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292 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:14:38 ID:iHY9/w9g ゆっくりと、世界が傾ぐ。 空が斜めになり、さっきまで地面だったものから離れていく。 私は、瑞希を突き飛ばし、自分も奈落へと落ちる。 そのはずだった。 聞きなれた怒鳴り声が、聞きなれない意味不明な言葉を撒き散らす。 いくつもの足音が怒涛のように迫る。 確かに地面から離れたはずの私の体が、途中で止まった。 意味不明なわめき声が呼んでいたのは、私の名前だったらしいと遅れて気づく。 「重症だ!担架を呼んで来い!」 「手を離すな!」 「限界です!」 「念のため下にマットを用意しろ!」 いくつもの聞きなれないきびきびとした声とバタバタとした足音が、背中の上で交差する。 耳元で、聞きなれた、聞きなれすぎた息音が聞こえる。 「こーた……?」 声を出すと、私の体重を支えている腕が押しつぶしている下胸部と、包丁がささっている腹部が 連動して、凄まじい痛みが私を襲った。全身から脂汗が噴出し、顔が歪む。自分のものではない ような呻き声が私の喉から漏れた。 「しゃべるな、今、引き……揚げる、から、な……!」 私の背中に押し当てられたぬくもりは、決してもう会うことはないと思っていた、こーたのもの だった。 293 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:15:14 ID:iHY9/w9g 教訓:ドラマを演じる時は、周りに気をつけるべし。 警察からの電話を受け、泣きながら悲壮な決意をして実験室を飛び出していくまでの私は、 当たり前だが、一緒にいた同期の篠原君と後輩の中浜君に行動の一部始終を見られていたのだ。 もちろん、電話でしゃべった内容も全部、聞かれていた すっかり自分の世界に入っていたのだ、と思うと笑ってしまう。 こーたは私と同じ学部ではないくせに、私の友人・知人・同期・先輩後輩に所属教官に至るまで すっかり仲良くなっていた。私の交友関係が狭いせいもあるが、あれは天性のものだろう。 よって、私の後輩である中浜君も、こーたとは仲がよかった。 おせっかいでもある彼は、私の行動にすっかり心配してしまい、こーたに電話をかけたのだ。 私が屋上からこーたに電話をしたのは、その時だった。 不振なそぶりをしていたという私からの電話は、割り込みをかけたくせに、取る間もなく切れた。 これで、こーたと中浜君の心配は最高潮に達したという。 こーたは自転車で全速力で実験棟へと向かった。信号を無視し、到着まで3分。よくも事故に 合わなかったものだ。 私が屋上へと向かったと割り出したのは篠原君と中浜君だ。 実験室から出た私がどちらへ行ったか、足音の方向から割り出し、資材搬入用のエレベーターの 階数が6階で止まっているのを見つけた。 この時点で、こーたが玄関先に到着。警察の制止に、事情を話す。警察もこの時点で、実験棟に 瑞希がいる可能性を知覚、警戒態勢をとる。何人かがこーたに同行。 エレベーターで6階に急行。二人と合流。人気がないことと、屋上への階段のロープが外され、 立ち入り禁止の看板が裏返っている不自然に気づく。 電子ロックのパスワードは、二人のうちのどちらかが知っていたのだろう。 扉を開けて、最初に目に入った光景は、外れかけた金網と、落ちそうになっている私達二人だった という。 篠原君が言うには、こーたは「キャプテン翼」の若島津のようにすっ飛んで私をキャッチしたという。 私はあまり漫画を読まないので意味がわからないが、とにかくすごかったのだろう。 すでに屋上の縁から足が離れていた私を捨て身で受け止めたこーたの体もまた、屋上の縁を越えて いた。そのこーたを、数人の警察官がつかんで、私ごと引きずり上げたのだという。 こうして、私は、生き残ってしまった。 294 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:15:50 ID:iHY9/w9g 瑞希は、実験棟の横、隣りの棟との間のコンクリートの道に落ち、即死した。 伯父と伯母の死は、被疑者死亡のまま、送検されたという。 そして、私は何の罪にも問われず、こうして、日々をおくっている。 