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ヤンデレ家族と傍観者の兄第四十一話」(2010/09/06 (月) 15:49:43) の最新版変更点

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 花火の家を訪ねに行くのは、現役小学生以来だ。  それも、俺が小学校低学年だった頃以来だから、かなりの年月が過ぎている。  最後に訪ねたのがいつだったかは詳しく覚えていない。  俺ら兄妹が伯母の恐怖から解放された日よりも前だということは確かだ。  それ以後、去年の高校の文化祭まで、俺は一度も花火に出会っていない。  久しぶりに訪ねたが、記憶の中にある花火の家よりも、今の花火の家は小さくなっているように感じた。  そう感じるのは、俺が大きくなったから当たり前だ。視点の高さが数十センチ上がっている。  それでも、ここまで違うものだとは。 「不思議だよ、本当」 「何がだい?」 「いくら成長したって、記憶にあるものは変わらないと思ってたんだけどな。  庭に入ってから玄関まで、小さい頃の俺が四人ぐらい寝転べるぐらいの距離がある。  俺がジャンプしても屋根の雨どいには手が届かないはずだ。  そんな基準が、全部残らず崩壊しちまった。いつのまにか俺、こんなに大きくなったんだろう」 「あくまで僕の意見だけどね。それは見方が逆なんだよ。君が大きくなったんじゃなくて、世界が小さくなったんだ。  だって、君は君のままで、昔から変わらないんだろう?  それなら、君に見える世界が縮み、すぐに手が届くようになったんだ、と考える方が自然だ」 「いや、それはないだろう」 「そうかもしれない。見方を変えたらそうなるってだけさ。  不変であり続けるものが、自分自身か、世界の在り方か。どちらの側について、世界を眺めるかの違いだ」  そう、高橋は言い切った。  この男、ごくたまにだが、こうやって俺とは違う切り口で意見してくる。  自分が変わらないなら、世界が縮んだはずだ。そんなこと、考えたこともなかった。  なかなか出会えないタイプの人間だ。こんなひねくれた思考をする男は。  俺と高橋がいるのは、さっきから話題にしている花火の家だ。  俺の家から歩いて十分弱。そこに花火の家はあった。  十年近く、花火の家への道順を思い出すことさえしなかったが、単純な道程だったため迷うことなく来られた。  なかなか忘れられるもんじゃない。一回覚えた、他人の家への道順は。  忘れる方が難しい。今ではすっかり疎遠になった小学校の友達の家だって、迷わずに行くことができる。  あのクソ馬鹿たれの弟が居る場所を挙げるなら、まずは花火の家だろう。  居ないだろう、とは思ってる。こんなわかりやすい場所に、弟が留まっているはずがない。  やってきたのは、行き先の候補を潰すためだ。万が一と言うこともあり得るし。  弟との電話の後で、ほとんど間を開けずに出発したから、意表を突けたかもしれない。  もっとも、さっきの電話の時点で弟が花火の家に居たのなら、だが。  玄関の扉の傍にあるチャイムを押す。扉の向こうから一回音が聞こえた。  そのまま、反応があるまで待つ。が、扉が開く気配はない。 「やっぱり居ないよな」 「もう一回押してみたらどうだ?」 「いいや。多分ここには弟は居ない。たぶん、花火も」 「そうか。じゃあ……次はどこに行く?」 「とりあえず思いついた場所をしらみつぶしにしていくけど……高橋、別に付き合わなくて良いぞ?」 「ん? 一人で捜す方がやりやすいか?」 「じゃなくて、わざわざ俺に付き合う必要はないってことだよ。ついここまで付き合わせちまったけど」  高橋と一緒に行動しているのは、偶然だ。会う約束をしていたわけではない。  花火の家に向かうため家を出たら、ばったり高橋に会っただけ。 