「ヤンデレ家族と傍観者の兄第四十五話」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ヤンデレ家族と傍観者の兄第四十五話」(2010/09/06 (月) 19:28:47) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

 俺の家には、かつて五人が同時に暮らしていた。しかし、一人はもう居なくなってしまった。  居なくなってしまったのは弟である。  あいつは、堂々と浮気宣言をしてしまったことで、恋する女の子二人を逆上させ、夜空の星になってしまったのだ。  ――という展開にならずに済んだ翌日。  この日は、と言うべきか、この日も、と言うべきか知らないが、ともかく今日は穏やかな春休みの一日となった。  空の色は、学のある人間、もしくは感性豊かな人間ならば、ほれぼれするほどに美しく形容するんだろう、美しい青だった。  あの色合をプラモデルの塗料にして販売してくれないかな、と思わざるを得ない。  戦闘機をあの色一色で塗りたくれば、ステルス迷彩になるに違いない。  まあ、実機の迫力を演出するのが難しいのと同じく、澄んだ空色の塗料があっても実現は難しいに違いない。  やっぱりいらねえや、と諦め、机に向かう。  今日は久しぶりにプラモデルを組み立てることにした。  どれぐらいぶりだろう。  バレンタインデイ当日から組み立てていないわけだから……もう一ヶ月半ほどか。  それまで長かった。問題も多かったが、クリアしてきて本当に良かった。  再び、こうして無事にプラモデルを組み立てるために。  そのためだけに、俺は身辺の問題を片っ端から片づけてきたのだ。  重要度で言わせれば、今日こうして机に向かうことが最優先。  他の問題なんて、解決できなくても別に良かったのだ。  ――もちろん嘘だ。イタリアンレッドのペンキを注がれたプールに飛び込んだ人間ぐらい、真っ赤に染まった嘘だ。  全ての問題をクリアしてきたからこそ、こうして何の憂いもなくプラモデル作りに集中できるのだから。  さてどのキットから組み立てようか、と積まれたキットの山を物色していると、無粋な音が割り込んだ。  携帯電話。残念ながら、携帯電話だけはこの一ヶ月半を生き残ることができなかった。  金が貯まったらいつか買いに行かなきゃな、今度は頑丈そうなやつを。  電話に出る。そして聞こえてきた声は、憩いの時間を邪魔する着信音に匹敵するぐらい、無粋なものだった。 「よう、高橋。おはようさん」 「おはよう。ところで聞きたいのだが、邪魔じゃなかったか?  こんなときに電話をかけて来やがって無粋な奴め、とか思わなかったかい?」 「そんなこと思うわけがないだろう。失敬だぞ、お前は」 「ふむ、そうか。失礼した」 「で、一体何の用だ。携帯電話なんて無粋な物で電話して来やがって、無粋な奴め」 「無粋な僕は簡略して君に問おう。よく生きて帰ってきたな?」 「……知ってんのかよ、昨日何があったのか」 「その口ぶりだと、やはりなにかあったのだな。弟がらみで」 「まあな。いろいろとあったんだよ。お前の予想は外れて、弟が何とかしてくれた」 「そうか。やはり当たったか」 「いや、だから外れたと」 「お疲れさん、英雄殿。今日はゆっくりと休んでくれたまえ。では、さらば」  と言い残し、高橋は一方的に通話を終わらせた。 「……けっ、何が英雄だよ」  身内でのローカルな問題を解決したぐらいで英雄になれるなら、そこら中から英雄が生まれてる。  それに俺は英雄って言い方が好きじゃないんだ。  ヒーローって言え。英雄じゃねえ、ヒーローだ!  そっちの方が簡単に書けるし、なにより、格好いいだろうが! 「あれ。そういえば高橋に何か言うことがあったような……」  英雄の定義がどうたらこうたらについて。  んー、まあいいか。思い出せないってことは、大して重要な伝言でもなかったんだろ。  そもそも、俺と高橋の間で重要な会話というものが交わされたことがあっただろうか?  いや、無い。  あいつはペテンの占い師で、俺はモデラー。  どうだ、さっぱり噛み合わない組み合わせだろう。  どだい、まともな会話を望む方が間違っているのである。  今後も重要な会話が交わされることはおそらくない。その方が、友人として気楽に付き合えるってものだ。  プラモデルと言えば、今の俺には一人、仲間がいるのだった。  藍川京子。まるで男みたいな喋り方をする、痩せた女。  俺の快気祝いだ。あいつをこの場に呼んで、一緒にプラモデルを作ることにしよう。  藍川に電話をかける。三コール目で出た。 「藍川京子です。ジミー君か?」 「おう、おはよう。いきなりだけど、今日は暇か?」 「暇と言えば暇かも知れないわ。デートのお誘いかしら?」 「……おい、なんだその喋り方」 「喋り方? 何を言っているのかしら、ジミー君ったら。いやだわ、もう。  私は前からこんな喋り方だったじゃない」 「いや違う。