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ヤンデレ家族と傍観者の兄第十六話」(2008/06/09 (月) 19:58:53) の最新版変更点

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60 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:35:30 ID:C3xv1c1J  自宅にたどり着くまでに要した時間は、これまでの下校時間の記録を塗り替えるほどのものだった。  しかしそれは非公式。なぜなら、俺はタイムなど計っていないから。  日頃、時刻を確認できる道具を携帯電話しか持たない俺には、ストップウォッチなど縁遠い代物だ。  とはいえ、仮に持っていたとしても今はそんな些細なことを気にする余裕は無かったから、計りはしなかっただろう。  自宅の敷地を出てすぐそこにある電柱に手をついて、息を整えながらそんなことを思う。  何かに寄りかからないと立っていられない。これほど必死になって走ったのは久方ぶりだった。  別に走るのが久しぶりな訳じゃなくて、死力を尽くすのが久しぶり。  葉月さんと一緒に下校し送り届けた後、自宅へ帰るまでの道のりを結構なハイペースで走るという日常を 送らされてきたため、俺の心肺は錆び付いてはいない。  それでも、ペース配分など無視して足の動く限り地面を蹴り続けたら、さすがにバテる。  やれやれだ。どうしてここまで必死になれる。  妹に助けを求められたぐらいで、ここまで後先考えない行動を取るとは。 「シス……こーん、な、俺…………」  自覚した。というか、自分の体で証明してしまった。  そりゃ、前々から弟や妹に対して甘いと気付いていたが、まさかここまでとは。  弟が十四日帰ってこなかった時でもここまで変貌しなかったくせに、妹のこととなるとこうまで変わる。  誰がどう見たって妹想いの兄貴そのものじゃねえか。  否定しても、チャック全開にして歩いていたのにその事実を認めない男みたいに、嘘吐いているのが丸わかり。 「……かっこ、悪うござん、した」  俺は何も言わずに背中で語り、遠くから弟と妹を見守る男でいようと思っていたのに。  自宅を取り囲む塀を支えにして、玄関へ進む。  止まっていた時間は一分にも満たないぐらいだったが、呼吸を自分で制御できるぐらいにまでは回復した。  今朝は自宅で目を覚まさなかったから妹の顔を見ていない。  でも、たぶん家にいるだろう。弟を待つために。弟が帰ってきたらいの一番に出迎えるために。  だから、誰かが家の玄関を開けたら真っ先に飛び出すはず。  助けを求めてきたのは、玄関を開けた相手が妹にとって恐れの対象だったからだ。  果たして誰が妹の前に現れたのか。  答えは、玄関を開けて家の有様を見て、ようやく明らかになる。 61 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:37:02 ID:C3xv1c1J  玄関のドアを開けた。  飛び込んできたのは昨日の朝に見た我が家の玄関の光景、そのままであった。  いや、一つ違った。  見慣れない靴が一足、転がっている。  置いてあるのではなく、文字通り投げ捨てたかのように放置されていた。  家族の誰かがそんな不作法をしたのならば、真っ先に靴を揃える俺であるが、今日はそうしない。  見慣れない靴、それすなわち家族以外の誰かが入り込んでいるという証拠だ。  見たところ、靴の種類はスニーカーで、サイズは俺のものと比較したら小さめ。  女……か? これだけじゃわからないけど、可能性は高い。  ――――いや、相手の詳細など誰でもいい。 「おーい、妹? いるか?」  呼びながら、靴を乱暴に脱ぎ捨てる。不作法は承知の上。後で揃えるだけだ。  とりあえず、真っ先にリビングを覗き込む。  キッチン、テーブル、ソファー、天井、異常なし。  どこも散らかったりしてないし、誰も居やしない。  ……てことは、他の部屋。  妹が居そうなところといえば、弟と妹が共同で使用する部屋ぐらいしかない。  妹からメールが送られてきてから、すでに十分以上経過している。  どこかに連れ去られた、なんてことになっていなければいいのだが。  弟に続いて、もし妹までさらわれたら、どうすりゃいいんだ。  一番ろくでもない長男が残ったって、意味がないのに。  弟と妹が危ない目に遭わないように面倒を見るなんて単純なことすらできず、 俺一人だけ無事でいるなんて、端から見たらただの無責任な男でしかない。  人にどう思われようと、今更何しても遅いからどうでもいい。  ただ、弟を無事に家に帰し、妹を助けられればそれでいい。  時間が惜しいので、一番妹がいる可能性の高い場所を当たることにした。  弟と妹の部屋。二人の名前が、ベニヤ板の上に木で象った文字で書かれている。  そういえばこの表札を作ったのは俺だったっけ。久しぶりに思い出した。  たぶん弟も妹も覚えてないだろう。俺が忘れてるぐらいなんだから。  それはともかくとして、ドアを軽く三回叩いて、声を掛ける。 「俺だ。……入っていいか」  しばし待つ。が、返事はない。 「あと十数えて返事しなかったら勝手に開けるぞ」  一応予告をしておく。  もしここで返事があれば、入る必要はない。  はやる気持ちを抑えつつ、十からカウントを始める。  ゼロまで数え終えても妹からの返事はなかった。物音すらしない。  予告の通り、ドアノブをひねって二人の部屋に入る。 62 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:39:10 ID:C3xv1c1J 「なん…………だ、これは」  部屋中がひっくり返されていた。  正確に言えば、部屋に置いてあるあらゆるものがでたらめに床に散らばっていた。  弟と妹がそれぞれ使っている机。  二つともが机の上をまっさらな状態に変えられていた。引き出しも不揃いに出されっぱなし。  本棚の中身は全て床にぶちまけられ、辺り一面に本の海が出来ている。本棚も倒れて、背中を見せている。  テレビなんかも床に直接置かれ、台と離ればなれになっている。  それ以外にも、文房具やら服やら壁掛け時計やら、なんでもかんでもが床にあり、四方の壁がすっきりしてしまっていた。  しかし、中でも一番ひどい有様になっていたのは二段ベッドだ。  弟と妹、どちらが上か下か知らないが、今となっては知ったところで無駄なこと。  上のベッドと下のベッドが、別々に分離した状態に変わり果てていた。  誇張ではなく、本当に言い表したまま、上のベッドを支える四隅の支柱がへし折れていた。  下段のベッドは本来ならあり得ない、横倒しの直立状態になっていた。布団ももちろん剥がれている。  そして、上段のベッドは壁に斜めに寄り掛かっていた。  おそらく、置いてあったベッドをそのまま倒したら上のベッドが壁にぶつかり、支柱からぼきりと折れてしまったのだろう。  どう考えてもこれは、悪意のある人間の仕業だ。  とすると、妹が無事であるとは、限らない。 「誰? …………お兄さん?」  小さな声を耳にして、乱れていた思考が落ち着きを見せた。 「その声、妹か? 無事か? どこにいる?」  声は聞こえども姿は見えず。  災害に遭った後みたいな部屋の様子では、妹がどこに隠れているのかわからない。 「怪我はないよ。 それより…………駄目」 「なにが駄目なんだ」 「見せられない。隠れてなきゃ」 「なんでだよ」  もしかして、顔に怪我をしてしまって、そのせいで……? 「居るもん。あの人がまだ、部屋の中に」  部屋の入り口から前方、左右、天井、ついでに後方まで確認する。 「誰も居ないぞ? お前が気付いてないうちに帰ったんじゃないか」 「…………居る。そこ」 「どこだよ」 「………………ベッドの裏」  ベッドへと目を向ける。  無惨な有様になってはいるが、ベッド単体としての形はまだ保たれている。  横倒しになった下段のベッドは、死角を作り出していた。  妹以外の気配は感じられない。  しかし、耳を澄ますと一定の間隔で呼吸の音が聞こえる。  これ……まさか寝ているのか?   