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659 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:07:43 ID:N323y57t  そこは、どこにでもある小さな町の酒場だった。  夕暮れ時だというのに、酒場の中には数人の客しかいなかった。  決して小さな店ではないが、客足は店の大きさに反して悪いようだ。 ―――― カラン、カラン……。  扉につけられた鈴が鳴り、新しく客が入って来たことを告げた。 「いらっしゃいませ……」  マスターが、店に入って来た青年の方を一瞬だけ向いて言った。  客には興味がないのか、それとも単にあれはあれで忙しいだけなのか。  青年がカウンターに座った後も、マスターは手にしたグラスを磨いているだけだった。 「あの……」  持っていた鞄を足元に置き、青年がマスターに言った。  癖のある金髪と、眼鏡の奥にある緑色の瞳。  貴族ではないようだったが、誠実そうな整った目鼻立ちをしていた。 「この店、初めてなんだけど……。  何か、お勧めはある?」  歳の割に、幼さの残る声だった。  それにも関わらず青年が大人びて見えるのは、すらりと伸びた背丈のせいだ。  血気盛んなだけの若者とは違う、どこか儚げな空気をまとっていることも一因である。 「お客さん、旅の人ですか?」 「えっ……?  まあ、そんなところだね。  もっとも、何か目的があって旅をしているわけじゃないから、あまり誉められたものじゃないけど……」 「それは珍しいことですな。  こんな寒い季節に、目的もなく一人旅とは。  旅費を稼ぐのも、簡単ではないでしょうに……」 「一応、仕事の当てはあるよ。  こう見えても、僕は医者だからね。  ハライタに薬を飲ませるだけでも、その日に食べる分のパンを買うくらいにはなる」 「なるほど、お医者様でしたか。  旅をしながら病に伏せる方々を救うなど、なかなか殊勝なお考えですな」  青年の前に置かれたグラスに、マスターがボトルから酒を注ぎ込む。  グラスを受け取った青年は軽く会釈をすると、ゆっくりと味わうようにして最初の一杯を口にした。 660 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:09:01 ID:N323y57t (酷い味だな、こりゃ……)  一瞬、顔を曇らせながら、青年は思わず心の中で呟いた。  旅先で、色々と質の悪い食べ物をつかまされたこともあったが、この酒は特に酷い。  香りはついているものの、消毒用のアルコールを薄めたような、口の中に後味の悪い苦みの残る味だ。  店の中を改めて見回すと、青年の他には数人の客しかいなかった。  どの客も、貧しい身なりをした中年の職人か老人である。  金がなく、酒に飢えている人間ならば、こんな酒場の酒でも酔えるのだろう。 (安いだけで、味は最低の店か……。  こいつは失敗したな……)  グラスの中に半分ほど残された酒をにらみながら、青年はまたも心の中で言った。  こんな味では、店に客が数人しかいないのも頷ける。  わざわざ金を払ってまで、何度も通うような店ではない。  まだ、半分ほど酒は残っていたが、青年はグラスをカウンターに置いて立ち上がった。  コートのポケットから金をつかみ出すと、それをマスターに渡してそそくさと店を出る。  店の外に出た途端、冬の冷たい風が青年の肌を打った。 「……っ!!」  コートの襟を押さえ、身体を前屈みにして風を受け流す。  まずい酒を一口飲んだだけでは、身体は外の寒さに抗う程にまで温まっていなかった。 「くそっ……。  酒はまずいし、風は馬鹿みたいに冷たいし。  ちょっと気まぐれで帰ってきたら、これだもんな……」  誰に言うともなく、青年は街中を吹き抜ける風に向かって悪態をついた。  この街は、青年が生まれた場所でもある。  旅の間に随分と景観が変わったが、それでも街の空気までは変わらない。  冬になると街外れの丘から降りて来る、肌を刺すような冷たい風もそのままだ。  今日はもう、宿を見つけて休んだ方がいいかもしれない。  食事もまだだったが、質の悪い酒と意地悪な北風に毒されて、食欲などすっかり無くなってしまった。  噴水のある中央広場を抜けて、青年は商店街へと続く横道に入った。  昼間はバザーで賑わっているが、夜は閑散として人の影も見えない。  