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172 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:34:46 ID:sFzVob2v  近頃の俺は欲求不満の状態にある。  他人が欲求不満と言っていた場合、大抵の人間はいかがわしい方向の欲求であると考えるだろう。  もしくは食欲が満たされないだとか睡眠時間が足りていないという意味で受け取るかもしれない。  だが俺の場合の欲求不満はそれとは種類が違う。  創作意欲。これが満たされないのである。  友人たちの中でも知る人ぞ知る俺の趣味は、プラモデル作りである。  俺はどうやら完璧主義者のケがあるらしく、少しでも色合いがおかしかったり小さな部品が欠けている だけでも落ち着かず、結果的にプラモデルを一つ作り上げるだけでも一ヶ月は余裕でかかってしまう。  毎日毎週欠かさずにプラモデルを作っているにも関わらず、である。  そんなペースだから、一日の制限時間である24時間をもっともっと有効に活用したいと思っているし、 作業台に向かう時間もさらに増やしたいと考えている。  そこでどうしてもネックになるのが、学校に行っている時間だ。  学生――いや高校生は生徒と呼ぶのか。  ともかく生徒である以上、朝は遅刻しないよう学校へ行き、午前中の授業を受け、昼食を食べ、 午後の授業を受けなければならない。その後は俺の場合は帰宅部なので即帰宅となる。  すでにこの時点で一日の大半を消費している。大きなタイムロスである。  それからようやく、趣味である模型作りに没頭できる……とはいかない。  その日に受けた授業の内容を復習し、宿題を全て片付けなければならないのだ。  弟は俺のこんな習性を見て感心しているようであるが、俺はやりたくてやっているわけではない。  勉強が生徒の仕事だからやっている、という綺麗事を言うつもりはない。  無論、学業の重要性はわかっている。だが俺のような趣味人間は成績などさほど重要視しない。  だというのになぜ俺が月曜から金曜までまじめに勉強をしているのかというとだ。  これも困ったことに俺の性格がそうさせているのである。  たとえば、俺が宿題をせずに模型作りを始めたとしよう。  宿題という己の身に課せられた使命を無視した場合、プラモデルの出来がひどいものになる。  著しく見られる傾向としては、技が雑になる。簡単に言えば手元が狂いやすくなる。  面相筆(塗装に使う筆のうちで最も細い筆)で溝にスミ入れをやったらラインを外す。  スプレーを使って塗装していたら吹きすぎて塗料を垂らしてしまう。  ニッパーでクリアーの部品を切り取っていたら力加減を誤ってヒビを入れる。  普段ならば絶対にやらない単純なミスをことごとく繰り返してしまうのだ。  その症状が、復習と宿題をきっちりやり終えた後であればいつもの調子に戻ってしまう。  おそらく――いや、これしか考えられないが、俺は心残りがあると集中できない性格らしい。  その事実を知ってから、今のように模範的な高校生の行いをするようになったのである。  ちなみに、復習と宿題が終わるのは早くて夕食前の七時ごろ。遅かったら九時になる。  それから風呂に入ったり、弟から要請があったら勉強をみたり、妹の殺意混じりの瞳を受け流したりして、 ようやく模型作りを始めることができる。  しかし。しかしである。  我が家には最大の敵、血の繋がった兄の子を産んだアウトローの母がいる。  母は俺がプラモデル作りをすることをよしとしていない。  母はシンナー系の匂いを苦手にしているのだ。  俺が部屋に篭っていると、母は防塵マスクを装着してまで部屋のドアをノックして邪魔をする。  作業中のノックの音は著しく集中力を乱す。母も当然それをわかっているのだろう。  もちろん俺も母が邪魔をしてくる状況に手をこまねいているわけではない。  廊下にラッカー塗料(ラッカーはシンナーの匂いがきつい)を魔除け代わりに置いて対抗している。  俺の部屋には換気扇があるが、廊下には換気扇など設置していない。  塗料を置いている間だけは母は近づいてこないのである。  しかし、いつまでも置いておけるわけでない。  父と弟と妹からも苦情が来るため、頃合いを見計らって塗料を回収しなければならないのだ。  母が邪魔をしにくる。俺が塗料を置く。家族からの苦情を受けて塗料を回収する。  おおまかにはこんなサイクルで俺と母の戦いは行われている。  このように、家庭における俺の創作環境は理想的とは言い難いものなのである。 173 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:36:17 ID:sFzVob2v  そんなわけで、普段から軽い欲求不満にある俺であるが、最近はとみに機嫌が悪い。  現状は何の障害もなく創作できる環境にあるのに、周囲の人間の協力が得られない状態である。  学校全体が何らかの物作りを行っているというのに、俺の周りの人間は無気力な野郎女郎ばかりで、 物作りなどよりその日の昼食の方が大事らしく、協力が得られない。  ちくしょうめ。文化祭開催の一週間前なのに、どうして俺のクラスはやる気がないんだ! ***** 「先生。新しいアクセサリーの提案があるんですが」 「却下します。もう文化祭の予算に余裕はありません。作るのなら自腹で作ってください」 「じゃあテーブルに置く小物なんかどうですか。さすがにテーブルクロスだけじゃ味気ないと思いません?」 