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435 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:22:41 ID:jWabB8ch  そういって如月更紗は、僕らの見ている前で遠慮なく脱ぎ始めた。  ……は?  あまりにも自然すぎて、一瞬何をしているのかわからなかった。わかりたくなかったという のが本音かもしれない。そこそこに緊迫した――その緊迫もなんだか曖昧になってきているけ れど――場面で、突然脱ぎだすなんて行為に意味があるとは思えなかった。いや、意味があっ たほうがまだましなのか。  こいつ……ほんとに露出狂なのか?  頭を抱える僕の前で、如月更紗は遠慮も躊躇もなく脱いでいく。スカーフをはずし、ブラウ スを脱ぎ、スカートを下ろす――ああこんなときに思うべきことじゃないけど、それでも思わ ずにはいられない。保健室のときから思ってたけど、こいつの肌恐ろしいくらいに白いな…… 新雪のようになんて例えはふさわしくないのだろう。雪は空気中の汚れが元になったものであ って、如月更紗の肌には汚れなんてひとつとしてなかったのだから。広がる髪の黒との対比に めまいがしそうだ。  って。  冷静に肌の批評をしている場合じゃない。 「おい、如月更紗」  上下の下着だけになった如月更紗に声をかける。隠すことも恥ずかしがることもないまま、 如月更紗はそのままに振り返った。  ……。  目のやり場に困る。  が、いまさら目をそらすのもあれだった。すでに散々見てきているのだ。開き直って如月更 紗の顔を見る。彼女も僕を見ていて、その顔ははっきりと笑っていた。なんか思考を読み取ら れてそうで嫌な笑いだな…… 「冬継くんのすけべ」 「だまれ露出狂」 「それで、何の用かしら?」 「何の用っていうか、なんで脱いでるんだお前?」  もっともな突っ込みだった。  いきなりストリップショーをされても素直に喜べるはずもない。それを目の当たりにしても 表情を変えないアリスは、さすがと言うべきなのか……? それともあれだろうか、アリスも また如月更紗の裸を見慣れているのだろうか。  ……。  …………。  考えてはいけないものを想像してしまった……。  さすがにその種のインモラルさには耐性がない。見たいような見たくないような微妙な気分だ。 436 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:24:09 ID:jWabB8ch 「何で脱いでるのかといわれても――脱がなければ話が進まないわよ?」 「僕が知らないだけで狂気倶楽部の入部条件は露出狂であることなのか?」  それが本当なら、僕は姉さんに対する感情を思い直さなければならない。  ……。  狂気倶楽部って男もいたよな……?  思い浮かべてしまった僕の恐ろしい想像を、如月更紗は「違うわよ」と否定してくれた。心 のそこからよかったと安心する。もし如月更紗に肯定されていたら、僕は何もかも殴り捨てて 逃走していただろう。狂人と同一視されるのはまだ仕方がないのかもしれないが、露出狂と同 一視されるのだけはごめんだ。 「脱ぐのが目的ではないのよ。脱がなければ服が着られないから脱ぐ――それだけのこと」  言って、如月更紗はずるりとトランクケースの中からタキシードを取り出した。それで半分 は納得する。たしかに、服を着るためには前に着ていた服を脱がなければならない。当然の摂 理だ。どうして服を着替える必要があるのかという一点を除いては。  その理由も、少し考えれば、理解できた。 「如月更紗はいてもマッド・ハンターはいない――そういうことか?」 「そういうことね」  したり顔でうなずく如月更紗に僕は納得する。  そういうことなのだ。  衣装を身にまとわなければ舞台にあがったとはいえない。私服姿でいるかぎり、如月更紗は いくら言葉遣いやキャラクターを替えたところで如月更紗でしかないのだ。服を変えてマッド ・ハンターに成って舞台にあがる。それを、アリスは待っているのだ。舞台に登場人物がすべ て出揃うのを。  理解はできた。  納得はできなかった。 「なあ、如月更紗。ひとつ質問していいか?」 「ひとつといわずいくらでも」  答える如月更紗は、まずはブラウスに手を伸ばしていた。