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ドラゴン・ファンタジーのなく頃に 第二十一話」(2011/02/27 (日) 21:49:12) の最新版変更点

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628 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:52:43 ID:rhvtT6cM 第二十一話『バッド・コミュニケーション』 ブリュンヒルドを殺す。記憶継承のその日から、シグナムの頭にはそれしか思い浮かばなかった。 これまでにもブリュンヒルドを殺そうと思った事は幾度もあった。 しかし、その度に思い留まった。良心ではなく、打算からの理由だった。 怒りに任せて突撃しても、謀略で以って殺そうとしても、 あれは全てを跳ね返してしまうだろうと思ったからである。 とはいえ、今回ばかりはそうも言っていられない。 漠然とした予感が、確信へと変わった。イリスの記憶がそれを明確に物語っている。 このままでは、間違いなくブリュンヒルドに殺される。 なぜ今までなにもされなかったのか、理解に苦しむところであるが、それは些細な事でしかない。 あれは人間ではない。人間の皮を被った悪魔なのである。悪魔に道理などあるはずがない。 「殺られる前に殺らねば……殺られる前に殺らねば……殺られる前に殺らねば……」 何度も自分にそう言い聞かせ、揺らぎそうになる気持ちを鎮めた。 最早、後戻りの出来ないところまできてしまっている。 陰謀は途中で断念しても、必ず後で暴きだされてしまう。 陰謀を実行し失敗しても、中止しても、どの道殺されてしまう事には変わらない。 それなら実行する以外に道はない。 シグナムは生きるために、惨殺されたイリスの安らぎのために、 そしてなにより、過去と決別するために、動き出した。 まずはブリュンヒルドをここに足止めする必要がある。 そう考えたシグナムは、ブリュンヒルドの説得に向かった。 部屋に入ってみると、ブリュンヒルドは手帳を片手に、蕩けた表情をしていた。 「えっ……、ひゃあっ!シグナム様、ノックぐらいしてくださいよ!」 「ノックもしたし、何度も呼び掛けたぞ」 慌てて手帳をしまったブリュンヒルドの顔が紅い。 なにを見てそうなったのかは、聞くだけ無駄なので聞かない事にした。 「そっ……それで、こんな朝早くから一体なんの御用ですか?」 「あぁ……、しばらくこの宿を拠点にする事を告げに来ただけだ。 理由は、言わなくても分かるだろ。それじゃあ、また後で……」 「あっ……、シグナム様、お待ちください」 出て行こうとして、呼び止められた。ブリュンヒルドの顔は相変らず紅いままである。 「あの……、一人では不安なので、 一緒に情報収集をしたいのですが、……よろしいでしょうか?」 もじもじしながらそんな事を言うブリュンヒルドに、 シグナムは、なに純情乙女気取ってやがる、似合わないんだよ、糞女が、 などと暴言が口から出そうになるが、耐えに耐えた。 この女の不可解な行動など、既に嫌というほど見てきている。 下手な事を言って機嫌を損ねさせるより、乗じるのが得策である。 首を縦に振って、シグナムは部屋から出ていった。 629 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:54:01 ID:rhvtT6cM 情報収集に出掛ける段になって、シグナムは自分の服が寝巻きしかない事に気付いた。 海に落ちてからずっとこの服だった事をすっかり忘れていたのだ。 流石に朝っぱらからこの服装のままで外出するのは恥かしい。 一考したシグナムは、従業員服を借りて外出した。ブリュンヒルドにはなにも告げなかった。 玄関先まで出て、シグナムの足が止まった。目の前の陽だまりに足が出せないのである。 疑問に思い、試しに右手を陽だまりに向けようとしたが、これも同様に途中で止まってしまった。 まるで身体が太陽の光を嫌う様である。 もしや、と思ったシグナムは、握っているイリスの傘に目をやった。 傘の骨組みはちょっとやそっとの強風では壊れないほど頑丈に作り込まれており、 傘布はやはり日光を完全に遮断する素材で出来ていた。 「仕方ない……か」 そう呟いたシグナムは、傘を開いて陽だまりに足を踏み出した。今度はなにも起こらなかった。 服選びは難航を極めた。 以前の旗袍と道服を組み合わせた様な服は、当然店に売っていなかった。 ゆったりとした服が好きなシグナムにとって、これは大問題だった。 とりあえず様々な服を着比べた。どれもこれもしっくりこなかった。 熟考の結果、足首まで隠れるほど長い青ローブとズボン、 白いケープ、青フード、ロングブーツで片が付いた。 どこからどう見てもどこかの協会の司教にしか見えなかったが、シグナムは気に入った。 店から出た時には、既に日は沈み始めており、傘は必要なくなっていた。 「シグナム様、今日は一緒に情報収集をするって約束したじゃないですか!」 宿に帰ってきて早々、ブリュンヒルドの非難の声が響いた。 カウンターの真ん前、それも周りには客がいるというのに、だ。 客や従業員の視線が痛い。シグナムは恥かしくて堪らなかった。 「あぁ、すまなかったな。服を買っていて忘れてしまったのだ」 極力冷静に、言葉を選んで、シグナムは紙袋を見せた。 ブリュンヒルドの表情が、怒りから驚きへ、そしてまた怒りに戻った。 「服を買いに行った……って、どうして私を誘ってくれなかったんですか! 