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「晴れのち病み 第二章」(2011/03/08 (火) 21:54:14) の最新版変更点
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864 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:39:35 ID:/qpAO3LM [6/13]
2
先週は予報の通り、陽光麗らかな日が続いた。風もそれ程強くなく、気温も安定していた。
朗らかであったその陽気を見事に打ち崩したのは、この日の昼過ぎの事である。雲行きが怪しくなってきたと思うや小雨が降り始め、それが少し経つと段々と勢いを増してきて、今では傘無しでは外を歩けない程になっていた。
生徒達の顔色も灰色の空の様にどんよりと落ち込んでおり、さも憂鬱そうである。
「これはまいりましたねぇ」
普段は窓の向こうに見える名峰も降り注ぐ雨にぼかされてしまい、その雄姿は拝めない。
佐原は溜息を吐いた。クラスに広がる陰鬱な空気は、何時も飄々としている彼を以てしても抗えない様だ。
「結構降っているね……」
「帰る頃には止んでくれねぇかなぁ……」
クラスの名物アベックである、二見・朝倉組もばつが悪そうな顔をしている。
勿論、クラスの中には携帯用の折り畳み傘を鞄に忍ばせている者もいる。そういう者達は用意のできていない者達の羨望と諦念の入り混じる視線を集め、空気の澱みを一層際立たせていた。
それを傍目にした二見もすっかり観念し、「濡れて帰るか」と口からこぼし始めていたところ、朝倉が目を凝らし、何かを見つけたらしい事に気付く。
「どうした?」と二見が訊くと、「誰か来たみたい」と彼女が指差した。その先には、黒い傘を差した誰かが生徒用玄関に向かっているのが見える。
「遅刻か?」
二見は何気なく言うが、彼の言う様に遅刻者だったとしたら、かれこれ四時間以上もの遅刻だという事になる。
「今更来るのも変じゃない? 普通はそのまま休みを取りそうなものだけど……」
朝倉の弁に、二見も「それもそうだよな……」と気だるげに答える。
そうしている内に、黒傘の姿は見当たらなくなった。
生徒用玄関の下駄箱前。そこに立っていた人物に、道行く生徒達の誰もが目を丸くした。
865 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:42:34 ID:/qpAO3LM [7/13]
太腿に掛かる程の長さを持つ黒髪、二メートル近くはありそうな長身、その長身に見合う広い肩幅、裾がふくらはぎに届きそうなコートの下のワイシャツを大きく盛り上げるふくよかな胸……。
健全な男子の集うこの学校においては「目の毒」と称されそうなスタイルを持つ女である。
年端のいかない男子達からすれば眩しくも感じるその体躯、お盛んな彼らの事、目に焼きつけたいと思うだろう。願わくば、触れてみたいとも。
そうはさせないのが、この女の目だ。まつ毛に触れる前髪から覗かせるその両目は、吊り眼であるおまけに三白眼で、一度視線をやれば小物を散らす事など雑作も無かった。
現に、彼女のセックスアピール満点の体を拝みたくても、彼女に見咎められるのを恐れてか、挙動不審な者が散見される。
そわそわしている生徒の一人に、女は問い掛けた。
「二年の教室はどこだ?」
威圧感すら感じるその声に生徒の肩は一瞬跳ねあがり、しどろもどろになりながらも階段を指差して案内をする。
女は美人ではある。脂の乗ったその肌はティーンのような瑞々しさは無いものの、女盛り真っ只中で、「大人の女性」の魅力がある。
柔らかそうな唇も妙齢の女のフェロモンを感じさせ、高い鼻は段付きでなくスラリと綺麗な形をしている。丸過ぎず、細過ぎずの輪郭で、全体的にシャープな印象が強く、クールビューティという呼び名が良く似合うだろう。
ただ、その目尻の上った鋭い目とガタイの良い長身で詰め寄られると相当肝を冷やす事になりそうだ。生徒が気押されるのは無理もない。
案内を聞いた女は一言礼を述べ、玄関を振り返る。
「幸華(ユキカ)、行くぞ」
「はぁい」
名を呼ぶと、玄関から小さな影が現れ、女の近くに駆け寄ってきた。
幸華と呼ばれたこの少女は、腰の辺りまで伸ばしたツインテールが特徴的で、顔つきが女とよく似ている。この二人が親子なのだという事が一目で見てとれるその容姿は数年経てば一層磨きが掛かり、多くの男達を泣かせる事になるだろうと思われた。
866 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:45:10 ID:/qpAO3LM [8/13]
