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42 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:07:52 ID:4iKpRBc0 僕達は確かに愛し合っていた。公園で初めてキスした事も、時間も覚えている。 彼女と過ごした時間はまるでエメラルド。優しい光に満ちていて、思い出す度に頬が緩んでしまう。 好きだった。愛し合っていた。でも……、僕らは途轍もない大きな力によって引き離された。 国、両親、互いのルーツ。僕らの今までが僕らの邪魔をした。 全てが僕らを否定して、拒絶した。 彼女は泣き叫び、僕の手を必死に縋り付いた。 でも…、彼女とは違い、僕の方は幾分冷静だった。気付いていたのだ。こうなる事を。 恐れのために言えなかった。愛を失うのが怖かった。 でも、いざそれを明かした時、僕は悲しいことに冷静だった。 愚かしい事を選択せず、冷たい正解を選択したのだ。 彼女は今まで見たこと無いくらい取り乱していた。泣き喚き、押さえつけていた人も引き剥がし、僕に縋り付いてきた。 でも、僕は彼女を拒絶した。その方が彼女を、多くの人を傷つけずにすむから。そんな理由で。 僕はいわゆる『在日』という奴で、彼女の家は世間で言うところのいわゆる右寄りの人達だった。 差別が、国が、価値観が憎たらしかった。でも、僕はこうなる事は分かっていたんだ。 そしてどこか安心していた。 彼女は純粋な人だった。それゆえに愛に貪欲だった。 だからたまにその愛が重かった事もあった。 43 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:08:27 ID:4iKpRBc0 昼食を終えると、予鈴の十分前だった。食堂はそんな事もお構い無しと言った感じでまだ騒がしい。 「おい、金本」 金本と言うのは僕の日本の名前だ。高校からこれで通している。 中学以前は決められた民族学校に行っていたから元の名前でも全く問題は無かった。 「次の講義、受けるのか?」 コイツは墨田と言って、まぁ言うところの僕の友人だ。 「次は…」 「朝野の哲学だよ」 「あぁ…、受けるけど。出席票か?」 「おう、頼むよ!これから軽音のメンバーでミーティングがあるんだ。だから…」 「分かった。お前の学籍番号、いくつだっけ?」 墨田は謝辞を告げ、大袈裟なリアクションで僕への感謝を表した。 「あー、そういえば…」 墨田はついでに、と言った感じで言った。 「ストーカーの子、正門にいたぜ」 思わず溜息が出た。墨田の言う『彼女』と言うのは、高二の頃付き合っていた”高峰椿(たかみね つばき)” という娘で、大手薬品メーカーの社長の娘でかなりのお嬢様だ。僕らは高三の春休みに別れた。それから今の大 学の二回の後期に至る今日まで真面目にストーキング皆勤賞の記録更新を続けている。 「サンキュー、助かるよ。今日は西門から帰るか…」 「お前も大変だねぇ、何なら誰かに紹介とかしてみたら?あの子なら引く手数多だろ?」 墨田はケラケラと笑いながら僕の肩を叩く。 「お前、一年の後期になって来なくなった西中島って知ってるよな?」 「うん?ああ、ジャズ研に入ってた奴ね」 「アイツ、ちょっかい出してからそれっきりらしい…」 「…マジかよ」 僕はもう頷くだけだった。彼女の愛は深かった。僕を忘れるどころか、下宿先のアパートも買い取り毎日何かに 付けては僕の部屋に侵入して来るまでになった。 家賃は振込みで良かったのにわざわざ徴収に来たり、晩御飯を作りすぎたからおすそ分けに来たり…。理由は 様々だった。挙句の果てがさっきも墨田が言っていた校門にまでお出迎えだ。 彼女は僕がどれだけ説得しても、邪険に扱っても、こういった事をやめなかった。 僕ももう諦め掛けているぐらいだ。あとは向こうの家庭に任せよう…と。 