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199 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:48:28 ID:f6Z.ygSk 「一度だけ…」それが彼女の口癖で、何かとこの「一度だけ…」を強調して話す、いや、交渉すると言った方が正しいかもしれない。 この他にも「試しに…」や「…してみないと」と言った具合に様々な口癖があり、これほど約束性や信頼性が薄いものは無い。 もしかしたら、彼と付き合えた事に味を占めてるのかもしれないし、そうして自分を良いように正当化させているのかもしれない。 ただ今は、この扉の向こうから聞こえてくる「一度だけ……一度だけ」という彼女の声に耳を傾けてはいけないし従ってもいけないのだ。 「あの…告白の返事、考えてくれました?」 昼休みが始まるや否や彼の前に彼女はわざわざ隣のクラスから尋ねに来たのだ。告白から一週間、暇さえあれば昼休みや放課後は勿論、HR前や休み時間にも来ては僕の返事を待つ光景にクラスメイトも次第に興味を失い、ああ、また来たなと位にしか思わなくなっていった。 特に彼女に不満があるわけではないし彼女が欲しくないわけでもないがこうも朝から夕方まで催促されると何か裏があるのではと勘繰ってしまい今だに考えあぐねているところである。 「ごめん。まだ考えてる。」 お決まりのこの答えに横にいる友人も呆れ顔で正面にいる彼女は悲しそうで、僕自身申し訳なく思っているのだが内心、何て優柔不断な男なのだと失望して諦めてくれないかとも願ってもいるが口が裂けても言いたくない。 「そっか。じゃあ、また放課後来ますね。」 そうかと思えば彼女は暖かい笑みで言うものだから益々女心は分からないものだと感じた。後腐れもなく去る彼女、橘 百草(たちばな もぐさ)は男女分け隔てなく接するせいか人望を集め、人気もあるらしい。 彼の友人も勿体ないだの早く付き合えだのと小煩く、それもまた、その彼女の性質がそう言わせているのだろうなぁと購買部で買った惣菜パン片手にしみじみと思う。 201 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:53:19 ID:f6Z.ygSk 「ねぇ菅野君……一度一緒に帰りませんか?」 放課後になると予告通り百草は来たが彼女の頬は少しばかり赤く、髪も梳かしたようで艶っぽかった。 「今日は友達と帰らないの?」 返事はせず、質問を質問で返してしまったが彼女は気にせずに答えてくれる。 「うん。今日は菅野君と歩きたくて……菅野君、峰方面だよね?」 うんと頷くと彼女は「私も」とはにかむ。 この時になると頼りの友人は姿を消し、逃げの手はなく、否応なく頷くしか無かった。 帰り道、百草はやれ好物は何、やれ趣味は何としきりに話しかけてくるものだから答えない訳にもいかない。答える度に彼女は嬉しそうに笑い、自分のことを知ってもらおうと答え返す。 「一度付き合ってみませんか?」 あまりに唐突だった。向かい合い、両手を握られ出た言葉はお願いに近いもの。 「そうしましょ。一度付き合ってみて駄目だったら別れればいいんですよ。そうすれば、お互いに利害は五分五分ですし。」 思えばあの時から彼女は狂っていたのかもしれない。しかし、彼女の言葉には不思議な魅力が帯びていて、少なからず僕はその言葉を信じてみようと、駄目なら別れればいいのだと、だから納得してしまって、頷いてしまった。 「ねぇ、ナオ君。試しにちょこっと開けてみてよ。何もしないから。ね?ちょこっと……ね!ナオ君の顔、見たいから。一度だけで良いから。一度だけ。」 扉の前まで行くと無意識にドアノブを回していた。それと同時に向こう側から扉を引っ張られたがガチッとチェーンが音をたて少しばかり開く。