お前はもっとこう、俺の親友っぽい喋り方だったはず。下手すれば、どっちがどっちだかわからないぐらい」 「今日のジミー君、どうしてそんなにイジワルなの? 京子、あんまりいじめられると泣いちゃうよ?  いじめたらジミー君のフィギュアとか作っちゃうよ?  そして爆竹から取り出した火薬をキャラメルの箱に詰めて出来た爆弾で、爆発させちゃうよ?」 「いや、もう、どこから突っ込んだらいいか。  意地悪をカタカナっぽく言うな。キャラクターの精神年齢が途中から一気に下がって甘えんぼキャラになってる。  俺のフィギュアとか作るんじゃない。洒落にならんからそんな爆弾を作るな。……こんなもんか?」 「いや、一つ欠けている。俺を爆殺しようとするな、お前は澄子ちゃんか、というツッコミが」 「吹っ飛ばすのはフィギュアじゃなくて俺自身かよ! 物騒な話だな!」 「そしてジミー君は騒がしい。もうちょっと年齢相応に落ち着きたまえ」 「普段の喋り方に戻りやがったなこの野郎! だったらこっちも全力で応戦するぞ!」 「や、やめて……京子をいじめないで……なんでもするから……」 「う、すまん。そんなつもりじゃ……って、それはもういい!」 「ジミー君もノリが良くなったな。それでこそ……私の友達だ」  ふむん? 藍川の声の調子が低くなったぞ?  もしかして、さっきの会話のノリはここで終わり?   もっと続けていたかったのに。あと四十回ぐらい会話をキャッチボールさせたかった。 「すまないね。せっかくだけど、今日は君と遊べないんだ」 「あ、そうだったのか。それならいいんだ。また今度で」 「ああちょっと待ってくれ。話を聞いてくれないかな、ジミー君」 「いいけど、何だ?」 「私はしばらく、この街を離れることにしたんだ」 「……突然の話だな。聞いてねえぞ」 「そうだろうね。でも、私は結構前から考えていたんだよ。  澄子が活き活きとしだした頃、おそらくは、君の弟に夢中になり出したあたりから。  そろそろ澄子から離れる頃だ。そして、離れるなら今がベストなタイミングだ」 「澄子ちゃんから離れるだと? 友達だろ、二人は」 「澄子はね、私に甘えてるんだよ。私と一緒じゃないと、ジミー君の家に行かなかったろう?   あいつは表面上は明るくて、自分の意志を貫く女に見えるだろうが……実はとんでもない臆病者だ。  放っておけなかった。過去に色々あったから、力を貸してやりたかった。  でも、昨日のことがあって、ようやく決心がついたよ。  あいつは好きな男に受け入れられた。頼れる人達も周囲にいる。私の出る幕はないさ」 「そんなことないと思うんだけどな。澄子ちゃんに一番親身になってあげられるのは、お前だけだぞ」  ははは、と藍川が笑う。  どこか乾いた笑いに聞こえるのは、俺が名残惜しさを感じているからなのか。 「ジミー君は嬉しいことを言ってくれるね。でも、もう決めたことなんだ。  澄子にも、玲子にも、もう伝えてあるんだ。澄子は納得してくれた。玲子は……泣いていたよ。  けどジミー君に慰めさせればいいと思ったので、そのままだ」 「ハードル上げるなよ……泣いた玲子ちゃんの相手をしたら、ろくなことにならないんだから」  以前泣かせたときは、最終的に手にある全身のツボを刺激する刑に処された。  今回彼女を泣かせたのは俺のせいではないが、なんでだろう、これ幸いと不幸が襲いかかってくる気がしてならない。 「この街には、楽しい思い出もあるけど、それすらも辛い思い出で塗りつぶされてる。私の中では。  澄子のように、街にとどまれるだけの理由があれば良かったんだけどね。たとえば――恋人の男がいるとか」 「……居ないのか? いや、居ないのか。すまん」 「……いくら私が相手でも、言っていいことと悪いことがあるぞ。  電話口の向こうだからって、遠慮しなくていいとでも思っているのか。  はあ、まったく君は人の気持ちを読まず、落ち込ませてばかりだな。ジミー君、いや、ダウナー君」 「変なあだ名をつけるな!」  ジミーも酷いが、ダウナーはもっと酷いぞ! 絶対に友達になりたくないと思わせるあだ名だ。 「悪かったよ。でも、今男が居ないなら、これから作ったらどうだ?」 「すまないが、私は男性恐怖症の気があってね。親しくなった男としか話せないんだ。  それとも、ジミー君が恋人になってくれるのかな? 藍川京子かっこ十八歳の彼氏に」 「それ、は……」  ちょっと想像できない。  すまん、藍川。 「そこはすぐに否定しないと。今の恋人と二股するかどうか迷っていてはいけないな」 「あれ、お前って、そこまで自意識過剰だったっけ……?」 「冗談だよ。でも、君のような男が恋人になってくれたら、私も飽きないだろうと思うよ。  趣味が合う、女の匂いがしない、もてない、頼りがいがある、会話の引き出しが少ない、もてない、女の匂いがしない、趣味が合う。  きっと毎日プラモデルを作って過ごすんだろうなあ。なんて不健康なカップルだ」 「お前、俺がひたすら女にもてないモデラーだと言いたいのか」 「その通りだが。