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907 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:37:05 ID:5duPFkJ. [2/13] 「俺と付き合ってください!」 中学校2年生になった頃、私はある先輩に告白された。 その人は友達の間でもしばしば話題に上がっていた人だったので、顔くらいは知っていたけど、話したことはこれまで一度もなかった。 だから呼び出されたことだけでも驚いていたのに、ましてや付き合ってくれと言われるなんて考えもしなかった。 「え、えっと……」 返事に迷う。 私だって思春期の女だし、彼氏が欲しいって少しは思うことだってある。 でも初めて話をした人と付き合うのには抵抗があった。 そんな風に思案しているとしびれを切らしたのか、先輩は悲しそうな顔をして「ダメか?」と尋ねてきた。 「いきなりで悪かったと思ってる……でも、もういてもたてもいられなかったんだ!それだけ君のことが好きなんだ!」 「!」 ここまで直接的な感情表現をされると断りきれなくなる。 もしかしたら付き合っていくうちに好きになるかもしれない。 友達も言ってたっけ。始めから両想いで付き合えるカップルなんてほんの僅かだって。 だったら評判も良く、こんなにも私を思ってくれる先輩と付き合うのもいいかもしれないな。 「……分かりました。こちらこそよろしくお願いします、先輩!」 そうして私、岡田結衣は人生で初めての彼氏が出来た。 翌日、私と先輩が付き合っているという噂はクラスの間に広がっていった。 「すごいね結衣!あの先輩の彼女になれるなんて!」 「ホントホント!いいな~羨ましいな~」 「でも結衣ちゃんと先輩ならお似合いだけどね」 「そ、そんなことないよ!でもありがとう」 「何かあったら何でも相談してね!」 私は先輩と付き合えたことよりも、まるで一人の女として認められたかのようで、クラスの友達から祝福されたことのほうが嬉しく思えた。 (みんなが私のことを褒めてくれる……) 思わず顔がほころぶ。 このとき、いつものように冷静さがあれば気づけたかもしれない。少なくとも、彼女たちだって直接的な行動はして来なかっただろう。 「……本当に結衣ちゃんは幸せ者だね」 舞い上がっていた私は些細な違和感に気がつかなかった。 908 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:38:41 ID:5duPFkJ. [3/13] 先輩は私と付き合ってからというもの、毎日のように電話やメールをくれた。 始めのうちは最近起こった出来事とか、見ていたテレビ番組のことなどを面白おかしく話してくれたので、すごく楽しかった。 それにメールの最後には必ずお休みの一言と一緒に、私のことが好きだと言ってくれた。 それがとても嬉しくて、私もだんだんと先輩のことを好きになっていった。 だけど時間が経つにつれて、先輩は少しずつ変わっていった。 いや、変わっていったというよりも、隠していたものをさらけ出してくれたという感じ。 お休みの言葉がなくなった。 私への問い掛けもなくなった。 しだいにメールの内容は先輩の自慢や人の愚痴へとシフトしていき、挙句には私のメールが少し遅れただけでもすごく怒るようになった。 デートに行った時などは服装が自分の趣味と合わなかっただけで、俺のことを理解してない、愛してないなどと言われた。 (きっと私が悪いんだ、私がもっと先輩を好きになれば……) 嬉しさの中に生まれたもうひとつの気持ち。 その存在を感じたくなくて、私は無理にのめりこもうとした。 らしくなく、お菓子を作った事もあった。 服だって先輩の好みの系統を勉強した。 お小遣いのほとんどをそれらに費やした。 当然、それからの先輩は喜んでくれた。女の子らしい、かわいいよって。 でもそれに反比例するかのごとく、私の気持ちは疲れていった。 付き合ってしばらく経った頃、先輩がキスをしようと言ってきた。 カップルなら当然の行為。 雰囲気もあり、相手も好きな彼氏。何も迷う事はないはずだったのに――― 「……ごめんなさい」 私は断った。 特に理由はない。 ただ……キスしたい、と思えなかった。 向こうも断られると思わなかったのだろう、 「は?何でだよ!俺達カップルだろ!?キスくらい普通だろ!?」 肩を思いっきりつかまれて、今まで見た事もない形相で迫られた。 