44 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:09:02 ID:4iKpRBc0 最後の講義が終わり、教科書をリュックに詰め込んだ後、教室を出た。 墨田はさっき正門って言ってたけど、どこから出ても同じなんだよな、実際…。 望みの一縷を頼って、西門から出る。すると一縷は簡単にもみ消されてしまった。 「講義お疲れ様。裕太くん」 小鳥のさえずりの様な声が後ろから降ってきた。 すぐに声の主は僕の右隣に駆けて来て上品な笑顔を浮かべて僕に喋りかけてきた。 「今日はね晩御飯裕太くんの好きなオムライスにしようと思って…、あっ、あの…」 僕は無視して歩みを速める。そうでもないと向こうは腕を組んでくるからだ。彼女は小走りになって追いかけてくる。 「ま、待ってよ!裕太くぅん!!」 こうなると、周囲の眼には可愛い彼女に八つ当たりしている彼氏に見られて、『可愛い彼女いじめて楽しんでじゃねぇよ』と言った感じの殺気のこもったモノになるので、 僕は椿に追いつかせる速度まで落とさなければならないのだ。 椿も以前まではこんな事はしなかったのだが、味を占めたのか最近はこれを乱用するようになっていた。 「あんまり意地悪しないでよ…」 「付いて来るなよ」 睨んでみるが、椿には逆効果だ。笑ってさえいる。 「アパートに帰るんなら、私も一緒の道だから」 「親父さん、五月蝿いだろ」 ここにきて、椿の顔色が変わった。 「お、お父さんは関係ないよ…」 「お前の行ってる大学まで一時間半掛かるあのアパートも親父さんに買ってもらったんだろ?」 「わ、私のお金だよ!今まで溜めてきたお金で…裕太くんのために…」 「何でも俺のせいにすんの止めろ」 椿の表情が一瞬こわばる。目の淵には涙が溜まりだしている。 「ご、ごめんなさい…、そんなつもりじゃなくって…」 これじゃ僕が悪役じゃないか。現に何人かの格好をよく見せようといきがっている連中はもう臨戦態勢に入っていた。 袋にされてパンチドランカーになる前に、ここから逃げ出そう。 僕は泣き出しそうな椿を尻目に、歩みを再会した。 椿も…、嗚咽を堪えながら僕に付いて来た。 45 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:09:41 ID:4iKpRBc0 アパートに着いて、部屋に戻ると三十分ほどで椿が戸を叩いてきた。 どうせ居留守をしてもマスターキーを使役して侵入してくるから放っておいた。 ノックを最初から数えて五回目。ガチャっと、錠が開く音がした。 「裕太くん、いるんなら開けてよ」 家では完全に無視する。ここでは周りの眼が無いからな。 「す、すぐに準備しちゃうからね!」 僕からの反応をいつも待つあの態度が無性に腹が立つ。まるで僕が椿に気を使わせてるみたいじゃないか。 椿は今日あったこと話しながら料理を作る。どうでもいい。 僕はイヤフォンを付けて、シャットアウトするのが精一杯だ。十分ほどして横目で椿を確認すると、まだ口が動いていた。ストレスが溜まる。 椿のそういう計算高い所も、僕は把握していた。きっと僕の今の良心の呵責も計算されてるに違いないのだ。 今日、はっきり言おう。心の中で僕は誓った。今日こそはっきりさせてやる。そう心の中で誓って目を閉じた。 ……… …… … 「きみ、金本君とか言ったね?」 厳格そうな声の調子で、椿のお父さんは僕に問いを投げかけてきた。 「はい…」 「君は…、日本人かね?」 隣にいた椿が顔を上げる。驚きが混じった顔で。 「いえ、僕は……」 言葉が喉に詰まった。始めから予感はしていたのに。 「在日の…」 そこまで言うと椿のお父さんに遮られた。 「そうか……、すまないが金本君。娘と…別れてくれないか」 時が止まった。分かっていたのに、こうなる事は、分かっていたのに。 「分かりま…」 「イヤよ!!」 