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352 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:00:10 ID:zqXtABnM ***** : : :  目を開ける。  すぐに閉じる。  寝起きの眼球に今目にした光景は刺激的すぎた。とても目を開けていられない。  別に、風呂上がりで艶めかしさを三割増やした葉月さんがバスタオルで隠した胸をさらけ出しそうとか、 妹が俺の胸元に入り込んでシャツを弱い力で掴みながら幸せそうな顔をしているとか、 そういった俺の下半身に都合のいい刺激ではない。  白かった。  視界の中が白に染まっているせいで、爛々と輝く蛍光灯を直視してしまったみたいに目が痛い。  眉を強くしかめてから、もう一度挑戦してみる。  今度は高速で目を閉じたりはしなかったが、心の中が疑問符で一杯になってしまった。  なんだコリャ、俺が寝起きで部屋が白で?   頬を摘んでみる。ふむ……痛いだけで部屋の様子は変わらない。  足下が確かであるからして、現実もしくは恒例のリアリティあふれる夢だと見当をつける。  では、主観的な状況把握に努めるとしよう。    場所は日本ではよく見かける洋風を意識したつくりの部屋。家具を含むインテリアも同じく。  特殊なのはそれらの配色が淡泊であるというところ。  雪が降っている訳でもないのに窓の外が真っ白。家の周りが画用紙で覆われているよう。  何かの上に上塗りした白ではない。どちらかというと、何もないから白くなっている、みたいな感じ。  家の壁、家具、天井、フローリング、いずれも染み一つ無いピュアホワイトだ。  白一色のフローリングはなんだか落ち着かない。踏み出すことさえ躊躇ってしまうから、せめて木目ぐらい欲しいところだ。  そして、視界に映るものの九割が白の面と黒の線で構成されているくせに、 テレビ画面や鏡や写真立てなどの顔を確認できる物だけは、つや消しの黒スプレーを吹いたみたいになっていた。  そのせいで部屋の光景が映り込まず、現実感のなさの演出に一役買っていた。  せめてクリアーを吹いてから研ぎ出ししてくれればよかったものを。  この手抜きっぷりは俺の夢らしくない。別に俺が望んで夢を創造したわけじゃないけどさ。  気付いたことがひとつ。ここは、我が家のリビングルームだ。  外の景色を臨める窓、廊下と部屋を繋ぐ入り口の扉、大きいとは言えないものの必要なものはほぼ揃っている台所。  大規模リフォームしない限りは変わらない部屋の構造はそのままのはず。  今朝俺が見た居間の光景と違う点は、配色が白黒になっているところ、もう一つが家具の配置と物の違い。  何気なく我が家の情報収集と娯楽提供に一役買っているテレビは、二回りほど小さくなっていた。  置かれている場所はソファーの近くではなく、テーブル近くの壁際。  カラーボックスの上に置けるほどの大きさのテレビは、テーブルの面と同じ高さにある。  窓際の中途半端なくつろぎ空間を作り出しているソファーは数を増やしており、二つ。  ガラステーブルを挟む配置は、まるで高校の応接室のようである。  住人の視点からすれば意図が理解できない。  来客用に設えているつもりなのだろうか。リビングに入り込んだ来客など数年間いないというのに。  それ以外に違うところはカーテン、観葉植物、カーペット、蛍光灯など多数。  以上を踏まえて、これはおそらく過去か未来の光景だと予想される。    扉が開いた。廊下とリビングが繋がった。  そのはずなのだが、どういうわけだか廊下は見えない。扉を境にした向こう側が芸の無い白だった。  そこから突然小柄な人間がリビングへと飛び込んできた。  お召し物がワンピースであるところからして、女の子だと思われる。  髪が黒、肌が白。女の子の地肌が白いわけではなさそうだ。  根拠? 背景と同一の白だからそう判断したのさ。  女の子の顔には見覚えがある。  母親をデフォルメした妹を、またデフォルメした容姿。女の子には妹の面影がある。  ここは俺の住む家、そこにいる妹そっくりの女の子。  この光景が過去のものであるなら、女の子は妹本人。  未来のものであるなら、妹の娘かな。  面倒だから、ここでは暫定的にちび妹と呼ぶことにする。 353 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:01:26 ID:zqXtABnM  ちび妹は慌ただしかった。  リビングに入ってくるなりテーブルにぶつかりそうになり、左右を見回してから一度キッチンの方向へ走り、 数秒のうちにまたキッチンから飛び出して今度はソファーの後ろに隠れた。  この動きはかくれんぼでの追われ役に近い。  どこかに一度隠れてはみたがやはりここではダメだと思い直して別の所に隠れる。  でも、改めて隠れた場所もイマイチだったりして移動しようとしたところで鬼が現れたりする。  それから捕まるか隠れおおせるかは運次第だ。  ちび妹がかくれんぼをしているとなると鬼役がいるはずなのだが、未だ姿を見せない。  鬼は誰だろう。もしちび妹が妹本人なら弟か花火が候補に挙がる。  それとも俺か? これぐらい小さい頃だったら俺とも仲が良かったかもしれない。  そうだったらいいなあなんて、妹から他人行儀な態度でお兄さんと呼ばれている自分は思った。  スリッパの音が入り口方向から聞こえた。  ちび妹から視線をそちらへ向けると、妙齢の女性が一人立っていた。  はっきりした年齢はわからない。しかし母より若いのは間違いない。篤子女史と比較すると微妙。  ちなみに篤子女史も母も若作りである。年齢相応の容姿をしていない。  その二人と比べて若く見えるのだから、神秘の化粧術を使っていない限り、現れた女性は二十代であろう。  女性はリビング全体を見回すように首を右へ左へ。キッチンの方を見ると動きを止め、歩いてゆく。  その動きを見たちび妹はキッチンから見て死角になる位置へ移動する。  なるほど、ちび妹を追う鬼役はこの女性か。  近所に住む子供好きか、うちの家族の親戚のどちらかだろう。  しかし、どうも気になる。ちび妹の様子が必死すぎる。  目を強く瞑っているし、鼻と口まで両手でふさいでいる。  怯えているのが一目瞭然だった。 「――ちゃん、出ていらっしゃい」  妹の名前を、女性が呼んだ。  呼び声のもたらした効果は、ちび妹の体の萎縮。肩を一度大きく震わせ、体を丸くさせた。  それと、もう一つ。俺の足を痙攣させる効果まであった。  嫌な汗が額をびっしりと覆う。足裏が床に糊でくっつけられているみたいに動きづらい。  呼吸しづらい。女の声で空気が重くなっていた。  わかる。知っている。聞いたことがある。  ――俺はこの女を知っている。  この光景は過去のもので、ちび妹は妹本人で間違いない。  ただし、そこから先が不明だ。  何で俺と妹は女をここまで恐れているんだ。  今の俺自身が怯えている、すなわち過去の俺もこの女に怯えている。  なぜ怯えているのだ? 原因は?  もしかして、今からそれが分かるのか。俺と、昔の妹がこうなっている理由が。 354 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:02:40 ID:zqXtABnM  ちび妹、もとい妹が小柄な体を使って駆けだした。方向はリビングの入り口。  けど、床を這うような体勢で走っている最中に鍋をぶつけられ、妹は入り口前で転倒した。  鍋を投げたのはキッチンに立つ女。  怒りのあまり怒鳴りそうになったが、声は出なかった。  手を伸ばしてみると、俺の手が透明になって女の体をすり抜ける。  くそ。こんなんじゃ、妹と女をただ見ているだけしかできない。  女は妹の姿を見て嘲るように笑うと、歩き出す。右手にフライパンをぶら下げて。  