自分で部屋を荒らしておいて、逃げもせずにその場で寝るなんてどんな馬鹿だ。  だけど、これはチャンス。捕まえるなら今しかない。  床を見て武器になりそうなものを探してみるが、分厚い辞典ぐらいしか見あたらない。  仕方なく、辞典を片手にしてベッドへと忍び足で近寄る。  ベッドを背にして裏側を覗き見る。  まず見えたのは、ニーソックスを履いた長い足。  さらに覗き込むと、スカートが見え、次にセーラー服が見えた。  寝ているくせにその胸がやけに隆起している。いや、そんなことはどうでもいいのだ。  それより、目にした制服のデザインが、俺の通う高校の女子の制服だったことに気になった。  誰だ? 俺の家を知っていて、部屋を荒らし、妹には危害を加えない、そんな人間は。  澄子ちゃん……は無いな。体型がまるで違うし、ここにいる可能性は低い。  弟のファンクラブの子? 中には荒っぽい子がいるかもしれないけど、いまいち解せない。  他に弟に好意を抱いているのは――――花火がいる。 63 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:41:45 ID:C3xv1c1J  ニーソックスに、絶対領域に、スカートに、女子用の制服に、でかい胸。  以上の特徴を持ち、かつ俺の家を知っている人間。  そんなやつ、花火ぐらいしか居ない。  でも、花火は何をしている? 何をしに来た?  俺の家を荒らして嫌がらせなんかしたって、俺への恨みは晴れないだろう。  それ以外で花火が動く理由というと、姿を消した弟の捜索。  ――――そうか。こいつ、そのつもりで。 「来るのが遅いよ、アニキ」  びっくりして、辞典を取り落としそうになった。  今度は俺が花火の死角に入る番だった。  花火に対して、俺はどれぐらいの警戒をするべきだ?  部屋を荒らしたのだから、最大レベルの警戒であたるべきかもしれないが、 寝ていたということは、花火はもうこれ以上のことをする気はないのかも。  妹を傷つけていないのも、きっと目的を果たすのに必要ないからだ。 「そんなに警戒するなよ。私はただ、この部屋を調べに来ただけ。  用が済んだら、さっさと帰るよ」 「……じゃあ、なんでまだここに居る? ここまで荒らしたなら、これ以上調べる場所なんてないだろ」 「用があるからだよ。私一人じゃ見えないものがある。別の人間から見た、現状を教えて欲しい。  アニキ。何か手がかり――――あいつの居場所を掴めたか?」 「いいや、特になしだ」  隠れてて良かった。もし向かい合っていたら、嘘を吐いていることが絶対にバレていた。  居場所はともかく、誘拐の実行犯の正体はわかっている。  けれど、教えるわけにはいかない。  他の人間ならともかく、花火にだけは。 「ふうん、そう。  ところで、ちっさい妹に聞いたけど、アニキは昨日家に帰ってこなかったんだって?」 「……まあな」 「どこに行ってた? 夜通し遊びまわってたわけじゃないんだろ。  今のアニキの性格じゃ、そんなことしないのは知ってる。聞きたくもないのにあいつが教えてくれたからな。  ごまかしても、無駄だよ」  心の中で舌打ち。弟め、要らないことまで喋りやがって。  一番無難な答えができなくなってしまったじゃないか。 「……友達の家に泊まってたんだ」 「嘘くさい。自分の性格を理解してない。なにより、昨日の状況でそんなことをするはずがない」 「何を根拠に……」 「あいつから色々聞かされたって言っただろ。  まず、アニキはとにかく現状維持に努める。その代わり、新しいことや変化を望まない。  だからこそ、あいつが居なくなったことに不安になった。  今の状況で、一日連絡を取らずに、自分の家族、特に妹をさらに不安にさせるようなことはしない。  昨晩何の連絡もなかったという時点でおかしいんだよ」  大当たりだ。ここまで理解されてて、ある意味嬉しく思う。  仮に高橋の家に俺が泊まったとしよう。  その場合、真っ先に俺は家に連絡する。友人の家に泊まるから今日は帰らない、と言う。  弟だけじゃなく、俺まで居なくなったらさすがに両親まで不審に思うだろう。  いや、もしかしたら昨日の朝の時点で、すでにもう。  だから、昨日澄子ちゃんを見かけなければ俺は弟捜索を打ち切って家に帰っていた。 「あの女、葉月の家に泊まったなんてことはまず無い。そうすれば連絡しないのも頷けるけど。  アニキはあの女を恋人にする気なんかないんだろ。返事を保留にしているのがその証拠だ。  彼女にするほど好きじゃないのか、タイミングが掴めないのか知らないけどさ。  本気じゃないなら、彼女にはしない。返事をせずにごまかし続ける。  関係の変化よりも維持を優先。それがアニキの接し方。  そういうところが、いや、そういうところも含めて――――最低だ」 64 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:43:32 ID:C3xv1c1J  なるほどね。わかっていたけど、昨日の別れ際の台詞はそういう意味だったんだ。  好意を寄せられていると知りながら、好きだと告白されていながら、何の返事もしない。  そりゃあ、腹も立つだろう。クラスの皆も同じ事を思っているはずだ。 「花火。葉月さんに、俺は返事をしようと」 「ああ、そんなことはどうだっていいんだよ。返事しようがすまいが、私には関係ない。  アニキと私を関わらせる要因は、あんたの弟だけ。  あいつの居場所さえわかればこれ以上何も言わず、消えるよ。  ……で、結局アニキは昨日どこにいたんだ? 家族の誰にも連絡を入れず、友達の家以外で、どこで夜を明かした?」 「それは――――」  言えない。  地下倉庫に居たことを知られてしまったら、さらに追求され、犯人のことまで問い詰められる。  もし喋ってしまったら、澄子ちゃんが危ない。  去年の文化祭で、花火が自分の名前を呼んだ軽薄な男に対して奮った暴力的な一面。  あの場は弟が収めてくれたが、そのまま放って置いたら、あの男は顔をひしゃげさせられていただろう。  大げさな表現ではない。本当に花火は実行してしまう。  しかも澄子ちゃんは弟をさらった人間だ。  自分にとって一番大切に思うものを奪われたら、人は一体どんな行動をとるのか。  例えば俺の場合だったら。だったら――――どうするんだろ。というか、何が大事なんだ?  妹だろうか。……恥ずかしいけど、さっきは必死に走ったぐらいなんだからそうなのかもしれない。  でも、妹が居なくなって、俺がどんな気持ちになるのかはわからない。その時が来ないとなんとも言えない。  取り乱す様はすぐに思いつくけど。  俺の例えはともかくとして、花火だったらどうなるか。  弟が居なくなって、会いたくもない俺まで捜索に使おうとするぐらい焦った。  葉月さんが弟を狙っている人間だと早とちりして殴りかかった。  怒りの矛先が定まったら、そんなの、止まらなくなるに決まってる。 「それは、何?」 「昨日、俺は…………」 「早く言えよ。こうやって話してるだけで不愉快なんだ。私が冷静でいるうちに答えろ」 「言いたくない」 「はあ?」 「言いたくないし、言う必要があるほど大した場所には行ってない」  ここはなんとかしてごまかすしかない。  花火だって、俺と話すのはあまり好きじゃないんだから、深く追求はしてこないはず。 「俺にだって内緒にしたいことがあるんだ。だから聞かないでくれ。  弟捜しは、これからまた…………?」  気配を感じて、右を見る。  ベッドを挟んで向かい側にいた花火が、回り込んできていた。  無機質な瞳が俺を見下ろしている。 「今の、なんだ」  何の感情もこもっていない花火の声。 「聞こえなかったのか。私は、昨日アニキがどこで何をしていたか聞いてるんだ」 「……だから、答えるほどのことじゃ」  突然伸びてきた腕に襟を掴まれた。  続けて振り回されて無理矢理立たされ、壁に押しつけられる。  「ぐっ!」  背後の壁と、いまさら爪先に落ちてきた辞典がさりげなく痛い。  襟を捻られ、締め上げられる。  呼吸できないほどではないが、徐々に踵が浮いてきているのがわかる。 「気にくわない答えだ。最高にイライラする。  アニキよ、あんたに聞いたのは質問の答えだ。  昨日どこにいたのか。そんな簡単なことすら答えられないか。