ちょっとでも間違っていたかな?」 「――大当たりだよどちくしょう!」  どうせ俺を好いてくれる女性は葉月さんだけだよ!  残りは俺をカカシ扱いしてくるか、ボールペンを向けてくるか、毛嫌いするかのいずれかだ! 「いいさ。俺には葉月さんがいる。幸せは分けてやらねえぞ」 「むしろ分け与えるべきじゃないな、それは。  さて、そろそろ出発の時間だが、もうちょっとだけ話をしたい。君も疲れていると思うが、いいかな?」 「いいぜ。俺のエネルギーはまだまだ残ってる」 「そうか。若いというのはいいものだな。  さて――――ジミー君、これはただの妄言だと思ってくれ。決して本気だと思ってはいけない。  私が作るジミー君のフィギュアの顔ぐらい、現実味の薄いものだと思ってくれ」 「ああ。どんな面してるか、拝んでみたいもんだが」 「私は、君が恋人だったら、きっと澄子のように男に夢中になって、馬鹿なことをする女になっていただろう。  私も女だからね、男にどうしようもなく惚れてしまうことだってあるんだよ」  ……あれ、これ、本気の告白?  いやでも、本気にするなって藍川は言ったし。  事前に妄言って言われなきゃ、絶対信じるぞ、今の台詞。 「ジミー君。君と語り合えて、知り合えて良かった。最悪な男以外にも、男は居るんだって、信じられた。  もし……私が初めて出会った男が、君だったなら」 「俺、だったら?」 「君だったなら…………いや、ごめん。  そんなことはあり得ないって分かってる。あの過去があって、今の私は君に会えたんだ。  でも、考えたことはある。こういうのも悪くない、っていう想像。  同じ学校に通って、少し年下の後輩の君に出会って、趣味で意気投合して、二人きりで何度も会うようになって。  一緒に買い物をして、部屋に無言で何時間も籠もって、片手に収まるぐらいの模型を作って。  君と二人、とっても近くで喜びを分かち合うような……ありふれた幸せ。  そんなのも……悪くないってね」 「藍川……そんなの、これからでもできるだろ?」 「ジミー君、妄言だって言ったろ? 決して本気だと思っちゃいけない。  私のことなんか、箸にも棒にもかからない、面白みのない女だと思ってくれていい。  ただプラモデルを作るのが好きなだけの、どこにでもいる女だって、君に認識して欲しい。  これから先、君が出会うだろう女の子達の中に埋もれて消えていくような存在で居たいんだ、私は。  君には恋人だって居るしね。お似合いだよ、君たち二人は」 「そんなこと言うなよ。お前みたいに個性の強い女、忘れようとしたって、忘れられるもんか。  俺は忘れない。お前と趣味で意気投合したこと、玲子ちゃんのために伯母に怒ってくれたこと、絶対に」  「……ジミー君、優しい言葉は私みたいな女にかけるべきじゃない。君は、恋人に優しくすべきだ」  なんと言っていいかわからない。言葉を紡げない。  なんだよ。なんだよ、これ。もう会えないみたいじゃないか。 「藍川、また会えるよな、俺たち」 「きっとね。君が――玲子のようないたいけな少女に手を出しそうになったら、その時はすぐに駆けつける。  注意しておくことだ。私は、きっと戻ってくる」 「そっか。それなら……いいんだ」 「それじゃあ、また今度。次の機会に会おうじゃないか」 「ああ。また会おう」  そして、藍川との通話は終わった。  携帯電話を畳むと――後悔した。再会の約束をしておけばよかった。  今からでは、きっと遅い。藍川はもう、電話に出ない。もう街を出てしまっただろう。  そのことはわかっていたけど、認めたくなくて、俺は立ち上がった。  顔を洗いたくてしょうがなかった。  がしがしと力任せに洗顔して、ごしごしと顔をタオルで拭いた。  洗面所の鏡は光の加減のせいで、普段よりも整った顔に見えるという。  しかし俺の顔は変わらない。なぜだ。  毎日洗顔しないから、弟みたいにならないのか? いやしかし、美顔効果のある洗顔クリームなんて聞いたことない。  身だしなみに対する意識の違いかな。  清潔にしていると自然と顔つきや振る舞いにそれが出てくると言うし。高橋曰く、というのが頼りないが。  でも、葉月さんと付き合うことになったわけだし、ここいらで心機一転、身だしなみに気を使うべきかも。  葉月さんと肩を並べて街を歩くんだもんなあ……外見に酷い格差があって悲しくなる。  ちなみに、今日は葉月さんと出かける予定である。  行き先は決めていない。決めなくてもいいからともかく一緒に居て、と葉月さんは言っていた。  じゃあ、行き先は俺が決めてもいいのかな。モデラー育成コースを巡回することになりそうだが。  というか葉月さんってプラモデルとか興味あったっけ? せめて理解はしてもらいたい。  とりあえず、今日はそのあたりから聞いておくべきかな。  洗面所から出ると、風呂上がりの弟とばったり会った。 「おはよう、兄さん。今日は早いね」 「おう。お前は朝風呂か。優雅なもんだな」 「まあね。