「思いません。必要なものは小説本くらいです。余計な装飾は読書の邪魔になります。  大人しく本を読んでいてください。喫茶店を成功させるためには皆が本を読むことが必要です。  店員は文学についての最低限の知識を持っていないといけません」  そう言って、我がクラスの担任の国語教師は手元にあるハードカバーの本に視線を落とした。  ああ、今すぐ両手でハンマーを作ってこの独身女教師の無防備な後頭部に打ち下ろしたい。  もちろんやらないけれど、誰かのGOサインがあればそいつに責任をなすりつけて実行しかねない。  それほど今の俺はイライラしている。  なぜ俺が大正時代の小説家の本など読まねばならん。  何が楽しくてうちのクラスが文化祭で純文学喫茶を催さなければいかんのだ。  純文学喫茶とは、漫画喫茶の純文学バージョンである。命名は担任。  なんとも安直なネーミングである。もう少し頭をひねってくださいこの三十路越え独身教師。  色気が足りません。もっと遊んでください。  そんなんだから「活字と結婚した女」なんて噂が流れるんですよ。  落ち着いた雰囲気がいいとか、葉月さんが成長したらこうなるだろう、とまで生徒の間で噂されるほど 容姿がいいくせに、どうして毎日セーターとジーンズとスニーカーなんて組み合わせなんですか。  もったいないにも程があります。宝の持ち腐れとはあなたに一番ふさわしい言葉ですよ。  たまにはスーツぐらい着たらどうです。シャツの胸元を少し開くぐらいなら許されますよ。――年増でもね。 「どうかしましたか? まだ何か提案でも?」  提案しても即却下するくせに。 「……なんでもないです。戻ります」  回れ右をして、教壇から下りて自分の机――を合体させている机の集合体へと戻る。  クラスメイトと机を合体させているのは、文化祭の準備作業をするためである。  しかし、うちのクラスはすでに小道具の用意を終わらせているので、小説本を読むぐらいしかやることがない。  俺にとってはなにもしていないのと同じである。  自分の席の上には、大正時代に活躍した小説家の書いた本が置いてある。  読む気がゼロであるため、当然ページは開いていない。ただの机のオブジェである。  ただでさえ文学に興味がないというのに、なんたら喫茶を成功させる目的で読むわけがなかろう。  机に左腕を立てて、顎を乗せる。そしてため息をひとつ。  向かいの席に座っている女子生徒が、本に落としていた視線を俺に向けた。  入学当時から美しい容姿を持ち、今では一年の頃よりずっと綺麗になった葉月さんである。 「おかえり。どうだった……って聞くまでもなさそうだね」 「うん。せっかく葉月さんに考えてもらったんだけどさ。作るのなら自腹でやれ、だと」 「自腹かあ……私が出そうか?」 「いやいや、さすがにそこまでは――」  その時、唐突に視界がぶれた。  自分がクラスメイトに殴られたと気づいたのは、こめかみから脳天へ突き抜ける痛みのピークが通り過ぎてからのことであった。 「葉月さんが出すんなら、俺もだす!」 「俺もだ。ただ喫茶店をやるだけじゃ面白くないからな」 「せっかくだから、新しい衣装を買おうぜ! そしたら葉月さん、着てね!」  同じ机の集合体を形成していた野郎どもの野太い声が遠くから聞こえてくる。  それは俺の聴覚が狂っているからであって、男どもとの距離が離れているからではない。  どいつもこいつも勝手なことを。秋でも汗の臭いがしそうな貴様らにつきまとわれたら葉月さんが困るだろうが。 174 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:38:05 ID:sFzVob2v  葉月さんへと視線を向ける。葉月さんは俯きながら何か呟いていた。 「よくも……殴…………ね。切り裂い……次に窓から…………投げ……捨て……」  おや、チキチキという音が聞こえてきたよ。  この音はカッターの刃を出す音に似ているね。  なんだか、葉月さんの垂れた前髪から覗く目がギラギラと光っている。獲物を発見した肉食動物の如し。  葉月さんが立ち上がった。彼女の右手から飛び出している物はカッターナイフの刃。  蛍光灯の光を鈍く反射する刃には等間隔で斜めに切り込みが入れられていて菱形のそれぞれに 殺意が宿っているかのようで――いかにも危険で流血沙汰の事態を招きそうだっ! 「まずは耳を――」 「葉月さんっ!」  机の上に身を投げ出して葉月さんの右手を掴む。 「痛っ!」  距離がありすぎた。葉月さんの手と一緒にカッターの刃を掴んでしまった。  だがこれでいい。クラスメイトの命の灯火を消すよりは俺の手の皮が切れた方がマシである。 「あ、あれ? どうして私の手を掴んでるの?」  皮膚を圧迫していた殺気が霧散した。葉月さんの瞳はすでに明るい色を取り戻していた。 「ああ、実は蚊が止まっていたから、ついね。ほら、血が」  血の付いた手の甲を葉月さんに見せる。手のひらは到底見せられる状態ではないから。 「えっ……ちょっと、大丈夫なの?」 「平気平気。ちょっと洗っておけば問題ないよ」 「そう? なら、いいけど……ありがとう」 「いやいや。それより、アクセサリーの件はなしで。俺の勝手でみんなに金を払わせるわけにはいかないよ」 「えー……」  葉月さんはしょぼんとした顔のまま、上目遣いで見上げてきた。  葉月さんがやると恐ろしい破壊力である。さっきまで攻撃色に染まっていたとは思えない。 「あー……また来年もあるから。その時でもいいよ。俺は」 「わかった。