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43 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/05/31(水) 02:41:17 ID:ju7bF4dq
里村・春香と出会ってから分かれるまでの数ヶ月の間、幹也は春香を好きだと思ったことは一度もなかった。
ただ、彼女の左手に隠すことなく刻まれた細く数多い傷跡は、幹也の興味を惹くだけのものがあった。
幹也には自傷癖も他傷癖もない。そういうことをする人間に対する興味はあった。
なぜそうするのか――それを考えていれば、正しく暇つぶしになった。
「どうしてこういうことをするの?」
夕暮れの図書室。紅く染まった、本と埃の、時の積み重なったにおいのする部屋。
二人だけの世界で、幹也は、春香の手首を舐めている。
手首につけられた傷跡を、穿り返すかのように、丹念に舐めている。
春香は光悦とした表情とともに答えた。
「人による。狂気倶楽部には、手首を切る人は多いけど、みんな理由が違う」
狂気倶楽部、という名前を、幹也は図書室で「遊ぶ」ようになってから幾度となく聞いていた。
それが何かと聞いても、春香は決して教えようとはしなかった。
いつか教えてあげる。それまで誰にも秘密。その二つだけしか言わなかった。
幹也もそれ以上尋ねようとはしなかったし、誰にも話すつもりはなかった。
そもそも、学校では「可もなく不可もなく特徴のない」生徒だった幹也には、そういうことを話す相手はいなかった。
家でも、学校でも、彼は普通である。ただ、退屈していただけだ。
何の理由もなく、何の原因もなく、生まれつき彼は――ただひたすらに、退屈していた。
だからこそ、こうして退屈しのぎと称して、退廃的で倒錯した行為にふけっている。
手首から舌を外して、幹也はもう一度尋ねた。
「なら――春香の理由は?」
幹也は、学校では『12月生まれの三月ウサギ』ではなく、名前で呼んでいた。
春香がそう懇願したのだ。まるで、特別な絆を作るかのように。
春香は微笑んで、答えた。
「死にたいから。死にたいけど怖くて、手首しか切れないの」
分からなかった。
どうして死にたいのか。
だから、幹也は尋ねた。
「春香は、どうして死にたいの?」
笑ったまま、春香は答えた。
「生きるのが怖いから」
この答えの25日後、里村・春香は言葉どおりに、屋上から飛び降り自殺をした。
そしてその遺言に従い、幹也は暇をもてあましながら、喫茶店「グリム」を訪れたのだった。
44 :名無しさん@ピンキー [sage] :2006/05/31(水) 03:08:51 ID:ju7bF4dq
退廃的で倒錯的な行為を終えて、幹也はグリムの身体から離れた。
机の上で、グリムは、ぐったりと力を失って気絶している。
フリルのついた、黒いワンピースが乱れていた。
色こそ違うものの、その姿は、いつかの日のヤマネに似ていると思った。
それもそうだ、と幹也は内心で頷く。ヤマネにやったようなことを、グリムへやったのだから。
行為を終え、椅子に深く座りなおした幹也に、マッド・ハンターがにやにや笑いと共に話しかけた。
「やぁやぁやぁ。『盲目のグリム』は有望な新人でしょう?
排他的でも自傷的でもない、誘いうける依存者は久しぶりだよ」
幹也は、眼前の机の上で横になるグリムと、昔と変わらず対角線上の端に座るマッド・ハンターを見つめて言う。
「喫茶店の名前はつけないものとばかり思ってたよ。分かりにくいことこの上ない。
途中から喫茶店に向かって話しかける気分になった」
「まぁ、まぁまぁそれも仕方がないよ。この子、どうにもマスターの関係者らしいよ。
会ったことはないそうだけれどね」
随分と曖昧で適当なことだ、と幹也は思う。久しぶりに来たが変わりはない。
あの頃。
春香を失い、暇をもてあまし、マッド・ハンターとヤマネと過ごしていた頃と、何も変化はない。
きっと、永遠に変化しないまま、唐突に終わるのだろう。
まったく変わらないマッド・ハンターは、やはり変わらない笑いを浮かべながら幹也に言う。
「しかし、しかし、しかしだね。三月ウサギ君はどうにも、『妹』に好かれやすい節があるね。
ヤマネの時もお兄ちゃんと呼ばれていただろう? 懐かしいね。
君の本当の妹も、お兄ちゃんって呼んだのかな?」
「狂気倶楽部の外の話は、ここではナシだったはずだろう?
そのルールも変わったのかい、マッド・ハンター」
「いやいやいや。変わってないよ。ただし、君の場合は有名になりすぎたからね」
――有名。
マッド・ハンターの言葉は間違っていない。
ヤマネと分かれ、狂気倶楽部からしばらく離れるきっかけになった事件で、幹也は有名になった。
マッド・ハンターも、その事件を知っているし、本来秘密のはずの幹也の本名も知っている。
それでも二つ名で呼んでくれるのは、マッド・ハンターの優しさなのかもしれない。
「それで、それで、それで? 君はまたしばらくここにいるの?」
「いや――」
幹也は言葉を斬り、失神したまま動かないグリムを見る。
今は失神しているだけだ。
けれど、いつかは死ぬかもしれない。
里村・春香のように。
そして――ヤマネのように。
「この子を愛せるようになったら、またどこかに行くさ」
グリムの黒い服と白い足を見ながら、幹也はふと思い出す。
ヤマネのことを、春香のことを。
忘れることのない、一瞬だけ退屈から救われた事件のことを。
(続)