私だってシグナム様と買い物がしたかったのに」 「明日こそはちゃんと情報収集に行く。それじゃあ」 ブリュンヒルドのアホな言葉を半ば無視し、シグナムは部屋に向かった。 「必ずですよ、明日は必ず一緒に行くんですからね!」 後ろでブリュンヒルドの喧しい声が聞こえる。 舌打ちをしたシグナムは、従業員服を脱ぎ捨てると、そのままベッドに倒れ込んだ。 その日は夢を見なかった。 630 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:54:48 ID:rhvtT6cM 久し振りに快眠だった。 夢という余計な事に頭を使わなかったのですっきりしていた。 背筋を伸ばし関節を鳴らすと、鎧戸を開けようとして止めた。 そういえば、自分は太陽に弱くなった事を忘れていた。 このまま鎧戸を開けたら、清々しい朝日を浴びながら昇天しかねない。 仕方なく蝋燭に火を灯し、身だしなみを整える事にした。 昨日よりも髪の毛が伸びていた。確か昨日までは普通に短めだったのに、 今はセミロングになっていた。これなら小さいポニーテールが一つ出来そうである。 さらに酷いのが、一本だけ飛び出した髪の毛である。 周りがちゃんと整っているだけに、そこだけ飛び出しているのはいかにもアホらしい。 ブラシで何度も梳かしているが、一向に直らない。 「あぁ~、くそっ!」 なんだか苛々する。これでは恥かしくて外に出れない。 必死に癖毛を梳かそうと悪戦苦闘し、シグナムは時間を忘れていた。 「シグナム様、情報収集に行きましょうよ」 ブリュンヒルドが来てしまったのだ。シグナムは鏡で自分の顔を見た。 飛び出した髪の毛は、ぴんぴんしている。 このアホ毛(シグナム命名)め、と内心自分の髪の毛を罵倒したシグナムは、 青フードでこのアホ毛を隠すという窮余の策で、ブリュンヒルドを出迎えた。 「待たせたな。では、行こうか」 「はい、行きま……」 ブリュンヒルドの声が途切れてしまった。 どうしたんだ、と声を掛けると、ブリュンヒルドが震える指でシグナムの頭を指した。 頭に手をやってみると、なにやら感触があった。 もしや、と思ったシグナムは、慌てて部屋に戻り鏡を見てみると、 フードからアホ毛が飛び出していた。 鏡の前で固まるシグナムを、蕩けた表情でブリュンヒルドが見ていた。 最悪だった。最も見られたくない奴に痴態を見せてしまったからだ。 今からこのアホ毛を隠そうかと思ったが、それはただの悪あがきでしかなく、 ブリュンヒルドに嘲笑われてしまうのは明確である。いっそ開き直った方が傷は少なくてすむ。 「これは、……ファッションだ」 そう言ってシグナムは、ブリュンヒルドの前を歩いていった。 待ってください、と後ろからブリュンヒルドが追い掛けてきた。 631 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:55:43 ID:rhvtT6cM 手馴れた手付きで傘を開き、シグナムは朝の陽だまりに足を踏み出した。 これまで雨の時ぐらいにしか使わず、正直持っているのが面倒だった代物ではあるが、 命に関わるとなると、今となっては頼もしい存在である。 これから一生を共にする相棒なのだから、なにかしらの改造を施した方がいい。 骨組みをさらに頑丈にし、傘布をさらに厚くして弓矢を弾き落とせる様にするのがいい。 石突には穴を開けて吹き矢にすると奇襲に使えるなど、思いの外夢が広がった。 「シグナム様、今まで傘なんて差さなかったのに、どうして?」 だというのに、隣を歩くこの女はそんな余韻を味わう時間もくれないらしい。 そんな事、聞く必要があるのか、という視線を向けたが、 ブリュンヒルドの瞳は爛々と輝いていた。 はぁ、と溜め息を吐いた。白い息が冬を実感させた。 苦し紛れに、肌が焼けるのが嫌だから、と言ってみたが、言い訳には随分と辛いものがあった。 この様なことを言うのは、歳若い女ぐらいしかいない。 だが、ブリュンヒルドはそれで納得してくれた。 そうですね、太陽の光はお肌の天敵ですからね、などと言って。 その通りなのだが、それをお前が言うな、とシグナムは内心突っ込みたかった。 それはともかく、情報収集である。 集るのはどれも、この町の名所に関する事ばかりで、 この大陸で起こっている内戦の事など殆ど入ってこなかった。 西方大陸の、国という国が滅び、群盗が跋扈していた時とは訳が違い、 こちらは七つの大国が独自に分国法を施行し、国民の流出を抑えるためか、 他の情報が入りにくかった。所謂愚民政策である。 「結論は、平民に話を聞いても無駄、という訳だ」 昼になり、カフェの椅子に腰掛けたシグナムが、コーヒーを啜りながらそう言った。 「つまり、政府に取り入るか、軍隊の将官クラスならなければ、 優良な情報は聞きだせないというのですね」 ブリュンヒルドが紅茶を一口含んで言った。 その通りなので、シグナムはあえて口を出さなかった。 以前であれば、王家の紋章で色々なんとかなったが、 それがない今、どの様にして国に入り込むか、それが問題だった。 シグナムが対策を考え始めた時、唐突にブリュンヒルドが声を上げた。 「シグナム様、気分転換しませんか?」 その声のせいで、気が散ってしまった。 シグナムはブリュンヒルドを睨み付けたが、当の本人は気にした体でもなかった。 「この町の西北に、エイロス岬という所があるのですが、 景色もよく、考え事をするには最適な場所なので、どうかと思いまして……」 考え事なら、ここでも出来る。そう言おうとしたが、喉元で言葉が突っ掛かった。 陽だまりに手を差し出そうとして止まったのと同じ様な反応だった。 