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367 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:43:12 ID:cs8XlKqo  そこにいたのはしわがある顔をさらにしわだらけにした微笑みを浮かべたま まの、生気の感じられない老人。 「私の名など、どうでもいいことです……」  生気がないというより、存在そのものが希薄だった。 「それより、上手くこの部屋に来ていただけて本当によかった」  それが生きた人間ではないと感じられても、その温和な表情から怖いという 感情には決して行き着かなかった。  そんな老人が急かすように手を軽く持ち上げた、 「言わなければいけないことは一…っ!」  瞬間、屋敷が、世界が崩壊を告げるかの如く大きく左右に傾き、そして上下 に局地的な地震が起こったのではと思うほどに震え、揺れた。 「なっ……?!」  部屋内の本棚が、机が倒れていく。本が書類を巻き込んで荒れ狂ったように 飛び回るその揺れに、均衡を保てない身体を預けようと地面にへばりつく。  辛くも倒れくる物を凌いで体勢を立て直す自分とは違い、振動の影響をまる で受けていないかのように佇ずむ老人のその表情は、なぜか驚きに満ちていた。 「ま、まさかこ、これほどとは……」  動揺した感情を抑えるかの如く咳を払い、 「この屋敷を壊してください!」  まだ微震を繰り返す部屋の中を流れに任せてそのまま続ける。  それは今まで温和な表情をしていたとは思えないほど鬼気迫った表情だった。 「と、あなたに頼ろうと思っていました……」 「い、一体今何を言って、「しかし、お連れの方ならば、この屋敷を、この世 界を壊しきるのは間違いないでしょう」  畳み掛けるように続ける老人に言葉を挟めないまま、何が起こっているのか、 何が言いたいのか、ハルとマリンは無事なのかということがひたすらに気にな っていた。  言葉を終えた老人が諦めろとでも言うかのように左右に首を振る。 「こ、答えてください!! 何が言いたいのですか?! そ、それに今何が起 こっているのですか?! 」 「あなたは逃げるべきなのです」  急かすように続けた言葉も予想外の返答に詰まっても、それでも今が非常事 態だという事だけは理解できた。 「い、嫌だ!! 何か方法はないんですか?! 何でもいいんです、何か俺に 出来ることはないのですか?!」  何度も揺れては傾き、傾いては揺れるを繰り返す部屋で老人に一歩詰め寄ろ うとして、 「時間が、今しかないのです。なのに、ここに残るということは自殺行為その ものではないのでしょうか?」  意思とは正反対に歩みが止まる。  それを疲れのせいだとして片付けるのには無理があった。 「見てください。この机は、この部屋はもう十数年と齢を重ねているのです。 そう、この屋敷が現実から切り離されてからも」  やっぱりわからなかった、老人が何を言っているのか。 368 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:45:21 ID:cs8XlKqo 「気付いていなくても構いません、ここだけが唯一浄化され、いや浄化できた 場所なのです、そしてここが境界線です」  そう言って使用人が主にするように老人が恭しく窓を開けた。すると、途端 に生暖かくからみつく風が部屋中を、髪を顔を服を撫でて漂う。  それは床一杯に散りばめられた書類を巻き上げながら、木々の、花の葉達の むせ返りそうになるぐらいの新緑の匂いと、暖かくもあり暑くもある次の季節 の訪れを肌に感じさせる躍動を運んできた。 「あ、……」 「お気づきになりましたか? あなたはここを出れば助かるのです。逃げれる のです。幸いお連れの方は“あなたに関係なく”生き残るでしょう、ですが!」  老人が一際大きく息を吸った。  ……役に立つと、そう決めたのに。  何かに取り付かれたように窓に向けて足を踏み出そうと動いたのに気付いて、 倒れこんだともいえるほどの勢いで後退する。 「あなたは生き残れないでしょう」  壁にぶつけた背中の痛みよりも、何よりもついさっきまでの想いが霧散して いく事が、時間が経つほど痛みを伴って這い寄って来た。 「ですから、逃げても誰も責めますまい。何よりあなた自身覚えていないでし ょうし。