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813 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:26:28 ID:jXR79SdM あれから一週間。僕は藤松さんと登校を四回、下校を三回共にした。 彼女は見れば見るほど魅力的で、話せば話すほど不可思議な存在だった。 まず、待ち合わせは必ず破られる。これは約束の時間に遅れるとか、場所に来ないとかそういうのじゃない。 忘れっぽいとかいうそんな野暮な話でもない。 必ず約束の場所へ僕が向かう前にわざわざ向こうから出向いて来る。 本人曰く待ち切れなかったらしいが、少し怪しい。 他にも付き合い始めてからは外出の時によく彼女と遭遇するようになり、よく買い物や散歩を一緒にするようになった。 その時の彼女はとても楽しそうで僕としても嬉しいが、よくよく考えてみると少し怖いというのが僕の本音だ。 外出の際にはよく後方に視線を感じるようになったし、学校にいても彼女とよく視線が合うようになった。 僕が彼女の事をいきなり気にし始めたせいもあるんだろうが、これはどういう偶然なんだろう?理解できない理由が怖いのは人間の動物としての本能で当然だ。 それにまだ、ドッキリ宣言も無い。 でも……怖い反面、楽しいというのもまた本音なんだ。 少し臭いが、彼女の僕といる時だけに見せてくれる屈託の無い笑顔が好きだ。 学校や、友人達の前ではあまり見せない彼女の笑顔。それを僕の前では惜し気も無く見せてくれる。 それが嬉しい。少し自分でも自分が歪に見える。 それから僕の心の中に一つの疑問が浮かんできた。 もしかして、ドッキリじゃないかもしれない。ありえない。 だってまだアドレスも知らなかった二人が、まだ五、六回しか話したことが無い男女が恋なんて出来るわけが無い。 それは恋じゃない、勘違いだ。夢想だ。偽者だ。 確かに僕はモテないし、異性と駆け引きもしたことも無い。 でもこれだけは知ってる、賭け値無しに動く人間なんていないんだ。 そうしている内に、一つの不安が芽吹いた。 好きになってしまったらどうしよう。 僕が彼女のことを本当に好きになってしまった頃、彼女が今僕に抱いている恋心の正体に気付いたら僕が捨てられるという不安。 嫌だ、そんなの嫌だ。 だったらどうしたらいい?決まってる。期待しなければいい。 僕が好きにならなければいい。僕が好きになるよりも早く、彼女に今の気持ちが偽者なんだって気付かせてやればいい。 815 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:29:10 ID:jXR79SdM お兄ちゃーん、こまちちゃん来たー!」 この可愛らしい声の主は今年で五歳になる妹、穂波だ。歳の差は十二もある。 両親にも、僕にも懐いてくれているので可愛い事この上ない。 その穂波の最近のお気に入りは僕の登校前に僕の家に訪れる人物、藤松さんだ。 僕とは違い、幼さの赴くままに貪欲に人と接する妹は僕を迎えに来た藤松さんもその貪欲な好奇心を寄せ、今では藤松さんを誰よりも早く出迎える存在となっている。 歯磨きを終えて玄関に顔を出すと、もうさっきの声の主の姿は無かった。 ワンスターのスニーカーを足だけで履いて、玄関を出ると、この一週間でもはや当たり前になりつつある光景があった。 藤松さんと穂波の僕が来るまでの談笑だ。 藤松さんはしゃがんで穂波と目線を合わせ、真剣に穂波の話を聞き、穂波は真剣に話を聞いてくれる藤松さんを退屈させまいと身振り手振りも合わせて、しどろもどろになりながらも必死に話しを面白くしようとしている。 「ごめん、遅くなった」 「あっ!お兄ちゃんまって!」 僕を遮って、穂波は藤松さんに何かを耳打ちする。それから二人は笑顔で僕を見上げる。 「なんだよー穂波、お兄ちゃんにも教えてくれよー」 「お姉ちゃんと二人だけのひみつー!」 