妹は丸くなったまま立ち上がらない。妹の枕元に女がたどりついた。  女の足が上がる。下には妹の頭。  足が下り、妹の頭にぶつかる――その寸前、闖入者が現れた。  リビングに飛び込んできたのは子供だった。でたらめな叫び声をあげながら二人の間に割って入る。  そのおかげで、妹は守られた。女は妹をかばった子供の背中を踏んでいた。  突然のことに呆然とする女に向けて半袖短パンの子供が言う。   「――――――いで」  呟きが鼓膜にぽつりと当たった。  振動が波紋になって脳の隅々へ行き渡る。  今、この子供――たぶん男の子――は、なんて言った?  この声と台詞、聞いた覚えがある。それも間近で。何回も何回も。  もしかして俺はこの現場を何度も目にしたことがあるのか?  じゃあ、身を挺して妹をかばっている男の子は、弟か?  背中を盾にして伏せているから顔が見えない。弟だとは断定できない。  もしも弟だとしたら、過去の俺はどこにいる。隠れてないで出てこい。  ていうか何で隠れてるんだよ。それでも長男か。  女が弟と思しき男の子の脇腹をつま先で蹴った。むせかえる声も上げず男の子は耐え続ける。  妹は涙を流し、首をいやいやと横に振る。  震える口から出る言葉は聞き取ることさえできない。やめて、と言っているのだけはかろうじてわかる。  女が妹の髪を掴む。男の子が必死に、無慈悲で乱暴な手を解こうとする。  男の子の背中が踏みつけられる。下にいる妹ごと潰そうとしているよう。  それでも男の子は呻いたり、弱気な声を吐き出したりしない。  ただ、一言だけ呟く。 「妹を、――――で」    女は嘲るように鼻で笑う。もし俺が現場にいるなら問答無用ではり倒している。それぐらい憎らしい仕草だった。  無抵抗の男の子の足を、体格で勝る女の荒々しい両手が掴み上げる。  そして引っこ抜くようにして床から剥がし、よく見もせずに背後へ放り投げる。  男の子は椅子を巻き添えにし、棚にぶつかって止まった。  うつぶせになった男の子の後頭部に、上から落ちてきた花瓶がぶつかる。  花瓶は割れず、白い花と黒く描写された水をまき散らした。  顔を上げた男の子は、顔中が黒い水に濡れていて、頭部から血を流しているように見える。  男の子はそれだけの目にあっても、泣きじゃくる妹にフライパンが襲いかかる前に、女の腕に飛びかかる。  顔を拳で殴られ、足を踵で踏まれ、髪を引きちぎられ、聞くに堪えない言葉で罵られる。  ボロボロになりながらも男の子は泣かなかった。  妹の身代わりに自分を犠牲にし、自分の代わりに妹に涙を流させる。  ほどなくして、女の動きが止まる。荒い息を吐きながら肩を上下させる。  男の子はもはや女の腕にすがりつくことも困難になり、床に横たわり片腕だけで己の意志を伝えていた。  女の手首を掴む右腕は、頑として動かない。  呟く声が聞こえてくる。今度はより鮮明に耳に入り込んでくる。 「……もうやめてよ。妹をいじめないで」  自身ではなく、妹だけをかばうその言葉が、俺の意識をバラバラに攪拌し、すべてを暗転させた。 355 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:04:10 ID:zqXtABnM *****  目を開くと同時に汗が入り込んで、痛いぐらいしみた。  あおむけに寝ころんだままで首を上げる。髪の毛の間を縫い、汗が頭皮を伝って落ちていく。  汗は全身を覆っていた。下着は言わずもがな、もしかしたら制服まで濡れているんじゃないか、と思えてくる。  確認しようと腕を伸ばそうとするも、動かせない。  変な体勢で寝ていたとかいう理由ではなく、後ろ手に縛り付けられていたから。  手首をひねると関節に食い込んでくる。細さと伸縮性のなさからみて、鉄線か釣り糸か。  左右それぞれの足首と膝にも同じものが巻かれている。血管を圧迫するほど強くはないが、かといって緩みそうもない。  手足が不自由になっている他は特に問題ない。  いや、あるか。 「……………………つめてえ」  背にしている床も冷たいが、もっとひどいのは空気だ。  二月中旬はまだまだ暖かくなるには早い。  凍てつくという表現がぴったり似合う夜の外気が、体を満遍なくコーティングしている汗と協力し、俺の体を芯から冷やす。  武者震いでなく、体ががたがた震え出す。止めようとしても止められない。というか止めたら駄目だと体が判断してる。  要するに、俺はとても危険な状況でピンチ。意味が被っているが、とにかくやばいということで。  こうして脳が活動していられるうちはいいが、このままではいずれ生命維持のために思考が止まってしまう。  その前に状況把握、あと解決策を模索しなくては。  今し方見た夢に関しては、この状況では考えないことにしよう。保留だ。  過去よりも今。立ち向かうべきものは現実だ。 「……まず、状況は黒であるぅらあああぁぁぁ……」  ちくしょうめ。口をちょっと開くだけで顎と喉が震えやがる。変な声が出た。  状況は黒だった。グリーンでもイエローでも、ましてやレッドでもない。ピンクが混じれば状況戦隊が完成だ。 「だが、そんなことはどうでもい、いぃぃぃあぁああぁぁぁ、ああぁぁぁ……」  余裕はがりがり削られつつあるのに、余計な思考だけは欠かさない俺の脳。  燃費が相当悪いに違いない。錆びたタンクから漏れているんじゃなかろうか。  現在俺がいる場所は不明である。  気絶しているうちに他人によって連れてこられたのだから、分かるはずがない。  連れてきた犯人は、共犯者がいない限りは澄子ちゃんであろう。 「しかし、あれにはびっくりした……」  しみじみそう思う。  夜の体育館で頭上を見上げたら愉悦の表情を浮かべる女の子がいた。これだけ聞くと学校の怪談みたいだ。  もし俺がこの状況から抜け出せたら仕返しに学校の怪談として噂を流してやろう。  なんてのは、冗談っていうより自分を励ますための方便だ。  だって、今の状況は黒なのだから。  場所がどこだかわからないうえ、淡い光さえどこにも発見できず、先の見通しが立たない状況、つまり黒。  状況黒とは、赤以上の緊急事態のことを指す。黒が赤を塗りつぶしているからである。  具体例として、奥深い山中に不法投棄された自動車のトランクに押し込められた状況が挙げられる…………考えなきゃ良かった。不安すぎる。    だが、こんな状況でも生きるのを諦める気にならない。  まだまだ俺にはやりたいことや、やり残したことが大量にある。  自分の部屋の押し入れにしまってある大量の積みプラを片付けたりとか、弟がいなくなったことで元気をなくした妹を回復させたいとか。 「葉月さんに告白の返事をする、とか」  なんで緊急時になるとやりたいことが浮かんでくるんだろ。  目標を意識させ、絶望を忘れさせるためか? ホント、人間の機能ってよくできてるもんだよ。 356 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:06:22 ID:zqXtABnM  上体を起こしてみる。額や頭に何かがぶつかったりはしなかった。  寝ころび、右に転がってみる。再度回る。もう一回回る。ワンモア。  床の固い感触は木製のものではない。ざらざらしたさわり心地はコンクリートのようだ。  俺の体が四回転しても障害物にぶつからない。縛られた両足で宙に蹴りを放っても空振りするだけ。  どうやら、それなりに広い場所にいるらしい。  乗り込んだ場所は体育館で、澄子ちゃんはそこに俺を閉じこめた。とすると、ここは体育館のどこかか。  人目に付きやすい場所に隠す愚を犯すなんて、少し抜けたところのある澄子ちゃんでもやりはすまい。  叫び声をあげられても生徒の耳に届かない場所を選定するはず。  床の裏か、舞台の下、それ以外の俺が知らない空間。  俺が好奇心旺盛な小学生なら体育館を隅から隅まで見て回ってたんだろうなあ。  こうやって俺も感動を憶えづらくなっていくのかね。 