その時の様に、この反応も的確なものかもしれない。 そう一考したシグナムは、分かった、と言って、エイロス岬に行く事にした。 ブリュンヒルドが小躍りして喜んだ、様に見えた。 632 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:56:23 ID:rhvtT6cM エイロス岬に向かう道には、多くの木が林立していた。 生い茂る木々が真昼の太陽を薄っすらと隠し、林道は薄暗く静まり返っている。 「なんだか、心が洗われる様な気がしますね」 「ここは伏兵を置くのには絶好の場所だな」 お互いに全く違う感想に、ブリュンヒルドは話す切欠を失った様に黙り込んでしまった。 あんな事を言ったが、シグナムとしてもこれぐらい静かなのがちょうどよかった。 ブリュンヒルドが言う様に、心が洗われる気がしたからだ。 無言のまま林道を歩き続けると、道の奥の方から潮の臭いが香り始めた。 林道を抜けると、そこは断崖だった。潮風が心地よかった。 「このエイロス岬は、遥か昔に神様が舞い降りた所と言われているんです」 急にブリュンヒルドが語り始めた。走ったためか、その顔は多少紅かった。 どうせ情報収集で聞いた受け売りだろうと思いながら、シグナムは崖の下を覗き込んでみた。 崖はとんでもなく高かった。過去にブリュンヒルドに落とされた崖の三倍の高さがあり、 さらにその下には剥き出しの岩礁が覗いていた。 「……なので、この岬で夕日を見るとこ……」 「落ちたら、間違いなく助からないな」 シグナムはブリュンヒルドの言葉など全く聞いておらず、 精々雑音としてしか耳に入ってこなかった。 それはブリュンヒルド同様で、語りに夢中で、シグナムの声や動きに気付いていなかった。 シグナムの胸中に、どす黒い思考が渦巻き始める。 やるならば、ここでしかない。既にどうするかも頭の中で出来ている。 傘の柄を掴む力が強くなった。不意に傘が海から吹いてきた強風で悲鳴を上げた。 慌てて転回して、強風から逃げた。 「……という訳で、今日の夕方、一緒に夕陽を見ませんか?」 長広舌を振るっていたブリュンヒルドが、シグナムの方に振り向いた。 表情がなにかを期待するものになっていた。 どうやら、今度こそ殺しにくるらしい、とシグナムは確信した。 だが偶然にも、自分もこの岬に用事が出来てしまった。 とはいえ、今日中という訳にはいかない。準備が必要だった。 「今日中というのは、……出来れば明日にして欲しいのだが……」 「はっ……はいっ!!やっっっったぁああああああ!!!」 今まで聞いた事のない声をブリュンヒルドが上げた。 シグナムは、冷めた視線でブリュンヒルドを見つめていた。 633 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:57:32 ID:rhvtT6cM 次の日、宿にシグナムはいなかった。 朝早くに起きたブリュンヒルドが、シグナムの部屋に向かった頃には既にいなかったのだ。 ブリュンヒルドの顔色が、目に見えて悪くなった。 その場を歩いていた従業員にシグナムの行き先を聞いたが、知らないと答えられた。 慌ててブリュンヒルドは宿を出ると、シグナムの行きそうな場所を虱潰しに当った。 大通りを歩いている人に、傘を持って歩く司教服を着た人は見なかったか、と訊ねた。 これほど個性的な服を着た人物だというのに、一切情報は集らなかった。 既に日が傾き始めている。このままではシグナムとの約束が果たせそうにない。 溜め息を吐いて顔を上げたブリュンヒルドの目に涙が浮かんでいた。 もう調べられる所は全て調べた。これ以上はなにもない。 とぼとぼと、ブリュンヒルドは宿の方に踵を返した。 もしかしたら、既に戻って来ているかもしれないと淡い期待を抱いたのかもしれない。 宿に着いたブリュンヒルドに、従業員が声を掛け、一枚の手紙を渡した。 手紙には、こう書かれていた。 『夕暮れ時のエイロス岬で待つ』 そっけない一文だった。それを見たブリュンヒルドは、従業員を睨み付けた。 悲鳴を上げた従業員は、あなたに渡そうとしたら、 物凄い速さで出て行かれたので渡せなかった、と言い訳をした。 怒りを収めたブリュンヒルドは、手紙を懐にしまうと、再び走り出した。 一方で、シグナムはエイロス岬の断崖に立ち、沈む夕陽を眺めていた。 黒と黒の間に半円の赤い太陽が浮かんでいる。まるでトンネルの中にいるみたいだった ブリュンヒルドは夕陽がなんとかと言っていたが、なるほど、見る価値は十分あった。 まるで今までの暗い世界から、明るい世界へと飛び出す予兆の様に見えた。 自然と願い事が噴出してきた。これから先も、この様な景色をもっと見てみたい。 もっといろんな人に会ってみたい。もっといろんなものを食べてみたい。 もっとたくさんの事をしてみたい。願いが溢れて止まらなかった。 だというのに、その様な些細な願いさえも、ブリュンヒルドは破壊しようとしている。 子供の頃から散々馬鹿にされ、そして殺されかけた。 大人になったらなったで、精神を徹底的に蝕まれた。 そして来るべき結末は、惨殺である。 なんと救いのない人生か。皆を統べるべくして生まれた王族が、 一貴族の一人娘に陵辱されているのだ。そう思うと、ブリュンヒルドへの殺意が高まっていった。 最早、恐れはない。心にあるのは、死んで堪るか、という一言のみだった。 背後から足音が聞こえてくる。死の足音か、生の足音か。 「……準備は全て整った。後は見ていてくれ、イリス……」 634 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:58:18 ID:rhvtT6cM 「シグナム様、捜しましたよ!