穂波は悪戯っぽく笑って、藤松さんに目配せする。 「そうだよ、私と穂波ちゃん二人だけの秘密だもんねー」 藤松さんもニコニコと笑みを浮かべながら穂波に調子を合わせる。こうやって二人並んで見ると、仲いい姉妹っぽく見えるな。 「じゃあね、穂波ちゃん」 「いってらっしゃーい!」 腕がちぎれんばかりに穂波はブンブン手を振って僕らを見送る。それも藤松さんと僕が突き当たりの角を曲がるまでずっとだ。 もしかして母か父が止めるまで振ってるかもしれない。 「毎朝ごめんね、迎えに来ちゃって」 僕としては迷惑でもないし、さっきみたく穂波も喜んでる。 穂波……そういえば今日、母さん夜勤だったな。保育園に迎えに行かなきゃ…。 「大丈夫だよ、無問題」 「ごめんついでに、今日帰り一緒に……」 待て、少し待て。 「じゃあさ、帰るついでに……」 何を考えている。落ち着け、冷静になれ。何を期待している。 「一緒に保育園に穂波を迎えに行かない?」 駄目だ、言うな!! 「えっ?いいの、私も行って」 「うん、穂波も喜ぶ」 藤松さんはウフッといった感じで笑うと僕の手を握った。 いきなりだったから手の触れ合いや、見知らぬ他人の温かさが心に刺さって、言葉を遮った。 「お言葉に甘えて、……すごく嬉しい」 「なんで?」 「だって、初めてじゃない?神谷君から……、真治君から誘ってくれたの」 戻れなくなるぞ。 816 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:30:37 ID:jXR79SdM グラウンドの隅、木陰覆われたベンチ。僕たちはいつもそこで昼ごはんを食べる。 ベンチ自体は僕と平沢がベルマークを集めて回り、学校に寄付して申請させた物だ。 「どうしよう…」 食が全くと言っていいほど進まない。憂鬱が箸もとい、食欲を塞ぎ止めている。 「まだ今朝言ってた事気にしてんのか?」 カレーパンを齧って、平沢が僕のコーヒー牛乳を開ける。 「勝手に開けるなよ」 「いいじゃん、それに開けてやったんだ」 僕が見るに平沢は豪快な奴だ。懐が大きいといってもいい。それに声もデカイ。 それから変なところが繊細で、こういう人の事を見所のある人物って言うんだと思う。 顔もいいから異性からも人気がある。入学から二ヶ月で二人振っただけはある。 「それに、もうそれドッキリじゃないと思うよ?」 僕は食べあぐねていたカツサンドから、平沢へ視線を移動させた。 「あーっと、聞いてみたんだけどさ。頼まれてた事」 「うん」 「藤松さんの交流関係。どうもドッキリの企画とか無いみたいだわ。さっきサンシャインのグループに聞いてみても藤松さんとはたまに話すくらいらしい」 サンシャインとはウチのクラスで最大の女子グループのリーダーで、これもあだ名の由来のキャラクター通りの顔をしていて、何だか正方形っぽい、というか顔が角ばっているのだ。 おまけに僕らが一年の頃、彼女が変に格好をつけてある女子生徒の非行を庇った発言をしたのが先生バレ、咎められた時。 彼女は泣きながら「私にも友情はあるんだー!」と叫んだ事から、庇われた生徒のあだ名は阿修羅マンとなった。 例に漏れず、阿修羅マンも中々のブサイクである。 「よかったじゃん、マジもんだぜ告白は」 「それならなおさら駄目だ」 平沢は僕のコーヒー牛乳を一口含んでから僕の方を見た。 「いいよ、今日は奢ってやる」 「いや、こっちじゃなくて」 「少しは気にしろよ」 「駄目って方だよ、俺の気になってんのは」 コーヒー牛乳の侘びは必ずさせてやる。 「だって、話したこと……無いんだぜ?アドレス交換したのも告白された当日だし」 「そんなにこだわるトコかね?どうせ高校生活が終わるか、それぐらいには別れてるだろ?」 「嫌なんだよ、そういうの。」 「何で?楽しいぜ?」 「そんなん犬畜生と変わらん」 平沢はムッとしたのか、眉間に皺を寄せて、コーヒー牛乳をまた口に含んだ。 「お前、意外と付き合うと重いタイプなんだな。