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167 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:03:22 ID:smCxXBM3  結論から書くという手法は、作文や説明文を作る時によく使われるやり方の一つだ。  かく言う俺も結論を先に書くタイプである。  次に、なぜその結論に至ったかを長々とした文章で綴っていく。  最後に結論を再度述べて締める、という書き方をする。  そうすると、読む側の人間に、言いたいことが最初に伝わる。  ああこいつはつまりこう言いたいんだな、と考えさせ、文章への理解を誘えるのだ。  結論があると、自分で書く時も混乱しない。ぶれることが少ない。  かつての、作文の書き方が分からなかった俺は、このやり方を知ってから、作文の課題で困らなくなった。  まあ、なんで文章の書き方なんてものについて考えているかというと、だ。  さっきまで我が家で繰り広げられていた事態について、説明するのが非常に困難だったからだ。  何かとっかかりが欲しかった。  最初に起こった出来事から説明してしまえばいいのだが、混乱している今の頭ではそれすら難しい。  なので、簡潔に結論を述べよう。  我が家を訪ねてきた人々は、大きな怪我もなく、全員無事に帰宅した。  以上、説明終わり――としたいところである。  しかし、たった一行や二行しか書かれていない作文を提出しようものなら、教師から書き直しを要求されることは必至。  なので、全員が無事帰宅するに至った経緯を説明する。  まずは状況について。  俺ら三人兄妹、澄子ちゃんと藍川、玲子ちゃん、花火。  これだけのメンツが俺の家に集合した。  特に決めたわけでもないが、集合場所は、玄関前に広がるたいして広くない庭だった。  妹は俺に抱きついたまま、特に何も口にしなかった。  澄子ちゃんと花火は正面から視線をぶつけ合っていた。  藍川と玲子ちゃんは何のアクションもとらず、じっとしていた。  弟のやつは、家に澄子ちゃんが居たことが予想外だったようで、明らかに困った顔をしていた。  俺はというと、中学の制服を着ている妹の感触を味わっていた。  この中で複雑な関係にあるのは、弟と花火と澄子ちゃんの三人である。  花火と澄子ちゃんはお互い対立関係にあるようだった。弟の取り合いが原因だと思われる。  三人が一堂に会しているので、修羅場になることは容易に想像できる。  だから俺は、妹の感触に胴を包まれながら、内心戦いていた。  無事に収まるのだろうか。ひょっとしたら怪我人が出るんじゃないか。主に俺が無事じゃ済まないのでは。  そう俺が思ってしまうのは、最近の傾向から鑑みた結果である。  いい加減、そういうワンパターンなのはやめてもらいたい。  たまには俺以外の人の身が危険にさらされろ。たとえば弟とか。  もしくは高橋でも良い。親友なら、俺のことを助けてくれるに決まってる。  溺れる者は藁をもつかむとは、その時の俺を的確に言い表していた。  結果は俺の予想から外れた。  花火と澄子ちゃん、二人の修羅場。二人を鎮めることができれば。俺はそう考えていた。  その考えは、なんというか、小っちゃかった。  異常な事態を沈静化する方法は、何も一つだけではない。  飲み込んで、無かったことにしてしまえばよかったのだ。  女二人の修羅場すら飲み込むような、へんちくりんな事態。  それが目の前で起こり、そのあまりの勢いに、俺の心の冷静な部分まで飲み込まれてしまったようだ。  今も浮ついているようなものだが、ちょっとだけ落ち着きを取り戻した。  説明しよう。俺の家という限定された空間において、何が起きたのか。  あれは、今から遡ること三十分。  小腹の空き始める、午前十時頃のことだった。  :  : 169 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:05:14 ID:smCxXBM3 「……なんだ、懲りずにこんな所まで来ていたのか、木之内澄子」 「お生憎さま。あれぐらいで懲りるほど、アタシの決意は甘くないのよ。葵紋花火」  対峙する花火と、澄子ちゃん。  花火は弟を背にして、澄子ちゃんは俺の家を背にして、立っている。    澄子ちゃんが背中を向けているので、彼女の顔は見えない。彼女がどこを見ているかはわからない。  だが、あの様子では花火の目を真っ直ぐに見つめていることだろう。  二人の間に何があったのか、詳しいことは知らない。  調べようがなかった。弟は知らないと言うし、花火とは会話する機会すらなかった。  それでも、ある程度の推測は立てられる。  バレンタインに起こった弟誘拐事件の犯人は澄子ちゃんだと、俺は花火に教えた。  そうしなければ、妹の身が危なかったからだ。  弟の居場所を知った花火は、澄子ちゃんの家に向かい、澄子ちゃんと対面したはず。  そこで、花火は何らかの方法で、澄子ちゃんから弟の身を救い出した。  花火が澄子ちゃんと交渉して弟を解放したのなら、いい。穏やかな方法だ。  しかし、純粋な暴力で取り戻したのだとしたら? この場で、一体何が起こりうる? 「しばらくの間学校で見なかったから、てっきりくたばったのかと思っていたよ」 「物事はそう上手くいかないものよ。かなり危ないところまでいったけど、もう回復したわ。  さ――早く返してもらおうかしら。あなたは彼にふさわしくないわ」 「はっ。負け犬がぬかしやがる。こいつは一度もお前のものになったことはない」 「……負け犬? あら、知らないのかしら。どっちが本当の負け犬かっていうこと。  ねえ、葵紋花火には教えていないの?」  澄子ちゃんが弟の方を見た。弟の表情が少しだけ硬くなる。 「なんだ。まだ教えていないの。じゃあアタシから伝えてあげるわ。……彼はもう、とっくにアタシが」 「――言うんじゃない! 花火はとっくに知ってるよ、そんなこと!」  澄子ちゃんの言葉を遮ったのは、弟の怒鳴り声だった。  珍しい。弟が怒鳴っている様子を見る機会というのは、そうそうあるものじゃない。  弟は、俺を含め、家族の誰とも喧嘩をしない。  誰にも反発したことがないから、反抗期を経験していないのではないだろうか。  大人しいのが一番だ、とは言えない。それはそれで危うい。  ひょっとしたら弟の中には抑えられた不満がいくつも溜まっていて、それが爆発寸前だったりするのかもしれない。  今日、こうして怒鳴っていることで噴火してしまうかも。 「そうなんだ。そりゃそうよね。なにせ、アタシの部屋に居る彼のところへ駆けつけたんだから。  格好を見れば、どんなことをされたのかなんて、簡単に想像つくわよね」  特に口調を変えず、澄子ちゃんはそう言った。余裕たっぷりに。 「真実を知った時の気分はどうだったかしら、葵紋花火?」 「……はらわたが煮えくりかえったよ。お前を八つ裂きにしてやろうと思った。  お前の家にある物を全て破壊し、跡形も残さず消してやりたくなった」 「なら、どうしてアタシはここに居るのかしら? 殺してやろう、とか思わなかったわけ?」 「思ったさ。お前を倒した後、実際にそうしてやろうと思った。だけど……」  花火が肩越しに弟を振り返る。弟の顔を確認した後、また正面を向いた。 「こいつが止めたから、なんとか踏みとどまることができた。  それに、こんなくだらないことで犯罪者になる気はない。  私にはまだ、こいつとやりたいこと、こいつにやってあげたいことが一杯ある」 「ふうん――甘いわねえ」 「あ?」 170 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:07:27 ID:smCxXBM3  澄子ちゃんが右腕を上げる。彼女の指が差したのは、花火の顔。 「甘いって言ってるのよ、葵紋。  彼が止めたから、やめた? 彼が居たから、アタシにとどめを刺せなかった?  よくもその程度の覚悟で、アタシを負け犬なんて呼べたものね。  油断している時に手を出さない。チャンスがあっても手を伸ばさない。  これまで恵まれてきたからって、いつまでもそれが続くなんて思うんじゃないわよ。  ……日常の崩壊なんて、ほんの些細な乱れから始まるんだから」 「言ってろ。どんなことが起ころうと、こいつだけは傍に居てくれる。  これからも傍に居るって、そう言ってくれた。