なんで勝手に行っちゃうんですか!」 息を切らしたブリュンヒルドがシグナムの掛けてきたのは、非難の声だった。 だというのに、その声音には怒りの色は見られず、なぜか嬉々としたものだった。 シグナムはブリュンヒルドに声を掛けられたというのに顧みず、夕陽を眺めていた。 夕陽は、もうじき地平線の下に沈み、夜の世界になろうとしていた。 「一緒に夕陽を見る約束……、これで果たしたな」 そうシグナムは呟いて、やっと振り返った。振り返ったシグナムの目は、 薄暗い中でもよく分かるほど真っ赤に光っていた。 「しっ……シグナム……様……」 なにかを感じたのか、ブリュンヒルドがシグナムに近付こうとした。 しかしその時、海側から強烈な風が吹き、ブリュンヒルドの足を止めた。 さらにシグナムの持っていた傘が飛来し、ブリュンヒルドの視界を一瞬遮った。 ブリュンヒルドが目を開けた時には、そこにシグナムはいなかった。 刹那、ブリュンヒルドは剣を抜き、目の前を切り付けた。金属音が響いた。 ブリュンヒルドが声を上げる暇もなく、あちこちで土埃が立ち始めた。 降り注ぐ無数のなにかを見て、地形の不利を感じたのか、 ブリュンヒルドは林道の方に逃げようとした。 が、林道への入り口の直前で、ブリュンヒルドは後ろに飛び退いた。 「なんでこんな所に槍衾が……」 飛び退りついでに剣の腹で飛んでくるなにかを受け止め、振り向き際に横に一閃した。 剣風が全てを吹き飛ばした。 一つ大きな息を吐いたブリュンヒルドは、休む間もなく剣を上段に構えた。 火花が散り、一瞬だけ空間が歪んだ。 「急襲は失敗……か。……化け物め!」 歪みから聞こえてきたのは、紛れもなくシグナムの声だった。 「シグナム様、……これは一体、……なぜこの様な事を……」 「この様な……。それはお前が望んだ事だろう?」 「なにを……」 「お前は私を追い詰めるためにイリスを惨殺し、そして今、私を殺すためにここに来た!」 「殺す?……シグナム様はなにを言っているのですか!?私がその様な……」 「黙れぇええええ!!!」 見えない斬撃がブリュンヒルドを襲った。受け止めるたびに、凄まじい金属音と火花が散った。 「待ってください、シグナム様!私はあなたの事を……」 「貴様の戯言など聞きたくない!」 シグナムの怒声の後、ブリュンヒルドの周囲の空間が歪み始めた。 とっさにブリュンヒルドが退いた。忽ち剣身が閃光と共に消滅した。 「なっ……」 「ちっ……、これも外したか!だが、これでお前の武器はなくなった!」 不可視のシグナムが高らかに勝利を宣言した。しかし、 「シグナム様、申し訳ありません」 その一声と共に、ブリュンヒルドは虚空を掴み、投げ飛ばした。土煙と悲鳴が同時に上がった。 歪んだ空間から、ブリュンヒルドに腕を掴まれたシグナムが現れた。 シグナムは心外そうな表情を浮かべていたが急にくつくつと笑い始めた。 小さかった笑い声が、次第に狂った様に大きなものへと変わっていった。 瞳も淀み、どこを見ているのか分からなかった。 「結局、この力を以ってしても、お前には勝てなかったか……」 自虐めいた言葉は、潮風と波の音に掻き消された。 次の瞬間、大音響と共に大地が揺れた。岬は轟音を立てて崩壊し、海に降り注いだ。 エイロス岬の景色が一変した。 635 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:58:56 ID:rhvtT6cM 岩が崩れ落ちる中、シグナムは崖壁に掴まっていた。岬崩しの策は、どうやら成功したらしい。 今頃ブリュンヒルドは、下の岩礁に頭を叩き付けて死んでいるであろう。 仇は討った、とシグナムは喜びを胸に、崖をよじ登ろうとした。 突如、月光を遮る影がシグナムを覆い、手を伸ばされた。 「シグナム様、大丈夫ですか!?」 それは、最も聞きたくない声だった。身体中の血という血が引いてしまった。 手を伸ばしていたのは、間違いなくブリュンヒルドだった。 傷どころか土埃さえ付いていない様を見て、 やはりブリュンヒルドを殺せるものなどいないのだ、と絶望感がシグナムを包んだ。 「話は後で聞きます。今は手を掴んでください!」 ブリュンヒルドの手が、さらに腕を伸ばしてきた。 掴もうと思えば届く距離であるが、シグナムはそれを掴む気にはなれない。 掴めばどうなるかは、過去の教訓から分かっている。 「お前の手を掴むくらいなら……」 いっそ道連れにしてやる、と言い掛けて止まった。 大きく見開かれた目が、ブリュンヒルドを見つめた。 「しっ……シグナム様……?」 「まだ分からないんですか、あなたは……」 急にシグナムの口調や雰囲気が変わった。 感情のない声が、ブリュンヒルドを刺した。 「えっ……、シグナム様……」 「あなたは過去にどれほど非道な行ないをしたのか顧みた事もないのですか? その無神経が、どれほど他人を傷付けていたのかも分からなかったのですか?」 矢継ぎ早にシグナムは問い掛ける。その様はさながら検察官の尋問だった。 「わっ……私はその様な事……はっ……」 ブリュンヒルドの表情から、血の気が引いていき、遂には震えだした。 「どうやら、思い出したみたいですね」 「しっ……シグナム様、申し……」 ブリュンヒルドの声が途切れ、口から血が滴り落ちた。 槍がブリュンヒルドの脇腹を刺し貫いていた。 「なんっ……で……」 強かに血を吐いたブリュンヒルドはバランスを崩し、崖から転落した。 入れ違うように、シグナムは崖をよじ登り、崖下を覗き込んだ。死体は浮かんでいなかった。 とはいえ、この高さから転落し、さらに下は岩礁だらけである。 助かる事など絶対にありえないだろう。 「ざまあみろ」 そう呟き、シグナムはエイロス岬を後にした。