早くお逃げなさい、現実に一歩踏み入れているとはいえここも一部、 屋敷が崩れれば同様に……」  窓から見える風景は明らかに異常だと思えるほど澄んでいて、切り離されて いると言った老人の言葉が確かにそのまま頷けた。  そう、電灯が点滅し始め大きく揺れる薄暗い屋敷と、陽が射し暖かそうな明 るく穏やかな外は皮肉なほど別世界なのだ。  ……俺は、逃げたいのか?  彼女は無表情でそんな事など、俺の事など気にせずいつもと同じように……。 「っ……、遠慮します! それよりも、俺に出来ることを教えてください!」  そう口に出す事で、奥歯と奥歯を噛み締めることで、それが決心となって音 を立てる。  この騒ぎで失念していた存在をやっと思い出す。  彼女はハルを連れて出ろと、彼は自分と同じ生き残れない側なのだから、だ から一緒に逃げろと、そういった。  ……未だにこの屋敷が壊れていないのも、きっとハルを連れ出すことを待っ ているから。  それは根拠のない期待、だけど今はそれに縋りつくしかなかった、じゃない と一歩どころか、ここで座り込んでしまいそうで。 「いい目ですね、私にもそんな勇気があったら……」  そして、何より自分のために誰かを犠牲にして助かるということは、あれほ ど嫌いだった養父と同じになってしまうようで怖かった。 「わかりました、」  老人がそんな覚悟を読み取ったのか諦めたように呟いて、深く息を吐く。 「いいですか、今から言う事をよく聞いてください。まずどうしても必要なも のがあります。それを見つけることができるかどうか……」 「そ、それは何ですか?!」  自分でも勢いよく飛び掛るといっていいほどに老人に食いかかったのがわか った。 369 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:48:56 ID:cs8XlKqo 「鍵です。これぐらいの大きさで、確か最後に見たときは赤黒く染まって、… …これが、……運命と言うものなのでしょうか? もう久しく見ることがなか ったのに、」  恐る恐るだした錆びた鍵に老人がまるで家族を見るかのように慈しみながら、 手を重ねる。  ……彼女は全部わかっていたのだろうか?  そう考えたときに、一際大きく傾いて、このまま世界の上と下が入れ替わっ てしまうと思えるほどに揺れた。 「まだ間に合うと思います、急いでください!」 「あなたは?」 「私の心配をしてくれるのですか……? ありがとう、名も知らぬ旅人よ。一 つだけ、一つだけお願いがあります。私の罪は許されないでしょう、ですが、 それでもお願いします。……息子を、あの男を楽にしてあげてください」 「……それで、いいんですか?」  それが、誰を指しているのかは自明の理だった。 「勿論です、……それとこれを」  老人がそれこそ子供を扱うように丁重に手に収まるぐらいの箱を持ってくる。  そんな長方形の箱を自分に手渡す老人に、窓を開けたという事実を忘れて、 物に触れれるという事に驚いた。 「全てが終わったらあけてみてください。きっと気にいると思います」  それに一度だけ頷いて走り出すと、尚重い足はもう止まることはなかった。 「開かない、……」  錆びたせいなのか鍵が一向に回る気配がない扉に、叩いても拳が痛むだけで開 くことはなかった。  教えられた目的地までは“すぐ”だった。そう何も、何もいない、ただ灯りが 点滅を繰り返す薄暗い廊下を走っただけ。 「開かない!!!」  手が震えて床が震えて、鍵が錆びていてそのまま食い込んでいるのではない かと思うほどに扉の鍵が回せない。 「くそっ!!」  苛立ちと焦りが濃くなっていく中力の限り動かすと、やっとのことで鈍い音 を立てて一回転すると共に、今にも折れそうで折れなかった鍵が先の部分は扉 に埋め込まれたまま根元から真っ二つに折れた。  そんな些細な出来事などお構いなしに、扉を破る勢いで老人のと全く同じ構 造の部屋へと滑り込んだ。 「あった!」  瞬間、まるで見つけてくださいとばかりに、誰かの瞳を思い出しそうな色の 液体が入った瓶が堂々と置かれていた。  片手に瓶、もう片方に貰った箱、おかげで埋まってしまった両手に、扉を勢 いよく肩でぶつかりながら開く。  後はこれを、言われたとおりに彼の息子にかければ終わる。  ……終わるんだ。 370 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:51:05 ID:cs8XlKqo  貰った箱と同じぐらい小さな三角錐の瓶をまた強く握ると、心臓がこんなに も辛いというのに、足取りだけは軽く感じられた。  