋を飛び出した。
部屋を飛び出すと、大型のトレーラーが目の前を横切っていた。
とっさに、後ろに銃を隠した。

「…………ジム?」

トレーラーが並ぶ駐車エリアと、それを囲むモーテルの部屋の間を、わたくしは彷徨った。
ひたすら、ジムの名を呼びながら。

「…………ジム?」

すると、1台のトレーラーが駐車エリアから出て行った。
……その時、わたくしの目に信じがたくて恐ろしい光景が姿を現した。

「ジムっ!!!!」

わたくしは思わず叫んだ。
ジムが……あのジムが……二台のトレーラーに、鎖で両手両足を繋がれ、宙吊りになっていた……。
まるで橋のように、二台のトレーラーの間に、ジムの身体が引っ張られ、揺られているのだ。
ジムは苦悶の表情でわたくしを見つめていた。
恐ろしい光景だった……。
あの鎖で繋がれている2台が離れた瞬間……ジムの身体は……。

「ジムっ!!!!いやぁあ!!!!!ジムっ!!!!」

急いでジムの元に駆け寄った。
ジムはハンカチかバンダナのような物で口を塞がれ、満足にしゃべる事も出来なかった。

「お、お嬢様……!」

「ジム……!いやぁ……!ジム……!」

自然と涙と嗚咽が漏れた。
涙で揺れる視界に構わず、ジムの両手を縛りあげている鎖を解こうとした。
けれども、鎖は鋼鉄製で、何重にもジムの両手両足を縛りあげている。
おまけに、南京錠で鎖が外れないように施錠されていた。
わたくしの力では、到底ジムを解放することなど出来なかった。

「ジム……ジム……」

涙で顔を歪ませ、ジムの身体に寄り添うことしか出来なかった……。
……すると、ジムの足の方に繋がれているトレーラーが、けたたましい音を立てた。
そしてエンジンを吹かす音がすると、わずかにトレーラーが前に進んだ……。
次の瞬間には、ジムの身体は跳ね上がり、しなった。

「ヴゥ……ウウウウウウアアアアッ!」

ジムの悲痛な声が上がった。

「いやあああああああああああっ!」

……その時、わたくしはジムの身体が引き裂かれると思った。
だが、すぐに、トレーラーは停止した。
ほんのわずか前に出ただけだった。
だが、さっきより、より一層ジムの身体は張り詰められていた。
わたくしは、動き出したトレーラーの方を向いた。
……トレーラーのサイドミラーに……ジョン・ライダーの顔が写っていた。
わたくしは、ジムをしばらく見つめると、トレーラーに身体を向け、歩みを進めた。
……ジムを助けるには、あのトレーラーを止めなくてはならない。
……それはつまり、あの男と対峙するという事なのだ。
リボルバーのグリップを持つ手に力が入った。
わたくしと……ジョン・ライダーは、サイドミラーを隔てて顔を向けあっていた。
トレーラーの助手席のドアに近づくと、わたくしは勢いよく開けた。

「止めなさい!!!!」

そう言うのと同時に、銃をジョン・ライダーに向けた。
その時、改めてジョン・ライダーの姿を見た。
あの何度も見せたあの嫌らしい笑みは消え去り、顔中を汗で滴らせていた。
いつもとはまるで違っていた。
あのジョン・ライダーが、何かに追い詰められているかのように、冷や汗をかいて、緊迫した顔をして前方のフロントガラスを見ているのだ。

「出来ない……」

目を見開いてわたくしに振り返るジョン・ライダーは、余裕のない声でそう言った。

「エンジンを止めるのです!!!!」

ジョン・ライダーは汗を滴らせながら、自分の足元を見た。

「……この車のクラッチは気難しくてな……」

そういうと左膝を小刻みに上げ下げした。
そのたびにエンジンはうなり声をあげ、わずかにトレーラーは前に進んだ。
そして、……ジムの悲痛な声があがった。

「……半クラッチだ……!」

ジョン・ライダーの額に流れる汗が、顔を伝わり、顎から滴り落ちた。

「撃ちますわよ!!!!」

わたくしは、おそらく、生涯でこの時より前に、こんなに気性を荒立たせ、ヒステリーのような怒鳴り声を上げた事はなかった。
だが、ジョン・ライダーはわたくしの脅しに、まったく変わらない態度で、こう切り替えした。

「……足が離れてトレーラーが動き出すぞ……?」

それは、ジムの死を意味していた。

「……乗れよ」

ジョン・ライダーはそう促した。
余裕などない……切迫した表情だった。

「……乗れよ!!!!」

わたくしが躊躇しているのを見て、ジョン・ライダーも気性を荒げ、吠えた。
それに気圧されて、わたくしは震える足で段を上り、トレーラーの助手席に座った。
その際に、何度も何度もジムを振り返った。
ジムの悲痛な声を上げる度に、わたくしは心が張り裂けそうになった。