628 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:52:43 ID:rhvtT6cM 第二十一話『バッド・コミュニケーション』 ブリュンヒルドを殺す。記憶継承のその日から、シグナムの頭にはそれしか思い浮かばなかった。 これまでにもブリュンヒルドを殺そうと思った事は幾度もあった。 しかし、その度に思い留まった。良心ではなく、打算からの理由だった。 怒りに任せて突撃しても、謀略で以って殺そうとしても、 あれは全てを跳ね返してしまうだろうと思ったからである。 とはいえ、今回ばかりはそうも言っていられない。 漠然とした予感が、確信へと変わった。イリスの記憶がそれを明確に物語っている。 このままでは、間違いなくブリュンヒルドに殺される。 なぜ今までなにもされなかったのか、理解に苦しむところであるが、それは些細な事でしかない。 あれは人間ではない。人間の皮を被った悪魔なのである。悪魔に道理などあるはずがない。 「殺られる前に殺らねば……殺られる前に殺らねば……殺られる前に殺らねば……」 何度も自分にそう言い聞かせ、揺らぎそうになる気持ちを鎮めた。 最早、後戻りの出来ないところまできてしまっている。 陰謀は途中で断念しても、必ず後で暴きだされてしまう。 陰謀を実行し失敗しても、中止しても、どの道殺されてしまう事には変わらない。 それなら実行する以外に道はない。 シグナムは生きるために、惨殺されたイリスの安らぎのために、 そしてなにより、過去と決別するために、動き出した。 まずはブリュンヒルドをここに足止めする必要がある。 そう考えたシグナムは、ブリュンヒルドの説得に向かった。 部屋に入ってみると、ブリュンヒルドは手帳を片手に、蕩けた表情をしていた。 「えっ……、ひゃあっ!シグナム様、ノックぐらいしてくださいよ!」 「ノックもしたし、何度も呼び掛けたぞ」 慌てて手帳をしまったブリュンヒルドの顔が紅い。 なにを見てそうなったのかは、聞くだけ無駄なので聞かない事にした。 「そっ……それで、こんな朝早くから一体なんの御用ですか?」 「あぁ……、しばらくこの宿を拠点にする事を告げに来ただけだ。 理由は、言わなくても分かるだろ。それじゃあ、また後で……」 「あっ……、シグナム様、お待ちください」 出て行こうとして、呼び止められた。ブリュンヒルドの顔は相変らず紅いままである。 「あの……、一人では不安なので、 一緒に情報収集をしたいのですが、……よろしいでしょうか?」 もじもじしながらそんな事を言うブリュンヒルドに、 シグナムは、なに純情乙女気取ってやがる、似合わないんだよ、糞女が、 などと暴言が口から出そうになるが、耐えに耐えた。 この女の不可解な行動など、既に嫌というほど見てきている。 下手な事を言って機嫌を損ねさせるより、乗じるのが得策である。 首を縦に振って、シグナムは部屋から出ていった。 629 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:54:01 ID:rhvtT6cM 情報収集に出掛ける段になって、シグナムは自分の服が寝巻きしかない事に気付いた。 海に落ちてからずっとこの服だった事をすっかり忘れていたのだ。 流石に朝っぱらからこの服装のままで外出するのは恥かしい。 一考したシグナムは、従業員服を借りて外出した。ブリュンヒルドにはなにも告げなかった。 玄関先まで出て、シグナムの足が止まった。目の前の陽だまりに足が出せないのである。 疑問に思い、試しに右手を陽だまりに向けようとしたが、これも同様に途中で止まってしまった。 まるで身体が太陽の光を嫌う様である。 もしや、と思ったシグナムは、握っているイリスの傘に目をやった。 傘の骨組みはちょっとやそっとの強風では壊れないほど頑丈に作り込まれており、 傘布はやはり日光を完全に遮断する素材で出来ていた。 「仕方ない……か」 そう呟いたシグナムは、傘を開いて陽だまりに足を踏み出した。今度はなにも起こらなかった。 服選びは難航を極めた。 以前の旗袍と道服を組み合わせた様な服は、当然店に売っていなかった。 ゆったりとした服が好きなシグナムにとって、これは大問題だった。 とりあえず様々な服を着比べた。どれもこれもしっくりこなかった。 熟考の結果、足首まで隠れるほど長い青ローブとズボン、 白いケープ、青フード、ロングブーツで片が付いた。 どこからどう見てもどこかの司教にしか見えなかったが、シグナムは気に入った。 店から出た時には、既に日は沈み始めており、傘は必要なくなっていた。 「シグナム様、今日は一緒に情報収集をするって約束したじゃないですか!」 宿に帰ってきて早々、ブリュンヒルドの非難の声が響いた。 カウンターの真ん前、それも周りには客がいるというのに、だ。 客や従業員の視線が痛い。シグナムは恥かしくて堪らなかった。 「あぁ、すまなかったな。服を買っていて忘れてしまったのだ」 極力冷静に、言葉を選んで、シグナムは紙袋を見せた。 ブリュンヒルドの表情が、怒りから驚きへ、そしてまた怒りに戻った。 「服を買いに行った……って、どうして私を誘ってくれなかったんですか! 私だってシグナム様と買い物がしたかったのに」 「明日こそはちゃんと情報収集に行く。それじゃあ」 ブリュンヒルドのアホな言葉を半ば無視し、シグナムは部屋に向かった。 「必ずですよ、明日は必ず一緒に行くんですからね!」 後ろでブリュンヒルドの喧しい声が聞こえる。 