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227 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 21:56:15.10 ID:1GFNWItX 5  道が霜に覆われ、吐息が白く立ち上る朝。冬休みが明けたこの日、学生達が身を震わせながら登校していた。  冬眠明けの気だるさで重い体を引きずりながら、のっそりのっそりと歩いている彼らのその背中は、若さの張りが少しも見られないくらいに丸まっていて、何だか老けこんでしまったかの様だ。  自転車を使用している生徒は体をガタガタ震わせながら「寒い寒い」と連呼し、凍った道路を走っていた。  なまじ速度があるから相対的に風を受ける形になるので、大層身に応えるだろう。鼻水垂らしながらという情けない面を晒しているのもいた。  長期休暇明けの初日に見られる風物詩はバス通学にしても同じだ。車内で居眠りこいて危うく寝過ごす生徒が散見され、中にはギリギリまで眠りから覚めず、慌ててバスから転げ落ちる者もいた。大人達はそんな彼らを溜め息混じりで温かに見送る。  全体的にスローモーな登校景色。その中に目立つのは、紺の制服達に混じる深緑。佐原の羽織る迷彩服の色だった。  休み疲れ一色の中、彼はご機嫌な顔をしていた。クラスメート達に明るく挨拶をしながら、軽い足取りで校門を跨ぐ。通されていない迷彩服の袖がひょこひょこと揺れた。  「――マジかよ?」  「ああ、何だか変だったよ」  その軽やかな歩調をピタリと止めたのは、二人の男子の会話だった。  佐原はそれを盗み聞きしようと耳を凝らした。白く濁った右目を覗かせ、さり気無さを装いながらそれを捉えようとする。  「一体何だろうな?」  「あれだけ仲良かったのになぁ」  どうもその会話は、誰かについての事らしい。  「喧嘩でもしたのかね」  「だとしたら相当根深いかもな。今まで見た事ないぞ、あんなの」  その誰かとは、複数であるみたいだ。  「確かにな。まぁそんな事もあるにはあるだろうが……」  「クラス名物がねぇ……。こんなのってあるんだな……」  「本当にな」  佐原は笑いを堪えた。その話題の人物が誰であるかが分かったからだ。あの夜、上手く事を運んだのだと喜んだ。  「……ん? 佐原か、おはようさん」  その内に男子の一人が佐原に気が付いた。 228 :名無しさん@ピンキー:2011/03/15(火) 21:56:33.37 ID:dDboMLUR キタキタ 229 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 21:58:47.99 ID:1GFNWItX  「おはようございます。今朝は冷えますね」  笑顔を取り繕う佐原。羽織る迷彩服をきつく握り締めて見せる等、おどけたリアクションをする。  「その迷彩服、この時期だと便利だな。暖かいだろ?」  「ええ。色々と重宝しておりますよ。ヒッヒッヒ……」  「こんだけ生地が厚いんだもんな。そりゃ暖かいわけだ」  男子が袖を握り、指を走らせる。簡単には破れない耐久性と保温性を思わせるその布地の感触は、被服としては重量を感じさせた。  「ポケットも両胸、両脇にありますからね。なかなか機能的で便利なんですよ」  袖をふいっと男子から離し、少し誇らしげに佐原が言う。  誰もが何時も見慣れている姿ではあるが、佐原のこの珍奇な格好はこの季節になると少しだけ羨望も集める様になる。真冬の風にも難なく耐える彼を見て、そのジャケットを欲しがる者も出てくる。  最も、その後教員にお説教される彼の姿を見て、それもすぐ収まっていくだろうが。  「そう言えば佐原、知っているか?」  佐原のジャケットでしばし戯れながら歩いてしばらく後、男子の一人が佐原にそう話し掛けた。  盗み聞きしていた佐原はその内容に見当が付いていたが、しらばっくれる事にした。  「何をでしょう?」  「二見と朝倉の事だよ!」  彼の装われた態度に男子は食い付いた。鬼の首を討ち取った様な勢いだ。  佐原は首を傾げて見せた。  「ほう、あのお二方が如何なされたので?」  彼らは揃って鼻息が荒い。佐原は「無理もないか」と内心思う。  「さっきからみんなで話題になっているんだがな……二人の様子が変なのさ。何時もぴったりくっついているあの二人が、今日見たらお互いに何かよそよそしいというか……距離を離しているというか……とにかく何か気まずそうなんだよ」  もう一人がそれに続く。  