時折、餌を探す野良犬が、物欲しそうな目でこちらを見つめてくるだけである。  通りの外れまで歩いたところで、青年はふと賑やかな声が聞こえてくるのに気がついた。  こんな夜更けに、しかも商店街の外れで、いったい何事だろうか。  気になって声のする方に向かってみると、青年はその理由を直ぐに理解した。 661 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:10:32 ID:N323y57t  声のしていた場所は、どこにでもあるような小さな宿場だった。  しかし、ただの宿場ではない。  一階が酒場になっているらしく、小さいながらも賑わっているようだった。  窓から零れる部屋の明かりと共に、時折、豪快な男達の笑い声が聞こえてくる。 「なるほどね。  さっきの店が流行らなかったのは、こっちにもっと良い店があったからか……」  こんなことなら、もう少し粘ってまともな酒場を探せばよかった。  そんなことも考えたが、どちらにせよ後の祭りである。  店の中から響く楽しげな声につられ、青年は無言のまま扉を開けた。  これ以上、外の風に当たりたくはなかったし、このまま宿なしで一晩を過ごすのもごめんだった。 「いらっしゃい!!」  扉を開くなり、店主の力強い声が青年を迎えた。  先ほどの店とは違い、活気があって好感が持てる。 「お兄さん、旅の人かい?」  まだ何も言っていないのに、店主の方から尋ねてきた。  青年は黙って頷くと、そのままカウンターに近づいて店主に問う。 「見たところ、ここの二階は宿場みたいですが……。  まだ、空いている部屋ってありますか?」 「空いている部屋ねぇ……。  悪いが、そいつは俺にはわかんねえな。  受付は二階にあるから、まずはそっちに行って聞いてくれよ」 「すいません。  初めて来たんで、勝手がよくわからなくて……」 「なあに、気にすんな。  そんなことより、お兄さんはいつまで泊まるんだい?  二、三日こっちにいるんなら、一度くらいは俺の店でも飲んで行ってくれよ」 「ええ。  それじゃあ、明日にでも寄らせていただきます。  部屋が、空いていればの話ですけどね」  青年が、店主に軽く会釈して言った。  そのまま店の奥に進んで行くと、二階へ通じる階段はすぐに見つかった。  ぎし、ぎし、という木の軋む音がして、青年の足が階段を上がって行く。  決して粗末な作りではないようだが、随分と年季の入った建物のようだった。  二階に上がると、そこは直ぐに受付のカウンターになっていた。  が、自分の他に誰もいないことが分かり、青年は訝しげに思いながらも声を上げる。 662 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:11:18 ID:N323y57t 「あの……誰かいませんか?」 「はーい!  今、行きます!!」  受付の奥から女性の声がした。  宿の女将のものにしては、随分と若い。  ここで働いている女中のものだろうか。 「す、すいません!  お待たせしました……」  部屋の奥から、エプロン姿の女性が息を切らしながら現れた。  胸元まで伸びた赤い髪を三つ編みにまとめ、仕事の邪魔にならないようにしている。 「あれ……」  受付に現れた女性を見た途端、青年の表情が驚いた時のそれに変化した。  それは女性の方も同様で、青年と目が合った瞬間、口元に手を当てて言葉を飲み込む。 「リディ……。  君なのか……?」 「えっ……。  も、もしかして……ジャン!?」 「ああ、そうだよ。  僕はジャンだ。  君の家の向かいに住んでいた、ジャン・ジャック・ジェラールだよ!!」 「嘘……どうして……」 「帰って来たんだよ。  ほんの、気まぐれみたいなものだけどね」 「ううん、嬉しいよ。  お帰りなさい、ジャン……」  受付に立つ女性の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。  だが、決して悲しかったからではない。  目の前で涙する女性に、青年は「大げさだなぁ……」と言って笑った。  互いに再開を喜ぶ二人だったが、心の奥底に抱いている感情までは、寸分違わず同じとは言い難かった。 663 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:13:04 ID:N323y57t ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  部屋の中央に置かれた暖炉の火を眺めながら、ジャン・ジャック・ジェラールは旅の疲れを癒していた。  