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『キャットの拳』



静かだ。
周囲は罵声と悲鳴、絶叫で満ちていると言うのに、我が心は今までになく晴れやかである。
蒼穹の元、穏やかな風が心地よい。
だが、場を支配しているのは張り詰めた空気だった。
二つの人族の軍勢がぶつかり合う中、私と奴は微動だにせず対峙している。
巌のごとし灰色の肌、人間の胴数本分はあるであろう太い四肢、翼のごとき巨大な耳、岩盤すらも砕く白い牙。そして何よりも特徴的な、長い鼻。
それが奴の姿だ。この種族を初めて見た時から抱いてきた畏怖が再び私の中で形を取り始める。
奴と私の体格差は優に数百倍はあろうか。
その様はまるで、蟻が山に挑むがごとし。
されど、蟻には蟻の、私には私の戦い方がある。
さぁ。目にもの見せてくれようぞ。
なあ、友よ。
「……ぱぉぉぉぉぉんっ!」
おお、喜んでくれるか。そうだな。カルタゴで初めて出会った時から、いずれこうなるであろうことは分かっていた。
我らは武に生きる者。そこに種族の違いなど関係ない。
さぁ。さぁっ!!
行くぞ、今こそ、我が秘技の限りを尽くす時!
「にゃぁぁあぁぁっ!!!」
雄たけびとともに、私は突進した。
龍虎の対決。
いや、この場合適切ではないか。
何せ我が好敵手はゾウで。
私は猫なのだから。

ふわり。
その巨大な耳を羽ばたかせ、奴は浮いた、いや跳んだっ!
二本の後ろ足で立ち上がり、次いで飛び立ったのだ。我が跳躍力を持ってしても、後ろ足にしか届かない。それこそが奴の狙いだろう。
次いで、規格外の巨象の体が回転を始める。軸足とする後ろ足を連続的に入れ替えながら、私に回し蹴りを立て続けに見舞ったのだ!
いい判断だ。だが猫の素早さを舐めて貰っては困るな!
私は攻撃をかいくぐりながら、奴の軸足へ肉薄。後ろ足で立ち上がった。
一歩。
両の前足を揃える。
二歩。
前足を、前に向ける。
三歩。
「しゃぁぁぁぁっ!」
口訣とともに両前足を奴の軸足に叩き込む!
奴の足が大きく後退する。だが浅い!?
亜音速は出たように思う。
その速度と質量の全てを、二本の前足、その肉球と言う狭い範囲から叩き込んだのだ。
それなのにこの程度とは!
軸足を薙ぎ払われた奴は、そのまま悠々と空高く飛び上がった。
やや広い間合いを取って着地すると構える。私も身構えた。
奴の長い鼻が地面から土を掴む。
何をする気であろうか?その疑問はすぐ氷解することとなった。
奴の鼻がこちらに向けられる。
「ブホォォォォッ!!」
ぬおぉぉぉぉぉっ!?
私は咄嗟に前足で岩盤を跳ね上げ、その下へ潜り込んだ。
直後。
轟音、衝撃、絶叫、悲鳴。それらがないまぜになった音が聞こえる。
嵐が収まったのを感じ取り、地上へ這い出た私は呆然となった。
奴から放射状に、地面が大きく削り取られ、後方のローマ兵たちまでもが数十人以上、肉片と化していたのだ。
鼻から噴きだした土砂にこれほどの威力があろうとは。
少なくとも攻撃力において、私の能力を遥かに超越した強敵であるのは疑いようもない。
だが……だが負けるわけにはいかん。奴らカルタゴ軍に、ローマを蹂躙させるわけにはいかぬ理由があるのだ。我が巫女のためにも。
さて。次は私の番だ。容易ならざろうと言う事は予感しておったが、手加減しては勝てない、どころか死力を尽くしても勝てるかどうか分からぬ相手ではな。
あれを使うか? だがどうやって隙を作るべきか。
まずは……少々攻め手を変えてみるか。
幸い、今は雲も少なく太陽の光は存分に降り注いでおる。
奴と目を合わせたまま、鍛え上げられた我が瞳孔を絞り込む。
徐々に……徐々に光の“波”が整い、揃っていく。
今!
「―――――っ!?」
奴が仰け反った!
滑るような歩法で歩みよりながら私は、全身を駆け巡る『雷』を束ねる。
私の目から放たれた光線は、まさしく光の速度で奴の眼球に飛び込み、そして目をくらませたのだ。達人が昼間に猫族と戦うのを忌避する理由である。
気配だけを頼りに薙ぎ払われた鼻をやすやすと避け、跳躍すると奴の下顎に肉球を一撃。
「にゃぁぁぁぁっ!」
掛け声と同時に、尻尾の先から頭まで束ねた『雷』を一気に流し込む。
びくっ!
効いたっ!? ならばこのまま―――
と行かぬのが兵家の常。
ぐら……と奴は体を落としてきたのだ。これはたまらず下がるしかない。
中々そして隙だらけか、と言えばそうとも言えぬ。なんと奴はそのままごろり、と回転して、勢いで立ち上がってしまったのだから。
「ぱぉぉぉぉぉぉん!」
怒っているな。かなり頭に血が上っているか。猫相手の戦いを熟知しているのは間違いないが、ここまで手玉に取られた事はあるまい。
さてさて。この戦い、どう転ぶことやら。

