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264 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:02:11 ID:O9UzhNvy 「伝説の竜を倒した英雄…始まり始まり!」  わぁっ!と子供から歓声が上がった。歓声を受けて手書きの絵本を一枚捲る。 もう何度こうやってこの本を読むのだろうか。壊れた町並み。今尚、残る大きな 傷跡。  以前は港街として栄えていたこの街はもうかつての面影はなかった。倒壊した 建物、瓦礫が至るところに置かれたまま。病室から溢れた怪我人。怪我をしてま でも工事を手伝い人々によって復興作業は未だに行われている。そんな働く人の ために、子供達のお守りをしている。  よれよれの絵本をもう一枚捲った。 「昔々、あるところに悪い竜がいました…」  子供は無邪気に目を輝かせて絵本を見ている。絵本の始まりはいつも突然で… そして嘘で始まる。彼女と出会ったのは小さな丘だった。  今日もいい天気だ。作業を後押しするかのごとく晴れた何でもない一日。ここ 最近降ってない雨に感謝しつつもまた一枚捲った。  …暑くなりそうだな。まるであの日のように。始まりのあの日のように。    ………  ……  …  空が青く眩しかった。今日も晴れそうだな。陽の下に出た瞬間に照りつける光。 眩しい陽の光に目を細める。その中に紛れ込む弾んだ声達。  明日はお祭り…皆喜んでいるのだろう。祭りの準備でいつもにまして活気付い た町。そんな町で考えるは、彼方(かなた)のこと。まだ見たことのない遠く遠 く山の向こう側。  ここブリードはあたり一面を山に囲まれた町。商人が多く訪れる町でもある。  なぜこんな山に囲まれた町でと思うかもしれない。理由は…この山の何処かに 竜が住んでいると言われているからだろう。いや、住んでいるとは言えないかも しれない。誰も見た事はないのだから。それでも、竜がいると信じられている… 多くの者が竜の森から帰ってこないから。それは竜と会ったため帰れなかったと、 多くの者が口を揃えて言う。それを子供達は毎日のように聞かされる。森には絶 対に入ってはいけないと。  だから、この町では特に竜と言う存在は恐れられている。  おかげでここは名誉のために訪れる騎士、力試しに訪れる傭兵等、様々な人が 多く訪れる。その人達を狙って、商売が盛んに行われている。時には武器が、食 料が、酒が。こんな山の中なのにそれなりに人で溢れている。  そんな賑わいの中で俺は独りだった。 265 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:04:00 ID:O9UzhNvy  この町では、他の町とは違い竜を神として崇めている。商業発展の神としてだ。 いつからそうなったかもわからないが、今でも脈々と崇められている。なぜ恐怖 の対象をと思うかもしれない。それでも恐怖の対象であり、同時に富と繁栄をも たらす者でもあった。  だから、この町だけでは畏怖と敬意を込めて竜を神として崇める。いや、竜を 神として崇める町は他にもあるかもしれない。それは俺にはわからない。竜を殺 すほどの特別な力を持った一族もいるということも耳にしたことがある。  ただ、自分が生きてきた間には竜に会ったことも、会えたということも聞いた ことがない。ましてや、他の町にいるなどと聞いたことがない。  …まだわずか21年だが。    竜がいるのかどうかに疑問を持ったことはない。世界は広い。だからどこかに は存在するだろう。この町から出たことがない自分にとっては、知る術はないが、 いつか、世界の全てを見たいと思っている。  …約束したから。姉さんと約束した、もう一度会おうと。名前も顔も思い出せ ない姉さんと。  俺はこの町ブリードの近くに捨てられていた孤児だ。そのため親の顔も知らな い。勿論兄も姉も弟も妹もいない。そんな俺を拾ってくれたのは、ドウィヤとい うこの町1番の商人。勿論息子としてではなく、小間使いとしてだ。  そのため、必要最低限の旅の知識、商売の知識は叩き込まれている。そんな養 父からつけられたトモヤという名は今ではもう馴染んでいる。  幼い頃はこの町で生きて、この町で死ぬだろうと考えていた…皆と同じように。  