「今帰さんと踊るぼっち人間 第八話 今帰さんと返報性」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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833 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02:22:27 ID:4x1S0/Ns [2/7]
「ねえ、前から聞きたかったんだけど」
何度目かも忘れた生徒会室での勉強会で。
今帰さんが突然そんなことを言い出した。
聞きたかったのならその場で聞けばいいのに。
とはとても言えない。
空気を読めないのはぼっちの特権だからだ。
リア充たる彼女がそれを行うのは大層難しかろう。
「阿賀くんは私のこと、好きじゃないの?」
えっ。
好きじゃないの? っていうか、三行以上おしゃべりした女子は大体好きですよ? ぼっちだもの。
何しろ下手したら男子すらうっかり好きになりそうになるくらいだ。
「えっ、いや、な、なに!?」
しかしリア充というのは本当にぶち込んでくるね。
ぼっちがこんな話題切り出そうと思ったら十年はかかるのに。いや十年かかったって無理だ。0には何をかけてもゼロだからね。
今帰さんはねめつけるようにこっちを見てくる。
「そうやって言葉を濁すの、よくないと思う」
「い、いや、濁したっていうかですね、ちょっとしたバクというか」
「バクって何?」
「僕というシステムは好きという言葉を入力されることを想定されて構築されていないんだ。そういう仕様なんだよ」
なんと説明したものか。ああ、自分と価値観を異にする相手に自分の理屈を通すのって難しいな。
あまりに唐突な質問に、僕は答えに窮す。
だけども、リア充にとってはちっとも急じゃないのかもしれない。
僕はぼっちだから、人との距離の取り方ってよく分からないんだけど、リア充だったらこれくらいの頻度で一緒に勉強会をしたり一緒に下校したりするくらいの仲だったらお互い好きとか言い合ったりするものなのかもしれない。
いずれにせよ、僕には関係ないことだし、永遠に知りえないことだ。
僕の煩悶をよそに畳み掛けるように今帰さんは言葉を重ねる。
柔らかな微笑みとともに、綺麗な声で。
それはあまりにも完璧だった。それを向ける相手が僕じゃなければ、だけれど。
「私は好きだよ」
心理学には、『返報性』という概念がある。
これは大雑把に言ってしまえば、好意を示されたらこちらも好意を返すという、人間の本能、あるいは反射のことだ。
リア充というのはこれを自然にこなす。
だからみんなリア充が大好きだ。
僕は違う。僕は誰からも何も示されない。だから僕は誰にも何も示さない。
みんな僕のことを好きじゃなくて、だから俺もみんなのことを好きじゃない。
今帰さんに好きだよと言われた瞬間、あまりにも急激な血圧の上昇から意識が飛びそうになったけど、だけどそれでも僕は誰のことも好きではないんだ。
だから僕は無言だ。アホみたいに口あけてポカーンとするだけ。絶句とも呆然とも言う。
「好きって言われない人間なんていないよ」
今帰さんは言葉を続ける。
「じゃあ僕は人間じゃない」
彼女は呆れたようにため息をつく。まるで出来の悪い生徒を前にした教師のように。
「阿賀君は人間だよ」
いや知ってるよ。
僕は無言になってしまう。
彼女は出来の悪い生徒を何とか諭そうと、何かを思案している。
出来の悪い生徒であるところの僕も何か考えたほうがいいのかな。じゃあ何を考えればいいんだろう。
834 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02:22:53 ID:4x1S0/Ns [3/7]
「阿賀君!」
「は、はい!」
彼女は僕のほうに向き直り、僕をまっすぐ見る。
なるほど、率直に正攻法で攻めることにしたのか。
「私は阿賀君のことが好き。じゃあ、阿賀君は?」
理解できない単語が耳に飛び込んでくる。
今帰さんの目はどこまでもまっすぐで、澄んでいて、暗がりで生きている僕にはあまりにも眩しすぎる。
ああ、駄目だ。これは駄目だ。
ええっと、こういうときはなんて言えばいいんだっけ、どんな顔をすればいいんだっけ。
僕の人生で、今までこんな経験をしたことは一度も無い。だから対応が分からない。
いや、僕は知っている。実際にこんな経験をするのは始めてだけど、こういうシーンを乗り越えた例は読んだことがある。2chで。
さあ、知っているならその知識を生かすべきだ!