ああ、下着は替えないんだ……そ のことに妙に安心を覚える。冷静に考えてみればブラウスを着るなら制服の下は脱がなくてい いんじゃないのかと思ったが、突っ込みどころか多すぎてすべてに突っ込んでいたらとてもじ ゃないが話が進まないので放置することにする。  突っ込みどころは別にあった。 「ということは何か――あのアリスは、ただお前が着替えるのを待ってるのか?」 「そういうことになるね」 「…………」  冷静に、冷静になろう。  冷静になって改めてこの状況を確認する。下着姿で着替えようとする如月更紗と、それを微 笑んだままに見ている裁罪のアリス。服は血にぬれていて、足元には生首が転がっている。夜 の校舎には僕ら三人しかいなくて、空を見上げれば月と星が見えた。夜は静寂の帳を下ろして いて、衣擦れの音だけがやけに響いた。  ……。  …………。  シュールだった。  シュールな光景すぎた。 437 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:25:37 ID:jWabB8ch  思ったことを、そのまま口にすることにする。 「阿呆だろ、お前たち」 「阿呆とは酷い言い草だね」 「いやよく考えてみろ如月更紗。冷静に自分たちの状況を見つめてみろ――阿呆としか言いよ うがないぞ」  舞台とか演じるとか狂気倶楽部とか……そういった色眼鏡をすべてはずしてみれば、そこに あるのは屋上で脱ぐ露出狂とそれを見守る変態二人。いっけん場面が緊張しているから様にな っているように見えるが、夜空の下で一人着替える如月更紗は、間抜けとしかいいようがない。 何よりも間抜けなのは、ここにいる人間が誰一人としてふざけていないことだ。  まじめに阿呆なことをしている。  ……めまいがしてきた。 「冷静になって考えてみると」 「ああよかった、考えてみてくれたんだな」 「冬継くんと二人きりのときがいいね」 「そんなことを言ってんじゃねぇ――!」  思わず夜空に向かって叫んでしまった。しかもちょっと気持ちよかった。狼の気持ちがわか ってしまった……。 「どちらかといえば冬継くんは狼というよりは犬よね」 「犬か……」 「わんこ」 「かわいく言い直すな」  ばかなやりとりをしている間にも、如月更紗の着替えは進んでいく。ブラウスのボタンをす べて止め――と、そこで気づく。ブラウスはブラウスでも、学校のカッターシャツとは少しデ ザインが違う。襟が大きく、そして硬そうだった。材質的に、立て衿をするためのものなのだ ろう。ボタンを留め終え、如月更紗は鏡も見ていないのに器用にネクタイをしめる。  何百回と――繰り返した行為なのだろう。着替えにはよどみがない。  着替えるたびに。  彼女は、如月更紗から、マッド・ハンターへと変わったのだろう。  狂気倶楽部の一員へと。 「…………」  如月更紗。狂気倶楽部の一員。マッド・ハンター。狂気倶楽部の古参。  どうして。  どうしてなのだろう、と僕は思う。どうして彼女は今、こちら側にいるのだろう。僕を助け るようにして。僕を守るようにして。君の命は狙われているといった彼女。その口で、僕の命 を守るといった彼女。物騒な鋏を振り回す、どこかとぼけた女の子。  僕がここにいる理由は、もう分かっている。図書室でもなく実家でもなく、此処にいるのは ――認めてしまおう、如月更紗が此処にいるからだ。  でも。  如月更紗は、どうして此処にいるのだろう――そんな疑問が、いまさらに浮かぶ。いや、い まさらではないかもしれない。本当はずっと頭にあっただけで、それを確かめなかっただけな のかもしれない。確かめてしまえば、  居心地のいい関係は、終わってしまうかもしれないから。 438 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:27:35 ID:jWabB8ch 「ん、どうしたんだ冬継くん。裸を見れないのが口惜しいという顔をしているよ」 「僕はなんでお前が上しか着ないのか考えていたところだよ」  ネクタイをしめおえた如月更紗は、中に着るベストを着ているところだった。下には当然何 も着ていないので、かわいらしいパンツを丸出しにしている。羞恥心は一切ない。足細いなあ 、とかわけの分からない感慨を抱いてしまう。 