でも、やりたくなったら言ってね? いつでもいいからね?」 「覚えとくよ」  教室から出てトイレへ直行する。蛇口をひねり、握りしめていた手を開く。  傷口からあふれ出した真っ赤な血は握っていた手の隙間に染みこみ、手のひら全体を紅く染めていた。  よく見てみると、薬指と小指の関節が軽く切れていた。  軽く指を動かす。うむむ、やっぱり傷口まで開くな。 「こりゃ、保健室に行った方がいいかな」  そうだな。どうせ教室に戻っても読みたくもない本を読むか、寝るかしか選択肢がないんだから。  今から保健室に行って治療ついでにさぼってしまってもいいだろう。  水に浸したハンカチで血を拭い、傷口を押さえながら保健室へ向かう。  俺の所属する二年D組は三階建て校舎の二階の奥にある。  D組から保健室へ向かう際には、どうしても他の教室の前を通ることになる配置である。  文化祭一週間前ともなると、校舎のいたるところにポスターが貼られている。  合唱、演劇、お化け屋敷、喫茶店、ジュース販売、映画上映などなど。  ポスターは手作りであるがゆえに、生徒が楽しんでいることを感じさせてくれる。  我ら二年D組のポスターは生徒ではなく、書道五段の担任が作成した。  担任が自分が作ると言って聞かなかったのである。  結果、『純文学喫茶』と力強くでかでかと書かれた文字と、『場所:校舎二階奥』と小さく書いてあるポスターができた。  しかし、これはもはやポスターではない。書道の先生が書いた習字のお手本である。  文字が書いてあるのは画用紙ではなくぺらぺらの和紙。達筆の文字は恐ろしく上手。  ここまでやれば、ある意味で威勢の良さを感じさせてくれる。  もしかしたら担任は担任なりに文化祭を楽しんでやろうと考えているのかもしれない。  しかし、できるなら生徒も楽しめるように気を配って欲しかった。 175 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:40:51 ID:sFzVob2v  そもそもだ。二年D組は純文学喫茶をやるつもりなどなかったのである。   事が起こったのは今日からさかのぼること二週間前、その日の帰りのHR。  あの時、白熱した出し物議論は『コスプレ喫茶』と『演劇』にまで絞られていた。  俺はどちらでもよかった。コスプレ喫茶でも演劇でも、服や装飾品、飾り物などは作り放題だから。  うちのクラスには葉月さんがいるから、なにをしようと観客来客満員御礼間違いなし。  いつまで経っても出し物が決定しなかったので、投票で決めようという流れになったころだ。  教室に入ってきた担任が言ったのである。 『二年D組は純文学喫茶をやることになりました。すでに実行委員にも伝達済みです。  皆さん、長の会議お疲れ様でした。今日はもう帰っていいですよ』  あの時のブーイングの嵐はすさまじいものだった。  しかし、撤回しろという生徒の声は、担任のもう受理されましたの一言で全て蹴られた。  横暴もいいところである。美人なら何をしても許されるとでも思っているのであろうか。あの年増は。  十代の葉月さんよりも干支が一周する年数以上に年が離れているくせに、よくもやってくれたものである。  おかげでクラスメイトのやる気は削がれ、ここ二週間はダウナーな空気が常にD組を覆っている。  これはパワーハラスメントではないだろうか。校長かPTA会長に直訴したら勝てそうな気もする。  だが、気力ゲージゼロのクラスメイト達はすでに担任と争う気を無くしてしまっている。  どうせ逆らっても無駄だ。ならせめて葉月さんの着物ウェイトレス姿を楽しもう……という意識が 最近の皆の心をかろうじて文化祭へと向けさせているようである。  まあ、俺も楽しみだけど。葉月さんの着物姿。  当日の写真撮影は許可すべきだな。ただしシャッター一回につき100円で。  出し物のお茶やお菓子よりそっちの方が儲かりそうだ。  そうだ。葉月さんと言えば。 「好きだって言ってたよな。俺のこと……」  葉月さんが妹と俺を相手に我が家で大立ち回りをした日に、俺は彼女と電話番号とメルアドを交換した。  その日の夜に、葉月さんからさっそく電話がかかってきた。  嬉し恥ずかしの初通話は、葉月さんがやけにどもったり噛んだりするせいでわけのわからないまま終了した。  どうやら葉月さんは電話器を通して会話するのが苦手らしい。  以後、葉月さんとのやりとりはメールで行うことになった。  告白の返事を催促するようなメールは来ないが、それ以外のメールはたくさん送られてくる。  朝の挨拶から始まり、今日の天気や星座占いの結果などを教えてくれる。  葉月さんとメールのやりとりをするようになってから俺はかなり浮かれている。  最近の俺の様子は、弟曰く「兄さんは放っておいたら何も無いところで転びそうに見えるよ」。  転びそうなのではない。時々、本当に転んでいるのだ。最近の俺の行動はドジそのものだ。  油断したら電信柱にぶつかりそうになるし、階段は踏み外しそうになる。  憧れの女の子からのメールで俺はここまで腑抜けになった。  ため息を吐きたくなるぐらい、本当に腑抜けなのだ。まだ葉月さんに告白する勇気がない。  告白したらOKをもらえることは確実だろう。だけど、分かっていてもそれができない。  きっと、葉月さんは俺からの告白を待っている。  登下校時や休み時間に俺と一緒にいようとするのは、そういうことなんだろう。  そして、葉月さんから再度告白してくることは多分無い。  「女の人からの告白ではOKを出せない」と俺が言ったからだ。  