すかさず、その隙間に足を挟め、彼女は身を乗り出し直人を見つめた。 「ナオ君、久しぶり。あのさ、イキナリであれなんだけど手繋ぎたいな。大丈夫。何もしないから、ね?一度だけ。一度だけだから。」 202 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:55:39 ID:f6Z.ygSk 思えばあの時から彼女は狂っていたのかもしれない。しかし、彼女の言葉には不思議な魅力が帯びていて、少なからず僕はその言葉を信じてみようと、駄目なら別れればいいのだと、だから納得してしまって、頷いてしまった。 「ねぇ、ナオ君。試しにちょこっと開けてみてよ。何もしないから。ね?ちょこっと……ね!ナオ君の顔、見たいから。一度だけで良いから。一度だけ。」 扉の前まで行くと無意識にドアノブを回していた。それと同時に向こう側から扉を引っ張られたがガチッとチェーンが音をたて少しばかり開く。すかさず、その隙間に足を挟め、彼女は身を乗り出し直人を見つめた。 「ナオ君、久しぶり。あのさ、イキナリであれなんだけど手繋ぎたいな。大丈夫。何もしないから、ね?一度だけ。一度だけだから。」 付き合いだしてからは彼女はみるみる変わっていった。二人とも一人暮らしで住まいも近所である理由から百草はわざわざ彼の部屋に訪れ朝食を作るようになるが、それだけでなく昼食は勿論、夕食も一緒に食べるようになった。その時の言い訳も「一度一緒にご飯を食べてみたかった」からと「夫婦生活を送りたかった」らしいがいつの間にか「一人分作るのも二人分作るのも一緒だから」になり「二人分作る方が食費とか光熱費とかが安くなるから」と変化していく。 そうして、いつの間にか機会から責任に、責任から義務へと変わり、義務から必然に変わる。 直人自身、一緒に食事することに抵抗がなくなり、何時しか楽しみになっていった。それは百草にとってどんなに喜ばしいことか、彼が料理を口に入れる度に彼女の中で次第に渦巻いていく欲情と恋情は遂に理性を飲み込み始める。 「そろそろさ、次の段階に進んで良いんじゃないかな?」 百草の言葉で直人は目を醒ます。友達の少ない彼にとって彼女の存在は大きく、一緒に居て、確かに楽しかったのだがそれより先に進みたいとは思わなかった。 「その事なんだけどさ、僕たち、別れた方が良いんじゃないか…な……。」 彼女の笑顔は崩れ、今にも泣きそうな位に唇を噛み締め目に涙を浮かべ、わなわなと体全体が震え出して、「何で?」と尋ねてきた。 「私と居て楽しくなかった!?」 両肩を掴まれ揺さぶられ、遂には涙は川の様に流れだし、それでも彼の目から視線は外さない。直人は嘘をつくつもりが彼女の涙で動揺してしまい「楽しいよ。」と言ってしまった。それが彼女を高ぶらせ、僕自身の逃げ場を無くしてしまう。 203 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:56:13 ID:f6Z.ygSk 「じゃあ、しよう!?…………あ!それじゃあ一回だけ。一回だけキスしてから。それから考えよう?」 「落ち着いてね。落ち着いて。」と彼にも自分にも言い聞かせるように呟き、泣き腫らした目には既にギラギラとした性欲が見えて息も荒く、顔の赤みは更に増す。逃げようにも両肩を爪が食い込む位に掴まれて逃げられず、段々と近付く顔にただただ背けるしかなく最後には彼女と唇を重ねてしまう。 歯を食いしばり、唇を頑なに閉じていても百草の舌は唇と歯の間へと侵入し歯を愛撫し始める。 鼻息を荒くして、舌は歯の壁の先、彼の舌との重なりを求め蠢いていたが、ふと左肩の痛みが消えたものだから彼女の右手の行き先を探すと右手にはハンディカメラを持ち、二人の行為を一部始終映していた。 