「人には人の着替え方がある、ということよ」 「まあな……僕の姉さんは体を拭く前に着替えて大変なことになったことがあるよ」 「それはただの阿呆だね」  お前に言われたくはない。  僕もそう思うけど。 「着替えも終わったことだし――そろそろ楽しい楽しいお喋りも切り上げようか」  言葉の通りに、如月更紗は最後のボタンをとめおえて僕を振り向いた。タキシードの上着を 気負えた如月更紗は、アリスとは対照的に全体的に黒かった。その中でなお、むき出しになっ た足は白い。  …………。  ズボンをはいていなかった。  パンツまるだしの如月更紗は、両手を広げてアリスと僕を交互に見た。 「さぁ――お茶会の時間だ」 「天然なのかぼけなのか突っ込みずらいんだよ! わざとやってるならそろそろくどいし本気 でやってるなら救いようがないな!」 「遊びでやってるのさ」  肩をすくめ、如月更紗は今度こそズボンに手を伸ばした。穿いていた靴を脱いでトランクに 突っ込み、ズボンをはく。ベルトをしめ、先とは違う革靴を取り出してはきなおした。最後に トランクケースの中から杖を取り出して――脱ぎ終えた衣服をつめて、トランクケースを閉め る。  そうして。  最後に。  如月更紗は――いや、ソレはもう、その名で呼ぶべきではないのだろう。  マッド・ハンターは、トランクケースの上においていたシルクハットを、頭にかぶった。  右手に長定規を組み合わせたような歪で巨大な鋏を。  左手に黒く長いステッキを。  両の手でそれらをくるりと回し――切っ先を裁罪のアリスへと向けて。 「さぁ、さぁ、さぁ! お茶会を始めましょう、時計の止まった狂ったティーパーティーを!」  今までで一番深い笑みを浮かべて、夜空に、そして月に向かって、マッド・ハンターは吠えた のだった。 439 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:29:26 ID:jWabB8ch  瞬間――誰よりも早く動いたのはアリスだった。笑みを浮かべたままに、地面を蹴って、  そのときにはもう、僕の目の前にいた。  は、速―― 「……っ!」  ほとんど反射的な行動だった。後ろに跳びながら、右手で握ったままだった魔術短剣を振る う。その間にもアリスはさらに踏み込み、同じように右手の傘を横殴りに振るう。軌道が衝突 し、  重く、硬い感触。  分かってはいたが――普通の傘じゃない! 柄の部分がやたらと硬いだけじゃなく、魔術短 剣の刃が触れたというのに破けてもいない。近くで見れば、材質は日ごろ見るものと違うのに 気づく。防刃なのだろう。初めからそういう行為のために作られた傘。  傘についた赤が、目についた。  ――血。 「君は――」  アリスの口が動く。初めて聞く声だった。中世的な声。不思議なほどに抑揚がない。そのく せ、耳元でささやかれているように聞こえた。声をきくだけで、脳が止まりそうになる。  それでも、止まるわけにはいかなかった。魔術短剣と傘は、きりあったまま離れないのだか ら。ものすごい力で、傘に短剣が押される。身体ごと。アリスの三度目の踏みこみで、僕は傘 を防いだままの姿勢で背後のフェンスにたたきつけられる。  なんだ……この力!? 見た目は如月更紗とかわらないような細さなのに、傘にこめられた力 で押しつぶされそうになる。こんな華奢な身体のどこに、あんな速さと強さが……  そこで僕は自分の失策に気づく。そうだ、忘れていた。馬鹿なやりとりばかりで失念してい た。いくらふざけていても……ふざけているからこそ、こいつらは狂気倶楽部だということを 。演じる。あの夜と同じだ、一種の自己暗示、着替えることで滅茶苦茶な動きを、 「――自身の罪を覚えているかい」  罪?  その意味について深く考える暇もなく、傘にこめられた力がさらに強まる。抑えていた魔術 短剣が、逆に自身の胸を貫きそうなほどに近づいてくる。まずい、このままだと自滅だ……!  自身へと迫る魔術短剣。  その綺麗な刀身に――月の光が反射して、鏡のようになって。  自分自身と、目が合った。 「――、!」  胸に突き刺さりそうだった魔術短剣を無理やりに押し返す。そうだ、何を戸惑っている。あ の服が彼女たちにとっての自己暗示、魔術儀式なら――僕にとってのこれこそが、そうじゃな いか。姉さんの遺品。姉さんの血がしみた魔術短剣。  