面と向かっても、メールでも、告白する勇気がない。  どうしたらいいのだろう。こんなことは誰にも相談できない。  弟や父には恥ずかしくて言えない。学校の男子に言ったら袋だたきにされることは必至。女子は論外。  なるべく早いうちに、その場の勢いでもいいから、何とかして言わなければ。  ――葉月さんが俺に愛想を尽かすその前に。 176 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:42:07 ID:sFzVob2v  考えているうちに保健室に到着した。授業中だから保健の先生もいるだろう。  そういえば、保健室にくるのは身体測定の時以来だ。  頑丈に産んでくれたことに関しては両親に感謝すべきだな。  一応、礼儀として三回ノックする。……反応はない。誰もいないようだ。 「失礼します」  引き戸を開き、保健室へと踏み込む。  かすかに薬品の匂いを漂わせた保健室には誰もいない――はずなのだが。 「あ、先生。すいませんけどちょっと手伝って……あれ?」  いた。椅子の上に。見知らぬ女子生徒が。  女子生徒は着替えをしていたわけではない。だが、なんとなく気まずい。  妹が体重を量っている現場に出くわしたような微妙な空気だ。  彼女は、どういうわけなのか俺の顔を見て固まっていた。  しばらく見つめ合っていると、彼女は何か思いついたように口を大きく開けた。 「あ、あなたは……!」  何かに驚いた様子であった。俺の顔におかしい部分でもあったのか? 「初めまして。アタシ――――」  女子生徒は笑顔を浮かべた。換え立ての蛍光灯のように眩しい笑顔であった。  そこには一切曇りが無く、無垢であるが故に脆さまで含んでいた。  だから俺は――保健室のドアを勢いよく閉めた。 「あ、あれ? あのー、先輩? なんで出て行くんですか?」  扉の向こうにいる女子生徒が何か言っている。  ――なんだ、あの子は。やばい。どれぐらいやばいかというと、葉月さんぐらい。  いや、妹に詰め寄ったときやクラスメイトにカッターを向けようとしたときのやばさじゃなくて。  そういう暴力的なものでなく――容姿が、レベル高すぎる。  どうしよう。逃げたい。なぜか顔を合わせたくない。けど、もう一度だけ見てみたい気もする。  違うんだ。別にあの子に一目惚れしたわけじゃなくって。  怖い物見たさに似た、興味本位によるものであって。  だいいち俺は葉月さんが……でもあの子をもう一目見たいし。 「ああ、ちくしょう! どうすればいいんだっ!」 「……あの、大丈夫、ですか?」 「はうっ!」  頭を抱えた状態で天井を見上げていたら、女の子から話しかけられた。  おそるおそる視線を下ろすと、そこには俺より背の低い女の子の上目遣いがあった。 「どこか具合でも悪いんですか?」 「あー……うん。実はちょっと怪我をしてね」  右手を差し出すと、女の子が両手で掴み注意深く見つめてきた。  駄目だ、ときめくな俺! 「指がちょっと切れちゃってますね。絆創膏貼らないと。中に入ってください」 「いや、これぐらいなら平気だから。だから、だから……」  手を離してください、と言いたいのに言えない。  むしろもう少し握っていてくださいとか言い――たくない! 言わないからな!  女の子は俺の腕をぐいぐい引っ張り、保健室の中へと引きずり込んだ。  保健室の空気は女の子がいることで様変わりしていた。  まるで赤白黄色の球根から生えるユリ科の植物の咲きほころぶ幻想的な庭園の光景を思わせて――。 「いるわけがないだろうが!」 「ひゃっ?! ど、どうしたんですか、突然?」 「……ごめん。ちょっと疲れてるみたいだ。中で休ませてもらっていいかな?」 「ええ。私は構いませんけど」 177 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:43:13 ID:sFzVob2v  許可をもらい、ベッドの方へ行こうとしたら、女子生徒に腕を掴んで止められた。 「……なに?」 「休む前に、やっておかないといけないことがあるんじゃないですか?」  なんだって?俺が、やっておかないといけないこと?  見知らぬ綺麗な女の子と保健室で二人っきり。ナニをする気なんだ?  授業中とはいえ誰かが来ないとは限らない。  保健の先生は留守。だけどひょっこり戻ってくるかもしれない。  いけない。この状況はリスクが高すぎる。  やるんなら放課後とか誰もいない教室とか――って、また変な方向に考えが行ってるぞ!  落ち着け俺のMy脳ブレイン! 「たしか、アレはこのへんに……」  女の子はがさごそと保健室の棚を探っている。  アレってなんだ。わからない。自分が立っているのか座っているのかもわからない。  女の子の髪の毛は肩に触れない程度の位置でカットされている。チラチラ見えるうなじが何とも色っぽい。  学校指定の女子専用制服はどういうわけかミニスカートである。  そのため目の前の女の子もミニスカートであり、丈の長さの影響で健康的なフトモモの裏側が、 俺の位置からはばっちり見えてしまっている。  スカートから伸びた太ももは膝へ向かうにつれて少しずつしまっていく。  足のラインはふくらはぎのわずかな膨らみを通り過ぎると細い足首で収束する。  むっちりと肉感的でありながらも無駄のない、正真正銘の美脚であった。  女子生徒はスカートを翻しながらターンすると、俺の方へと歩み寄ってきた。 「やっぱりこれ、ありました。これがあればもう安心ですよ、先輩」 「ぁぁ……ぅん」  ドキドキして女の子の顔を見られない。