少し意外だわ」 「無駄に傷つくのが嫌なだけだ」 「何も知らんくせに、この童貞が」 「童貞の方が義理堅くて信頼出来るんだよ、俺は」 「じゃあ、大人は信頼できんのか?」 「ああ。全く」 そこまで言うと平沢は黙った。第一童貞だ、じゃないは関係ない。 即物的に考える。そういうのが好きじゃないんだ、僕は。 818 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:32:38 ID:jXR79SdM 七月になってから六月の下旬からの蝉の声はピークに達していた。 五月蝿い蝉達の熱烈なセックスアピールとのせいで午後の授業は全く眠れなかった。午後最後の授業は担任の籠谷の国語だったため、そのままホームルームに突入し、無事僕たち、学徒の一日が終了した。 「んじゃ、明日の日直は宮部ね。はい起立!礼!解散ー」 僕が席を立った直後、肩を叩かれた。 振り向くと、あのウフッ感じの笑顔を浮かべた藤松さんがいた。少し、寒気がした。 「帰ろう?」 「あっ、うん。そうだね」 クラスメイトからの視線が痛い。特に男子からの……。 告白翌日はもっと騒がれていたが、人の噂も七十五日。一週間経てば視線が突き刺さる程度になる。 ちなみにこの熟語に使われている『七十五日』というのは稲が植えられてから実るまでかかる日数だそうだ。 「おい、かみやー」 この間の抜けた声、平沢だ。 「今日こそ、一緒に帰るぞー、最近付き合い悪いんだよ…お前……。もしかして今日もか?」 「えっと……」 「うん。そう今日もなの。ごめんね、平沢君」 僕が弁明するよりも先に、藤松さんが断った。目が据わってる。 「ああ、全然構わんよ。藤松さんの頼みなら仕方ない」 承諾したにしては、ガン飛ばしすぎだろ、平沢。 「いこ、真治君」 「し、真治君?おい、神谷…」 「じゃあね、平沢君」 また僕が釈明するよりも先に藤松さんが手を引いて教室を出て行くことになった。 最後まで、平沢を含むクラスの男子からの殺気を孕んだ視線が僕の後頭部に突き刺さっていた。 帰りのバスも同様に、僕の手を嬉しそうに握る藤松さんを尻目に僕はただただ小さくなる事で視線が突き刺さる面積を減らすのに必死だった。 嬉しそうな藤松さんに手を離してなど調子が狂いっぱなし僕が言えるはずもなく、やっと緊張が切れたのは電車に乗って二駅通過した後だった。 「藤松さん……」 「うん?」 相変わらず嬉しそうな藤松さんとは対照的に、僕は憔悴しきっていた。白髪が増えたかも知れない。 「学校で手を繋ぐのはやめよう?恥かしいし……」 「私は恥かしくないけど……、私と手を繋ぐの、イヤ?」 「うん。嫌じゃないけどね、バカップルっぽいでしょ?そう見られるの、藤松さんも嫌でしょ?」 藤松さんは少しの間僕をジッと見つめると、溜息を吐いた。 「分かった。私も少し浮かれ過ぎたね、ごめん」 謝るのは、僕の方だ。勘違いでも、こんな僕を好きになってくれた。 それを罰ゲームで、なんて疑った僕の方が謝るべきなんだ。 819 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:34:21 ID:jXR79SdM 「あら神谷くん、あの子カノジョ?」 穂波を呼んでもらって、穂波が藤松さんとじゃれていると不意にそんな事を聞かれた。 「…はい、そうです」 「穂波ちゃんから聞いたわよ。可愛い子ねぇ、良い子?」 「はい……。僕には勿体無いくらいで」 「おーにぃーちゃーんー!!」 穂波が僕を急かす声が聞こえる。 「すみません、じゃあ」 「はい、またね」 頭を下げて、穂波と藤松さんの方へ向かう。 帰り道はいつもの三倍も長くなった。 穂波の道端での当たり前に対する発見、それに付き合う俺と藤松さん。 笑い声が絶えない帰り道。藤松さんの左手を穂波が握り、穂波の右手を僕が握る。なんだか親子って感じだ。 家までの直線の道に入った時、穂波が僕の手を引いた。 