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恋の病はカチカチ山をも焦がす第一話」(2008/02/16 (土) 19:02:25) の最新版変更点

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418 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:16:58 ID:hsHjATE+  その山に住んでいる狸は決して不細工ではなかった。  ただ、欠点があるとするならば何処と無く人に不安感と不快感を覚えさせることは確かだった。  例えば、何時もおびえたようにビクビクしてた。  また、上擦った声で、追われているのか脅されていているのか解らない様子で捲し立て、相手が欠伸一つして呆れた目で見つめられたならばそのまま押し黙ってしまう。  あるいは、歩いている姿など不安定で苛々させては蹴り飛ばされる。  それは散々であった。  そんなわけだから、狸は穴倉から出ずに本を読み、レコードを眺めながら音楽にうっとりしては自分の孤独に嘆くことを喜びとしていた。  相変わらず穴倉で狸が音楽を聴きながら、数少ない喜びの時間に浸っていると、一匹の兎が穴倉にやってくる。  この兎は大層美人であった。肌は雪のように白くてみずみずしく、身体の均衡も取れており、顔立ちも目がぱっちりしており切れ長で、漆黒の髪がますますその美しさを演出する。動物の誰もがあの娘を抱けたらいいのになあ、と思いながら羨望の目で眺めていたのは確かだった。  しかし問題はその性格の悪さであった。  この娘は人の前ではにこにこしながら愛想良く過ごしてはいたものの、狸の前ではその残虐性を顕わにしていた。 419 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:18:23 ID:hsHjATE+  狸が終始びくびくしていたのはこの娘のせいもあったかもしれない。  しかし、何時もの狸のことだ、きっと狸がまた悪さをしたに違いない、  と動物達は同情を寄せてくれないどころか、むしろあのような美人の娘に構って貰えるのだから、  世の中というのは不条理であり詰まらぬものである、と溜息を尽き、  ある動物なんかは狸に受ける様々な虐めに被虐的な快楽を見出しては身を震わせている奴までいる始末。  こんな調子であるわけだから、狸の風当たりが強くなるのは目に見えた話である。 「狸さん、おはようございます」  そのように溌剌とした声で狸に挨拶をする。  狸は飛びあがらんほどに驚き、その姿を確認する。  兎はくりくりとした瞳で見なれた穴倉を見渡す。  狸はまたこれから何が起きるのか、びくびくしながら横目で見ていた。  こう何度もあってはもう諦めが付いており、ただただ肩を下げるだけだった。 「で、今日はなんのようなんだ」  溜息交じりに語る狸。 「いえいえ、狸さんは独身でしょうから、栄養が整った食事などされてないでしょうから、私が手料理を持ってきたのです」  狸は一瞬、おや、この子にしては珍しい気遣いだな、と感謝したのだが、それを期待した自分が馬鹿だったと後悔する。  兎が取り出した豪華な重箱からは異臭が立ち込めていて、非常に不安にさせた。 420 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:20:04 ID:hsHjATE+ 「あの、兎さん、あの……」  狸は重箱と兎の顔を交互に見ながら、口をぱくぱくさせていた。  兎は笑みを崩さず、重箱を開ける。  一体、この料理は何だろうか?  鵺みたいにあらゆる物が分離合体し、  元の材料が何だったのか、  そもそも何の料理だったのかわからなくなっていた。  狸は念の為に、震える箸で料理に手をつける。  持ち上げた芋状の何かは無残にもぼろぼろと力なく崩れていく。 「いや、その、兎さん、なぜ私にわざわざ食べさせようとするのですか?  兎さんのような美貌を持ってすれば、 男なんてよりどりみどりで御座いませんか。  そして最も愛するような男性に手料理を食べさせればいいではありませんか、  違いますか?」  そのように哀願するような顔で兎に語る。  兎は耳をピンと伸ばし、すました顔で述べる。 「確かにその通りですよ、狸さん。まず第一に、私にふさわしい人がおりませんし、愛する男性もおりませんしね。  それに狸さんがこの役目には一番よろしいかと思われるのですよ。何故なら、下手な男性に試食を頼んで  殺人罪にも問われたりしたら、私の身柄が危険ですからね」  そう笑いながら兎をくすくすと笑う。 