お前はそんなことを言われたか、こいつから」 「無いわねえ。ただの一度も。  だけど、これから彼の気持ちが変わらないなんて、言えるのかしら?  絶対にアタシのことを好きにならないなんて、あなたに言える?」 「言える。こいつは絶対に私を裏切らない」 「そう断言できるところが、アタシには理解できないのよ。  葵紋は葵紋、彼は彼。まったく違う他人だっていうのに。どうして、お互いにわかり合っているのかしら?」 「決まってる。こいつと、私の気持ちが……一緒だからだ」 「あらそう。それなら、どうして二人は付き合ってないわけ?  それって、結局他人同士のまま、いえ、友達のままってことでしょう」 「それは……それは」  花火が弟の方をちらりと見る。 「私だって、本当はこいつと、一緒、に……」 「葵紋、この世は結果が全てなの。思いが通じ合っている気でも、二人は恋人同士でもなんでもない。  あんたはね、葵紋。彼にとってはただの胸がでかいことが特徴的な女に過ぎないのよ」 「――木之内、てめえっ!」  花火が澄子ちゃんに凄み、一歩踏み出す。  澄子ちゃんは半身退き、左手を突き出して牽制する。手から突き出ているのは、銀のボールペン。 「やる気? いいわよ、別に。  けど、よく考えてみなさい。この場で喧嘩したらどうなるかしら。  ここが誰の家なのか、もちろんあなたにはわかっているわよね。  何か壊したら、先輩や彼はどう思うかしらね」 「この、卑怯者が」 「謂れのない中傷ね」 171 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:10:51 ID:smCxXBM3  一触即発の空気。掴みかからんとする花火と、武器で牽制する澄子ちゃん。  間近にいた弟は二人を止めようとしている様子だが、割り込むきっかけを掴めない。  妹は緊張を感じ取ったのか、自分のやっていることが恥ずかしいと思ったのか、俺の身体から離れていた。だがすぐ傍に居る気配は感じる。  藍川は澄子ちゃんに何か言おうとしていたが、弟と同じ理由で、アクションをとらない。  玲子ちゃんは、なんで喧嘩しているんだろう、とでも考えているはず。そのままで居てくれ、頼む。  さあ、この状況をどうするか。  せめて一瞬だけ。花火と澄子ちゃんの気を逸らすことができれば、弟か藍川が止めてくれる。  でも、手元にカードはない。  たとえ俺が何を言っても、他の誰かを使って止めさせるよう言っても、どうにもならない。  昨日から葉月さんと付き合いだした、という隠し事を暴露しても、一体何の効果があろう。  せいぜい玲子ちゃんにからかうネタを提供するぐらいだ。  ちっ、と。心の中で舌打ちした。  ――そんな小さな思考が、奇跡を起こしたと言うほどではないにしろ、世界の因果か宇宙の法則に作用したらしい。  まあ、これは言い過ぎか。俺以外の人間には、唐突、ふと、いきなり、前触れ無しに、って感じだろうし。  だけど俺の主観では、俺がきっかけになって事態が変化したように見えた。  いったい何が起こったかというと。 「……あら、なんだか騒がしいと思ってたら」  そんなことを言いながら、ある人が姿を現わした。私服姿の葉月さんだった。 「は、葉月? なんであんた、ここに?」  なんで居るんだろう。妹と同じく、俺だって聞きたかった。  葉月さんの行動パターンを読めば答えはわかるけど、聞いてみたいときだってある。  たぶん、俺に会うため、俺の家に来たんだろう。 「決まってるじゃない。彼に会いに来たのよ」 「……あっそ。どうせそんなことだとは思ってたけど。  それで、なんであんた正面からじゃなくて、横から出てきたわけ?」 「ちょっと驚かせようと思って。つい彼の部屋がどこか探しちゃった」 「ストーカーまがいのこと、してんじゃ……あ、あんた、まさか!  さっき私の部屋を覗いてたの、葉月、あんたじゃないの!」 「あたり。ごめんなさい。見るつもりはなかったのよ、本当に。  妹さんにだって、隠したいものはあるもの。寂しいところって、誰にも見せたくないわよ……」  寂しいところって、なんだ?  俺が立ち去った後で、妹が壁を背にして体育座りでフローリングの木目を数えていたとか?  まず、あり得ない。もしそうだったらそのまま抱きしめてやりたいところである。もちろん本気ではない。 「さ、寂しいですって! 寂しくなんか無いわ! 賑やかよ! カーニバルよ、フェスティバルよ!」 「いえ、見栄を張らなくてもいいのよ……大丈夫、まだまだ、あなたには未来があるわ……」 「笑いを堪えながら喋ってんじゃない! あーもう! むかつくわ、あんた! 最高にむかつくわ!」 「語彙が貧弱ねえ。貧弱なのは体だけで充分……あら、口が滑った。聞かなかったことにして頂戴」  妹の敗北。とうとう大声でわめく子供みたいに、退行してしまった。  今の妹と口喧嘩すれば、玲子ちゃんでも勝てるだろう。  そうか。妹の体は寂しいのか。改めて認識することでもないが。  別に俺は妹の体が貧しい、いや寂しくても何の問題もない。そもそも、そうであったから俺に何の影響があるんだ。  あ、葉月さんにからかわれた妹が俺にあたる危険があるか。  前言撤回。たわわに実れ、妹よ。 172 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:14:14 ID:smCxXBM3  葉月さんと妹は置いといて。  先ほど緊張感を生み出していた二人はというと。 「ちょっと、離しなさいよ、京子!」 「花火、落ち着くんだ」  葉月さんが現れたことで、花火と澄子ちゃんの対立が生む緊張は無くなっていた。  弟が花火を、藍川が澄子ちゃんを、それぞれ止めていた。 「落ち着け、澄子。お前も言っていただろう、ここはジミー君の家だ。  暴れたらジミー君の家族に迷惑だ」 「そんなの、そこの女が仕掛けてきたから悪いってことにしてやるわ!」 「いいから来い。今のお前には何を言っても無駄だ。ちょっと頭を冷やせ」 「せっかく決着を着ける機会なのに、邪魔しないでよ!」  いや、やめようよ。ここ、俺の家だし。  藍川がこの場に居てくれて、助かった。たぶん俺が相手じゃ、澄子ちゃんはここまで素直に言うことを聞かない。 「花火」 「止めるな。あいつ……」 「大丈夫。僕には君だけだ。安心してくれ」 「そうじゃない。あいつ、許せないんだ。お前を、あんなことに」 「僕のことは、気にしなくていい。花火はこれ以上、気に病まなくていい」  もういいんだ、と。  弟は花火の体を抱きながら、言い続けている。  花火はまだ何か言っているようだが、声が小さくて俺には聞き取れない。弟にしか聞こえていないだろう。  見れば見るほど、お似合いの二人だ。  これで付き合っていないっていうんだから、なんともおかしな関係だ。    とりあえず、この場は収まってくれたか。  葉月さんが現れてくれたおかげだ。彼女が現れなければ、ここまで平和的に事態は解決しなかっただろう。 「ありがとう、助かったよ」  そう言って、葉月さんと妹の方を見る。  まだ二人は言い争っていた。もっとも、妹が一方的に喋っているだけで、葉月さんにやる気は見られない。 「どうしてお礼なんか言うの? 私が居なくて寂しかった?」 「お兄さんがそんなことで寂しがるわけ、ないじゃない! 普段から一人なんだから!」  妹が俺を貶しているが、無視。いちいち相手をしていたらきりがないし、今の妹は相手をするに値しない。 「そうじゃなくて、葉月さんが来てくれたから、あの二人が静かになったから」 「あの二人? ……どの二人のこと?」 「ああ、いきなりだからわからないか」 「弟君と、葵紋花火のこと? それとも…………そこにいる、愛しの澄子ちゃんのこと?」  は? 「……そういえば、そうだった。しばらく会わなかったから、すっかり忘れてたわ」 「葉月、私を無視するんじゃ――――」 「黙りなさい。寂体」  葉月さんがそう言った。  その後すぐ、妹がひっくり返った。何の誇張もない。本当にひっくり返った。  目を疑う光景だった。葉月さんに突っかかっていた妹が、突然後ろを振り向き、体の天地を逆転。  重力に従い、妹は地面に向かい、頭からではなく、体からうつぶせに着地した。  うめく妹の体をまたぎ、葉月さんは歩き出す。 「ちょっと、待ち、なさいよっ」 「寂体だから、胸のクッションが無くて痛そうね。喜ぶ必要はないわ。嘆きなさい」 「くっ……馬鹿にして!」  