集中しろ。  没入しろ。  切り替えろ。  変われ。  換われ。  成れ。  ここはお茶会だ。  不思議の国の、狂ったお茶会だ。 「罪、ね――」  裁罪のアリス――罪を裁く、か。  さらに魔術短剣に力をこめて、 440 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:30:26 ID:jWabB8ch 「そう、そうだね、そうだとも! 罪人であることを忘れてはいけないのさ!」  急に魔術短剣を抑える力を失い、僕は前へとつんのめりかけた。傘を持つアリスが、二歩分 ほど後ろに下がっている。そして、僕とアリスの間を、風を伴って大鋏が通り過ぎていった。  見れば。  いつのまにか――横にはマッド・ハンターが立っている。僕へと襲い掛かるアリスを横から 狙ったらしい。助けてくれたことはうれしいが、下手によろめいていたら自分があの鋏で殴ら れていたのだと考えればぞっとする。腹の部分で殴られても骨くらいは折れるだろう。  ましてや刃で切られたら……ちょぱん、だ。 「助かった……ありがとう」  フェンスから身を離す。自分の形にフェンスがゆがんでいた。あのまま押され続けていたら 、フェンスを突き抜けて下へと尾とていたのだろうか。  本当に……常識はずれで、常識しらずだ。  初撃に失敗したアリスは、とん、と軽く後ろへ跳んだ。スカートが風に大きく膨らむ。距離 をとり、傘で杖のように地面をつく。  かん、といい音がした。 「やはり、やっぱり、やっぱりね。当然のように冬継くんを最初に狙ったね?」 「やっぱりねって――わかってたのか?」 「もちろんもちろんもちろんだとも。これは物語だからね。赤頭巾ちゃんを食べようとする悪 い狼は、猟師に撃たれるということさ」 「……配役がなんとなく納得いかないけど、まあわかった」  僕が狼で、マッド・ハンターが赤頭巾ちゃんで、アリスが猟師か。  僕、悪役じゃん。  アリスにしてみれば僕は悪役、適役に過ぎないか……狂気倶楽部という楽園を狙う許しがた き敵。赤頭巾ちゃんが狼と仲良く名手いるのは計算外だろうが、もとよりアリスの敵はマッド ・ハンターではなく僕であり、僕を排除することこそが彼女の勝利条件なのだ。アリスが僕の 首をはねれば、お話は『めでたしめでたし』で終わるのだろう。  じゃあ、逆に。 「僕らの勝利条件ってなんだ?」 「その数は二つ、勝利条件は二つ、たったの二つ。この町を出るか、君自身が狂気倶楽部に入 るか」 「…………」  おい。  ちょっと待て。  そういう重要そうなことをさらりと言うんじゃない。それはむしろ、真っ先に言っておくべ きことだろう……? いや、聞かなかった僕が悪いのかもしれないけれど、それにしてもあん まりだ……ああいや、仕方ないことなのか。如月更紗どころかアリスにとってさえ、この状況 は計算外のはずだ。物語の登場人物がすじがきを無視して勝手に暴走しているようなものだ。 441 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:31:21 ID:jWabB8ch  本来ならば、  五月ウサギと対決するか、  如月更紗の姉妹と対決するか。  その二択だったはずだ。"ごっこ遊び”というのならば、それこそがふさわしい展開だ。その はずが、どこかの馬鹿が如月更紗に惚れ込んで彼女の家にいったあげくに第三の選択肢を選んだ からややこしくなった、と。  自業自得じゃん。 「二択――」  ゆっくりと考える時間は与えられていなかった。距離をひいたアリスが再び突っ込んでくる。 僕が右でマッド・ハンターが左、アリスが前で衝突は一秒後。右半身を前に出して魔術短剣を振 るう、傘の先端であっさりとはじかれて、そのまま先端で突きが繰り出されたのを横からマッド ハンターが斜めにはじき先端は頬をなめるようにしてそれ、  アリスの左手が、まっすぐに僕の首へと突き出される。  何も持っていない――長く伸びた黒い爪が、首の動脈を狙っている。 「冗談きついな!」  この近距離でよけるのは難しい。右手ははずかれた勢いで右側へと流れている。ならばと、そ の勢いのままに左手を突き出す。手のひらで爪を受け止めるように。首を刺されるよりはマシだ、 代わりに指を折ってやる。  目論見は成功しない。