唇を無理矢理離し、注意しようとしたのが間違いだった。それを狙ってか、左手で顔を掴み無理矢理近付け口づけしてきた。突然のことで歯を食いしばるのを忘れ、百草に舌の侵入を許してしまうと先ほどよりも愛撫は激しく、直人の口内を、舌を、唾液を貪り、彼女の唾液を流し込む。 どちらがどちらの舌か唾液か分からなくなるくらいに蕩けた頃にようやく唇を離す。 唇と唇との間には幾つものねとついた糸が出来、ひとつひとつと切れて最後の糸がぷつりと切れた時、百草は唾液にまみれた笑みで「気持ち良かったね。」と悪気も無く囁く。 ようやく僕から離れるとカメラを弄りだし、録画された内容を確認しだす。途中、うわぁとか唸り声をあげ生唾を飲む。 確認し終わると呆然と立ち尽くす直人に微笑み、カメラを向ける。 「別れるなら、コレみんなに見せて自慢していいよね?」 204 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:57:06 ID:f6Z.ygSk 「ナオ君の手気持ちいいね。………ゴメンね。あんなことするつもりじゃ無かったの。でも、ああでもしないと振り向いてくれないんじゃないかって不安で不安で…でも、こうして触れて触れられて嬉しい。だからね……。」 一度だけ……そう言うと、視線をチェーンに落とす。彼女のその短い髪が濡れていて、嗚呼、外は雨だったのかと思いながらチェーンを外してしまった。 彼女が寒そうだったから?可哀相だから? いや、既に彼女の魅力に囚われてるからか、また、味わいたいと感じているからか、そして、それが無意識であるからか。 彼には分からない。 「ねぇ、あと一度だけ……ね?」 「ナオ。今日の放課後、委員会あるから。」 彼の前で無愛想に話し、終えると有無を聞かず自分の席へと戻っていった。直人は彼女が苦手だった。小学校からの同級で彼女はいつも中心人物の一人で彼に対してはいつも高圧的か先程のように全くの無愛想であるかのいずれかで接しづらかった。しかし、中学校を機にあまり話さなくなったので余計に話しづらい。 ただ何かの縁なのか、百草の親友なのが驚きでそれが彼女とあまり付き合いたくない原因でもあった。 「他の人は?」 既に作業を始めている彼女の後ろ姿に尋ねた。最上 花(もがみ はな)はその長い髪を後ろで一つに束ねていた。 美化委員であるため彼らは運動着に着替え、校舎の正面に位置する花壇にいた。 「ここの草むしりだけだからあたしたちだけなんだって。」 そうなんだと呟き彼女の隣に座り草をむしる。座る瞬間ビクッと驚いたみたいだが気にせず草をむしり、ポツリポツリと尋ねてきた。 「何で、あいつなの?」 花の言ってることが分からず、え?としか答えられず、彼女は「百草」とだけつけ足した。 「あいつ、約束なんて守る気無いよ。」 先程の答えも聞かず淡々と話し淡々とむしるものの百草の話になると明らかに手に力はこめられはじめた。その証拠に雑草の根まで抜けず葉ばかりがむしられていた。 「ビデオ撮られたでしょ?」 ビデオと彼女の口から出た瞬間、心臓が止まりそうになり、それでも「何で?」と聞こうとしたが言葉は出てこない。代わりに空気が漏れてくるだけだった。 「見せつけられたよ。あいつが『見て』って『羨ましいでしょ』って。自慢してたよ。」 ただただ何でと疑問しか浮かばなかった。誰にも見せないって約束したのに。誰にも言わないって約束したのに。 205 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 09:00:32 ID:f6Z.ygSk 「記念に撮っておかないと。」 そう言って性行為も撮られた。その時も、「一回だけさせてくれたら諦めるから」なんて言って、行為が終われば、「別れるんだから、みんなに見せて自慢して良いよね」なんて脅迫してくる。 