「お父さん、ここにいるの?」
ツインテールを揺らし、女の肩によじ登る。
「ああ」
女はそれを気にする風もなく、そのまま階段に足を掛けた。
踊り場を抜け、二階に上がってまず女の目についたのは、数人組の金髪の男子達だ。ピアスを付け、制服をだらしなく着ているその格好は、何とも言えぬガラの悪さをぷんぷんと漂わせている。
女はそのままヅカヅカと歩み寄り、声を掛けた。
「そこの小僧、一つ訊きたいのだが」
「……あァ?」
金髪の内の一人が目を剥いて睨み返した。
「……おや?」
教室が急に静かになった事に気づいた佐原は、鞄にいくつか突っ込んであった本――彼お気に入りの写真集。表紙には「Death Body photograph」とある――から目を逸らし、教室の戸口を見た。
「……ここです」
「ご苦労」
「ごくろうさん!」
そこには、普段は教師すらも手を焼いている不良達が腰を低くして、幼女を担いだ長身の女にヘコヘコしているという異様な光景があった。
「……誰だ、あの人」
「さぁ……?」
突然の訪問者の出現に、二見と朝倉も少し動揺する。
その背後に、「バサバサッ!」と、幾つか本の落ちる音がした。
二人が振り返ると、そこにはお気に入りの本を床にうち撒け、半ば放心状態の佐原がいた。
二見達は、佐原がこんな顔をしたのを初めて見た。普段、得体の知れない引き笑いをして、何事も受け流してビクともしないこの男にこんな顔をさせる彼女は一体何者なのかと、一種の戦慄すら感じた。
女は佐原を見つけると、さっきまで無表情だったその顔に柔らかな微笑を見せた。
「お父さ~ん!」
女の背にいる幼女――幸華の無邪気な一言は、クラスを一気に凍りつかせた。
「……お父さん……?」
「お父さんって……佐原が……?」
佐原はそんなクラスメート達を尻目に席を立ち上がり、散らかった本もそのままで二人に近づいた。
「ママ……幸華……何故ここに?」
867 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:49:04 ID:/qpAO3LM [9/13]
彼の口から「ママ」と出てきた瞬間、誰かが堪らず「ママだって?!」と口にした。
すると、それを皮切りにクラスにざわめきが起こった。
「ママって……じゃあ、あれは佐原の母ちゃんか?」
「だが……その割には若すぎだろ?」
「義理の母親だとか?」
皆が憶測のまま、周囲の者とあれやこれやと言い合っている。
佐原は気まずそうにクラスメート達に振り向いた。
「いや、ママとはそういう意味ではなくて……なんと申しましょうか……」
彼が説明しようとしたその時、間の悪い事に担任――山本が教室に戻ってきた。
「……すみませんが、どちらさまで……?」
当然、山本は佐原の傍に佇む長身の女を見るや、訝しむ様な視線を浴びせてくる。余計ややこしい事になってきたと、佐原は偏頭痛を覚えた。
佐原にママと呼ばれた女は、そんな彼の心境なぞお構いなしといった様子で、思いっきり彼を後ろから抱き抱えた。
そして、堂々と担任教師相手に言い放った。
「佐原幸人の妻だ」
簡潔にして大問題発言である、彼女――佐原忍(サワラ シノブ)のその一言にクラスは火山の噴火が如く紛糾した。
「つま!?」
「妻とは一体どういう事だ佐原!?」
「不純異性交遊か!?」
山本もそれに釣られて声を張り上げた。
忍も黙っていない。
「不純とは何だ! 私と幸人は純粋な愛を十年掛けて……」
「そちらの女の子は……?」
「佐原幸華です。お父さんがお世話になってます」
恐る恐る訊ねる女子生徒に幸華は笑顔を見せて自己紹介する。それは屈託のない笑みで、喧々囂々と荒れるこの空間に怖じている様子は見られない。
幸華の弁に男子生徒が食らいつく。
「さ、佐原……お前……娘まで……!?」
「こ、これは……その……何と申し上げれば良いのか……」
「ていうか十年って、その時佐原は七歳だろ!?」
かくして、教室は担任含めたクラス全員によって、混乱と錯乱による阿鼻叫喚の坩堝と化し、沈静するに隣のクラスによる外部勢力まで加わる事となってしまった。
この騒ぎが発端で、佐原に「妻子持ち」である事が公に明かされ、彼は(良くも悪くも)またもや有名になってしまったのは言うまでもない。
868 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:50:39 ID:/qpAO3LM [10/13]
――放課後。かの様に散々に荒れ狂った教室であったが、それもこの時分にもなるとすっかり落ち着き、今まで通りの日常が戻っていた。
相変わらずの雨天、湿気によって皆が鬱の入った顔で部活へ出かけていく中、佐原一家の騒動をダシに面白おかしくお喋りしている者が一際目立つ。それは決して彼を貶める様な陰湿なものではなく、彼らの仲睦まじさを茶化す程度のものだ。