いったい彼女は何を探していたのであろうか。 「それじゃ、ちょっとそこの椅子に座ってください」  軽やかなソプラノの声は俺を丸椅子へと導いている。俺の腰は操られているようにそこに下りていく。  女の子は手近にある椅子を持って俺の前へやってくると、椅子に腰を下ろした。  行儀良く揃えられた膝の隙間とスカートが組み合わさり、そこに三角形の空間ができた。  ちょっと背筋をのけぞらせれば中身が見えてしまいそうである。  もちろんやらない。やりたいなんて思ってないぞ! 「それじゃあ、出してください」  どくん。 「だ、出すって……?」  何だ?一体この子は何を出せと言っている?俺に何を要求しているのだ? 「さっき見せたじゃないですか。もう一回見せてください」 「……いや、何も見せてないよ」  数分前のことすら思い出せない精神状態であるが、アレを出していないのは確かだ。  さすがにそんなことをしたら嫌でも記憶に残るはず。 「もう。じゃあいいです。アタシが勝手にやりますから」  なっ――! 「……じっとしてて、くださいね。せんぱい……」 「ぁ……………………」  声が出ない。口がぱくぱくと空回りするだけだ。  まさかこんな場所で、高校の保健室なんて場所で。  女の子が俺の手を優しく握り、冷たくて柔らかいものを擦りつけてきた。  その動きが止まると、今度は指を柔らかいもので包み込まれた。  ごめん、葉月さん。君に何の返事もしないまま、こんなことを――――。 178 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:44:57 ID:sFzVob2v 「よっ……と。はい、できましたよ先輩」 「……」 「あの、先輩……?」 「本当はこんな場所でやるつもりじゃなかった……。  両親と弟と妹が出かけた日の夜、薄暗い部屋の中で月明かりを頼りにしながら俺は……」 「聞いてた話とずいぶん違うなあ。……仕方ない。ここはひとつ……」 「はやる気持ちを抑えながらひとつひとつボタンを外していき、あらわになったその景色へと手を伸ばし……」 「先輩、失礼しますっ!」  ――あれ?なんでそんな怖い顔をしてるの?え、だめ?いや、ここまで来てそれはないでしょう。  ん?その構えはなんだかビンタのような――――。 「ていっ!」 「痛ぇっ! ――何するんだ! そりゃ初めてだったけどなるべく焦らないようにして……ん、あ、あれ?」  ここは、どこだ?俺はさっきまで自室で天国を味わっていたはずではなかったか? 「目が覚めましたか? 先輩」  正面には可愛い女の子。彼女は椅子に座っている。その点はさっきまでいた世界と同じだ。  しかし、今俺が居る場所は薬品の収められた棚や白いベッドの置いてある保健室である。  俺はどうしてこんなところへ来てしまったんだろう。  ああ、指を怪我したから、その治療をしに来たんだったな。  指を怪我した箇所は、右手の薬指と小指だったはず。  右手を見る。茶色の絆創膏が怪我をした二本の指の関節部分に貼ってある。いつのまに貼ったんだろう。  右手を見ながら記憶を掘り下げていたら、女の子が怪訝な様子で話しかけてきた。 「先輩が手を出してくれないから、勝手に絆創膏を巻いちゃいました。別に構わなかったですよね?」 「あ? ああ、うん。ありがとう……」  そうか。この子は手当をしたいから「(手を)出してくれ」と言っていたのか。  ま、そりゃそうだよな。  普通――この子の容姿は普通の可愛さではないが――の女の子が初対面の相手にいかがわしいことを 要求するはずがあるまい。俺は何を勘違いしてたんだか。 「ところで先輩。保健室に来たのは指だけじゃなくて体の具合も悪かったからですか?」 「いいや。指を怪我したから来ただけだよ」  本当はさぼるつもりでもあったのだが、そうは言わない。  だって、言ってしまったらまたこの子と同じ部屋の中で過ごさなければいけなくなる。  さっきのような落ち着かない気分は失せ始めたが、名前も知らない女の子と二人きりというのはどうも苦手だ。  早くこの場を去るに限る。 「手間かけさせてごめんね。それじゃあ……」  椅子から立ち上がり軽く右手を振る。そしてきびすを返して保健室の出口へと向かう。  ドアに手をかけたとき、異変に気づいた。やけに腹が苦しい。  下を見ると、ベルトが腹に食い込んでいた。もちろん、いきなり俺のウエストが増したわけではない。 「先輩。ちょーっと待ってくださいよ。教室に戻るんだったら、ついでに手伝ってくれません?」  いたずらっぽい笑みを顔に貼り付かせた女の子が後ろから俺のベルトを引っ張っていたのである。  その笑顔にまた心臓が脈打ったのは俺のせいではない。  この子が可愛いのが悪いのである。  葉月さんは生徒はもちろん教師までもが認める美人である。  彼女がいるだけで周囲に凜とした空気があらわれ、周囲もそれに流されてしまうような、 そんな類の美しさを彼女は持っている。  対して目の前の少女は、小さい女の子の持っている未成熟さからくる可愛さをそのまま残したような容姿をしている。  彼女を見ていて背徳感を覚えるのはおそらくそれのせいだろう。  葉月さんとこの少女、どちらを彼女にしたいか決をとらせたら、かなりいい勝負をくりひろげるのではないだろうか。 179 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:47:10 ID:sFzVob2v  そんなわけで、この少女から手を貸して欲しいと言われたからには、無下に断るのもなんだかもったいない気がする。  