キスの時も同じだったんだから、注意すれば分かることだし策だって練れた。だのに彼女の言葉を鵜呑みにしてしまって、結局は深みに陥り永遠に抜け出せなくなる。 キスだって性行為だって恥じることではない。でも、彼は、彼の環境はそうでは無かった。簡単に言えば昔ながらのお堅い人間といった具合で、百草の事は好きでも嫌いでもない。だから、付き合うのも気が引けたが彼女のあの甘い響きが判断を鈍らせる。 「一度だけ。」そう、一回すれば彼女は満足して別れてくれるんだと。思っていたのに……。 206 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 09:01:13 ID:f6Z.ygSk 「ナオ君。私も手伝うよ。」 メールで遅くなる由を伝えたがそれでも、手伝いに行くねと返信してきた。 「遅くなってゴメンね。クラスメイトに数学教えててさ。ちゃっちゃと終わらせてさ、早く帰ろうよ。ね?」 そういうと、彼の耳元で「帰り遅いからさ」と囁く。誰がとは聞かなかった。百草の赤みがかった顔を見れば言わんとしてることが判ってしまった。 「あっちの草抜こうよ。」 こっちは花ちゃんに任せてさ、そう言いながら手を引っ張り向こう側に行こうとすると反対側の手が掴まれた。 「二人で足りてるから。」 百草は振り返らず尚も引っ張る力を緩めない。「手伝った方が早く終わるよ」彼女の声はいつにも増して低く、そしてどこまでも冷酷だった。 「他の委員が手伝うと後々面倒なの。」 「じゃあ、ナオ君以外の人使ってよ。ナオ君忙しいだからさ。」 「どうせ、百草の家にでも行ってするんでしょ。あのビデオみたいに。」 ふと、二人の力は緩み、覗き込むように彼女を見るとばつの悪い顔をしていて、少し震えてもいるようで「言わないって約束したじゃん。」と力弱く言った。 「やっぱり見せたんだ。」 直人は聞こえるか聞こえないか分からない声量で呟いた。 「違うの!花ちゃんなら大丈夫だと思って。」 彼に釈明する百草は余りに滑稽で暗くなる直人の顔とは対象に興奮して赤くなり、涙目になる彼女の顔。そうして理解して貰えないと思うや否やあの言葉が出始める。 「ごめんなさい。もう誰にも見せないから。もう一回だけ付き合い直そう。もう一度だけ。許して下さい。……もう一度だけ、一度だけ。」
199 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:48:28 ID:f6Z.ygSk 「一度だけ…」それが彼女の口癖で、何かとこの「一度だけ…」を強調して話す、いや、交渉すると言った方が正しいかもしれない。 この他にも「試しに…」や「…してみないと」と言った具合に様々な口癖があり、これほど約束性や信頼性が薄いものは無い。 もしかしたら、彼と付き合えた事に味を占めてるのかもしれないし、そうして自分を良いように正当化させているのかもしれない。 ただ今は、この扉の向こうから聞こえてくる「一度だけ……一度だけ」という彼女の声に耳を傾けてはいけないし従ってもいけないのだ。 「あの…告白の返事、考えてくれました?」 昼休みが始まるや否や彼の前に彼女はわざわざ隣のクラスから尋ねに来たのだ。告白から一週間、暇さえあれば昼休みや放課後は勿論、HR前や休み時間にも来ては僕の返事を待つ光景にクラスメイトも次第に興味を失い、ああ、また来たなと位にしか思わなくなっていった。 特に彼女に不満があるわけではないし彼女が欲しくないわけでもないがこうも朝から夕方まで催促されると何か裏があるのではと勘繰ってしまい今だに考えあぐねているところである。 「ごめん。まだ考えてる。」 お決まりのこの答えに横にいる友人も呆れ顔で正面にいる彼女は悲しそうで、僕自身申し訳なく思っているのだが内心、何て優柔不断な男なのだと失望して諦めてくれないかとも願ってもいるが口が裂けても言いたくない。 