今日はちょっと、大変なことになりそうだから。昨日もかなり大変だったけど。  僕、さっき帰ってきたばっかりなんだ。二人とも帰してくれなかったから」  弟が朝帰りする不良になってしまった。妬ましくて殴り倒しそう。 「そうかい。その調子で上手くやれよ。  あの二人を一緒に付き合っていくって決めたのは、お前なんだから」 「けしかけたのは兄さんだけどね。でも……感謝してる。ありがと、兄さん」  弟が頭を下げた。 「兄さんが居てくれなかったら、僕はきっと、あそこでずっと座り込んだままだった。  二人を助けられたのは、兄さんが僕を叱ってくれたからさ。  だけど、僕のいいところが女性を惚れさせるところだ、っていうのは、どうかと思うよ」 「やかましいわ。結果オーライだし、事実そうだろうが」  昨晩はこの男、澄子ちゃんの家に泊まったらしい。花火と澄子ちゃんの二人ももちろん一緒である。  そこで何があったのかは知らない。だが、こうして目の前で弟が中性的なアホ面をさらしていることからして、せいぜい組んずほぐれつのプロレスごっこをする程度で済んだのだろう。  そういうの、かなり体力を使うらしいのだが、ちょっと眠っただけで回復するとは、恐るべし弟。 「これからまたあの二人のところに行かなきゃいけないんだ。……無事に済むかなあ、兄さんも一緒に来てくれない?」 「断固、了承せぬ。俺は俺でやることがあるんだ。一人で行って来い。  二人をしらけさせたくないなら、お前が一人で行くべきだ」 「二人は二人で、兄さんに言いたいことあると思うけど……」  言われたくないから、二人に会うのを拒んでいるのだと気付け。  昨日の今日で花火に会いたくない。あいつだって会いたくないだろう。  澄子ちゃんにはいつだって会いたくない。爆殺されたくない。  あの子の中で、玲子ちゃんを守る目的が、俺を爆殺するための口実になっているように感じる。  玲子ちゃんに手を出してなくても先輩は爆殺します、とか言いそう。脳内に具体的な光景が浮かんだ。  爆殺少女澄子ちゃん。女の子に手を出したら、君の心も体もバックサツ!  ……似合うなー。次の学園祭で演じて欲しい。俺は誘われても出演しないがな! 「じゃあ行ってくるよ。帰りはいつになるかわからないから」 「ああ。帰れそうで、かつ連絡するだけの暇があったら連絡しろ」 「そうするよ。……ああ、そうそう。今日は妹が朝食を作ってくれてるよ」 「マジか? あいつ、最近優しいよな。……なんかあったのか?」 「それは……兄さんが知らないなら、僕だって知らないよ」 「お前、最近妹に冷たくないか? 前はあんなに仲が良かったのに。  あの二人だけじゃなくて、たまには妹の相手もしてやらないと駄目だぞ。あいつ、お前のこと好きなんだから」  弟が目を瞬かせる。ぽかんと口を開けている。  何か奇天烈な物を目のしたかのよう。それか、とんでもない珍獣か。 「俺の後ろに何かあるのか? ……無いぞ、なんにも」 「……兄さん、ごめん。さっき僕、妹に言っちゃったんだ。  兄さんと葉月先輩が付き合ってる、っていうこと」 「そうなのか? 俺が言おうと思ってたんだが、悪いな。あいつ、何か言ってたか?」 「特に何にも。ああ、兄さんを絶対に朝食のテーブルに着かせて、とは言ってたかな。  というわけで、妹の朝食を残さず食べてきてね。兄さん」 「言われなくても完食してやるよ」 「うん。……重ね重ね、ごめん」  また謝った。  ちょっとはしっかりしたと思ったが、いまいち頼りない。謝る癖を直せ。  俺だっていつまでも、お前の兄貴をしていられるわけじゃないんだ。 「じゃあ兄さん……また会おう」 「ああ。できたら今日中に帰ってくるんだぞ」  そして、弟は玄関へ向かい、出掛けていった。 「……ま、後はあいつに任せておけば大丈夫だろう」  もう俺の出る幕は無くなった。  きっとあいつは、自分の意志で、上手にあの二人と付き合っていくことだろう。  もはや俺があいつを導く必要は無くなった。  助けを求められたら手伝ってやらなくもない。そんな機会が来ないのが一番だが。  何か言われないかぎり手を出さず、ただ近くで観察しているだけの存在――傍観者、って立ち位置に収まろう。  傍から見れば、弟が主役で、俺なんか脇役なんだ。  脇役は脇役らしく、大人しくしていようじゃないか。 「お兄さーん! 早くご飯食べに来てよ!」  おや、妹が俺を呼んでいる。  ああ、なんか、すげえ兄貴っぽい、今の俺。  早く朝食を食べて欲しくて兄を急かす妹。幻想の中ではなく、現実に居る。  そう、我が家のリビングに! 「……早く食べに来なさいって言ってるでしょう、このカカシ! とっと来い! 口にねじ込むわよ!」 「すまん、今すぐに行く!」  ――やっぱり、可愛い妹なんか幻想の中にしかいないのかなあ。  ああ、玲子ちゃんが妹になってくれないかなあ。  妹に比べれば、玲子ちゃんの方がずっと可愛いし、反応が面白い。  我が家の子になってくれるよう、伯母が頼みに来てくれたらいいのに。  そんな叶わぬ願いを抱きながら、俺はリビングのドアを開けた。 ヤンデレ家族と傍観者の兄――了――