すっかり祭りの雰囲気となった町を抜けるように足を速めた。何かに背中を押 されるように。  ……   「おい、これ」  そう言って、大きな届け荷を渡される。この荷物を指定されたところまで届け る。単純な仕事だが、重い荷物を持って何度も往復するのは大変だ。特に祭りの 今日は大変だ。  …これが俺の主な仕事。  もうずっとやっている仕事を今日も、同じように繰り返す。給料は端金。それ も日々最低限の生活をすると枯渇してしまうほどの端金。娯楽も何もできないほ どの端金。  それを雇い主であるドウィヤに話すと、 「お前は拾ってやった恩を忘れたのか!」 と返されたきり、2度と話すなと言われた。それを特に憎いとは思わなかった。 命あるだけましだ…そう昔から割り切ってきた。そうじゃないと、悲しいから。 266 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:05:47 ID:O9UzhNvy   「おつかれさん」 「おう、おつかれ」 「明日の祭りに誰と行く?」 「勿論、あいつとだよ」 「相変わらず仲がいいねぇ…」 「へっへっへ。うらやましいだろ」 「ああ、俺も女欲しいな」  祭りのせいか、どこか気が抜けている人々を横目に黙々と働き続ける。明日は 一年に一度の竜のための祭典。町中の仕事が休みとなる。ただ、俺にとってはほ とんど関係ないことだ。どうせ一緒に行く人もいないのだから。昔は姉さんと回 っていたのだろうか。曖昧な記憶から何も思い浮かんでは来なかった。 「…ただいま」  出たときと変わらない静かな家。中からは何も返事はない。辛い仕事でもたま に終わらないほうがいいと思う事もある。家に帰るとどうしても一人を意識して しまうから。そんな殺風景な部屋の寝床に腰をかける。家具は必要最低限…いや、 必要最低限にすら足りないぐらいだ。 「生きているだけ幸せか…」  今日も疲れたな。知らず知らずのうちに溜息が漏れていた。  手が無意識のうちに受け取ったお金を取り出す。やっぱり端金…。増えもしな いお金に溜息をついて立ち上がり、戸棚の上にある瓶を揺すると、中のお金が跳 ね返って音を立てる。少しだけ幸せな気分になれた。    また、お金が音を立てて瓶の中で跳ね返る…今度は小銭が入った音で。こうや って瓶の中にお金を貯めている。大分溜まってきたな。勿論、娯楽に使うわけじ ゃない。  もう十分かな…このお金は町を出るためのお金。  もう十分かな…拾ってもらった恩は返しただろう。  いつまでも一人の俺なんだから、この町に留まらなくてもいいだろう。窓から 見える月は何も答えず輝いている。  そうだな、明日の祭りを最後に町を出よう。そう考えると、祭りの日というの はいい区切りだったのかもしれない。  …心が軽くなるのを感じる。明日晴れるといいな。  軽くなった心とは違い、いつもと同じように布団は固く冷たかった。  ………  ……  … 267 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:07:22 ID:O9UzhNvy 「おまえ、親にすてられたんだってな」 「すーてごすーてご」  子供達が甲高い声で囃し立てる。周りには僕を苛める子供達だらけ。その中心 に僕がいた…その子供達と同じぐらいの歳の僕が。  …やめてくれ…。 「おい、なんとか言えよ!」 「…」 「おい!」  容赦なく蹴りが飛んでくる。体のいいサンドバック。もう、うんざりだ。捨て 子だから、苛められるのか?僕が弱いから苛められるのか? 「そんな汚い格好で歩き回らないで欲しいものだ。私達の評判まで落ちる」 「全く、親の顔が見たい」 「はは、親がいないのに可哀相ですよ」  笑いながら話す大人達。仕事場で待っているのは、嫌味だった。大人達が聞こ えるように吐く。ドウィヤは、便利な道具として拾っただけだ。愛情などない。  わかっていた。子供心ながらわかってはいた。それでも悲しかった。  その日、部屋で泣きながら決めた…この町を出ることを。  涙で濡れた枕の冷たさは、今でも覚えている。  ………  ……  …  嫌な夢を見た気がする。そんな重たい頭を払うように、顔を洗う。 「…はぁっ…」  思わず声が漏れる…少しだけましになった。最後までいい思い出がなかったな。  本当に…?姉さんは…?いつも耐えてきた。いつか姉さんが迎えに来てくれる と。