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490 名前:『ながめ』1 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/07/15(火) 00:05:45 ID:vjwUcrnU [2/7]  この地方には、とある民話がある、 『暗い、光の当たらない軒下には、「ながめ」が住みつく。』  ながめとは、醜く痩せさらばえた、毛むくじゃらの、大きな目をした中型犬くらいの大きさをした獣だという。  民家の軒下に住む生き物で、そしてながめが住み着いた家は、周りの家が皆駄目になるような災害にあっても、その家だけ無事なのだという。  まるで座敷童子の話のようだ。だけれど、ながめというのは座敷童子のようにいい妖怪ではない。なぜなら、この話には続きがあるからだ。  ながめは家を守る。しかしその一方で、ながめの住む家の家人、そのうちの一人は、ある日突然すがたを消してしまう。そしてながめも一緒にいなくなる。  ながめがいなくなった家は、その後、廃れてしまうのだという。    商業作品として手を加えられていない童話にありがちな、何の教訓も訓戒も得られない、ただただ不気味なだけの後味の悪い話。  そんな意味の無い話をいちいち考察することは無意味であると思う。だがその上で考える。  俺は、ながめとは悪鬼の類なのだと思う。  ながめが住み着いた家が災害にあっても潰れないというのは、ただながめが自らの住処を守ろうとする働きによるものだ。  では家人が姿を消すほうはどうか。これこそ、ながめ本来の性質を現している。俺が出した一つの結論。つまりながめは人を喰らうのだ。  人が一人突然いなくなる。その後ながめもいなくなる。とすれば、タイミング的にながめが何かした結果、人がいなくなると考えたほうがいい。しかし犬程度の大きさの、しかも痩せた生き物が、人を攫うことなど不可能だ。  ただし、殺すのならば別だ。  死んだ人間は暴れることも抵抗することもない。  話を聞く限り、ながめは力の強い生き物にはとても思えない。とすれば、人を殺す方法は不意打ちに決まっている。  そしてたとえながめが非力であろうと、殺してしまえば、その死体をそのまま軒下に引きずり込み、喰らうことぐらいできるだろう。  そう考えれば、ながめは食人の化け物だという結論が出る。  しかし人一人消えれば、ほかの家人も、また周辺住人も当然大騒ぎするだろう。  そこで、ながめは自分の安全のために姿を消すのだ。      つまりながめとは、騙まし討ちのように人を殺し、その死体を喰らう、卑しい、浅ましい生き物だという結論がでる。      俺がたかが民間伝承の一つである存在を、こうして独自の考察を加えてまでこき下ろすのにはわけがある。  俺は幼少期、ながめと会ったことがある。  そして、俺とながめの縁は、いまだに切れていない。      この話は、徹頭徹尾、俺とながめとの話である。         ――――――――――――――――――――――――――――         「あ、あの……」  放課後、俺は下校しようと下駄箱で靴を履き替えていた。  校舎の反対側にあるにも関わらず、どこにいても聞こえてくる野球部の掛け声。低音から高音まで様々な音を発している吹奏楽部の楽器の音、そして放課後の予定に心躍らせる学生の話し声、足音。  そんな雑多な音の中に紛れてしまえば、普通なら聞こえなくなってしまうであろう、小さな小さな音。  だが、そんな小さな音でも、この音ならば俺は聞き逃すことが無い。 491 名前:『ながめ』1 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/07/15(火) 00:06:24 ID:vjwUcrnU [3/7]  ――好む、好まざるに関わらず。  ため息を飲み込みながらゆっくりと振り向くと、妖怪のような生き物が、そこに立っていた。  それを初めて見た者が抱く最初の印象を言うならば、それは毛の塊だ。  それは、真っ黒な、ぼさぼさの長髪を持っている。  そのくせ、その体躯は年に見合わない、小さく貧相なものだ。  