id:matsunaga

「id:matsunaga」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

id:matsunaga」(2011/06/17 (金) 14:05:09) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

うつ病(詐病!)にかかったオウム真理教信者。自称ゴーストライター。 松永英明・・・屋号「ことのは編集室」を冠する自称ゴーストライター。 「Blog of the Yeah! 2003」で素性を隠したままベストアーティクル部門第3位を受賞。アレフブロガーの一人。 民主党、自民党のブログ作者懇談会に出席する。2006年4月末以降長期入院していたが、9月5日に退院、以前と変わらず旺盛に活動中。 著書として「はてなの本」「ウェブログ超入門!」ジェームズ・アレン本の翻訳などがあるが一般向けでないか単著でないかのいずれか。 ・ことのは編集室 (p)ttp://www.kotono8.com/ 河上イチロー・・・反体制サイト「DerAngriff」の管理人。当時のアングラ界隈の有名人。 著書に「サイバースペースからの挑戦状」「サイバースペースからの攻撃」がある。 2000年10月23日(日付が変わる前後)にオウム信者バレによりやぶれかぶれで引退を表明。web上から姿を消す。 ・河上イチロー極限資料集 (p)ttp://www.makani.to/cult/special/kawakami.html イニシャルF.T.(F氏)・・・オウム真理教(アーレフ)サマナ番号971番。 ホーリーネームはカーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァ。 東山出版の元社長。「上祐史浩が語る―苦悩からの解放」などを出版。 実名を出すと、名誉毀損で裁判をするとわめき散らす。 松永英明と河上イチローの中の人。 ・半跏思惟 (p)ttp://web.archive.org/web/*/http://deva.aleph.to/index.shtml (p)ttp://web.archive.org/web/20031001204344/deva.aleph.to/profile.html *2ちゃんねる 河上イチロー=F氏(オウム信者?)=松永英明 関係35 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1214695071/ 河上イチロー=福井利器(オウム信者)=松永英明=きっこ関係検証31 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1225089591/ 【きっこの日記】きっこの総合スレ Part05【きっこ」て誰?福井?】 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1222703659/ *経歴 -1991年12月 - 京都大学文学部在学中にオウム真理教に入信。翌1992年5月、京都大学を除籍となり、オウム真理教に出家。 -1994年 - オウム真理教で省庁制が採用され、教団の「郵政省」出版部に配属される。「ヴァジラヤーナ・サッチャ」等の一般向け教団雑誌の記事を執筆。また、ホーリーネーム「カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァ」を授与され、「サマナ長」のステージに認定される。 -1995年3月 - 地下鉄サリン事件。強制捜査の時点で第5サティアンにいた。 -1995年9月 - オウム真理教を偽装脱会。脱会届も提出した。その後、オウム信者であることを隠しつつゴーストライターとして活動。 -1996年6月1日 - 反破防法サイト「Stop! Stop! 破壊活動防止法」を開設。1997年10月、サイト名を『Der Angriff』に変更した。ペンネームは河上イチロー。 -1997年1月 - 教団関連会社なあぷるが設立される。設立にはオウム信者が関わっていた。なあぷるでは別名義にて書籍を執筆。 -1998年12月 - オウムであることを隠しながら最初の著作『サイバースペースからの挑戦状』を雷韻出版から発行。 -1999年5月 - 『サイバースペースからの攻撃』を雷韻出版から発行。 -2000年4月 - 行き場がなくなったため上祐史浩からの誘いに応じ、宗教団体アレフに復帰。 -2000年9月 - 教団活動に専念するため、事情を明かさないままサイト『Der Angriff』を常連閲覧者数名に呼びかけて譲渡する作業をはじめた。 -2000年10月23日 - 現役信者であることを暴露され、急遽『Der Angriff』を閉鎖した。これをもって河上イチロー名義での活動を終了。10月30日、9月中に行われていたサイバッチによるオウムとの関係についての独占インタビューが暴露を受ける形で公表された。 -2000年11月9日 - 週刊新潮11月16日号に『オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」』が掲載された。本人コメントを含む記事。 -2001年8月 - 上祐史浩の書籍を発行するための出版社である東山出版が設立され、代表取締役社長に就任する。 -2001年10月3日 - 宗教団体アレフの出家信者として、ムッタ・デーヴァ名義で個人サイト『サイト・半跏思惟』を開設。 -2003年1月11日 - サイトの更新停止。その後サイトは閉鎖される。 -2003年9月9日 - 松永英明名義でブログ『ウェブログ@ことのは』開設。以降の対外活動は全て松永名義。ゴーストライターとしての活動を開始する。 -2003年12月 - Blog of the Yeah!2003 アーティクル部門3位受賞。ただし切込隊長らと同様ヤラセ。1位ではない。 -2004年5月3日 - 『絵文録ことのは』に改名。 -2005年10月31日 - オウムの素性を隠し民主党のブロガー懇談会に出席。後にこの行為は、アーレフ現役出家信者の政治への接触として波紋を呼ぶ(いわゆる「ことのは騒動」と呼ばれる) -2006年2月1日 - 宗教団体アーレフに脱会の意図を伝えた上で、烏山の教団住居から転居。2005年末から2006年初期にかけてオウムではないかとの追及から逃げていたが折れる形となった -2006年3月7日 - FLASH3月21日号に野田敬生による『オウム信者が民主党に「宣伝戦略」を指南!』が掲載されるも、同日堂々と自民党の懇談会に出席。 -2006年4月 - 渋っていた東山出版(教団関連会社)社長の退任手続きが完了。 -2006年4月25日 - 当時オウムで流行していた結核を原因とする腸腰筋膿瘍の手術のため、九段坂病院に入院。 -2006年5月15日 - 本人によれば、この日の前後に宗教団体アーレフから公安調査庁に提出された活動報告書(4月30日時点での内容)において氏名が削除されているとのことである。二度目の脱会届提出。 -2006年9月5日 - 退院。 -2007年2月 - 自殺未遂騒動を起こす。狂言ではないかとの声。死ぬ死ぬ詐欺と揶揄される。ここには御堂岡や滝本太郎弁護士も駆けつけた。その後、2008年6月に至るまでブログ活動が休止される。 -2007年8月16日 - 「漫画実話ナックルズ」(10月号vol.55 ミリオン出版)に、シガチョフ事件を題材にとった「元信者が激白する!!オウム公安が爆破テロを阻止した日」掲載。松永は原作と記事を担当。「教団を脱会したライター」として、主人公として登場している。ひどくオウムを美化した問題作。 -2007年8月31日 - 『ワールド・インテリジェンス』vol.8(『軍事研究』 2007年9月号別冊)に、河上イチロー時代の情報収集方法等に関するインタビュー記事が掲載された。 -2008年6月20日 - ブログ記事が2006年度の県立長崎シーボルト大学と2007年度の金城学院大学の入試問題に採用されたことを図々しく発表したが、定員割れするような価値のない入試問題での掲載。オウムが書いたものを学生が判別できるかをテストするため、との声も。 -2008年6月24日 - 本人ブログにおいて、滝本太郎弁護士を差出人とし、アレフA派、アレフ中間派、ひかりの輪、およびオウム真理教破産管財人を宛先とする、「2006年2月1日頃既に脱会している」「今後とも、オウム真理教の教え、ないし麻原彰晃こと松本智津夫に帰依や観想したりまたその分派に入るものではないし、自ら分派とすることも所謂「一人オウム」であることもない」旨の脱会確認通知書が公開された。通知書の日付は2008年6月23日となっている。 *まとめ fukuitoshiki偽装脱会 http://fukuitoshiki.pbwiki.com/%E5%81%BD%E8%A3%85%E8%84%B1%E4%BC%9A
なし。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。