「……ぇ」
「なに?」
今帰さんはおもちゃを見せられたときの子供のような表情で、僕の顔を覗き込んでくる。多分、この感情は、期待だ。
今帰さんは望まぬ返答が帰ってくることなんて欠片も想定していない。
当然だ。今までの人生、全部うまくいってきたんだろう。人から嫌われたことなんて一度もないんだろう。ましてや、いるのかいないのかわからないかのように扱われたことなんて。
その期待に対し、僕は全力ですっとぼけた表情を作ってこう言った。
「え、なんだって?」
腹を蹴られた。
え? え!?
なんだこれ。お腹めちゃめちゃ痛い。今帰さんめちゃくちゃ怖い。
「私言ったよね。言葉を濁すのってよくないって。ついさっき言ったばかりだよね。まさか忘れたなんてこと、無いよね」
氷のような冷たさを篭められた言葉が降ってくる。蹲っている僕からは見えないが、きっと今の今帰さんはゴミを見るような目で僕を見ている。
どうなっているんだ。とあるラノベ主人公は「え、なんだって?」の一言でハーレムまで築き上げたというではないか! それなのに!
この言葉は魔法の言葉ではなかったのか。これは主人公かイケメンにのみ許された魔法だったのか。僕が真似してうまくいくと思うほうが間違いだった!
それにしても、こんなに怒った今帰さんを見るのは初めてだ。
結構強引だと思ってはいたけど、まさか暴力を振るわれるなんて夢にも思わなかった!
見上げると、今帰さんは微笑んでいた。
いつもの微笑が心底恐ろしく見える。
というか何故笑っているんだ。これが本性なのか。僕の天使は一体どこに?
とてもじゃないが直視できない。腹が痛すぎるということにして再び俯こう。
「一応言っておくけど、友達としての好きじゃないからね。異性としての好きだから」
予防線を潰された。
そもそも異性として好きな相手に腹蹴りをするだろうか。
そもそも、今の態度はどう考えても目の前に蹲る好きな異性に対して取る態度ではない。ぼっちの僕でもそれくらいは分かる。
いや悪いのは僕だ。さすがの僕でも僕が悪いと自分で思っているよ。
でもそれはそれとしてこれはおかしくないだろうか。
835 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02:23:12 ID:4x1S0/Ns [4/7]
どうしよう。どうする。
今帰さんに暴力を振るわれたという衝撃と対応策がまったく思い浮かばないという焦りで思考が目まぐるしく回る。いや、これは回っているのではなく迷走しているというほうが正しい。
完全に空転している。
何か、何か言わないといけない。
言わなければ、この腹蹴り以上の暴力が振ってくるという漠然とした確信がある。
うめき声を上げて蹲る(振りをして時間を稼ぐ)僕に、今帰さんは手を伸ばす。
僕の顎下をつかんで、無理やり顔を上に向かせる。
腹部の痛みとあいまって、呼吸が苦しくなる。
「痛かった? ごめんね? 立てる?」
その細い指から、じわじわと冷気が染み込んでいくる。
今帰さんの顔を見ることが出来ない。見るのが怖い。
とにかくこれで、ずっと蹲ってお茶を濁す作戦は潰された。
立ち上がるしかない。そして答えるしかない。
僕は椅子に寄りかかるようにして何とか立ち上がる。
本当はそこまで重症じゃない。痛みはすでに和らぎつつある。
ただ少しでも時間を稼ぎたかった。そして彼女の動揺を誘いたかった。
向き合う彼女から、答えを催促するような圧力を感じる。
相変わらず、顔を見ることは出来ない。
「……ほ」
そして、ほとんど呼吸音のような声が、どうしようかと困惑している僕の口から漏れた。
「ほ?」
「保留ってありっすかね?」
彼女の鋭い腹蹴りを僕は後方に飛んで回避した。
「ほあぁぁぁ!!」
ホ、ホ、ホァァー!
あっぶねえ! 予想通りだよ! じゃあ予想できたのになんで保留なんて言ったんだって聞かれれば、そこはもうごめんなさいとしか言いようが無い! 僕という人間の性なんだ!
「どうして!? 酷いよ!!」
怒るか攻めるかどっちかにして欲しい。
そしたら僕ももうちょっと対応を絞れるから。
「ちょ、ちょっと落ち着こう。パンツ見えるしさ」
「パンツくらいいくらでも見ていいから!」
「ストォォォォッップ!! それ以上はいけない!!」
どうして僕は自分に敵意を向ける相手のパンツの心配をしなきゃならないんだ!