 俺の家には、かつて五人が同時に暮らしていた。しかし、一人はもう居なくなってしまった。  居なくなってしまったのは弟である。  あいつは、堂々と浮気宣言をしてしまったことで、恋する女の子二人を逆上させ、夜空の星になってしまったのだ。  ――という展開にならずに済んだ翌日。  この日は、と言うべきか、この日も、と言うべきか知らないが、ともかく今日は穏やかな春休みの一日となった。  空の色は、学のある人間、もしくは感性豊かな人間ならば、ほれぼれするほどに美しく形容するんだろう、美しい青だった。  あの色合をプラモデルの塗料にして販売してくれないかな、と思わざるを得ない。  戦闘機をあの色一色で塗りたくれば、ステルス迷彩になるに違いない。  まあ、実機の迫力を演出するのが難しいのと同じく、澄んだ空色の塗料があっても実現は難しいに違いない。  やっぱりいらねえや、と諦め、机に向かう。  今日は久しぶりにプラモデルを組み立てることにした。  どれぐらいぶりだろう。  バレンタインデイ当日から組み立てていないわけだから……もう一ヶ月半ほどか。  それまで長かった。問題も多かったが、クリアしてきて本当に良かった。  再び、こうして無事にプラモデルを組み立てるために。  そのためだけに、俺は身辺の問題を片っ端から片づけてきたのだ。  重要度で言わせれば、今日こうして机に向かうことが最優先。  他の問題なんて、解決できなくても別に良かったのだ。  ――もちろん嘘だ。イタリアンレッドのペンキを注がれたプールに飛び込んだ人間ぐらい、真っ赤に染まった嘘だ。  全ての問題をクリアしてきたからこそ、こうして何の憂いもなくプラモデル作りに集中できるのだから。  さてどのキットから組み立てようか、と積まれたキットの山を物色していると、無粋な音が割り込んだ。  携帯電話。残念ながら、携帯電話だけはこの一ヶ月半を生き残ることができなかった。  金が貯まったらいつか買いに行かなきゃな、今度は頑丈そうなやつを。  電話に出る。そして聞こえてきた声は、憩いの時間を邪魔する着信音に匹敵するぐらい、無粋なものだった。 「よう、高橋。おはようさん」 「おはよう。ところで聞きたいのだが、邪魔じゃなかったか?  こんなときに電話をかけて来やがって無粋な奴め、とか思わなかったかい?」 「そんなこと思うわけがないだろう。失敬だぞ、お前は」 「ふむ、そうか。失礼した」 「で、一体何の用だ。携帯電話なんて無粋な物で電話して来やがって、無粋な奴め」 「無粋な僕は簡略して君に問おう。よく生きて帰ってきたな?」 「……知ってんのかよ、昨日何があったのか」 「その口ぶりだと、やはりなにかあったのだな。弟がらみで」 「まあな。いろいろとあったんだよ。お前の予想は外れて、弟が何とかしてくれた」 「そうか。やはり当たったか」 「いや、だから外れたと」 「お疲れさん、英雄殿。今日はゆっくりと休んでくれたまえ。では、さらば」  と言い残し、高橋は一方的に通話を終わらせた。 「……けっ、何が英雄だよ」  身内でのローカルな問題を解決したぐらいで英雄になれるなら、そこら中から英雄が生まれてる。  それに俺は英雄って言い方が好きじゃないんだ。  ヒーローって言え。英雄じゃねえ、ヒーローだ!  そっちの方が簡単に書けるし、なにより、格好いいだろうが! 「あれ。そういえば高橋に何か言うことがあったような……」  英雄の定義がどうたらこうたらについて。  んー、まあいいか。思い出せないってことは、大して重要な伝言でもなかったんだろ。  そもそも、俺と高橋の間で重要な会話というものが交わされたことがあっただろうか?  いや、無い。  あいつはペテンの占い師で、俺はモデラー。  どうだ、さっぱり噛み合わない組み合わせだろう。  どだい、まともな会話を望む方が間違っているのである。  今後も重要な会話が交わされることはおそらくない。その方が、友人として気楽に付き合えるってものだ。  プラモデルと言えば、今の俺には一人、仲間がいるのだった。  藍川京子。まるで男みたいな喋り方をする、痩せた女。  俺の快気祝いだ。あいつをこの場に呼んで、一緒にプラモデルを作ることにしよう。  藍川に電話をかける。三コール目で出た。 「藍川京子です。ジミー君か?」 「おう、おはよう。いきなりだけど、今日は暇か?」 「暇と言えば暇かも知れないわ。デートのお誘いかしら?」 「……おい、なんだその喋り方」 「喋り方? 何を言っているのかしら、ジミー君ったら。いやだわ、もう。  私は前からこんな喋り方だったじゃない」 「いや違う。お前はもっとこう、俺の親友っぽい喋り方だったはず。下手すれば、どっちがどっちだかわからないぐらい」 「今日のジミー君、どうしてそんなにイジワルなの? 京子、あんまりいじめられると泣いちゃうよ?  