話だけでも聞いてみるか。 「何を手伝ってほしいって?」 「ちょっと捜し物をしてたんですけど、なかなか見つからないんです」 「捜し物? 保健室で捜すってことは、包帯とか?」 「違いますよ。あれです、あれ。たしか、クロ……なんとか」 「くろ?」  名称の頭二文字に『くろ』がきて、それでいて保健室に置いてあるもの。  何だろう。白いものなら保健室中に大量に置いてあるが。 「どんな形をしてるかわかる? そのクロなんとかの特徴でもいいけど」 「えっと、多分液体です」 「液体か。液体ね……消毒液じゃないの?」 「いえ、そうじゃなくって、治療に使うものじゃないんです」 「はい?」  保健室に来てまでして捜す物が治療に使う物でないと? 「なんか麻酔に使われているものらしいから保健室に置いてあるんじゃないかと思ったんです」 「麻酔って……誰か重傷でもしたの? それなら119番に電話した方がいいよ」 「いえ、誰も怪我はしてないです。……それに救急車がに学校に来てもらったら困るし……。  とにかく、アタシが捜している物はクロなんとかって名前で、液体で、麻酔みたいなものなんですよ」 「あー、ちょっと待って。頭の中を整理するから」  左手で女の子のセリフを中断させ、右手で自分の頭を抱える。  この子は一体何をしようと考えているんだ?麻酔なんか捜して一体どうする気だ?  それに、救急車が来てもらったら困るとも言っていたな。救急がいたらまずいことでもあるのか?  まさか、その麻酔を使って何かまずいことでもしようとしているんじゃないだろうな。  嫌な予感がするぞ。我が家の異常な環境によって鍛えられた勘が、頭の奥の方で何か叫んでいる。  警告だ。妹に包丁を持たせたときや母が父のために特別メニューを作っているときに鳴る警告音が、 頭の中で少しずつ、しかし確実にその音を大きくしていく。  この警告の意味は、その場から逃げろ、その状況に関わるな、だ。  くろ、黒、クロ。これが先頭に来る麻酔の一種。  ――もしかして、アレか?いや、さすがにそれはないだろ。  しかし、先頭がクロの麻酔と言ったらアレしかない。 「あ、思い出しました先輩! クロロホルムです、クロロホルム!  ほら、よくドラマとかで布に染みこませたクロロホルムをかがせて気絶させるシーンがあるじゃないですか!  アタシあれと同じ事を先輩の――――、ってなんで離れるんですか?」 「いやなに。そろそろ教室に戻らなくちゃやばいかなと思ってね」  嘘である。担任(独身、♀)に怒られるよりも目の前にいる少女に関わる方がずっとやばい。  彼女は俺が生徒だったからあっさり捜し物の用途をばらしたのだろう。先生相手であればばらさなかったはず。  思っていたとおり、彼女の捜し物はクロロホルムだった。  そして用途は誰かを気絶させるためである、と。  標的が俺でないのはありがたいが、このままでは学内にいる生徒の身に危険が及ぶ。 「あのね、君」 「いいながら後ろ手にドアを開けないでくださいよ。なんですか?」  言わねばならない。俺が見知らぬ少女の魔の手から見知らぬ生徒を守るんだ。 「……クロロホルムを嗅がせても人間は気絶しないよ」  俺がそう言ったら、女の子は目を大きく広げて声を張り上げた。 「ええ!? だって、ドラマだけじゃなくて漫画でもあんなに……」 「そりゃあずっと嗅がせ続けたらわからないけど、少し嗅がせたくらいじゃ体調を悪くする程度の効果しか  与えられない。やめといたほうがいい。人を気絶させていたずらしようなんてよくないよ」 「そんなあ……せっかく上手くやれる方法を見つけたと思ってたのに……」 180 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:48:48 ID:sFzVob2v  女の子は俺の言葉にショックを受けたのか、白い壁に身を任せていた。  今なら、逃げられるか……? 「うう。それなら、それなら……先輩!」  女の子は唐突に眠りから目を覚ました猫のような動きで頭を上げ、俺を見た。 「手伝ってください! クロロホルムが駄目なら、先輩の助けが必要です!」 「いや、だからさ」 「先輩の口添えがあれば絶対にあの人は策にはまってくれます! だから、お願いします!」  さっきからこの子は何を言っているんだ? 俺の助けが必要? 「もしかして、君は俺の知り合いをどうにかしようと?」 「……そうです。けど、決して怪我させたりすることはありません。信じてください」  お願いします、と言って女の子は頭を下げた。  犯罪行為の手助けをしてくれとお願いされてもな。手伝うわけがないではないか。  俺が手伝えば成功させられるということは、俺がいなければ失敗するという意味なのか?  ――だったら迷うことはない。 「ごめんね。頼まれごとをされるのは嫌いじゃないんだけど、そういう手助けなら話は別だ」 「そんなあ……」 「ほんとにごめんね。それじゃ!」 「あ、ちょっと待って……」  何か言おうとした女の子の言葉を遮り、保健室から出てドアを閉める。  競歩の足運びで2年D組の教室へ向かう。後ろから女の子が追ってくる気配はない。  俺が自分の教室に入った途端、本日最後の授業が終了したことを告げるチャイムが鳴った。    *****  そしてHR終了後。  担任は大小様々な小説本を両手に持って出ていった。  担任の持って行った本は、クラスメイトが文化祭の出し物に使うために自宅から持ち込んだものである。  四十名のクラスメイトが持ってきた本は、担任が毎日少しずつ自宅へお持ち帰りしている。  