「そっか。じゃあ、また放課後来ますね。」 そうかと思えば彼女は暖かい笑みで言うものだから益々女心は分からないものだと感じた。後腐れもなく去る彼女、橘 百草(たちばな もぐさ)は男女分け隔てなく接するせいか人望を集め、人気もあるらしい。 彼の友人も勿体ないだの早く付き合えだのと小煩く、それもまた、その彼女の性質がそう言わせているのだろうなぁと購買部で買った惣菜パン片手にしみじみと思う。 201 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:53:19 ID:f6Z.ygSk 「ねぇ菅野君……一度一緒に帰りませんか?」 放課後になると予告通り百草は来たが彼女の頬は少しばかり赤く、髪も梳かしたようで艶っぽかった。 「今日は友達と帰らないの?」 返事はせず、質問を質問で返してしまったが彼女は気にせずに答えてくれる。 「うん。今日は菅野君と歩きたくて……菅野君、峰方面だよね?」 うんと頷くと彼女は「私も」とはにかむ。 この時になると頼りの友人は姿を消し、逃げの手はなく、否応なく頷くしか無かった。 帰り道、百草はやれ好物は何、やれ趣味は何としきりに話しかけてくるものだから答えない訳にもいかない。答える度に彼女は嬉しそうに笑い、自分のことを知ってもらおうと答え返す。 「一度付き合ってみませんか?」 あまりに唐突だった。向かい合い、両手を握られ出た言葉はお願いに近いもの。 「そうしましょ。一度付き合ってみて駄目だったら別れればいいんですよ。そうすれば、お互いに利害は五分五分ですし。」 202 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:55:39 ID:f6Z.ygSk 思えばあの時から彼女は狂っていたのかもしれない。しかし、彼女の言葉には不思議な魅力が帯びていて、少なからず僕はその言葉を信じてみようと、駄目なら別れればいいのだと、だから納得してしまって、頷いてしまった。 「ねぇ、ナオ君。試しにちょこっと開けてみてよ。何もしないから。ね?ちょこっと……ね!ナオ君の顔、見たいから。一度だけで良いから。一度だけ。」 扉の前まで行くと無意識にドアノブを回していた。それと同時に向こう側から扉を引っ張られたがガチッとチェーンが音をたて少しばかり開く。すかさず、その隙間に足を挟め、彼女は身を乗り出し直人を見つめた。 「ナオ君、久しぶり。あのさ、イキナリであれなんだけど手繋ぎたいな。大丈夫。何もしないから、ね?一度だけ。一度だけだから。」 付き合いだしてからは彼女はみるみる変わっていった。二人とも一人暮らしで住まいも近所である理由から百草はわざわざ彼の部屋に訪れ朝食を作るようになるが、それだけでなく昼食は勿論、夕食も一緒に食べるようになった。その時の言い訳も「一度一緒にご飯を食べてみたかった」からと「夫婦生活を送りたかった」らしいがいつの間にか「一人分作るのも二人分作るのも一緒だから」になり「二人分作る方が食費とか光熱費とかが安くなるから」と変化していく。 そうして、いつの間にか機会から責任に、責任から義務へと変わり、義務から必然に変わる。 直人自身、一緒に食事することに抵抗がなくなり、何時しか楽しみになっていった。それは百草にとってどんなに喜ばしいことか、彼が料理を口に入れる度に彼女の中で次第に渦巻いていく欲情と恋情は遂に理性を飲み込み始める。 「そろそろさ、次の段階に進んで良いんじゃないかな?」 百草の言葉で直人は目を醒ます。友達の少ない彼にとって彼女の存在は大きく、一緒に居て、確かに楽しかったのだがそれより先に進みたいとは思わなかった。 「その事なんだけどさ、僕たち、別れた方が良いんじゃないか…な……。」 