「というか、お前何の目的で俺の家の周辺をうろついてたんだ」 「今更それを聞くなよ。……ちょっと、占いで面白い結果が出てね」  こいつの占いって、ごまかすための方便に使われている気がしてならない。  事実、俺は高橋が占いに関する本を読んでいるところを見たことがない。  なんと、毎日のようにテレビや新聞でやっている占いの欄まで目を通していないのだ。  意味深なことを言いやすくするため、趣味が占いだって言い張ってるように見えてしまう。 「君は己のため、そして他人のために、全ての問題を解決する。それが占いの結果さ」 「……なんだ、その大雑把さ」 「そう言われても、そう出たのだから仕方がない。  まあ、一言で言えば、君がヒーローになるってことさ。  よかったな。憧れのヒーローの仲間入りができるぞ」 「俺にはそういうの、似合わねえよ」  なれたとしても、超ローカルヒーローだ。毎週特定の曜日に現れる、デパートのヒーローみたいな。 「そうかな? 僕から見ると、君にはその素質があるようなんだが」 「お前は俺を褒めて、何の得をするんだ。俺は単車も乗れないし、剣も振り回したことがないんだぞ」 「……やれやれ」  高橋がかぶりを振った。うっすら笑っているところが、腹の虫の気に障る。  つまり、馬鹿にされてる気がして、カチンときた。 「お前といい弟といい、どこまで俺は馬鹿にされてるんだ……」 「そう猛るな。僕は、君の誤解に気付いたんだ。  君は、ヒーロー、もしくは英雄と呼ばれる存在について、誤解をしているようだ」 「あん?」  誤解してるって? 俺が? 「呼び名を英雄に統一して語るが――英雄というのは、称号なんだよ。  英雄的行為というものは存在するが、それをしたからといって、英雄と呼ばれるにはまだ足りない。  英雄のように振る舞い、行動を起こし、他人に認められて、初めて人は英雄に成る。  ただ戦って人を助ければ、英雄になれる。そう君は考えていたんじゃないか」 「……違うっていうのかよ」  寸分も違わない。敵と戦って人を救うのが、英雄。そう思ってた。  テレビにかじりつくようになった年頃からずっと。 「もしも君が戦う人間で、誰かと戦ったとしよう。  その誰か、つまりは敵。敵にも守らなければいけない人がいると仮定しよう。  だとしたら、敵が戦う理由は正義に基づくものだ。傍目に正しいか正しくないかは別として。  君の闘い、敵の戦い。お互いに譲れない理由で戦うなら、人のために戦うなら、どちらも英雄的だ。  それでは、君が英雄になるためには、どうすればいいと考える?」 「知らん。そこまで深く考えたことなんかなかったよ」 「今度からは答えられるようにすべきだ。考察は知的で、素晴らしい行いなんだ。  ともかく――英雄になるためには、君を英雄だと認めてくれる人の存在が不可欠なんだ。  独りよがりの正義ではない、誰かが認めてくれる正義。そうして、初めて人は英雄になれるんだ」 「それじゃ、敗北したら?」 「残念ながら、英雄ではない。いや、僕の理屈なら、彼らを英雄的と見る人が居るなら、その人も英雄になるか。  まあ、テレビの中の英雄達のことを言うのなら、彼らはひたすらに英雄的で、英雄と認めるしかない存在だよ。  だって、多くの人々を守るために戦っているのだから。  彼らに守られた人、テレビを見ている人、全員に認めてもらえる。  最近は、姿形を真似ただけの英雄もいるから、見極めが必要だがね」 「なんでお前はそんなに詳しいんだよ」 「君がしょっちゅう話題にするから、番組を見るようになったんだよ。まあ、五回ほど見て、それきりだが」  たった五回で、そこまで英雄について語れるって、すげえよ。  俺なんか一話から最終話まで見たタイトルが十以上あるってのに、ろくに語れない。  考察。考察ねえ。それって、楽しむために必要なのか?  見てて楽しければ、それで充分だろ。 