私は真実を言わなかった。 こーたが、そう、望んだから。 あの日、屋上でこーたは泣きながら血塗れの私を抱きしめ、耳元で嘆願したのだ。 水樹までいなくならないでくれ、一人にしないでくれ、と。 そして、警察に聞こえるように、泣きながら叫んだのだ。 「なんて馬鹿なことをしたんだ、自分で瑞希を説得したかったのはわかるけど、無謀だってわから  なかったのか……!」 そう、確かに私が瑞希に刺されたのは事実だ。 でも、私が屋上に呼び出した行動には疑問が残るかもしれない。結局は、私も落ちるところだった とはいえ、瑞希は死んでいる。ここは私の行動区域で、金網が外れたのも不自然だ。 だから、私に疑いがかかる可能性は、まだ残っていた。 いや、疑いもなにも……事実、私は瑞希を殺そうとしていたのだから、当然の帰結なのだ。 だから、私には、自分の行動を理屈にあうように正当化する必要があった。 瑞希を屋上に呼んだ理由は、『警察に自首するよう瑞希を説得するため、そして、信じられなくて 自分で彼女を問いただしたかった、そんな浅はかな気持ちから』だと。 そして、一連の行動は、『瑞希に刺され、金網に追い詰められたところで逃げようとしてなんとか 体勢を入れ替えたところ、金網が外れて二人とも体勢を崩し、落ちそうになってしまった』と。 その過程で、金網が緩んでいたのは、大学の管理のせいになってしまった。……本当に胸が痛む。 295 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:16:27 ID:iHY9/w9g 実は、これに関しては、不思議なことがあった。 藤堂先輩……私と瑞希がエントランスで揉み合っていた時に助けてくれ、警察に通報してくれた 先輩……が私の言に沿った証言をしてくれたのだ。 数ヶ月ほど前にあった、ポスドクの自殺未遂騒ぎの名残かもしれないと。 そのポスドクは、皆に見つかる前に、何かしていたようだから、金網を外して死のうとしたのかも しれないと。 しかし、私はそれが嘘であることを知っている。なぜなら、私がボルトを緩めるまで、それは しっかりしまっていたのだから。 藤堂先輩が、何故嘘をついたのか。ただ単に、助けてくれただけなのか。私は、その理由が聞けず、 先輩も、語らなかった。 信じてもらえるかは、賭けだったが、拍子抜けするほどにあっさりと警察は私達の言うことを信じた。 前の事件の存在、私とこーたが白石夫妻殺人事件に無関係であったこと、警察に終始協力的だった こと、事件直後の状況などから、私達は巻き込まれただけの被害者であると判断された。 そして、伯父と伯母を殺したのが『高崎瑞希』である……少なくとも『生きている方』ではないこと も、確定した。 瑞希の手鞄の中から、二人を殺した毒物を入れた小瓶が見つかったのだ。 その手鞄及び小瓶についていた指紋は一種類であり、『生きている方』のものとは違っていたのだ という。 一卵性双生児はDNAの螺旋にいたるまで、同じなくせに、指紋だけは少し違ってくるのだと、 初めて知った。それは、とても悲しい事実で、恐ろしい真実だった。 296 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:17:05 ID:iHY9/w9g 私は間違っていた。瑞希もきっと、間違っていた。 私達はもうすっかり別人で、同じ人間ではなくなっていたのだ。いや、生まれたときから別人 だったのだ。 私は間違っていた。 私にも、瑞希にも、相手を殺す権利などなかったのだ。 どうして私達は、分かたれてしまったのだろう。母の中で、ミクロの卵として生を受けた一瞬は 私達は一つだったはずなのに。 私は間違っていた。 私の鏡に映るのは瑞希などではない、最初から私だったのだ。 私は間違っていた。 謝っても届かない。話しかけても応えない。永遠に赦されることはない。 瑞希は、私を憎んでいるだろうか。それもわからない。 私達は、違う人間だから。瑞希の気持ちを知ることは、できないのだ。 私は間違っていた。間違っていた、間違っていた! だから私は、自分ではなく『妹』を殺した罪を背負い、アベルを殺したカインのように放浪するの だろう。 永劫に。 297 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:17:37 ID:iHY9/w9g それが私の、最後に与えられた、罰。 