いつもそこまで忘れっぽいのか」 「ああ、実はそう――――」 「へらへらするんじゃねえ! 言いたくないの次は、忘れただ? 言ってることが変わってるぞ!  ごまかそうとしてるのバレてんだよ! 卑怯者!」  襟を締める花火の手が顎にくっついた。さすがに苦しい。  でも、言う訳にはいかない。言ったらそこで、澄子ちゃんは。 65 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:45:37 ID:C3xv1c1J  花火を見つめ返す。目があった瞬間に、明らかに不快そうな顔つきになった。 「むかつく。去年顔を合わせてから今までで、一番殴りたい顔つきだ。  それとも、最初からその気か? 私に殴られたいか?   その方が、アニキの気持ちも正直になるから、そうした方がいいか?」 「好きにしろ。殴るだけの正当な理由が、お前にはある」 「好きに? …………ははっ、それは無理。まだ、今は無理さ。  私がアニキを好きにしたら、たぶん、良くても半殺しにするだろうから。  だから、そうだね。今は」  突然内臓に鋭い衝撃が走る。痛みがのど元に達する前に、より固く、強いものが腹に突き刺さった。  腹を抱え悶絶しないよう耐える。  今度は、背負い投げの形で放り投げられた。  柔道のように畳の上に着地せず、本と小物と家具の破片だらけの床に、背中から衝突した。  手加減無しだった。手加減していたなら、俺は花火に手の届く位置に落ちたはず。  投げっぱなしの背負い投げは、俺を一メートル以上、花火から遠ざけた。  背中と腹から襲い来る痛みが混じり、感覚をそれだけで占領する。  胃をへこまされたみたいに感じるが、吐き気は起こらない。  昨日の昼から何も食べていないことに感謝した。  横を向いて痛みをこらえていると、目の前に花火の足の爪先が見えた。  それ以外に見えるのは床だけだ。余裕なんかひと欠片もありはしない。 「これぐらいにしておくのが後々楽だ。  下手に怪我でもさせたら、あいつが気付くからな。  ……さて、アニキ。返事はしなくていいから、首を動かして答えろ。  昨日何をしていたか忘れたなんて嘘で、本当は覚えてるんだろ?」  頷かない。頭は動かせるけど、床に置いたままにする。 「こんだけやってもだんまりか。だったら」  うつぶせにさせられた。背筋を避けて連続で踏まれる。  足の裏じゃない。一点集中した痛みからして、踵だ。  肩に衝撃が走ると大量の空気が押し出されて息苦しい。  内臓を蝕む痛みはさらに深刻化する。  それでも、まだだ。  せめて、花火の気が済むまで耐えさえすればいい。  俺が白状したら澄子ちゃんの安全は保証されない。  自分の選択で最悪の選択を回避できるなら、これぐらい耐えてみせる。 「……なるほどね。そういうわけか。それなら、口を簡単に割るはずないよな」  なんだ? いきなり蹴るのをやめた?  これで終わったのか?   それならそれで構わないけど、なんだ、今の花火の台詞は。  何かに気付いたような……? 66 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:47:09 ID:C3xv1c1J 「そこまで強情になるってことは、誰かをかばっているんだろ。  誰か。つまりそいつがあいつをさらった犯人、もしくは犯人に繋がる関係者だ」  ――気付かれた! まずい、ごまかさないと! 「ち…………、違う! 俺はただ、お前が……気にいらない、から……言わないだけだ」 「嘘つけ。ますます怪しいな。そこまで必死になるなんて。  別にアニキから本当に嫌われてようと、とっさに吐いた嘘で嫌いと言われようと構いやしない。  どうせ、私があいつと結ばれるまで、仕方なく持っている関係に過ぎない」  嘘吐いたことまでバレバレかよ。ちくしょう。  ――ん、おかしい。  なんで「嫌われようと構わない」、なんてわざわざ言ったんだ?  言う必要なんかない。黙ってても、花火が俺のことを虫けら程度に思っていることは伝わってる。  俺は花火が嫌いじゃない。  対して、花火の認識は「俺は花火を嫌っている」となっているはず。  だけど――――だけど、なんだっけ。  駄目だ。体の痛みが頭の回転を鈍らせてる。 「アニキが口を割らないなら、こっちにも考えがある」  花火の足が動いて、視界の外へ消えた。遠ざかる気配が感じられる。   回復して、体勢を立て直すなら今しかない。  呼吸は落ち着いてる。痛みは完全に消えてないけど、ピークは過ぎた。  後は手と足だけど――――うん、こっちも動く。  両手で床から体を剥がして、折った膝を滑り込ませる。  右膝を立てる。首を上げて、前方を見やる。  そこに居たのは俺を見下ろす花火。 「嫌だ…………やめて。怖いよ、助けて…………おにいちゃん、おにいちゃん」  それと、花火に髪の毛を掴まれ腕で抵抗する、虚ろな顔をした妹だった。 「花火、一体何をしてる!」 「あれ、もうそんな声が出せるまで回復したのか。  頑丈だな。その辺の不良なんかよりよっぽどタフだよ。感心する」 「質問に、答えろ」 「うるせえよ。今から答えるところだ。  …………今から試すんだよ、アニキ、あんたをさ」  なんだと?   妹を使って、一体何を試そうって言うんだ。 「分からないってツラだな。ま、言うより見てもらった方が早い、と」  花火が妹の髪を放し、両肩を掴んでまっすぐ立たせた。  そして、一瞬だけ微笑み――――平手で叩いた。  乾いた音が響いた。手加減をしていない。動いた右手が振りぬかれてる。 「や、やめ……やめ、て。お願い」 「…………ふん」  鼻で笑い、今度は反対側の頬を打つ。  妹は頬を押さえて、その場に尻餅をつくように座り込んだ。 67 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:48:21 ID:C3xv1c1J  歯ぎしりの音。俺の顎が噛み合い、擦れ合ってできた音。  頭に血が上ってくる。拳の震えが肘、肩、首、頭まで伝わってくる。 「何してやがる! 妹は関係ないだろうが!」 「ああ、たしかに関係はない。何にも悪いことはしていない」 「この……こいつ! だったら手を出すな!」 「騒ぐなよ。音がでかいだけで、腫れることはない。  今回の誘拐に関しては、ちっさい妹は悪くないよ。  でも、個人的に妬む理由がある」  妹の髪が大雑把に掴まれ、顔が持ち上がる。  俺の目と妹の目が合う。  妹は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして、涙を流し続けていた。  口が動いているけど、動きだけで声は出ていない。  しゃくり上げる嗚咽だけがはっきり耳に届く。 「手を離せ! 今すぐにだ!」 「断る。こうする理由が、私にはあるんだよ。  ちっさい妹は、同じ家に住んでいるってだけで、あいつにくっついていられる。  風呂にも一緒に入っている。同じ部屋で寝てる。  簡単に言うと、私はちっさい妹に嫉妬してるんだよ。  あいつに近づこうとする大量の女の群れよりも。  あいつをさらった今回の犯人よりも、かもな」  花火がしゃがんで、妹の顔を横から覗き込んだ。  小さな悲鳴と共に、妹がさらに顔を強張らせる。 「どうしてだろうな? なんで妹のくせに、血の繋がった姉弟のくせに、あいつに近づくんだ?  胸は小さい。背は低い。目の前で部屋を荒らされても何も言えない。今も、泣きじゃくるだけ。  そんなやつは、あいつにふさわしくない。そうは思わないのか?」 「わ、私…………お兄ちゃん、お兄ちゃんが好きだから…………」 「ああ、そう。本当、憎らしいよ。  あいつに近づいているところも、私にこんな想いをさせるところも。  …………なあ、アニキ。どうしたらいいと思う?」 「そんなことより、手を」 「聞けって。真剣な質問なんだから。  私が、もう二度と不安な思いをしないために、ちっさい妹をどうすりゃいいのかな?  全身の毛を剃ろうか? 顔の形が変わるまで痛みつけようか? 両手足を折ってやろうか?  ああ――でも、そんなの面倒だし、あいつがさらに構うようになったら困るから、いっそのこと――」  殺してやろうか。 68 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:49:37 ID:C3xv1c1J  聞こえた瞬間には体が動いていた。  