421 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:21:19 ID:hsHjATE+  狸はぎょろりとした目を向けながら  ――なるほど、この少女に料理が下手だという自覚は一応あるのか――  と思う。  「万が一、残したとするならば、狸さんが私の料理をまずいといって食べてくれないのです、   と周囲の動物に泣きついたりしますので、その覚悟で挑んでくださいね」  狸は自らの不運を嘆いた。  全く、碌な動物に掴まれたもんじゃないな、と天を仰ぐ。  狸は目を瞑り、一心不乱に料理を書きこむ。 「それでは味も解らないでしょう?もうちょっと味わって食べたほうがいいと思いますよ」  狸は、ああ、味など解らなければいいのに、と思う。  狸の表情がみるみるうちに青ざめていく。  味を跳ね除けたあとは触感である。  ねちゃねちゃとまとわり付き、歯茎の間から満遍なく染み渡りそうな、不愉快な感触が口に広がる。  狸は箸を握り締めぐっと耐えていた。脂汗があとからあとから滲み出てくる。  兎はそれを見て満足そうに、まだ残ってますよといわんばかりに料理を勧めるのであった。  狸は完食し終わるとそのまま床に倒れ、泡を吹いてしまった。 422 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:23:25 ID:hsHjATE+   ***    狸はニ三日後によろよろと置きあがり、目の前にある重箱を見て、涙した。  何故、自分がこのような目に会わなければならないのか。  確かに兎は美人だ。だがこの仕打ちはあるまい。  俺はただただ、誰からも放っておかえるような  、気の楽な人生を送りたかったに過ぎない。  それが、あいつのわがままで全て台無しにされていく。  自分が気に入ったレコードのどれだけが割られ、書籍は破られたことか。  そのようにぽろりぽろりと愚痴っていると、狸はふと空腹感を覚えた。  仕方が無い。  何か食料でも探しに行くか。  胸が相変わらずむかむかするけれども、背に腹は代えられぬというわけで、いそいそと外へ出た。  腹が減っては戦が出来ぬ。  空腹は感性というものを著しく低下させてしまう。 423 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:26:41 ID:hsHjATE+  事実、この狸の場合もそうだった。  普段であるならば、  ふん、こんな罠には引っかかる動物が何処にいるのだ、  と鼻で笑って通りすぎていくような稚拙な罠だったのだが、  兎の料理の為か、それともその空腹の為か、あっけなく引っかかってしまう。  狸はこのような不運を呪った。ああ、なんたる惨めな人生なのか。  小娘には言いように扱われ、  動物達からは阿呆だの馬鹿だの罵られ、  挙句の果てに罠に掴まり鍋へと放りこまれ、  人間の腹で栄養となって死ぬ。  ああ、何故自分は生まれてきたのか。狸は自らを罵った。  暫くするとお爺さんが現れた。恐らく罠を仕掛けた張本人なのだろう、今日の獲物に満足げの様子であった。   ***    狸は力も無くうなだれていた。  狸は縄でぐるぐる巻きにされ、柱に括りつけられていた。  狸はぽつりぽつりと涙をした。 424 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:27:55 ID:hsHjATE+  その様子を見ていた独りの娘がいた。  この狸を捕らえたお爺さんの娘であり、  着物のよく似合うおしとやかで清楚な美人であった。 「狸さん、狸さん、そんなに何を泣いているの?」  狸はその娘が何者かを知らずに自分の一身の不幸を訴え続けた。 「俺はよう、俺はよう、今の今まで一生懸命生きてきたんだよお、  せめて誰にも迷惑をかけないように、皆のためをおもって頑張って生きてきたのによう、  いまじゃあこんなありさまだ。俺は不細工だし身なりは汚いしよお、  神様か仏様かしらねえけどよお、俺みたいな奴は早く死んでしまえという思し召しなんだよお、  それが憎くて憎くてよお」  狸は留まることを知らなかった。娘はただにっこりと聞いていた。  娘の胸のうちには同情もあったかもしれない。 「狸さん、そんなに悲しまずに。貴方は全然不細工でも小汚くもありませんよ」 「嘘だ、嘘だ、娘さんはそうやって俺を騙そうとするのだ」  娘はクスクスと笑うと、柱へと向かい、するするとその結び目を解いてしまった。  