舌打ちをしたシグナムは、従業員服を脱ぎ捨てると、そのままベッドに倒れ込んだ。 その日は夢を見なかった。 630 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:54:48 ID:rhvtT6cM 久し振りに快眠だった。 夢という余計な事に頭を使わなかったのですっきりしていた。 背筋を伸ばし関節を鳴らすと、鎧戸を開けようとして止めた。 そういえば、自分は太陽に弱くなった事を忘れていた。 このまま鎧戸を開けたら、清々しい朝日を浴びながら昇天しかねない。 仕方なく蝋燭に火を灯し、身だしなみを整える事にした。 昨日よりも髪の毛が伸びていた。確か昨日までは普通に短めだったのに、 今はセミロングになっていた。これなら小さいポニーテールが一つ出来そうである。 さらに酷いのが、一本だけ飛び出した髪の毛である。 周りがちゃんと整っているだけに、そこだけ飛び出しているのはいかにもアホらしい。 ブラシで何度も梳かしているが、一向に直らない。 「あぁ~、くそっ!」 なんだか苛々する。これでは恥かしくて外に出れない。 必死に癖毛を梳かそうと悪戦苦闘し、シグナムは時間を忘れていた。 「シグナム様、情報収集に行きましょうよ」 ブリュンヒルドが来てしまったのだ。シグナムは鏡で自分の顔を見た。 飛び出した髪の毛は、ぴんぴんしている。 このアホ毛(シグナム命名)め、と内心自分の髪の毛を罵倒したシグナムは、 青フードでこのアホ毛を隠すという窮余の策で、ブリュンヒルドを出迎えた。 「待たせたな。では、行こうか」 「はい、行きま……」 ブリュンヒルドの声が途切れてしまった。 どうしたんだ、と声を掛けると、ブリュンヒルドが震える指でシグナムの頭を指した。 頭に手をやってみると、なにやら感触があった。 もしや、と思ったシグナムは、慌てて部屋に戻り鏡を見てみると、 フードからアホ毛が飛び出していた。 鏡の前で固まるシグナムを、蕩けた表情でブリュンヒルドが見ていた。 最悪だった。最も見られたくない奴に痴態を見せてしまったからだ。 今からこのアホ毛を隠そうかと思ったが、それはただの悪あがきでしかなく、 ブリュンヒルドに嘲笑われてしまうのは明確である。いっそ開き直った方が傷は少なくてすむ。 「これは、……ファッションだ」 そう言ってシグナムは、ブリュンヒルドの前を歩いていった。 待ってください、と後ろからブリュンヒルドが追い掛けてきた。 631 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:55:43 ID:rhvtT6cM 手馴れた手付きで傘を開き、シグナムは朝の陽だまりに足を踏み出した。 これまで雨の時ぐらいにしか使わず、正直持っているのが面倒だった代物ではあるが、 命に関わるとなると、今となっては頼もしい存在である。 これから一生を共にする相棒なのだから、なにかしらの改造を施した方がいい。 骨組みをさらに頑丈にし、傘布をさらに厚くして弓矢を弾き落とせる様にするのがいい。 石突には穴を開けて吹き矢にすると奇襲に使えるなど、思いの外夢が広がった。 「シグナム様、今まで傘なんて差さなかったのに、どうして?」 だというのに、隣を歩くこの女はそんな余韻を味わう時間もくれないらしい。 そんな事、聞く必要があるのか、という視線を向けたが、 ブリュンヒルドの瞳は爛々と輝いていた。 はぁ、と溜め息を吐いた。白い息が冬を実感させた。 苦し紛れに、肌が焼けるのが嫌だから、と言ってみたが、言い訳には随分と辛いものがあった。 この様なことを言うのは、歳若い女ぐらいしかいない。 だが、ブリュンヒルドはそれで納得してくれた。 そうですね、太陽の光はお肌の天敵ですからね、などと言って。 その通りなのだが、それをお前が言うな、とシグナムは内心突っ込みたかった。 それはともかく、情報収集である。 集るのはどれも、この町の名所に関する事ばかりで、 この大陸で起こっている内戦の事など殆ど入ってこなかった。 西方大陸の、国という国が滅び、群盗が跋扈していた時とは訳が違い、 こちらは七つの大国が独自に分国法を施行し、国民の流出を抑えるためか、 他の情報が入りにくかった。所謂愚民政策である。 「結論は、平民に話を聞いても無駄、という訳だ」 昼になり、カフェの椅子に腰掛けたシグナムが、コーヒーを啜りながらそう言った。 「つまり、政府に取り入るか、軍隊の将官クラスならなければ、 優良な情報は聞きだせないというのですね」 ブリュンヒルドが紅茶を一口含んで言った。 その通りなので、シグナムはあえて口を出さなかった。 以前であれば、王家の紋章で色々なんとかなったが、 それがない今、どの様にして国に入り込むか、それが問題だった。 シグナムが対策を考え始めた時、唐突にブリュンヒルドが声を上げた。 「シグナム様、気分転換しませんか?」 その声のせいで、気が散ってしまった。 シグナムはブリュンヒルドを睨み付けたが、当の本人は気にした体でもなかった。 「この町の西北に、エイロス岬という所があるのですが、 景色もよく、考え事をするには最適な場所なので、どうかと思いまして……」 考え事なら、ここでも出来る。そう言おうとしたが、喉元で言葉が突っ掛かった。 陽だまりに手を差し出そうとして止まったのと同じ様な反応だった。 その時の様に、この反応も的確なものかもしれない。 そう一考したシグナムは、分かった、と言って、エイロス岬に行く事にした。 ブリュンヒルドが小躍りして喜んだ、様に見えた。 