今まで男女のつがいという事で冷やかしの対象になっていたのは二見・朝倉の二人だったが、佐原もその中の一人となったのも今日の出来事を顧みるに必然であろう。
これを以て、佐原は今までの日課だった二見達の冷やかしは打ち止めする事となる。
一方、その当人――佐原の姿は職員室にあった。
「一体何なんだ、昼のあの騒ぎは?」
騒ぎの規模が大きかったおかげで他のクラスまで影響を及ぼした今回の件については、佐原も素直に非を認める他なかった。法的に認められていないと言えども、家族のしでかした粗相である。弁解の余地なぞあろうはずが無い。
担任である山本及び、件に関わったそれぞれのクラス担任の視線を浴びつつ、佐原は鞄へと手を伸ばす。
「雨天であるという事で、これを持ってきてくれたみたいでして。放課後ではどうしても時間の都合が取れなかったそうです」
鞄から取り出したのは折り畳み傘だ。一度も使っていない新品で、忍が学校に来る直前に購入した物である。
若干呆れながら隣のクラスの担任――岸本が続ける。
「その傘を届ける為に、何であんな騒ぎが起こるんだ……?」
それに山本が答えた。
869 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:52:31 ID:/qpAO3LM [11/13]
「いや、これを持ってきてくれたのが、佐原の妻を自称する女性でして……」
「妻!?」
教師達が驚愕の顔を見せたのに受け、既視感を感じてしまった佐原は思わず苦笑する。
「佐原、妻って……」
口をぱくぱくさせる岸本に、佐原は観念して全てを打ち明けた。
「ええ、彼女――忍は私の妻です。法的にはまだ私が年齢に達していないので籍は入れてませんが……誕生日を迎えたらすぐに手続きをするつもりです。ちなみに、あの時私達の傍にいたのは娘です」
何事もない様に語る彼に思わず絶句する教員達だったが、湧き立った一つの疑問を問う為に重い口を開かせる。
「娘と言ったが……あの子は奥さんの連れ子か? それとも……」
「私の血を継いだ、正真正銘の娘です」
迷いなく言い切る彼の佇まいに、教員達は教育現場で生きていく事が如何に困難かを痛い程感じ取った。
沈痛な顔をする教師達を前に、佐原はまるで嘲う様に「ヒッヒッヒ」と静かに笑う。
教員達はそんな彼の無礼な態度に口を挟む事すらもしない。苦渋に満ちた職員室に不快な笑い声が幾重にも響き渡り、その内にまるで精神が蝕まれそうな感覚を覚え始めてきた彼らになす術は無かったのである。
佐原が解放されたのは職員室に入ってものの十数分での事だ。佐原の家族構成は教員達も掴み取れていないので、彼らの事実婚生活にまで言及する事ができなかったという事もあり、「今後は部外者を無許可で連れ込まない様に」と厳重に注意される程度に止まったのだ。
迷彩服をばさりと羽織り直し、悠々と下校しようとしたところに、良く知るクラスメートの顔を見つけた。
「おや、委員長殿」
「あ、佐原君。お説教はもう終わったの?」
意地悪く言う香山に佐原は苦笑いを禁じ得なかった。
「ヒッヒッヒ……まぁ今回は割と大した事ありませんでしたね。注意をされたくらいです」
手を左右に広げ、「やれやれ」と溜め息を吐く彼に、香山は含み笑いをする。
「何かと先生達を敵に回すよね、佐原君って」
「まぁその分、お手伝いはさせていただいているんですけどね、これでも」
少々困った様な、それでいてあどけなさが垣間見える笑顔だった。
870 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2011/02/16(水) 16:55:41 ID:/qpAO3LM [12/13]
その笑顔を見た香山の脳裏に、佐原ファミリーが集合した昼休みの光景が過る。
教室全体が阿鼻叫喚となり、他のクラスの皆まで巻き込んだ渦巻の様な一時……その渦中にいた彼は困りながらも楽しそうな顔をしていた。
「佐原君、今度のクリスマスのパーティ、御家族一緒で来たら?」
家族と一緒にいたいであろう彼の心情を察した香山は、知らぬ間にそう口にしていた。
「よろしいので?」
「それぐらい、みんなも大丈夫でしょ。佐原君が予算の半分負担しているんだし」
それを聞いた佐原は微笑みを浮かべて「ありがとうございます」と礼を述べた。
「早速帰ったら家内に持ち掛けてみましょう」
それに対し、香山は釘を刺す様に耳打ちする。
「ただ……当日のアレはよろしくね?」
「分かっておりますとも。私は恋する乙女の味方ですからね」
迷彩服を仰々しく翻して「ヒッヒッヒ」と笑う彼に、香山はうっすらと笑みを浮かべていた。