だけど…本当はいないのではないか?俺を必要としている人などいないので はないか?  胸がジクリと痛む。やっぱり俺は要らない人間…。わかっていたことだけに余 計に悲しかった。  もう一度冷たい水を顔に浴びてから両頬を一度叩いた。もう何度見ただろう、 この鏡に映る痣を。いつもは服で隠れている首筋の奇妙な痣を一撫でして、顔を 今にも破けそうな布で拭いた。  外は昨日にもまして活気に満ちていた。それとは対照的に足取りは重かった。 この活気が憎らしくて、羨ましくて。余計に独りだと自覚してしまうから。  そうだな…こんな日ばかりは、戦士達も戦いを忘れているのかもしれない。い つも眉間に皺が寄っている顔とは違い、笑顔が零れている戦士達。その隣には同 じようにように笑う仲間達。そんな人波は小山まで…竜の祠がある小山まで続い ている。山道には出店が立ち並んでいた。  あの先には竜を祭った本堂がある。彼等は竜を倒すために竜に祈るのだろうか。  本末転倒で、少し笑えた。 268 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:09:03 ID:O9UzhNvy  ぶらぶらと人波を見ながら、人波とは逆方向に歩き始めた…見たい場所を探索 しながら。何度も見た町並み…だけど、これで見納めかと思うと、どの景色も新 鮮に感じられた。  …ここで俺は育ったんだよな…。  最後に、人がいない小さな丘まで辿りつくと、腰を下ろした。ここは家屋もな く眺めがいい、人もほとんど通らない。だから、子供の頃はいつもここで泣いて いた。悲しいことがあるといつもここに来ていた。  向こうには竜を祭ったあの小山がある。それも一望できる場所…秘密の場所み たいなものだ。灯りが一つの曲線のように連なっていて綺麗だった。小さく見え る人影…あれなら俺でも勝てるかもしれない。  そんな考えを浮かべては消した。  もう少しすれば陽も落ちる。ここからが祭りの本番。きっと賑わっているのだ ろうな。誰かと一緒に回っている自分を想像して、慌ててかぶり振った。幸せな ことは考えない。もし、幸せが来なかったら絶望してしまうから。  息が零れる。そんなことはこの町を出てから考えればいいと。きっと色んなこ とがあるはずだ。不思議と今まで持っていたもやが晴れる気がした。  真っ青だった空は…既に朱に染まっていた。  それはとても綺麗な空だった。故郷にいながら望郷の想いに駆られる。思わず 目をつむりたくなるような…思わずこのまま自分がいなくなるような、そんな気 持ち。このまま目を瞑れば、俺はいなくなるのかな?  強い風が吹いた。自分がいなくなるかと思うほど強い風。丘を山を撫でるよう に草花を掻き分けて吹き抜ける。草が花が風に気持ち良さそうに凪いでいる。そ れが合図だった。  強く強く目を閉じた。  風は強かった。思わず、自分が飛んでしまったのではと思うほど強かった。そ れでも、とても気持ちいい風だった。  ああ、この風が吹き抜けたら町を出ようと、荷物を持って町を出ようと。そう 決めた。 「…いい眺めだ」  誰もいなかったはずの場所から、自分の背中から、聞こえた声に慌てて振り向 いた。  …時が止まったようにも思えた。  その瞳は、はっきりしていた。その瞳の色は、過ぎ去った空の青を俺に思い起 こさせた。その女が何かをしたわけでもないが…ないが、体を蠢くものがあった。  …これは…恐怖…? 「い、いいいいいなが、がめ、だね」  喉が焼けたように、上手く喋れない。喉の奥に何かがつっかえている。  そんな俺に、興味を失くしたように女の視線が外れる。途端にかかっていた重 圧が軽くなった。  慌てて深く息を吸う俺とは違って、女はただただ、向こうを眺めていた。その 女の横顔はとても美しかった…人とは思えないほどに。その髪は風にたなびいて 揺れた。まるで世界を覆うように。俺の目は彼女を捉えて離さなかった。  それは恐怖?それは見惚れてた? 269 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2009/12/09(水) 13:10:34 ID:O9UzhNvy  どれぐらい時間が過ぎただろう。数秒…数分?長くて短く、短くて長い時間だ った。  ふいに、女が指を向けた…光が灯る小山に向けて。  