アリスの左手は蛇のように動き僕の左手首を掴み取り、同時にスカート から伸びた足に払われて視界がくるりと回り、逆さになって倒れ行く中で、傘を持ち替えて振り 下ろそうとするアリスの姿、  その首めがけて繰り出される、巨大な鋏。  ちょきん、と鋏をかみ合わせる音がして――アリスの髪が数本、宙にまった。スウェーをする ようにして鋏の一撃をよける、つかんでいた手を離されて僕は地面にたたきつけられ、追撃で繰 り出された杖での一撃をよけるようにアリスは右へと跳んだ。  また距離が離れ、僕はあわてて起き上がる。  視界には、僕を守るように仁王立ちになるマッド・ハンターと、離れて傘を構えるアリスの姿。  なんというか……みっともないことこの上ない。女の子にずたぼろにされて女の子に守っても らってる。やっぱり付け焼刃の自己暗示じゃ彼女たちみたいにはいかないらしい。そもそも、格 闘の経験なんて僕にはないのだ。  ならば。  格闘をしなければいい。  思考を切り替える。   意識を切り替える。   戦うのではなく。  殺すことだけを考えて――魔術短剣を、構えた。 「……人を殺すのは初めてだ」 「私もだよ」  そらとぼけるようにしてマッド・ハンターが言う。いや、今のは如月更紗か? その言葉が嘘 なのか本当なのか、僕にはわからない。ただ、目の前のアリスが殺人者であることだけは間違い なかった。  躊躇がないとか、慣れているとか、そういうことだけじゃない。  彼女は、明らかに楽しんでいる。  この状況を楽しんでいるのが――見ているだけでわかる。 442 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:33:12 ID:jWabB8ch 「…………」  距離がはなれた間を利用して僕は思考を続ける。身体能力的に劣っている以上、この状況を 打破する方法を考えなければならない。そもそも、何をもって打破となるのかすら僕はよくわ かっていないのだ。  もう一度――最初から、考え直せ。  如月更紗は言った。選択肢は二つだと。  この町から逃げるか、  狂気倶楽部に入るか。  それは、表裏一体の答えだった。狂気倶楽部の手が届かないところにいくか、狂気倶楽部に なってしまうか。それ以外に選択肢はない。つまりは、僕はもうどう考えたって取り返しのつ かないところまで足を踏み込んでしまったのだ。  姉さんは死んだ。  神無士乃も死んだ。  そして僕は、如月更紗の隣にいることを望んだ。  もう――これまでのようには、いられないのだ。  選ばなければならない。  考えなければならない。  勝利条件は、如月更紗と共に生きること。  ああ――なんだ。そうか、どちらを選ぶにせよ、その前にはっきりさせなければいけないこ とは結局それなのか。僕だけじゃだめなのだ。僕がどうしたいかじゃない。問題は、如月更紗 がどうしたいかなのだ。  彼女が残りたいのなら、僕は残ろう。  彼女がうなずくのなら、僕は逃げよう。  そして――考えたくはないけれど――如月更紗が僕のことを好きでもなんでもなく、共にい ることを望まないというのなら、哀れなピエロとして僕は自分の手で物語を終えよう。それが、 如月更紗を選んだ僕にできる最後の方法だろう。  だから。  戦うとか、殺すとか、それ以前に如月更紗と話をしなければならない。これからのことを。 まじめな話を。  ……返す返すも馬鹿話をしていたことが悔やまれる。アリスが来る前に思いついていれば、 そのことについてちゃんと決断を下せたというのに。こうなってしまった以上、なんらかの形 でアリスを打破してからしか、結論を出せない。  ん……そう考えると、逆説的になるけれど。  如月更紗は――話をそらしていたのか? 結論を先延ばしにするために?  それはどういう意味を、 「冬継くん!」  名前を呼ばれて、僕は再度アリスが突進してきていることに気づいた。思考が急速に無産す る。さすがに三度目ともなれば目もなれる。右手には傘、左手には爪。リーチの差がある以上 、まずは傘に注意を払えばいい。  前にはマッド・ハンター。射線がかぶらないように僕はわずかに左にそれ、 443 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:34:40 ID:jWabB8ch  ふわりと。  