葉月さんが今何をしたんだろうとか、疑わなくなっている自分が居ることを自覚した。  数ヶ月前なら、絶対に今の技が何だったのかについて考察していたはず。  今の俺は、葉月さんならやってもおかしくない、できるんだから仕方ない、とか考える。  これは決して成長ではない。ただ環境に適応しただけだ。  いちいち反応していたら、次の状況に対応できないから、こういう思考をするようになったのだ。  妹は動けないだけで、無事そうだ。一応手加減はしてくれたんだろう。 173 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:17:39 ID:smCxXBM3  さあて――どうしよう。  今の妹のやられっぷりを目前で見た俺としては、非常に逃げたい心地なのだが。  なぜ俺の身体は、わざわざ葉月さんの進行方向に立ち、両手を拡げた大の字の格好で、通せんぼをしているのか。  反射だからどうしようもないんだが、それだけで済ますのも、自分が考え無しに動く浅薄な人間みたいだ。分析してみよう。  理由は二つ。  一つ目はこれ以上喧嘩をさせないため。  やっと平和的に解決しそうなんだから、これ以上混乱を招きたくない。  喧嘩はよくない。平和が一番。  こんな白昼から喧嘩したら、ご近所の迷惑だ。  二つ目は、葉月さんを止める義務が俺にあるから。  一応彼氏だし? 好きな女は大事にしたいっていうか? 俺、マジだから。  ……うわ。なんだかこの喋り方、すげえむかつく。似合わない。絶対に、二度とやらねえ。  言い方はともかく、そういうことだ。  俺は葉月さんに喧嘩して欲しくないのだ。止められるものなら止めたいと思っている。  以上の理由から、俺はこうして葉月さんを止めようとしているのである。分析終わり。 「葉月さん、駄目だよ」 「どいてちょうだい。どうしてその女をかばうの? そんなに好きなの?」 「そういうわけじゃないって。俺の気持ちは言ったばかりじゃないか?」 「そういう問題じゃないのよ。私の気持ちはどうなるの?  そこの木之内澄子に私は大事なものを奪われたんだから。  もう取り戻せないそれの代わりに、私はあの女を誅しなきゃならない」  チュー? あ、誅か。 「駄目だ。そんな気持ちで復讐しちゃ。悪意に悪意で応えたら、悪意の連鎖は続くんだ。  どこかで――止めなきゃいけないんだ」  今を生きる人は、過去は過去だと割り切らなきゃいけない。  先日、俺はそれを悟った。 「無理。到底無理。絶対無理だわ。復讐するは我にあり」 「だったら、俺は、葉月さんを力尽くで止める。どんな手を使っても」 「あら、そう」  その言葉を聞いた後、俺は葉月さんに掴みかかろうとした。  彼女を止めるには、ショックを与えるしかない。  そう思っての行動だったが、実にあっさりと右手を掴まれ、俺は妹の後を追うことになった。  葉月さんのうなじが見える高さまで浮き、少しの間だけ墜落していく鳥の気分になり、地面に勢いよく抱擁した。  ――もしも私が鳥だったら。きっと私は天に向かって嘆きの歌を歌うでしょう。どうして人間にしてくれなかったんだ、と。  まさにそんな気分だ。  鳥になんかなりたくない。生まれ変わっても、鳥になるのだけは御免だ。 「ごめんなさい。痛かったでしょ? あとでいっぱい慰めてあげるから、許して」  謝るなら最初からやらないでほしい。慰めで済むなら警察と民事裁判は要らない。  くっそ。立てない。どうなってるんだ、これ。  投げられただけじゃないのか? ここまで足下がぐらつくって、腕を地面にまっすぐ立てられないって、変だ。  平衡感覚を頭の中からすっぽり抜きとられ、別方向に投げ飛ばされたみたいに、立ち直るきっかけを掴めない。  地面に貼り付いてないと、空に向かって落ちていきそう。地面を滑り続けているみたいに不安定。  ちくしょう、もう、こうなったら。 「に、逃げろ……四人とも! 葉月さんはまともじゃない!  相手をするな、早く逃げるんだ!」 174 :名無しさん@ピンキー:2010/08/29(日) 20:18:06 ID:myXOgjZD 支援 175 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:21:21 ID:smCxXBM3 *****  地面に倒れたまま、兄さんが逃げろ、と言っている。  その通りだ。逃げるのが一番の正解だ。戦うなんていうのは、愚かな選択だ。  でも、逃げ切れるか? 「きっと逃げられないわね、あの葉月さんからは」  澄子ちゃんが言った。  僕も全くの同意見。逃げたとしても、葉月先輩は追いかけてくる。  そして、目的を果たす。  葉月先輩の標的は、花火か、澄子ちゃんか。  おそらく僕ではない。澄子ちゃんの友達らしき人でもなさそう。  狙いが二人だけなら、やりようはある。 「葵紋、手を貸しなさい」 「断る。お前と手を組むなんてやっていられるか。私は帰る」 「は、言うと思った。じゃあさっさと帰りなさい――と思ったけど、  ここで戦ったらあんたを守ったみたいで気持ち悪いわ。最低最悪の気分だわ。  やっぱりあんたも残って戦いなさい」 「くだらない。やっていられるか」  そう吐き捨て、花火は帰ろうとする。僕の手を握って。  足を踏ん張って、花火の手を外す。 「ごめん、先に家に帰ってて。僕も後で行く」 「残るつもりか? なら、私も」 「いいや、僕一人で残るよ。澄子ちゃんと、友達の人も、帰った方がいい。葉月先輩は、僕が説得するから」  葉月先輩と対面する。手を伸ばしても届かない位置にいるのに、すごい威圧感。  皮膚をかきむしられている錯覚がする。腕を掠めてダンプカーが走り抜けていってるみたい。  葉月先輩のことを知っているつもりだったけど、僕の認識は甘かった。  この人は、花火や澄子ちゃんと同レベルで語るにふさわしい人じゃない。それぐらいじゃ、役不足だ。 「……無理よ。あなたじゃ、ね」  澄子ちゃんが言う。僕を見下した言い方だった。 「先輩の二の舞になるだけよ。あなたこそ逃げて。葉月先輩の相手なら、何回もしたことはある」 「僕じゃ無理って言うのは、つまり、僕が澄子ちゃんより弱いから?」 「みなまで言わせないで。自分でわかってるでしょう?」  その言葉にカチンと来たわけじゃない。けど、やるなら今しかない。  説得しないと、花火の身が危ないんだ。  もう、こうするしかない。 「ごめん、わからないや。僕は兄さんみたいに頭がよくないから」  横に並んでいる澄子ちゃんに近づいて、がら開きの脇に掌をあてて、腕を突きだした。  骨と内臓がへこんで形を変える感触が、皮膚を通して直に伝わってきた。 「ぁ……ぇ?」  澄子ちゃんの顔が苦痛に歪む。二回口を閉じ開きして、その場にくずおれた。 「えっと、澄子ちゃんの友達の人」 「藍川京子だ」 「藍川さん。澄子ちゃんを」 「うん、わかっているよ。まったく近頃のこいつは、無茶ばかりする。おかげで振り回されっぱなしだ。  こんな活き活きとした澄子は久しぶりに見た。……そうか、君が、そうなんだな」 「早く行ってください」 「そうさせてもらう。じゃあ、無事で。ジミー君の弟君」  藍川さんは澄子ちゃんを担ぐと、自分の車に向かっていった。 176 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:23:27 ID:smCxXBM3 「花火も、ほら早く」 「本当に、いい?」 「うん。僕を信じて」 「……家で、待っている」  花火はそう言うと自分の家へ帰っていった。  こういうとき、花火との短縮会話は楽で良い。時間をとられない。  僕と花火の間だけでしか通じないのが不便だけど。  再度、葉月先輩と対峙する。 「葉月先輩」 「弟君……あなたは、何?」 「質問の意味がわからないんですけど」 「そのままの意味よ。あなたは何者かってこと」 「兄さんの弟です。もうすぐ高校二年生になります」 「質問を変えるわ。さっきの掌底。あなた……素人じゃないわね? 私と同じ、いえ、多分それ以上。もしかしたら……」 「そうですか。もう花火と澄子ちゃんをおいかける気はなくなったんですね。  よかった。それなら、家に上がってお茶でもどうですか? それともコーヒーにします?」  葉月先輩は、返答せず、僕に向かって手を伸ばしてきた。  その意図は分からないけど、止めた方がいい気がしたので、手首を掴んだ。  