女の指の先には夕日に隠れて色が見づらい、赤い灯篭が人波と一緒に走ってい る。ふと、祭りのことを聞いているのだと理解した。 「き、今日は祭りなんだ」  まだ舌が痺れているように回らない。 「竜にかかか、感謝する日と言ったほうがいいのかな」  それを知らないということはこの町の人間ではないのだろう。  いや、この違和感、人ではないのかもしれない。そんな現実離れした事ですら 受け入れられた。  ―― 「我を祭るとは…おかしなことだな」  本当におかしなことだった。一方的に敵としているのは人間の側なのに。いつ でも我らを敵として戦いを挑むは人間。我らはそれら全てを受け入れてそれに応 じるだけ。 「え…?」  人間の顔が驚きに満ちる。信じる信じないはどうでもよかった。ここにこの人 間がいて、此方(こなた)に降り立った…ただそれだけだ。  朱に染まった空は既に夜の帳を迎えようとしている。 「…そなたに案内を頼もう。報酬は命だ」 「い、命?!」 「…そうだ」  人間、それも命をとして戦う人間ではない人間。だが、人間よ。汝(うぬ)ら は特に己が命が惜しいのだろう?古来からそうであったように。 「ど、どこに…?」  どこに、か…。答えに少しだけ言い淀む。 「…我ではない我がいる場所までだ」 「もし、もし見つからなかったら…?」 「その時は手間賃として、そなたの命を助けようぞ」  瞳が人間を捉えるたびに、人間は竦みあがる。人間は矮小だと、決め付けてい た。それは圧倒的な力の差、それが生んだ結果だとはこの時からわかっていた。  そうわかっていた。それでも、人間を矮小と思い己を過大評価した。己が自身 の脆さに気付かずに。  …もしかすると、誇りの高さ故に気付いてながら見ない振りをしていたのかも しれない。だが、確かに我は求めた…この孤独を埋める何かを。そして、それは 得ようと考えればいくらでも得れるものと、力ある我なら他愛ないことだと勘違 いしていた。  例え、それを知っていたとしても、もはや、動き出した想いを止める術は既に なかった。
151 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:22:26 ID:b3sOhGwp 「伝説の竜を倒した英雄、始まり始まり!」  今か今かと待ちわびる子供達から口々に上がった歓声を受けて手書きの絵本を 一枚捲る。  ……こうして期待されていることが嬉しく、悲しかった。  倒壊した建物、瓦礫が所狭しと並ぶ壊れた街並み、到る所から香る薬品の匂い、 木材と鉄の擦れる音、病室から溢れた怪我人達、そして今尚残る大きな傷跡。  そんな以前は港街として栄えていた面影もなくなったこの街をなんとか復興さ せようと、怪我を押してまで手伝う人達のために子供達のお守りをしている。 「昔々、あるところに竜がいました」  よれよれの羊皮紙をもう一枚捲ると、現れたのは大きな身体と固い鱗に覆われ、 その翼を大きく羽ばたかせている竜。  インクが滲んでいるその絵は決してうまいとは言えなかったが、子供達の目を 引くには十分だった。  復興作業を後押しするかのように晴れた何でもない一日。ここ最近降ってない 雨に感謝しつつもまた一枚捲った。 「彼の竜の名を――」  まだ向日葵は咲いてないというのに、まるで始まりのあの日のように暖かくな った日に、忘れることの出来ない記憶が絵本と共に捲れていく。  ………  ……  …  突き抜けるほどに空が青く輝いている何気ない一日。  その陽のせいか、外に出るとこらえれきれなくなった緑の匂いが風に運ばれて 漂ってきた。  一歩陽の下に出た途端に、待ってましたとばかりにあでやかに照りつける光に 目を細める。  明日の祭りの準備でいつもにまして活気付いた町は弾んだ声がいたるところか ら聞こえた。中には気の早い祭囃子まで聞こえてきた。  そんな町で考えるは、まだ見たことのない遠く遠く山の向こう側。  ここブリードはあたり一面を山に囲まれた町でありながら、商人が多く訪れる 町でもある。  なぜこんな山に囲まれた町にと思うかもしれない。  それは、この山の何処かに竜が住んでいると言われているからだろう。いや、 誰も見た事はないのだから住んでいるとは言えないかもしれない。  それでも、竜がいると広く信じられているため、多くの者が森から帰ってこな いことは竜に会ったため帰れなかったと、老人達は口を揃えて言う。  