縄は緩やかになり、狸の足元にはあれほど苦しめてきた縄が力もなく横たわっていた。 425 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:29:40 ID:hsHjATE+  狸は周囲を見渡して呆気に取られてしまった。 「な、なあ、俺が性の悪い狸だと知っていて、こんなことをするのか?」  娘はまた笑って答える。 「悪い狸ならば、縄が解けた途端に逃げ出していると思いますよ」  狸は娘のひざで泣き出し始めた。  娘は、狸の頭を少し撫でてあげると、もう行かなければお爺さんが帰ってきますよ、と優しく諭してあげた。  狸は顔を上げ、少し頭を下げると一目散に家へとかけていく。  家はぐんぐんと離れ、何時の間にか小さくなっていた。  もう、ここまでくれば安心だろうと木陰に因りかかり、あの美しい娘のことを思い出していた。  娘のことを思い浮かべると何やら鼓動が早くなり顔のあたりに火照りを感じるようになっていた。  最初は、余りにも走りすぎていたが故のことだ、思い違いだと頭を振ったのだったが、何時しかそれは確信に変わっていった。  それはつまり――ああ、俺はあの子に恋をしているのだな――と狸は確信した。  狸はそれからというものの、人目を盗んでは家へと向かった。  そしてその娘を陰で見送り、こっそりと玄関に柿や栗の実を落とすことしか出来なかった。 426 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:31:17 ID:hsHjATE+   ***    兎は何時ものように狸を虐めてやろう、今日はどのように虐めてやろうかなどと思案をしながら穴倉へと向かっていた。  すると、穴倉の外で何やら肩を落とし、溜息ばかりついている狸の姿が見えた。  兎はなにやら変に思えた。  というのは、何時もならばもう少し肩をびくびくさせて、  今日はどうしよう、明日はどうしようと  きょろきょろと見まわしている筈だったからだ。  今の狸の様子は肩の力が抜け、なんだかぼんやりとしている様子だった。  それが気に食わない兎は後ろから固い枝でぽかりとやった。  狸は頭を抱えて振り向き、力なさそうに溜息をついた。 「ああ、なんだ、君か――はぁ」  反応が余り無い狸を見て、面白くなさそうに枝を投げ捨て、改めて聞く。 「狸さん、何か落ちこむようなことでもあったのですか?」  狸はあの調子で、はぁ、と溜息をつくと頭を振って答えた。 「いやいや、ある娘に惚れてしまったようなのだよ、兎さん。恥ずかしいことだ」  兎は笑い転げた。  狸は何がそんなにおかしいんだ、と少し苛立ちげの表情を浮かべた。 427 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:32:41 ID:hsHjATE+  兎は笑いを抑えながら、狸にこのように述べる。 「あははは、まさか、まさか貴方が恋をするなんて、  これほど滑稽な話はございませんよ、  貴方の何処にその恋が実るような要素があるというのですか、  それこそ馬鹿げた話ですよ、あははは、死んでしまう、死んでしまう」  腹を抱えて笑う兎を、狸は恨めしそうに眺めていた。  確かに、俺みたいな男が、あのような器量の良い娘に好かれるということは殆ど無いだろうことは間違いが無い。  むしろ逆に恐怖を覚えられ、お爺さんに告げ口でもされようものならば、  彼の人生は瞬く間に終わってしまうであろうことは事実であった。  しかし、狸にとって、もはや娘にそのような虐げられ方をされようとも、  娘無しにこの人生はありえず、拒絶されたとするならば、  惨めに死んでいくのも構わないとまでに思いつめていた。  狸はすくと立ちあがると泣くのを止めて走っていった。 428 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:35:40 ID:hsHjATE+  その姿を見て兎は呆気に取られていたが、狸の姿が彼方に消え去ると、  先ほどの嘲笑うような表情とはうってかわり、唇をかみ締め、わなわなと震えて、呟いた。 「あんな女の何がいいというのだろう……  私が、私が、誰からも相手にされない貴方のことを構ってあげていたのに、  少しかわいい女が現れたらすぐころりといってしまう……  あんな女の傍へ行った所で、惨めに振られるか捨てられるかだけなのに・……  今なら頭を下げて私のところに戻ってくれば、百倍も虐めてあげるのに……  一生一生、五体が動かなくなっても一生虐めてあげるのに」  兎は何やらくすくすと笑う。兎の笑みは何処となく歪んでいた。 「そんなことも理解できない狸には少々きついお灸を添える必要があるみたいですね」  狸の居なくなったこの場所に用はない。  兎はその場を離れた。