「えっ、あの」 「お前は俺の彼女だろ!?だったらキスくらいさせろよ!」 何が起こったのか分からなかった。 ただ自分の意思とは別に体が大きく揺れ、肩は痛いほど先輩の指が食い込んでいた。 「あ!ご、ごめん!」 先輩が慌てて掴んでいた肩を離した。 「お、おい、結衣……?」 恐いと思った。この人が、男の人が、とても恐いと思った。 私は何も知らなかった。 彼女がキスを断ったら、こんな風に怒られる事。 「ご、ごめんなさい!」 泣きながら私は走り出した。 どうして先輩はあんなにも怒ったの? キスは拒んじゃいけないの? どうして私は……あんなに好きだった先輩とのキスを……断ったの? 考えても考えても疑問は晴れなかった。 家に帰ると同時に部屋に飛び込んだ。 (明日が来れば学校に……そうしたら友達に……) 何かあったら相談してね、と言ってくれた。 叱咤されるかもしれない。 でもそれからアドバイスをもらって楽しくおしゃべりして、放課後先輩に謝りに行こう。 そうしたらきっと先輩のことをもっと好きになれるはず。 キスだって今度はきっとできる。 そんなことを考えながら、私は朝が来るのをひたすら待ち続けた。 909 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:39:40 ID:5duPFkJ. [4/13] 次の日、学校で友達に昨日の事を相談した。 「―――って事があって……私、どうすればいいのかな?」 私の言葉に彼女たちが押し黙る。 覚悟を決めて言葉を待つ。 友達は話を始める前にあった笑顔を完全に失くして、冷めたような目つきを私に向けてきた。 心臓がドクンと跳ねた。 「……何それ。私はあの人にキスをせがまれるほど愛されてるの、って言う自慢?」 返って来た言葉は私の想像とはかけ離れたものだった。 その声色と内容に鳥肌がたつ。 「前々から思ってたんだけど、結衣ってさ、ホント空気読めないよね。ってかわざと?」 「な、何の事?私がなにか―――」 「そうやって気付かないふりして。あ、もしかして純情ぶってんの?言っておくけど、あんたの本性は女子全員知ってんだから」 友達が顔をズイッと寄せてくる。 「あんたが先輩を誘惑して彼女になったって事もね」 「誘惑!?ちょっと待って、私はそんな事してないよ!」 「こっちは何人も見てるんですけど。先輩の前で可愛い子ぶったり、媚び売ったりしてたの」 「どうせ私達が格好良いとか言って騒いでたから手に入れて見下したかったんでしょ?さすが可愛い子はやることが違うわ」 「違っ!本当に違うよ!信じてよ!!」 「最初っから私たちの事を友達って思ってないから先輩を奪えたんでしょ?」 「そんなことない!友達だって思ってる!それに奪ったなんて―――本当に信じてよ!」 恐かった。先輩に迫られた時よりもずっと怖かった。 もういい。 もう先輩との事は訊かないから、この話をする前に戻りたい。 「挙句の果てに自分から誘っておいて、キス迫られたから恐くなって逃げた?はぁ?マジで超ウザいんだけど」 「どうせ自分から誘っといて先輩に断られたんでしょ?あんな良い先輩を悪く言うなんてサイテー」 そのとき男子が近くを通りかかったせいか、友達の話もそこで終わった。 席に戻る彼女たちを茫然と見つめたまま、私はその場を動く事が出来なかった。 チャイムが鳴り、先生に促されてようやく席に着く。 でも私の震えは止まらない。 どうして友達は急にあんな事を? 授業中の先生の話も頭に入ってこない。 もしかしてこれは夢かもしれない。そうだ、これはきっと…… 私の願いが通じたのか、休み時間になるといつものメンバーが私の席に集まって来た。 ホッと胸をなで下ろす。 やっぱりさっきのは悪い夢だったんだ。 「でさー佐藤が転校した本当の理由って早川なんじゃない?付きまとわれてたからとか」 「あ!でもあの二人ってお似合いだよね!なんか息が合ってるって言うか―――」 「私もそれ思ってた。早川ってなんか暗いし、佐藤ももっと上狙えるのにね」 「……それが陽菜ちゃんと早川君って幼馴染なんだって!なんか憧れちゃうよね!」 「もしかして佐藤と早川って幼馴染とかだったりして」 「えっ、マジで!?うっわ~佐藤も幼馴染ならもっと格好いい方が良かったって思ってそー。例えば『先輩』とか」 「それ言えてる!」 「…………」 夢じゃなかった。確実に私は友達に嫌われてしまった。 はたから見るといつもどうりおしゃべりをしているように見えるかもしれない。 でも実際はこの中の誰一人、私の存在を認めてくれなかった。 