音もなく――重力からとき離れたかのように、裁罪のアリスが飛んだ。ムーンサルト。空中 で反転しながら、僕とマッド・ハンターを軽々とアリスは飛び越える。重力から逃げ切れなか った髪が下にたなびき、スカートが大きく天蓋のように広がる。さらに身体をひねり、足から フェンスの上へと着地する。  ぎしりと、その重みにフェンスがたわんだ。 「そこまでやるか!?」  思わず声をあげてしまう。滅茶苦茶というか、はちゃめちゃだ。上海雑技団でもあるまいし、 そんな芸当までできるなんて誰が思うか!  あわてて振り返ると、そのときにはもうアリスはフェンスを蹴っていた。斜め上から襲い掛 かってくるアリス、構図はかわって僕が前でマッド・ハンターが後ろ。加速度は先の比ではな い、考える間もなく傘が、  ――ままよ!  反射だけで、前へと跳んだ。その場で、傘の一撃を受けきる自身はない。なら、相手が着地 するよりも先にいなすしかない。魔術短剣を上に構え、構えた瞬間には接敵する、  靴が見えた。  え、  声はでなかった。飛び込んできたアリスは――傘の間合いがずれると見るや、空中で姿勢を かえて僕の肩に着地したのだと――そう気づいたのは、地面に転がってからだった。衝撃を殺 しきれずにコンクリートの上をすべる。蹴られた左肩が、熱を持ったように激しく痛んだ。  僕を土台に跳んだアリスは空中でマッド・ハンターの斬戟をかわし、フェンスに傘をひっか けるようにして落下位置を変えて杖すらもかわした。ましらのような動き。そのくせあわただ しさはなく、妙に上品で洗練されていた。踊っているようにすら見える。  遊んでいるようにすら、見えた。 「ぐ、ぅぅぅうう、……」  もっとも攻撃を食らったこっちとしては遊びでもなんでもない。斬られなかったから平気、 だなんていえるはずもない。全体重をのせた衝撃を食らったのだ、皹くらい入っていてもおか しくない。左手動かすと引き攣ったような痛みが走る。  折れてないといいけど。  折れてなくても、痛いものは痛い。  痛いけど――死んではいない。 「世界びっくり人間ショーに出れそうだよな……」  死んでいないなら、まだやれる。魔術短剣を持った手でコンクリートを押さえて立ち上がる。 動かすたびに左腕は痛むけれど、動かすことはできる。それなら十分だった。爪が食い込むほ どに強く、魔術短剣を握りしめる。視界の先ではマッド・ハンターとアリスが一進一退の攻防 を繰り広げている。アリスもとんでもなかったけど、こうして離れてみるとマッド・ハンター の動きも目を瞠るものがある。 444 :いない君といる誰か ◆msUmpMmFSs [sage] :2007/10/13(土) 22:36:19 ID:jWabB8ch  若干……マッド・ハンターのほうが押されている、のか? 杖と鋏を器用に振うマッド・ハ ンターに対して、アリスは傘だけでその両方を捌いた上で反撃まで加えている。一見互角に見 えるけれど、よくよく観察すれば、じりじりと押されている。  なら――加勢しないと。  二人の下に足を一歩踏み出し、  踏み出しかけた足が止まった。 「………………」  一度痛みを受けたことで、頭のどこかが冷静になったことに気付く。  そうだ――僕は考えなければならない。  そして、決定しなければならない。  打破だなんて言葉で片付けてはならない。決着をつける前に、きちんと答を出さなくてはな らないのだ。裁罪のアリスをこの手で殺すのか、それともいなして逃げるだけなのか――それ すら決まってないで、何が『打破する』だ。  中途半端にも程がある。  この状況で出来ることは二つだ。一度裁罪のアリスをいなして逃げ、マッド・ハンターと―― いや、如月更紗と話をする機会を作るか。彼女に真意をきいて。僕一人でなく、二人で道を選 ぶか。  それとも――今、此処で、裁罪のアリスを殺すか。  五月ウサギが姉さんにしそうしたように。  白の女王が神無士乃にそうしたように。  殺害して、道を作るか。  それは――向こう側に渡ることに、他ならないけれど。狂気倶楽部と同じ側に立つというこ とだ。  僕は。  僕は、選ばなきゃならない――    →END1 この場は逃げる      END2 アリスを殺す

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