彼の目の前には、温かいシチューの入った皿がある。  スプーンですくって口に入れると、それだけで身体の芯から暖まる気がした。  外の冷たい風に当てられた身としては、とても嬉しいもてなしである。 「ごめんね、ジャン。  夕食っていっても、こんな物しかなくって……」  シチューの入った鍋を持ったまま、先ほど受付で合った女性がジャンに言った。 「いや、そんなことないよ。  相変わらず、この街は冬になると寒くてやってられないからね。  外の風に当てられたから、下手な酒なんかよりもよっぽど身体があったまる」 「そう言ってくれると嬉しいな。  でも、実はこれ、単なる賄い料理なんだけどね。  本当は、もっとちゃんとしたお料理を出したあげたかったんだけど……」 「賄いでこの味なのか?  だったら、今度は是非、他のお客さんにも出している料理を食べさせてもらいたいかな」 「ええ、言われなくても喜んで」  シチューの入った鍋をテーブルに置き、その女性も自分の皿にシチューを入れて席に着いた。  夕食の時間は既に終わっていた。  そのため、今は二人で賄い料理のシチューを食べることしかできない。  もう少しマシな物を出したいというのが女性の本心だったが、ジャンは満足しているようだった。 「ところで……」  シチューを口に運ぶ手を休め、ジャンが目の前に座っている女性に尋ねた。 「リディは、どうしてこんな場所で宿を?」 「ああ、それね。  実は、ジャンが旅に出た後、お母さんが亡くなっちゃってね。  お父さんは飲んだくれで話にならないし、前の家を売っちゃったのよ。  大したお金にはならなかったけど、貯金もあったからね。  全財産を叩いて、このお店を買ったってわけ」 「全財産って……。  それ、随分な冒険だと思うけど……」 「どっちにしろ、あのまま飲んだくれ親父と一緒にいても仕方ないしね。  お店を買った後、お父さんも身体を壊して死んじゃったけど……あれは自業自得よ。  それに、一人で生きていかなきゃならなかったし、後のことなんて考えていられなかったわ」 「なるほどね。  でも、まさかリディが、宿屋の女将になってるなんて思っていなかったよ。  それも、女中も置かずに一人で経営しているなんて……昔からすれば、想像できない」 664 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:14:27 ID:N323y57t 「そんな大したことじゃないわよ。  女将って呼ばれる程に貫録もないし、小さなボロ宿をなんとか切り盛りしているだけだから。  一階を酒場にして貸し出さなかったら、正直、暮らしていけないもの」  皮肉めいた笑いを浮かべて女性が言ったが、それは本心だった。  そんな彼女の気持ちを悟ったのか、ジャンもそれ以上は何も言わなかった。  リディ・ラングレー。  それが、ジャンの目の前にいる女性の名前である。  ジャンの幼馴染であり、この宿屋を経営している若女将だ。  ジャンがリディと別れたのは、もう十年以上前の話だった。  父親が仕事の関係で街を離れるに至り、ジャンもそれに同行する形で街を出た。  それ以来、ジャンは生まれ故郷の街に戻ってはいない。  今日、ここへ戻ってくるまでは、一度も故郷の土を踏んだことがなかった。  ジャンが故郷へ戻らなかったのは、一重に父親の存在が大きかった。  彼の父は優秀な医者だったが、同時に科学者としての飽くなき探求心も併せ持っていた。  どうすれば、患者をより楽に助けてやることができるのか。  不治の病と呼ばれる病気を、治す方法はないものか。  不老不死というものは、本当にこの世に存在するのか。  年を経るにつれ、ジャンの父親の探究心は異常な方向へと向かって行った。  最後は患者もそっちのけで、妙な研究に没頭するような日々が続いた。  終いには、魔術や錬金術といった妖しげな本まで持ち出して、人体実験紛いのことにまで手を出し始めたのである。  そんなことを続けていれば、当然のことながら生活は苦しくなる。  妻には早々に離縁を告げられ、さらには街の人間からも排斥された。  こと、妖しげな研究をしているという点をつかれ、教会の司祭を中心にジャンの父を煙たく思う人間が増えていった。  結局、ジャンと彼の父親は、街を離れざるを得なくなった。  放浪の旅を続けながら、医師としての知識を生かして旅先で病人を診察する。  そんな生活が、十年近くも続いた。 「ねえ、ジャン……」  自分もシチューを口に運びながらも、今度はリディがジャンに尋ねた。 「ジャンこそ、どうして急に帰って来たの?  今まで、連絡一つくれなかったのに……」 「それは……こいつのせいかな」  鞄の中から、ジャンが革袋を取り出した。  お世辞にも綺麗とは言えない袋で、ジャンが持ち上げると中から乾いた音がした。 「それ、何なの?」 「父さんの骨だよ。  こんなもの、食事中に見せて悪いと思うけど……父さん、旅先で死んじゃったからね。  街の人達からは嫌われていたけど、やっぱり生まれ故郷の土に帰してあげるのが正しいんじゃないかって思ってさ」 665 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:15:51 ID:N323y57t 「そっか……。  ジャンのお父さんも、死んじゃったんだね……」 「別に、気を使ってもらわなくても構わないよ。  父さん、あれからも妙な研究を続けていてさ。  最後は自分を実験台に、不老不死の研究を始めたんだ。  それで、変な薬をたくさん飲んで、結局は中毒を起こして死んじゃった」 「はぁ……。  私の親父も馬鹿だったけど、ジャンも苦労したんだね……」 「まあね。  でも、父さんが持っていた医学書は、僕が有効に使わせてもらったよ。  後は、昔の父さんが診た患者の記録なんかを読んで……気がついたら、自分も父さんと同じ医者になってた」  最後の言葉は、乾いた笑みを浮かべて苦笑しながら言った。  ジャンにとって、父は尊敬の対象などではなかった。  自分の探究心を優先させたばかりに家庭を壊し、最後は医師としての務めも忘れて奇妙な実験に没頭していた。  はっきり言って、父は変人だったとジャンは思う。  これで世紀の大発見でもしていれば話は別だが、残念ながらジャンの父はその器ではなかった。  自分の欲望のために生活を、家族を犠牲にし、最後は患者までも犠牲にした。  そんな父に代わり、真っ当な医師であろうとすること。  ジャンが唾棄すべき父親と同じような医学の道を目指したのは、ある意味で必然だったのかもしれない。  父の骨を故郷に埋めようと思ったのも、息子として最低限の義務を果たそうとの考えからだった。  それ以外に、特に意味はない。  自分達を追放した街へ戻るのは気が引けたが、父の骨と一刻も早く別れたいと思うと、故郷の土を踏むのに躊躇いはなかった。 「ところで、リディ。  今日はもう、空いている部屋なんてないのかな。  実は、まだ今日の宿も見つかっていなくってさ……」 「なんだ、そうだったの?  それじゃあ、今すぐ空いている部屋を案内するわ」 「そうしてくれると助かるよ。  とりあえず、寝床があればいい。  ベッドさえ用意してくれれば、後は自分で適当にやるさ」 「そういうわけにもいかないわよ。  夜はまだまだ冷え込むみたいだし、ちゃんと毛布を用意しないと風邪ひくわよ」  医者の不養生。  そんな言葉を言いたげに、リディは少々強めの口調でジャンに向かって言った。 666 :ラ・フェ・アンサングランテ 【第一話】   ◆AJg91T1vXs :2010/11/06(土) 00:16:34 ID:N323y57t 「それとも……」  あくまで気を使わせまいとするジャンに対し、リディが意地悪そうな笑みを浮かべる。 「なんだったら、私がジャンのことを暖めてあげようか?」 「なっ……!?」  ジャンの顔が、途端に赤くなった。  子どもの頃ならいざ知らず、大人となった今ではリディの言葉に男としての反応を隠しきれない。  そんなジャンの姿を見たリディは、笑いを堪え切れずに肩を震わせながら口元を押さえた。 「あはは、冗談よ。  ちょっと、からかってみたくなっただけ」 「勘弁してくれよ……。  君、そんな冗談言う人だったっけ……」 「なによ、それ。  でも、相手がジャンだったら、私は嫌じゃないけどね。  これは嘘でも冗談でもなくて、本当だよ」 「えっ……?」  呆気にとられた様子で、ジャンがリディのことを見た。  だが、リディはそれ以上何も言わずにシチューを平らげると、そのままジャンの部屋を用意するために食堂を離れて行った。

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