本人は本の内容が不適切なものでないか確かめるためだ、と言っている。  しかし、その行動が文化祭を成功させようという意志の元に行われていないのは明白である。  きっと、あの独身女は本が読みたいだけなのだ。  俺はこう思う。担任は生徒から本をかき集めるためだけに純文学喫茶などやらせようとしたのではないかと。  私利私欲による職権濫用。許し難い行いである。  教育機関に駆け込んでやりたいところだが、あいにく俺は両親が異常であるため強く出られない。  もし両親のことに首を突っ込まれたら、それこそ我が家崩壊の危機だ。  今まで隠し通してきたものを、たかが担任の蛮行ごときで日の当たる場所へさらけ出すわけにはいかないのである。 181 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:51:52 ID:sFzVob2v  鞄を持って席を立ったとき、弾んだ声が俺の名を呼んだ。  声のした方を見ると、手提げ鞄を腰の後ろに回した葉月さんが、横からやってきていた。 「ねえ、今日は何か用事がある?」  葉月さんはご機嫌な様子である。待ち望んでいたおやつをようやく与えられたときの子供のようにも見える。 「いいや。今日もいつも通り何も用事はなし」 「じゃあ、じゃあさ。今日もいい……かな?」  頬を若干紅く染めて、葉月さんが上目遣いを繰り出した。  むう。真綿でじわじわと胸を締め付けられる感覚。甘い痺れが体の奥から湧き起こってくる。  今の会話だけを抽出するとなんだか色気のある会話であるが、どっこいそんなことはない。 「もちろんいいよ。帰ろうか、葉月さん」 「う、うんっ!」  俺が歩き出すと、葉月さんは早足で近寄り、俺と肩を並べた。  教室を出て行く寸前、ちらりと後ろを振り返る。  そこには獲物を狙う野獣のようなクラスメイトの視線があった。  男が俺を恨むのは分かる。  ついこの間まで地味で目立たなかった俺が人気者の葉月さんと仲良くしていたら、不機嫌になって当然だ。  俺が彼らと逆の立場だったとしても不機嫌になるはずだから。  女子生徒も男子生徒と同様、いやむしろ彼ら以上に恐ろしい目で俺を見ている。  彼女たちも男子生徒と同じく、葉月さんと仲のいい俺を快く思っていない。  同胞のクラスメイトからそんな目で見られては、普通は萎縮してしまうだろう。  だが俺は違う。俺はもっと恐ろしい、妹の瞳に日常的にさらされている。  加えて最近のクラスメイトからの無言の圧力によって俺の精神力はさらに上がっている。  学校プラス家庭での責めは、俺を少しずつ強くしているのだ。  だから、クラスメイトの視線をスルーしてそのまま教室を後にすることだってできるのである。  玄関で上履きから靴へ履き替えて、葉月さんと一緒に校舎を出る。  秋の深まりを感じさせる空気の中を、看板やはしご、ビニール袋を両手に持って歩く生徒の姿があった。 「みんな忙しそうだね」 「うん……」  彼らの姿を見ていると、自分が損をしているような気分になる。  文化祭に意欲的なクラスならば、今は準備に大忙しの時期だろう。  しかしうちらの2年D組は先週の時点で喫茶店で使う本を収める本棚の運び込み、テーブルの確保、 男女それぞれが着る着物の用意、お茶やお菓子の注文数決めなどをあらかた終わらせてしまった。  今はクラスの文化祭実行委員がぼちぼちと仕上げを進めている段階だ。  楽と言えば楽だが、楽すぎるのも問題だ。暇すぎるのである。 182 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:55:04 ID:sFzVob2v 「ねえ、ちょっと行きたいところがあるんだけどいい?」 「別に構わないよ。どこに行くの?」 「ケータイショップ。ちょっと欲しいストラップがあって」 「へえ。どんなやつ?」  俺がそう言うと、葉月さんは人差し指で空中に何かを描いた。 「えっとね。形はハートマークをしてるの」  ほほう。なかなか可愛らしい趣味をしていらっしゃる。  男の俺の携帯電話にはとてもつけられるない。 「それでね、その……欲しいストラップはね、二つセットになってるの」 「へ…………え?」  さっ、と顔から熱が引いた。 「ピンクとライトブルーの二色でね。限定販売のやつだから、他に売っているものとは絶対にかぶらない  五桁の番号が両方に彫ってあるの」 「……つまり、おそろいのものってわけ?」 「そう。だからあ、だから……ね?」  葉月さんが携帯電話を取り出して俺の前にかざした。  ちなみに、俺の携帯電話と同じ機種である。最近になって突然買い換えた、と葉月さんは言っていた。  同じ携帯電話と同じストラップ。それらが意味することはつまり。 「片方のストラップ、つけて欲しいなあ?」  首を右斜め三十度に傾けつつ心臓麻痺レベルの笑顔を浮かべる葉月さん。  どうしよう。ストラップの用途を予想できた時点でやんわり断ることを考えていたのだが、 こんな笑顔を見せられては断るに断れない。 「私は青が好きだから、ピンクの方、つけてくれるかな?」  なに、ピンクだと?  よりによってあんな淡い恋心の象徴であるかのような色をしたストラップをつけろと言うのか!?  どうする。どうしよう。どうしたらいい。 「どうかな? だめ?」 「う、うう、……うむむ……」  他ならぬ葉月さんからの頼みだ。できることなら聞き入れてあげたい。  しかし、おそろいの、しかもピンクのストラップだぞ?  携帯電話を取り出す度にチラチラと見えてしまうではないか。  