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540 名前:赤と緑と黒の話 第四話[sage] 投稿日:2010/08/19(木) 21:52:16 ID:e+1QZpgx [2/8] 再会は、唐突に訪れる。 今年の12月は雨天が続く。ここ二週間で太陽を拝めた日数は、5本の指で数えられるくらいだ。 こうも雨天が続くと、嫌でも陰欝な気分になりがちだ。それは生徒たちにとっても例外ではないらしく、クラス内は授業中はおろか、休み時間でさえも覇気がない。 俺にとっても、雨は歓迎したくないものだった。何故なら、雨が降るときは大抵何かしらの一悶着があるからだ。 と言っても、29年間で雨が降った全ての日に何かがあった訳ではない。ただ、俺にとって忘れられないであろう出来事があった日は皆、決まって雨が降っていた。 故に、雨が降ると気が抜けない。いつの間にか、そんな精神構造が形成されていたのだろう。 夕方、これから開始される職員会議の内容は毎度同じく、冬季休業の前後の行事予定について。 三期制から二期制に変わり、冬休み前に成績を算出する必要はなくなったものの、各種式典、行事など、まったく忙しくない、というわけでもないのだ。 「えー、それでは」副校長はややもったいぶった口ぶりをした。 「会議を始める前に…先日転勤された持田教員の代わりに、といっては何ですが、本日から我が校へ新たに赴任される方を紹介します。…どうぞ」 副校長の合図と共に、誰か-新しい教員だろうか-が、職員室の裏にある事務室から現れた。全員の注目が、その教員へと集まる。当然俺も、同じ方角へ視線を向けた。 「えー…彼女は樋口 麻梨亜さん。担当教科は数学。担任を受け持つクラスは…」 ---馬鹿な。 樋口麻梨亜。副教頭は確かにそう呼んだ。だがあの栗色の髪をした女性は… 「樋口麻梨亜です。みなさん今日からよろしくお願いします」 耳触りの良い澄んだ声。花のように可憐な笑顔をしたその人は、間違いなく俺の姉さんだった。 何故。もう14年近く消息がわからなかった。両親には「最初からいなかった」と言い聞かされ、それでも決して、俺の記憶の中から消えることはなかった。 湊と出逢い、ようやく記憶の中の束縛から解放されると思ったのに。何故、今になって俺の前に現れる? 541 名前:赤と緑と黒の話 第四話 ◆BaopYMYofQ [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 21:53:52 ID:e+1QZpgx [3/8] ****** 「何のためだ、なんて随分なご挨拶ね? 刹那?」 職員会議も終わり、生徒も全員下校した、宵闇の中の校舎に、俺と姉さんはいた。 特に当てはない。月が昇る頃には雨も上がったが、屋上に並んで座って空を見上げても、雲に隠されてさすがに星は見えない。 「14年ぶりに再会したんだからさ、もっと楽しいお話しようよ?」 「そういう姉さんは、14年経っても全然変わらないな」 平静を装う。ただそれだけの事が、今の俺には非常に困難なことだ。 心臓は早鐘を打つかの如く鼓動を刻み、胸の奥が締め付けられるかのような錯覚を覚える。 「でも敢えて言うなら、そうね。風の噂で刹那が教師になったと聞いて、私も教師になった。ただそれだけよ」 随分と簡単に言ってくれる。まるで自分には不可能などないのだと、言っているのか。 だが確かに姉さんは優秀だった。実際、頭脳勝負なら姉さんの右に出る者はそうはいないだろう。 勉強さえ出来ていれば、教師になる事自体はそう難しくはない。だから、姉さんには俺の後を追う事は簡単だったのだろうか。 「こうして二人きりでいると、昔を思い出すわね。水車小屋で過ごした短い日々、とか。 ねえ刹那、貴方はどうなの? 昔と変わっちゃったのかな?」 姉さんの手が、俺の頬に触れる。 「…俺はもう、昔とは違うよ。姉さんがいなくなって、確かに辛かった。でももう、違うんだ。 今の俺には大切なやつがいる。そいつのおかげで、俺は変われたんだ」 俺はそっと姉さんの手をとり、頬から離した。 