これが今帰さんじゃなかったらぶん殴ってるぞ! もちろんそんな度胸無いけど!
「まって、落ち着こう。いったん落ち着こう。こんな状況で話してもまともな答えは出ないよ」
「好きから嫌いの二択じゃん!」
「二択も間違えるくらい動揺してるってことだよ!」
そもそも彼女の発言は根本的に間違っている。答えは通常であれば二択ではない。保留とかはぐらかしとか、言葉には無限の可能性があるんだ。言葉って素晴らしい!
しかし今はイエスかノーか以外の回答は許されないだろう。さすがに僕でもそれくらいは学んだ。
暴力と罵倒による強制二者択一。これが噂に聞く対話と圧力という奴か。実際は圧力と圧力だが、いや、選択肢が複数あるだけマシか。
少し、考えてみる。
もちろん、長い猶予が許される状況じゃない。
真剣に考えようと、真剣に考える振りで時間を稼ごうと、どの道あっという間に時間切れで強制的な選択を迫られるだろう。暴力によって。
アメリカ政府だってもうちょっとのん気だろうに。今帰さんという人は。
836 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02:23:34 ID:4x1S0/Ns [5/7]
逃げる、という選択肢がないわけではない。だけどそれはあくまで最終手段だ。今帰さんは僕より足が速いし持久力もある、はず。知らないけど多分そうだろう。彼女は運動も出来るイメージがある。実際、さっきの三日月蹴りは実に見事だった。
いや三日月蹴りとかよく知らないけどね。
さて、逃げた場合、僕を追いかけてくるかどうかは五分というところだろう。
悪くない賭けだ。だけど、これはいつでも実行できる。つまり他に選択肢がなくなってから実行しても遅くはない。というわけで保留。
さて、では問題の二択についてきわめて早く、具体的には僕が僕の身を案じた時間の半分くらいで早急に考えて結論を出そうか。
パターン①.好きと答える。
そもそもこの好意が嘘の可能性もある。
僕がただからかわれているだけの可能性。
それならそれでいい。いやまったく何一つよくないが、悩む必要は無くなる。
問題はこの好意が本心だった場合。
好きだと答えれば、当然その先がある。
付き合ったりデートしたり。
……無理だ。
こんなわけの分からない人間とどうやって付き合っていけというんだ。
そりゃ経験豊富なリア充さん達ならこの高難易度のミッションもクリアできるかもしれない。
しかしこの僕に、ましてやこんなわけの分からない相手と付き合うことなんて不可能だ。どうやったって順調に穏便に進むシナリオが浮かばない。想像力の限界を超えている。
もうやめて今帰さん! 僕のライフは最初からゼロよ!
つまり、これは駄目だ。
よし、じゃあ次だ。
パターン②、嫌いと答える。
先ほどの行動から見て、ほぼ間違いなく暴力が見舞われるだろう。
たとえば、先ほどのように昏倒させられたらどうなる?
そこから今帰さんがマウントを取り、振り下ろすような拳の連打を僕の顔面に叩き込んできたら?
さすが今帰さん! マウントポジションからの顔面パンチとか今帰さん本格的過ぎるよ! 天使というか野獣だよ!
うん。これもよくない。大変よくない。いくら今帰さんでもマウントは取らないだろうとか、そういった破綻はすごいけどとにかくよくない。
……うん!
よし、結論。逃げよう。
その前に、僕の両肩に置かれた手をどうするか。
……え、手?
この手は今帰さんの手だ。今帰さんの両手が、僕の肩をがっしりと掴んでいる。いつの間に僕の肩に手が置かれたんだ?
え、どうすんの。どうすんの僕。詰んでね? これ詰んでね?
「ねえ、どっち?」
迂闊にも、今帰さんの姿を正面からまじまじと捕らえてしまった。
フランス人形のような、大粒のキラキラとした目がこちらを真正面から捕らえている。
その目には、決して抗えないだけの魔力があった。
「いや、その、好きだよ」
……。
しまった! 咄嗟のこととはいえ僕は何を言ってるんだ!
ああ僕はどうしてこう素直なんだ!