間合いを詰めて、右足を花火の顔目掛けて奔らせていた。  しかし、空振り。  体勢を崩して、その場にくずおれた。  足を叩いて一喝。  立ち上がって振り返る――――と同時に、脇腹に伸びた足がめり込んだ。  吹き飛ばされる。机にぶつかり、椅子を巻き込んで倒れた。  痛みへの反応が喉を閉ざす。冷や汗が肌に浮かぶのが分かる。 「いい一撃だったよ。あと二三センチで私の鼻は折れてたろうな」  拳を床について、肘を伸ばす。すかさず肘に蹴りを入れられて、また床にぶつかった。 「いくら私が相手でも、まさか女の顔を蹴ろうとするなんてね。  さすが、小学生の頃に頬を切りつけただけはあるよ。  これがアニキの本性さ。凶暴で、残忍で、冷酷で、大事な人間以外は思いやらない。  体には犯罪者の習性が刻み込まれてる。血には異常者の遺伝子が受け継がれている。  肉親を好きになるところなんか、親そっくりだ。  あいつにそんな一面がなくて、本当にほっとするよ」 「お前…………知って、るのか……?」 「まあな。あいつに聞いた。というか、カミングアウトされたよ。一方的に」  嘘だろ。  絶対に誰にも言うなって、ことあるごとに言ってるのに。  弟の奴、何を考えて……? 「さあてと。お返しを、させてもらおうかな」  悪寒。と同時に顔面に蹴りを見舞われた。  痛みが鼻から後頭部まで突き抜ける。涙腺を刺激され、涙が出た。  鼻腔を生温くてどろどろしたものが流れる。血の匂いが口の中を満たした。  髪を掴まれる。目の下から流れ落ちた血が床に落ちて跳ねた。  続けて俺の顔が床に叩きつけられる。  一回、二回、三回と。  途中から目を瞑っていたから、もっと多かったかもしれない。  聴覚にも聞き取る余裕はなかったようだった。  それでも、花火の声だけは律儀に拾う。 「……まあ、こんなもんでいいか。  あいつに問い詰められたら、アニキが暴力を振るったから喧嘩したって言えば済むレベルだ。  血も滴るいい男になったじゃないか。間違っても惚れたりはしないけど」  ダメージを受けた箇所は脇腹と顔面だけ。  それだけで体の命令が隅々まで行き渡らない。  あっさり満身創痍。簡単すぎる。 69 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:55:24 ID:C3xv1c1J  髪を解放された。床と顔面がぶつかってから、襟を掴まれて上体を起こされた。 「二つ、選択肢をくれてやる」  眼前に花火の左手の人差し指があらわれた。 「一つ。私の質問に正直に答えて、これぐらいの怪我で済ませる」  そんなの、できるか。  あの子――名前は思い出せないけど――を危険な目に遭わせるわけには。  花火の左手の中指が立った。二つ目の選択肢。 「二つ。質問に答えず、このままここでちっさい妹と一緒に、仲良くずたずたにされる。  これじゃ駄目か。ベッドにくくりつけられ、ちっさい妹が痛めつけられるところを最初から最期まで見る、にしよう。  こっちの方が、アニキには堪えるだろう?」 「…………ん、が」 「ん?」 「俺が…………大人しく、言うとおりに、すると」 「私が、言ったとおりのことをするんだよ。あんたは答えるだけでいい。  言うまでもないだろうけど、私の労力はどっちにしても変わらない。  ちっさい妹をいたぶるのも、犯人をぐちゃぐちゃにするのも同じことだ。  真剣に考えな。妹の身の安全と、弟をさらった誘拐犯の手助け。こう言えばわかりやすいだろ」  俺が選べば、片方だけ助かる。  でも、選ばなかった方はそこで終わる。 「どう、して…………俺が」 「そんなこと自分で考えろ。でも、自分は何も悪くないとか、自分には関係ないなんてふざけた考えはするな。  弟妹を守るのは、兄の役目だろ。状況を受け入れろ。とっくに普通じゃないんだ。  アニキの漫然とした平和な日常は、とっくに崩壊してるんだ」  迷う。どちらが大事かなんて、わかってるのに。  ふんぎりがつかない。  本当は等価値なのか。俺にとって、妹と澄子ちゃんは。  選ぶって、こういうことなんだ。  複数の内の一つを手にして、他を切り捨てる。  そんな経験、一度もない。十七年生きてきて、覚えている限りでは。  背中を横倒しのベッドに押しつけられた。  逃げられない俺に、花火が顔を近づけてくる。  そして、あることに気付いた。 「こんなこと、本当は言いたくなんかないんだけど、なり振りに構う余裕がないから言ってやる」  花火の目の下には隈が浮かんでいた。  目尻には乾いた涙の跡。  金色の髪もところどころ跳ねていて、艶が失われていた。 「私が、あいつを無事に連れ戻してやる。絶対にだ。だから――早くあいつの居場所を教えろ」  それらは、花火が弟を想ったゆえの行動。言葉は、命令でも脅迫でもなく、願い。  弟を助けるために、花火はここまで必死に捜し回った。  ならば、その思いに応えることに、俺は。 「教えてくれ…………アニキ」  俺は、迷わない。 70 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 15:01:19 ID:C3xv1c1J * * *  時が過ぎ、花火が立ち去った部屋の中。  俺と妹はまだその場から動けなかった。  妹が動けないのは、未だに花火の恐怖から覚めていないからだろう。  俺は、心に引っ掛かるものがあって、機能低下した頭でずっと考えていた。  ただ、答えを導き出す以前に、問いが思い当たらない。  なんだっけ。   たしか、俺は倒れていたはず。そう、こうやって。  前のめりに倒れる。両腕と両足が伸び、大の字になった。  床の木目を見ていると、問いを思い出した。  花火がどうして、俺に嫌われても構わないと言ったのか。  嫌い嫌いと言ってくる相手を好意的に思う人間なんて、そうそう居ない。  俺みたいな、相手を嫌いになる資格のない人間はともかくとして。  ――――まさか、いや、でも。  もしも花火が、俺の考えに気付いていて、あんなことを言ったのなら。 「……はっ、ははは、は…………くだらねえ」  自意識過剰にもほどがある。  花火が、俺に嫌われたいと願っているなんて、馬鹿な答えだ。零点だ。  あいつは俺のことをなんとも思ってない、虫けら程度に思っている、というのが正解だろう。  俺にどう思われても、花火はどうだっていいはずなんだから。  ぺたぺたという音が聞こえた。ゆっくりと近づいてくる。  俺の体が動いていない以上、妹が立てた音だと考えるのが妥当。 「お兄さん、そこ……危ないよ。早く、早くどいて」  何が危ないというのだ、妹よ。  お前が俺を心配するだなんて、二月の中旬から桜が咲き綻ぶんじゃないか、ハハハハハ。 「ベッド、ベッドが」  ベッド? そういや、支柱が真っ二つに折れてたな。  スケールモデルのベッドならともかく、1/1サイズはまだ敷居が高くて手が出せない。  というか、そこまでいったら家具屋の仕事だ。  修理、いや買い換えることになるな。思わぬ出費で我が家の家計は真っ赤っか。洒落にならん。 「倒れ、倒れそ……ううん、倒れるって!」  妹の目は恐怖のあまり節穴に?  俺はとっくにうつぶせに倒れているぞ。 「駄目…………だめえっ! 危ない!」  妹にのしかかられた。  これは初体験。体の天地を逆転させた相手が背中に乗るって結構悪くない。  でも、軽いな。もっとたくさん食べろよ。花火みたいに巨乳になれないぞ。  セクハラ発言を心の中で身内に対してしつつ、斜め下を見る。  俺の右手の甲は、床に落ちた本の上に乗っていた。  肘は浮いている。  もし今、花火に肘を踏まれたら折れるのは間違いない。あの女、えらい馬鹿力の持ち主だから。  骨折って意識が覚醒した状態で心臓マッサージや人工呼吸されるより痛いのかな。  なんて考えると同時に、肘に衝撃が走った。  色々あり、もはや痛覚のメーターは麻痺している。  その状態で受けた今のダメージは、先刻のどれよりも深刻だと理解した。  腕が折れていた。  支柱が肘に乗っていた。  目を疑う。信じられない。現実味が無い。あっさりしすぎている。  じわじわじわじわ、頭のてっぺんから爪先まで痛みが浸透する。  黒板に爪を立ててひっかいた時の擬音が神経を伝導していく様を想像した。  ああ、ちくしょう。  痛えなあ。