「………ふぅん。刹那、私が昔貴方に言った言葉、覚えてる?」 声のトーンが少しだけ、下がったように感じた。 「何の話だ」 「---忘れたの? まあ仕方ない、か。何でもないわ」 姉さんはすっ、と立ち上がり、校舎へ戻ろうと振り返る。俺は座ったまま、頭だけ振り向き、姉さんを見る。 「まあ、明日からは同じ職場仲間なんだし、よろしくね。それから、学校では"姉さん"じゃなくて、"樋口麻梨亜先生"、よ?」 おやすみ、と付け加えて姉さんはドアノブに手をかける。 キィ、と古ぼけた音を立てドアは開かれ、姉さんは屋上を後にした。 「………姉さん」 変わった、と思ったのに。姉さんを前にして胸の鼓動が鳴り止まない。未だに俺は、姉さんの掌の上にいるのだろうか? 「誰にも渡さない。刹那は私だけのものなんだから、ね」 542 名前:赤と緑と黒の話 第四話 ◆BaopYMYofQ [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 21:55:39 ID:e+1QZpgx [4/8] ****** 部活がない日は退屈で仕方がない。独りで下校する時間も、家で朝を待つ間も。先生がいない時間全てが、空虚。 それでも私は、贅沢なんて言わない。深望みなんてしない。 元々私は誰かに愛されるほどの価値なんかない、汚れた女。 そんな私を愛してくれてるんだもの。これ以上欲張ったら、罰が当たっちゃうよ。 …でも、本当はわかってる。先生が、お姉さんをまだ忘れられてないことを。 先生が私の膝で眠る時、たまに呟く一言。"姉さん"と。 それを聞く度に胸が押し潰されそうになる。惨めで、憎くて、悔しくて。私はいつになったら、先生にとっての唯一になれるのかな? もっと可愛くなる努力をしなきゃ。料理だっていっぱい覚えて、結婚したら毎日作って、喜んでもらうんだ。 お姉さんの髪は栗色だと言った。でも私は黒髪。なら、栗色に染める必要があるかな。 そんな空想をしながら私は一人、夜の帳が落ちた街中を歩く。私は登下校にバスや電車を使わない。 毎日徒歩40分の距離を歩く。徒歩40分程度の距離なんて、大した事ないよ。先生の事を考えていれば、あっという間に過ぎる。 先生はきっと心配するだろうから、内緒にしてるけど。ごめんね、先生。 ふと目が止まったのは、毎日通り過ぎる公園。いや、果たして公園という呼び名は、遊具が一つも無い空間に相応しいのか。 兎に角、入口に"公園"と書かれているのだから公園という扱いなんだろう。 普段は誰もいないその"公園"に、珍しく人がいたから、何となく目が止まってしまった。だけど、暗くて顔がはっきり見えない。 私が視線を送っているのに向こうも気がついたのか、こちらに近づいてくる。 そうして顔がはっきり目視できる距離になって初めて、私は身体が底冷えするような感覚に襲われた。 「……朝霧?」と、男は私の名前を呼んだ。 蛇に睨まれたように。背筋に悪寒が走り、お腹の中がむかむかするよう。なのに足はぴくりとも動かない。 彼の名前は神谷 準。忘れるはずが無い。傷付いた私の心を、完膚なきまでに打ち砕いた人を。 「しかもその制服…あの高校のか? こんな所に越してたんだな」 彼が何故ここにいるのか。彼の住んでいた町は、ここから2、3駅は離れているはず。 「…俺も今度、こっちに越して来たんだ」 そして神谷君は何故。かつて「汚らわしい」と罵った女に対して、こうも平然と話し掛けられるの? 「なあ朝霧、俺-----」 もう堪えられなかった。私は足に目一杯力を込め、脱兎のごとくその場から逃げた。 後ろから何か、声が聞こえる。けど、それを聞き取る余裕なんかなかった。 走る。足ががくがくして、何処をどう来たのかもわからないくらいに。 そうして後から込み上げてきた吐き気にようやく私は足を止めた。 「ごほっ………ぐ、ゔぅっ…はぁ…はぁ…」 震えが、寒気が治まらない。身体中を掻きむしりたい衝動に襲われる。…あの時と同じだ。 『騙しやがって、嘘つき』『俺を騙して遊んでたんだろ、ビッチ』 『信じられるかよ、消えろ』『汚い手で触るな』 彼に吐き捨てられた呪詛が脳裏をよぎり、汚れた身体への激しい嫌悪感が襲う。 