今までに聞いたことの無い椿の怒鳴り声。 「関係ないもの!私達は愛し合って…」 「椿…、分かってくれ」 「五月蝿い!!嫌ったら嫌よ!!」 椿が置いていた湯飲みを父親に投げる。 「椿!!お前!!」 椿を僕が静止すると… 46 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:10:18 ID:4iKpRBc0 「裕太くん、ご飯できたよー」 椿が僕の肩を揺らして目を覚ました。美味しそうなデミグラスソースの匂い。起きて、テーブルを見ると二つのオムライスが並んでいた。 「ほら、冷めちゃうから早く食べよう?」 椿が冷蔵庫から麦茶を取り出しに行こうと立ち上がった背中に僕は声を掛けた。 「椿、話がある」 一瞬椿がビクッと、身体を震わせた。 「な、なに?」 「座って聞いて欲しい」 「うん…」 椿は麦茶を諦め、僕のテーブルを挟んで正面に座った。 「お前も…分かってるだろう?俺たちは別れたんだ。こんな事しても、もう戻れないんだよ」 椿は何か言おうとしたが、また溢れ出してきた涙を堪えるために声ごと飲み込んだ。 「アパートを買っても、毎日飯を作りに来ても、帰りを健気に待ってても、もう…」 「私は…!」 椿の大きな声が響く。涙も溢れてしまったようだ。 「私は、勝手にやってる事だから…裕太くんには関係ないよ」 「関係あるんだよ。お前がまだ俺に未練があるせいで夏休みに、実家にお前の親父さんから電話があったらしい」 「そんな…未練だなんて」 「違うって言うのかよ」 「私はまだ…裕太くんの事…」 恥かしそうに目を伏せて椿は、この女はまだそんな事を言う。教えてやる、僕とお前がもう関係が無い事を。 「おい高峰、よく聞けよ」 高峰と言われたのに椿はまた一層激しく泣き始めた。何だと言うのだいったい。 「泣いても駄目だ、高峰。俺とお前は別れたんだ。それなのにお前はまだ付き合ってると思って…、こんな風に追いかけて、執着して…、お前みたいなやつの事はストーカーって言うんだよ」 椿はもう泣くのを堪えようとはしなかった。大粒の涙がいくつも落ちていく。 「これっきりにしてくれ。家賃も振込みで払うようにするし、炊事も自分でする。もうココに来なくてもいい。 俺の事も…、もう忘れろ」 言い終わると、部屋は椿の嗚咽だけになった。 五分ほど僕は椿の嗚咽に耳を傾けるだけだった。それからようやく収まったのか椿が口を開いた。 「わ、私、うぐっ、裕太くんじゃなっ、いっ、い、っとイヤなの、グス…、だ、だから、えぐっ、あ、あ、諦められないっ、うっ、の…」 「知らないよ、そんなの」 「ゆ、裕太くんは、うぐっ、平気な、の?」 涙を拭いながら椿は僕に聞き返してきた。 47 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:15:17 ID:4iKpRBc0 「…ああ。ずっと前からな」 ここでまた椿を突き放す。椿の涙腺がまた決壊した。 俺はもう手加減無しに椿に言葉をぶつけていった。椿がもう二度とここに来れない様にするために。 「いや、ぅっ、イヤだよぅ、ず、ずっと、いっ、一緒にい、いたいよぅ…ゆ、裕太く、くん」 「そうやって自分だけの気持ちを押し付けて、自己満足するだけだから忘れられないんだよ。もっと考えろ俺にだけじゃない、皆に迷惑掛けてるんだよ、お前は…」 「うぐっ、な、何でもっ、するから…」 「……」 「お、お金だって裕太くんが欲しい時に欲しいぶ、分あ、あげるし、え、エッチな事だって…」 本気で腹が立ってきた。僕が目先の欲ごときで考えを変えると思っているのだろうか、この女は。 「そうやってモノとか性行為で俺を釣ろうとするな。そういうのを考えてるって事はお前は勝手に俺の事を見下してるんだよ、飯をわざわざココに作りに来てるのだって俺にチャンスをあげてる気分になってるだけなんだよ。 いいか高峰。