60 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:35:30 ID:C3xv1c1J  自宅にたどり着くまでに要した時間は、これまでの下校時間の記録を塗り替えるほどのものだった。  しかしそれは非公式。なぜなら、俺はタイムなど計っていないから。  日頃、時刻を確認できる道具を携帯電話しか持たない俺には、ストップウォッチなど縁遠い代物だ。  とはいえ、仮に持っていたとしても今はそんな些細なことを気にする余裕は無かったから、計りはしなかっただろう。  自宅の敷地を出てすぐそこにある電柱に手をついて、息を整えながらそんなことを思う。  何かに寄りかからないと立っていられない。これほど必死になって走ったのは久方ぶりだった。  別に走るのが久しぶりな訳じゃなくて、死力を尽くすのが久しぶり。  葉月さんと一緒に下校し送り届けた後、自宅へ帰るまでの道のりを結構なハイペースで走るという日常を 送らされてきたため、俺の心肺は錆び付いてはいない。  それでも、ペース配分など無視して足の動く限り地面を蹴り続けたら、さすがにバテる。  やれやれだ。どうしてここまで必死になれる。  妹に助けを求められたぐらいで、ここまで後先考えない行動を取るとは。 「シス……こーん、な、俺…………」  自覚した。というか、自分の体で証明してしまった。  そりゃ、前々から弟や妹に対して甘いと気付いていたが、まさかここまでとは。  弟が十四日帰ってこなかった時でもここまで変貌しなかったくせに、妹のこととなるとこうまで変わる。  誰がどう見たって妹想いの兄貴そのものじゃねえか。  否定しても、チャック全開にして歩いていたのにその事実を認めない男みたいに、嘘吐いているのが丸わかり。 「……かっこ、悪うござん、した」  俺は何も言わずに背中で語り、遠くから弟と妹を見守る男でいようと思っていたのに。  自宅を取り囲む塀を支えにして、玄関へ進む。  止まっていた時間は一分にも満たないぐらいだったが、呼吸を自分で制御できるぐらいにまでは回復した。  今朝は自宅で目を覚まさなかったから妹の顔を見ていない。  でも、たぶん家にいるだろう。弟を待つために。弟が帰ってきたらいの一番に出迎えるために。  だから、誰かが家の玄関を開けたら真っ先に飛び出すはず。  助けを求めてきたのは、玄関を開けた相手が妹にとって恐れの対象だったからだ。  果たして誰が妹の前に現れたのか。  答えは、玄関を開けて家の有様を見て、ようやく明らかになる。 61 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:37:02 ID:C3xv1c1J  玄関のドアを開けた。  飛び込んできたのは昨日の朝に見た我が家の玄関の光景、そのままであった。  いや、一つ違った。  見慣れない靴が一足、転がっている。  置いてあるのではなく、文字通り投げ捨てたかのように放置されていた。  家族の誰かがそんな不作法をしたのならば、真っ先に靴を揃える俺であるが、今日はそうしない。  見慣れない靴、それすなわち家族以外の誰かが入り込んでいるという証拠だ。  見たところ、靴の種類はスニーカーで、サイズは俺のものと比較したら小さめ。  女……か? これだけじゃわからないけど、可能性は高い。  ――――いや、相手の詳細など誰でもいい。 「おーい、妹? いるか?」  呼びながら、靴を乱暴に脱ぎ捨てる。不作法は承知の上。後で揃えるだけだ。  とりあえず、真っ先にリビングを覗き込む。  キッチン、テーブル、ソファー、天井、異常なし。  どこも散らかったりしてないし、誰も居やしない。  ……てことは、他の部屋。  妹が居そうなところといえば、弟と妹が共同で使用する部屋ぐらいしかない。  妹からメールが送られてきてから、すでに十分以上経過している。  どこかに連れ去られた、なんてことになっていなければいいのだが。  弟に続いて、もし妹までさらわれたら、どうすりゃいいんだ。  一番ろくでもない長男が残ったって、意味がないのに。  弟と妹が危ない目に遭わないように面倒を見るなんて単純なことすらできず、 俺一人だけ無事でいるなんて、端から見たらただの無責任な男でしかない。  人にどう思われようと、今更何しても遅いからどうでもいい。  ただ、弟を無事に家に帰し、妹を助けられればそれでいい。  時間が惜しいので、一番妹がいる可能性の高い場所を当たることにした。  弟と妹の部屋。二人の名前が、ベニヤ板の上に木で象った文字で書かれている。  そういえばこの表札を作ったのは俺だったっけ。久しぶりに思い出した。  たぶん弟も妹も覚えてないだろう。俺が忘れてるぐらいなんだから。  それはともかくとして、ドアを軽く三回叩いて、声を掛ける。 「俺だ。……入っていいか」  しばし待つ。が、返事はない。 「あと十数えて返事しなかったら勝手に開けるぞ」  一応予告をしておく。  もしここで返事があれば、入る必要はない。  はやる気持ちを抑えつつ、十からカウントを始める。  ゼロまで数え終えても妹からの返事はなかった。物音すらしない。  予告の通り、ドアノブをひねって二人の部屋に入る。 62 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:39:10 ID:C3xv1c1J 「なん…………だ、これは」  部屋中がひっくり返されていた。  正確に言えば、部屋に置いてあるあらゆるものがでたらめに床に散らばっていた。  弟と妹がそれぞれ使っている机。  二つともが机の上をまっさらな状態に変えられていた。引き出しも不揃いに出されっぱなし。  本棚の中身は全て床にぶちまけられ、辺り一面に本の海が出来ている。本棚も倒れて、背中を見せている。  テレビなんかも床に直接置かれ、台と離ればなれになっている。  それ以外にも、文房具やら服やら壁掛け時計やら、なんでもかんでもが床にあり、四方の壁がすっきりしてしまっていた。  しかし、中でも一番ひどい有様になっていたのは二段ベッドだ。  弟と妹、どちらが上か下か知らないが、今となっては知ったところで無駄なこと。  上のベッドと下のベッドが、別々に分離した状態に変わり果てていた。  誇張ではなく、本当に言い表したまま、上のベッドを支える四隅の支柱がへし折れていた。  下段のベッドは本来ならあり得ない、横倒しの直立状態になっていた。布団ももちろん剥がれている。  そして、上段のベッドは壁に斜めに寄り掛かっていた。  おそらく、置いてあったベッドをそのまま倒したら上のベッドが壁にぶつかり、支柱からぼきりと折れてしまったのだろう。  どう考えてもこれは、悪意のある人間の仕業だ。  とすると、妹が無事であるとは、限らない。 「誰? …………お兄さん?」  小さな声を耳にして、乱れていた思考が落ち着きを見せた。 「その声、妹か? 無事か? どこにいる?」  声は聞こえども姿は見えず。  災害に遭った後みたいな部屋の様子では、妹がどこに隠れているのかわからない。 「怪我はないよ。 それより…………駄目」 「なにが駄目なんだ」 「見せられない。隠れてなきゃ」 「なんでだよ」  もしかして、顔に怪我をしてしまって、そのせいで……? 「居るもん。あの人がまだ、部屋の中に」  部屋の入り口から前方、左右、天井、ついでに後方まで確認する。 「誰も居ないぞ? お前が気付いてないうちに帰ったんじゃないか」 「…………居る。そこ」 「どこだよ」 「………………ベッドの裏」  ベッドへと目を向ける。  無惨な有様になってはいるが、ベッド単体としての形はまだ保たれている。  横倒しになった下段のベッドは、死角を作り出していた。  妹以外の気配は感じられない。  しかし、耳を澄ますと一定の間隔で呼吸の音が聞こえる。  これ……まさか寝ているのか?   自分で部屋を荒らしておいて、逃げもせずにその場で寝るなんてどんな馬鹿だ。  だけど、これはチャンス。捕まえるなら今しかない。  床を見て武器になりそうなものを探してみるが、分厚い辞典ぐらいしか見あたらない。  仕方なく、辞典を片手にしてベッドへと忍び足で近寄る。  