「嫌ぁ----------!!」 そこで私の意識は(少なくとも正気は)、途切れた。 543 名前:赤と緑と黒の話 第四話 ◆BaopYMYofQ [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 21:59:21 ID:e+1QZpgx [5/8] ****** 「………なんですって、みn…朝霧が?」 俺がその連絡を受けたのは直後、帰宅の準備をしに職員室に戻ってきたときだった。 姉さんの姿はもう無く、一足先に帰ったようで、職員室内には俺を含め三人の教員しかいない。 そんな中にかかってきた電話の内容は、我が校の生徒と思しき女子が、道路に倒れていたというもの。 連絡は、その近隣にある交番からで、現在は仮眠室で落ち着いて眠っているとの事だが… 発見当初はまるで気が触れたかのような有様だったという。 「…ええ、わかりました。ひとまず私が迎えに行きます。…ありがとうございます」 受話器を置き、すぐに俺は車のキーを掴み、駐車場へと走った。 おおよその場所は番地からわかる。あとは足で探せばいい。 エンジンをふかし、アクセルを踏み込む。迅速に、かつ安全に。 大通りから住宅地へと進入し、電柱に記された番地から位置を推測していった。 「…ここか」 交番は、住宅街の端の方にぽつりと建っていた。車を交番の横に停め、車を降りるとると若い駐在員と目が合った。 「お電話いただいた十六夜 刹那です」 「…変わった名前ですね」 「よく言われます。…それで、朝霧は?」 そう言うと駐在は奥の仮眠室へと俺を案内した。 駐在員の話によると、仮眠室というのは俗称で、以前までいた怠惰な警官が勝手にベッドを備え付け、仮眠室としたらしい。 ちなみにその警官は、不祥事を起こしてここを離れたらしいが、ベッドだけは有効利用しているようだ。 「教員の方がいらっしゃいましたよ、先生」 "先生"という呼び名は、俺を指したものではなかった。 仮眠室にはベッドで眠っている湊ともう一人、白衣を着た釣り目の若い女性がいた。 「貴方がこの娘の担任?」 女性は俺を見ると椅子から立ち上がり、簡単に自己紹介を始めた。 「私は大庭 雪子。…この近くの診療所のものだ」 黒と白のコントラスト。湊よりもずっと、いや不自然に長い、膝元まで伸びた黒髪。 しかし大庭先生はその髪がつい今まで床に垂れていたというのに気にする素振りなど微塵も見せず、埃を払おうともしなかった。 「すまないが田辺さん、二人で詳しい事情を話したい。少し外していただけるか?」 「は、はあ」 田辺、と呼ばれた警官は言われるまま、そそくさと席を外した。 「…さて、まずはこの娘の状態を説明しようか」 大庭さんは湊の眠っているベッドに腰掛け、手の所作で俺に、今まで座っていた椅子に座るように促してきた。 俺はそれに倣い、椅子につく。 「…一言で言い表すならば、この娘は"異常"だ。身体中を掻きむしってたんだ。…笑いながらね。 能無し田辺が、私の診療所ではなくこんな煙草臭い場所へ運んできたから、簡単な処置しかできなかった。 それともう一つ…この娘はうわ言で、貴方のことを呼んでいたよ」 「俺の…ことを…?」 「くくく…随分と愛されてるんだな、"センセイ"?」 544 名前:赤と緑と黒の話 第四話 ◆BaopYMYofQ [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 22:00:56 ID:e+1QZpgx [6/8] 見抜かれているのか、俺と湊の関係を。大庭さんは不敵な視線を送りながら、にやりと笑った。 「私にはわかるんだよ、センセイ。…この娘、憎たらしいくらいに昔の私に似ているからねぇ」 「………」 「くくく…せいぜい大事にしてやることだね。でないと貴方、殺されるよ? さて、そろそろ移動しようか。 私の診療所へ行こう。私は煙草の匂いが大嫌いなんでね。センセイは車で来たんだろう? 運ぶの、手伝ってもらうぞ?」 大庭さんはそう言うと、さっさと部屋を出ていってしまった。俺に湊を運べ、という意味なのだろう。 