それは自己満足なんだよ。オナニーと同じだ。そんな事は家で一人でやってくれ」 「ち、違うよ!そ、そんなつもりじゃ…!!」 「何が違うって言うんだ!何も言わない俺に尽くすのと、何が違うって言うんだよ!」 「ゆ、裕太くんの事しか考えてないの!それは自己満足なんかじゃないよ!!」 「考えが歪んでるんだよ!お前は!!」 「ゆ、歪んでるなんて…」 動揺する椿に、俺は最後の一押しを加える。 「もう話す事なんて無いんだよ高峰…、ほら立て、帰ってくれ。もう二度と俺に関わらないでくれ」 「そ、そんな…、私の話もき、聞いてよぅ…」 僕は首を横に振って、ドアを指差して見せる。 「いや!嫌あああ!!」 癇癪を起こしたみたいに椿は大声を出して、机に突っ伏した。いい加減にしてほしい。僕だって傷ついたんだ。お前だけじゃない。 「立てよ!!」 強引に手を掴み、引き摺るように玄関まで椿を引っ張っていく。 「嫌!いや!いやぁぁあああ!!」 駄々をこねる子供みたいに、泣きじゃくりながら、大声で椿は訴える。 「もう二度と来るな!!」 「待っで、お願い、入れで、ながに入れて!!ゆうたくん!!ゆう、た、くん…」 △△△ それから椿は僕の前に姿を見せなくなった。流石に効いたのだろう。 墨田もわざわざ探してしまうほど、あっけ無くストーキングは幕を閉じたのだ。 大学が終わった後も、集金の納期にも椿は姿を現さなくなった。 48 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:16:15 ID:4iKpRBc0 大学の後期試験が終わり、春休みに入った直後、実家から電話が入った。それも電話を寄こしたのは椿の家族からだった。 『娘と連絡が取れない』 椿の親族は僕にアパートの方を調べて欲しいと言ってきたのだ。僕にも原因があるかもしれない。そんな馬鹿な考えが胸に引っ掛かった。 僕は少し躊躇いながら了承してしまった。もう少し考えてからでも…なんなら断ってもよかったんだ。 一番端にある鍵が二つ取り付けられているドア。そこが管理人の部屋。インターホンのボタンも少し凝った装飾がなされているのがいかにも管理人の部屋って感じだ。 二回ベルを鳴らしてから、四回ドアを叩く。反応が…あった。鍵がゆっくり回されて、錠を解く音がした。 ノブをゆっくり回すと、扉が開いた。チェーンもしていない。ドアをゆっくり開くと中は明かりも点いていない。 入ってすぐにしたのは甘い香り。白い花が玄関に挿してあった。玄関に入ってすぐにあるキッチンは人が住んでいるとは思えないほど手入れがされていて、コップ一つ置いていない。 思わず、寒気を感じた。 「高峰、いるのか?」 リビングに移動すると、そこには異様な光景が広がっていた。 「俺の…、写真?」 部屋中に僕の写真が貼られていたのだ。毛穴が一気に開いたのを感じる。寒いものが背中を走った。高校の一年の頃から、大学に入った頃のまで揃えられていた。 「これ中学の頃の…」 驚く事に、中学の頃のまであった。 ビデオデッキに積まれたビデオも全て僕の名前と年齢がシールラベルに記入されていて背中が寒くなった。 「何なんだ…、一体」 「あなたへの愛の印よ…」 ふいに後ろから声が掛かって、振り向いたのがいけなかった。というよりこの部屋に来たのがそもそもの間違いだったんだ。 ハンカチの様なものが口と鼻を覆った。アルコールのような刺激臭を嗅いだ後、意識が切れるのが分かった。 49 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:16:59 ID:4iKpRBc0 △△ 高嶺家でのゴタゴタの後、僕らの関係はもちろん気まずくなった。 僕は自分の事について余り語らなかったからだ。 つまり僕はこうなる事は分かっていたから黙っていたわけだ。そういう事なんだ。今が気まずくなってるって事は。 