やっぱり女性だ。手首が細い。  僕の手首も結構細いけど、やっぱり骨に厚みがある。  女性の方が、ずっと細くて、脆そうだ。  こけた時に骨が痛まないのかな、なんて場違いな感想が浮かんだ。 「……良く止められたわね、今の」 「あれ、止めちゃいけませんでしたか?」 「それは、嫌味かしら」 「言いがかりですよ、それ」  本当にそう思っただけだ。  先輩の手を止めたのだって、止めた方が良いと感じたから止めた。ただそれだけ。  他の意図が介入する余地はない。僕は誰かを貶めようと思わない。  自分にそんな権利があるなんて思っちゃいない。 「今私が、あなたに何をしようとしたか気付いてた? あなたの内臓狙って掌底を打ったのよ。  手加減抜きの全力で。一撃で倒すつもりで」 「……なんでそんなことするんですか。僕のこと、そこまで嫌いなんですか?」 「いいえ。嫌いなわけ無いわ。あなたはいつか、確実に私の義弟になるんだもの」  葉月先輩の言葉に厚みがある。確信という名の層ができている。  やっぱり、兄さんと葉月先輩は。 「でも、この場ではあなたを倒さなきゃならない」 「わけわかんないですよ、なんでですか!」 「あなたは危険だわ。そのことに気付いていない。自分が強いと思っていない。  あなたは――強すぎる。おそらく、身体的な面において」 177 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:27:23 ID:smCxXBM3  強い? 兄さんじゃなくて、僕が? 「身体的に弱い人は、とっさの危険から身を守る方法を身につけていない。  でも、自分の弱さを知っている人間は、わきまえて行動することができる。  強い人間も同様に、わきまえて行動しなきゃいけない。同じぐらい強い人間たちと一緒に居るべき。  弟君、気付きなさい。あなたは、自分が思っている以上の武力を持ってる」 「武力? 僕は武道なんか習ってません。ただ、その……特撮ヒーローが、ちょっと好きなだけです」 「稀に居るらしいのよ。お父さんから聞いた話だけど。  瓦一枚割れない、白帯のまま、だけど他人と組ませてみたら、結果は全戦全勝無敗。  プロテクターが有っても無くても、揺るがない実力を持つ人間。  基礎をすっ飛ばして、積み上げを全くの無駄にしてしまう、極端な実戦派、というタイプの人間が。  お父さんですら、又聞きだったらしいから、私が会うことなんかないと思っていたけど。  そんな人間を公の場所に出したらいろいろと問題になるらしいわ。  そりゃそうよ。私みたいな凡庸な人間のやってきた鍛錬が、たった一人の人間に否定されるんだから。  あなたはまさに、そういうタイプ。生まれつきの天才肌。対人格闘のスペシャリストよ」 「あの、言ったら悪いとは思いますけど、葉月先輩は凡庸とはとても」 「強さを自覚しなさい、弟君。あなたの一番危険なところは、弱いと思い込んでいるところよ。  放って置いたら、いつか必ず他との軋轢を生むわ。  葵紋花火と上手く付き合っていきたいなら、なおのこと、心構えを改めるべきよ」 「そんなこと、ないです。僕は澄子ちゃんに二回も倒されてます」 「油断していたんじゃないの。もしくは、最近になって覚醒したか」 「さっきから僕的にわくわくすることばっかり言ってくれますけど、買いかぶりすぎてます。  絶対に葉月先輩の方が強いですよ。クンフーが足りてるっていうか、鍛錬を続けた先輩みたいな人間が強いに決まってます」 「なら――どうして私はあなたを投げられないのかしら?」  投げる? さっきから葉月先輩は何かしていたのか? じっとしているだけだと思ってた。 「もしもあなたが、彼や妹さんみたいに武力を持たなければ、今頃倒れて気絶してる。  あの二人の後を追わないというのは、あなたが強いという証明に他ならないわ」 「先輩が手加減しているだけでしょう? それか、投げるつもりがないか」 「言っておくわ。私は、ここまで誰かを投げたい衝動に駆られるのは久しぶりよ。  私の想像の中では、弟君は、今頃家の屋根に突き刺さっているのよ」 「そこまで本気ですか」 「投げ飛ばされなさい、弟君」 「絶対に嫌です」  どうしたらいいんだ。  このまま葉月先輩を取り押さえてしまおうか?  いや待て。僕は聞きたいことがあったんだ。  兄さんに聞くつもりだったけど、この際だから葉月先輩でもいいや。 「先輩、聞きたいことがあります」 「なに? 言ってみて」 「兄さんと、いつから付き合いだしたんですか?」 「昨日の夕方、六時四十六分からよ。それがどうかした?」  あっさり教えてくれた。教えて欲しいなら私に投げられることね、とか言われるかと思ったのに。 「そうなんですか。おめでとうございます」 「ありがとう。あなたは喜んでくれるのね。それはともかく投げられなさい」 「もちろんです、二人が幸せになってくれたら、僕も嬉しい。でも投げられるのは嫌です」 「どうしてそう思うの? あなたには葵紋花火がいるじゃない。空を飛びたくないの?」 「兄さんに彼女が出来てから、花火とは付き合うつもりだったんですよ。僕は空を不自由に飛びたくないです」  そうか。やっぱり付き合ってるんだ。  ――やった。やった! これで、花火と付き合うことができる。恋人になれる! 「ありがとうございました、葉月先輩! 僕は急ぐので、これで!」 「え、ちょ、弟君! 逃げるんじゃないわよ!」  早く、早く、花火の家へ。  言いたいことがあるんだ。君の気持ちに応えることができるんだ。  待ってて、花火。すぐに行くから! 178 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:30:49 ID:smCxXBM3 *****  :  :  やりとりが繰り広げられているのを、俺は寝そべって見つめていた。  弟が走り去るところまで見てから、脳を洗濯機の中でグイングイン回されてるみたいな錯覚に耐えきれなくなって、目を閉じていた。  じっと吐き気を抑えて待ち、今ようやく目を開けることができた。  取り出した携帯電話の時刻表示は、間もなく十一時になると示していた。時刻は自動調整されるから、誤ってはいないだろう。 「あの、ジミー、大丈夫?」 「ん……玲子ちゃんか?」  天を仰ぐと、俺の顔を覗き込んでいる幼い従妹の顔があった。 「へいき? まだ気分悪そうだけど」 「その通りだよ。悪いけど、しばらくじっとさせてくれ」 「うん、じゃあボク、ジミーの顔観察してるから」 「花は咲かないし、華も無いぞ、俺の顔は」 「なにそれ、なぞなぞ? 花がさかなければ花がないのは当たり前じゃん」 「わからなければいいよ。俺の戯言だと思ってくれ」  ザレゴトってなに? と言って、玲子ちゃんは首を傾げた。  あれ、葉月さんと妹はどこに行ったんだろう。  葉月さんは逃げた弟を追いかけていったとして、妹は?  あー、駄目だ。体を起こさないと見回せない。  あとちょっとで体は動くから、それから確認しよう。  しかしさっきのはいったい何だったのか。  弟は葉月さんの前に立ちふさがっていた。葉月さんの手首まで掴んでいた。  てっきり、弟も俺と同じ目に遭うだろうと読んでいたのに、何も起こらなかった。  わからん。あいつ、何かやったのか? 実は口八丁だとか?  最近弟のことがわからない。もうちょっと理解してやりたい。  ……変なの。変だろ、俺。  今年で俺、十八だぜ。弟は十七になるぜ。そんで妹は十六だ。  それぐらいの年齢なら、知っていることより、知らないことの方が多いのは当然だ。何もおかしくない。  わかってるんだけど、なあ。  どうして放任主義に徹しきれないんだろうか、俺は。  弟も妹も、きっとすぐに俺なんか追い抜いちまう。  いつまでも兄貴面で面倒を見る必要なんか無いっていうのに。  とっとと弟離れ、妹離れしろ。ブラコンとシスコンの二重苦から逃れろ。  自分から苦しもうとしていたら、いつまでも苦難に愛され続けて、離れられなくなるぞ。  とりあえず、気分は回復した。  ゆっくりとなら立ち上がることも可能だろう。  さしあたって、今の俺がすべきことは何なのか。  玲子ちゃんの太腿とスカートの隙間からちらちら見えている、それについて言及すべきか。  詳細が分かるまで、ここでじっと観察しているべきか。  俺の意図に気付いた玲子ちゃんが、真っ赤な顔で俺の顔を踏みつぶしにきたらよく見えるかもなあ。  なんて不届きなことを考えながら、俺は日向ぼっこに徹するのだった。