418 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:16:58 ID:hsHjATE+  その山に住んでいる狸は決して不細工ではなかった。  ただ、欠点があるとするならば何処と無く人に不安感と不快感を覚えさせることは確かだった。  例えば、何時もおびえたようにビクビクしてた。  また、上擦った声で、追われているのか脅されていているのか解らない様子で捲し立て、相手が欠伸一つして呆れた目で見つめられたならばそのまま押し黙ってしまう。  あるいは、歩いている姿など不安定で苛々させては蹴り飛ばされる。  それは散々であった。  そんなわけだから、狸は穴倉から出ずに本を読み、レコードを眺めながら音楽にうっとりしては自分の孤独に嘆くことを喜びとしていた。  相変わらず穴倉で狸が音楽を聴きながら、数少ない喜びの時間に浸っていると、一匹の兎が穴倉にやってくる。  この兎は大層美人であった。肌は雪のように白くてみずみずしく、身体の均衡も取れており、顔立ちも目がぱっちりしており切れ長で、漆黒の髪がますますその美しさを演出する。動物の誰もがあの娘を抱けたらいいのになあ、と思いながら羨望の目で眺めていたのは確かだった。  しかし問題はその性格の悪さであった。  この娘は人の前ではにこにこしながら愛想良く過ごしてはいたものの、狸の前ではその残虐性を顕わにしていた。 419 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:18:23 ID:hsHjATE+  狸が終始びくびくしていたのはこの娘のせいもあったかもしれない。  しかし、何時もの狸のことだ、きっと狸がまた悪さをしたに違いない、  と動物達は同情を寄せてくれないどころか、むしろあのような美人の娘に構って貰えるのだから、  世の中というのは不条理であり詰まらぬものである、と溜息を尽き、  ある動物なんかは狸に受ける様々な虐めに被虐的な快楽を見出しては身を震わせている奴までいる始末。  こんな調子であるわけだから、狸の風当たりが強くなるのは目に見えた話である。 「狸さん、おはようございます」  そのように溌剌とした声で狸に挨拶をする。  狸は飛びあがらんほどに驚き、その姿を確認する。  兎はくりくりとした瞳で見なれた穴倉を見渡す。  狸はまたこれから何が起きるのか、びくびくしながら横目で見ていた。  こう何度もあってはもう諦めが付いており、ただただ肩を下げるだけだった。 「で、今日はなんのようなんだ」  溜息交じりに語る狸。 「いえいえ、狸さんは独身でしょうから、栄養が整った食事などされてないでしょうから、私が手料理を持ってきたのです」  狸は一瞬、おや、この子にしては珍しい気遣いだな、と感謝したのだが、それを期待した自分が馬鹿だったと後悔する。  兎が取り出した豪華な重箱からは異臭が立ち込めていて、非常に不安にさせた。 420 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:20:04 ID:hsHjATE+ 「あの、兎さん、あの……」  狸は重箱と兎の顔を交互に見ながら、口をぱくぱくさせていた。  兎は笑みを崩さず、重箱を開ける。  一体、この料理は何だろうか?  鵺みたいにあらゆる物が分離合体し、  元の材料が何だったのか、  そもそも何の料理だったのかわからなくなっていた。  狸は念の為に、震える箸で料理に手をつける。  持ち上げた芋状の何かは無残にもぼろぼろと力なく崩れていく。 「いや、その、兎さん、なぜ私にわざわざ食べさせようとするのですか?  兎さんのような美貌を持ってすれば、 男なんてよりどりみどりで御座いませんか。  そして最も愛するような男性に手料理を食べさせればいいではありませんか、  違いますか?」  そのように哀願するような顔で兎に語る。  兎は耳をピンと伸ばし、すました顔で述べる。 「確かにその通りですよ、狸さん。まず第一に、私にふさわしい人がおりませんし、愛する男性もおりませんしね。  それに狸さんがこの役目には一番よろしいかと思われるのですよ。何故なら、下手な男性に試食を頼んで  殺人罪にも問われたりしたら、私の身柄が危険ですからね」  そう笑いながら兎をくすくすと笑う。 421 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:21:19 ID:hsHjATE+  狸はぎょろりとした目を向けながら  ――なるほど、この少女に料理が下手だという自覚は一応あるのか――  と思う。  