そうして、何もいない廊下を、震源地に近づいているせいか振動がさらに激 しくなって来ていると感じながら、ただひたすらに駆け抜ける……。  あれほど真っ赤で鮮明だったはずなのに、随分昔からあるかのように引き千 切れ黒く染まった絨毯、ほとんど取っ手どころか原型を留めていない扉達。  走りながら見たその中は、どれぐらい年月を重ねたというのか、信じられな いほどに朽ち果てていた。  そして、もはや点灯すらままならないシャンデリア、錆びきって所々曲がっ ている手すりのついたエントランスの階段はどこが抜けてもおかしくないほど だった。  それは、今この衝撃で壊れたというよりかは、元から壊れていたというほう がしっくりと来た。  そんな疑問にも息をつく暇もなく、やっとの思いで辿りついたその階段を一 気に駆け上がる。  と、視界に最初に収まったのは、 「……、」  終わるという安易な気持ちをことごとく潰すかのように扉も壁も抉れ削れ今 にも崩壊しそうな広い部屋だった。  ……言葉がでてくるわけがなかった。  嫌に絡みつく唾が、引っかかりながら嫌な音を立てて胃に押し込まれる。  大気が圧縮と膨張を繰り返しながら、唸りをあげて世界を自分を押し潰さん とばかりに圧迫してくる。  なんだ、これは……?  何かを中心に恐ろしいほどの、たくさんの得体の知れない塊をその勢いに巻 き込みながら渦巻く嵐のような風。  金属同士が擦れ合い、弾きあいながらながら壁を壊す音でやっと気付いた、 それがあの鎧達の破片だということに。  当たればただではすまない、否応なくそれがわかると、一歩、また一歩と自 分でも気付かないうちに階段を降りていく。  この圧倒的な惨劇を起こしているのはマリンだと、そう思ったのはなぜだろ うか。  ……勿論出るわけない答えに、関係なく狂ったように唸りを上げ手当たり次 第の全てを壊しながら風が吹き荒れている、何人も近づけさせまいと。 「マリン!」  届くわけがない声が虚しく打ち消され、握っている手すりをもはや意味を成 さないのではないかと思うほどの風の唸り以外は何も聞こえない。  ハルがこの中にいるのだとしたら、と考えて裏腹にまた後ろに下がっていく。  ……何も見えない。何も聞こえない。 「あなたとは関係なく」と、老人が言っていた事がやっとわかった。  大気が痺れている、心の臓が凍えるほどの恐怖を撒き散らしながら、その怒 りが伝わる程に。  あちらこちらから金属音が鳴り響くごとに、崩れ落ちる壁や屋敷そのもの。 371 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:53:42 ID:cs8XlKqo  ……ここに、……飛び込むのか……?  何も出来ないまま、歯を鳴らせ、ただずっと立ち竦んでいたのを強烈な異臭 と共に緑色の何かが潰れる音を立てて目の前に飛び散ったので気付いた。 「あ、あ……」  そのあまりの腐敗臭に少しでも芽生えた、飛び出すという気持ちが、あっと いう間に萎んでいく。 「マリン!!!」  喉が枯れるほどに叫んでも、何一つたりとて変わらない目の前で起こってい る惨劇。 「マリン、マリンマリンマリン!!!」  それでも、聞こえて欲しい、聞いて欲しい。  諦めと焦りが身体を支配していく、震えを伴いながら。  ……ここで諦めても、許してもらえるだろうか?  マリンはきっといつもの顔で、老人は「やはり無理でしたか」と笑ってくれる。  だとしたら、だとするならハルは? 彼を見捨てるのか? 「あ、ああああああぁぁぁぁぁ!!!」  自問は一度しかなかった、自答する前に竦む体を無理やりに、それでも割れ ないように身を覆いながら、同じように迷いを僅かに孕んで吹き荒れる風の中 心へと、この力が放たれないのはマリンが待ってくれているからという考えを 未だに信じ込みながら嵐の中に踏み入れた。  細かな破片は壁に刺さりきったとはいえ、その行為は“自殺行為”以外の何 者でもなくても、わずかな距離が永遠にも長いように感じられても、足を進め る度に力となってまた足を進める。  だけども、部屋の入口から十歩、飛ばされないように保っていた自分の身体 が抵抗できないまま飛ばされたのに気付いたのは、たったの十歩目だった。  およそ自分が今どうなっているのか理解する暇などなく、流されるままに打 ち付けた身体は、もはや声すらもでなかった。  