「一体どこなんだ、ここは」  悩みを吐き出してみる。すると、わずかな空気の乱れが生じた。  今、誰かが笑った? 「だ、だだだだ、誰、だ!」  不覚にもうわずってしまった声で、真上へ向かって怒鳴ってみる。  返事は息を吹き出す音だった。しかも、驚くほど近くから聞こえた。 「ふふ……っふふ。あはははは、先輩ったら面白いの!」 「へ? え?」 「ちょっとは嘆いたりわめいたり取り乱すかと思ってたら、全然普段と変わらないんですもん!  それなのに、さっきからすっごい近くにいるのに気付かないし! 恐怖に鈍くて勘も鈍いだなんてお得な性格してますね!」  よし、とりあえず落ち着いてみろ、俺のブレイン。状況に置き去りにされてる場合じゃない。  声から察するに、近くにいるのは女の子。だけどただの女の子のわけがない。  俺と同じ真っ暗な空間にいるわけだから、つまり、えー…………っと。 「君、木之内さん?」 「先輩。手持ちは金メッキのボールペンと純銀じゃない銀色のボールペンだけしかないですけど、どっちがいいですか?」 「ごめん嘘。ただ敬語を使ってみたかっただけなんだ。……君、澄子ちゃんか?」 「はい、そうですよ。先輩の弟さん限定のアイドルです。  あ。でもどうしてもっていうんなら、片手間に先輩のアイドルになってもいいですよ。  全校集会しているときに放送室から「澄子ちゃん、弟をよろしく頼む!」って、大声で言ってくれたらですけど」 「いや、あの、……遠慮しておくよ」 「あれ、アタシへの告白の方がいいですか? でもごめんなさい。アタシにはもう心に決めた人がいるんです」 「そうだろうね。うん、知ってるよ、とっくに」  澄子ちゃんのテンションについていけない。まともに合いの手を入れられない。  澄子ちゃんがいつも通り過ぎる。不自然さを感じるほど、自然体だ。  弟をさらいついでに俺をどこかに連れて行くということを成したのに、それについて負い目を感じていない。 「確認したいんだけど、いいかな」 「いいですよ。どうぞ、アタシのスリーサイズを言い当ててみてください」 「いや、そういうんじゃなくてね」  こんな状況じゃなければ、目測で上から74、47、76って言うんだけど。 「君が俺をここに連れてきた。合ってる?」 「はい。ついでに白状しちゃいますと、弟さんをバレンタインデイにさらったのもアタシです。それが何か?」 「いいや、なんでもないよ。聞きたかっただけ」  わかってはいたが、やはりそうか。  この子、文化祭の時と何も変わってない。冗談めいた喋りも、何があっても弟を手に入れようとする決意も。  澄子ちゃんは俺が初めて会った時から、弟をさらってしまうぐらい思い詰めていたのだ。  でも、行動を起こさなかった。まだスイッチが入っていなかったから。  じゃあ、行動を起こすスイッチを入れたのは一体誰だ? 357 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:07:26 ID:zqXtABnM 「あのさ、澄子ちゃ」 「ばあ」  カチリと音がして澄子ちゃんの顔が暗闇に浮かび上がった。枕元に座っているから顔が逆さに見える。  何がしたいんだこの子。懐中電灯で下から自分の顔を照らして。 「むー……先輩、つまんないです。もっと驚いてくださいよ。  弟さんはもっと大袈裟に、抱きしめたくなるほど可愛らしくリアクションしてくれましたよ?  つい抱きしめてウフフなことしちゃいました」  実行してるじゃないか。  それに可愛いって、どんな反応だ――ああ、澄子ちゃんの目で弟の反応を見たらそういうことになるのか。 「あ、どんな反応をされても先輩にはやりませんから。アタシ一途なんです。期待させてごめんなさい」 「つっこまないからね、俺は」 「どこに突っ込みたくなっちゃったんですか?」 「それにもつっこ…………いや、なんでもない」  つっこまないと言うツッコミもツッコミであると気づくほどには落ち着いてきた。  そろそろ話題を切りだそう。逆上させないよう慎重に。 「教えてくれないか。どうしてこんなことをしたのか」 「こんなことっていうのは、どれのことですか?  弟さんを家に帰れないようにしたこと? 先輩を捕まえて床に転がしていること?」 「……前者だけでいいよ」  後者の理由はだいたいわかる。俺が邪魔だから。  俺が弟の隠し場所である体育館に近づいたから、企みに気付かれたと思い、捕まえたってところだろう。 「一から説明しないとわからないですか? アタシがこうしている理由」 「動機はわかっているつもりだよ。俺が知りたいのは、澄子ちゃんが決行するきっかけになったものだ」 「そうですねえ……うん。せっかく男と女が暗闇の中にふたりっきりでいるわけですから、腹を割って話しましょうか」  そう言うと、澄子ちゃんは懐中電灯のスイッチを切った。再び視界が暗黒に染まる。  一人きりだと思っていた時より落ち着いているが、やはり澄子ちゃんといるのは安心しきれない。  まさかいきなりペンを突き立てたりはしないだろうが、油断はできない。 358 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:08:30 ID:zqXtABnM  澄子ちゃんは一度咳払いをすると、ゆっくりしたペースで話し始めた。 「先輩もご存じの通り、アタシは彼――先輩の弟さんが大好きです。恋してます、愛してます。  抱きついて額をぐりぐり彼の胸に押しつけて匂いを嗅いで悦に浸るっていうのを、休日を丸一日使ってやるのが夢です。  それぐらい好きなんですけど、アタシは一度も告白したことがありません。理由は知ってますか?」  不知である。知らない、と小声で言ってみた。 「葵紋花火の存在ですよ。前、言いましたよね。彼にはアタシ以外に好きな人が居るって。それがあの女です。  同じクラスに居れば、彼がどこをよく見ているのかわかります。  授業を受けている時はともかく、休み時間は教室から廊下を見てます。あの女が通りがかるか、気にしているんです。  それ以外にも、葵紋がいる教室に色々理由をつけて顔を出したりしています。  そんな様子を見せられたら告白する気だって削がれてしまいますよ。  アタシ、こう見えてもナイーブですから。玉砕覚悟で突っ込むなんてできません」  そうだろうね。無理もない。皆勇気と度胸があるわけじゃないんだ。 「でも、アタシは彼がどうしても欲しい。  寿命が半分、いいえ、あと一年しか生きられなくなっても、彼が手にはいるならアタシは悪魔と契約します。  アタシは彼を強引に手に入れることを決めました。それが去年の文化祭の頃。  あの時は運悪く先輩と葉月さんに見つかってしまったから失敗してしまいました。  けど、今回はそうはならなかった。先輩はたった一人で体育館にやってきた。そして抵抗する間もなくアタシに捕まった。  残る邪魔者は葉月さんと、忌々しい葵紋花火だけ。未来は開かれているも同然です」  うーむ、それはどうだろう。  葉月さんはああ見えて武道を学んでいるし、花火は弟のことになると冗談も挟めないくらい真剣になるし。 「俺がいなくなったぐらいじゃ、あの二人は止まらないよ。きっと」 「そうですかね? 彼を捜すことに関して、一番優れているのはきっと先輩ですよ。  先輩はお兄さんだから行動が読めるんでしょうけど、他の人にとってはそうもいかない。  まぐれでもなんでも、先輩の能力はとってもおいしいんです。アタシだって欲しいですもん」  俺だってくれてやりたいよ。弟を捜索する時ぐらいしか使い道がない能力だ。  個人が持てる特殊能力の欄が限られているなら、邪魔だから真っ先に削除しているところだ。 359 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:09:18 ID:zqXtABnM  本題に入ります、と前置きをしてから話が再開される。 