いじめたらジミー君のフィギュアとか作っちゃうよ?  そして爆竹から取り出した火薬をキャラメルの箱に詰めて出来た爆弾で、爆発させちゃうよ?」 「いや、もう、どこから突っ込んだらいいか。  意地悪をカタカナっぽく言うな。キャラクターの精神年齢が途中から一気に下がって甘えんぼキャラになってる。  俺のフィギュアとか作るんじゃない。洒落にならんからそんな爆弾を作るな。……こんなもんか?」 「いや、一つ欠けている。俺を爆殺しようとするな、お前は澄子ちゃんか、というツッコミが」 「吹っ飛ばすのはフィギュアじゃなくて俺自身かよ! 物騒な話だな!」 「そしてジミー君は騒がしい。もうちょっと年齢相応に落ち着きたまえ」 「普段の喋り方に戻りやがったなこの野郎! だったらこっちも全力で応戦するぞ!」 「や、やめて……京子をいじめないで……なんでもするから……」 「う、すまん。そんなつもりじゃ……って、それはもういい!」 「ジミー君もノリが良くなったな。それでこそ……私の友達だ」  ふむん? 藍川の声の調子が低くなったぞ?  もしかして、さっきの会話のノリはここで終わり?   もっと続けていたかったのに。あと四十回ぐらい会話をキャッチボールさせたかった。 「すまないね。せっかくだけど、今日は君と遊べないんだ」 「あ、そうだったのか。それならいいんだ。また今度で」 「ああちょっと待ってくれ。話を聞いてくれないかな、ジミー君」 「いいけど、何だ?」 「私はしばらく、この街を離れることにしたんだ」 「……突然の話だな。聞いてねえぞ」 「そうだろうね。でも、私は結構前から考えていたんだよ。  澄子が活き活きとしだした頃、おそらくは、君の弟に夢中になり出したあたりから。  そろそろ澄子から離れる頃だ。そして、離れるなら今がベストなタイミングだ」 「澄子ちゃんから離れるだと? 友達だろ、二人は」 「澄子はね、私に甘えてるんだよ。私と一緒じゃないと、ジミー君の家に行かなかったろう?   あいつは表面上は明るくて、自分の意志を貫く女に見えるだろうが……実はとんでもない臆病者だ。  放っておけなかった。過去に色々あったから、力を貸してやりたかった。  でも、昨日のことがあって、ようやく決心がついたよ。  あいつは好きな男に受け入れられた。頼れる人達も周囲にいる。私の出る幕はないさ」 「そんなことないと思うんだけどな。澄子ちゃんに一番親身になってあげられるのは、お前だけだぞ」  ははは、と藍川が笑う。  どこか乾いた笑いに聞こえるのは、俺が名残惜しさを感じているからなのか。 「ジミー君は嬉しいことを言ってくれるね。でも、もう決めたことなんだ。  澄子にも、玲子にも、もう伝えてあるんだ。澄子は納得してくれた。玲子は……泣いていたよ。  けどジミー君に慰めさせればいいと思ったので、そのままだ」 「ハードル上げるなよ……泣いた玲子ちゃんの相手をしたら、ろくなことにならないんだから」  以前泣かせたときは、最終的に手にある全身のツボを刺激する刑に処された。  今回彼女を泣かせたのは俺のせいではないが、なんでだろう、これ幸いと不幸が襲いかかってくる気がしてならない。 「この街には、楽しい思い出もあるけど、それすらも辛い思い出で塗りつぶされてる。私の中では。  澄子のように、街にとどまれるだけの理由があれば良かったんだけどね。たとえば――恋人の男がいるとか」 「……居ないのか? いや、居ないのか。すまん」 「……いくら私が相手でも、言っていいことと悪いことがあるぞ。  電話口の向こうだからって、遠慮しなくていいとでも思っているのか。  はあ、まったく君は人の気持ちを読まず、落ち込ませてばかりだな。ジミー君、いや、ダウナー君」 「変なあだ名をつけるな!」  ジミーも酷いが、ダウナーはもっと酷いぞ! 絶対に友達になりたくないと思わせるあだ名だ。 「悪かったよ。でも、今男が居ないなら、これから作ったらどうだ?」 「すまないが、私は男性恐怖症の気があってね。親しくなった男としか話せないんだ。  それとも、ジミー君が恋人になってくれるのかな? 藍川京子かっこ十八歳の彼氏に」 「それ、は……」  ちょっと想像できない。  すまん、藍川。 「そこはすぐに否定しないと。今の恋人と二股するかどうか迷っていてはいけないな」 「あれ、お前って、そこまで自意識過剰だったっけ……?」 「冗談だよ。でも、君のような男が恋人になってくれたら、私も飽きないだろうと思うよ。  趣味が合う、女の匂いがしない、もてない、頼りがいがある、会話の引き出しが少ない、もてない、女の匂いがしない、趣味が合う。  きっと毎日プラモデルを作って過ごすんだろうなあ。なんて不健康なカップルだ」 「お前、俺がひたすら女にもてないモデラーだと言いたいのか」 「その通りだが。ちょっとでも間違っていたかな?」 「――大当たりだよどちくしょう!」  どうせ俺を好いてくれる女性は葉月さんだけだよ!  残りは俺をカカシ扱いしてくるか、ボールペンを向けてくるか、毛嫌いするかのいずれかだ! 