「万が一、残したとするならば、狸さんが私の料理をまずいといって食べてくれないのです、   と周囲の動物に泣きついたりしますので、その覚悟で挑んでくださいね」  狸は自らの不運を嘆いた。  全く、碌な動物に掴まれたもんじゃないな、と天を仰ぐ。  狸は目を瞑り、一心不乱に料理を書きこむ。 「それでは味も解らないでしょう?もうちょっと味わって食べたほうがいいと思いますよ」  狸は、ああ、味など解らなければいいのに、と思う。  狸の表情がみるみるうちに青ざめていく。  味を跳ね除けたあとは触感である。  ねちゃねちゃとまとわり付き、歯茎の間から満遍なく染み渡りそうな、不愉快な感触が口に広がる。  狸は箸を握り締めぐっと耐えていた。脂汗があとからあとから滲み出てくる。  兎はそれを見て満足そうに、まだ残ってますよといわんばかりに料理を勧めるのであった。  狸は完食し終わるとそのまま床に倒れ、泡を吹いてしまった。 422 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:23:25 ID:hsHjATE+      狸はニ三日後によろよろと置きあがり、目の前にある重箱を見て、涙した。  何故、自分がこのような目に会わなければならないのか。  確かに兎は美人だ。だがこの仕打ちはあるまい。  俺はただただ、誰からも放っておかえるような  、気の楽な人生を送りたかったに過ぎない。  それが、あいつのわがままで全て台無しにされていく。  自分が気に入ったレコードのどれだけが割られ、書籍は破られたことか。  そのようにぽろりぽろりと愚痴っていると、狸はふと空腹感を覚えた。  仕方が無い。  何か食料でも探しに行くか。  胸が相変わらずむかむかするけれども、背に腹は代えられぬというわけで、いそいそと外へ出た。  腹が減っては戦が出来ぬ。  空腹は感性というものを著しく低下させてしまう。 423 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:26:41 ID:hsHjATE+  事実、この狸の場合もそうだった。  普段であるならば、  ふん、こんな罠には引っかかる動物が何処にいるのだ、  と鼻で笑って通りすぎていくような稚拙な罠だったのだが、  兎の料理の為か、それともその空腹の為か、あっけなく引っかかってしまう。  狸はこのような不運を呪った。ああ、なんたる惨めな人生なのか。  小娘には言いように扱われ、  動物達からは阿呆だの馬鹿だの罵られ、  挙句の果てに罠に掴まり鍋へと放りこまれ、  人間の腹で栄養となって死ぬ。  ああ、何故自分は生まれてきたのか。狸は自らを罵った。  暫くするとお爺さんが現れた。恐らく罠を仕掛けた張本人なのだろう、今日の獲物に満足げの様子であった。      狸は力も無くうなだれていた。  狸は縄でぐるぐる巻きにされ、柱に括りつけられていた。  狸はぽつりぽつりと涙をした。 424 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:27:55 ID:hsHjATE+  その様子を見ていた独りの娘がいた。  この狸を捕らえたお爺さんの娘であり、  着物のよく似合うおしとやかで清楚な美人であった。 「狸さん、狸さん、そんなに何を泣いているの?」  狸はその娘が何者かを知らずに自分の一身の不幸を訴え続けた。 「俺はよう、俺はよう、今の今まで一生懸命生きてきたんだよお、  せめて誰にも迷惑をかけないように、皆のためをおもって頑張って生きてきたのによう、  いまじゃあこんなありさまだ。俺は不細工だし身なりは汚いしよお、  神様か仏様かしらねえけどよお、俺みたいな奴は早く死んでしまえという思し召しなんだよお、  それが憎くて憎くてよお」  狸は留まることを知らなかった。娘はただにっこりと聞いていた。  娘の胸のうちには同情もあったかもしれない。 「狸さん、そんなに悲しまずに。貴方は全然不細工でも小汚くもありませんよ」 「嘘だ、嘘だ、娘さんはそうやって俺を騙そうとするのだ」  娘はクスクスと笑うと、柱へと向かい、するするとその結び目を解いてしまった。  縄は緩やかになり、狸の足元にはあれほど苦しめてきた縄が力もなく横たわっていた。 425 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:29:40 ID:hsHjATE+  狸は周囲を見渡して呆気に取られてしまった。 