167 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:03:22 ID:smCxXBM3  結論から書くという手法は、作文や説明文を作る時によく使われるやり方の一つだ。  かく言う俺も結論を先に書くタイプである。  次に、なぜその結論に至ったかを長々とした文章で綴っていく。  最後に結論を再度述べて締める、という書き方をする。  そうすると、読む側の人間に、言いたいことが最初に伝わる。  ああこいつはつまりこう言いたいんだな、と考えさせ、文章への理解を誘えるのだ。  結論があると、自分で書く時も混乱しない。ぶれることが少ない。  かつての、作文の書き方が分からなかった俺は、このやり方を知ってから、作文の課題で困らなくなった。  まあ、なんで文章の書き方なんてものについて考えているかというと、だ。  さっきまで我が家で繰り広げられていた事態について、説明するのが非常に困難だったからだ。  何かとっかかりが欲しかった。  最初に起こった出来事から説明してしまえばいいのだが、混乱している今の頭ではそれすら難しい。  なので、簡潔に結論を述べよう。  我が家を訪ねてきた人々は、大きな怪我もなく、全員無事に帰宅した。  以上、説明終わり――としたいところである。  しかし、たった一行や二行しか書かれていない作文を提出しようものなら、教師から書き直しを要求されることは必至。  なので、全員が無事帰宅するに至った経緯を説明する。  まずは状況について。  俺ら三人兄妹、澄子ちゃんと藍川、玲子ちゃん、花火。  これだけのメンツが俺の家に集合した。  特に決めたわけでもないが、集合場所は、玄関前に広がるたいして広くない庭だった。  妹は俺に抱きついたまま、特に何も口にしなかった。  澄子ちゃんと花火は正面から視線をぶつけ合っていた。  藍川と玲子ちゃんは何のアクションもとらず、じっとしていた。  弟のやつは、家に澄子ちゃんが居たことが予想外だったようで、明らかに困った顔をしていた。  俺はというと、中学の制服を着ている妹の感触を味わっていた。  この中で複雑な関係にあるのは、弟と花火と澄子ちゃんの三人である。  花火と澄子ちゃんはお互い対立関係にあるようだった。弟の取り合いが原因だと思われる。  三人が一堂に会しているので、修羅場になることは容易に想像できる。  だから俺は、妹の感触に胴を包まれながら、内心戦いていた。  無事に収まるのだろうか。ひょっとしたら怪我人が出るんじゃないか。主に俺が無事じゃ済まないのでは。  そう俺が思ってしまうのは、最近の傾向から鑑みた結果である。  いい加減、そういうワンパターンなのはやめてもらいたい。  たまには俺以外の人の身が危険にさらされろ。たとえば弟とか。  もしくは高橋でも良い。親友なら、俺のことを助けてくれるに決まってる。  溺れる者は藁をもつかむとは、その時の俺を的確に言い表していた。  結果は俺の予想から外れた。  花火と澄子ちゃん、二人の修羅場。二人を鎮めることができれば。俺はそう考えていた。  その考えは、なんというか、小っちゃかった。  異常な事態を沈静化する方法は、何も一つだけではない。  飲み込んで、無かったことにしてしまえばよかったのだ。  女二人の修羅場すら飲み込むような、へんちくりんな事態。  それが目の前で起こり、そのあまりの勢いに、俺の心の冷静な部分まで飲み込まれてしまったようだ。  今も浮ついているようなものだが、ちょっとだけ落ち着きを取り戻した。  説明しよう。俺の家という限定された空間において、何が起きたのか。  あれは、今から遡ること三十分。  小腹の空き始める、午前十時頃のことだった。  :  : 169 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:05:14 ID:smCxXBM3 「……なんだ、懲りずにこんな所まで来ていたのか、木之内澄子」 「お生憎さま。あれぐらいで懲りるほど、アタシの決意は甘くないのよ。葵紋花火」  対峙する花火と、澄子ちゃん。  花火は弟を背にして、澄子ちゃんは俺の家を背にして、立っている。    澄子ちゃんが背中を向けているので、彼女の顔は見えない。彼女がどこを見ているかはわからない。  だが、あの様子では花火の目を真っ直ぐに見つめていることだろう。  二人の間に何があったのか、詳しいことは知らない。  調べようがなかった。弟は知らないと言うし、花火とは会話する機会すらなかった。  それでも、ある程度の推測は立てられる。  バレンタインに起こった弟誘拐事件の犯人は澄子ちゃんだと、俺は花火に教えた。  そうしなければ、妹の身が危なかったからだ。  弟の居場所を知った花火は、澄子ちゃんの家に向かい、澄子ちゃんと対面したはず。  そこで、花火は何らかの方法で、澄子ちゃんから弟の身を救い出した。  花火が澄子ちゃんと交渉して弟を解放したのなら、いい。穏やかな方法だ。  しかし、純粋な暴力で取り戻したのだとしたら? この場で、一体何が起こりうる? 「しばらくの間学校で見なかったから、てっきりくたばったのかと思っていたよ」 「物事はそう上手くいかないものよ。かなり危ないところまでいったけど、もう回復したわ。  さ――早く返してもらおうかしら。あなたは彼にふさわしくないわ」 「はっ。負け犬がぬかしやがる。こいつは一度もお前のものになったことはない」 「……負け犬? あら、知らないのかしら。どっちが本当の負け犬かっていうこと。  ねえ、葵紋花火には教えていないの?」  澄子ちゃんが弟の方を見た。弟の表情が少しだけ硬くなる。 「なんだ。まだ教えていないの。じゃあアタシから伝えてあげるわ。……彼はもう、とっくにアタシが」 「――言うんじゃない! 花火はとっくに知ってるよ、そんなこと!」  澄子ちゃんの言葉を遮ったのは、弟の怒鳴り声だった。  珍しい。弟が怒鳴っている様子を見る機会というのは、そうそうあるものじゃない。  弟は、俺を含め、家族の誰とも喧嘩をしない。  誰にも反発したことがないから、反抗期を経験していないのではないだろうか。  大人しいのが一番だ、とは言えない。それはそれで危うい。  ひょっとしたら弟の中には抑えられた不満がいくつも溜まっていて、それが爆発寸前だったりするのかもしれない。  今日、こうして怒鳴っていることで噴火してしまうかも。 「そうなんだ。そりゃそうよね。なにせ、アタシの部屋に居る彼のところへ駆けつけたんだから。  格好を見れば、どんなことをされたのかなんて、簡単に想像つくわよね」  特に口調を変えず、澄子ちゃんはそう言った。余裕たっぷりに。 「真実を知った時の気分はどうだったかしら、葵紋花火?」 「……はらわたが煮えくりかえったよ。お前を八つ裂きにしてやろうと思った。  お前の家にある物を全て破壊し、跡形も残さず消してやりたくなった」 「なら、どうしてアタシはここに居るのかしら? 殺してやろう、とか思わなかったわけ?」 「思ったさ。お前を倒した後、実際にそうしてやろうと思った。だけど……」  花火が肩越しに弟を振り返る。弟の顔を確認した後、また正面を向いた。 「こいつが止めたから、なんとか踏みとどまることができた。  それに、こんなくだらないことで犯罪者になる気はない。  私にはまだ、こいつとやりたいこと、こいつにやってあげたいことが一杯ある」 「ふうん――甘いわねえ」 「あ?」 170 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:07:27 ID:smCxXBM3  澄子ちゃんが右腕を上げる。彼女の指が差したのは、花火の顔。 「甘いって言ってるのよ、葵紋。  彼が止めたから、やめた? 彼が居たから、アタシにとどめを刺せなかった?  よくもその程度の覚悟で、アタシを負け犬なんて呼べたものね。  油断している時に手を出さない。チャンスがあっても手を伸ばさない。  これまで恵まれてきたからって、いつまでもそれが続くなんて思うんじゃないわよ。  ……日常の崩壊なんて、ほんの些細な乱れから始まるんだから」 「言ってろ。どんなことが起ころうと、こいつだけは傍に居てくれる。  これからも傍に居るって、そう言ってくれた。お前はそんなことを言われたか、こいつから」 「無いわねえ。ただの一度も。  