「話が逸れたが、占いの結果、君は英雄的な行いをして、英雄になる。それも近いうちに」 「本当かよ。俺を英雄と認めるような人間、どこを捜したっていないぜ」 「ああ、一つ言い忘れていたな。往々にして、英雄は自身が英雄であると意識しない。  もしかしたら、君か、僕のどちらかが、誰かにとっての英雄かもしれないね」 「無えよ」  高橋は別として、俺は英雄じゃない。そんな器じゃない。  伯母を刺したのだって、弟と妹のためというより、自分のためだ。弟と妹をいじめる伯母が嫌いだったからだ。  それに、俺は花火を傷つけたんだ。それだけでも、英雄の資格を失うには十分だ。 「そう思うならそれでいい。自意識過剰はどこかズレている。その謙虚さは大事にしろ」 「わかった。お前もう帰れ。弟は俺一人で捜す」 「冷たいな。でも君が去れと言うなら去ることにするよ。  気を付けるんだぞ。僕がこうやって君の前にやってきたのも、直に警告してやりたかったからなんだ。  では、さようならだ。三年になったとき、同じクラスで合流できることを祈る」 「俺はお前と違うクラスに振り分けられることを祈ってる。じゃあな」  高橋が去った。ここからは俺一人で弟を捜索することになる。  高橋は居ても居なくてもあまり変わらない。むしろ、講釈をたれる分タイムロスが生まれて、邪魔かもしれない。  弟が行きそうな場所というと、後は――高校か?  待て待て。弟は花火と一緒にいるんだぞ。  昨日の電話の感じだと、弟は俺から逃げ切るつもりで行動している。  そんな状況で、わざわざ高校に行くことなんてあると思うか?  ない。とは思うが、もしかしたら違うかもしれない。  学校のどこかに潜んで、俺が居なくなった頃に逃げるつもりだったら? 「……行くか」  しょうがない。怪しく思った物件は全て訪ねていく。今回はそれがベストだ。  高校へ向けて歩き出したところで、携帯電話が俺を呼んだ。  メールが届いているようだった。送り主は葉月さんだ。  タイトルは、『これを見たら、すぐに学校に来て』? 「……どうしようか」  こんな時に考えることではないが、もしもこのメールに写真が添付されていたら。  しかもその写真が、葉月さんが自分で撮影した自分の艶っぽい姿だったら。  まさか、ね。いくら葉月さんでも、いきなりそんなことはしないだろう。  メールを開く。  少しのラグがあり、画面にある写真が表示された。 「弟、それに……花火も?」  二人の後ろ姿が写っている。歩いているところを、背後から撮影したみたいだった。  この金髪は花火だ。こんな金髪のロングヘアーは街中捜しても花火ぐらいしか居ないはず。  弟の後ろ姿は何度も見てきているから、疑う過程を飛ばして、弟であると確信できた。  しかし、なんで葉月さんは写真を撮った? というか、そもそもなんでこんなことしてるんだ?  何気なく、普通に声をかけてしまえばいいのに。  よくわからないが、高校で葉月さんは待っていると思われる。  弟と花火をつけた結果、高校に辿り着き、俺を呼んだのかもしれない。  相変わらず、俺を呼んだ理由は不明のままだが、何、唐突なのはいつも通りだ。  葉月さんを待たせるわけにはいかない。歩みを早足に切り替え、高校への道程を行くことにした。 *****  葉月先輩が僕らの後をつけていることには、気付いていた。  次の宿泊先へ向かうため、花火と街を歩いているとき、携帯電話のカメラで撮影する音が聞こえた。  花火は気付いていないようだったけど、僕にはわかった。  そして、写真を撮った人間が兄さんじゃないことも、すぐに。  兄さんだったら、そんなことをするより先に、僕に向かって殴りかかってくるに違いない。  普段はそこまでしないけど、電話であれだけのタンカを切ったのだから、奇襲してきてもおかしくない。  兄さんでなければ、誰が写真を撮ったのか。  