「ははは……」 私にできる事は、相槌を打つか、みんなに合わせて空虚な笑みを浮かべるだけ。 「ははは……はは……は…」 学校と言う場所が地獄に変わった瞬間だった。 910 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:40:45 ID:5duPFkJ. [5/13] 「結衣、もう一回キスしてもいい?」 口だけの問いかけ。私の返事を待つ前に、先輩は嬉しそうに唇を重ねてきた。 最近の先輩は生き生きとしていた。 私とあっても怒ることはなく、いつもニコニコと笑ってくれる。 きっとみんなにとってこれが一番いいのかもしれない。 先輩が幸せそうにしている。友達だって下手に刺激しないで済む。 だからきっと…… 「んん……ん……んんっ!?」 突然、キスの最中に胸を触られた。 全身を駆け巡る嫌悪感。 すぐにでも先輩を突き飛ばしたくなる。 でもそんな事は出来ない。そんな事をしたら今度は無視だけじゃすまない。 これ以上はきっともたない。 だから私は必死に耐えた。 胸を弄る先輩の手は止まらない。 私は見られないように自分の太ももをつねり続けて自尊心を保った。 先輩は私がようやく素直になったと思ったのだろう。それとも、私自身も嬉しがっていると思ったのだろうか? それからはキスをするたびに胸を触られるようになった。 そして、家に帰ってからは泣き続ける日々が続いた。 911 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:41:36 ID:5duPFkJ. [6/13] 秋の運動会。私にとっては憂鬱だった。 風邪のふりをして休みたかった。 でもそんなわけにはいかない。 例の如く、私は友達によって運動会の実行委員に選出されていた。 そんな人が運動会を欠席できるはずがない。 実行委員なのでいつもより早く家を出た私は、重い足取りで学校に向かった。 グラウンドについてすぐに競技の準備を始める。 あと1時間ほどしたらみんなが登校して、またあの一日が始まるのかな。 運動会だから一日中友達と一緒に行動しなければならない。 もしかするとほとんど誰もいないこの時間、今だけが私の幸せな時間なのかもしれない。 俯きながらカラーコーンを並べていると、そこで思いもよらぬ出来事と遭遇した。 「あ、岡田さん!ちょっと手伝ってもらってもいい?」 声をかけられた。相手は隣のクラスの実行委員。名前は――― 「……うん、いいよ」 早川慶太。 これが初めて彼と話した最初の言葉だった。 今までの彼自身の印象は他人と距離を置きたがる、いわゆる内向的な人。 そんな彼が仲良くもない、ましてや違うクラスの私に話しかけたのに少し驚いた。 「クラスの子から聴いたんだけど、岡田さんって足が速いんだってね。羨ましいな」 一緒に職員用のテントを立てながら、彼が切り出した。 「そんなことないよ……」 答えながら私は考える。 なぜ彼は話しかけてきたのだろうか? もしかして……私に気があるのだろうか? そう思った瞬間、またしてもあの恐怖が蘇る。 コイツもあの人と同じ。 自然に離れようとした私に、彼は言いにくそうな顔をして訊いてきた。 「実はさ……俺、好きな人がいて、それでその人と岡田さんの仲がいいから……ちょっと相談に乗ってほしいんだけど……いいかな?」 驚いて彼を見つめる。 「えぇ!?あぁ、うん」 恥ずかしさがこみ上げて来る。 彼は私の事を意識している訳でも何でもなかった。 最近の自分はどうかしている。 「いいけど……私じゃあんまりいいアドバイスとかできないと思う……」 自分で言って切なくなる。 今の私には仲がいい友達なんていない。 「実はその人って陽菜のことなんだ」 一か月前に転校していった佐藤陽菜ちゃん。 彼女とは友達のグループは違ったが、お互いをちゃんづけで呼び合う仲だった。 「あ!呼び捨てなのは俺たちが幼馴染であるからで、その、え~っと……」 彼は下の名前で呼んだことが恥ずかしかったのか、顔を赤らめて慌てていた。 そんな彼を見ていると、男の人は全員があの人と同じ事を考えてるんじゃないって思えた。 こんなことで照れるような彼は、きっとキスなんてできないだろう。 それから私は彼の陽菜ちゃんに対する思いを聞いていた。 延々と彼がただ述べるだけ。 それは先輩との会話と一緒だった。 だけど……ただ聞いていただけなのに……なぜか楽しかった。 ずっとこうしていたかった。 時間にして数分間の会話。 