彼女の笑顔は崩れ、今にも泣きそうな位に唇を噛み締め目に涙を浮かべ、わなわなと体全体が震え出して、「何で?」と尋ねてきた。 「私と居て楽しくなかった!?」 両肩を掴まれ揺さぶられ、遂には涙は川の様に流れだし、それでも彼の目から視線は外さない。直人は嘘をつくつもりが彼女の涙で動揺してしまい「楽しいよ。」と言ってしまった。それが彼女を高ぶらせ、僕自身の逃げ場を無くしてしまう。 203 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:56:13 ID:f6Z.ygSk 「じゃあ、しよう!?…………あ!それじゃあ一回だけ。一回だけキスしてから。それから考えよう?」 「落ち着いてね。落ち着いて。」と彼にも自分にも言い聞かせるように呟き、泣き腫らした目には既にギラギラとした性欲が見えて息も荒く、顔の赤みは更に増す。逃げようにも両肩を爪が食い込む位に掴まれて逃げられず、段々と近付く顔にただただ背けるしかなく最後には彼女と唇を重ねてしまう。 歯を食いしばり、唇を頑なに閉じていても百草の舌は唇と歯の間へと侵入し歯を愛撫し始める。 鼻息を荒くして、舌は歯の壁の先、彼の舌との重なりを求め蠢いていたが、ふと左肩の痛みが消えたものだから彼女の右手の行き先を探すと右手にはハンディカメラを持ち、二人の行為を一部始終映していた。 唇を無理矢理離し、注意しようとしたのが間違いだった。それを狙ってか、左手で顔を掴み無理矢理近付け口づけしてきた。突然のことで歯を食いしばるのを忘れ、百草に舌の侵入を許してしまうと先ほどよりも愛撫は激しく、直人の口内を、舌を、唾液を貪り、彼女の唾液を流し込む。 どちらがどちらの舌か唾液か分からなくなるくらいに蕩けた頃にようやく唇を離す。 唇と唇との間には幾つものねとついた糸が出来、ひとつひとつと切れて最後の糸がぷつりと切れた時、百草は唾液にまみれた笑みで「気持ち良かったね。」と悪気も無く囁く。 ようやく僕から離れるとカメラを弄りだし、録画された内容を確認しだす。途中、うわぁとか唸り声をあげ生唾を飲む。 確認し終わると呆然と立ち尽くす直人に微笑み、カメラを向ける。 「別れるなら、コレみんなに見せて自慢していいよね?」 204 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 08:57:06 ID:f6Z.ygSk 「ナオ君の手気持ちいいね。………ゴメンね。あんなことするつもりじゃ無かったの。でも、ああでもしないと振り向いてくれないんじゃないかって不安で不安で…でも、こうして触れて触れられて嬉しい。だからね……。」 一度だけ……そう言うと、視線をチェーンに落とす。彼女のその短い髪が濡れていて、嗚呼、外は雨だったのかと思いながらチェーンを外してしまった。 彼女が寒そうだったから?可哀相だから? いや、既に彼女の魅力に囚われてるからか、また、味わいたいと感じているからか、そして、それが無意識であるからか。 彼には分からない。 「ねぇ、あと一度だけ……ね?」 「ナオ。今日の放課後、委員会あるから。」 彼の前で無愛想に話し、終えると有無を聞かず自分の席へと戻っていった。直人は彼女が苦手だった。小学校からの同級で彼女はいつも中心人物の一人で彼に対してはいつも高圧的か先程のように全くの無愛想であるかのいずれかで接しづらかった。しかし、中学校を機にあまり話さなくなったので余計に話しづらい。 ただ何かの縁なのか、百草の親友なのが驚きでそれが彼女とあまり付き合いたくない原因でもあった。 「他の人は?」 既に作業を始めている彼女の後ろ姿に尋ねた。最上 花(もがみ はな)はその長い髪を後ろで一つに束ねていた。 美化委員であるため彼らは運動着に着替え、校舎の正面に位置する花壇にいた。 