「力ずくで彼を手に入れることを決めて臨んだ昨日のバレンタイン。  知恵熱が出るくらい悩んで書き上げた呼び出しの手紙を見た彼は、資料保管室に来てくれました。  室内で待っていたアタシは、彼の前に立ち、チョコレートを渡しました。  そして、まあ、バレンタインっぽく自分の想いを打ち明けたわけです。あなたのことが好きです、付き合ってくださいって。  対して、どんな返事をされたかは…………鈍感な先輩でもわかりますよね」 「なんとなく」  短く答える。そりゃあ当然だろ、とか下手に言ってしまったら刺されそうだ。 「そこまではよかったんです。アタシの気持ち的にはよくないですけど、  上手くいかないのは予定調和みたいなものです。わかっていたことでしたから。  問題はその後の、彼の言葉です。なんて言ったと思います? これ、当てられたらすごいですよ」  はて、なんだろう。 「だらだらと言い訳を続けたとか」 「違います。たった一言ですよ」 「これからも友達のままでいてね、とか」 「ハズレ。もっと、もっとアタシの心に突き刺さる言葉でした」 「……ごめん、俺にはわからない」  弟が澄子ちゃんの欠点を挙げてけなすわけがないし。  他に好きな人がいるから、ってのは言い訳みたいなものだし。 「本当は好きじゃないんでしょ、です」 「好きじゃ……何?」 「ちゃんと聞いてください。あと一回しか言いません」  息を吸う音が聞こえる。次に気怠そうなため息。明らかに口にするのも嫌そうな気配を感じる。  ここまで澄子ちゃんを落ち込ませるとは、一体どんな失言をしでかしたんだ、弟。   「澄子ちゃんは僕のこと、本当は好きじゃないんでしょ……ですって。どうです、これ。ひどいと思いません?」 360 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:10:17 ID:zqXtABnM  言葉を反芻する。  告白の返事の後に言った言葉が、好きじゃないんでしょ。それってつまり、告白が嘘だと思ったってことか? 「さすがにカチンときましたよ。アタシ、こう見えても平穏に暮らしてない時期があったから耐えるのは慣れてるんです。  それがいきなりレッドゾーンを振り切りましたよ。メーターの針がぐにゃりって曲がっちゃいました。  だって、真剣な告白をしたのに、気持ちを疑われたんですよ? 怒らない方がどうかしてますって」  あいつ、馬鹿か?  男だろうと女だろうと、告るのには勇気がいる。自分の気持ちを信じていなければできない。  その気持ちを踏みにじるような台詞を吐くなんてどうかしてるぞ。  いくら他に好きな女がいるにしても、断り方ってものがあるだろ。  弟が澄子ちゃんに言った言葉は、中でも最悪のものだ。  こりゃ、さらわれて当然だ。いや、澄子ちゃんが相手なら生きているだけでいい方だ。 「思わずフルスイングでビンタしちゃいました。でも気が済まなかったから、今度は反対側から張りました。  彼は怒りも反省もせず、まばたきをいっぱいしてました。何で頬を張られたかわかってないみたいに。  そこで気付いちゃったんです。彼、本当にアタシのことなんて眼中にないんだ、って」 「そんなこと……」  そんなことはないはずだ。弟は家族だけじゃなく、知り合いに対しても分け隔て無く思いやれる優しい奴だ。……そのはず、だ。 「先輩。慰めの気持ちは有り難く思いますけど、要りません。  事実は事実。彼にとって、アタシはただの友達。群れてきゃいきゃい言っている女たちと同列。  彼を遠くに感じました。アタシの意識は崖から真っ暗な谷底へ落っこちて、彼は崖の上でアタシとは別の方向を見てて。  もう、とっくの昔から葵紋花火だけしか女として見てなかったんです。  他の女なんて、シャーペンの芯みたいにどこでも手に入るお手軽な女としか見てないんです。  そのことを理解した時、入っちゃったんでしょうね。後先考えず、全てを敵に回す覚悟のスイッチが」 「そう、だったのか」  同情はしない。けど、澄子ちゃんが決行した理由はわかる。  自分だけを見てくれなくて悔しい。無理矢理にでも女として意識させたい。  だから、弟をさらって二人きりの場所に連れて行けばうまくいくはずだ、と。  単純明快すぎて自分が賢くなった錯覚までする。 「後はまあ、だいたいお察しの通り。力ずくで彼を気絶させて、隠せる身近な場所を見つけて、そこに連れ込みました。  それがここ、体育館の舞台の下。ここって普段は南京錠で閉じられてるから人が来ないんです。  文化祭とか体育大会ぐらいでしか使わない道具が収まってますから、先生も使いませんし。  しかもどういうわけか中からも錠をかけられるんです。卒業式を控えたこの時期なら、まず見つかりません。  あ、安心していいですよ。アタシと彼の理想郷に彼を連れて行ったら、扉は開けっ放しにしてあげます。  拘束は解きませんけど、運が良ければ一日ぐらいで誰かが見つけてくれるはずです。  無抵抗の先輩をどうにかしたところで、足が付く可能性が発生するだけでアタシの得にはなりませんから」  ということは、俺が邪魔する気満々だったらここでくびるのも厭わなかったわけか。  安心すべきか、自分の意志の弱さを嘆くべきか難しいところだ。 361 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:12:53 ID:zqXtABnM 「ところで、こんな真っ暗な場所にいて疲れませんか? さっきから不満そうじゃないし。もしかして、夜行性?」 「……まあ、一番やる気に満ちあふれているのは夜になるかな」  いつもならプラモデルを作りつつ母の妨害と戦うこの時間は、俺にとって癒しそのものだ。  嗚呼。今のこの時ほど我が家に帰りたいと思った日はない。ハロゲンヒーターの付け焼き刃な暖房効果が恋しい。 「じゃあ外、見てみます? 今日は月が出ていて良い夜ですよ」  澄子ちゃんは懐中電灯を付けると、暗闇の中を進んでいった。  錠を解く音がした後、重い音と共に扉が開く。  優しい月明かりが暗闇を照らす。目を凝らさなくても夜空に浮かぶ雲がはっきり見える。  自分の置かれた状況を忘れて夜の明るさに感動していると、澄子ちゃんが入り口の階段に腰を下ろした。 「先輩、今お暇ですか?」 「両手両足を縛られて、何かに励めると思う?」 「あはは。ちょっとだけ声に元気が戻りましたね。  それじゃ、耳かっぽじってぼんやりしつつ右から左へ聞き流すぐらいの心地で、でもやっぱり真剣に聞いてください」 「そうさせてもらうよ」  どうせすることもないし。いやまあ、開放するよう説得するとかあるんだけど、思いとどまらせる一言なんかないからさ。  会話の最中に理想郷とやらの場所をさりげなく聞き出すしかない。  俺がこの世から居なくなったりしたら、両手足の指でようやく数えられるくらいの人が悲しむ…………なら嬉しいな。  ともかく、俺が健在のまま弟を解放するという目的を結果的に果たすために、慎重にいこう。  不自由な体を動かして床に体育座りし、澄子ちゃんと向かい合う。  楽しそうな、澄子ちゃんの弾んだ笑い声。地下倉庫にそれは響かない。  ふと、自分がいる異世界から人間界へ向かうためには澄子ちゃんの話を聞かなければならない、みたいな試練を受けている気分になった。  まったくの外れでないところがファンタジーっぽい。  ボスが目の前にいなくて、手足が自由だったらきっと楽しいんだけどな。 「ちょっと長くなりますけど、聞いてください。  アタシの……そう、友達の話になるんですけどね」  月明かりを背にした澄子ちゃんの顔は薄暗くてよく見えない。  でも、それでいい気がした。  声から、悲愴なものがにじみ出ているのを感じたから。  話が終わる頃には何時になっているんだろう。  時計がどこかにないかと辺りを見回したけど、暗い地下倉庫にも、わずかに見える校庭にも、やっぱり見あたらなかった。 今回はここまでです。 また次回、お会いしましょう。