でも私にとっては一秒にも満たなかった様に感じられた。 912 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:42:28 ID:5duPFkJ. [7/13] そんなひと時が終わり運動会が始まると、またしても例の時間がやってきた。 「ははは……」 相も変わらず、友達グループの中でひたすら無視されて、自称気味に笑う私。 先輩がこっちに向かって手を振ったときだけ、 「佐藤じゃなくてお前が転校すればよかったのに」 話しかけてくれる友達。 もう心の方が限界に達していた。 どうして私はこんなにつらいの? こんなにつらいなら、もう……いっその事…… そんな時、彼が再び声をかけてきた。 「あの!岡田さん、ちょっといいかな?」 突然の訪問客に友達が睨みつけるように彼を見る。 「……誰?」 「え、えっと……岡田さんと同じ実行委員の早川って言う者で……」 女の子に必要以上に注目され、彼は視線を彷徨わせていた。 そんな態度が気に食わなかったのか、彼女たちは詰め寄るように彼に近づいていく。 「だからなんであんたが―――」 「実行委員の仕事だよね!?分かった、今行くから!」 咄嗟に答えてから、私は立ち上がった。 「ごめん、みんな!ちょっと行ってくるね」 委員会とは言えど、彼氏がいるのにもかかわらず他の男について行く女。 多分彼女たちにはそう見えただろう。 きっと帰ったら何かされる。そう考えただけで恐怖が全身にまとわりつく。 でも、もう一度あの楽しかった時間を味わえるなら安い代償だと思った。 「それで私に何の用事なの?」 「先生にお茶用のお湯を汲みに給湯室まで行って来てって言われたんだけど、一緒に付いてきてもらってもいいかな?」 彼の言った仕事内容に疑問が湧く。 「いいけど、どうして一緒に?私が一人で行くよ?」 お湯を汲みに行くのに二人もいらない。 私がそんな質問をするとは思わなかったようで、彼は一瞬の驚いた顔をしたあとで、えっ~と、う~んと、と悩み始めた。 まさか……さっきの私を気にかけて……? いや、そんなはずはない。周りから見た仲が良い友達同士にしか見えないはず。 何を期待しているの。誰も気付いてなんかくれるはずないじゃない。ましてや助けてくれる事なんかあるわけない。 それでも――― 「あ、変な質問してごめん。やっぱり一緒に行こ?」 それでも嬉しかった。 例え気付いていなくても、彼は結果的に私の事を助けてくれた。 「それで、陽菜ちゃんにはいつ告白するの?」 話題を変えて、暗い気分を紛らわす。 彼の顔がこの上ないくらい赤く染まり、「まだ……そこまでは……」と、何とも曖昧な返事が返って来た。 そんな彼が可笑しくて笑ってしまった。 それと同時に湧きあがる感情。 こんな彼に愛されてる陽菜ちゃんが羨ましいな…… 給湯室でお湯を汲み、帰ろうとした途中で声をかけられた。 「結衣!」 体が硬直する。 なぜ……ここに? 声をかけて来たのは先輩だった。 そのまま私たちのところまで駆けてくる。 「さっきお前の友達から、お前が知らない男と二人で校舎に入って行ったって聞かされたんだけど……」 チラッと先輩が彼を見た。まるで人を小馬鹿にしたような笑み。 「まぁ、何もなさそうでよかったよ」 913 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:43:18 ID:5duPFkJ. [8/13] 「そうだ、結衣……ちょっと教室いかないか?どうせ今日は誰も来ないだろうし」 その言葉で息が止まる。 なんで教室に行くの?教室で何をするの? そこでもう一度、先輩は早川を見た。 「別にいいよな?」 遠回しに「早く行け」と言ってるのが見て取れる。 早川は先輩と私の顔を交互に見比べ、困ったように返事をした。 「はい、分かりました……それじゃあ岡田さん、手伝ってくれてありがとう」 生徒の大半は私と先輩の関係を知っている。きっと早川だって。 だから空気を読んで立ち去るのかもしれない。 いや……違う…… 早川は本当に鈍感だ。まったく空気を読めていない。 こんなにも、こんなにも心の中で行かないで!って叫んでいるのに。 急に彼の足が止まった。 え……? 「まだなんか用があんの?」 だがそんな態度が気に食わないようで、先輩が語気を強めた。 藁にすがる思いで、私は早川の背中に叫び続ける。 でも彼は振り向くことなく、再び駆け去ってしまった。 希望が絶望に変わる。 「なんだあいつ?