「な、なあ、俺が性の悪い狸だと知っていて、こんなことをするのか?」  娘はまた笑って答える。 「悪い狸ならば、縄が解けた途端に逃げ出していると思いますよ」  狸は娘のひざで泣き出し始めた。  娘は、狸の頭を少し撫でてあげると、もう行かなければお爺さんが帰ってきますよ、と優しく諭してあげた。  狸は顔を上げ、少し頭を下げると一目散に家へとかけていく。  家はぐんぐんと離れ、何時の間にか小さくなっていた。  もう、ここまでくれば安心だろうと木陰に因りかかり、あの美しい娘のことを思い出していた。  娘のことを思い浮かべると何やら鼓動が早くなり顔のあたりに火照りを感じるようになっていた。  最初は、余りにも走りすぎていたが故のことだ、思い違いだと頭を振ったのだったが、何時しかそれは確信に変わっていった。  それはつまり――ああ、俺はあの子に恋をしているのだな――と狸は確信した。  狸はそれからというものの、人目を盗んでは家へと向かった。  そしてその娘を陰で見送り、こっそりと玄関に柿や栗の実を落とすことしか出来なかった。 426 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:31:17 ID:hsHjATE+      兎は何時ものように狸を虐めてやろう、今日はどのように虐めてやろうかなどと思案をしながら穴倉へと向かっていた。  すると、穴倉の外で何やら肩を落とし、溜息ばかりついている狸の姿が見えた。  兎はなにやら変に思えた。  というのは、何時もならばもう少し肩をびくびくさせて、  今日はどうしよう、明日はどうしようと  きょろきょろと見まわしている筈だったからだ。  今の狸の様子は肩の力が抜け、なんだかぼんやりとしている様子だった。  それが気に食わない兎は後ろから固い枝でぽかりとやった。  狸は頭を抱えて振り向き、力なさそうに溜息をついた。 「ああ、なんだ、君か――はぁ」  反応が余り無い狸を見て、面白くなさそうに枝を投げ捨て、改めて聞く。 「狸さん、何か落ちこむようなことでもあったのですか?」  狸はあの調子で、はぁ、と溜息をつくと頭を振って答えた。 「いやいや、ある娘に惚れてしまったようなのだよ、兎さん。恥ずかしいことだ」  兎は笑い転げた。  狸は何がそんなにおかしいんだ、と少し苛立ちげの表情を浮かべた。 427 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:32:41 ID:hsHjATE+  兎は笑いを抑えながら、狸にこのように述べる。 「あははは、まさか、まさか貴方が恋をするなんて、  これほど滑稽な話はございませんよ、  貴方の何処にその恋が実るような要素があるというのですか、  それこそ馬鹿げた話ですよ、あははは、死んでしまう、死んでしまう」  腹を抱えて笑う兎を、狸は恨めしそうに眺めていた。  確かに、俺みたいな男が、あのような器量の良い娘に好かれるということは殆ど無いだろうことは間違いが無い。  むしろ逆に恐怖を覚えられ、お爺さんに告げ口でもされようものならば、  彼の人生は瞬く間に終わってしまうであろうことは事実であった。  しかし、狸にとって、もはや娘にそのような虐げられ方をされようとも、  娘無しにこの人生はありえず、拒絶されたとするならば、  惨めに死んでいくのも構わないとまでに思いつめていた。  狸はすくと立ちあがると泣くのを止めて走っていった。 428 :恋の病はカチカチ山をも焦がす [sage] :2008/02/08(金) 07:35:40 ID:hsHjATE+  その姿を見て兎は呆気に取られていたが、狸の姿が彼方に消え去ると、  先ほどの嘲笑うような表情とはうってかわり、唇をかみ締め、わなわなと震えて、呟いた。 「あんな女の何がいいというのだろう……  私が、私が、誰からも相手にされない貴方のことを構ってあげていたのに、  少しかわいい女が現れたらすぐころりといってしまう……  あんな女の傍へ行った所で、惨めに振られるか捨てられるかだけなのに・……  今なら頭を下げて私のところに戻ってくれば、百倍も虐めてあげるのに……  一生一生、五体が動かなくなっても一生虐めてあげるのに」  兎は何やらくすくすと笑う。兎の笑みは何処となく歪んでいた。 「そんなことも理解できない狸には少々きついお灸を添える必要があるみたいですね」  狸の居なくなったこの場所に用はない。  兎はその場を離れた。

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