妹、澄子ちゃん、藍川さん、同級生、いろんな人で可能性を探ったけど、一番やりそうなのは葉月先輩だった。  そうなると、目的地に到着するまでに葉月先輩をまかなくちゃいけない。  宿泊先を突き止められたら、連絡を受け取った兄さんがやってきて、すぐに喧嘩に突入してしまう。  それじゃ面白くない。初めての兄さんとの喧嘩なんだから、すぐに終わらせたくない。  見つかった時点で僕の負けみたいに思えてくるから。  二年時の教室に行き、花火を待たせる。  これから葉月先輩と話をする。花火が居たら、彼女に危害が及ぶ可能性がある。 「花火、待ってて」 「うん。……脱いで、おく?」 「じゃないって。ちょっとした用事」 「わかった。早く、な?」 「ありがとう」  微笑んだ花火に、触れる程度の簡単なキスをして、教室を出る。  ……いけない、いけない。そのまま抱いてしまうところだった。  花火の身体は、どこまでも僕の欲望をかきたてる。  これまでずっと我慢してきた反動だろうか? 付き合うまでは、ここまでひどく興奮しなかったのに。  せいぜい花火の裸体を想像する程度。今では花火の身体をずっと抱いていたくなってる。  我慢するんだ。ここで葉月先輩を追い払えなければ、僕の望みは叶わない。  こんなところで、僕は終わらない。  校舎入り口で、葉月先輩に電話をかける。すぐに繋がった。 「こんにちは、弟君」 「こんにちは、葉月先輩。今、どちらですか?」 「学校の正門よ。あなたはどこにいるの?」 「校舎の入り口です。外にいますから、すぐに見つかりますよ」 「わかったわ」  一方的に通話を切られた。実にあっさりしている。  そして、一分も経たないうち。今日の天気についての感想を浮かべるよりも早く。  実にあっさりと、葉月先輩は僕の前に姿を現わした。 「早かったですね。そんなに急がなくても僕は逃げませんよ」 「念には念を入れるタイプなの」 「そうなんですか? 兄さんへの接し方は、そうでもなさそうですけど」 「好きな人に関しては、特別よ。弟君は嫌いじゃないけど、彼ほど好きなわけでもないから」 「なるほど、ですね。  それで、葉月先輩はどうしても僕を見逃してくれないんですか?  言っておきますけど、僕は武道はしない。葉月先輩の心配しているような、武道を習う人の邪魔はしませんよ」 「私があなたを追っているのは、それが理由じゃないのよ。  ……昨日、家に帰らなかったでしょう? あなたを見失ってから、戻ってくるまであなたの家の前で待っていたんだから知ってるのよ」 「つまり、僕を連れ戻しにきたんですね」 「そういうことよ。あまり、彼を心配させるものじゃないわ。  それに、義理の弟のあなたが家出をしているなら、私はそれを補導しなきゃいけない」  葉月先輩が近づいてくる。  一歩ずつ、僕の方へと寄ってくる。そして、話しやすい位置まで来て、歩みを止めた。 「……逃げないのね、弟君」 「話すんだったら、これぐらい近い方がいいでしょう? よく声が聞こえるし」 「余裕綽々ね。どうしてそこまで落ち着いていられるのか、教えてもらいたいものだわ。  私はこの年になっても、初めて人と手合わせする時は緊張するのに」 「また、それですか。僕は強くなんかないです。強い人間って言うのは、兄さんみたいな人のことを指してるんです」 「ええ、全面的に同意するわ。あの人は強い。言動にいちいち、強さがにじみ出てきてる。  それに気付いたのは、最近だけど。  武道の腕がどうとかじゃなくて、もっと根本的な部分。そこに強さがある。  彼の周りにいろんな女が集まる理由がわかる。彼に惹かれない女は、見る目が無い。そう思ってる」 「……葉月先輩。兄さんは、どうしてあそこまで強くなれたんだと思いますか?」 「それは、質問?」 「ええ。考えを聞かせてください」  葉月先輩が腕を組んで宙を見る。  あくまでも想像だけど、と前置きした後、僕の目を見て語り出した。 