352 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:00:10 ID:zqXtABnM ***** : : :  目を開ける。  すぐに閉じる。  寝起きの眼球に今目にした光景は刺激的すぎた。とても目を開けていられない。  別に、風呂上がりで艶めかしさを三割増やした葉月さんがバスタオルで隠した胸をさらけ出しそうとか、 妹が俺の胸元に入り込んでシャツを弱い力で掴みながら幸せそうな顔をしているとか、 そういった俺の下半身に都合のいい刺激ではない。  白かった。  視界の中が白に染まっているせいで、爛々と輝く蛍光灯を直視してしまったみたいに目が痛い。  眉を強くしかめてから、もう一度挑戦してみる。  今度は高速で目を閉じたりはしなかったが、心の中が疑問符で一杯になってしまった。  なんだコリャ、俺が寝起きで部屋が白で?   頬を摘んでみる。ふむ……痛いだけで部屋の様子は変わらない。  足下が確かであるからして、現実もしくは恒例のリアリティあふれる夢だと見当をつける。  では、主観的な状況把握に努めるとしよう。    場所は日本ではよく見かける洋風を意識したつくりの部屋。家具を含むインテリアも同じく。  特殊なのはそれらの配色が淡泊であるというところ。  雪が降っている訳でもないのに窓の外が真っ白。家の周りが画用紙で覆われているよう。  何かの上に上塗りした白ではない。どちらかというと、何もないから白くなっている、みたいな感じ。  家の壁、家具、天井、フローリング、いずれも染み一つ無いピュアホワイトだ。  白一色のフローリングはなんだか落ち着かない。踏み出すことさえ躊躇ってしまうから、せめて木目ぐらい欲しいところだ。  そして、視界に映るものの九割が白の面と黒の線で構成されているくせに、 テレビ画面や鏡や写真立てなどの顔を確認できる物だけは、つや消しの黒スプレーを吹いたみたいになっていた。  そのせいで部屋の光景が映り込まず、現実感のなさの演出に一役買っていた。  せめてクリアーを吹いてから研ぎ出ししてくれればよかったものを。  この手抜きっぷりは俺の夢らしくない。別に俺が望んで夢を創造したわけじゃないけどさ。  気付いたことがひとつ。ここは、我が家のリビングルームだ。  外の景色を臨める窓、廊下と部屋を繋ぐ入り口の扉、大きいとは言えないものの必要なものはほぼ揃っている台所。  大規模リフォームしない限りは変わらない部屋の構造はそのままのはず。  今朝俺が見た居間の光景と違う点は、配色が白黒になっているところ、もう一つが家具の配置と物の違い。  何気なく我が家の情報収集と娯楽提供に一役買っているテレビは、二回りほど小さくなっていた。  置かれている場所はソファーの近くではなく、テーブル近くの壁際。  カラーボックスの上に置けるほどの大きさのテレビは、テーブルの面と同じ高さにある。  窓際の中途半端なくつろぎ空間を作り出しているソファーは数を増やしており、二つ。  ガラステーブルを挟む配置は、まるで高校の応接室のようである。  住人の視点からすれば意図が理解できない。  来客用に設えているつもりなのだろうか。リビングに入り込んだ来客など数年間いないというのに。  それ以外に違うところはカーテン、観葉植物、カーペット、蛍光灯など多数。  以上を踏まえて、これはおそらく過去か未来の光景だと予想される。    扉が開いた。廊下とリビングが繋がった。  そのはずなのだが、どういうわけだか廊下は見えない。扉を境にした向こう側が芸の無い白だった。  そこから突然小柄な人間がリビングへと飛び込んできた。  お召し物がワンピースであるところからして、女の子だと思われる。  髪が黒、肌が白。女の子の地肌が白いわけではなさそうだ。  根拠? 背景と同一の白だからそう判断したのさ。  女の子の顔には見覚えがある。  母親をデフォルメした妹を、またデフォルメした容姿。女の子には妹の面影がある。  ここは俺の住む家、そこにいる妹そっくりの女の子。  この光景が過去のものであるなら、女の子は妹本人。  未来のものであるなら、妹の娘かな。  面倒だから、ここでは暫定的にちび妹と呼ぶことにする。 353 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:01:26 ID:zqXtABnM  ちび妹は慌ただしかった。  リビングに入ってくるなりテーブルにぶつかりそうになり、左右を見回してから一度キッチンの方向へ走り、 数秒のうちにまたキッチンから飛び出して今度はソファーの後ろに隠れた。  この動きはかくれんぼでの追われ役に近い。  どこかに一度隠れてはみたがやはりここではダメだと思い直して別の所に隠れる。  でも、改めて隠れた場所もイマイチだったりして移動しようとしたところで鬼が現れたりする。  それから捕まるか隠れおおせるかは運次第だ。  ちび妹がかくれんぼをしているとなると鬼役がいるはずなのだが、未だ姿を見せない。  鬼は誰だろう。もしちび妹が妹本人なら弟か花火が候補に挙がる。  それとも俺か? これぐらい小さい頃だったら俺とも仲が良かったかもしれない。  そうだったらいいなあなんて、妹から他人行儀な態度でお兄さんと呼ばれている自分は思った。  スリッパの音が入り口方向から聞こえた。  ちび妹から視線をそちらへ向けると、妙齢の女性が一人立っていた。  はっきりした年齢はわからない。しかし母より若いのは間違いない。篤子女史と比較すると微妙。  ちなみに篤子女史も母も若作りである。年齢相応の容姿をしていない。  その二人と比べて若く見えるのだから、神秘の化粧術を使っていない限り、現れた女性は二十代であろう。  女性はリビング全体を見回すように首を右へ左へ。キッチンの方を見ると動きを止め、歩いてゆく。  その動きを見たちび妹はキッチンから見て死角になる位置へ移動する。  なるほど、ちび妹を追う鬼役はこの女性か。  近所に住む子供好きか、うちの家族の親戚のどちらかだろう。  しかし、どうも気になる。ちび妹の様子が必死すぎる。  目を強く瞑っているし、鼻と口まで両手でふさいでいる。  怯えているのが一目瞭然だった。 「――ちゃん、出ていらっしゃい」  妹の名前を、女性が呼んだ。  呼び声のもたらした効果は、ちび妹の体の萎縮。肩を一度大きく震わせ、体を丸くさせた。  それと、もう一つ。俺の足を痙攣させる効果まであった。  嫌な汗が額をびっしりと覆う。足裏が床に糊でくっつけられているみたいに動きづらい。  呼吸しづらい。女の声で空気が重くなっていた。  わかる。知っている。聞いたことがある。  ――俺はこの女を知っている。  この光景は過去のもので、ちび妹は妹本人で間違いない。  ただし、そこから先が不明だ。  何で俺と妹は女をここまで恐れているんだ。  今の俺自身が怯えている、すなわち過去の俺もこの女に怯えている。  なぜ怯えているのだ? 原因は?  もしかして、今からそれが分かるのか。俺と、昔の妹がこうなっている理由が。 354 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:02:40 ID:zqXtABnM  ちび妹、もとい妹が小柄な体を使って駆けだした。方向はリビングの入り口。  けど、床を這うような体勢で走っている最中に鍋をぶつけられ、妹は入り口前で転倒した。  鍋を投げたのはキッチンに立つ女。  怒りのあまり怒鳴りそうになったが、声は出なかった。  手を伸ばしてみると、俺の手が透明になって女の体をすり抜ける。  くそ。こんなんじゃ、妹と女をただ見ているだけしかできない。  女は妹の姿を見て嘲るように笑うと、歩き出す。右手にフライパンをぶら下げて。  妹は丸くなったまま立ち上がらない。妹の枕元に女がたどりついた。  女の足が上がる。下には妹の頭。  