632 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:56:23 ID:rhvtT6cM エイロス岬に向かう道には、多くの木が林立していた。 生い茂る木々が真昼の太陽を薄っすらと隠し、林道は薄暗く静まり返っている。 「なんだか、心が洗われる様な気がしますね」 「ここは伏兵を置くのには絶好の場所だな」 お互いに全く違う感想に、ブリュンヒルドは話す切欠を失った様に黙り込んでしまった。 あんな事を言ったが、シグナムとしてもこれぐらい静かなのがちょうどよかった。 ブリュンヒルドが言う様に、心が洗われる気がしたからだ。 無言のまま林道を歩き続けると、道の奥の方から潮の臭いが香り始めた。 林道を抜けると、そこは断崖だった。潮風が心地よかった。 「このエイロス岬は、遥か昔に神様が舞い降りた所と言われているんです」 急にブリュンヒルドが語り始めた。走ったためか、その顔は多少紅かった。 どうせ情報収集で聞いた受け売りだろうと思いながら、シグナムは崖の下を覗き込んでみた。 崖はとんでもなく高かった。過去にブリュンヒルドに落とされた崖の三倍の高さがあり、 さらにその下には剥き出しの岩礁が覗いていた。 「……なので、この岬で夕日を見るとこ……」 「落ちたら、間違いなく助からないな」 シグナムはブリュンヒルドの言葉など全く聞いておらず、 精々雑音としてしか耳に入ってこなかった。 それはブリュンヒルド同様で、語りに夢中で、シグナムの声や動きに気付いていなかった。 シグナムの胸中に、どす黒い思考が渦巻き始める。 やるならば、ここでしかない。既にどうするかも頭の中で出来ている。 傘の柄を掴む力が強くなった。不意に傘が海から吹いてきた強風で悲鳴を上げた。 慌てて転回して、強風から逃げた。 「……という訳で、今日の夕方、一緒に夕陽を見ませんか?」 長広舌を振るっていたブリュンヒルドが、シグナムの方に振り向いた。 表情がなにかを期待するものになっていた。 どうやら、今度こそ殺しにくるらしい、とシグナムは確信した。 だが偶然にも、自分もこの岬に用事が出来てしまった。 とはいえ、今日中という訳にはいかない。準備が必要だった。 「今日中というのは、……出来れば明日にして欲しいのだが……」 「はっ……はいっ!!やっっっったぁああああああ!!!」 今まで聞いた事のない声をブリュンヒルドが上げた。 シグナムは、冷めた視線でブリュンヒルドを見つめていた。 633 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:57:32 ID:rhvtT6cM 次の日、宿にシグナムはいなかった。 朝早くに起きたブリュンヒルドが、シグナムの部屋に向かった頃には既にいなかったのだ。 ブリュンヒルドの顔色が、目に見えて悪くなった。 その場を歩いていた従業員にシグナムの行き先を聞いたが、知らないと答えられた。 慌ててブリュンヒルドは宿を出ると、シグナムの行きそうな場所を虱潰しに当った。 大通りを歩いている人に、傘を持って歩く司教服を着た人は見なかったか、と訊ねた。 これほど個性的な服を着た人物だというのに、一切情報は集らなかった。 既に日が傾き始めている。このままではシグナムとの約束が果たせそうにない。 溜め息を吐いて顔を上げたブリュンヒルドの目に涙が浮かんでいた。 もう調べられる所は全て調べた。これ以上はなにもない。 とぼとぼと、ブリュンヒルドは宿の方に踵を返した。 もしかしたら、既に戻って来ているかもしれないと淡い期待を抱いたのかもしれない。 宿に着いたブリュンヒルドに、従業員が声を掛け、一枚の手紙を渡した。 手紙には、こう書かれていた。 『夕暮れ時のエイロス岬で待つ』 そっけない一文だった。それを見たブリュンヒルドは、従業員を睨み付けた。 悲鳴を上げた従業員は、あなたに渡そうとしたら、 物凄い速さで出て行かれたので渡せなかった、と言い訳をした。 怒りを収めたブリュンヒルドは、手紙を懐にしまうと、再び走り出した。 一方で、シグナムはエイロス岬の断崖に立ち、沈む夕陽を眺めていた。 黒と黒の間に半円の赤い太陽が浮かんでいる。まるでトンネルの中にいるみたいだった ブリュンヒルドは夕陽がなんとかと言っていたが、なるほど、見る価値は十分あった。 まるで今までの暗い世界から、明るい世界へと飛び出す予兆の様に見えた。 自然と願い事が噴出してきた。これから先も、この様な景色をもっと見てみたい。 もっといろんな人に会ってみたい。もっといろんなものを食べてみたい。 もっとたくさんの事をしてみたい。願いが溢れて止まらなかった。 だというのに、その様な些細な願いさえも、ブリュンヒルドは破壊しようとしている。 子供の頃から散々馬鹿にされ、そして殺されかけた。 大人になったらなったで、精神を徹底的に蝕まれた。 そして来るべき結末は、惨殺である。 なんと救いのない人生か。皆を統べるべくして生まれた王族が、 一貴族の一人娘に陵辱されているのだ。そう思うと、ブリュンヒルドへの殺意が高まっていった。 最早、恐れはない。心にあるのは、死んで堪るか、という一言のみだった。 背後から足音が聞こえてくる。死の足音か、生の足音か。 「……準備は全て整った。後は見ていてくれ、イリス……」 634 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:58:18 ID:rhvtT6cM 「シグナム様、捜しましたよ!なんで勝手に行っちゃうんですか!」 息を切らしたブリュンヒルドがシグナムの掛けてきたのは、非難の声だった。 だというのに、その声音には怒りの色は見られず、なぜか嬉々としたものだった。 