だけど、これから彼の気持ちが変わらないなんて、言えるのかしら?  絶対にアタシのことを好きにならないなんて、あなたに言える?」 「言える。こいつは絶対に私を裏切らない」 「そう断言できるところが、アタシには理解できないのよ。  葵紋は葵紋、彼は彼。まったく違う他人だっていうのに。どうして、お互いにわかり合っているのかしら?」 「決まってる。こいつと、私の気持ちが……一緒だからだ」 「あらそう。それなら、どうして二人は付き合ってないわけ?  それって、結局他人同士のまま、いえ、友達のままってことでしょう」 「それは……それは」  花火が弟の方をちらりと見る。 「私だって、本当はこいつと、一緒、に……」 「葵紋、この世は結果が全てなの。思いが通じ合っている気でも、二人は恋人同士でもなんでもない。  あんたはね、葵紋。彼にとってはただの胸がでかいことが特徴的な女に過ぎないのよ」 「――木之内、てめえっ!」  花火が澄子ちゃんに凄み、一歩踏み出す。  澄子ちゃんは半身退き、左手を突き出して牽制する。手から突き出ているのは、銀のボールペン。 「やる気? いいわよ、別に。  けど、よく考えてみなさい。この場で喧嘩したらどうなるかしら。  ここが誰の家なのか、もちろんあなたにはわかっているわよね。  何か壊したら、先輩や彼はどう思うかしらね」 「この、卑怯者が」 「謂れのない中傷ね」 171 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:10:51 ID:smCxXBM3  一触即発の空気。掴みかからんとする花火と、武器で牽制する澄子ちゃん。  間近にいた弟は二人を止めようとしている様子だが、割り込むきっかけを掴めない。  妹は緊張を感じ取ったのか、自分のやっていることが恥ずかしいと思ったのか、俺の身体から離れていた。だがすぐ傍に居る気配は感じる。  藍川は澄子ちゃんに何か言おうとしていたが、弟と同じ理由で、アクションをとらない。  玲子ちゃんは、なんで喧嘩しているんだろう、とでも考えているはず。そのままで居てくれ、頼む。  さあ、この状況をどうするか。  せめて一瞬だけ。花火と澄子ちゃんの気を逸らすことができれば、弟か藍川が止めてくれる。  でも、手元にカードはない。  たとえ俺が何を言っても、他の誰かを使って止めさせるよう言っても、どうにもならない。  昨日から葉月さんと付き合いだした、という隠し事を暴露しても、一体何の効果があろう。  せいぜい玲子ちゃんにからかうネタを提供するぐらいだ。  ちっ、と。心の中で舌打ちした。  ――そんな小さな思考が、奇跡を起こしたと言うほどではないにしろ、世界の因果か宇宙の法則に作用したらしい。  まあ、これは言い過ぎか。俺以外の人間には、唐突、ふと、いきなり、前触れ無しに、って感じだろうし。  だけど俺の主観では、俺がきっかけになって事態が変化したように見えた。  いったい何が起こったかというと。 「……あら、なんだか騒がしいと思ってたら」  そんなことを言いながら、ある人が姿を現わした。私服姿の葉月さんだった。 「は、葉月? なんであんた、ここに?」  なんで居るんだろう。妹と同じく、俺だって聞きたかった。  葉月さんの行動パターンを読めば答えはわかるけど、聞いてみたいときだってある。  たぶん、俺に会うため、俺の家に来たんだろう。 「決まってるじゃない。彼に会いに来たのよ」 「……あっそ。どうせそんなことだとは思ってたけど。  それで、なんであんた正面からじゃなくて、横から出てきたわけ?」 「ちょっと驚かせようと思って。つい彼の部屋がどこか探しちゃった」 「ストーカーまがいのこと、してんじゃ……あ、あんた、まさか!  さっき私の部屋を覗いてたの、葉月、あんたじゃないの!」 「あたり。ごめんなさい。見るつもりはなかったのよ、本当に。  妹さんにだって、隠したいものはあるもの。寂しいところって、誰にも見せたくないわよ……」  寂しいところって、なんだ?  俺が立ち去った後で、妹が壁を背にして体育座りでフローリングの木目を数えていたとか?  まず、あり得ない。もしそうだったらそのまま抱きしめてやりたいところである。もちろん本気ではない。 「さ、寂しいですって! 寂しくなんか無いわ! 賑やかよ! カーニバルよ、フェスティバルよ!」 「いえ、見栄を張らなくてもいいのよ……大丈夫、まだまだ、あなたには未来があるわ……」 「笑いを堪えながら喋ってんじゃない! あーもう! むかつくわ、あんた! 最高にむかつくわ!」 「語彙が貧弱ねえ。貧弱なのは体だけで充分……あら、口が滑った。聞かなかったことにして頂戴」  妹の敗北。とうとう大声でわめく子供みたいに、退行してしまった。  今の妹と口喧嘩すれば、玲子ちゃんでも勝てるだろう。  そうか。妹の体は寂しいのか。改めて認識することでもないが。  別に俺は妹の体が貧しい、いや寂しくても何の問題もない。そもそも、そうであったから俺に何の影響があるんだ。  あ、葉月さんにからかわれた妹が俺にあたる危険があるか。  前言撤回。たわわに実れ、妹よ。 172 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:14:14 ID:smCxXBM3  葉月さんと妹は置いといて。  先ほど緊張感を生み出していた二人はというと。 「ちょっと、離しなさいよ、京子!」 「花火、落ち着くんだ」  葉月さんが現れたことで、花火と澄子ちゃんの対立が生む緊張は無くなっていた。  弟が花火を、藍川が澄子ちゃんを、それぞれ止めていた。 「落ち着け、澄子。お前も言っていただろう、ここはジミー君の家だ。  暴れたらジミー君の家族に迷惑だ」 「そんなの、そこの女が仕掛けてきたから悪いってことにしてやるわ!」 「いいから来い。今のお前には何を言っても無駄だ。ちょっと頭を冷やせ」 「せっかく決着を着ける機会なのに、邪魔しないでよ!」  いや、やめようよ。ここ、俺の家だし。  藍川がこの場に居てくれて、助かった。たぶん俺が相手じゃ、澄子ちゃんはここまで素直に言うことを聞かない。 「花火」 「止めるな。あいつ……」 「大丈夫。僕には君だけだ。安心してくれ」 「そうじゃない。あいつ、許せないんだ。お前を、あんなことに」 「僕のことは、気にしなくていい。花火はこれ以上、気に病まなくていい」  もういいんだ、と。  弟は花火の体を抱きながら、言い続けている。  花火はまだ何か言っているようだが、声が小さくて俺には聞き取れない。弟にしか聞こえていないだろう。  見れば見るほど、お似合いの二人だ。  これで付き合っていないっていうんだから、なんともおかしな関係だ。    とりあえず、この場は収まってくれたか。  葉月さんが現れてくれたおかげだ。彼女が現れなければ、ここまで平和的に事態は解決しなかっただろう。 「ありがとう、助かったよ」  そう言って、葉月さんと妹の方を見る。  まだ二人は言い争っていた。もっとも、妹が一方的に喋っているだけで、葉月さんにやる気は見られない。 「どうしてお礼なんか言うの? 私が居なくて寂しかった?」 「お兄さんがそんなことで寂しがるわけ、ないじゃない! 普段から一人なんだから!」  妹が俺を貶しているが、無視。いちいち相手をしていたらきりがないし、今の妹は相手をするに値しない。 「そうじゃなくて、葉月さんが来てくれたから、あの二人が静かになったから」 「あの二人? ……どの二人のこと?」 「ああ、いきなりだからわからないか」 「弟君と、葵紋花火のこと? それとも…………そこにいる、愛しの澄子ちゃんのこと?」  は? 「……そういえば、そうだった。しばらく会わなかったから、すっかり忘れてたわ」 「葉月、私を無視するんじゃ――――」 「黙りなさい。寂体」  葉月さんがそう言った。  その後すぐ、妹がひっくり返った。何の誇張もない。本当にひっくり返った。  目を疑う光景だった。葉月さんに突っかかっていた妹が、突然後ろを振り向き、体の天地を逆転。  重力に従い、妹は地面に向かい、頭からではなく、体からうつぶせに着地した。  うめく妹の体をまたぎ、葉月さんは歩き出す。 「ちょっと、待ち、なさいよっ」 「寂体だから、胸のクッションが無くて痛そうね。喜ぶ必要はないわ。嘆きなさい」 「くっ……馬鹿にして!」  葉月さんが今何をしたんだろうとか、疑わなくなっている自分が居ることを自覚した。  