さらに、俯き気味だから、長い髪が矮躯をすっかり覆ってしまっていて、見下ろすと一瞬、それがさながら毛の塊、毛の化け物のような錯覚に囚われるのだ。  おまけに、髪の隙間から覗く、ぎらぎらとした大きな目がますます彼女に妖怪然とした印象を与えている。  街灯の無い、暗い夜道であったのなら、間違いなく、毛の塊が大きな目でこちらを見ているように見えるだろう。  思わず、舌打ちが口をついて出た。  ため息は堪え切れたが、舌打ちは無理だったようだ。  このみすぼらしい、妖怪のような生き物。  それは俺の妹だ。名前を、永見、と言う。 「あ、あぅ、ご、ごめ……」  永見は――妹はたどたどしく、謝罪のような言葉を発する。  何を言っているか分からない。  そのおどおどとした卑屈な態度が、ますます俺の神経を逆なでする。  そしてその容姿は、そしてその態度は、俺に一つの記憶を想起させる。  ――ながめ。  ただのとるに足らない、民間伝承の中の一つの妖怪。取るに足らない、本当に取るに足らない話だ。  だけど、あの日みたあの化け物のことを、俺は生涯忘れることは無いだろう。  そして、俺はこの目の前の少女に、どんなに嫌悪感を覚えようと、どんなに苛立ちを覚えようと、それでもこれを見るたび 、あの日みたながめの寂しげな目を思い出し、そしてまるでその邪眼に呪縛されたように、どうしても俺はこいつを邪険にすることが出来なくなってしまう。  そもそもながみという名前がよくない。ながみなどと聞いたら、嫌でもながめを想起する。  何を考えてこんな名前をつけたのか、俺は一度母に問うたことがある。    曰く、当時父が好きだったアイドルの名前だそうだ。  アホなのか親父は。  尤も、アホないわくはともかくとして、そもそもがこの程度の話なのだろう。  ながみという名前で、いい年していちいちながめを意識してしまう者など俺くらいなものなのだ。それもそうだ。親が子に名前をつけるとき、普通は子の幸福を考え、色々なことを意識するものだが(うちのアホ親父は除く)、その考慮の内容に「童話の怪物に似ているかどうか」なんて事項はまず浮かばない。そんなものに、いい年して執着しているのは、俺だけなのだった。   「なんだ」  俺は妹の頭に手を置いてやる。  妹が小さく息を飲むのが分かる。  そして、髪の向こうで、薄く笑みを作るのも。  気持ち悪い。  妹はこうして触れてやると、ようやく落ち着いて、まともに話ができるようになるのだった。 「い、いっしょに、帰ろ?」  たかが二言の短い言葉。  わざわざ声をかけるまでも無い、取るに足らない用件。  たったこれだけのことを伝えるためにここまでの手間が必要となる。  本当に、愚鈍な妹だ。 「ああ、分かった」  俺は妹の手をつかむと、そのまま手を引いて歩き出す。  冷たい妹の手に、薄く汗が滲むのが分かる。  妹は足をわずかに、ほんのわずかに弾ませて、俺についてきた。  幾度となく繰り返されてきた、俺達の日課。俺達の習慣。  妹の手を引くのは、並んで歩いているとあまりにも歩みが遅くて、イライラさせられるからだ。  そして――いや、本当は、恐ろしいのだ。  手をつかんでいないと、後ろを歩く妹が、あの日見た化け物に変貌してしまうような、そんな気がして。 492 名前:『ながめ』1 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/07/15(火) 00:07:11 ID:vjwUcrnU [4/7]  長く続く家の軒下には、「ながめ」が住むという。  兄が昔、話してくれた。  ながめとはこの町に語り継がれる、伝承上の生き物だ。ながめは、醜く痩せさらばえた、毛むくじゃらの、大きな目をした獣の姿をしているという。  ながめが住み着いた家は、ながめに守られるように、厄から守られるのだそうだ。  しかし一方で、ながめの住む家の住人の一人は、ある日突然すがたを消す。そしてながめもいつしかいなくなる。  この話を聞いたら、普通ひとはどう思うだろうか。  幽霊のように、妖怪のように、常識外の化け物を恐れるだろうか。  わたしは、ちっとも恐ろしくなんて思わない。