「いいさ。俺には葉月さんがいる。幸せは分けてやらねえぞ」 「むしろ分け与えるべきじゃないな、それは。  さて、そろそろ出発の時間だが、もうちょっとだけ話をしたい。君も疲れていると思うが、いいかな?」 「いいぜ。俺のエネルギーはまだまだ残ってる」 「そうか。若いというのはいいものだな。  さて――――ジミー君、これはただの妄言だと思ってくれ。決して本気だと思ってはいけない。  私が作るジミー君のフィギュアの顔ぐらい、現実味の薄いものだと思ってくれ」 「ああ。どんな面してるか、拝んでみたいもんだが」 「私は、君が恋人だったら、きっと澄子のように男に夢中になって、馬鹿なことをする女になっていただろう。  私も女だからね、男にどうしようもなく惚れてしまうことだってあるんだよ」  ……あれ、これ、本気の告白?  いやでも、本気にするなって藍川は言ったし。  事前に妄言って言われなきゃ、絶対信じるぞ、今の台詞。 「ジミー君。君と語り合えて、知り合えて良かった。最悪な男以外にも、男は居るんだって、信じられた。  もし……私が初めて出会った男が、君だったなら」 「俺、だったら?」 「君だったなら…………いや、ごめん。  そんなことはあり得ないって分かってる。あの過去があって、今の私は君に会えたんだ。  でも、考えたことはある。こういうのも悪くない、っていう想像。  同じ学校に通って、少し年下の後輩の君に出会って、趣味で意気投合して、二人きりで何度も会うようになって。  一緒に買い物をして、部屋に無言で何時間も籠もって、片手に収まるぐらいの模型を作って。  君と二人、とっても近くで喜びを分かち合うような……ありふれた幸せ。  そんなのも……悪くないってね」 「藍川……そんなの、これからでもできるだろ?」 「ジミー君、妄言だって言ったろ? 決して本気だと思っちゃいけない。  私のことなんか、箸にも棒にもかからない、面白みのない女だと思ってくれていい。  ただプラモデルを作るのが好きなだけの、どこにでもいる女だって、君に認識して欲しい。  これから先、君が出会うだろう女の子達の中に埋もれて消えていくような存在で居たいんだ、私は。  君には恋人だって居るしね。お似合いだよ、君たち二人は」 「そんなこと言うなよ。お前みたいに個性の強い女、忘れようとしたって、忘れられるもんか。  俺は忘れない。お前と趣味で意気投合したこと、玲子ちゃんのために伯母に怒ってくれたこと、絶対に」  「……ジミー君、優しい言葉は私みたいな女にかけるべきじゃない。君は、恋人に優しくすべきだ」  なんと言っていいかわからない。言葉を紡げない。  なんだよ。なんだよ、これ。もう会えないみたいじゃないか。 「藍川、また会えるよな、俺たち」 「きっとね。君が――玲子のようないたいけな少女に手を出しそうになったら、その時はすぐに駆けつける。  注意しておくことだ。私は、きっと戻ってくる」 「そっか。それなら……いいんだ」 「それじゃあ、また今度。次の機会に会おうじゃないか」 「ああ。また会おう」  そして、藍川との通話は終わった。  携帯電話を畳むと――後悔した。再会の約束をしておけばよかった。  今からでは、きっと遅い。藍川はもう、電話に出ない。もう街を出てしまっただろう。  そのことはわかっていたけど、認めたくなくて、俺は立ち上がった。  顔を洗いたくてしょうがなかった。  がしがしと力任せに洗顔して、ごしごしと顔をタオルで拭いた。  洗面所の鏡は光の加減のせいで、普段よりも整った顔に見えるという。  しかし俺の顔は変わらない。なぜだ。  毎日洗顔しないから、弟みたいにならないのか? いやしかし、美顔効果のある洗顔クリームなんて聞いたことない。  身だしなみに対する意識の違いかな。  清潔にしていると自然と顔つきや振る舞いにそれが出てくると言うし。高橋曰く、というのが頼りないが。  でも、葉月さんと付き合うことになったわけだし、ここいらで心機一転、身だしなみに気を使うべきかも。  葉月さんと肩を並べて街を歩くんだもんなあ……外見に酷い格差があって悲しくなる。  ちなみに、今日は葉月さんと出かける予定である。  行き先は決めていない。決めなくてもいいからともかく一緒に居て、と葉月さんは言っていた。  じゃあ、行き先は俺が決めてもいいのかな。モデラー育成コースを巡回することになりそうだが。  というか葉月さんってプラモデルとか興味あったっけ? せめて理解はしてもらいたい。  とりあえず、今日はそのあたりから聞いておくべきかな。  洗面所から出ると、風呂上がりの弟とばったり会った。 「おはよう、兄さん。今日は早いね」 「おう。お前は朝風呂か。優雅なもんだな」 「まあね。今日はちょっと、大変なことになりそうだから。昨日もかなり大変だったけど。  僕、さっき帰ってきたばっかりなんだ。二人とも帰してくれなかったから」  弟が朝帰りする不良になってしまった。妬ましくて殴り倒しそう。 「そうかい。