数ヶ月前なら、絶対に今の技が何だったのかについて考察していたはず。  今の俺は、葉月さんならやってもおかしくない、できるんだから仕方ない、とか考える。  これは決して成長ではない。ただ環境に適応しただけだ。  いちいち反応していたら、次の状況に対応できないから、こういう思考をするようになったのだ。  妹は動けないだけで、無事そうだ。一応手加減はしてくれたんだろう。 173 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:17:39 ID:smCxXBM3  さあて――どうしよう。  今の妹のやられっぷりを目前で見た俺としては、非常に逃げたい心地なのだが。  なぜ俺の身体は、わざわざ葉月さんの進行方向に立ち、両手を拡げた大の字の格好で、通せんぼをしているのか。  反射だからどうしようもないんだが、それだけで済ますのも、自分が考え無しに動く浅薄な人間みたいだ。分析してみよう。  理由は二つ。  一つ目はこれ以上喧嘩をさせないため。  やっと平和的に解決しそうなんだから、これ以上混乱を招きたくない。  喧嘩はよくない。平和が一番。  こんな白昼から喧嘩したら、ご近所の迷惑だ。  二つ目は、葉月さんを止める義務が俺にあるから。  一応彼氏だし? 好きな女は大事にしたいっていうか? 俺、マジだから。  ……うわ。なんだかこの喋り方、すげえむかつく。似合わない。絶対に、二度とやらねえ。  言い方はともかく、そういうことだ。  俺は葉月さんに喧嘩して欲しくないのだ。止められるものなら止めたいと思っている。  以上の理由から、俺はこうして葉月さんを止めようとしているのである。分析終わり。 「葉月さん、駄目だよ」 「どいてちょうだい。どうしてその女をかばうの? そんなに好きなの?」 「そういうわけじゃないって。俺の気持ちは言ったばかりじゃないか?」 「そういう問題じゃないのよ。私の気持ちはどうなるの?  そこの木之内澄子に私は大事なものを奪われたんだから。  もう取り戻せないそれの代わりに、私はあの女を誅しなきゃならない」  チュー? あ、誅か。 「駄目だ。そんな気持ちで復讐しちゃ。悪意に悪意で応えたら、悪意の連鎖は続くんだ。  どこかで――止めなきゃいけないんだ」  今を生きる人は、過去は過去だと割り切らなきゃいけない。  先日、俺はそれを悟った。 「無理。到底無理。絶対無理だわ。復讐するは我にあり」 「だったら、俺は、葉月さんを力尽くで止める。どんな手を使っても」 「あら、そう」  その言葉を聞いた後、俺は葉月さんに掴みかかろうとした。  彼女を止めるには、ショックを与えるしかない。  そう思っての行動だったが、実にあっさりと右手を掴まれ、俺は妹の後を追うことになった。  葉月さんのうなじが見える高さまで浮き、少しの間だけ墜落していく鳥の気分になり、地面に勢いよく抱擁した。  ――もしも私が鳥だったら。きっと私は天に向かって嘆きの歌を歌うでしょう。どうして人間にしてくれなかったんだ、と。  まさにそんな気分だ。  鳥になんかなりたくない。生まれ変わっても、鳥になるのだけは御免だ。 「ごめんなさい。痛かったでしょ? あとでいっぱい慰めてあげるから、許して」  謝るなら最初からやらないでほしい。慰めで済むなら警察と民事裁判は要らない。  くっそ。立てない。どうなってるんだ、これ。  投げられただけじゃないのか? ここまで足下がぐらつくって、腕を地面にまっすぐ立てられないって、変だ。  平衡感覚を頭の中からすっぽり抜きとられ、別方向に投げ飛ばされたみたいに、立ち直るきっかけを掴めない。  地面に貼り付いてないと、空に向かって落ちていきそう。地面を滑り続けているみたいに不安定。  ちくしょう、もう、こうなったら。 「に、逃げろ……四人とも! 葉月さんはまともじゃない!  相手をするな、早く逃げるんだ!」 175 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:21:21 ID:smCxXBM3 *****  地面に倒れたまま、兄さんが逃げろ、と言っている。  その通りだ。逃げるのが一番の正解だ。戦うなんていうのは、愚かな選択だ。  でも、逃げ切れるか? 「きっと逃げられないわね、あの葉月さんからは」  澄子ちゃんが言った。  僕も全くの同意見。逃げたとしても、葉月先輩は追いかけてくる。  そして、目的を果たす。  葉月先輩の標的は、花火か、澄子ちゃんか。  おそらく僕ではない。澄子ちゃんの友達らしき人でもなさそう。  狙いが二人だけなら、やりようはある。 「葵紋、手を貸しなさい」 「断る。お前と手を組むなんてやっていられるか。私は帰る」 「は、言うと思った。じゃあさっさと帰りなさい――と思ったけど、  ここで戦ったらあんたを守ったみたいで気持ち悪いわ。最低最悪の気分だわ。  やっぱりあんたも残って戦いなさい」 「くだらない。やっていられるか」  そう吐き捨て、花火は帰ろうとする。僕の手を握って。  足を踏ん張って、花火の手を外す。 「ごめん、先に家に帰ってて。僕も後で行く」 「残るつもりか? なら、私も」 「いいや、僕一人で残るよ。澄子ちゃんと、友達の人も、帰った方がいい。葉月先輩は、僕が説得するから」  葉月先輩と対面する。手を伸ばしても届かない位置にいるのに、すごい威圧感。  皮膚をかきむしられている錯覚がする。腕を掠めてダンプカーが走り抜けていってるみたい。  葉月先輩のことを知っているつもりだったけど、僕の認識は甘かった。  この人は、花火や澄子ちゃんと同レベルで語るにふさわしい人じゃない。それぐらいじゃ、役不足だ。 「……無理よ。あなたじゃ、ね」  澄子ちゃんが言う。僕を見下した言い方だった。 「先輩の二の舞になるだけよ。あなたこそ逃げて。葉月先輩の相手なら、何回もしたことはある」 「僕じゃ無理って言うのは、つまり、僕が澄子ちゃんより弱いから?」 「みなまで言わせないで。自分でわかってるでしょう?」  その言葉にカチンと来たわけじゃない。けど、やるなら今しかない。  説得しないと、花火の身が危ないんだ。  もう、こうするしかない。 「ごめん、わからないや。僕は兄さんみたいに頭がよくないから」  横に並んでいる澄子ちゃんに近づいて、がら開きの脇に掌をあてて、腕を突きだした。  骨と内臓がへこんで形を変える感触が、皮膚を通して直に伝わってきた。 「ぁ……ぇ?」  澄子ちゃんの顔が苦痛に歪む。二回口を閉じ開きして、その場にくずおれた。 「えっと、澄子ちゃんの友達の人」 「藍川京子だ」 「藍川さん。澄子ちゃんを」 「うん、わかっているよ。まったく近頃のこいつは、無茶ばかりする。おかげで振り回されっぱなしだ。  こんな活き活きとした澄子は久しぶりに見た。……そうか、君が、そうなんだな」 「早く行ってください」 「そうさせてもらう。じゃあ、無事で。ジミー君の弟君」  藍川さんは澄子ちゃんを担ぐと、自分の車に向かっていった。 176 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:23:27 ID:smCxXBM3 「花火も、ほら早く」 「本当に、いい?」 「うん。僕を信じて」 「……家で、待っている」  花火はそう言うと自分の家へ帰っていった。  こういうとき、花火との短縮会話は楽で良い。時間をとられない。  僕と花火の間だけでしか通じないのが不便だけど。  再度、葉月先輩と対峙する。 「葉月先輩」 「弟君……あなたは、何?」 「質問の意味がわからないんですけど」 「そのままの意味よ。あなたは何者かってこと」 「兄さんの弟です。もうすぐ高校二年生になります」 「質問を変えるわ。さっきの掌底。あなた……素人じゃないわね? 私と同じ、いえ、多分それ以上。もしかしたら……」 「そうですか。もう花火と澄子ちゃんをおいかける気はなくなったんですね。  よかった。それなら、家に上がってお茶でもどうですか? それともコーヒーにします?」  葉月先輩は、返答せず、僕に向かって手を伸ばしてきた。  その意図は分からないけど、止めた方がいい気がしたので、手首を掴んだ。  やっぱり女性だ。手首が細い。  僕の手首も結構細いけど、やっぱり骨に厚みがある。  女性の方が、ずっと細くて、脆そうだ。  こけた時に骨が痛まないのかな、なんて場違いな感想が浮かんだ。 