わたしは、ながめとは座敷わらしのような、幸福を運ぶ妖怪だと思うからだ。  きっとながめは人が、正確には自分に軒下を貸してくれるその家人のことが好きなのだ。  ながめが住み着いた家が厄を逃れるというのは、少しでも恩を返そうと、ながめが家を守ってくれるのだと思う。  では家人が姿を消すほうはどうか。  一見、これは恐ろしい話に聞こえるかもしれない。ながめは人に害なす化け物だと思うかもしれない。  だけども、きっと違うのだ。  だってながめは家人が好きなのだ。  ならば害するわけがない。  多分、家人がいなくなるというのは家人が死ぬことを意味しているのだ。  家人が好きだったながめは、悲しくて悲しくて、一人ひっそりと姿を消すのだ。  そこにいるのが辛いから。  ながめはいじらしい、尊い生き物だ。 ――――――――――――――――――――――――――――  兄は今日も蔑むような目でわたしを見る。 「ああ、永見、どうした?」  兄は今日も唾棄するような声でわたしに答える。 「あ、あの、い、いっしょに帰ろうって思って」 「ああ、いいよ」  そう言って兄は、わたしの頭の上に置いた手を動かし、私の髪をくしゃりと撫でる。  その兄の手から伝わってくるのは愛情などではなく、後悔の念と嫌悪感。      兄はとっても優しい。  兄は、わたしのことを嫌っているにも関わらず、こうしてわたしに構ってくれる。触れてくれる。見捨てないでいてくれる。  肉体的にも精神的にも人より劣っているわたしにいらいらされられるのは当然のことだ。  だから、人は大体みんなわたしのことが嫌いだ。  それでも、兄はわたしのことをぜったいに見捨てたりしない。  きっと兄は聖人なのだ。  哀れなわたしに慰めを与えてくれる、立派な人なのだ。  そう分かっていつつ、卑しくもわたしは兄の優しさに依存し、迷惑をかけてばかりいる。  最低だ。  それでも、孤独なわたしは、この温もり無しでは生きていけない、無様で浅ましいわたしは、こうして兄に縋らずにはいられない。 ――――――――――――――――――――――――  ベッドの上で、部屋の壁に背を当てる。  この壁の向こうに兄がいるのだ。  そう思うと、ただ背を当てているだけで、心が安らぐのが分かる。  壁の向こうから、兄の声が小さく聞こえる。  来た。  わたしは急いで壁に耳を当てる。  兄が電話を始めたのだ。  兄はわたしのせいで、付き合いを犠牲にすることが多い。  その代わりのように、よく長電話をするのだ。    兄の声が、好きだ。  声変わりの前の声も好きだけど、声変わりした後の、響くような低い声はもっと好きだ。  兄の子供のような笑い声が好きだ。  兄の屈託の無い冗談の言葉が好きだ。  兄の照れたような、戸惑った声が好きだ。  ――それらの声は、わたしには決して向けられることの無いものだ。  だからわたしは、こうして壁に耳を当て、兄の電話の声を聞くのが好きだった。  しかし、幸福に満ちたわたしの耳は、一つの雑音を感じ取る。  不愉快な、女の声。  わたしには決して向けられない感情を向けられている女がいる。  それは、わたしにとってとても辛いことだった。 493 名前:『ながめ』1 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/07/15(火) 00:07:43 ID:vjwUcrnU [5/7]          兄の部屋の前に、細い光芒が伸びている。  閉じられた襖の隙間から伸びる、蛍光灯の光だ。  その光芒に誘われるように、気がつけばわたしは兄の部屋の前に立っていた。  部屋の中からは、相変わらず、兄の楽しげな談笑と、かすかに女の声が聞こえてくる。    まるで罰を受けているようだ、と思った。  わたしが愚図だから。こうして部屋の前に立たされているんだ。  わたしが人より劣っているから、兄の隣にいれないんだ。  襖を薄く開け、兄を見る。  兄は、笑っていた。  本当に楽しそうに。わたしには一度として向けたことの無い顔で。  顔が歪む。兄はあんなに楽しそうなのに、どうしてそれを見た私はこんなにも辛くなるのか。  おかしい。だってわたしは兄が好きだ。兄に、幸せになってほしいと思っている。  