足が下り、妹の頭にぶつかる――その寸前、闖入者が現れた。  リビングに飛び込んできたのは子供だった。でたらめな叫び声をあげながら二人の間に割って入る。  そのおかげで、妹は守られた。女は妹をかばった子供の背中を踏んでいた。  突然のことに呆然とする女に向けて半袖短パンの子供が言う。   「――――――いで」  呟きが鼓膜にぽつりと当たった。  振動が波紋になって脳の隅々へ行き渡る。  今、この子供――たぶん男の子――は、なんて言った?  この声と台詞、聞いた覚えがある。それも間近で。何回も何回も。  もしかして俺はこの現場を何度も目にしたことがあるのか?  じゃあ、身を挺して妹をかばっている男の子は、弟か?  背中を盾にして伏せているから顔が見えない。弟だとは断定できない。  もしも弟だとしたら、過去の俺はどこにいる。隠れてないで出てこい。  ていうか何で隠れてるんだよ。それでも長男か。  女が弟と思しき男の子の脇腹をつま先で蹴った。むせかえる声も上げず男の子は耐え続ける。  妹は涙を流し、首をいやいやと横に振る。  震える口から出る言葉は聞き取ることさえできない。やめて、と言っているのだけはかろうじてわかる。  女が妹の髪を掴む。男の子が必死に、無慈悲で乱暴な手を解こうとする。  男の子の背中が踏みつけられる。下にいる妹ごと潰そうとしているよう。  それでも男の子は呻いたり、弱気な声を吐き出したりしない。  ただ、一言だけ呟く。 「妹を、――――で」    女は嘲るように鼻で笑う。もし俺が現場にいるなら問答無用ではり倒している。それぐらい憎らしい仕草だった。  無抵抗の男の子の足を、体格で勝る女の荒々しい両手が掴み上げる。  そして引っこ抜くようにして床から剥がし、よく見もせずに背後へ放り投げる。  男の子は椅子を巻き添えにし、棚にぶつかって止まった。  うつぶせになった男の子の後頭部に、上から落ちてきた花瓶がぶつかる。  花瓶は割れず、白い花と黒く描写された水をまき散らした。  顔を上げた男の子は、顔中が黒い水に濡れていて、頭部から血を流しているように見える。  男の子はそれだけの目にあっても、泣きじゃくる妹にフライパンが襲いかかる前に、女の腕に飛びかかる。  顔を拳で殴られ、足を踵で踏まれ、髪を引きちぎられ、聞くに堪えない言葉で罵られる。  ボロボロになりながらも男の子は泣かなかった。  妹の身代わりに自分を犠牲にし、自分の代わりに妹に涙を流させる。  ほどなくして、女の動きが止まる。荒い息を吐きながら肩を上下させる。  男の子はもはや女の腕にすがりつくことも困難になり、床に横たわり片腕だけで己の意志を伝えていた。  女の手首を掴む右腕は、頑として動かない。  呟く声が聞こえてくる。今度はより鮮明に耳に入り込んでくる。 「……もうやめてよ。妹をいじめないで」  自身ではなく、妹だけをかばうその言葉が、俺の意識をバラバラに攪拌し、すべてを暗転させた。 355 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:04:10 ID:zqXtABnM *****  目を開くと同時に汗が入り込んで、痛いぐらいしみた。  あおむけに寝ころんだままで首を上げる。髪の毛の間を縫い、汗が頭皮を伝って落ちていく。  汗は全身を覆っていた。下着は言わずもがな、もしかしたら制服まで濡れているんじゃないか、と思えてくる。  確認しようと腕を伸ばそうとするも、動かせない。  変な体勢で寝ていたとかいう理由ではなく、後ろ手に縛り付けられていたから。  手首をひねると関節に食い込んでくる。細さと伸縮性のなさからみて、鉄線か釣り糸か。  左右それぞれの足首と膝にも同じものが巻かれている。血管を圧迫するほど強くはないが、かといって緩みそうもない。  手足が不自由になっている他は特に問題ない。  いや、あるか。 「……………………つめてえ」  背にしている床も冷たいが、もっとひどいのは空気だ。  二月中旬はまだまだ暖かくなるには早い。  凍てつくという表現がぴったり似合う夜の外気が、体を満遍なくコーティングしている汗と協力し、俺の体を芯から冷やす。  武者震いでなく、体ががたがた震え出す。止めようとしても止められない。というか止めたら駄目だと体が判断してる。  要するに、俺はとても危険な状況でピンチ。意味が被っているが、とにかくやばいということで。  こうして脳が活動していられるうちはいいが、このままではいずれ生命維持のために思考が止まってしまう。  その前に状況把握、あと解決策を模索しなくては。  今し方見た夢に関しては、この状況では考えないことにしよう。保留だ。  過去よりも今。立ち向かうべきものは現実だ。 「……まず、状況は黒であるぅらあああぁぁぁ……」  ちくしょうめ。口をちょっと開くだけで顎と喉が震えやがる。変な声が出た。  状況は黒だった。グリーンでもイエローでも、ましてやレッドでもない。ピンクが混じれば状況戦隊が完成だ。 「だが、そんなことはどうでもい、いぃぃぃあぁああぁぁぁ、ああぁぁぁ……」  余裕はがりがり削られつつあるのに、余計な思考だけは欠かさない俺の脳。  燃費が相当悪いに違いない。錆びたタンクから漏れているんじゃなかろうか。  現在俺がいる場所は不明である。  気絶しているうちに他人によって連れてこられたのだから、分かるはずがない。  連れてきた犯人は、共犯者がいない限りは澄子ちゃんであろう。 「しかし、あれにはびっくりした……」  しみじみそう思う。  夜の体育館で頭上を見上げたら愉悦の表情を浮かべる女の子がいた。これだけ聞くと学校の怪談みたいだ。  もし俺がこの状況から抜け出せたら仕返しに学校の怪談として噂を流してやろう。  なんてのは、冗談っていうより自分を励ますための方便だ。  だって、今の状況は黒なのだから。  場所がどこだかわからないうえ、淡い光さえどこにも発見できず、先の見通しが立たない状況、つまり黒。  状況黒とは、赤以上の緊急事態のことを指す。黒が赤を塗りつぶしているからである。  具体例として、奥深い山中に不法投棄された自動車のトランクに押し込められた状況が挙げられる…………考えなきゃ良かった。不安すぎる。    だが、こんな状況でも生きるのを諦める気にならない。  まだまだ俺にはやりたいことや、やり残したことが大量にある。  自分の部屋の押し入れにしまってある大量の積みプラを片付けたりとか、弟がいなくなったことで元気をなくした妹を回復させたいとか。 「葉月さんに告白の返事をする、とか」  なんで緊急時になるとやりたいことが浮かんでくるんだろ。  目標を意識させ、絶望を忘れさせるためか? ホント、人間の機能ってよくできてるもんだよ。 356 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:06:22 ID:zqXtABnM  上体を起こしてみる。額や頭に何かがぶつかったりはしなかった。  寝ころび、右に転がってみる。再度回る。もう一回回る。ワンモア。  床の固い感触は木製のものではない。ざらざらしたさわり心地はコンクリートのようだ。  俺の体が四回転しても障害物にぶつからない。縛られた両足で宙に蹴りを放っても空振りするだけ。  どうやら、それなりに広い場所にいるらしい。  乗り込んだ場所は体育館で、澄子ちゃんはそこに俺を閉じこめた。とすると、ここは体育館のどこかか。  人目に付きやすい場所に隠す愚を犯すなんて、少し抜けたところのある澄子ちゃんでもやりはすまい。  叫び声をあげられても生徒の耳に届かない場所を選定するはず。  床の裏か、舞台の下、それ以外の俺が知らない空間。  俺が好奇心旺盛な小学生なら体育館を隅から隅まで見て回ってたんだろうなあ。  こうやって俺も感動を憶えづらくなっていくのかね。 「一体どこなんだ、ここは」  悩みを吐き出してみる。