我ら猫族は、長い間人の類を従えて来た。いや、今も我らこそがこの世の頂点であると信じる猫も多い。私としては、そろそろ頂点の座を人族に譲り渡して悠々自適に暮らすのがどうか、とも思うのであるが。
人族も最近、ようやく体系だった武術、そして仙術を編み出し始めているが、2本の手という便利なものがない我ら動物族は、より早い時期から優れた武術、妖術の類を磨いてきた。
無論神や魔と呼ばれる境地へとたどり着けるのは一握りの行者にすぎぬが、それらの秘儀を極め、山を砕き、海を割り、空を裂く程の力を持つ動物族は無数に存在する。
かく言う私もその一匹だ。
遥か東の地、中原にて蚩尤と呼ばれた王の一人である。広大な国を構え、数々の動物神や幾多の人族を従えておったが……とある神仙に敗北を喫し、流れ流れて西洋の地へ辿り着いた。かつての権勢はもはやなく、従者と言えるのは代々私に仕えてきた人間の巫女が一人だけ。
その巫女も、この地で婿を取った。まことにめでたい。めでたいついでに私は彼女へ暇を出した。私のような根なし草の猫一匹に振り回されるのは余りに不憫だからである。
が。ここで問題が発生した。戦乱である。
戦はいつの世も起きる。弱肉強食は自然界の摂理であるからこれは仕方があるまい。だが、あの英雄ハンニバルが37頭もの精鋭象と数万の人族を率いて、攻めてくる、となると話は変わる。
標的はローマ。我が巫女が終の棲家と定めし都市である。
気楽な一匹旅である。中原にでも戻ろうかと思っていたが、目的変更。私はたった一匹で、偉大な英雄の軍勢と戦う事を決意した。
そうそう。もうひとつ、奴らと戦う事を決意した理由が存在する。
ハンニバル―――バアルの恵み。そう呼ばれる人間に加護を与える神仙がいる。
この地において、まさしくバアルと呼ばれるその猫こそ、我が宿敵である。かつて中原の地において、黄龍と呼ばれし英雄。我が国を滅ぼしたあの恐るべき猫も、結局は時代の流れに抗えなかったらしい。
カルタゴに今も奴がいるのかどうかは知らぬ。が、もしいるのならば私は戦わなければならない身であった。バアルによって多くの物を失ったからだ。














そのまま大きく離れて着陸すると、今度は回転速度が速くなり……ぬぅ!? す、吸い込まれる……だと!?
これは竜巻か! 奴自身が耳を利用し高速で上空へ空気を送りだすことで、周囲の空気を吸い取っているのだ!!
軽い物から宙を飛び始める。ぐぬう……っ!
砂が、石が、鏃が、しまいには人間まで!
これら一つ一つがぶつかるだけでも致命傷である。だが、今肉薄して攻撃を仕掛けるのは論外だ。奴が疲れるまで待たねば。
だが、そうはいかないようだった。
雷雲……急激な気象変動により、上空で雷が鳴り出したのである。
嫌な予感がして、咄嗟に私は跳躍した。
雷光。
私が一瞬前までいたところに、雷が落ちたのだ!
雷を自在に操る仙人や魔術師は今まで何人も見てきたが、このような手法は初めてだ。