いいやもう。やってしまったものはしょうがない。腹をくくろう。僕を笑いものにするリア充達が茶化しながら入室してくるより前に逃げよう。そうすれば致命傷は免れる。
837 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02:23:58 ID:4x1S0/Ns [6/7]
僕は浅く呼吸し、左足を半歩下げる。これで地面を蹴り、今帰さんの脇を駆け抜けるだけの余裕が生まれた。
後の問題は今帰さんの腕を振り払えるかどうかだけ。彼女の腕を払うのが先か、僕の肩が今帰さんによってむしりとられるのが先か。くっ、もってくれ僕の肩よ!!
が、僕は動き出せなかった。
理由は簡単。今帰さんの様子がおかしいことが気になるだとか、動揺のあまり僕の体が動かないとか、そういうことじゃない。
今帰さんが半歩前に出て、僕が足を出す場所が失われたからだ。
こ、この糞野郎……じゃなかった。この優等生!
僕は無言で彼女の出方を伺う。というかそれしか出来ない。
今帰さんは笑顔のままだった。
「よかったぁー」
彼女はそういって、笑顔のままぼろぼろと泣き始めた。
「うわっ! どうしたの」
「私ずっと不安だったの! 阿賀君に迷惑かけてるんじゃないかって、阿賀君に嫌われてるんじゃないかって! よかったぁー、よかったよぉぉぉぉー」
彼女はそう言って子供のようにわんわん泣き出す。
ばれてた。
なるほど、その心配は事実だ。だけど。
「この世に、今帰さんを嫌いになる人間なんていないよ」
それは、紛れも無い僕の本心だった。
今帰さんを嫌いになる人間なんて想像もつかない。
それくらい、僕には今帰さんは完璧で、天使のように人間離れした存在に思えた。
「じゃあ、私の彼氏になって?」
そうだ。彼女は僕を好きだといった。そして僕も彼女に好きだと言った(言わされた)。
だが僕は決して付き合うとは言っていない。記憶にございません。
上目遣いでこちらを見る彼女に、
「保留! とりあえず保留で!」
そういい捨てて脱兎の如く僕は逃げ出した。
――――――――――――――――――――――――
なんだかおかしなことになってしまった。
すっかり彼女のペースに振り回されっぱなしだ。
人から見たら、僕は相変わらず無表情に見えるだろう。
本当は心底動揺している。
心の表層ではなんともない振りをなんとか取り繕っているだけだ。
どうせ深い意味はない。
いつもどおりやり過ごせばいい。
大丈夫。大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、偽りの安寧を心に浮かべる。
こうして心の表面を落ち着けていれば、いつか心の奥も落ち着くだろう。
どうせ、こんな異常事態はすぐに終わる。
穏やかにたゆたう深い夜の闇が、僕の心を沈めてくれる。
今帰さん。
眠りに落ちる前、僕は彼女の笑顔をかすかに幻視したような気がした。
――――――――――――――――――――――――
調子に乗った。やりすぎた。失敗した。
今日ほど、そんな言葉を思った日はない。
調子に乗って告白して、怒りに任せて阿賀君のお腹を蹴って、彼を無理やり捕まえて。
彼を前にすると、私はまるで感情を抑えることが出来なくなる。
自分でも、どうしてだか分からない。
原因の分からない感情が心の中に後から後から湧き上がって来て、何も考えられなくなってしまう。
私は、彼にたくさんの迷惑をかけた。
それでも、彼は最後には好きだといってくれた。
私のことを愛していると言ってくれた。
嬉しかった。
彼は引っ込み思案だからきっかけがないと行動できないんだって前に言っていた。
阿賀君は私のことが好きで好きで、常に今すぐにでも好きだといって押し倒したかったに違いない。
素直に押し倒してくれてもいいのにと思うけど、そういう奥ゆかしいところも彼のいいところだ。
――罪深い私と、無垢な彼。
決して私が彼に強要したわけじゃない。
本当は私のことをなんとも思っていない、それどころか私のことを嫌っているなんて、そんな可能性あるわけない。
大丈夫、彼なら、私を好きになってくれる。
罪深い私を。醜い私を。
電気を消し、ベッドに入って瞑目する。
阿賀君。
その呟きは部屋の闇に飲まれ、消える。何も返ってはこない。
阿賀君。
暗闇に手を伸ばす。その手は誰に触れることもない。
阿賀君。
奥行きも分からない深い夜の闇は、私の祈りに答えてはくれなかった。