「お兄ちゃん、ほなみカギ開けてくる!」 「よし、穂波隊員!ドアのロックを解除してきてくれ」 回りに車、自転車がいなくなったのを見計らって、僕は穂波に自宅の鍵を渡した。 それと同時に一気に穂波は駆け出した。 「こけんなよー」 藤松さんと穂波の後姿を見送る。 「今日はありがとう、保育園まで付き合ってくれて」 「ううん、お礼を言いたいのは私の方。すっごく楽しかったもん」 彼女の語尾の『だもん』って言葉だけで胸がキュンとした。 「家に帰っても、ずっと一人だし……」 「えっ?」 藤松さんの表情が暗くなる。穂波を見送った笑顔を浮かべたまま。 「私の家ね、昔は貧乏だったの。私小五の時、新聞配達してたんだから。それでね、お父さんとお母さんに謝られちゃった。ごめんね、もっと私達頑張るねって」 藤松さんの手が寂しそうに見えた。待て、落ち着け。 「それからお父さんは海外に単身赴任、母さんは病院に非常勤に行くようになった。だからね、家じゃいつも一人なんだ、だから穂波ちゃんが羨ましい」 勘違いに決まってる。彼女を暗闇から救い出せるのは、僕以外にもいる。僕よりもふさわしい人も。 「あのさ……藤松さん」 「うん?」 「穂波を僕が迎えに行く時は決まって親父と母さんが迎えに行けないときなんだ。そんなのが月に五回くらいある。そういう時は僕と穂波で晩御飯を作るんだ」 でも、でもさ、今は。今は僕しかいないんだ。 「藤松さん。今日、晩御飯一緒に食べない?」 そう言って、僕は藤松さんの手を握る。 だってこのまま、また来た道を一人で帰る藤松さんの背中を見送る自身が僕には無かったんだ。 後悔なんて、反省なんてご飯を食べた後にでも僕が一人ですればいい。素直に、そう思ったんだ。 「……いいの?」 「うん、藤松さんがいいなら。穂波も喜ぶしね」 何より、握り返してくれた藤松さんの手は温かくて、力強くて、その事が僕は嬉しかった。嬉しかったんだ。
813 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:26:28 ID:jXR79SdM あの衝撃の告白から一週間。 僕は藤松さんと登校を四回、下校を三回共にした。 彼女は見れば見るほど魅力的で、話せば話すほど不可思議な存在だった。 まず、待ち合わせは必ず破られる。これは約束の時間に遅れるとか、場所に来ないとかそういうのじゃない。 忘れっぽいとかいうそんな野暮な話でもない。 必ず約束の場所へ僕が向かう前にわざわざ向こうから出向いて来る。 本人曰く待ち切れなかったらしいが、少し怪しい。 他にも付き合い始めてからは外出の時によく彼女と遭遇するようになり、買い物や散歩を一緒にするようになった。 その時の彼女はとても楽しそうで僕としても嬉しいが、よくよく考えてみると、少し怖いというのが僕の本音だ。 外出の際にはよく後方に視線を感じるようになったし、学校にいても彼女とよく視線が合うようになった。 僕が彼女の事をいきなり気にし始めたせいもあるんだろうが、これはどういう偶然なんだろう?理解できない理由が怖いのは人間の動物としての本能で当然だ。 それにまだ、ドッキリ宣言も無い。 でも……怖い反面、楽しいというのもまた本音なんだ。 少し臭いが、彼女の僕といる時だけに見せてくれる屈託の無い笑顔が好きだ。 学校や、友人達の前ではあまり見せない彼女の笑顔。それを僕の前では惜し気も無く見せてくれる。 それが嬉しい。少し自分でも自分が歪に見える。 そうして、僕の心の中に一つの疑問が浮かんできた。 もしかして、ドッキリじゃないかもしれない。 しかし……それはありえない。 だってまだアドレスも知らなかった二人が、まだ五、六回しか話したことが無い男女が恋なんて出来るわけが無い。 それは恋じゃない、勘違いだ。夢想だ。偽者だ。 確かに僕はモテないし、異性と駆け引きもしたことも無い。 でもこれだけは知ってる、賭け値無しに動く人間なんていないんだ。 そうしている内に、一つの不安が芽吹いた。 