シグナムはブリュンヒルドに声を掛けられたというのに顧みず、夕陽を眺めていた。 夕陽は、もうじき地平線の下に沈み、夜の世界になろうとしていた。 「一緒に夕陽を見る約束……、これで果たしたな」 そうシグナムは呟いて、やっと振り返った。振り返ったシグナムの目は、 薄暗い中でもよく分かるほど真っ赤に光っていた。 「しっ……シグナム……様……」 なにかを感じたのか、ブリュンヒルドがシグナムに近付こうとした。 しかしその時、海側から強烈な風が吹き、ブリュンヒルドの足を止めた。 さらにシグナムの持っていた傘が飛来し、ブリュンヒルドの視界を一瞬遮った。 ブリュンヒルドが目を開けた時には、そこにシグナムはいなかった。 刹那、ブリュンヒルドは剣を抜き、目の前を切り付けた。金属音が響いた。 ブリュンヒルドが声を上げる暇もなく、あちこちで土埃が立ち始めた。 降り注ぐ無数のなにかを見て、地形の不利を感じたのか、 ブリュンヒルドは林道の方に逃げようとした。 が、林道への入り口の直前で、ブリュンヒルドは後ろに飛び退いた。 「なんでこんな所に槍衾が……」 飛び退りついでに剣の腹で飛んでくるなにかを受け止め、振り向き際に横に一閃した。 剣風が全てを吹き飛ばした。 一つ大きな息を吐いたブリュンヒルドは、休む間もなく剣を上段に構えた。 火花が散り、一瞬だけ空間が歪んだ。 「急襲は失敗……か。……化け物め!」 歪みから聞こえてきたのは、紛れもなくシグナムの声だった。 「シグナム様、……これは一体、……なぜこの様な事を……」 「この様な……。それはお前が望んだ事だろう?」 「なにを……」 「お前は私を追い詰めるためにイリスを惨殺し、そして今、私を殺すためにここに来た!」 「殺す?……シグナム様はなにを言っているのですか!?私がその様な……」 「黙れぇええええ!!!」 見えない斬撃がブリュンヒルドを襲った。受け止めるたびに、凄まじい金属音と火花が散った。 「待ってください、シグナム様!私はあなたの事を……」 「貴様の戯言など聞きたくない!」 シグナムの怒声の後、ブリュンヒルドの周囲の空間が歪み始めた。 とっさにブリュンヒルドが退いた。忽ち剣身が閃光と共に消滅した。 「なっ……」 「ちっ……、これも外したか!だが、これでお前の武器はなくなった!」 不可視のシグナムが高らかに勝利を宣言した。しかし、 「シグナム様、申し訳ありません」 その一声と共に、ブリュンヒルドは虚空を掴み、投げ飛ばした。土煙と悲鳴が同時に上がった。 歪んだ空間から、ブリュンヒルドに腕を掴まれたシグナムが現れた。 シグナムは心外そうな表情を浮かべていたが急にくつくつと笑い始めた。 小さかった笑い声が、次第に狂った様に大きなものへと変わっていった。 瞳も淀み、どこを見ているのか分からなかった。 「結局、この力を以ってしても、お前には勝てなかったか……」 自虐めいた言葉は、潮風と波の音に掻き消された。 次の瞬間、大音響と共に大地が揺れた。岬は轟音を立てて崩壊し、海に降り注いだ。 エイロス岬の景色が一変した。 635 :ドラゴン・ファンタジーのなく頃に  ◆AW8HpW0FVA :2011/02/12(土) 23:58:56 ID:rhvtT6cM 岩が崩れ落ちる中、シグナムは崖壁に掴まっていた。岬崩しの策は、どうやら成功したらしい。 今頃ブリュンヒルドは、下の岩礁に頭を叩き付けて死んでいるであろう。 仇は討った、とシグナムは喜びを胸に、崖をよじ登ろうとした。 突如、月光を遮る影がシグナムを覆い、手を伸ばされた。 「シグナム様、大丈夫ですか!?」 それは、最も聞きたくない声だった。身体中の血という血が引いてしまった。 手を伸ばしていたのは、間違いなくブリュンヒルドだった。 傷どころか土埃さえ付いていない様を見て、 やはりブリュンヒルドを殺せるものなどいないのだ、と絶望感がシグナムを包んだ。 「話は後で聞きます。今は手を掴んでください!」 ブリュンヒルドの手が、さらに腕を伸ばしてきた。 掴もうと思えば届く距離であるが、シグナムはそれを掴む気にはなれない。 掴めばどうなるかは、過去の教訓から分かっている。 「お前の手を掴むくらいなら……」 いっそ道連れにしてやる、と言い掛けて止まった。 大きく見開かれた目が、ブリュンヒルドを見つめた。 「しっ……シグナム様……?」 「まだ分からないんですか、あなたは……」 急にシグナムの口調や雰囲気が変わった。 感情のない声が、ブリュンヒルドを刺した。 「えっ……、シグナム様……」 「あなたは過去にどれほど非道な行ないをしたのか顧みた事もないのですか? その無神経が、どれほど他人を傷付けていたのかも分からなかったのですか?」 矢継ぎ早にシグナムは問い掛ける。その様はさながら検察官の尋問だった。 「わっ……私はその様な事……はっ……」 ブリュンヒルドの表情から、血の気が引いていき、遂には震えだした。 「どうやら、思い出したみたいですね」 「しっ……シグナム様、申し……」 ブリュンヒルドの声が途切れ、口から血が滴り落ちた。 槍がブリュンヒルドの脇腹を刺し貫いていた。 「なんっ……で……」 強かに血を吐いたブリュンヒルドはバランスを崩し、崖から転落した。 入れ違うように、シグナムは崖をよじ登り、崖下を覗き込んだ。死体は浮かんでいなかった。 とはいえ、この高さから転落し、さらに下は岩礁だらけである。 助かる事など絶対にありえないだろう。 「ざまあみろ」 そう呟き、シグナムはエイロス岬を後にした。

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