ベッドを背にして裏側を覗き見る。  まず見えたのは、ニーソックスを履いた長い足。  さらに覗き込むと、スカートが見え、次にセーラー服が見えた。  寝ているくせにその胸がやけに隆起している。いや、そんなことはどうでもいいのだ。  それより、目にした制服のデザインが、俺の通う高校の女子の制服だったことに気になった。  誰だ? 俺の家を知っていて、部屋を荒らし、妹には危害を加えない、そんな人間は。  澄子ちゃん……は無いな。体型がまるで違うし、ここにいる可能性は低い。  弟のファンクラブの子? 中には荒っぽい子がいるかもしれないけど、いまいち解せない。  他に弟に好意を抱いているのは――――花火がいる。 63 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:41:45 ID:C3xv1c1J  ニーソックスに、絶対領域に、スカートに、女子用の制服に、でかい胸。  以上の特徴を持ち、かつ俺の家を知っている人間。  そんなやつ、花火ぐらいしか居ない。  でも、花火は何をしている? 何をしに来た?  俺の家を荒らして嫌がらせなんかしたって、俺への恨みは晴れないだろう。  それ以外で花火が動く理由というと、姿を消した弟の捜索。  ――――そうか。こいつ、そのつもりで。 「来るのが遅いよ、アニキ」  びっくりして、辞典を取り落としそうになった。  今度は俺が花火の死角に入る番だった。  花火に対して、俺はどれぐらいの警戒をするべきだ?  部屋を荒らしたのだから、最大レベルの警戒であたるべきかもしれないが、 寝ていたということは、花火はもうこれ以上のことをする気はないのかも。  妹を傷つけていないのも、きっと目的を果たすのに必要ないからだ。 「そんなに警戒するなよ。私はただ、この部屋を調べに来ただけ。  用が済んだら、さっさと帰るよ」 「……じゃあ、なんでまだここに居る? ここまで荒らしたなら、これ以上調べる場所なんてないだろ」 「用があるからだよ。私一人じゃ見えないものがある。別の人間から見た、現状を教えて欲しい。  アニキ。何か手がかり――――あいつの居場所を掴めたか?」 「いいや、特になしだ」  隠れてて良かった。もし向かい合っていたら、嘘を吐いていることが絶対にバレていた。  居場所はともかく、誘拐の実行犯の正体はわかっている。  けれど、教えるわけにはいかない。  他の人間ならともかく、花火にだけは。 「ふうん、そう。  ところで、ちっさい妹に聞いたけど、アニキは昨日家に帰ってこなかったんだって?」 「……まあな」 「どこに行ってた? 夜通し遊びまわってたわけじゃないんだろ。  今のアニキの性格じゃ、そんなことしないのは知ってる。聞きたくもないのにあいつが教えてくれたからな。  ごまかしても、無駄だよ」  心の中で舌打ち。弟め、要らないことまで喋りやがって。  一番無難な答えができなくなってしまったじゃないか。 「……友達の家に泊まってたんだ」 「嘘くさい。自分の性格を理解してない。なにより、昨日の状況でそんなことをするはずがない」 「何を根拠に……」 「あいつから色々聞かされたって言っただろ。  まず、アニキはとにかく現状維持に努める。その代わり、新しいことや変化を望まない。  だからこそ、あいつが居なくなったことに不安になった。  今の状況で、一日連絡を取らずに、自分の家族、特に妹をさらに不安にさせるようなことはしない。  昨晩何の連絡もなかったという時点でおかしいんだよ」  大当たりだ。ここまで理解されてて、ある意味嬉しく思う。  仮に高橋の家に俺が泊まったとしよう。  その場合、真っ先に俺は家に連絡する。友人の家に泊まるから今日は帰らない、と言う。  弟だけじゃなく、俺まで居なくなったらさすがに両親まで不審に思うだろう。  いや、もしかしたら昨日の朝の時点で、すでにもう。  だから、昨日澄子ちゃんを見かけなければ俺は弟捜索を打ち切って家に帰っていた。 「あの女、葉月の家に泊まったなんてことはまず無い。そうすれば連絡しないのも頷けるけど。  アニキはあの女を恋人にする気なんかないんだろ。返事を保留にしているのがその証拠だ。  彼女にするほど好きじゃないのか、タイミングが掴めないのか知らないけどさ。  本気じゃないなら、彼女にはしない。返事をせずにごまかし続ける。  関係の変化よりも維持を優先。それがアニキの接し方。  そういうところが、いや、そういうところも含めて――――最低だ」 64 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:43:32 ID:C3xv1c1J  なるほどね。わかっていたけど、昨日の別れ際の台詞はそういう意味だったんだ。  好意を寄せられていると知りながら、好きだと告白されていながら、何の返事もしない。  そりゃあ、腹も立つだろう。クラスの皆も同じ事を思っているはずだ。 「花火。葉月さんに、俺は返事をしようと」 「ああ、そんなことはどうだっていいんだよ。返事しようがすまいが、私には関係ない。  アニキと私を関わらせる要因は、あんたの弟だけ。  あいつの居場所さえわかればこれ以上何も言わず、消えるよ。  ……で、結局アニキは昨日どこにいたんだ? 家族の誰にも連絡を入れず、友達の家以外で、どこで夜を明かした?」 「それは――――」  言えない。  地下倉庫に居たことを知られてしまったら、さらに追求され、犯人のことまで問い詰められる。  もし喋ってしまったら、澄子ちゃんが危ない。  去年の文化祭で、花火が自分の名前を呼んだ軽薄な男に対して奮った暴力的な一面。  あの場は弟が収めてくれたが、そのまま放って置いたら、あの男は顔をひしゃげさせられていただろう。  大げさな表現ではない。本当に花火は実行してしまう。  しかも澄子ちゃんは弟をさらった人間だ。  自分にとって一番大切に思うものを奪われたら、人は一体どんな行動をとるのか。  例えば俺の場合だったら。だったら――――どうするんだろ。というか、何が大事なんだ?  妹だろうか。……恥ずかしいけど、さっきは必死に走ったぐらいなんだからそうなのかもしれない。  でも、妹が居なくなって、俺がどんな気持ちになるのかはわからない。その時が来ないとなんとも言えない。  取り乱す様はすぐに思いつくけど。  俺の例えはともかくとして、花火だったらどうなるか。  弟が居なくなって、会いたくもない俺まで捜索に使おうとするぐらい焦った。  葉月さんが弟を狙っている人間だと早とちりして殴りかかった。  怒りの矛先が定まったら、そんなの、止まらなくなるに決まってる。 「それは、何?」 「昨日、俺は…………」 「早く言えよ。こうやって話してるだけで不愉快なんだ。私が冷静でいるうちに答えろ」 「言いたくない」 「はあ?」 「言いたくないし、言う必要があるほど大した場所には行ってない」  ここはなんとかしてごまかすしかない。  花火だって、俺と話すのはあまり好きじゃないんだから、深く追求はしてこないはず。 「俺にだって内緒にしたいことがあるんだ。だから聞かないでくれ。  弟捜しは、これからまた…………?」  気配を感じて、右を見る。  ベッドを挟んで向かい側にいた花火が、回り込んできていた。  無機質な瞳が俺を見下ろしている。 「今の、なんだ」  何の感情もこもっていない花火の声。 「聞こえなかったのか。私は、昨日アニキがどこで何をしていたか聞いてるんだ」 「……だから、答えるほどのことじゃ」  突然伸びてきた腕に襟を掴まれた。  続けて振り回されて無理矢理立たされ、壁に押しつけられる。  「ぐっ!」  背後の壁と、いまさら爪先に落ちてきた辞典がさりげなく痛い。  襟を捻られ、締め上げられる。  呼吸できないほどではないが、徐々に踵が浮いてきているのがわかる。 「気にくわない答えだ。最高にイライラする。  アニキよ、あんたに聞いたのは質問の答えだ。  昨日どこにいたのか。そんな簡単なことすら答えられないか。いつもそこまで忘れっぽいのか」 「ああ、実はそう――――」 「へらへらするんじゃねえ! 言いたくないの次は、忘れただ? 言ってることが変わってるぞ!  ごまかそうとしてるのバレてんだよ! 卑怯者!」  襟を締める花火の手が顎にくっついた。