僕が彼女を、好きになってしまったらどうしよう。 僕が彼女のことを本当に好きになってしまった頃、彼女が今僕に抱いている恋心の正体に気付いたら僕が捨てられるという不安。 嫌だ、そんなの嫌だ。 だったらどうしたらいい?決まってる。期待しなければいい。 僕が好きにならなければいい。僕が好きになるよりも早く、彼女に今の気持ちが偽者なんだって気付かせてやればいい。 815 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:29:10 ID:jXR79SdM 「お兄ちゃーん、こまちちゃん来たー!」 この可愛らしい声の主は今年で五歳になる妹、穂波だ。歳の差は十二もある。 両親にも、僕にも懐いてくれているので可愛い事この上ない。 その穂波の最近のお気に入りは僕の登校前に僕の家に訪れる人物、藤松さんだ。 僕とは違い、幼さの赴くままに貪欲に人と接する妹は僕を迎えに来た藤松さんもその貪欲な好奇心を寄せ、今では藤松さんを誰よりも早く出迎える存在となっている。 歯磨きを終えて玄関に顔を出すと、もうさっきの声の主の姿は無かった。 ワンスターのスニーカーを足だけで履いて、玄関を出ると、この一週間でもはや当たり前になりつつある光景があった。 藤松さんと穂波の僕が来るまでの談笑だ。 藤松さんはしゃがんで穂波と目線を合わせ、真剣に穂波の話を聞き、穂波は真剣に話を聞いてくれる藤松さんを退屈させまいと身振り手振りも合わせて、しどろもどろになりながらも必死に話しを面白くしようとしている。 「ごめん、遅くなった」 「あっ!お兄ちゃんまって!」 僕を遮って、穂波は藤松さんに何かを耳打ちする。それから二人は笑顔で僕を見上げる。 「なんだよー穂波、お兄ちゃんにも教えてくれよー」 「お姉ちゃんと二人だけのひみつー!」 穂波は悪戯っぽく笑って、藤松さんに目配せする。 「そうだよ、私と穂波ちゃん二人だけの秘密だもんねー」 藤松さんもニコニコと笑みを浮かべながら穂波に調子を合わせる。こうやって二人並んで見ると、仲いい姉妹っぽく見えるな。 「じゃあね、穂波ちゃん」 「いってらっしゃーい!」 腕がちぎれんばかりに穂波はブンブン手を振って僕らを見送る。それも藤松さんと僕が突き当たりの角を曲がるまでずっとだ。 もしかして母か父が止めるまで振ってるかもしれない。 「毎朝ごめんね、迎えに来ちゃって」 僕としては迷惑でもないし、さっきみたく穂波も喜んでる。 穂波……そういえば今日、母さん夜勤だったな。保育園に迎えに行かなきゃ…。 「大丈夫だよ、無問題」 「ごめんついでに、今日帰り一緒に……」 「じゃあさ、帰るついでに……」 何を考えている。落ち着け、冷静になれ。何を期待している。 「一緒に保育園に穂波を迎えに行かない?」 「えっ?いいの、私も行って」 「うん、穂波も喜ぶ」 藤松さんはウフッといった感じで笑うと僕の手を握った。 いきなりだったから手の触れ合いや、見知らぬ他人の温かさが心に刺さって、言葉を遮った。 「お言葉に甘えて、……すごく嬉しい」 「なんで?」 「だって、初めてじゃない?神谷君から……、真治君から誘ってくれたの」 何を期待しているんだ、俺は……。 816 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:30:37 ID:jXR79SdM グラウンドの隅、木陰覆われたベンチ。僕たちはいつもそこで昼ごはんを食べる。 ベンチ自体は僕と平沢がベルマークを集めて回り、学校に寄付して申請させた物だ。 「どうしよう…」 食が全くと言っていいほど進まない。憂鬱が箸もとい、食欲を塞ぎ止めている。 「まだ今朝言ってた事気にしてんのか?」 カレーパンを齧って、平沢が僕のコーヒー牛乳を開ける。 「勝手に開けるなよ」 「いいじゃん、それに開けてやったんだ」 僕が見るに平沢は豪快な奴だ。懐が大きいといってもいい。それに声もデカイ。 