すると、わずかな空気の乱れが生じた。  今、誰かが笑った? 「だ、だだだだ、誰、だ!」  不覚にもうわずってしまった声で、真上へ向かって怒鳴ってみる。  返事は息を吹き出す音だった。しかも、驚くほど近くから聞こえた。 「ふふ……っふふ。あはははは、先輩ったら面白いの!」 「へ? え?」 「ちょっとは嘆いたりわめいたり取り乱すかと思ってたら、全然普段と変わらないんですもん!  それなのに、さっきからすっごい近くにいるのに気付かないし! 恐怖に鈍くて勘も鈍いだなんてお得な性格してますね!」  よし、とりあえず落ち着いてみろ、俺のブレイン。状況に置き去りにされてる場合じゃない。  声から察するに、近くにいるのは女の子。だけどただの女の子のわけがない。  俺と同じ真っ暗な空間にいるわけだから、つまり、えー…………っと。 「君、木之内さん?」 「先輩。手持ちは金メッキのボールペンと純銀じゃない銀色のボールペンだけしかないですけど、どっちがいいですか?」 「ごめん嘘。ただ敬語を使ってみたかっただけなんだ。……君、澄子ちゃんか?」 「はい、そうですよ。先輩の弟さん限定のアイドルです。  あ。でもどうしてもっていうんなら、片手間に先輩のアイドルになってもいいですよ。  全校集会しているときに放送室から「澄子ちゃん、弟をよろしく頼む!」って、大声で言ってくれたらですけど」 「いや、あの、……遠慮しておくよ」 「あれ、アタシへの告白の方がいいですか? でもごめんなさい。アタシにはもう心に決めた人がいるんです」 「そうだろうね。うん、知ってるよ、とっくに」  澄子ちゃんのテンションについていけない。まともに合いの手を入れられない。  澄子ちゃんがいつも通り過ぎる。不自然さを感じるほど、自然体だ。  弟をさらいついでに俺をどこかに連れて行くということを成したのに、それについて負い目を感じていない。 「確認したいんだけど、いいかな」 「いいですよ。どうぞ、アタシのスリーサイズを言い当ててみてください」 「いや、そういうんじゃなくてね」  こんな状況じゃなければ、目測で上から74、47、76って言うんだけど。 「君が俺をここに連れてきた。合ってる?」 「はい。ついでに白状しちゃいますと、弟さんをバレンタインデイにさらったのもアタシです。それが何か?」 「いいや、なんでもないよ。聞きたかっただけ」  わかってはいたが、やはりそうか。  この子、文化祭の時と何も変わってない。冗談めいた喋りも、何があっても弟を手に入れようとする決意も。  澄子ちゃんは俺が初めて会った時から、弟をさらってしまうぐらい思い詰めていたのだ。  でも、行動を起こさなかった。まだスイッチが入っていなかったから。  じゃあ、行動を起こすスイッチを入れたのは一体誰だ? 357 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:07:26 ID:zqXtABnM 「あのさ、澄子ちゃ」 「ばあ」  カチリと音がして澄子ちゃんの顔が暗闇に浮かび上がった。枕元に座っているから顔が逆さに見える。  何がしたいんだこの子。懐中電灯で下から自分の顔を照らして。 「むー……先輩、つまんないです。もっと驚いてくださいよ。  弟さんはもっと大袈裟に、抱きしめたくなるほど可愛らしくリアクションしてくれましたよ?  つい抱きしめてウフフなことしちゃいました」  実行してるじゃないか。  それに可愛いって、どんな反応だ――ああ、澄子ちゃんの目で弟の反応を見たらそういうことになるのか。 「あ、どんな反応をされても先輩にはやりませんから。アタシ一途なんです。期待させてごめんなさい」 「つっこまないからね、俺は」 「どこに突っ込みたくなっちゃったんですか?」 「それにもつっこ…………いや、なんでもない」  つっこまないと言うツッコミもツッコミであると気づくほどには落ち着いてきた。  そろそろ話題を切りだそう。逆上させないよう慎重に。 「教えてくれないか。どうしてこんなことをしたのか」 「こんなことっていうのは、どれのことですか?  弟さんを家に帰れないようにしたこと? 先輩を捕まえて床に転がしていること?」 「……前者だけでいいよ」  後者の理由はだいたいわかる。俺が邪魔だから。  俺が弟の隠し場所である体育館に近づいたから、企みに気付かれたと思い、捕まえたってところだろう。 「一から説明しないとわからないですか? アタシがこうしている理由」 「動機はわかっているつもりだよ。俺が知りたいのは、澄子ちゃんが決行するきっかけになったものだ」 「そうですねえ……うん。せっかく男と女が暗闇の中にふたりっきりでいるわけですから、腹を割って話しましょうか」  そう言うと、澄子ちゃんは懐中電灯のスイッチを切った。再び視界が暗黒に染まる。  一人きりだと思っていた時より落ち着いているが、やはり澄子ちゃんといるのは安心しきれない。  まさかいきなりペンを突き立てたりはしないだろうが、油断はできない。 358 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:08:30 ID:zqXtABnM  澄子ちゃんは一度咳払いをすると、ゆっくりしたペースで話し始めた。 「先輩もご存じの通り、アタシは彼――先輩の弟さんが大好きです。恋してます、愛してます。  抱きついて額をぐりぐり彼の胸に押しつけて匂いを嗅いで悦に浸るっていうのを、休日を丸一日使ってやるのが夢です。  それぐらい好きなんですけど、アタシは一度も告白したことがありません。理由は知ってますか?」  不知である。知らない、と小声で言ってみた。 「葵紋花火の存在ですよ。前、言いましたよね。彼にはアタシ以外に好きな人が居るって。それがあの女です。  同じクラスに居れば、彼がどこをよく見ているのかわかります。  授業を受けている時はともかく、休み時間は教室から廊下を見てます。あの女が通りがかるか、気にしているんです。  それ以外にも、葵紋がいる教室に色々理由をつけて顔を出したりしています。  そんな様子を見せられたら告白する気だって削がれてしまいますよ。  アタシ、こう見えてもナイーブですから。玉砕覚悟で突っ込むなんてできません」  そうだろうね。無理もない。皆勇気と度胸があるわけじゃないんだ。 「でも、アタシは彼がどうしても欲しい。  寿命が半分、いいえ、あと一年しか生きられなくなっても、彼が手にはいるならアタシは悪魔と契約します。  アタシは彼を強引に手に入れることを決めました。それが去年の文化祭の頃。  あの時は運悪く先輩と葉月さんに見つかってしまったから失敗してしまいました。  けど、今回はそうはならなかった。先輩はたった一人で体育館にやってきた。そして抵抗する間もなくアタシに捕まった。  残る邪魔者は葉月さんと、忌々しい葵紋花火だけ。未来は開かれているも同然です」  うーむ、それはどうだろう。  葉月さんはああ見えて武道を学んでいるし、花火は弟のことになると冗談も挟めないくらい真剣になるし。 「俺がいなくなったぐらいじゃ、あの二人は止まらないよ。きっと」 「そうですかね? 彼を捜すことに関して、一番優れているのはきっと先輩ですよ。  先輩はお兄さんだから行動が読めるんでしょうけど、他の人にとってはそうもいかない。  まぐれでもなんでも、先輩の能力はとってもおいしいんです。アタシだって欲しいですもん」  俺だってくれてやりたいよ。弟を捜索する時ぐらいしか使い道がない能力だ。  個人が持てる特殊能力の欄が限られているなら、邪魔だから真っ先に削除しているところだ。 359 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:09:18 ID:zqXtABnM  本題に入ります、と前置きをしてから話が再開される。 「力ずくで彼を手に入れることを決めて臨んだ昨日のバレンタイン。  