それは絶望であり……希望でもあるのかも、しれない。 罰は、罰のためだけにあるのではない。その罪から人の心を救うために与えられた、赦しでも あるのだから。 298 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:18:11 ID:iHY9/w9g 秋が過ぎ、冬が過ぎていく。 私は大学を辞めることにした。先生は惜しんでくれ、就職の推薦をしてくれた。 明日から、私はこの家を出て行く。そして、こーたにはもう、なるべく会わないつもりだ。 法では裁かれなかったが、私の罪は消えない。でも、死ぬことも許されない。 あの日、浩太が私に言ったように、私の死はこーたを一人ぼっちにする。 こーたのために瑞希と水樹を殺すという私の決意は、間違いだったのだ。それは、やはりこーたを 傷つけることになる。両親を亡くした今、こーたには肉親の……姉の存在が必要なのだ。 でも、私がこーたの側にいれば、こーたをいつか傷つけてしまう。こーたに恋人ができることを、 私はきっと許せないから。 だから、離れる。姉弟が離れることなんて、世間にはよくあることだ。進学、就職。私達だって、 一度は私の進学で離れたのだ。 こーたに会えないことは、地獄の苦しみだろう。一生、彼の面影を抱き、時折耳に入る近況に焦がれ、 魂を削ってのたうちまわり、血反吐を吐くような思いで生きるだろう。 それが私の罰なのだ。 でも、それでもいい。こーたを傷つけないことが、私にできる最後の償い、最後の赦しなのだから。 299 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:18:43 ID:iHY9/w9g 荷造りが終わった。 手伝ってくれたこーたが、いつの間にかソファーで眠っている。一休みのつもりが、本格的に 眠ってしまったのだろう。くすりと笑い、部屋から毛布を持ってきて、かける。 こーたの前に座って、頬を撫ぜた。 明日、私は出て行く。もう、こーたには、なるべく会わない。お姉さんはお仕事で忙しくて 弟には会えないのだ。 最初は頻繁に連絡をとるだろう。でも、そのうちお互いの生活が忙しくなり、新たな交友関係が できて、そちらにかかりきりになる。 頻繁だった連絡は、週に一回、月に一回になり、最後には年に数回になって、年賀状だけのやり取り になる。もう、私達には帰る実家もないのだから、会うとしたら、お盆の墓参りで、いつかこーたは 奥さんと子供を連れてくるようになる。私は数時間だけ一緒に過ごして、仕事が忙しいからすぐに 帰るだろう。次の年は仕事が忙しいからと別の日にする。あまり避けていては変だから、数年に一回 は一緒にすごして、その繰り返し。私のほうが年上だから、私が先に死ぬだろう。その時はきっと、 こーたが喪主をしてくれて……それで、おしまい。 涙が後から後から頬を伝った。全部納得して、決めた。迷いなどない。でも、悲しい。そうしたく ないと思う自分が、どうしても消せない。 こーた。 どうして私達、姉弟だったのかな。 どうして私達、それを知らずに別々に育ったのかな。 どうして私、あなたに恋をしてしまったのだろう。 本当は、もっと一緒にいたかった。一緒に生きられるならば、世界全てを敵に回してもよかった。 守りたいという気持は嘘じゃなかったけど、全部が本当でもなかった。 本当は、全てを壊してもあなたを手に入れたかった。私を壊しても、あなたの側にいられるの ならばよかった。それだけでよかった。それだけが望みだったのに。 300 :合わせ鏡 ◆GGVULrPJKw [sage] :2008/01/31(木) 00:19:26 ID:iHY9/w9g でも、あなただけは壊したくない。 だから、もうこれでおしまい。 こーたの手を握りしめる。だらんとした手をぎゅっと握り締める。 やすらかな寝顔を見つめる。規則的な寝息に聞き惚れる。 明日から、私は姉ではなくなる。だから、最後だから……。 私は、ゆっくりと顔を近づけ、キスをした。 初めて触れる浩太の唇は、柔らかくて、少しかさついていた。 瞬間、私の腕が強い力で引き寄せられた。

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