それから変なところが繊細で、こういう人の事を見所のある人物って言うんだと思う。 顔もいいから異性からも人気がある。入学から二ヶ月で六人振っただけはある。 「それに、もうそれドッキリじゃないと思うよ?」 僕は食べあぐねていたカツサンドから、平沢へ視線を移動させた。 「あーっと、聞いてみたんだけどさ。頼まれてた事」 「うん」 「藤松さんの交流関係。どうもドッキリの企画とか無いみたいだわ。さっきサンシャインのグループに聞いてみても藤松さんとはたまに話すくらいらしい」 サンシャインとはウチのクラスで最大の女子グループのリーダーで、これもあだ名の由来のキャラクター通りの顔をしていて、何だか正方形っぽい、というか顔が角ばっているのだ。 おまけに僕らが一年の頃、彼女が変に格好をつけてある女子生徒の非行を庇った発言をしたのが先生バレ、咎められた時。 彼女は泣きながら「私にも友情はあるんだー!」と叫んだ事から、庇われた生徒のあだ名は阿修羅マンとなった。 例に漏れず、阿修羅マンも中々のブサイクである。 「よかったじゃん、マジもんだぜ告白は」 「それならなおさら駄目だ」 平沢は僕のコーヒー牛乳を一口含んでから僕の方を見た。 「いいよ、今日は奢ってやる」 「いや、こっちじゃなくて」 「少しはそっちを気にしろよ」 「駄目って方だよ、俺の気になってんのは」 ……。 コーヒー牛乳の侘びは必ずさせてやる。 「だって、話したこと……無いんだぜ?アドレス交換したのも告白された当日だし」 「そんなにこだわるトコかね?どうせ高校生活が終わるか、それぐらいには別れてるだろ?」 「嫌なんだよ、そういうの。」 「何で?楽しいぜ?」 「そんなん犬畜生と変わらん」 平沢はムッとしたのか、眉間に皺を寄せて、コーヒー牛乳をまた口に含んだ。 「お前、意外と付き合うと重いタイプなんだな。少し意外だわ」 「無駄に傷つくのが嫌なだけだ」 「何も知らんくせに、この童貞が」 「童貞の方が義理堅くて信頼出来るんだよ、俺は」 「じゃあ、大人は信頼できんのか?」 「ああ。全く」 そこまで言うと平沢は黙った。第一童貞だ、じゃないは関係ない。 即物的に考える。そういうのが好きじゃないんだ、僕は。 818 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:32:38 ID:jXR79SdM 七月になってから六月の下旬から調子を上げてきていた蝉の声はピークに達していた。 五月蝿い蝉達の熱烈なセックスアピールとのせいで午後の授業は全く眠れなかった。午後最後の授業は担任の籠谷の国語だったため、そのままホームルームに突入し、無事僕たち、学徒の一日が終了した。 「んじゃ、明日の日直は宮部ね。はい起立!礼!解散ー」 僕が席を立った直後、肩を叩かれた。 振り向くと、あのウフッ感じの笑顔を浮かべた藤松さんがいた。 少し、寒気がした。 「帰ろう?」 「あっ、うん。そうだね」 クラスメイトからの視線が痛い。特に男子からの……。 告白翌日はもっと騒がれていたが、一週間経てば視線が突き刺さる程度になる。 人の噂も七十五日。裏を返せば七十五日の間は騒がれる。 ちなみにこの熟語に使われている『七十五日』というのは稲が植えられてから実るまでかかる日数だそうだ。 「おい、かみやー」 この間の抜けた声、平沢だ。 「今日こそ、一緒に帰るぞー、最近付き合い悪いんだよ…お前……。もしかして今日もか?」 「えっと……」 「うん。そう今日もなの。ごめんね、平沢君」 僕が弁明するよりも先に、藤松さんが断った。目が据わってる。 「ああ、全然構わんよ。藤松さんの頼みなら仕方ない」 承諾したにしては、ガン飛ばしすぎだろ、平沢。 「いこ、真治君」 「し、真治君?呼び捨てなのか!?呼び捨てなんだな!!おい、神谷…」 「じゃあね、平沢君」 また僕が釈明するよりも先に藤松さんが手を引いて教室を出て行くことになった。 