知恵熱が出るくらい悩んで書き上げた呼び出しの手紙を見た彼は、資料保管室に来てくれました。  室内で待っていたアタシは、彼の前に立ち、チョコレートを渡しました。  そして、まあ、バレンタインっぽく自分の想いを打ち明けたわけです。あなたのことが好きです、付き合ってくださいって。  対して、どんな返事をされたかは…………鈍感な先輩でもわかりますよね」 「なんとなく」  短く答える。そりゃあ当然だろ、とか下手に言ってしまったら刺されそうだ。 「そこまではよかったんです。アタシの気持ち的にはよくないですけど、  上手くいかないのは予定調和みたいなものです。わかっていたことでしたから。  問題はその後の、彼の言葉です。なんて言ったと思います? これ、当てられたらすごいですよ」  はて、なんだろう。 「だらだらと言い訳を続けたとか」 「違います。たった一言ですよ」 「これからも友達のままでいてね、とか」 「ハズレ。もっと、もっとアタシの心に突き刺さる言葉でした」 「……ごめん、俺にはわからない」  弟が澄子ちゃんの欠点を挙げてけなすわけがないし。  他に好きな人がいるから、ってのは言い訳みたいなものだし。 「本当は好きじゃないんでしょ、です」 「好きじゃ……何?」 「ちゃんと聞いてください。あと一回しか言いません」  息を吸う音が聞こえる。次に気怠そうなため息。明らかに口にするのも嫌そうな気配を感じる。  ここまで澄子ちゃんを落ち込ませるとは、一体どんな失言をしでかしたんだ、弟。   「澄子ちゃんは僕のこと、本当は好きじゃないんでしょ……ですって。どうです、これ。ひどいと思いません?」 360 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:10:17 ID:zqXtABnM  言葉を反芻する。  告白の返事の後に言った言葉が、好きじゃないんでしょ。それってつまり、告白が嘘だと思ったってことか? 「さすがにカチンときましたよ。アタシ、こう見えても平穏に暮らしてない時期があったから耐えるのは慣れてるんです。  それがいきなりレッドゾーンを振り切りましたよ。メーターの針がぐにゃりって曲がっちゃいました。  だって、真剣な告白をしたのに、気持ちを疑われたんですよ? 怒らない方がどうかしてますって」  あいつ、馬鹿か?  男だろうと女だろうと、告るのには勇気がいる。自分の気持ちを信じていなければできない。  その気持ちを踏みにじるような台詞を吐くなんてどうかしてるぞ。  いくら他に好きな女がいるにしても、断り方ってものがあるだろ。  弟が澄子ちゃんに言った言葉は、中でも最悪のものだ。  こりゃ、さらわれて当然だ。いや、澄子ちゃんが相手なら生きているだけでいい方だ。 「思わずフルスイングでビンタしちゃいました。でも気が済まなかったから、今度は反対側から張りました。  彼は怒りも反省もせず、まばたきをいっぱいしてました。何で頬を張られたかわかってないみたいに。  そこで気付いちゃったんです。彼、本当にアタシのことなんて眼中にないんだ、って」 「そんなこと……」  そんなことはないはずだ。弟は家族だけじゃなく、知り合いに対しても分け隔て無く思いやれる優しい奴だ。……そのはず、だ。 「先輩。慰めの気持ちは有り難く思いますけど、要りません。  事実は事実。彼にとって、アタシはただの友達。群れてきゃいきゃい言っている女たちと同列。  彼を遠くに感じました。アタシの意識は崖から真っ暗な谷底へ落っこちて、彼は崖の上でアタシとは別の方向を見てて。  もう、とっくの昔から葵紋花火だけしか女として見てなかったんです。  他の女なんて、シャーペンの芯みたいにどこでも手に入るお手軽な女としか見てないんです。  そのことを理解した時、入っちゃったんでしょうね。後先考えず、全てを敵に回す覚悟のスイッチが」 「そう、だったのか」  同情はしない。けど、澄子ちゃんが決行した理由はわかる。  自分だけを見てくれなくて悔しい。無理矢理にでも女として意識させたい。  だから、弟をさらって二人きりの場所に連れて行けばうまくいくはずだ、と。  単純明快すぎて自分が賢くなった錯覚までする。 「後はまあ、だいたいお察しの通り。力ずくで彼を気絶させて、隠せる身近な場所を見つけて、そこに連れ込みました。  それがここ、体育館の舞台の下。ここって普段は南京錠で閉じられてるから人が来ないんです。  文化祭とか体育大会ぐらいでしか使わない道具が収まってますから、先生も使いませんし。  しかもどういうわけか中からも錠をかけられるんです。卒業式を控えたこの時期なら、まず見つかりません。  あ、安心していいですよ。アタシと彼の理想郷に彼を連れて行ったら、扉は開けっ放しにしてあげます。  拘束は解きませんけど、運が良ければ一日ぐらいで誰かが見つけてくれるはずです。  無抵抗の先輩をどうにかしたところで、足が付く可能性が発生するだけでアタシの得にはなりませんから」  ということは、俺が邪魔する気満々だったらここでくびるのも厭わなかったわけか。  安心すべきか、自分の意志の弱さを嘆くべきか難しいところだ。 361 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/05/16(金) 06:12:53 ID:zqXtABnM 「ところで、こんな真っ暗な場所にいて疲れませんか? さっきから不満そうじゃないし。もしかして、夜行性?」 「……まあ、一番やる気に満ちあふれているのは夜になるかな」  いつもならプラモデルを作りつつ母の妨害と戦うこの時間は、俺にとって癒しそのものだ。  嗚呼。今のこの時ほど我が家に帰りたいと思った日はない。ハロゲンヒーターの付け焼き刃な暖房効果が恋しい。 「じゃあ外、見てみます? 今日は月が出ていて良い夜ですよ」  澄子ちゃんは懐中電灯を付けると、暗闇の中を進んでいった。  錠を解く音がした後、重い音と共に扉が開く。  優しい月明かりが暗闇を照らす。目を凝らさなくても夜空に浮かぶ雲がはっきり見える。  自分の置かれた状況を忘れて夜の明るさに感動していると、澄子ちゃんが入り口の階段に腰を下ろした。 「先輩、今お暇ですか?」 「両手両足を縛られて、何かに励めると思う?」 「あはは。ちょっとだけ声に元気が戻りましたね。  それじゃ、耳かっぽじってぼんやりしつつ右から左へ聞き流すぐらいの心地で、でもやっぱり真剣に聞いてください」 「そうさせてもらうよ」  どうせすることもないし。いやまあ、開放するよう説得するとかあるんだけど、思いとどまらせる一言なんかないからさ。  会話の最中に理想郷とやらの場所をさりげなく聞き出すしかない。  俺がこの世から居なくなったりしたら、両手足の指でようやく数えられるくらいの人が悲しむ…………なら嬉しいな。  ともかく、俺が健在のまま弟を解放するという目的を結果的に果たすために、慎重にいこう。  不自由な体を動かして床に体育座りし、澄子ちゃんと向かい合う。  楽しそうな、澄子ちゃんの弾んだ笑い声。地下倉庫にそれは響かない。  ふと、自分がいる異世界から人間界へ向かうためには澄子ちゃんの話を聞かなければならない、みたいな試練を受けている気分になった。  まったくの外れでないところがファンタジーっぽい。  ボスが目の前にいなくて、手足が自由だったらきっと楽しいんだけどな。 「ちょっと長くなりますけど、聞いてください。  アタシの……そう、友達の話になるんですけどね」  月明かりを背にした澄子ちゃんの顔は薄暗くてよく見えない。  でも、それでいい気がした。  声から、悲愴なものがにじみ出ているのを感じたから。  話が終わる頃には何時になっているんだろう。  時計がどこかにないかと辺りを見回したけど、暗い地下倉庫にも、わずかに見える校庭にも、やっぱり見あたらなかった。

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