なら、兄が幸せなら、それでわたしも幸福ではないの?    わたしは、どうしたいのだろう。  楽しげに笑う、兄の笑顔が見たいのか。  楽しげに笑う、兄の笑顔を消したいのか。   「あはは、それで……」  談笑の途中、何の前触れも無く、不意に兄の眼がこちらを向いた。 「ひぅ!」  思わず声が漏れる。  兄の顔がしかめられるのが分かる。  手間のかかる厄介な奴が来た。今度はいったい何のようだ。  そんな言葉が兄の顔に浮かんで見えるようだ。 「悪い、ちょっと用事できた。また後でかけ直してもいいか?」  兄はそう言いながら、わたしに手招きをする。  わたしは、罪悪感と羞恥心で顔を真っ赤にしながら、そっと襖を開く。 「なんだ」  電話を終えた兄が、忌々しげにこちらを見下ろす。  電話をしていた兄は、とても楽しそうだった。  電話からかすかに聞こえた女の声。  あれは、兄の何だろうか。 「そ、その、用……なくて」 「じゃあなんで俺を見ていた」 「あ、あの、襖開いてて、それで……」  兄はハァ、とため息を吐いた。 「そうか、教えてくれてありがとう」  その声は、出て行け、と言っている。  何勝手に盗み聞きしてんだ気持ち悪い。  兄の眼はそう言っていた。 「う、うん……じゃあ。ごめんね……」  わたしはもう泣き出しそうだった。  こんななんでもないことなのに。  兄はまた、小さくため息を吐く。  兄は、わたしの頭に手を添える。 「あ、あの……」 「落ち着いたか?」 「あ、え、と」 「もう少しか」 「う、うん……」  兄は、わたしが落ち着くまで、頭を撫でてくれた。  わたしのことは迷惑でしかないはずなのに。  兄に落ち度など一つも無いのに。  兄は、本当に優しい。  優しすぎるのだ。     ――――――――――――――――――――――――――――  月明かりが薄く部屋を照らす。  眠れもしないのにベッドに横になっているうちに、いつの間にか月が出ていたようだ。  その光を反射して、机の上のサードニクスが、かすかに輝いた。  あれは兄から送られた誕生日プレゼント。サードニクスがついたネックレスだ。  わたしの誕生月が八月だから、誕生石だといって。  その素っ気無いデザインが、兄からわたしへの気持ちをそのまま表しているそうで、涙が出るほど嬉しかった。  あれから、その石を眺めるのを一日も欠かしたことは無い。  あの石を眺めながら、兄のことを想う。そして、あの幸福だったときを反芻する。  わたしは兄なしでは生きていけない。  漠然とした確信。  だけど、わたしは兄のために何かをすることが出来ない。  兄に害を与えることしか出来ない。兄の足を引っ張ることしか出来ない。いないほうがいい、有害な生き物。  兄が、あの屈託の無い笑顔を向けるような、その人のようには決してなれない。  そして兄はいつかわたしの傍からいなくなる。わたしは、兄の傍には寄り添えない。兄に、永遠に追いつけない。  確固たる確信。  迷惑をかけても兄の傍にいたい。たとえ兄にとって害悪にしかならなくても、それでも兄の傍にいたい。 494 名前:『ながめ』1 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/07/15(火) 00:07:59 ID:vjwUcrnU [6/7]  ――なんて浅ましい。  この世で一番大切なものを、どうして傷つけようとしてしまうのか。  わたしさえ消えれば、この世で一番大切なものが守られると分かっているのに、どうして消えることが出来ないのか。  どうして。どうして。  こういうとき、わたしは自分が嫌でたまらなくなる。  いっそ化け物になりたかった。  兄が語った童話の妖怪になって、軒下から兄をずっと眺めて過ごすのだ。  一緒にいることが出来ないのならば、せめて、眺めるだけでも――  化け物にだって、それくらいは許されている。  わたしには、許されないのに。  わたしは、兄が小さい頃会ったという妖怪に思いを馳せ、そして少しの羨望と、少しの嫉妬を覚えた。

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