「ここの草むしりだけだからあたしたちだけなんだって。」 そうなんだと呟き彼女の隣に座り草をむしる。座る瞬間ビクッと驚いたみたいだが気にせず草をむしり、ポツリポツリと尋ねてきた。 「何で、あいつなの?」 花の言ってることが分からず、え?としか答えられず、彼女は「百草」とだけつけ足した。 「あいつ、約束なんて守る気無いよ。」 先程の答えも聞かず淡々と話し淡々とむしるものの百草の話になると明らかに手に力はこめられはじめた。その証拠に雑草の根まで抜けず葉ばかりがむしられていた。 「ビデオ撮られたでしょ?」 ビデオと彼女の口から出た瞬間、心臓が止まりそうになり、それでも「何で?」と聞こうとしたが言葉は出てこない。代わりに空気が漏れてくるだけだった。 「見せつけられたよ。あいつが『見て』って『羨ましいでしょ』って。自慢してたよ。」 ただただ何でと疑問しか浮かばなかった。誰にも見せないって約束したのに。誰にも言わないって約束したのに。 205 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 09:00:32 ID:f6Z.ygSk 「記念に撮っておかないと。」 そう言って性行為も撮られた。その時も、「一回だけさせてくれたら諦めるから」なんて言って、行為が終われば、「別れるんだから、みんなに見せて自慢して良いよね」なんて脅迫してくる。 キスの時も同じだったんだから、注意すれば分かることだし策だって練れた。だのに彼女の言葉を鵜呑みにしてしまって、結局は深みに陥り永遠に抜け出せなくなる。 キスだって性行為だって恥じることではない。でも、彼は、彼の環境はそうでは無かった。簡単に言えば昔ながらのお堅い人間といった具合で、百草の事は好きでも嫌いでもない。だから、付き合うのも気が引けたが彼女のあの甘い響きが判断を鈍らせる。 「一度だけ。」そう、一回すれば彼女は満足して別れてくれるんだと。思っていたのに……。 206 :一度だけ ◆sin1r3oXGY:2012/11/23(金) 09:01:13 ID:f6Z.ygSk 「ナオ君。私も手伝うよ。」 メールで遅くなる由を伝えたがそれでも、手伝いに行くねと返信してきた。 「遅くなってゴメンね。クラスメイトに数学教えててさ。ちゃっちゃと終わらせてさ、早く帰ろうよ。ね?」 そういうと、彼の耳元で「帰り遅いからさ」と囁く。誰がとは聞かなかった。百草の赤みがかった顔を見れば言わんとしてることが判ってしまった。 「あっちの草抜こうよ。」 こっちは花ちゃんに任せてさ、そう言いながら手を引っ張り向こう側に行こうとすると反対側の手が掴まれた。 「二人で足りてるから。」 百草は振り返らず尚も引っ張る力を緩めない。「手伝った方が早く終わるよ」彼女の声はいつにも増して低く、そしてどこまでも冷酷だった。 「他の委員が手伝うと後々面倒なの。」 「じゃあ、ナオ君以外の人使ってよ。ナオ君忙しいだからさ。」 「どうせ、百草の家にでも行ってするんでしょ。あのビデオみたいに。」 ふと、二人の力は緩み、覗き込むように彼女を見るとばつの悪い顔をしていて、少し震えてもいるようで「言わないって約束したじゃん。」と力弱く言った。 「やっぱり見せたんだ。」 直人は聞こえるか聞こえないか分からない声量で呟いた。 「違うの!花ちゃんなら大丈夫だと思って。」 彼に釈明する百草は余りに滑稽で暗くなる直人の顔とは対象に興奮して赤くなり、涙目になる彼女の顔。そうして理解して貰えないと思うや否やあの言葉が出始める。 「ごめんなさい。もう誰にも見せないから。もう一回だけ付き合い直そう。もう一度だけ。許して下さい。……もう一度だけ、一度だけ。」

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