そして老人達は子供達に、結びにいつも森には絶対に入ってはいけないと持っ てきた御伽噺として聞かせた。  だからこの町では特に竜と言う存在は恐れられている。 152 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:24:32 ID:b3sOhGwp  おかげでここは名誉のために訪れる騎士、賞金のため訪れる傭兵等、様々な人 が多く訪れる。  その人達を狙って商売が盛んに行われている。時には武器が、食料が、酒が、 様々な商品が行き交い、山の中なのにそれなりに人で溢れている。  ……そんな賑わいの中で俺は独りだった。  そのため、この町では他の町とは違い竜を商業発展の神として崇めている。い つからそうなったかもわからないが、今でも脈々と崇められている。  なぜ恐怖の対象をと思うかもしれない。それでも竜という存在は恐怖の対象で あり、同時に富と繁栄をもたらす者でもあった。  だから、この町だけでは畏怖と敬意を込めて竜を神として崇める。  もしかすると、この町から出たことのない自分が知らないだけで、竜を神とし て崇める町は他にもあるかもしれない。竜を殺すほどの特別な力を持った一族も いるということも小耳に挟んだことがある。  勿論、真意の程などさておき、というところだ。  ただ自分が生きてきた間には竜に会ったことも、会えたということも聞いたこ とがない。  ましてや他の町にいるなどとは聞いたことがない、まだわずか二十一年だが。    竜がいるのかどうかに疑問を持ったことはないが、こんなにも世界は広いのだ から、どこかには存在するだろう。  だから、遠く遠く山の向こう側の広い世界を知るために、そして姉さんとの一 つだけの約束を守るために旅に出たいと思っている、出来るのなら今すぐにでも。  町の近くに捨てられていた自分に本当の家族はいないというのに、顔も名前も 思い出せない姉と呼べる人がいたことだけは確かに覚えている。  そんな親の顔も知らない孤児である自分を拾ってくれたのは、ドウィヤという この町一番の商人だった、息子としてではなく小間使いとしてだったが。  その厳しい養父に幼い頃から必要最低限の旅の知識も、商売の知識も叩き込ま れた。  あれから随分と時が過ぎ、今では彼からつけられた“トモヤ”という名はもう 自分を形成する一つとなっている。  そうやってこの町で歴史を刻んできた自分は皆と同じように当然にこの町で生 きてこの町で死ぬだろうと、あの日までは考えていた……。  すっかり祭りの雰囲気となった、華やかに彩られていく町を尻目に仕事場へと さらに足を速めた。    仕事場は明日の祭りのためか忙しく動き回る人で溢れかえっていた。  そんな人達と関わることなく、無造作に置いてある大きな届け荷を持って、ま た外へと出る。  仕事はこの荷物達を指定されたところまで届けるという単純な仕事だが、重い 荷物を持って何度も往復するのは大変だ、今日という日は特に。  もうずっとやっている仕事をいつもと同じように、日々最低限の生活をすると 枯渇して娯楽も何もできないほどの給金で繰り返す。  それについて、過去に一度だけ雇い主である養父に話したことがある。 「お前は拾ってやった恩を忘れたのか!」と顔真っ赤にして怒る彼に二度と言う 事はなかった。  そんな彼を憎いとは思わなかった。命あるだけましだ……そう昔から割り切っ てきたのだから。 153 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:27:17 ID:b3sOhGwp 「おつかれさん」 「おう、おつかれ」 「明日の祭りに誰と行く?」 「勿論、あいつとだよ」 「相変わらず仲がいいねぇ…」 「へっへっへ。うらやましいだろ」 「ああ、俺も女欲しいな」  明日の一年に一度の竜の祭典のためか、どこか気が抜けている人々を横目に黙 々と働き続ける。  どうせ一緒に行く人もいない自分にとってはほとんど関係ないことだ。  昔は姉さんと回っていたのだろうかと想像しても、曖昧な記憶から何も思い浮 かんで来ることはなかった。 「……ただいま」  中から返事もなく、出たときと変わらない静かで殺風景な部屋。  家に帰るとどうしても一人を意識してしまうから、辛い仕事でもたまに終わら ないほうがいいと思う事もある。  