椿はその事には、僕が黙っていた事については全く責めなかった。 お父さんの事は気にしなくてもいいから。椿は何度もその事を言っていた。でも、気にしないわけには、通らずにいられるわけが無かった。 「椿…」 「ん…?」 「別れよう…、俺、もう…」 「お父さんの事なら私達には関係ないよ…、それに、私、裕太くんのためなら家も…出れるよ?」 「そういう問題じゃないのは分かってるだろ?俺たち以外の人にも迷惑が掛かるし、それに…」 「か、関係ないよ、私達の邪魔ばっかりする人達じゃない…、」 「今までを捨てれるわけが無いんだよ、椿」 「だ、だから、裕太くんを捨てれないんだよ!今までで一番大切なんだもん!私の一番なの!」 「もう…、忘れてくれ」 ひっきりなしに掛かってくる電話を無視して、学校で話しかけてくる彼女も無視した。 すると彼女は僕の家族を出汁に使ってきた。僕が留守の時に遊びに来て、よく家に上がり込むようになっていたのだ。 両親にも媚を売り、当たり前のように僕の家にいるようになった。このままじゃいけない。僕は両親に全てを話し、椿を入れないようにした。 それから始まったのがストーキングだった。どれだけアドレスを変えても来るメール。帰り道の待ち伏せ。僕と接点を持つ事に椿は必死だった。 ついには受験する大学すら合わせようとしていた。教師と椿の両親のお蔭で一緒にならずに済んだが、椿はそのかわりに大きな買い物をした。 アパートを丸々一つ買ったのだ。僕が住むと決めていたアパートをだ。思えば、この頃からこうなる事を椿は計画していたのだろう。 50 :椿姫 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/12(日) 17:17:33 ID:4iKpRBc0 ▽▽ 薄暗い、打ちっぱなしの壁。手首と足首にはそれぞれ二つずつ、計八個の手錠。 衣服を剥がされ、裸で大の字に寝かされ、四肢を拘束された僕にはもう何が起きたかは大体予想が付いていた。 覚醒して、一時間ほどで椿が重いドアを開いて帰ってきた。声の調子から見るに、かなり上機嫌だ。 「おはよう、裕太。よく寝てたね」 僕の許まで来ると椿は僕の顔を撫でた。薬で眠らされたのかまだ頭が薄ぼんやりといった感じで少し気持ちいい。 「さっき家に電話してきたの。公衆電話で。裕太と駆け落ちするって」 「かってなこというな」 駄目だ、まだ言葉に力が入らない。 椿は服を脱いで、僕の上に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。それから喉を鳴らす猫のように僕の胸に顔を擦り付けてくる。 「あったかい。裕太の心臓の音」 赤ん坊は母親の心臓の音で安心すると聞いたことがあるけど、今の椿もそんな様子だった。 「えへへ、寝ちゃいそうだった」 そう言って、僕の顎に軽くキスをする。 「大丈夫だよ、裕太」 「何が」 「ここには私達よりも先に生まれたモノは一つとしてない。だからルールとか常識もない。裕太と私を引き離した偏見も、差別も、ココには無いの」 そう傷ついたのが僕だけではない。椿も傷ついたのだ。そして打ちのめされ、絶望し、希望を模索した。 その結果がこの人工の世界。椿は新しい世界を作ることで常識や偏見を殺したのだ。 あるのは真実の言葉と、屈託の無い愛。なんていう事だ。神様が世界を作るために必要とした素材が揃えられていた。 「もう我慢できない、昨日あなたをココに寝かせてからずっと我慢してきたの…」 椿は蛇のように僕の胸から這ってくると、そのまま僕の唇を奪った。 貪るように、舌が絡んできた。何度か椿は身体を震わせたりして小休止も挟んだけど、それでも長い間キスをしていた。 唇を離すと、椿は僕の頭の後ろに手を回し、耳元で呟いた。 「裕太、愛してる」

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