「……良く止められたわね、今の」 「あれ、止めちゃいけませんでしたか?」 「それは、嫌味かしら」 「言いがかりですよ、それ」  本当にそう思っただけだ。  先輩の手を止めたのだって、止めた方が良いと感じたから止めた。ただそれだけ。  他の意図が介入する余地はない。僕は誰かを貶めようと思わない。  自分にそんな権利があるなんて思っちゃいない。 「今私が、あなたに何をしようとしたか気付いてた? あなたの内臓狙って掌底を打ったのよ。  手加減抜きの全力で。一撃で倒すつもりで」 「……なんでそんなことするんですか。僕のこと、そこまで嫌いなんですか?」 「いいえ。嫌いなわけ無いわ。あなたはいつか、確実に私の義弟になるんだもの」  葉月先輩の言葉に厚みがある。確信という名の層ができている。  やっぱり、兄さんと葉月先輩は。 「でも、この場ではあなたを倒さなきゃならない」 「わけわかんないですよ、なんでですか!」 「あなたは危険だわ。そのことに気付いていない。自分が強いと思っていない。  あなたは――強すぎる。おそらく、身体的な面において」 177 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:27:23 ID:smCxXBM3  強い? 兄さんじゃなくて、僕が? 「身体的に弱い人は、とっさの危険から身を守る方法を身につけていない。  でも、自分の弱さを知っている人間は、わきまえて行動することができる。  強い人間も同様に、わきまえて行動しなきゃいけない。同じぐらい強い人間たちと一緒に居るべき。  弟君、気付きなさい。あなたは、自分が思っている以上の武力を持ってる」 「武力? 僕は武道なんか習ってません。ただ、その……特撮ヒーローが、ちょっと好きなだけです」 「稀に居るらしいのよ。お父さんから聞いた話だけど。  瓦一枚割れない、白帯のまま、だけど他人と組ませてみたら、結果は全戦全勝無敗。  プロテクターが有っても無くても、揺るがない実力を持つ人間。  基礎をすっ飛ばして、積み上げを全くの無駄にしてしまう、極端な実戦派、というタイプの人間が。  お父さんですら、又聞きだったらしいから、私が会うことなんかないと思っていたけど。  そんな人間を公の場所に出したらいろいろと問題になるらしいわ。  そりゃそうよ。私みたいな凡庸な人間のやってきた鍛錬が、たった一人の人間に否定されるんだから。  あなたはまさに、そういうタイプ。生まれつきの天才肌。対人格闘のスペシャリストよ」 「あの、言ったら悪いとは思いますけど、葉月先輩は凡庸とはとても」 「強さを自覚しなさい、弟君。あなたの一番危険なところは、弱いと思い込んでいるところよ。  放って置いたら、いつか必ず他との軋轢を生むわ。  葵紋花火と上手く付き合っていきたいなら、なおのこと、心構えを改めるべきよ」 「そんなこと、ないです。僕は澄子ちゃんに二回も倒されてます」 「油断していたんじゃないの。もしくは、最近になって覚醒したか」 「さっきから僕的にわくわくすることばっかり言ってくれますけど、買いかぶりすぎてます。  絶対に葉月先輩の方が強いですよ。クンフーが足りてるっていうか、鍛錬を続けた先輩みたいな人間が強いに決まってます」 「なら――どうして私はあなたを投げられないのかしら?」  投げる? さっきから葉月先輩は何かしていたのか? じっとしているだけだと思ってた。 「もしもあなたが、彼や妹さんみたいに武力を持たなければ、今頃倒れて気絶してる。  あの二人の後を追わないというのは、あなたが強いという証明に他ならないわ」 「先輩が手加減しているだけでしょう? それか、投げるつもりがないか」 「言っておくわ。私は、ここまで誰かを投げたい衝動に駆られるのは久しぶりよ。  私の想像の中では、弟君は、今頃家の屋根に突き刺さっているのよ」 「そこまで本気ですか」 「投げ飛ばされなさい、弟君」 「絶対に嫌です」  どうしたらいいんだ。  このまま葉月先輩を取り押さえてしまおうか?  いや待て。僕は聞きたいことがあったんだ。  兄さんに聞くつもりだったけど、この際だから葉月先輩でもいいや。 「先輩、聞きたいことがあります」 「なに? 言ってみて」 「兄さんと、いつから付き合いだしたんですか?」 「昨日の夕方、六時四十六分からよ。それがどうかした?」  あっさり教えてくれた。教えて欲しいなら私に投げられることね、とか言われるかと思ったのに。 「そうなんですか。おめでとうございます」 「ありがとう。あなたは喜んでくれるのね。それはともかく投げられなさい」 「もちろんです、二人が幸せになってくれたら、僕も嬉しい。でも投げられるのは嫌です」 「どうしてそう思うの? あなたには葵紋花火がいるじゃない。空を飛びたくないの?」 「兄さんに彼女が出来てから、花火とは付き合うつもりだったんですよ。僕は空を不自由に飛びたくないです」  そうか。やっぱり付き合ってるんだ。  ――やった。やった! これで、花火と付き合うことができる。恋人になれる! 「ありがとうございました、葉月先輩! 僕は急ぐので、これで!」 「え、ちょ、弟君! 逃げるんじゃないわよ!」  早く、早く、花火の家へ。  言いたいことがあるんだ。君の気持ちに応えることができるんだ。  待ってて、花火。すぐに行くから! 178 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/08/29(日) 20:30:49 ID:smCxXBM3 *****  :  :  やりとりが繰り広げられているのを、俺は寝そべって見つめていた。  弟が走り去るところまで見てから、脳を洗濯機の中でグイングイン回されてるみたいな錯覚に耐えきれなくなって、目を閉じていた。  じっと吐き気を抑えて待ち、今ようやく目を開けることができた。  取り出した携帯電話の時刻表示は、間もなく十一時になると示していた。時刻は自動調整されるから、誤ってはいないだろう。 「あの、ジミー、大丈夫?」 「ん……玲子ちゃんか?」  天を仰ぐと、俺の顔を覗き込んでいる幼い従妹の顔があった。 「へいき? まだ気分悪そうだけど」 「その通りだよ。悪いけど、しばらくじっとさせてくれ」 「うん、じゃあボク、ジミーの顔観察してるから」 「花は咲かないし、華も無いぞ、俺の顔は」 「なにそれ、なぞなぞ? 花がさかなければ花がないのは当たり前じゃん」 「わからなければいいよ。俺の戯言だと思ってくれ」  ザレゴトってなに? と言って、玲子ちゃんは首を傾げた。  あれ、葉月さんと妹はどこに行ったんだろう。  葉月さんは逃げた弟を追いかけていったとして、妹は?  あー、駄目だ。体を起こさないと見回せない。  あとちょっとで体は動くから、それから確認しよう。  しかしさっきのはいったい何だったのか。  弟は葉月さんの前に立ちふさがっていた。葉月さんの手首まで掴んでいた。  てっきり、弟も俺と同じ目に遭うだろうと読んでいたのに、何も起こらなかった。  わからん。あいつ、何かやったのか? 実は口八丁だとか?  最近弟のことがわからない。もうちょっと理解してやりたい。  ……変なの。変だろ、俺。  今年で俺、十八だぜ。弟は十七になるぜ。そんで妹は十六だ。  それぐらいの年齢なら、知っていることより、知らないことの方が多いのは当然だ。何もおかしくない。  わかってるんだけど、なあ。  どうして放任主義に徹しきれないんだろうか、俺は。  弟も妹も、きっとすぐに俺なんか追い抜いちまう。  いつまでも兄貴面で面倒を見る必要なんか無いっていうのに。  とっとと弟離れ、妹離れしろ。ブラコンとシスコンの二重苦から逃れろ。  自分から苦しもうとしていたら、いつまでも苦難に愛され続けて、離れられなくなるぞ。  とりあえず、気分は回復した。  ゆっくりとなら立ち上がることも可能だろう。  さしあたって、今の俺がすべきことは何なのか。  玲子ちゃんの太腿とスカートの隙間からちらちら見えている、それについて言及すべきか。  詳細が分かるまで、ここでじっと観察しているべきか。  俺の意図に気付いた玲子ちゃんが、真っ赤な顔で俺の顔を踏みつぶしにきたらよく見えるかもなあ。  なんて不届きなことを考えながら、俺は日向ぼっこに徹するのだった。

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