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139 :名無しさん@ピンキー:2010/02/19(金) 23:55:58 ID:G8ctObw9 大量にばら撒かれた黒髪をまとめてゴミ袋に詰めて、校内のゴミ捨て場に放り込み、木村千華を連れて自宅へ向かうことになった。 床には彼女が使ったらしい普通の文房具である鋏が転がっていて、これで切ったなら髪も痛むに決まっていた。 わかった、という短い返答以外、彼女からの意思表示は特になく、やっぱり何を考えているかはいまいちわからなかったが、素直についてきてくれるようだった。別に投げやりになっているわけではなさそう、と思う。 そもそもが素直な性格なのではないだろうか。ゴミ袋を探してくるから、箒でまとめておいてくれと言って一旦教室を離れて、戻ってくるとこれがまた鮮やかにまとめられていて、後はちりとりでゴミ袋に詰め込むだけという状態だった。 嫌いになって切った髪の後始末に、思うところはきっとあるはずだ。それでも、片付けようというこちらの言葉に誠実に応える姿は、自分勝手や我儘といったものからは遠い。 無口で無表情でも、実は気性が激しかったりしても、他人を拒絶しているわけではないのだ。声を掛けられたら、相手の名前を呼ぶくらいには。クラスメイトの名前を覚えているくらいには。 髪を切った理由を聞こうかどうか、ずっと迷っていた。本音を言えば、かなり知りたい。果たしてどんな理由で、あの拘りの黒髪を切ることになったのか。 でもそれは、もっと彼女が落ち着いてからでもいいと思った。そのうち、ゆっくりと話してくれたらいい。今は、ぼさぼさになってしまったその髪を整えて、それでまあ、少し親しくなれたらそれでいい。 140 :名無しさん@ピンキー:2010/02/19(金) 23:57:40 ID:G8ctObw9 大須賀理髪店は、おそらく木村千華の自宅と高校を直線で結ぶ延長線上にあると思われる。通学に使っているバスが同じだからだ。 当然推測である。要は毎朝乗ってくるバス停から、通っていただろう中学が隣の学校であることと、その辺りに住んでいることくらいは想像できるということだ。 彼女が普段使うバス停を二つ過ぎて降りて、先導しながら自宅へ向かう。ここまで会話らしい会話は一切していない。 明るく話題を振ってくる木村千華というのも想像できないので、こっちから何かしら声をかけたほうがいいかな、と考えつつ、どうにも思いつかないまま自宅に辿り着くこととなった。 明かりの消えた店内へ勝手に入り、照明をつける。 幼い頃から見慣れた、両親の仕事場。そして自分自身もまた、それを仕事にしようと手をつけて、もう三年ほどになっていた。 「適当に座っててくれ。準備するからさ」 入口で立ち止まって、物珍しげに見渡す木村千華に声を掛ける。髪をほとんど切ってないだろうから、床屋にはあまり縁がない子なのだ。 それじゃあ美容室なんかに通っていたわけでもないのか。それは少し、いやかなり意外な事実かもしれない。 彼女は自身から見て、一番近い理容椅子に腰掛けた。目の前の大きな鏡を通して、彼女の視線と目が合う。まあ見つめ合っていても準備できないので、受け取っていた上着をハンガーに掛け、さっさと梳き鋏を取り出して、刈布を持って彼女の髪を整えることにした。 141 :名無しさん@ピンキー:2010/02/19(金) 23:59:01 ID:G8ctObw9 「なあ、俺が髪触ってもいいのか?」 授業中にそうであるように、背筋を伸ばして座る木村千華。刈布を被せ、手洗いを済ませる間、ついに聞きたいことの一つを聞いた。 彼女は髪に拘りを持っていて、それをほんの少し前に衝動的に切り落としたのだ。もう愛着がないのかどうかもわかっていないし、他人が気安く触っていいものか確認したほうがいいと思った。 後ろに立っていても目が合う鏡越しに、彼女は頷いて、そして静かに目を瞑る。 