恥ずかしいからと外してしまったら、俺のことだからどこかになくしてしまう可能性もある。  ストラップを外している携帯電話を葉月さんが見たらどう思う?――傷つくに決まっている。  葉月さんの心が傷つくついでに、もしかしたら俺の体にまで消えない傷がつくかもしれない。 「お、俺は……」  ピンクのストラップを選ぶのか。それとも紅い鮮血を選ぶのか。 「だめかな……つけて、欲しかったのに……ぐす」  ああ、ああ、あああ。葉月さんが泣きそうだ。  綺麗な瞳。しみひとつない頬。あそこに涙が伝ったらそれはそれは美しい光景であろう。  だが、泣かせてはだめだ。もう、葉月さんの要求を呑むしか――ない。 183 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:56:21 ID:sFzVob2v  意志を固め、口を開けた瞬間であった。 「あ! いた!」  突然の女子生徒の叫び声。  何事かと振り向くと、見知らぬ女子生徒が俺を指さしていた。  保健室で会った女の子とは違う。あの子と比べたらこの子は地味な印象しかない。 「えーと、なんて名前だっけ。……まいいや。先輩! 大変です!」  なんと失礼な。ツッコミを入れてやりたいが、葉月さんの手前、とりあえず我慢する。 「何が、あったの、かな?」  怒りを抑え、顎の筋肉を引き攣らせながら言う。  女の子は緊張を隠さないまま、俺の言葉に応えた。 「先輩の弟さんが、廊下で倒れてて! それで今保健室に連れ込まれたんですよ!」 「はあっ!?」  弟が倒れた?!あいつに貧血の気はなかったはずだぞ。  女子生徒の言葉を聞き、女子生徒の死角に移動して両手を伸ばそうとしていた葉月さんもさすがに驚いたようであった。 「ちょっと、大丈夫なの? どこか怪我とかしてなかった? 手当はしたの?」 「どこも怪我はしてなかったみたいですけど。一応ベッドには運んだけど、まだ目を覚まさなくって……。  どうしよう、……どうしよう。もし彼に何かあったら、私……」 「そうね。一大事だわ。私の義弟のピンチよ!」 「行こう! 葉月さん!」  返答せず、少しの時間すら惜しむかのように葉月さんは駆けだした。一瞬を置いて俺も続く。  どんどん俺との距離を開けていく葉月さんを追いながら、俺はある可能性を思いついた。  保健室。あそこで出会った見知らぬ可愛い女子生徒。  彼女が気絶させようとしていたのは、もしかして――弟なのか?  いや、まだわからない。だけど、どうしてもあの子のことが頭から離れない。  一体彼女は何者だ?弟のなんなんだ?  いや、何者でもいい。今の俺が願うことはこれだけだ。  ――無事でいてくれ、弟。 184 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00:59:14 ID:sFzVob2v *****  どうしてあなたはそんなに飾らずにいようとするのだろう。  なぜその魅力を使い、アタシを惑わそうとするのだろう。  アタシの正体を知っていて、それでもあなたはアタシに対する態度を改めなかった。  構わないで、慣れているから。  そう言ったのに、あなたの耳には届いていなかったのだろうか。  それとも、あなたにとってはアタシの正体なんてどうでもいいものだったの?  だから、いつまで経ってもその目の色が変らなかったの?  アタシが、あのいやらしい目つきをした教師と話をしているとき、苦手な先輩と話しているとき、 決まってあなたが話に加わってきた。  嬉しかった。嬉しかったけど、怖かった。  いつか、あなたも他の人たちのように変ってしまうんじゃないかって。  アタシの抱く、あなたへの醜い想いを察したらきっとあなたは離れて行ってしまう。  アタシがそんな不安を抱いていることなんて知らないあなたは、毎日アタシの肩をたたく。  決して嫌なわけじゃなかったけど、やめてほしかった。  あなたが屈託のない笑みを浮かべるたび、アタシの胸の奥は切なく締め付けられるから。  抑えていたはずの気持ちが表にでようとして、どんどん大きくなっていく。  こんな気持ちを誰かに向ける日がくるなんて、思わなかった。  全部、あなたのせいだよ。  あなたが他の男とも仲良くするから。他の女ともイチャイチャするから。アタシだけを特別扱いしないから。  アタシはあなたに特別扱いされたい。あなたの特別になりたい。  あなたの想いを独占する、唯一の存在になりたい。  そのためにはどうしたらいいの?  あなたはきっと、誰が何を言っても変らない。  その性格は生まれ持ったものだろうから。  あ――そうだ。アタシがあなたを生まれ変わらせてあげればいいんだよ。  アタシだけを見て、アタシだけに声をかけて、アタシだけに笑顔を見せる、そんな人にしてあげればいい。  最初から最後まで。生まれてきてから死ぬまで。アタシだけを構う人になって。  今のあなたも好きだけど、やっぱりアタシはあなたを独占したい。  だからアタシは、あなたを奪う。  あなたを一人にしてあげる。アタシとあなたの二人だけの世界に連れて行ってあげる。  アタシがいなければ、寂しくて悲しくて切なくてどうしようもない、そんな人間にしてあげるよ。  楽しみだよ。あなたの心が変ってしまう、その瞬間を目撃するときが。    想い人を完全に忘れてしまうとき、あなたはどんな言葉を吐き出して、どんな顔をするのかな?

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