そんな家具が必要最低限にすら足りない部屋の寝床に腰をかけた。 「生きているだけ幸せ、か……」  知らず知らずのうちに息が漏れていた。  手が無意識のうちに受け取ったお金を取り出す。  何度見ても増えもしないお金に一つだけ溜息をついて立ち上がり、戸棚の上に ある瓶を揺すると、中のお金が跳ね返って音を立てる。  少しだけ幸せな気分になれた。  今度は弾け合う音と共にお金が瓶の中で跳ね返る。こうやってぎりぎりな生活 をさらに切り詰めてお金を貯めている。  それは娯楽のためじゃなく、  もう十分かな、拾ってもらった恩は返しただろう。  ……町をでるためのお金。  窓に映る月明りは後押しでもしているかのように、輝いていた。  そうだ、祭りの日というのはいい区切りなんだと何度も自分を納得させるよう に呟く。  胸に秘めた決意とは裏腹に、布団はいつもと同じように固く冷たかった。  ぼんやりと、丘の上で一人遠くを眺める悲しそうな子供がそこにはいた。  ……すぐに気付いた、これは子供の頃の夢だと。 「おまえ、親にすてられたんだってな」  そう思ったのも束の間、すぐに風景が切り替わる。 「すーてごすーてご」  いつの間にか現れていた子供達が甲高い声で囃し立てる。その中心にその子供 達と同じぐらいの歳の自分がいた。 「おい、なんとか言えよ!」 「……」 「おい!」  サンドバックを叩くかのように、容赦なく蹴りが飛んでくる。  ……もう、うんざりだ。  捨て子だから、苛められるのか? 弱いから苛められるのか?! 「そんな汚い格好で歩き回らないで欲しいものだ。私達の評判まで落ちる」  見たくない夢がまた見たくない夢へと移り替わる。もう何度も見た夢なのだか ら、自然と覚えている。 「全く、親の顔が見たいものだ」 「はは、いないのに可哀相ですよ」  仕事場で待っているのは、笑いながら話す大人達の吐く嫌味だった。  養父は便利な道具として拾っただけで愛情などないことを、子供心ながらわか っていたから……いつかこの町を出ることを決めた。  あの時のことは、涙で濡れた枕の冷たさは、今でも覚えている。 154 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:29:42 ID:b3sOhGwp  丸まった毛布が寝床の下に落ちているのをしばらく、自分が今どこにいるのか 気付けずただ眺めていた。  まるで嫌な夢でも見たかのように重たい頭のもやを払うために、桶に貯めてあ った水を頭からかぶる。 「……はぁっ」  いつも耐えてきた。いつか姉さんが迎えに来てくれると……だけど、最後まで いい思い出がなかったな。  自分を必要としている人など本当はいないのではないか?  頭の中を支配していく疑問を洗い流したくて、何度も冷たい水を顔にぶつける。  例え思考が空っぽになったとしても、鏡に映る黒い髪で隠れた顔は沈んでいる のだろう。  そうわかっているからこそ、確認もせずにいつもは服で隠れている首筋にある 痣を一撫でし、今にも破けそうな布で顔を拭いた。  外は昨日にもまして活気に満ち満ちていた。それとは対照的に足取りは重かっ た。活気が憎らしくて、羨ましくて。余計に独りだと自覚してしまうから。  そうだな……こんな日ばかりは、戦士達も戦いを忘れているのかもしれない。 いつも眉間に皺が寄っている顔とは違い、笑顔が零れている戦士達。隣には同じ ようにように笑い合う仲間達。  そんな祭りを祝う人波は小山まで、竜の祠がある小山まで列となって続いてい る。その山道には出店が所狭しと、威勢のいい掛け声と共に立ち並んでいた。  あの人達の行くつく先にある祠は小さいが、自分が生まれる以前から存在して いる。  彼等はあの竜の祠に竜を倒すために祈るのだろうか。  それがひどく本末転倒で、少し笑えた。  何気なく人波を見つつも、その波の流れに逆らって過去の記憶を手繰り寄せな がら色んな場所を探索していく。  何度も見た町並み……だけど、これで見納めかと思うと、どの景色も懐かしく も新鮮に感じられた。  確かに自分はここで育って来た。  最後に人がいない小さな丘まで辿りつくと、腰を下ろした。  ここは家屋もなく眺めがいい。それに、人もほとんど通らない。だから、子供 の頃は悲しいことがあるといつもここに来て泣いていた。  丘から一望する竜を祭った小山に続く山道は、灯りが一つの生き物のように曲 線を描いていて綺麗だった。