遠慮はいらなさそうだった。鋏を構えて、彼女の髪に触れる。 指の上を流れる綺麗な黒髪は、思っていた以上に柔らかくて、彼女の髪を梳いている間、久々に何の雑念もなく集中していたと思う。綺麗な髪に触れていると意欲が出るという、それ自体を雑念と呼ばれてしまえば反論できない気もするが。 梳き終って時計を見れば、午後九時半を過ぎていた。 「……やべえ」 思わず口に出た。こんな時間まで女の子を拘束してしまった。身の回りにそういうことを気にする連中がいないせいで、完全に失念していたが、そもそも学校にいた時点ですでに夜だったのだ。 「木村、親とか大丈夫か、こんな時間まで」 刈布を振って髪を床に落とし、立ち上がった彼女の制服をはたきで払う。上着を取ろうと背を向けると、返答があった。 「大丈夫。心配なんてされない」 まあ、うちの両親も息子の心配などした例はない。こうして仕事場を勝手に使っていても何も言わないし、丸一日までは連絡がなくても放っておかれる。二日目になって初めてメールが来る。 木村千華の親子関係がどうなのかも興味なくはないが、今は彼女が家族に叱られるようなことにならなければそれでいい。しかし、いきなり短い髪で帰宅するのだから、そこは問題だったりしないのだろうか。 142 :名無しさん@ピンキー:2010/02/20(土) 00:01:05 ID:G8ctObw9 上着を渡そうとすると、木村千華がこっちを見ていないことに気付いた。 じっと鏡を覗き込んでいる。見ているのは、自身の髪だ。耳が見えるほど短くなったが、ぼさぼさだったさっきまでとは違い、短くはなったが、流れるような黒髪が復活していた。我ながら、なかなかの仕事ぶりと言える。 見つめるその表情に、嫌いになったから、と俯いたときのような暗さはない。純粋に驚いているように見えた。 「短い髪はどうよ?」 長い髪が嫌いになっても、髪そのものは嫌いにならないでほしかった。せっかくこんな綺麗な髪をしているのだ。 「凄く、新鮮な気持ち」 こちらに向き直った彼女は、少し笑ったようだった。 一人で帰らせるわけにはいかず、彼女を送ることにする。 バス停で二つ。歩けない距離ではないので、徒歩で帰宅すると言う彼女を少し前に、夜の住宅街を歩く。身長の低い彼女の歩幅は小さいので、ゆっくりとしたペースだった。 彼女の自宅は、やはり隣の中学の通学区域内にあった。ちょっと大きめの公園がすぐ傍にある、至って普通の一戸建。 143 :名無しさん@ピンキー:2010/02/20(土) 00:03:08 ID:G8ctObw9 外灯のついた玄関の前で、木村千華がくるりと向きを変える。 「今日は、ありがとう」 今までと変わらない、よく見る彼女の無感情な表情だったので、お礼を言われた事実に、かなり驚いた顔を返したと思う。多分、その表情を見たから、彼女はそこで少し笑った。今度は、はっきり笑顔とわかるそれだった。 「少し、楽になったよ。理由も聞かないでいてくれて。こんな風に誰かに優しくされたのは、初めて」 「いやそれは、なによりだけど」 こんな直接的に感謝を伝えられると、照れる以外にできることなんてないだろう。 「また明日、学校で」 「ああ。またな」 軽く手を振って、彼女と別れた。 自宅の方向へ歩き出してから、携帯を取り出して時間を確認すると、午後十時。寝るまでに何かできるような時間はなさそうだった。 無表情で無愛想だと思っていた木村千華は、意外と感情の起伏がある奴だということを知った。 素直で誠実な性格をしているらしいこと、気性はおそらく相当に激しいことも知った。何を考えているのかはやっぱりよくわからないし、個性的な子だという感想は変わらないままだが。 まあなんというか、彼女に言われた感謝の言葉に、寝るまで顔を火照らせてしまうことになったのだった。

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