「あの二人に一体何があったのかって思ってたら、そうしたら何と、委員長がやたら二見に話し掛けているのな。そこで合点がいったのさ。そういう事なんだってな」  二見が委員長とくっ付いて、朝倉は捨てられた――それが彼らが見て判断した事だった。  「ほほう。クラス名物と謳われた彼らが……何とも……」  佐原は心底驚いた様に見せ掛け、内心で悦に入っていた。 230 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 22:01:11.99 ID:1GFNWItX  ――恋を彩る粉雪……でしたか。  佐原の目の裏にある光景が浮かんでいた。それは、粉雪が舞い散る雪原の中、一組の男女が結ばれるというものだ。  雪が降る公園の噴水前、互いが照れくさそうに頬を染めてキスをする。それまで他人だった彼らが一つになった、ロマンチックな瞬間だ。  お互いに手を結び、お互いの肌を感じながらゆっくりゆっくりと歩いていく。雪の冷たさも、お互いの温かさを引き立てる役者でしかない。冷たい風も、お互いを寄り添わせるキューピッドとなる……。  佐原は段々と笑いを抑える事ができなくなってきた。  可笑しくて可笑しくて仕方無かった。自分が今組み立てた仮初のロマンスと現実の相違が、あまりにも激しくて。  香山はきっと、佐原が考えたチープなストーリー程ではないにしても、小説やドラマで良く見られる様なロマンスを、順を追って体験したかった筈だ。  それが朝倉の存在で揺らめいて、容易くその夢を手放してしまった。狭まった視野は、とうとう回復する事もなかった。  あの時のパーティで忍が皆に振舞った酒には睡眠薬が混入されていた。二見と朝倉に注いだビールも同様だが、二人の物は少し軽度に調整してあった。加えて、香山にはあらかじめ、ある物も手渡してあった。  注射するタイプの性欲を強くさせる薬だ。これを薬の作用が利き始める時間を計算した上で使用する様にと付け加えた上でプレゼントしたのだ。香山が二見に抱いてもらう為に。  即ち、恋に焦がれた一人の女は、夢のあるロマンスを捨て、爛れた肉欲へと身を落したのだ。  焦りに捕らわれ、憎しみに駆られ、正面から相対する勇気を恐れによって退けられて……。  朝倉は、二人が交わっているところを見せ付けられたのだろう。香山の憎しみによって描かれたこの段取りが手筈通りに行われたのなら、そうなっている筈だ。  そして、この男子二人の話に間違いが無ければ、全て打ち合わせした通りに進んだという事だ。 231 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 22:03:35.05 ID:1GFNWItX  「――しかし朝倉のあの落ち込みようときたら、半端じゃないぜ。女子が挨拶してもちっとも笑いやしねぇ。相当ショックだったんだろうなぁ」  「そりゃあそうだろ。本人達はいつも彼カノ関係である事は否定してたが、朝倉が二見を好きだったのは見てりゃ分かるし……だが二見の方は意外だったがな。まさか委員長と一緒になるとは……」  男子二人は話の華を再び咲かせていた。脇から押し殺した様な笑い声が漏れ出てきているのに気付く事もなかった。  三人は教室まで仲良く登校し、それぞれの席に散る。教室は半数以上集まっているが、まだ空席が目立っていた。時間には余裕があるので、時間が迫るにつれて席は埋まっていくだろう。  五分経った。十分経った。噂の的である二見、朝倉、香山の三名はまだ見えない。佐原は首を傾げる。  「もうそろそろ見えてもいい頃なんですがね」  自分と一緒に登校してきたあの二人が二見達の様子を見たと言っているのだから、時間的にそう開きは無いはずだ。なのにまだ一人とこの教室に来ない。  結局、三人が姿を見せたのは、ホームルームが始まる直前の事だった。  佐原は周囲に悟られない様にするのに苦心した。  ホームルーム、始業式、行事をトントンと終えていく度に空気が重たくなっていくのが分かった。  その中心にはあの三人の存在、それを取り巻くはざわめき……憐れみ、戸惑いに嘲笑……クラス名物のまさかの顛末に、クラスメートは様々な反応を見せている。  登校時に男子が言っていた通り、朝倉は酷く気落ちした様子だった。香山は休み時間とあらば二見に近づき、あれこれと楽しそうに会話をしている。二見はそれに応じながらも、時折朝倉を目で追っている。  香山が二見の頭を抱きかかえたりすると、少しうろたえながらも彼はそれを受け入れていた。  それに対して女子達は憤りを見せた。「朝倉の想いを知っているはずなのに」と、明言しないまでも口々に批判した。無論、香山も含まれてはいるのだが……。 