……それじゃ行こうぜ、結衣」 手を繋がれたまま、出口とは逆の方向に連れて行かれた。 914 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:44:05 ID:5duPFkJ. [9/13] 教室に入った途端、唇を塞がれた。 「んんんっ!」 抵抗しちゃいけない。これは彼氏彼女なら当たり前の行為なんだ。 先輩はまたしても肩においていた手を下に下げた。 私はこのまま先輩の言いなりに、されるがままになんでも従うしかないの? みんなのために私が……でも私だって本当はやりたくないことは…… 先輩の口が離れる。 咄嗟に息を吸い、呼吸を整える。 もうこれで終わりだったらいいな。 「……なあ結衣、そろそろいいだろ?俺たち、付き合ってもう長いんだしさ」 ……いい?一体何がいいの? 体が強ばり、全身から汗がでる。 思わず後ろに一歩後退した。 その様子に先輩はさっきまでの笑みを消し、代わりに拳を強く握った。 「……なんだよその態度……まさか断らないよな?」 先輩が一歩詰め寄る。 あまりの恐怖に体が言う事を聞かず、この場から足が離れない。 肩に先輩の左手が乗せられた。右手は相変わらず握り締めたまま。 「あ……あの……わ……た……し……」 「いいよな?」 もう無理だった。 ここから逃げることも覚悟を決めることも先輩も何もかも。 涙が蛇口を捻ったかのように流れた。 「あ、あのっ!」 突然の声に先輩が振り返る。 私も先輩に釣られてゆっくりと顔をそちらに向けた。 そこにいたのは早川だった。 「申し訳ないんですけど、岡田さんを借りてもよろしいでしょうか!」 早川が息を切らせながらそう叫んだ。 はたから見たら恋人同士の戯れの最中なのに、彼は意に介さなかった。 どうして彼は声をかけた?いやそれよりもまず、どうして彼はここにいるの? 分かってる。 これは願望じゃない。説明はできないが確信はできる。 早川は私を助けに来てくれたんだ。 915 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:45:09 ID:5duPFkJ. [10/13] 「……はぁ。お前さ、空気とか読めないわけ?見て分かんだろ。今いいとこなんだから帰れよ」 「で、ですけど、どうしても岡田さんじゃないと―――」 「ウゼェって言ってんだよ!」 先輩は私を突き飛ばした後すぐに早川に飛びかかった。 胸倉を掴む。 「殺すぞテメぇ!」 ここまで怒った先輩は初めて見た。それと同時に今まで先輩に感じていた恐怖は、まだ生ぬるいものだったと実感させられた。 みんなに優しくて、格好良くて、憧れだった先輩が、今にも人を殴りそうなくらいにいきり立っている。 早川を助けないと、と思う一方で怖くて腰が抜けてしまう。 「なんなんだよ!お前、もしかして結衣のストーカーなのか!?言っとくけど、お前ごときじゃ結衣とは釣り合わねーぞ!」 怖い怖い怖い怖い怖い………………でも……早川を助けないと…… 「……お願い、やめ―――」 「あなたは岡田さんの気持ちを理解しようとしたことがあるんですか!?」 「「!?」」 私も、そして先輩もピタリと止まった。 「気持ちだけじゃない!岡田さんのこと、ちゃんと見てましたか!?」 私のこと……? 「岡田さんは今ものすごく苦しんでいて、毎日泣きそうになってて……あなたは彼氏なのに気づいてあげましたか!?」 「っ!んだとこの野郎!!」 「自分の事を第一に考えるのは悪いことだって言わない!!でもどうしてたった一言、岡田さんの様子を聞いてあげられなかったんですか!?」 「黙れ!!」 先輩が早川の頬に向かって手を上げた。 年齢差も体格差もあり、早川が後ろにあった机をなぎ倒しながら崩れた。 それでも彼は先輩の目を逸らさなかった。 「あなたはさっき俺に岡田さんとは釣り合わないと言いましたけど、俺から言わせれば先輩だって岡田さんと釣り合わない」 「この餓鬼……」 「先輩に岡田さんは勿体無い」 「殺すっっ!!」 それから先輩は早川を気が済むまで殴り続けた。 なのに私は動くどころか、声すらも出なかった。 私はどうしてこんなにも臆病で卑怯なのだろう。 916 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:46:18 ID:5duPFkJ. [11/13] 早川を気の済むまで痛めつけた後、気分が削がれたのか、先輩は教室を出て行った。 「は、早川っ!!」 ようやく私の足が動いた。 