さすがに苦しい。  でも、言う訳にはいかない。言ったらそこで、澄子ちゃんは。 65 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:45:37 ID:C3xv1c1J  花火を見つめ返す。目があった瞬間に、明らかに不快そうな顔つきになった。 「むかつく。去年顔を合わせてから今までで、一番殴りたい顔つきだ。  それとも、最初からその気か? 私に殴られたいか?   その方が、アニキの気持ちも正直になるから、そうした方がいいか?」 「好きにしろ。殴るだけの正当な理由が、お前にはある」 「好きに? …………ははっ、それは無理。まだ、今は無理さ。  私がアニキを好きにしたら、たぶん、良くても半殺しにするだろうから。  だから、そうだね。今は」  突然内臓に鋭い衝撃が走る。痛みがのど元に達する前に、より固く、強いものが腹に突き刺さった。  腹を抱え悶絶しないよう耐える。  今度は、背負い投げの形で放り投げられた。  柔道のように畳の上に着地せず、本と小物と家具の破片だらけの床に、背中から衝突した。  手加減無しだった。手加減していたなら、俺は花火に手の届く位置に落ちたはず。  投げっぱなしの背負い投げは、俺を一メートル以上、花火から遠ざけた。  背中と腹から襲い来る痛みが混じり、感覚をそれだけで占領する。  胃をへこまされたみたいに感じるが、吐き気は起こらない。  昨日の昼から何も食べていないことに感謝した。  横を向いて痛みをこらえていると、目の前に花火の足の爪先が見えた。  それ以外に見えるのは床だけだ。余裕なんかひと欠片もありはしない。 「これぐらいにしておくのが後々楽だ。  下手に怪我でもさせたら、あいつが気付くからな。  ……さて、アニキ。返事はしなくていいから、首を動かして答えろ。  昨日何をしていたか忘れたなんて嘘で、本当は覚えてるんだろ?」  頷かない。頭は動かせるけど、床に置いたままにする。 「こんだけやってもだんまりか。だったら」  うつぶせにさせられた。背筋を避けて連続で踏まれる。  足の裏じゃない。一点集中した痛みからして、踵だ。  肩に衝撃が走ると大量の空気が押し出されて息苦しい。  内臓を蝕む痛みはさらに深刻化する。  それでも、まだだ。  せめて、花火の気が済むまで耐えさえすればいい。  俺が白状したら澄子ちゃんの安全は保証されない。  自分の選択で最悪の選択を回避できるなら、これぐらい耐えてみせる。 「……なるほどね。そういうわけか。それなら、口を簡単に割るはずないよな」  なんだ? いきなり蹴るのをやめた?  これで終わったのか?   それならそれで構わないけど、なんだ、今の花火の台詞は。  何かに気付いたような……? 66 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:47:09 ID:C3xv1c1J 「そこまで強情になるってことは、誰かをかばっているんだろ。  誰か。つまりそいつがあいつをさらった犯人、もしくは犯人に繋がる関係者だ」  ――気付かれた! まずい、ごまかさないと! 「ち…………、違う! 俺はただ、お前が……気にいらない、から……言わないだけだ」 「嘘つけ。ますます怪しいな。そこまで必死になるなんて。  別にアニキから本当に嫌われてようと、とっさに吐いた嘘で嫌いと言われようと構いやしない。  どうせ、私があいつと結ばれるまで、仕方なく持っている関係に過ぎない」  嘘吐いたことまでバレバレかよ。ちくしょう。  ――ん、おかしい。  なんで「嫌われようと構わない」、なんてわざわざ言ったんだ?  言う必要なんかない。黙ってても、花火が俺のことを虫けら程度に思っていることは伝わってる。  俺は花火が嫌いじゃない。  対して、花火の認識は「俺は花火を嫌っている」となっているはず。  だけど――――だけど、なんだっけ。  駄目だ。体の痛みが頭の回転を鈍らせてる。 「アニキが口を割らないなら、こっちにも考えがある」  花火の足が動いて、視界の外へ消えた。遠ざかる気配が感じられる。   回復して、体勢を立て直すなら今しかない。  呼吸は落ち着いてる。痛みは完全に消えてないけど、ピークは過ぎた。  後は手と足だけど――――うん、こっちも動く。  両手で床から体を剥がして、折った膝を滑り込ませる。  右膝を立てる。首を上げて、前方を見やる。  そこに居たのは俺を見下ろす花火。 「嫌だ…………やめて。怖いよ、助けて…………おにいちゃん、おにいちゃん」  それと、花火に髪の毛を掴まれ腕で抵抗する、虚ろな顔をした妹だった。 「花火、一体何をしてる!」 「あれ、もうそんな声が出せるまで回復したのか。  頑丈だな。その辺の不良なんかよりよっぽどタフだよ。感心する」 「質問に、答えろ」 「うるせえよ。今から答えるところだ。  …………今から試すんだよ、アニキ、あんたをさ」  なんだと?   妹を使って、一体何を試そうって言うんだ。 「分からないってツラだな。ま、言うより見てもらった方が早い、と」  花火が妹の髪を放し、両肩を掴んでまっすぐ立たせた。  そして、一瞬だけ微笑み――――平手で叩いた。  乾いた音が響いた。手加減をしていない。動いた右手が振りぬかれてる。 「や、やめ……やめ、て。お願い」 「…………ふん」  鼻で笑い、今度は反対側の頬を打つ。  妹は頬を押さえて、その場に尻餅をつくように座り込んだ。 67 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:48:21 ID:C3xv1c1J  歯ぎしりの音。俺の顎が噛み合い、擦れ合ってできた音。  頭に血が上ってくる。拳の震えが肘、肩、首、頭まで伝わってくる。 「何してやがる! 妹は関係ないだろうが!」 「ああ、たしかに関係はない。何にも悪いことはしていない」 「この……こいつ! だったら手を出すな!」 「騒ぐなよ。音がでかいだけで、腫れることはない。  今回の誘拐に関しては、ちっさい妹は悪くないよ。  でも、個人的に妬む理由がある」  妹の髪が大雑把に掴まれ、顔が持ち上がる。  俺の目と妹の目が合う。  妹は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして、涙を流し続けていた。  口が動いているけど、動きだけで声は出ていない。  しゃくり上げる嗚咽だけがはっきり耳に届く。 「手を離せ! 今すぐにだ!」 「断る。こうする理由が、私にはあるんだよ。  ちっさい妹は、同じ家に住んでいるってだけで、あいつにくっついていられる。  風呂にも一緒に入っている。同じ部屋で寝てる。  簡単に言うと、私はちっさい妹に嫉妬してるんだよ。  あいつに近づこうとする大量の女の群れよりも。  あいつをさらった今回の犯人よりも、かもな」  花火がしゃがんで、妹の顔を横から覗き込んだ。  小さな悲鳴と共に、妹がさらに顔を強張らせる。 「どうしてだろうな? なんで妹のくせに、血の繋がった兄妹なのに、あいつに近づくんだ?  胸は小さい。背は低い。目の前で部屋を荒らされても何も言えない。今も、泣きじゃくるだけ。  そんなやつは、あいつにふさわしくない。そうは思わないのか?」 「わ、私…………お兄ちゃん、お兄ちゃんが好きだから…………」 「ああ、そう。本当、憎らしいよ。  あいつに近づいているところも、私にこんな想いをさせるところも。  …………なあ、アニキ。どうしたらいいと思う?」 「そんなことより、手を」 「聞けって。真剣な質問なんだから。  私が、もう二度と不安な思いをしないために、ちっさい妹をどうすりゃいいのかな?  全身の毛を剃ろうか? 顔の形が変わるまで痛みつけようか? 両手足を折ってやろうか?  ああ――でも、そんなの面倒だし、あいつがさらに構うようになったら困るから、いっそのこと――」  殺してやろうか。 68 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:49:37 ID:C3xv1c1J  聞こえた瞬間には体が動いていた。  間合いを詰めて、右足を花火の顔目掛けて奔らせていた。  しかし、空振り。  体勢を崩して、その場にくずおれた。  足を叩いて一喝。  