232 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 22:06:12.37 ID:1GFNWItX  かつてのクラスの中心が、冬休みを跨いだ途端にその流れが一転した。佐原はそれを笑いながら遠目に眺めていた。  一人机に俯いている朝倉。彼女の心は今、何を映しているのだろうか。  佐原は思う。事と場合によっては、より面白い見世物が生まれるかもしれないと。  周囲が彼女を憐れむ中、その隠された顔に怨恨を見る事ができたのは佐原一人だけだった。  「――結局は似た者同士なんですよ、委員長殿も朝倉さんも。二人共、今の関係が何事も無く進んで、何時かは何かの拍子で意中の人がこちらを振り向いてくれる事を期待していたんです」  夕日が富士を照らす頃、妻である忍の運転する車の助手席に乗る佐原は、未だに興奮が冷めないでいた。  「だが、朝倉という小娘は、あの小僧に常日頃、告白には至らないにしても……アプローチを掛けていたのだろう? 小僧はそれでいて小娘の好意に気が付く事もなかったのか?」  忍のもっともな質問に佐原も渋い顔をした。  「私も最初は少し驚きましたけどね。まさか、本当に二見君が朝倉さんの気持ちに感付いていなかったとは……。まぁ、それはそれで面白かったとは思いますがね。空回りし続ける乙女の恋心を見られたので」  ヒッヒッヒと笑う佐原に、忍も鼻で笑った。  「朝倉のお姉ちゃんも、いつかはお兄ちゃんを取り戻そうとするのかな?」  幸華が後部座席から顔を覗かせる。  「今回の事で二見君の存在の大きさを痛感したでしょうからね。彼女の中の恋心にタフネスがあるのなら、何かしらの行動に出る事もあるでしょうが……」  顎を撫でながら言う佐原。  「そうなったら、今度はそっちの小娘に茶々を入れるのか?」  忍の問いに佐原は苦笑した。  「そんな事をしたら、委員長殿と……真相を知った朝倉さんと二見君を一度に敵に回してしまう事になりますからねぇ……ただ傍観に徹すると思います」  それを聞いた忍が指の骨をゴキゴキと鳴らした。  「お前に害を与える輩がいるならば、私が始末してやるから安心しろ」  「ママは手加減知らずなので、できればそれは土壇場まで待って頂ければと思います」 233 :晴れのち病み 第五章:2011/03/15(火) 22:09:01.26 ID:1GFNWItX  引き笑いをする佐原の脳裏に、何時ぞやの記憶が過った。  かつて佐原を苛めていた中心的存在の不良少年達を、忍が完膚なきまでに叩き潰したあの日の事。  学校で騒ぎになるのを面倒だと思って火消しに走った日々の事。  忍に殺されかけた彼らの口止めに回った事――彼らは忍の影に怯えてか、すんなりと了承してくれた――等、笑うしかない様な日々だ。  「ママは野蛮人だからねー」  幸華がぽつりと呟いたそれに、忍のこめかみが反応を見せた。  「何かと言えばママは暴力で解決しようとするんだから……。ね? お父さん」  「こら、幸華……」  窘めようと振り向いた佐原の顔を、幸華は両手で抑え込んだ。  忍は目をギョロつかせた。幸華は身動き取れない佐原の唇に熱烈なキスを贈っていたのだ。  ただの接吻を通り越して舌まで入れているのだから、忍としては面白くない。自分を差し置いてのディープキスなんて許し難いものだ。  「……ユキカ?」  佐原は、ハンドルを握る忍の手を見た。筋肉が痙攣したのかと思う程震えている。言うまでもなく彼女は怒っていた。  「お父さん、ママが怖いよ。ママが鬼になってる。その内ツノが生えるかも」  幸華の挑発に忍がますます怒りを見せる。  「……帰ったら憶えていろ、幸華……」  腹の底から響くその声を、そっぽ向いて聞こえない振りをする佐原。その先には夕焼けの富士山が美しく映えていた。  今朝は曇っていたおかげで余計に冷えた。それが何時しか晴れて、少しだけ暖かさを感じる程度になり、今もこうして綺麗な富士を拝めている。予報によると、この天気も明日には崩れてしまうみたいで、それが残念でならなかった。  「曇りのち晴れ、晴れのち……雨ですか」  人の心は天気そのものだ。晴れの様ににこやかな時もあれば、曇り空の様に憂鬱になる事もある。雨の様に泣きだしたと思ったら、また晴れる。  何かが切っ掛けとなってそれは替わるのだ。時間か、又は人の手で、いくらでも……。  ――まるで誰かの事みたいですね。  騒がしい車の中、一人思い、そして笑う佐原であった。

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