とりあえず持っていたハンカチで早川が殴られた箇所をそっと拭う。 「ごめん……なさい……私のせいで……本当に……ごめんなさい……っ!!」 涙が止まらなかった。 泣きたいのは早川の方なのに。こんなにも痛々しい傷を負ってるのに。 その後も泣きながら謝り続けた私に対し、早川は一言も話すことはなく手当を受けていた。 手当が終わり気分が落ち着くと、残されたのは私と早川と気まずい沈黙だけだった。 さっきとは違う恐怖が私の頭の中に溢れてくる。 きっと早川に嫌われた。きっと私と関わるのはもう嫌だって思ってる。 なんて自分勝手なんだろう。 早川がこんな思いをしたのは自分のせいなのに、私は自分の事ばかり考えてる。 『あんたの本性は女子全員知ってんだから』 友達の言葉が頭を過る。 ははは……そっか……これが私の本性だったんだ…… 他人の事なんかよりも、自分の気持ちを優先する。 先輩のことを棚に上げて、友達の気持ちにも気がつかず、私は今までなんて事をしてきたのだろう。 だからみんな私から離れて行って――― 「それが普通じゃないの?」 突然の事に一瞬思考が停止する。 咄嗟に顔をあげると、さっきまで無言だった早川がこっちを見つめていた。 「俺だって自分が一番大事だし、だから最初は先輩が怖くて逃げたんだ。空気を読んだわけじゃない。それにきっと岡田さんの友達も、生徒全員、先生だって自分を一番に考えてるんじゃないの?」 「え?」 「でも今回のことは岡田さんにもちょっと非があるかな。その気がないのに、深く考えもしないで良い返事はしないほうがいいよ」 「!?今、なんて……?」 「え?どうした―――!?」 私に聞かれたらまずかったのか、早川は急に慌てふためいて、またいつもの頼りない彼に戻ってしまった。 「えっと、今のは、その……噂で……」 「……早川は私の事信じてくれるの?私が……その……」 友達から言われて一番心に残っている言葉。 『友達って思ってないから奪った』 違う。 他はどうだっていい。でもこれだけは違うって信じてもらいたかった。 でも友達は最後まで信じてくれなかった。 早川はじっとしたまま黙り込んだ。 1秒、2秒、3秒……何秒経ったかかわからないくらい待ったあと、彼は答えた。 「……もし岡田さんがくだらない理由で友達を裏切るような奴だったら声なんかかけてないよ」 917 名前:雌豚のにおい@774人目[sage] 投稿日:2013/09/01(日) 23:48:10 ID:5duPFkJ. [12/13] 私はそれ以降、二度と早川に干渉しなかった。 早川の方も、それっきり私にアクションを取ってこない。 でも私はそれでよかったと思った。 だってあと一回、たったあと一言会話をすれば、きっと私は彼の事を好きになる。 彼には陽菜ちゃんがいるのに、諦めきれなくなる。 優しい彼の事だ。きっと私の事を思って彼を苦しめるに違いない。 だからこれでよかったんだ。 そう言えば前に早川のある噂を聞いたことがあった。 「アイツって常に考えてしゃべってる感じするよね~?まさか人の心でも読めるんじゃね?」 「アハハまさか~!」 あの時は何の気も留めなかったが、今にして思えば良い表現だったと思う。 人の心を読めるなんて思ってもいないが、それでも彼は人一倍、人の気持ちに敏感なんだと思う。 とにかく、私は彼の事を学校では考えないようにしよう。 彼の前では赤の他人のフリをしよう。 例え本当の意味で私に優しくしてくれる人が彼だけだったとしても、二度と関わらないようにしよう。 そのかわり一つだけ、家では早川の事、考えてもいいよね? 家で考える分には早川にも迷惑がかからないよね? そうだ、高校は誰も行くはずないくらい遠いところに行こう。 知り合いが一人もいない方が辛い思いをしなくて済むし、早川の事も思い出さなくなるかもしれない。 忘れることは絶対にないけど。 でも万が一、早川が同じ高校に来たら? その時はごめんね早川。 やっぱり自分の気持ちを優先すると思う。 だって早川自身が言ったんだもんね?誰もがみんな、自分のことが一番大事だって。 だからいいよね?それに…… 「あ、岡田さん久しぶり!岡田さんもここの高校受けるんだ。一緒のクラスになれたらいいね」 「……な~んだ折角誰もいないところで高校デビューしようと思ったのになー。ま、そのときはよろしくね早川!」 私の中では、もう慶太以外の男は存在していないのだから。

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