「……閉めろ」

ジョン・ライダーの促しに、今度は躊躇なく従った。
トレーラーは密室となり、わたくしとジョン・ライダーだけの世界になっていた。
そしてもはや、ジムの命は、ジョン・ライダーの気持ち次第……一挙手一投足次第だった。

「エンジンを止めて……」

「…………」

「お止めなさい!」

ようやく、ジョン・ライダーは笑みを浮かべた。
だが、それは眼球を見開き、顔を引きつらせた、今まで見た一番恐ろしい笑みだった。

「できない……」

その言葉に、わたくしの声は力を失っていった。

「できますわ……」

「ムリだ……。できない……」

わたくしの声は、もうほとんど懇願に近かった。

「異常ですわ……」

わたくしのその一言に、ジョン・ライダーは過敏に反応した。

「異常だと……?まだ何もわからないのか……?」

わかるわけがない……!

「一体何が望みなんですの!!!!」

わたくしは叫んだ。
すると、ジョン・ライダーは、こう答えた。

「銃を突きつけろ……。ここだ……」

そう言って、右手で自分の額を叩いて指した。
わたくしは促されるように従った。
すると、目にも止まらない早さでリボルバーの銃口を掴むと、自分の額に押し当てた。
わたくしは思わず、悲鳴を上げた。

「……チャンスだぞ……?泣き虫の恋人を助けられるぞ……?」

「やめて!!!!言わないで!!!!」

涙が溢れ出て止まらない。
本当は、この男を殺したい……。
殺したくてたまらない……。
しかし、そんな事をすれば……。

「俺を止めてみろ……。俺を止めてみろ……。俺を止めてみろぉおおお!!!!」

ジョン・ライダーは叫んだ。
それは悲痛なまでの叫びだった。
挑発しているようにも聞こえるが……わたくしにはまるで『自分を止めてくれ』、と懇願しているようにも思えた。

「"I want to die. "(死・に・た・い)」

ジョン・ライダーに押し付けている銃口が、額を何度も歪ませている。

「さぁ……やれっ!!!!」

ジョン・ライダーの悲痛な叫び声が上がった。
その時、外からサイレンの音が鳴り響いた。
警察のサイレンだった。
わたくしはフロントガラスから外を見た。
何台ものパトカーがモーテルに入ると、わたくし達のトレーラーを囲むように停止し、何人もの警官が降りてきた。
おそらく事態の異様さに気付いた、管理人か部屋にいる人間が通報したのだろう……。
警官達はパトカーから降りると、ジムの処刑場となってしまっているこの状況を把握したのか、わたくし達に銃を向けていた。

「警察だ!!銃を捨てろ!!」

トレーラーの中で銃を持っているのは……わたくししかいない。
だが、わたくしは銃を捨てることなど出来なかった。
今、銃を捨てたら……。

「……あんな奴ら、ほうっておけ」

何人もの警官が、銃を捨てろと口々に叫んでいた。
……もうわたくしには、懇願することしか出来なかった。

「……お願い……エンジンを止めて……」

「……なら、早く撃てよ……。さぁ、早く……!」

「できませんわ……」

ジョン・ライダーはまるで脅すかのように、またクラッチを少し戻し、トレーラーを前進させた。
ジムの悲鳴があがり、……ついにわたくしの心は折れた。

「……お願い……彼を傷つけないで……放してくださいまし……」

たったその一言だけ言うと、わたくしは力を失い、銃を座席に降ろした。
わたくしは、座席に手をつき、……ほとんど土下座の状態で懇願していた。

「……お願い……彼を……傷つけないで……お願い……」

ジョン・ライダーは、わたくしのその姿を信じられないといった表情で見ていた。
こんな顔をするジョン・ライダーを見たことがなかった。
そしてみるみる……失望と怒りの表情へと変わっていった。

「クソぉぉっ!」

わたくしは、その怒号を全身に浴びるしかなかった。

「……役立たずめ……。まるでカスだ……。失望したぞ……!?」

そう吐き捨てた。
…………そして、ギアを動かし、エンジンを吹かした……。

「いやああああああああああああああああああ!!!!!!」

トレーラーが前進し…………ジムの悲鳴が上がり…………そして…………肉の引き裂かれる音がした。

「いやああああああああああああああああああ!!!!!!あああああああああああああああああ……!!!!!!」

それが何を意味するのか…………わたくしは想像もしたくなかった。