「あなたと妹さんが居たから」 「……それが、兄さんの強さの秘密?」 「だって、それぐらいしかないもの。だってあの人、身体を鍛えるための特別な鍛錬なんかしてないでしょう?  それなのに、私がいくら脅しても、投げても、一歩も引かなかった。それどころか、反論までした」 「葉月先輩が初めて家に遊びに来た日の話ですよね、それ」 「ええ。あの強さには何か原因があるはずだって、後で考えた。  最終的に出た答えが、意志の強さ。  自分のためじゃない。自分の弟と妹をかばうため。その思いが力を与えた。  私が彼のことを、自分で抑えられないぐらい好きになったのは、彼には勝てないって悟ったから。  もうね、欲しくて、欲しくて、欲しくて。毎朝衝動を鎮めてからじゃないと、学校に行けなかったぐらい」 「……はあ」  そんな惚気っぽいことを言われても、困るんですが。 「学校が春休みに入ってからは、彼に会えなくなってもっと酷くなった。  付き合おうって言ってくれなかったら、きっと今頃私は気が狂ってたわ。  まあ、それは収まったけど……っと、話が逸れたわね。  彼の強さは、あなたと妹さんを守るために身についたもの。それが結論。納得した?」 「はい。ありがとうございます」  そうか。僕と妹のため、か。  他人のための強さ。自分のためじゃなく、他人のために強くなった。  どこまで――どこまで、兄さんは僕を置いて進んでいくんだろう。  追いつけないぐらい遠くに行っちゃってるじゃないか。  伯母さんから僕らを守ってくれた時から、兄さんは――――  空気に圧されるような感覚。  それから逃れるために、左に大きく飛び退いた。  僕が立っていた空間を、葉月さんの拳が貫いていた。 「い、いきなりなんてことを……するんですか!」 「言わなくてもわかるでしょう。……あなたを倒すわ、ここで」  葉月先輩の、頭部を狙った右の回し蹴りを躱す。  技の後は隙が生まれる。そこを突く。  先輩の向けた背中に接近しようとして――嫌な予感を覚えて、動きを止める。 「づあっ!」  気迫と共に、思いがけない方向から蹴りが飛んできた。  左だ。右の回し蹴りはフェイント。こっちが本命。  僕が一発目を躱して油断した隙を突いて、左足が僕の頭部に襲いかかった。  直前に気付いたから、かろうじて躱すことはできたけど。 「やるわね。やっぱり、この程度じゃあ、ね!」 「ちょ、待ってくださいよ!」  葉月先輩がしゃがむ。地を這うように進み、足下にやってくる。  予測。  足払いを飛んで避ける。  空中に浮いているところに、直下からの突きが襲いかかった。狙いは頭部。  でも、僕はここまで読んでいた。  両手で拳を受け、先輩の手首を捻る。  手首を押さえたまま体全体を押さえる――ことは叶わず、逃げられた。  葉月先輩は、手首を捻られると同時に体を回転させ、その勢いで僕の拘束から逃れた。 「とんでもない反応ね!」 「葉月先輩がそれを言いますか!」 「言うわよ。だって――これが今の私の本気だからね!」  再度、葉月先輩が襲い来る。タックルしてきそうな突進。  その動きを、全て認めた。  吹き飛ばされそうな強い呼気。  空気と鼓膜を揺らす裂帛の気合い。  制動のかからない先輩の体。  一際鋭い――――右の正拳突き。  神経を削る緊迫の中、動く。  体全体を右へ。葉月先輩の腕の内側へ。  伸びきる寸前の右腕をとり、勢いを止めず、むしろ加速させた。  捻りを加えて、葉月先輩の勢いを殺さずに、そのまま上へと解き放った。  その結果。  跳び箱で使う跳躍板に踏み込んだみたいに、葉月先輩は跳んだ。  高く、高く。  僕の視界から消えてしまうぐらいの高さまで。 「――――嘘よ」  地面に激突する寸前まで、葉月先輩は信じられないって顔をしていた。  

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