見える人影は、踏み潰せるのではないかと思えるほ ど小さかった。  そんな何よりも強い自分を想像しては消し、また浮かべては消していく。  もう少しすれば、祭りは本番を向かえる時間となる……笑い溢れた祭りの中を 楽しんでいる誰かを思い浮かべ、同時に誰かと一緒に回っている自分も考えた。  すぐに、慌ててかぶり振る。  そんなことはこの町を出てから考えればいい、きっと色んなことがあるはずだ。  真っ青だった空が痕跡すら残さないまま、一面朱に染まっているのに自然と息 が漏れた。 155 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:32:02  それは思わず目をつむりたくなるような、思わずこのまま自分がいなくなるよ うな、とても綺麗な空だった。故郷にいながら望郷の念に駆られる。  もし、このまま目を瞑れば……。  と、強い風が、飛んでしまいそうなほど強い山風が吹き抜ていく。  それは丘を山を撫でるように草花を巻き込んで吹き抜けた。草が花が風に気持 ち良さそうに凪いでいる。  その風が合図となり、強く強く目を閉じた。  強く、とても気持ちいい風を受けて考える……この風が吹き抜けたら町を出よ うと、荷物を持って町を出ようと。 「いい眺めだ」  確かにここには誰もいなかった、はずなのに突然聞こえた誰かに向けたとは思 えないその呟きに驚きと共に、振り返った。  勢いが弱まっても尚、葉花を散らせながら舞う風の中に女は確かにそこにいた。  過ぎ去った空の青を思い起こさせるはっきりとした瞳。その目と視線が合った 瞬間、体を何かが軋みながらうごめいた。 「い、いいいいいなが、がめ、だね」  喉がひりつくほど乾いて上手く喋れない。  そんな俺に興味を失くしたように女の視線が外れた、途端に今までかかってい た重圧が軽くなる。  女は遠くを眺めているただそれだけ、ただそれだけというのに自分の目は彼女 を捉えて離そうとしなかった。  その横顔は人ではないのではないかと錯覚するほどに美しく、その髪は真っ赤 に、そしてまるで世界を覆い尽くさんばかりに風にたなびいて揺れていた。  どれぐらい時間が過ぎただろう。数秒、それとも数分? 長くて短く、短くて 長い時間。  不意に、女が赤い灯篭と人波が連なって走る山道を指し示した。 「き、今日は祭りなんだ」  それは祭りのことを聞いているのではないかと直感して、まだ回らない舌を、 呼吸が通る度に痛む喉を必死に動かす。 「竜にかかか、感謝する日と言ったほうがいいのかな」  それを知らないということはこの町の産まれではないのかもしれない。  それどころか、人ではないのかもしれない、という現実離れした事ですら受け 入れられた。 「我を祭るとは、おかしなことだな」 「え……?」  だけど、言われると理解が出来るものではなかった。 「そなたに案内を頼もう。報酬は命だ」  その口から漏れた言葉の真意を聞こうと口を開く前に、女が言葉を発していた。  命と、そう紡いでいく女の表情は一つたりとて変わってはいない。人形のよう に美しい顔が、おかしいのは動いた口とさえ思えるほどに。 156 :群青が染まる 01 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/03/13(土) 13:34:38 ID:b3sOhGwp  ……それは朱に染まっていたはずの空が夜の帳を迎えるわずかな時間。 「い、命?!」  悲鳴にも似た声を上げながら、感じるのはこの女ならあっさりと実行するだろ うという確信に近いもの。 「ど、どこに……?」  そして、そんな彼女が怖かった……。 「我ではない我がいる場所までだ」 「……もし、見つからなかったら?」  謎かけのような言葉だけが脳裏を我が物顔で巡っていく……何を言ってるのか さえわからないそれが見つかるわけがないと。 「その時は手間賃として、そなたの命を助けようぞ」  その言葉に、安堵の息が漏れた俺とは対照的に一喜一憂する俺のことなど見も しない女。 「帰らせて貰えないか……」  口をついて出た言葉はそんな彼女への些細な抵抗だったのかもしれない。  すぐに“荷物を取りに”と付け加えた。

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