俺は今もベッドで眠っている湊を、努めて優しく両腕で抱えた。 「………こんなに包帯が」 包帯は首元から手首まで、ブラウス越しに身体にも巻かれているのがわかる。 「…俺が、守ってやるからな」 ---今度こそ。湊に、あるいは自分に言い聞かせるように、俺は呟いた。 ****** 大庭診療所・待合室。湊の診察は30分以上にわたり行われていた。 …身体に包帯を巻いただけでは済まなかったというのか? と俺は若干の不安を感じながら診察が終わるのを待っていた。 「待たせたね、センセイ。…ほら」 診察室の扉が不意に開かれる。大庭さんは、目を醒ましたらしい湊の手を引きながら現れた。 「………せつn、先生…?」 しかし湊は、動かない。…手と、足が微かに震えている。なんとなくだが、俺は感じた。湊は恐れている。例えば…俺に嫌われる、とか。 そう思った理由は、以前も同じ表情を見たことがあるからだ。…あの茶道部室で。ならば俺は。 湊の不安を消し去るように、優しい表情で努めて両手を差し延べた。 「…おいで、湊」 「………うん……ぐすっ」 ちらちらと見える包帯が痛々しい。けれどそれ以上に、湊の温もりを、呼吸を直に感じられたことで俺は安堵していた。 「…そこで愛し合うのは勝手だがね、うちのベッドは貸さないよ?」 大庭さんの皮肉に、俺ははっ、と視線を戻す。 「診察結果だが…まあ異常なし、だ。安心したまえ。それと一応、塗り薬と湿布、包帯だけ処方しておく。 …次馬鹿な真似をすれば、塩を擦り込んでやるからね?」 大庭さんはぽい、と薬やら何やらが入った紙袋を俺達に向けて放った。 「私はこれでも朝早い仕事なんでね、そろそろ寝させてもらうよ。 鍵は開けっ放しで構わない。うちにはまともに盗めるものなんてないからね」 黒髪を引きずりながら、大庭さんは診療所の奥へ消えていった。 …俺達も帰るとするか。湊の手を優しくリードし、俺達は診療所を出た。 545 名前:赤と緑と黒の話 第四話 ◆BaopYMYofQ [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 22:04:14 ID:e+1QZpgx [7/8] 外は院内に比べて段違いに寒くなっていた。12月は夜ともなれば、厳しい寒さが待っているものだ。 車に素早く乗り込み、暖房をかける。俺が湊の自宅を割り出そうとカーナビを操作していると、湊はか細い声で呟いた。 「………今日は、先生の傍にいたい」 「…湊? 親御さんが………あ」 言いかけて、思い出す。湊は母親からすらも、言葉を以って傷付けられていた事を。 湊にとっては親すらも、信頼に値しないという事を。 「わかった。今日は俺の家に来い」 「…!」 「その前に…何か食ってから帰ろう。今日は、ゆっくり休んでいいからな?」 「あ、ありがと…刹那!」 笑顔が眩しい。可愛らしくて、純心無垢な笑顔を見て俺は、心が躍るような錯覚を覚える。 …この笑顔の為なら、俺は尽くそう。姉さんにすら抱かなかった新たな感情を胸に、俺は車のアクセルを踏み出した。 ****** 同刻、職員室内。 職員室内にはただ一人、樋口麻梨亜が資料を読みあさっている姿があった。 「…へぇ、朝霧 湊っていうんだ、あの娘」 麻梨亜は資料を読むと同時に、片手でパソコンのキーを叩く。 現在麻梨亜が試みているのは、個人情報の違法入手。言うなればハッキング。 元々優秀な麻梨亜にとってはハッキングなど、教師になるのと同等か、少し易しいくらいに容易なのだった。 「……ふーん、色々あったんだねぇ。可哀相に」 インターネットをさ迷い、ほんの数分で麻梨亜は湊の過去を調べた。 学校裏サイト、近隣病院への通院記録など、情報は、痕跡はいくらでもある。 「…さて、私の可愛い刹那をたぶらかした仔猫ちゃんには、どんな罰が相応しいかしら?」 優秀で美麗、非の打ちようがない麻梨亜がそこまでひとつの事に執心になる理由はただひとつ。 自分の所有物を取り返し、泥棒に罰を与える。ただそれだけだった。

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