立ち上がって振り返る――――と同時に、脇腹に伸びた足がめり込んだ。  吹き飛ばされる。机にぶつかり、椅子を巻き込んで倒れた。  痛みへの反応が喉を閉ざす。冷や汗が肌に浮かぶのが分かる。 「いい一撃だったよ。あと二三センチで私の鼻は折れてたろうな」  拳を床について、肘を伸ばす。すかさず肘に蹴りを入れられて、また床にぶつかった。 「いくら私が相手でも、まさか女の顔を蹴ろうとするなんてね。  さすが、小学生の頃に頬を切りつけただけはあるよ。  これがアニキの本性さ。凶暴で、残忍で、冷酷で、大事な人間以外は思いやらない。  体には犯罪者の習性が刻み込まれてる。血には異常者の遺伝子が受け継がれている。  肉親を好きになるところなんか、親そっくりだ。  あいつにそんな一面がなくて、本当にほっとするよ」 「お前…………知って、るのか……?」 「まあな。あいつに聞いた。というか、カミングアウトされたよ。一方的に」  嘘だろ。  絶対に誰にも言うなって、ことあるごとに言ってるのに。  弟の奴、何を考えて……? 「さあてと。お返しを、させてもらおうかな」  悪寒。と同時に顔面に蹴りを見舞われた。  痛みが鼻から後頭部まで突き抜ける。涙腺を刺激され、涙が出た。  鼻腔を生温くてどろどろしたものが流れる。血の匂いが口の中を満たした。  髪を掴まれる。目の下から流れ落ちた血が床に落ちて跳ねた。  続けて俺の顔が床に叩きつけられる。  一回、二回、三回と。  途中から目を瞑っていたから、もっと多かったかもしれない。  聴覚にも聞き取る余裕はなかったようだった。  それでも、花火の声だけは律儀に拾う。 「……まあ、こんなもんでいいか。  あいつに問い詰められたら、アニキが暴力を振るったから喧嘩したって言えば済むレベルだ。  血も滴るいい男になったじゃないか。間違っても惚れたりはしないけど」  ダメージを受けた箇所は脇腹と顔面だけ。  それだけで体の命令が隅々まで行き渡らない。  あっさり満身創痍。簡単すぎる。 69 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 14:55:24 ID:C3xv1c1J  髪を解放された。床と顔面がぶつかってから、襟を掴まれて上体を起こされた。 「二つ、選択肢をくれてやる」  眼前に花火の左手の人差し指があらわれた。 「一つ。私の質問に正直に答えて、これぐらいの怪我で済ませる」  そんなの、できるか。  あの子――名前は思い出せないけど――を危険な目に遭わせるわけには。  花火の左手の中指が立った。二つ目の選択肢。 「二つ。質問に答えず、このままここでちっさい妹と一緒に、仲良くずたずたにされる。  これじゃ駄目か。ベッドにくくりつけられ、ちっさい妹が痛めつけられるところを最初から最期まで見る、にしよう。  こっちの方が、アニキには堪えるだろう?」 「…………ん、が」 「ん?」 「俺が…………大人しく、言うとおりに、すると」 「私が、言ったとおりのことをするんだよ。あんたは答えるだけでいい。  言うまでもないだろうけど、私の労力はどっちにしても変わらない。  ちっさい妹をいたぶるのも、犯人をぐちゃぐちゃにするのも同じことだ。  真剣に考えな。妹の身の安全と、弟をさらった誘拐犯の手助け。こう言えばわかりやすいだろ」  俺が選べば、片方だけ助かる。  でも、選ばなかった方はそこで終わる。 「どう、して…………俺が」 「そんなこと自分で考えろ。でも、自分は何も悪くないとか、自分には関係ないなんてふざけた考えはするな。  弟妹を守るのは、兄の役目だろ。状況を受け入れろ。とっくに普通じゃないんだ。  アニキの漫然とした平和な日常は、とっくに崩壊してるんだ」  迷う。どちらが大事かなんて、わかってるのに。  ふんぎりがつかない。  本当は等価値なのか。俺にとって、妹と澄子ちゃんは。  選ぶって、こういうことなんだ。  複数の内の一つを手にして、他を切り捨てる。  そんな経験、一度もない。十七年生きてきて、覚えている限りでは。  背中を横倒しのベッドに押しつけられた。  逃げられない俺に、花火が顔を近づけてくる。  そして、あることに気付いた。 「こんなこと、本当は言いたくなんかないんだけど、なり振りに構う余裕がないから言ってやる」  花火の目の下には隈が浮かんでいた。  目尻には乾いた涙の跡。  金色の髪もところどころ跳ねていて、艶が失われていた。 「私が、あいつを無事に連れ戻してやる。絶対にだ。だから――早くあいつの居場所を教えろ」  それらは、花火が弟を想ったゆえの行動。言葉は、命令でも脅迫でもなく、願い。  弟を助けるために、花火はここまで必死に捜し回った。  ならば、その思いに応えることに、俺は。 「教えてくれ…………アニキ」  俺は、迷わない。 70 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2008/06/08(日) 15:01:19 ID:C3xv1c1J * * *  時が過ぎ、花火が立ち去った部屋の中。  俺と妹はまだその場から動けなかった。  妹が動けないのは、未だに花火の恐怖から覚めていないからだろう。  俺は、心に引っ掛かるものがあって、機能低下した頭でずっと考えていた。  ただ、答えを導き出す以前に、問いが思い当たらない。  なんだっけ。   たしか、俺は倒れていたはず。そう、こうやって。  前のめりに倒れる。両腕と両足が伸び、大の字になった。  床の木目を見ていると、問いを思い出した。  花火がどうして、俺に嫌われても構わないと言ったのか。  嫌い嫌いと言ってくる相手を好意的に思う人間なんて、そうそう居ない。  俺みたいな、相手を嫌いになる資格のない人間はともかくとして。  ――――まさか、いや、でも。  もしも花火が、俺の考えに気付いていて、あんなことを言ったのなら。 「……はっ、ははは、は…………くだらねえ」  自意識過剰にもほどがある。  花火が、俺に嫌われたいと願っているなんて、馬鹿な答えだ。零点だ。  あいつは俺のことをなんとも思ってない、虫けら程度に思っている、というのが正解だろう。  俺にどう思われても、花火はどうだっていいはずなんだから。  ぺたぺたという音が聞こえた。ゆっくりと近づいてくる。  俺の体が動いていない以上、妹が立てた音だと考えるのが妥当。 「お兄さん、そこ……危ないよ。早く、早くどいて」  何が危ないというのだ、妹よ。  お前が俺を心配するだなんて、二月の中旬から桜が咲き綻ぶんじゃないか、ハハハハハ。 「ベッド、ベッドが」  ベッド? そういや、支柱が真っ二つに折れてたな。  スケールモデルのベッドならともかく、1/1サイズはまだ敷居が高くて手が出せない。  というか、そこまでいったら家具屋の仕事だ。  修理、いや買い換えることになるな。思わぬ出費で我が家の家計は真っ赤っか。洒落にならん。 「倒れ、倒れそ……ううん、倒れるって!」  妹の目は恐怖のあまり節穴に?  俺はとっくにうつぶせに倒れているぞ。 「駄目…………だめえっ! 危ない!」  妹にのしかかられた。  これは初体験。体の天地を逆転させた相手が背中に乗るって結構悪くない。  でも、軽いな。もっとたくさん食べろよ。花火みたいに巨乳になれないぞ。  セクハラ発言を心の中で身内に対してしつつ、斜め下を見る。  俺の右手の甲は、床に落ちた本の上に乗っていた。  肘は浮いている。  もし今、花火に肘を踏まれたら折れるのは間違いない。あの女、えらい馬鹿力の持ち主だから。  骨折って意識が覚醒した状態で心臓マッサージや人工呼吸されるより痛いのかな。  なんて考えると同時に、肘に衝撃が走った。  色々あり、もはや痛覚のメーターは麻痺している。  その状態で受けた今のダメージは、先刻のどれよりも深刻だと理解した。  腕が折れていた。  支柱が肘に乗っていた。  目を疑う。信じられない。現実味が無い。あっさりしすぎている。  じわじわじわじわ、頭のてっぺんから爪先まで痛みが浸透する。  黒板に爪を立ててひっかいた時の擬音が神経を伝導していく様を想像した。  ああ、ちくしょう。  痛えなあ。

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