最後まで、平沢を含むクラスの男子からの殺気を孕んだ視線が僕の後頭部に突き刺さっていた。 帰りのバスも同様に、僕の手を嬉しそうに握る藤松さんを尻目に、僕はただただ小さくなる事で視線が突き刺さる面積を減らすのに必死だった。 嬉しそうな藤松さんに、「手を離して」など調子が狂いっぱなし僕が言えるはずもなく、やっと緊張が切れたのは電車に乗って二駅通過した後だった。 「藤松さん……」 「うん?」 相変わらず嬉しそうな藤松さんとは対照的に、僕は憔悴しきっていた。白髪が増えたかも知れない。 「学校で手を繋ぐのはやめよう?恥かしいし……」 「私は恥かしくないけど……、私と手を繋ぐの、イヤ?」 「うん。嫌じゃないけどね、バカップルっぽいでしょ?そう見られるの、藤松さんも嫌でしょ?」 藤松さんは少しの間僕をジッと見つめると、溜息を吐いた。 「……分かった。私も少し浮かれ過ぎたね、ごめん」 いや、謝るのは、僕の方だ。勘違いでも、こんな僕を好きになってくれた。 それを罰ゲームで、なんて疑った僕の方が謝るべきなんだ。 819 :ウェハース第二話 ◆Nwuh.X9sWk :2010/09/11(土) 21:34:21 ID:jXR79SdM 「あら神谷くん、あの子カノジョ?」 穂波を呼んでもらって、穂波が藤松さんとじゃれていると不意にそんな事を聞かれた。 「…はい、そうです」 「穂波ちゃんから聞いたわよ。可愛い子ねぇ、良い子そうだし」 「はい……。僕には勿体無いくらいで」 「おーにぃーちゃーんー!!」 穂波が僕を急かす声が聞こえる。 「すみません、じゃあ」 「はい、またね」 頭を下げて、穂波と藤松さんの方へ向かう。 帰り道はいつもの三倍も長くなった。 穂波の道端での当たり前に対する発見、それに付き合う俺と藤松さん。 笑い声が絶えない帰り道。藤松さんの左手を穂波が握り、穂波の左手を僕が握る。なんだか家族って感じだ。 家までの直線の道に入った時、穂波が僕の手を引いた。 「お兄ちゃん、ほなみカギ開けてくる!」 「よし、穂波隊員!ドアのロックを解除してきてくれ」 回りに車、自転車がいなくなったのを見計らって、僕は穂波に自宅の鍵を渡した。 それと同時に一気に穂波は駆け出した。 「こけんなよー」 藤松さんと穂波の後姿を見送る。 「今日はありがとう、保育園まで付き合ってくれて」 「ううん、お礼を言いたいのは私の方。すっごく楽しかったもん」 彼女の語尾の『だもん』って言葉だけで胸がキュンとした。 「家に帰っても、ずっと一人だし……」 「えっ?」 藤松さんの表情が暗くなる。穂波を見送った笑顔を浮かべたまま。 「私の家ね、昔は貧乏だったの。私小五の時、新聞配達してたんだから。それでね、お父さんとお母さんに謝られちゃった。ごめんね、もっと私達頑張るねって」 藤松さんの手が寂しそうに見えた。 「それからお父さんは海外に単身赴任、母さんは病院に非常勤に行くようになった。だからね、家じゃいつも一人なんだ、だから穂波ちゃんが羨ましい」 勘違いに決まってる。彼女を暗闇から救い出せるのは、僕以外にもいる。僕よりもふさわしい人も。 「あのさ……藤松さん」 「うん?」 「穂波を僕が迎えに行く時は決まって親父と母さんが迎えに行けないときなんだ。そんなのが月に五回くらいある。そういう時は僕と穂波で晩御飯を作るんだ」 でも、でもさ、今は。今は僕しかいないんだ。 「藤松さん。今日、晩御飯一緒に食べない?」 そう言って、僕は藤松さんの手を握る。 だってこのまま、また来た道を一人で帰る藤松さんの背中を見送る自身が僕には無かったんだ。 後悔なんて、反省なんてご飯を食べた後にでも僕が一人ですればいい。素直に、そう思ったんだ。 「……いいの?」 「うん、藤松さんがいいなら。穂波も喜ぶしね」 何より、握り返してくれた藤松さんの手は温かくて、力強くて、その事が僕には嬉しかった。嬉しかったんだ。

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