肺から掠れた息が漏れる音と、寂しげな曲が、生の終わりを告げるにはお似 合いの音楽が流れるままに耳を掠めて、やっと結末がここにあったことを頭が 理解をする。  …お…ん、がく…?  この恐ろしいほどの怒りに満ちた荒れ狂う力の中でその音楽だけはとても優 しかった。 「何を、……何をしている?」  だからそれ以上の優しさを行き渡らせた穏やかな今に、声を届けたかった彼 女がすぐそこにいる嬉しさに、それが夢だとしか思えなかった。 「置いて逃げたのでは、なかったのか……?」  ……なんで、ないているの? なかないで、いとしきひと。  何て運がいいのだろうかと、肺が痛み中精一杯の力で、奇跡的に割れていな い瓶を持つ手を少しだけ高く上げても、彼女の頬へは到底届きそうにない。 「な、げ、て……」  でもそんなことはもうどうでもよくて、ただひたすらに暖かく柔らかい何か に、このままうずくまっていたかった。 「―――?! ――!」  そうして部屋一杯、何かが割れる音と悲鳴が入り混じって響き渡る中に、迎 えに来た程よい眠気に赴くまま目を閉じる。  ……ここでならおわりでも、いいかな。 372 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:56:39 ID:cs8XlKqo 「――ろ! ――るんだ! っ、起きてくれ!」  誰かが、透き通った声が耳を、顔を撫でていく。  ……くすぐったい。  億劫に思いながら開けた視界に映り込んだのは晴天の青だった。 「マ、リン?」  空と思っていたのに、空より青かった彼女の瞳がそこにはあった。  天気雨が降っているのか濡れている頬を手で拭いながら、晴れきった大空を 仰ぎ見る。 「……ここは?」  まだ鉄でも入っているかのように重たい頭を振りながら、全身にあちこちが やけに痛む身体を起こす。  なぜ痛むのかもわからないままに広がった視界に、そこは他には何もなくそ こだけ切り取られたような広場のように開けた場所だということがわかった。  そんな陽がこれでもかと照りつける自分がいる位置から少し離れた所に、涎 をたらしながら寝ているハルを見てなぜか胸を撫で下ろしたい気持ちが奥底か ら湧いてくる。 「き、つねに、……狐に、摘まれた顔をしてるぞ」  そう言って、開いた口が、相好を崩した澄み切った空に負けない彼女の顔に 開いた口が塞がらなかった。 「え? あ、え?」 「行くぞ」  まだわけもわからず呆けたままの自分を、突然に引っ張る力に前に倒れそう になりながら、痛むが動けないほどではない足を踏み出して、 「ハ、ハルはどうするの?!」  思い出した。 「そのうち起きる、放っておけ」 「で、でも!」  それは、 「あれ? ここはどこや?」  抗議をしようと、びくともしない彼女の手を力の向きとは逆に引っ張った時 だった。  何かに襲い掛かるのではと思うほど勢いよく起き上がるハルを見てやっと安 堵の息をつく、 「トモヤはん聞いてや! マリンはんがわいのこと好きやって!」  と同時に叫んだ彼を見て、真一文字に結んでいた口が自然と砕ける。 「そんなわけないだろう」  夢でも見たのでは? と反射的に言おうとした時だった彼女の声が聞こえた のは。  その言葉にさらに笑いがこみ上げてくる。 「そんなあああああぁっ!!」  盛大に笑った後、未だに固く結んで触れ続けている手と手、影と影に今更な がら顔が熱を持つのを感じても、それでもずっと繋げていたかった。 「どうした?」  それに軽く首を振りながら、森は入った時に比べて随分明るく陽が当たって いる静かな、それでも生命の営みが確かに感じられる森を眺めていく。  何かが終わったような、何かを終えたような気持ちに彼女の手を殊更強く握 り締めていた。 373 :群青が染まる 06 ◆ci6GRnf0Mo [sage] :2010/04/17(土) 17:59:28 ID:cs8XlKqo 「それは?」  そんな最中ふと気付いた、マリンの逆側に手に握られている“何か”に。 「ああ、これか? そうだな、もらい物だ。……そう、大切なもらい物だ」  そう言って、器用に片手でその何かの蓋を開くと優しい音楽が寂しげだった 森をあやすように散らばっていく。 「……ありがとう」  音楽に載せて呟いたその言葉は、まるで自分に向けられたようにも感じられ たのはどうしてなのか、結局わからなかったけれど、彼女の顔を見て刺さった 棘は、もうどこも痛くはなかった。

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