その調子で上手くやれよ。  あの二人を一緒に付き合っていくって決めたのは、お前なんだから」 「けしかけたのは兄さんだけどね。でも……感謝してる。ありがと、兄さん」  弟が頭を下げた。 「兄さんが居てくれなかったら、僕はきっと、あそこでずっと座り込んだままだった。  二人を助けられたのは、兄さんが僕を叱ってくれたからさ。  だけど、僕のいいところが女性を惚れさせるところだ、っていうのは、どうかと思うよ」 「やかましいわ。結果オーライだし、事実そうだろうが」  昨晩はこの男、澄子ちゃんの家に泊まったらしい。花火と澄子ちゃんの二人ももちろん一緒である。  そこで何があったのかは知らない。だが、こうして目の前で弟が中性的なアホ面をさらしていることからして、せいぜい組んずほぐれつのプロレスごっこをする程度で済んだのだろう。  そういうの、かなり体力を使うらしいのだが、ちょっと眠っただけで回復するとは、恐るべし弟。 「これからまたあの二人のところに行かなきゃいけないんだ。……無事に済むかなあ、兄さんも一緒に来てくれない?」 「断固、了承せぬ。俺は俺でやることがあるんだ。一人で行って来い。  二人をしらけさせたくないなら、お前が一人で行くべきだ」 「二人は二人で、兄さんに言いたいことあると思うけど……」  言われたくないから、二人に会うのを拒んでいるのだと気付け。  昨日の今日で花火に会いたくない。あいつだって会いたくないだろう。  澄子ちゃんにはいつだって会いたくない。爆殺されたくない。  あの子の中で、玲子ちゃんを守る目的が、俺を爆殺するための口実になっているように感じる。  玲子ちゃんに手を出してなくても先輩は爆殺します、とか言いそう。脳内に具体的な光景が浮かんだ。  爆殺少女澄子ちゃん。女の子に手を出したら、君の心も体もバックサツ!  ……似合うなー。次の学園祭で演じて欲しい。俺は誘われても出演しないがな! 「じゃあ行ってくるよ。帰りはいつになるかわからないから」 「ああ。帰れそうで、かつ連絡するだけの暇があったら連絡しろ」 「そうするよ。……ああ、そうそう。今日は妹が朝食を作ってくれてるよ」 「マジか? あいつ、最近優しいよな。……なんかあったのか?」 「それは……兄さんが知らないなら、僕だって知らないよ」 「お前、最近妹に冷たくないか? 前はあんなに仲が良かったのに。  あの二人だけじゃなくて、たまには妹の相手もしてやらないと駄目だぞ。あいつ、お前のこと好きなんだから」  弟が目を瞬かせる。ぽかんと口を開けている。  何か奇天烈な物を目のしたかのよう。それか、とんでもない珍獣か。 「俺の後ろに何かあるのか? ……無いぞ、なんにも」 「……兄さん、ごめん。さっき僕、妹に言っちゃったんだ。  兄さんと葉月先輩が付き合ってる、っていうこと」 「そうなのか? 俺が言おうと思ってたんだが、悪いな。あいつ、何か言ってたか?」 「特に何にも。ああ、兄さんを絶対に朝食のテーブルに着かせて、とは言ってたかな。  というわけで、妹の朝食を残さず食べてきてね。兄さん」 「言われなくても完食してやるよ」 「うん。……重ね重ね、ごめん」  また謝った。  ちょっとはしっかりしたと思ったが、いまいち頼りない。謝る癖を直せ。  俺だっていつまでも、お前の兄貴をしていられるわけじゃないんだ。 「じゃあ兄さん……また会おう」 「ああ。できたら今日中に帰ってくるんだぞ」  そして、弟は玄関へ向かい、出掛けていった。 「……ま、後はあいつに任せておけば大丈夫だろう」  もう俺の出る幕は無くなった。  きっとあいつは、自分の意志で、上手にあの二人と付き合っていくことだろう。  もはや俺があいつを導く必要は無くなった。  助けを求められたら手伝ってやらなくもない。そんな機会が来ないのが一番だが。  何か言われないかぎり手を出さず、ただ近くで観察しているだけの存在――傍観者、って立ち位置に収まろう。  傍から見れば、弟が主役で、俺なんか脇役なんだ。  脇役は脇役らしく、大人しくしていようじゃないか。 「お兄さーん! 早くご飯食べに来てよ!」  おや、妹が俺を呼んでいる。  ああ、なんか、すげえ兄貴っぽい、今の俺。  早く朝食を食べて欲しくて兄を急かす妹。幻想の中ではなく、現実に居る。  そう、我が家のリビングに! 「……早く食べに来なさいって言ってるでしょう、このカカシ! とっとと来い! 口にねじ込むわよ!」 「すまん、今すぐに行く!」  ――やっぱり、可愛い妹なんか幻想の中にしかいないのかなあ。  ああ、玲子ちゃんが妹になってくれないかなあ。  妹に比べれば、玲子ちゃんの方がずっと可愛いし、反応が面白い。  我が家の子になってくれるよう、伯母が頼みに来てくれたらいいのに。  そんな叶わぬ願いを抱きながら、俺はリビングのドアを開けた。 ヤンデレ家族と傍観者の兄――了――

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: