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213 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:44:55 ID:oBVbH7lN 12月31日。年が暮れる寸前に、くるみは退院した。 右目以外には打撲や擦り傷程度の怪我しかなく、後遺症や重度の欠陥は見受けられなかった。 俺が病院に駆けつけたあの日、病室に戻った時に見たくるみは、顔を真っ赤にしており熱があった。 慌てた俺は、くるみを担いであの初老の医者のもとへ行き、検査をしてもらった結果、傷口から感染するたぐいのウィルスなどではなく、暖房にあてられたんでしょう、と医者は笑った。 後日、病院に行くと、職員らに『王子様』と呼ばれるようになってしまった。明らかにあの医者が一枚かんでいる。取り乱していたとはいえ、人生で一度するかしないかの失態だ。 心配してくれてありがとう、と慰めてくれたくるみは、まだ顔が赤かった。しかし、鏡に映る俺はもっと赤かった。 父さんと母さんは、ようやく、今ごろになって休みが取れた。ちょくちょくフルーツの盛り合わせやら服やらを送ってくれていたが、だからって許されない。 俺が角を立てて怒ろうとしたところ、くるみが気にしなくていい、と言ってくれたのでくるみのお願いを一つ聞かせることで勘弁してやった。 肝心のお願いだがもう決まっているようで、訊くと、まだ秘密だよ、と笑っていた。 214 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:45:22 ID:oBVbH7lN くるみが笑ってくれるのは、本当に嬉しい。 医者が言うには俺が来る前、くるみは大声を上げて発狂したそうだ。 無理もない。くるみ本人が言うには、事故の瞬間を今でも鮮明に覚えているらしく、退院の少し前までもフラッシュバックすることがあった。 最近は少ないようだが、一生もんの傷になりかねない。右目と同じくらい、俺は心配していた。 しかし、くるみは笑えている。傷を乗り越え、右目の不便さも克服し、今を生きている。俺にとって、これほど嬉しいことはない。 そう、嬉しいんだ。絶対に。 215 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:46:02 ID:oBVbH7lN 「キミ」 あの後に移った相部屋の人や、病院の職員の人にお礼を言いに回っていた俺は、ロビーで例の医者に呼び止められた。 「この度は、ありがとうございました」 俺が深深と頭をさげると、いいからいいから、と笑った。 「いやぁ、王子とお姫様がいなくなると寂しくなるねぇ」 「勘弁してください」やっぱり広めたのはアンタか。 「ご家族は?」 「お姫様を車に誘導してます」 「うん、だったら丁度いい」座って、と言って順番待ち用のソファーを手で指した。 俺が座ると、医者も隣に座る。「あのこと、彼女に言えたかな?」 何かが、俺の胸にチクリと刺さる。 「言えてないっス」ため息。 「そうか・・・なら、もう言わないでくれ」 「え?」 「いいかい。君自身は意識していないかもしれないが、彼女はキミに依存しきっている。非常に不安定だ」 医者は短く息をついた。 「今、その事実を伝えれば、どうなるかわからないんだよ」 異常とまではいかないが、くるみが俺に依存し始めているのは気付いていた。 216 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:46:51 ID:oBVbH7lN 明け方には必ず電話があった。今日は来てくれるのか、何時に来てくれるのか。 訊かれるまでもなく、俺は毎日お見舞いに行った。冬休みで、地元ではないということから、俺には見舞いしかすることがなかったのも事実だ。前日にくるみが欲しい物を聞いて、それを買って病院へ。 面会の開始から終わりまで、くるみの傍らで過ごすと言うのが日常と化していた。お陰で、この小さな病院で俺はちょっとした有名人だ。若干、不愉快でもある。 変化といえば病院に行く時間、帰る時間ぐらいなもので、それもくるみによって左右された。病院で有名人、というのはこういうときには便利で、早くに行くとこっそりと裏口から入れてくれたり、一晩泊まらせてくれたこともあった。 その場合、相部屋の人には迷惑がかかるので話したりはしなかったが。 多くの大人に助けられるたび、つくづく自分がガキだと認識し、同時に、ガキのままではもういられないのだと意識した。 ただ、意識するならガキでもできる。それをこの身で証明してしまった。 「それって、俺が言うタイミング逃したから?」 「まさか。ほんの8割くらいしかキミに責任はないよ」 「大半・・・」 「いや、冗談冗談」 どこまで本気かは分からないが、俺に責任があるのは確かだ。「俺は、どうすればいいんですか?」 「今は、彼女の傍にいてやりなさい。一番近くに、だ」 キミに出来ることは、キミにしか出来ないことなんだよ。 その一言で、踏ん切りがつく。 「うっス」俺は大きく頷く。 「よし、頑張れ王子様っ」 あの日のように、強く背中を叩かれた。 「ああ、そうだ。右足、大丈夫かい?」 「え?」耳を疑った。 昔、ちょっとした事故に遭い、俺の右足にはその後遺症がある。とはいえ、本人にしか分からない程度で、その本人ですら時折忘れてしまうような怪我だ。 それを見抜くとは、やはり年の功というヤツか。俺は、問題ありません、とだけ言った。 「治療ならいつでも請け負うぞ、格安で」 「結局は金ですか」 亀の甲ではなく、金の功ということか。 217 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:47:35 ID:oBVbH7lN 入り口から、俺を呼ぶ声がする。立ち上がり、歩き出す前にもう一度振り返る。 「俺はただのヘタレっスよ」多分、今の俺はすごく頼りない笑顔をしている。 「ヘタレで結構、未熟で結構」 彼は一段と大きく笑った。俺はその姿に、もう一度深く頭を下げ、くるみのもとへ歩く。 「少年よ、野望を抱け。がっはっは」 笑い声に背を叩かれた気がした。野望じゃねぇって。 叔父さんと叔母さんはいずれも公務員だった。 休みが安定しているのが公務員の良い点で、二人は旅行を趣味とした。くるみと三人で各地を旅し、その度に絵葉書やキーホルダーなどが贈られてきたものだ。 車内でそんな思い出話をしている時、流れていく外の景色を見ながらぼんやりと、もうもらえないんだなぁ、と呟いた。直後、助手席からCDケースが飛んできた。避ける暇などない。 「っっ!!なぁにすんだよっ」面だったからよかったものの、角だったらシャレにならなかった。 「うっっさい、バカタレッ」 黒崎家の遺伝なのか、母も亜麻色の髪をしている。歳のせいか、くるみのような可愛さはないものの、昔はなかなかだったらしい。細く逆三角形の顔と鋭い目つきを見るに、たぶん昔とはまだ狐だった頃の話なのだろう。 助手席の母は、これぞ、というほどの鬼の形相を披露していた。血の気がひき、冷静になったことで自分の失態を理解した。 「う・・・あぁ、わ、悪い、くるみ」 しどろもどろになって謝り、くるみを見る。 包帯が取れたため、白い肌がよく見える。体格と同じく顔も小さめで、ブラウンの瞳と肩下までの栗毛が可愛らしい。ただ、右目には大きめのアイパッチがある。 「いいんだよ」変わらない笑顔のまま、彼女は言う。「一緒に行こうよ、旅行」 変わらない、昔のままのくるみだ。 他人の罪を許し、慰める。それをいとも簡単にできる人間はそう多くない。ましてや、無意識では尚更だ。 だからこそ、俺は昔から目が離せなかった。人を気遣い、自分より高い位置に置く。いわゆる自己犠牲。俺はそんなくるみがずっと心配だった。ついでに言えば、理由は違うが姉のことも心配していた。 218 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:48:14 ID:oBVbH7lN 姉。 「そういや、姉ちゃんは来てないの?」 「ん?ああ・・・来なさいって言ったんだけどねぇ」 「薄情だなぁ」親戚の一家の大問題だというに。 「仕方ないよ。お姉ちゃんも忙しいんだよ」 くるみが笑う。嬉しいことだ。喜ばしいことだ。 ━━なのに、俺の胸からは不安が拭いきれない。むしろ、くるみが笑顔を浮かべるたびに、不安は身を揺らし、その存在を示す。 くるみは元気すぎる。 たかだか15歳で、あの惨事を目にし、右目の視力を失った。俺なら、立ち直れない。 あの医者の言うように、俺が傍にいることの効能ならば、何も文句はない。ただ、俺には、くるみが心配させまいと強気に振舞っているのではないか、と感じてしまうのだ。 「・・・お父さん、どうしたの?」ふと、母が呟いた。 母が狐なら父は狸、と言いたい所だが、父はゴリラだ。マウンテンゴリラ。 大きな腹はメタボかと思いきや、服を捲るとそこには目を疑うほどの筋肉が広がっている。顔も厳つく、街を歩けば10人に1人が泣く。 そんな父は車を運転しながら小刻みに震えている。 「・・・くるみちゃん・・・・・」 「は?なに?」 父はボソリと話し、母は常に怒鳴り気味。これが普通の光景だと言うのが、自分でも変だと思う。 「・・・くるみちゃん、抱きしめてぇなぁ」 「バカタレっ」小声とはいえ犯罪スレスレの言葉に、母は容赦ない鉄拳で対応した。 くるみはと言えば、このどこか狂った普通を見て、苦笑いを浮かべていた。 219 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 03:48:44 ID:oBVbH7lN 黒崎家は、大きいか小さいかといえば、大きい。 安定を約束された収入ゆえ、黒崎夫婦は若くしてマイホームを買うことが出来たのである。それも駅に近く、割と栄えた場所にありながら、大きな庭まである。 ここまで考えて、我が家とは真逆だということを知った。 安定した収入に、確実に取れる休日、定時で帰るため、家にはいつも明かりが灯る。 対して、我が家はと言うと、最近は若干の余裕が出てきたとはいえ、相変わらずの経済危機。休日は不安定で、いつ休めるかなど予想もつかず、ギリギリまで残業をして帰ってくるため家はいつも冷たい。 あれ、俺って少しだけ可哀相だ。 「あれ、なんだろう」くるみが呟く。 黒崎家の前には、大きな人だかりが出来ていた。半分くらいは予想通りだが、もう半分は予想外だ。ある種、予想はしていたが。 「あぁ、来ました、帰って来ました」 「あの事故から奇跡の生還を果たした少女が、今」 「黒崎さん、今出てきちゃダメだからね」 「こっち、こっちに視線ください」 車はあっという間に囲まれ、車庫を目前にして動けなくなった。 あの事故を、テレビは連日、過剰な演出を加えて放送した。新聞やインターネット、あらゆる媒体を利用するのが今の手法で、なにかに限らず、メディアでくるみのことを見ないことは、ここ最近はない。 病院にも多くの報道陣が詰め掛けたが、姫を護るナイトを自称するだけあって、看護士と医者が築いた壁は強固なものだった。 それでも、どこから漏れるのか、退院の予定日や治療の進行度、挙句の果てには窓から外を覗く写真を撮られた事もあった。 今は窓にスモークがかかっているから大丈夫だろう。 221 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:03:32 ID:oBVbH7lN 「お兄ちゃん・・・」ジャケットの袖が、ギュッと握られる。 メディアの猛攻の結果、くるみは軽い対人恐怖症となってしまった。知らない人に対してビクついてしまう。 「大丈夫」 くるみの頭を撫でた。 心の準備をしていると母が振り返り、お見舞いの品の中からりんごを取り出した。「持ってく?」 アホか、と一蹴してから深呼吸をすると、一気に車外へ飛び出た。もちろん、中を撮らせる暇は与えず、すぐに閉める。 一瞬、空気がどよめく。 自分では普通のつもりだが、人様から見れば、俺の目つきはよろしいものではないらしい。利用できるものは利用するのが俺の主義だ。 「テメェら、いい加減にしろよ」より目つきを鋭くする。難しい。 一度、マスコミに向かって本気で怒鳴ってしまったことがあった。俺自身がしつこくインタビューされるのはなんとか流せるが、くるみの心に傷を増やしたことが許せなかった。 結果、マスコミは退散し、ほんの少し、本当に少しだけ自重するようになった。翌日の朝のワイドショーでは俺が容赦なく虐められたが。 「そろそろ俺も我慢の限界なんだよ」頑張って声にドスを利かせる。一生懸命です。 だが、効果はなかった。 「あぁっと、少年です、あの少年が出てきました」 「地元では不良グループの頭を飾る、通称“大将”と呼ばれる少年が、今」 「おい、早くもう一台カメラ回せって」 今では俺も興味の対象の一つで、まったくの逆効果だった。やべっ、涙出てきた。 後ろで、ドアの開く音がした。マナーのなってない大人が開けたのかと思い、慌てて振り向くが、どうやら開いたのは運転席のようだ。 ゴリラが今、大地に立った。 一瞬で、空気が入れ替わった。 父が右手を高く掲げると、報道陣が一歩退く。何故か俺も下がってしまった。 手には先ほど母が差し出した、真っ赤なりんごが握られている。 「ぬぅあっ」瞬間、りんごが形を失った。 果汁が辺りに飛び散り、果実が父の肩に落ちた。 「いや、ちょっと待て、ちょっと待てって」どん引きする周囲をよそに、俺はただ、うわ言のように繰り返していた。 222 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:04:32 ID:oBVbH7lN 「では、くるみちゃんの退院を祝って」 「乾杯っ」 小気味のいい音の後、皆が一斉にグラスを傾ける。黒崎家の庭を舞台に、立食パーティーが始まった。 父の知り合いが手配した葬式に来た人は、存外少なかった。だからこそ、俺はくるみの退院祝いの話を持ちかけることが出来た。 ただ、葬式のときに話したせいなのか、何故か坊さんまでもが出席している。よく見れば、あの黒服もいる。 葬式には出席していなかったくるみの友人にも呼びかけたところ、こちらは嬉しい誤算、多くの人が来てくれた。 だというのに。 「黒崎さん、大丈夫?」 「・・・ん」 「皆心配してたよ」 「・・・ありがとぅ」 くるみは家に着いてからずっと俺の後ろに隠れ、尻すぼみの返事ばかりしている。友達も心配はしているが、俺のことをあからさまに警戒して近づこうとしない。 マスメディアをそんなに信じちゃいけません。 ちなみに、玄関先で荒業を披露した父は、多くの人に囲まれ、賞賛を受けていた。なんだ、この差は。 りんごのネタバレをすれば、あれは母があらかじめ芯をくり貫いていたものだと、後で分かった。あの短時間で作業をした母こそ賞賛に値する。 その母はというと、隣で父を睨み続けている。 なんだか父の顔色が悪い。足元に目をやれば、母は地面に埋まるほど、父の足を踏みつけていた。あの歳で嫉妬とかどんだけー。 肩越しにくるみを見ると、俯きながら、左手は俺の腰辺りで服を摘み、右手はアイパッチを擦っている。 「恐いか?」 「えっと・・・」 「部屋に戻ってもいいんだぞ?」主役がいないのは寂しいが、それは優先度が違う。 「やだっ」思いのほか強い返事に驚く。「大丈夫、だいじょーぶだから」 すーはーすーはー、と可愛らしく深呼吸をすると、俺の右側に踏み出した。相変わらず、左手は俺の背にある。 パーティーが止まる。友達はかける言葉を探し、大人は遠目にこちらを見ている。赤い顔を俯かせ、小刻みに震えるくるみに、俺も固まった。 223 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:05:19 ID:oBVbH7lN 沈黙を破ったのは父だ。 「この通り、この子は元気です」くるみの頭に手を乗せ、笑う。 それを皮切りにして、同級生の女の子が泣きながらくるみのもとへ走り寄る。よかった、よかったね、と。それを見ていた大人達は優しく微笑み、パーティーはまた動き出した。 俺は、また何も出来なかった。 頭に何かがズシリと乗る。父の腕だ。 「今のは、お前の仕事だな」 歯を剥き出しにして笑う父は、幼い頃に見たように大きく見えた。 あのぉ、という甘ったるい声が聞こえた。 くるみはすっかり主役として溶け込んだが、相変わらず俺から離れようとしない。 俺が空気を呼んで離れようとすれば、上目遣いでジッと見つめてくる。俺の服は今日だけでだいぶ伸びた気がする。 今はトイレに来たくるみを、こうして廊下で待っている。そこに、声がした。 見ると先ほど泣いていた女の子で、まだ目を真っ赤に染めている。 「トイレは今くるみが使ってるよ。洗面台はあっち」 「顔なんか洗ったらお化粧が落ちちゃいますよ」15歳で化粧、その事実を受け止めるのに少し時間がかかった。「そうじゃなくて、えっと、大将さん」 「大将じゃなくて・・・まぁいいや」 「最近、くるみちゃんとメールするとよくあなたの話しが出るんですよ。今日はお兄ちゃんが何を買ってきたとか、こんなことを話したとか。っていうか、大将さんの話しか出ません」 「そう」照れ隠しで、短く返事をする。 「それで・・・お二人は恋仲だったり」ドアが弾ける音がして、言葉が途切れた。 ドアを壁に叩きつけ、顔を真っ赤に染めたくるみが立っていた「ヨッちゃんッッ!!!」 「ごめんっ」ヨッちゃんと呼ばれた少女は脱兎のごとく逃げだす。 「気にしないでね?気にしなくていいからね?」 手をばたつかせながら必死に弁明するくるみは可愛かった。 224 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:05:58 ID:oBVbH7lN パーティーの片付けも終わった頃、くるみが急に切り出した。 「お兄ちゃんの家に住みたい」 皿拭きを俺に押し付けて玄米茶を啜る母は、父に向けて、某プロレスラーの毒霧のように噴出した。父が椅子から転げ落ちる。 「それって東京に来るってこと?」うっさい、と母が一喝すると、悶えていた父はまた、静かに椅子に座りなおした。母がSなのは構わないが、父がMというのは素でイヤだ。 「ダメ、ですか?」無意識でやっている上目遣いは凶器。 流石の母も押されているようだ。 「でもねぇ、学校とか、色々あるでしょう」 母の言うことは当然だ。中学三年生という受験シーズンに引っ越すと言うのは、向こうで受験資格が得られるかどうかも危うい。それも、受験は目前まで迫っている。 この家のことや、通院。問題は山積みだ。 「まぁ、大抵のことは何とかなる。というか、できる」茶を啜りながら、父がポツリと言う。 今回の騒動を経て再認識したが、父はとんでもないチート野郎だ。ミステリーで言うなら探偵。登場人物の誰よりも、果ては読者よりも高い位置から物事にあたる姿は、正直ずるい。 「お前は、くるみちゃんをこちらに一人で残すつもりか?」 「それは・・・」父の問いに母が口篭もる。 今しかない。言え、俺。 「あの・・・」ゆっくりと手を挙げると、くるみを含め全員が見てきた。 225 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:06:36 ID:oBVbH7lN 「俺、こっちに残ってもいいかな」言えた。よく頑張りました。 「却下」 「却下だな」 そんな二人してつぶさなくったっていいじゃないか。泣けてきた。 「あまり言いたくはないが、こっちはもうダメだ」 「何がさ?」 「マスコミもうろついてるし、周りの人がくるみちゃんを知りすぎている」 なるほど。確かに、今日は何とかなったが、時間がたてばすぐ、マスコミは父を俺と同じように扱う。それに、くるみの知り合いの気遣いが重荷にならないとも言い切れない。 そういった点では、知人のいない場所で再スタート、というのもアリかもしれない。無論、リスクは多い。 「今日は憲輔が大人を適当にあしらっていたからよかったがな」父が優しい笑顔を浮かべる。 「そうね、憲輔がいなかったら誰が我が家の家事をするか分からないもんね」話を一切聞いていなかったかのように、母は場違いなことを言う。 隣でくるみがクスクスと笑う。 「まぁ、大口叩いたからには、あなたにはしっかり頑張ってもらうわよ」 「おう、任せとけ」 夫婦の間で結論が出た以上、俺は従うしかない。むしろ、俺としては喜ばしいことだ。 「なぁ、くるみ」 「ひゃぅっ」小声で耳元に話し掛けると、くるみは奇声をあげた。 両親の視線が痛い。「手ぇだしたら殺すわよ、アンタ」 「わかってる、わかってるから」必死に弁解し、二人は渋々と引いてくれた。 くるみを見ると、顔を茹蛸のように赤くしていた。 「いいか?」頷いたので、また近づく。 「あぅ・・・」 「もしかして、今のがお願い?」 「あ、うん、そうだよ」 赤い顔のまま元気に頷く彼女を見て、そうか、とだけ言った。 ただいま、おかえり。それが普通になる日は近いかもしれない。 226 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:07:46 ID:oBVbH7lN この数十日の間、俺はこの家に滞在していた。しかし、主不在の家というのはどうも気が引けて、俺はリビングのソファーで眠っていた。 「一緒に寝よう」 そう言われた時、葛藤はあったが、最近こってきた首が何もしていないのにポキリと鳴ったので、甘えることにした。 くるみの部屋はどこかシックな感じの木目調で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。そこに、淡いピンクのクローゼットやガラスの机、白いベッドがあった。 白いベッドというのは、こうやって見るとあまりいいものではないように見えてしまった。 「最後に来たのはいつだったでしょう」ベッドに座りながらくるみが問う。 「去年・・・いや、一昨年かな」 二足歩行の猫のキャラクターが書かれた座布団に腰をおろす。 「違う。去年の8月9日」くるみは不満を顕にする。 「そうだっけか」 「『夏期講習がいやになった』って言って、いきなり来たんだよ」 「去年の俺は行動力があったなぁ」 夏期講習がイヤなのは確かだが、去年までの中学生特有のテンションがあったから成せた業だろう。っていうかそんなに近くないよな、岡山。 「変わらないよ。だって今回も一番にきてくれたもの」 「ああ、あれはな」来た、というより来させられたのだと言おうとすると、ふいに抱きつかれて言葉を失った。「くるみ?」 「嬉しかった。誰よりも早く来てくれて、誰よりも心配してくれて。あんなに取り乱したお兄ちゃんは初めて」 顔のすぐ横のくるみの顔がある。細い腕は俺の肩を包み、全身は俺へと委ねられている。顔が沸騰するのがわかった。 「さっきも残るって言ってくれた。ありがとう」 抱き返そうかしまいかと腕が空を漂っていると、くるみの方からゆっくりと離れた。 「大好きだよ、お兄ちゃん」 目の前の少女は美しく、どこか儚げだった。 「無理、するなよ」頭を撫でてやると、目を細めてまた、大好き、と言ってくれた。 227 :Tomorrow Never Comes4話「ひとつめの嘘」 ◆j1vYueMMw6 [sage] :2009/01/23(金) 04:08:29 ID:oBVbH7lN くるみの誘いを押し切り、床に布団をひいて眠ることにした。 幸せそうに眠るくるみに、俺は一つ嘘をついた。 叔母さんは生きている。 ただ、あくまでそれは道徳に則った言い方で、正しくは生死の境を彷徨っている、だ。それも、“死にかけている”のではなく、“死にきれていない”というほうが正しいと医者は言った。 肉体的には死んでいて当然の状態のはずなのに、心臓は動いている。 くるみを一人にしまいとする強い意志の権化か。くるみが両親と比べて軽傷で済んだのも、叔母さんが庇うように覆い被さったお陰だという。 俺は久方ぶりの母をみて、少し尊敬した気持ちになった。 周りの大人はこの事実を知っている。だから今日、俺は出来るだけ大人をくるみから遠ざけ、ここ数日、彼女にニュースの類は見せていない。 医者は敢えて最も近しい俺に伝える役を与えたのだが、完全な人選ミスで、結局俺は言えずに何時の間にかタイミングを失った。 また一つ、いや、二つ、俺は罪を背負った。 それでもいい。俺はこの子を支えると誓った。俺に出来ることは俺にしか出来ないこと。医者の言葉が頭を過ぎる。 「とはいえ、いつかは言わなくちゃな」叔母さんが蘇生しようが死亡しようが、だ。 ふいに、昼間の少女を思い出す。 “お二人は恋仲だったり・・・” 「・・・いかんいかん」 揺らぎかけた誓いを建てなおす。聞こえてきた除夜の鐘が煩悩を払ってくれるのを願う。 この子を支えてくれる人が現れれば、喜んで身を引こう。 かつての罪を償えない限り、俺には愛する資格も、愛される資格もないのだから。

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